<決定的に成就する、「月面着陸」という復讐劇>
1 「幽霊になること」を強いられた少年たち
1967年 コペンハーゲン。
望遠鏡や雑誌を万引きし、店員に追いかけられ、2人の兄弟が逃走する。
エリックとエルマーである。
まもなく、“児童保護サービス”に捕捉された二人を、母親が迎えに来る。
エリック(左)とエルマー |
「学校の報告によれば、無断欠席やケンカに無気力、盗みも働いている」
そう指摘され、施設行きを促されるが、病気がちな母親は、困窮する母子家庭の背景を説明し、今回だけは施設行きを免除された。
兄弟の母親 |
「兄弟の父親は数年前に、首を吊って自殺。母一人だった。エルマーは内反足で、人類が月に行ければ、大抵の問題は解決すると信じていた。母親に会ったことはないけれど、笑顔を想像できる。何があっても、希望を保つしかない」(トゥーヤのモノローグ/以下、モノローグ)
「母親は工場に行かず、自転車置き場で具合が悪くなり、家に戻った。重病だった。叔父によれば“癌”だ」(モノローグ)
叔父は定職がないため、行政の指示で、二人は児童施設に預けられることになった。
入所した翌朝、一斉に起こされ、皆、無言でオートミールの牛乳のみの朝食を摂る。
ヘック校長(以下、ヘック)が入って来るや、全員起立して挨拶をする。
ヘックは新任の国語教師のハマーショイ先生(以下、ハマーショイ)を紹介する。
ヘック校長(右)とハマーショイ教師 |
続いて、ヘックに新顔のエリック兄弟が紹介された。
「将来、何になりたい?」
「宇宙飛行士」
エルマーがそう答えるなり、二人を直接指導する一人の教師(以下、この体罰教師がトフトという名であることが、トゥーヤのモノローグで判明する)が平手打ちを食らわした。
トフト教師 |
「勘違いはいけない。やり直そう。では、まずは堤防への岩運びをさせろ」
ヘックがそう言うや否や、エリックが反発した。
「できません。弟は内反足で、重い物を持つと足が痛むんです」
校長は全く取り合わなかった。
「勝手に校長に話し掛けるな。分かったか?」
今度は、エリックにトフトのビンタが飛んだ。
ハマーショイを教室に案内した際、ヘックは指導方針を説明する。
「ここの子供たち皆を、そこそこの職人にするのが我々の義務だ。たとえ体罰を用いてでも」
それだけの会話であるが、既に体罰を目視しているハマーショイにとって、この児童施設での仕事の馴染みにくさを感じ取っていた。
岩運び作業の日課を、皆で行っていた時だった。
昼食はビスケットのみ。
兄弟に話しかけてきたトゥーヤは、仲間のトッパーとロードも紹介した。
「生き残るには幽霊になれ。目立たないように。いつか“永久許可証”がもらえる。施設を卒業できる。15歳までには。それまで透明人間でいろ」
その一方で、施設の他の少年たちから貢ぎ物を出せと、酷い暴力的な虐めを受ける。
「兄弟は初日に逃げ出した。あまりにショックで、家に帰りたくなった。逃亡で学ぶ教訓だ。施設の子の味方はいない」(モノローグ)
結局、兄弟がヒッチハイクした車は、二人を施設に送り返したのだった。
エリックとエルマーに対し、施設に入所する少年たちによる、「制裁!制裁!」の合唱が響く。
何も為し得ず、それを目視するだけのハマーショイ。
押さえられた二人に対し、一人一人の鉄拳が顔面を激しく殴打する。
【この描写だけは頂けない。全員が拳で殴ったらショック死する危険性があるばかりか、兄弟の顔は腫れ上がり、その相貌も変形するだろう】
「兄弟は幽霊になろうと頑張った。だが簡単じゃなかった」(モノローグ)
更にエルマーが寝小便をしたことが発覚し、寒空の中、裸でシーツを手で広げて、乾くまで立ち尽くすという罰を受けた。
その姿を、一斉に囃(はや)し立てる少年たち。
「エルマーが医者にかかり、貢ぎ物の量を増やされた。エルマーのおねしょのせいだ」(モノローグ)
【ここで治療薬として処方されたのは、統合失調症治療で鎮静剤・トルクサルと、ADHD(注意欠陥・多動性障害)に使用される危険ドラッグのアンフェタミン。
モノローグによると、「トルクサルで鎮静し、朝はアンフェタミンで覚醒された。だが、薬を増やしても、おねしょは続いた」とある。
因みに、「子どもを『薬漬け』にする児童養護施設の現実」というサイトによると、全国605施設に約2万5000人が入所している我が国の児童養護施設で、ADHDと診断され、複数の副作用が現出する向精神薬コンサータやストラテラの服用が強いられるなど、「体罰から向精神薬へ」という流れが定着しているとのこと。紛れもなく人権侵害である】
![]() |
ADHDに使用される薬剤コンサータやストラテラ |
ハマーショイの授業でも、エルマーは薬の副作用で、居眠りして注意される始末。
ところが、エルマーの識字能力はハマーショイの目に留まり、自分で書いた日記を読むように指示され、皆の前で音読して見せる。
高い識字能力を認められたエルマーは、郵便係を担当することになり、いつしか寝小便も止まった。
エルマーの識字能力の高さは、宇宙関係の新聞記事を読み漁る習慣の結果であると想定できる。
クリスマスも迫ったある日、いつものように郵便物を配るエルマー。
エリックたちにも、母親からの手紙が届いていた。
部屋で何度も読み上げるエルマー。
そして、毎年、クリスマスに同じ文面で不在を知らせるトゥーヤの父親からの手紙を、エルマーは「追伸」と称して、妹が見た兄との宇宙の夢を創作して語り始める。
「“妹も会いたがってる。愛を込めて”」
そう結んだエルマーの言葉に、最初は嫌がっていたトゥーヤだったが、いつしか感極まっていた。
かくて、トッパーも自分の手紙をエルマーに差し出すのだった。
「俺たちはエルマーの才能に気づいた。自分たちでも読めたが、彼に読んでほしかった。俺たちは月と妙な名前の惑星の話を聞いた。エルマーも楽しんでいた…俺たちは初めて施設の外の大きな何かを感じた。大事なことだ。幽霊でいるべき時があるのと同じぐらい…」(モノローグ)
しかし、エルマーのハネムーンの時間は、呆気なく頓挫する。
夜になって、アクセルという教師が、寝静まっている少年たちの部屋に来て、エルマーを連れ出した。
性的虐待を受けたのだ。
これは常態化していて、施設内の子供たちの周知の事実だった。
性的虐待を受けたエルマーが洗面所で倒れていた事態について、施設の教師たちと医者が話し合っていた。
ハマーショイは虐待を強く主張したが、施設の校長・教師・医師たちは思春期の悪戯であると決めつけ、ハマーショイの異議をあっさりと退けてしまう。
言うまでもなく、アクセルも同調する。
次の議題では、監査当局の検査の問題について話し合われていくという手順であった。
それでも拘泥するハマーショイは、直接、何があったかをエルマーから聞き出そうとする。
犯人が子供だと思い込んでいるハマーショイだったが、エリックに否定され、施設内での性的虐待の構造の根深さに初めて気づくのだ。
「年次検査では、エルマーは、ほぼ普通に見えた。校長の指示で、アザは化粧でごまかした。俺たちは一張羅を着込んだ。検査官は俺たちを見ないのに…兄弟の帰宅は数日後。俺までうれしかった」(モノローグ)
工具の作業中、検察官に問いかけられたエリックは、「とても楽しいです」と答えるのみ。
この閉鎖系のスポットにおいて、幽霊でいる以外の適応戦略は存在しないのである。
そのとき、エルマーがアクセルに呼ばれ、二人の秘密だと念押しされる。
それを見ていたエリックは、密かに電動工具を仕掛けて、アクセルに大怪我を負わせてしまう。
アクセルの怪我 |
ハマーショイはその惨事の一部始終を見て、性的虐待の犯人が誰であるかを察知するに至る。
アクセルは救急車で運ばれ、仕事の復帰時期が判然としない状態となった。
エリックに叔父から電話が入ったのは、クリスマスの夜の食事中の時だった。
それは、母の死を告げるものだった。
「静かに食べろという」ヘックの指示に従わず、泣き止まない兄弟たちに、ヘックは怒りを爆発させる。
二人に平手打ちを食らわし、無理やり食べさせようと、エリックの顔を皿に押し付けた。
それでも嗚咽が止まらない二人に対し、ハマーショイは席を立って、そっと寄り添うのみ。
程なくして、兄弟の叔父さんが施設を訪ねて来た。
母の死の様子を聞き、遺書の中に、叔父が二人を引き取るという内容が記されていた事実を知らされる。
エリックは引き取るのが半年後という叔父に対し、「すぐに出たい」の一点張り。
「エリックは逃げる気だった。違法なことを頼むなら、叔父さんが一番。彼は恐れ知らずだ」(モノローグ)
叔父はヘックに二人を引き取ることを話すが、ヘックは定職のない叔父に対し、養育する資格がないと取り合わない。
「彼らの人生の肝心な時期に、あなたは悪影響です」
そこまで言い切ったのだ。
「叔父さんは兄弟を連れて帰りたかった。だが兄弟が“夜を待とう”と。叔父さんは道路で彼らを拾い、かくまうと約束した」(モノローグ)
ところが、叔父は兄弟たちの話が信じ切れず、約束を守れないことをハマーショイに伝言を依頼する。
ハマーショイは消灯後の部屋に入ろうとすると、ヘックに止められ、二人の計画が知られてしまう。
予定通り施設を出た二人は再び捕捉され、ヘックとトフトによる激しい暴行を受ける。
殴り倒されながらも、エリックは校長に歯向かっていく。
「閉じ込めておけないぞ!家に帰ったら、警察に言ってやる」
しかし、ヘックは叔父さんが断りの電話をハマーショイに伝えた事実を告げ、抵抗が無駄であると言い放つ。
その話を信じようとせずに暴れるエリックは取り押さえられ、地下室へ連れて行かれる。
ハマーショイはエルマーに叔父さんが謝っていたことを告げ、施設に残ることを促す。
「他の大人と同じだ」
子供ができないハマーショイの、エルマーに対する一連の行為を詰(なじ)ったことで、ハマーショイは思わずエルマーを叩いてしまう。
「ごめんなさい」
エルマーはその場から走り去り、翌日、ハマーショイも施設を後にした。
「兄弟は一夜にして幽霊になった。状況を変えられるのは永久許可証だけだった」(モノローグ)
2 「幽霊になること」を否定した少年たち
1969年 夏。
新しく赴任したハートマン検査官が、事前予告なしに施設を訪れた。
ハートマン検査官 |
報告では完璧な運営と評価され、「児童養護施設校長・ヘック」の叙勲が決定したところだった。
突然の訪問に校長は日を改めるよう申し出るが、検査官はそれを認めず、子供たちが主役であると言って、彼らとの話を聞く場を求めた。
作業中の子供たちが整列した姿は、風呂にも入らず、汚れた体と生傷のある顔だった。
不信に思った検査官が子供たちに傷について聞くが、正直に答えることはなかった。
「俺たちは3週間後に永久許可証をもらえる。何も言う必要はない…このとき気づいた。1969年7月20日、忘れていたことが現実になった」(モノローグ)
テレビの生中継で、アポロ11号の月面着陸に見入る少年と教師たち。
その頃、15歳になったエリックは、叙勲式に行くヘックの車を、自ら志願して磨いていた。
3週間後に永久許可証を受け取り、他の施設に移る際に、エルマーを一緒に連れて行く許可を認めてもらうためだった。
しかしヘックは、新しく作る実習生用の区画に、エリックを模範生として、18歳まで施設に残すことになっていると言うのだ。
施設から出ることだけを希望に「幽霊」になっていたエリックにとって、許しがたいヘックの計画だった。
エリックはヘックに激しく抗議し、磨いたばかりの車を傷つけた。
激しく抗議するエリック |
「死ぬ寸前だった。3日、意識が回復せず、オスカーソン先生も心配し始めた。俺は永久許可証を受領。4年待ってたのに、うれしくなかった。1週間後には外へ。だがエリックは目覚めなかった」
エリックは飲まず食わずの状態で、外部刺激に全く反応しなかった。
担当医師は他の病院へ移すことを進言したが、ヘックはそれを頑として認めない。
「もし、この子が…その場合は神の思し召しだ。我々は関係ない」
この話をベッドの下に隠れて聞いていたエルマーは、エリック救済の行動に打って出た。
ベッドの下に隠れ、ヘックの話を聞くエルマー |
コペンハーゲンの郵便局を見に行くために、1日だけ休みを欲しいとヘックに申し出て、その許可を得るクレバーなエルマー。
エルマーはコペンハーゲンに着くや、ハマーショイに電話し、ハートマン検察官に会いに連れて行って貰ったのだ。
しかし、検察官は留守だったので、長時間待たされた挙句、検察官の秘書アンダーセンにエリックのことを訴えたが、証拠がないと取り合ってもらえなかった。
養護施設寄りの検察官秘書アンダーセン |
アンダーセンもまた、ヘック寄りの検察を遂行する男だった。
何も動かない大人たちに失望したエルマーは、自分一人で闘うことを決意する。
施設に戻ると、エルマーは何も反応しないエリックに別れの言葉をかけ、ハマーショイが置いていった「2001年宇宙の旅」のレコードをかけ、宇宙服に身を包み中庭に出て、校長の車を壊し始めたのである。
叙勲のパーティーをしている校長とスタッフらは、外の異変に気づき、駆けつけると、エルマーが車の上に乗り、車のガラスを破壊尽くしていて、生徒たちもそれを囃し立てていた。
捕まったエルマーは激しく殴打されるが、走って逃げ出し、鉄塔のてっぺんまで登り、月に向かってダイブしたのだ。
鉄塔に登ったエルマー |
その時、駆けつけたハートマン検察官とハマーショイによって、児童養護施設の実態が認知されることになる。
病院へ運ばれたエリックは点滴を受け、エルマーは脳震盪と鎖骨の骨折で済み、付き添ったハマーショイは安堵する。
退院した兄弟はハマーショイに連れられ、施設にやって来た。
エルマーは校長室を訪れ、エリックと二人分の永久許可証を求めたのだった。
許可証を手に、エルマーは施設の仲間たちに別れの挨拶にやって来た。
「エルマーとお別れだ。初めてだった。この施設でいい思い出ができたのは…」(モノローグ)
その後、残っている少年たちに、ハートマンは問いかける。
「私に個人的に話がある者は?」
今までと同様に、生徒たちの反応はなく、トフトは満足げな表情を浮かべる。
その時、トゥーヤが人差し指をゆっくりと上げた(これは、「自分の話を聞いて」という意味だと思われる)のである。
エルマーによって突き動かされたトゥーヤの勇気ある行動が、施設の少年たちをも突き動かしていく。
トッパーとロードもそれに続いた。
ロード |
そして、そこにいた殆どの少年たちが、人差し指を上げたのである。
怖々ながらも、最初に人差し指を上げたトゥーヤは、今、「幽霊になること」を否定したのだ。
ラストシーン。
車中のエリックとエルマーに、走って手を振るトゥーヤに、笑みを湛(たた)えた兄弟も手を振って応えていく。
「この物語は1960年代に、ゴッドハウン児童養護施設などで起きた事件を基に作られた。施設にいた生徒たちの多くは、依存症や抑うつ、不安症等の後遺症に悩んでいる。今日、ゴッドハウンは、ユースセンターとなり、かつての生徒たちを支援。A・R・ヨルゲンセン、P・E・ラスムセン、他の全てのゴッドウハウンの少年たちに感謝を」
最後に提示されたキャプションである。
3 決定的に成就する、「月面着陸」という復讐劇
結論から書けば、この映画は、「支配・服従」という完璧な「権力関係」の構造の、甚だしく理不尽で、観る者の中枢を射抜くほどに爛れ切った風景を映像提示した圧倒的な作品である。
一切が、「教育」の名のもとで実践躬行(きゅうこう)されるのだ。
「ここの子供たち皆を、そこそこの職人にするのが我々の義務だ。たとえ体罰を用いてでも」
この児童養護施設校長・ヘックの言葉が、「支配・服従」という完璧な「権力関係」の構造を端的に可視化している。
「ここの子供たち」は全て「犯罪者予備軍」だから、「職人にする」ことで一人前にし、社会に送り出す。
それこそが「我々の義務」である。
体罰という名の「有形力の行使」は、その方略として是認される。
「有形力の行使」が是認されれば、「ここの子供たち」の全人格性を管理する、児童養護施設という閉鎖系スポットでのルールの順守は絶対規範と化す。
![]() |
母の死を知らされ、食事中に泣いても体罰を受ける兄弟 |
かくて、絶対規範の逸脱行為に対する「有形力の行使」は「我々の義務」でさえある。
加えて言えば、「犯罪者予備軍」としての「ここの子供たち」の時間の完全管理も、「我々の義務」となる。
時間の完全管理は、「ここの子供たち」の未来の時間の管理をも範疇に入れるが故に、職業選択の自由という基本的人権を逸脱することはない。
少なくとも、児童養護施設の幹部スタッフは、そう考えた。
斯(か)くして、「職人にする」ことだけが「我々の義務」なので、「将来、何になりたい?」というヘック校長の問いに、「宇宙飛行士」と答えたエルマーに対する「有形力の行使」が正当化されるのだ。
「宇宙飛行士」を目指すというのは、どこまでも、エルマーの「夢」の範疇を超えていない。
それを認識しているにも拘らず、ヘックは認めない。
「夢」を吐露するという、その表現それ総体を認めないのだ。
ここで許されるのは、どのような職人を選択するか否か、それだけである。
物語の主人公の兄弟が、入所初日に施設からの脱出を図ったのは必至だった。
施設から脱出するエリックとエルマー |
望遠鏡や雑誌を万引きするなど、必ずしも、「生きるための、不可避な非行」とは無縁な悪さを常態化していた兄弟にとって、その日常を雁字搦(がんじがら)めに縛られた「非日常の時間」に耐えられるわけがない。
脱出の頓挫後、目を付けられた兄弟が、爾来、「幽霊になること」を選択したのは賢明だった。
それ以外の「適応戦略」が存在しないからである。
しかし、気が強いエリックは「幽霊になる」という「適応戦略」を繋いでいても、「永久許可証」が3年間も延長されるという事態に直面した時、ティッピングポイント(限界点)を超えてしまった。
ここに、ヘックの言葉がある。
「君は成長著しいから、場所を確保した。18歳。子供たちの模範となってくれ。いい機会だ。だが、いいか。他にはまだ秘密だ」
この「秘密」の情報を、ヘックは嬉々として報告するのだ。
「永久許可証」を手に入れるために「幽霊になること」を決め込み、「模範生」として呼吸を繋いできただけのエリックの心理を読めないヘックの愚昧さが露呈するこのシーンの中に、施設の少年たちの時間の管理の致命的過誤が透けて見える。
これはもう、自己欺瞞という概念の範疇すら超えていて、その愚昧さに二の句が継げない。
その愚昧さを自己認知すべく何ものもない施設の大人たちの情動が、「幽霊になること」を拒んだエリックに対して暴力的に激発する。
外部刺激に全く反応しなくなるほどの犯罪的暴力を被弾し、「死ぬ寸前」(モノローグ)にまで追い詰められてしまったエリックが、そこに横たわっていた。
臥したエリックを視た時、ヘックは何と反応したのか。
「もし、この子が(死んだとしても)…その場合は神の思し召しだ。我々は関係ない」
「神」に逃げたのである。
ルター派に所属するデンマーク国教会の信徒であるだろうヘックにとって、「神」とは実に簡便な文化装置であることを露わにするシーンであった。
コペンハーゲン・聖アルバニ教会 |
ヘックが放った言辞は、これを耳にしたエルマーの復讐劇が開かれる契機となる。
その内実は、粗筋で書いた通りである。
アポロ11号の興奮も冷めやらぬ心境下で開かれるエルマーの復讐劇こそ、この映画に構造的な深みを与えるのに充分過ぎた。
アポロ11号の船員の一人と化し、エルマーは月面着陸を具現するのだ。
「転落」という現実を、「飛翔」という夢に遷移させたのである。
そして、エルマーの「死のダイブ」は、決定的に成就する。
月面着陸を果たすというエルマーの行動には、伏線があった。
「月では協力が必要かも」
「月に着陸できるのか?」とトゥーヤ。
「できるよ。最初に犬を送って、次にサル。いろいろ分かったから次は人間だ」
「犬とサルは無事?」とトッパー。
「死んだよ。でも宇宙で死んだ。月と星を見ながらね。幸せだったはず。見てて。みんな宇宙で浮ける日が来る」
夜、エリックが渡した菓子を、エルマーがトゥーヤたちに分け与えるシーンでの会話である。
地球の1/6になる月の重力に身を預ければ、先天性内反足という障害を抱えた不自由な足も解放されるのだ。
アポロ11号の月面着陸に見入るエルマー |
「死のダイブ」で月面着陸を果たすエルマーの心情は、観る者の胸を打つ。
この映画が、単純な「抵抗・正義」・「反虐待」・「弱者利得」のトラップに嵌らなかったのは、この辺りにある。
そんなエルマーを打擲(ちょうちゃく)しようとしたトフトは、あろうことか、宇宙服に身を包んだエルマーをチェーンを武器にして痛めつけるのだ。
このトフトの体罰に象徴されるように、「権力関係」の強化は頓挫するまで突き進んでいく。
「権力関係」を頓挫させ、一切を無化したエルマーの攻撃的勇気。
圧巻だった。
又候(またぞろ)、どうしても言及を避けられない描写を、この映画は拾っていた。
重苦しいシーンで埋め尽くされる本作のエピソードの中で、何より悲哀を極めるのは、エルマーが被弾した性的虐待の一件である。
アクセル教師とエルマー |
我が子のように、エルマーに深くシンパシーを感じていたハマーショイは、虐待を強く主張したが、医師の「大事には至っていない。大丈夫」という言葉によって、施設の校長・教師・医師たちは性的虐待の事実を否定し、一件落着するのだ。
このアクセルの性的虐待の一件もまた、絶対に表面化することを怖れる施設内での、暗黙の了解事項だったというわけである。
性的虐待の現実を隠蔽する養護施設の闇の深さ |
―― 最後に、「教育」について、一言、書き添えておきたい。
「教育」、とりわけ、「人間教育」の要諦は、情報処理能力としての「ハードスキル」であるというよりも、コミュニケーション能力・自発性・指導力・協調性などの「ソフトスキル」にあるということ ―― これに尽きる。
言わずもがな、映画の施設の「教育」は、「ソフトスキル」どころか「ハードスキル」においても、致命的過誤を犯していた事実の重みを痛感せざるを得ない代物だった。
(2021年1月)
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