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2023年7月26日水曜日

用心棒('61)   純度100%のエンタメ時代劇の決定版   黒澤明

 


1  「用心棒にも色々ある。雇った方で用心しなきゃならねぇ用心棒だってあらぁ」

 

 

風来坊の素浪人・三十郎がやって来た宿場町には、賭場の元締めの清兵衛一家と、跡目相続への不満で独立した清兵衛の弟分の丑寅一家との争いが絶えず、すっかり荒廃していた。 

三十郎に口利き料をふっかける番太

声をかけられて入った居酒屋の権爺(ごんじい)から、その経緯を聞かされた。

 

「事の起こりは、馬目(まのめ/この宿場町の名)の清兵衛の跡目相続よ。実の子可愛さにをそっくりそいつに譲ろうとした。こいつがいけねぇや。一の子分が承知するわけゃねぇや。またこの一の子分の新田の丑寅(うしとら)って野郎がおめぇ…清兵衛に杯を叩きつけて、新田村(しんでんむら)から乗り込んで来た。清兵衛一家が真っ二つよ。決着付けるのはドスしかねぇや。そこで清兵衛も丑寅も、目の色変えて無宿者や凶状持ち(前科者)をかき集めて…」 

 居酒屋の権爺

そんな折、隣の棺桶屋に、丑寅の弟の亥之吉(いのきち)が配下を連れてやって来た。 

無宿者の凶状持を連れて来た亥之吉(中央)


権爺は窓の隙間から覗きながら、「少し足んねぇが、暴れ出したら手が付けられねぇ。また人殺しを3人仕入れて来やがった」とぼやくのだ。

 

見ると、番太(ばんた/治安を守り処刑などに携わっていた番人)は取り締まりもせず、亥之吉と談笑し、へつらっている。

 

更に権爺は、向かいの絹問屋の多左衛門(たざえもん)の家を三十郎に見せ、宿場の世相を嘆くのである。

 

「こいつがしっかりしてりゃ、こうはならねぇんだが、総代名主(そうだいなぬし)のくせに、から意気地がねぇ。これまで清兵衛に肩入れして何とかやってきた。ところがおめぇ、今度の騒ぎをきっかけに、造酒屋(つくりざかや)の徳右衛門(とくえもん)が丑寅の尻押しをして、次の名主は俺だとばかり、絹にまで手を出して横車を打ち出した。こうなると多左衛門の野郎、手も足も出ねぇ。家にすっこんだきり、清兵衛が勝ちますようにとお題目ばっかり上げていやがる」 


そんな事情で、この宿場町はもうお終いだから、さっさと逃げ出すよう促したが、三十郎は意に介さない。

 

「この町は気に入った。腰を据えるぞ」

「俺があれほど言ったのに、まだ分かんねぇのか」

「よく分かった。だから俺はここに残る。今、この町では人を斬れば金になる。しかもこの町には、叩き切った方がいいような奴しかいねぇ。まあ、考えてみろ。清兵衛や丑寅、その他博打ち無宿者が皆くたばったら、この宿場もすっきりするぜ」


「無茶だ!命がいくつあったって、そんなことはできっこねぇ」

「俺一人で皆叩き斬るつもりはねぇよ」

「じゃ、どうする気だ」

「酒を飲みながら、よく考える」

 

さっそく三十郎は、清兵衛の家に行って呼び出し、「俺を買わんか。用心棒にどうだ。腕は今見せる」と言うや、丑松の家に向かっていく。 


三十郎は丑松一家のチンピラを挑発し、3人をいとも簡単に斬り倒してみせ、それを見ていた清兵衛は三十郎に値を吊り上げられ、前金二十五両を渡すことを条件に、五十両で雇うことになった。 

清兵衛


三十郎が清兵衛から酌を受けていると、女房のおりんが入って来て、清兵衛を呼び出した。 


三十郎は後をつけ、清兵衛とおりんの話を盗み聞く。

 

夜逃げを心配するおりんに、清兵衛は今日これから三十郎を先に立て、丑松の家に殴り込むと言うのだ。

 

「こっちが勝ったところで、あいつを殺しゃぁ、丸々五十両助かるんだがねぇ…味方だと思って油断しているところを、後ろから叩き斬りゃあ、わけないさ」 

おりん(左)と与一郎(右)

おりんは、気弱な倅の与一郎にやってみろとけしかける。

 

一部始終を聞いた三十郎は、清兵衛から約束の二十五両を受け取り、一同の顔合わせが行われた後、早速、丑寅一家への決起に駆り出された。

 

清兵衛一家と丑寅一家が相対峙(あいたいじ)したところで、三十郎は、「やるなら勝手にやれ。俺は御免だ。かみさんや、お生憎様だが、喧嘩に勝った後で殺されるのはまっぴらだ」と、受け取った二十五両を投げ返し、清兵衛一家を後にして、丑寅に大声で呼びかける。 

「やるなら勝手にやれ。俺は御免だ」


「腹に据えかねることがあって、清兵衛一家と手を切った!話はそれだけだ」

 

そう言うや、三十郎は火の見櫓(ひのみやぐら)に上り、双方の戦いぶりを高みの見物と決め込むのである。 


両陣共にへっぴり腰でなかなか接近できずに膠着しているところに、八州廻り(はっしゅうまわり/幕府の役人)が来るとの情報で、抗争は中断するに至った。 


「運のいい野郎だな」(清兵衛)」「てめぇこそ、八州廻りが引き上げるまで、その雁首を開けてくれ」(丑寅/左)


八州廻りが居座ることで、抗争は沈静化するが、その間、三十郎が逗留する居酒屋に両家がやって来て、盛んに用心棒の誘いを仕掛けて来るのだ。 


しかし、三十郎は双方に値を競わせ、八州廻りが出ていくまで返事を先延ばしにすることにした。

 

丑寅の差し金で町役人が殺されたことで、いよいよ八州廻りが発つことになり、三十郎の元に丑寅がやって来た。 

「すぐ俺のとこに来てくれ。八州廻りは明日出ていく」(丑寅)


訝(いぶか)る三十郎に権爺が詰(なじ)る。

 

「侍のくせに金のことばかり言って」

「恐ろしく危なくて汚い仕事だ。よほど取らなきゃ行く気はねぇ」

「たかが用心棒になるだけじゃねぇか」

「用心棒にも色々ある。雇った方で用心しなきゃならねぇ用心棒だってあらぁ」 


そこに棺桶屋が来て、旅から帰った丑寅一家の一番下の卯之助(うのすけ)の進言で、両家が手打ちをしたと話す。 

手打ちで不満をこぼす棺桶屋


その卯之助が外で番太を相手に、懐から拳銃を出して見せびらかし、半鐘(はんしょう)を撃って見せた。 

卯之助

手打ちとなった途端、多くの無宿者の凶状持ちが解雇されて不満をぶちまけ、その中に丑寅が差し向けた役人殺しの下手人もいた。

 

三十郎はその下手人2人を八州廻りに突き出して丑松らを捕縛させようと、清兵衛に引き渡して金を受け取る。 

「この二人を連れ、出るところに出れば、丑寅の首は片付く」(三十郎)


三十郎はその足で丑寅に会い、下手人が清兵衛に捕まったとの情報をもたらし、再び用心棒になってくれと言われるが、僅かな金を受け取り、その誘いを留保した。

 

話を聞いた卯之助が与一郎を捕らえ、下手人との交換を清兵衛に要求する。

 

両者が近づき、いざ交換というところで卯之助は銃で下手人を撃ち殺し、与一郎を解放しなかった。

 

それに対し、清兵衛は丑寅と連(つる)む造酒屋の徳右衛門の情婦のおぬいを人質として引ったてて来た。 

与一郎とおぬいの人質交換


おぬいは、百姓の夫・小平(こへい)が博打で負けた借金の形に、丑寅が徳右衛門に差し出した女だった。 


権爺が小平とおぬいの息子を連れて来て、居酒屋から覗く息子が「おっかぁー!」と叫ぶと、おぬいは店に走り寄るが引き剝(は)がされ、人質交換は成立するに至る。 

おぬいを引き連れているのは名主の多左衛門

「おめぇは(おぬいを)見たくないのか?」(権爺)と言われ、黙ってしまう小平

母のおぬいに手を伸ばすおぬいの子

徳右衛門(中央)、多左衛門と与一郎(右)


ここから、エンタメ時代劇の勝負どころと化して一気に開かれていく。

 

 

 

2  「さて、これでこの宿場も静かになるぜ」

 

 

 

三十郎は丑寅の用心棒を申し出て、前金三十両を受け取り、おぬいの見張り6人では手薄だと言って亥之吉を随行させ、おぬいが徳右衛門に囲われている家に向かった。

 

亥之吉を小平の家に向かわせたところで、見張り全員が殺されていると騙して、急いで報告に帰し、その間、6人の見張りを殺しておぬいを救出する。 


三十郎は、丑寅から受け取った三十両を小平一家に渡し、見張りが急襲され大立ち回りがあったかのように偽装工作するのである。 


駆けつけた丑寅らにその惨状を見せ、「清兵衛も中々やるな」と闘争心を煽る三十郎。 

卯之助は三十郎を疑う


ここから大抗争の火蓋(ひぶた)が切られ、卯之助によって、清兵衛を後ろ盾とする名主の多左衛門の絹倉庫に火がつけられ、その報復として、丑寅を後ろ盾とする徳右衛門の酒造が破壊された。 



宿場には死体の山が放置されているが、居酒屋の権爺は三十郎がおぬい一家を助けたことで機嫌がいい。

 

「おめぇはな、本当の悪じゃねぇや。悪に見せるのが好きなだけらしいな。夕べ、あいつが来たんだ」 


権爺は小平から預かった礼の手紙を置くが、手に取ろうとしなかった。

 

そこに小平一家が峠を越える目撃情報を得た卯之助と亥之吉が店にやって来て、おぬいを連れ出したのが清兵衛ではなく、三十郎に疑念を抱く。

 

「あんないい腕を持った奴は、この近くにおめぇしかいねぇ」

「それで?」

「もしかすると、あの6人叩き殺したのは、おめえじゃないかと思ってね」

 

そこで権爺が小平の手紙を隠そうとして卯之助に見つかったことで、三十郎は捕らえられ、監禁され拷問を受け続けることになった。 




おぬいの居場所を知っているということで、徳右衛門が命は助けるから教えて欲しいと懇願するが断り、三十郎は更に激しい拷問を受ける。 

徳右衛門(右)


見張りがいない間に外に出ようとすると鍵が掛かっていたが、長持(ながもち)の閂(かんぬき)が空いていたので身を隠すと、帰って来た見張りは逃げられたと思い、探しに行った隙に三十郎は外に這い出ていく。 

長持

権爺に匿われ、すぐに丑寅らが店に来たが、三十郎は一旦来てすぐに清兵衛の元へ行ったと嘘をつくと、丑寅は「清兵衛の奴らを皆殺しだ」と吐き捨てて出て行った。 



三十郎は棺桶に入り、棺桶屋と権爺に運ばれ、丑寅らが清兵衛一家を惨殺する様子を見てから、逃げた桶屋に代わり権爺が亥之助を騙して念仏堂まで運ばれ、激しく痛みつけられた体を休めることになった。 

念仏堂

念仏堂で権爺の差し入れを待っていると、棺桶屋が来て権爺が捕まったと聞いた三十郎は、急ぎ宿場町に戻っていく。 



権爺は宿場町の中枢に吊るされていた。 


そして今、からっ風が吹きすさぶ中、卯之助ら丑寅一家と相対する三十郎。 



この隙に、棺桶屋が権爺を救出する。 



じわじわと距離を詰めていく三十郎に、拳銃を手にする卯之助が吼える。

 

「あんまり、こっちに来るんじゃねぇ!」 


その瞬間だった。

 

三十郎は卯之助に最近接し、銃で撃とうとする腕に包丁を投げ、一刀のもとに斬り伏せるのだ。 


丑寅らも次々に斬り伏せて、呆気なく勝負は決着した。 

丑寅を斬り臥す

最後に生き残った百姓の小倅に対して、「子供は刃物なんか持つんじゃねぇ!」と言い放って逃がす三十郎。 



一方、倒れた卯之助が死に際に、三十郎に銃を持たせてくれと懇願する。

 

「俺は…これを持ってねぇと…裸みてぇだ。とても…冥土までは…旅はできねぇ」 


弾は入っていないという銃を三十郎が渡してやると、最後に残っていた弾で撃とうとするが力尽きて息絶えていく卯之助。

 

ここで、気が振れた多左衛門が太鼓を叩きながら歩き回り、扉の陰に潜んでいた徳右衛門を斬り殺すという笑えないオチがインサートされる。 


徳右衛門を斬り殺した時の血糊が付着している


断末魔の卯之助が三十郎に声を振り絞る。

 

「地獄の…入り口で…待ってるぜ」

 

息絶えた卯之助に、三十郎は言葉を手向ける。

 

「こいつ、どこまでも向こう見ずの本性を崩さずに死んで逝きやがった」 



更に番太に向かって、「おめぇは首でも括りな」と吐き捨てた後、三十郎は辺りを見回し、「さて、これでこの宿場も静かになるぜ」と権爺の縛られた縄を斬って、解き放つ。 


「おめぇは首でも括りな」(番太に対して)
「さて、これでこの宿場も静かになるぜ」

「あばよ」 


三十郎は権爺に一言別れを告げるとサッと踵(きびす)を返し、右肩を揺らして去って行った。

 

 

 

3  純度100%のエンタメ時代劇の決定版

 

 

 

外交の余地のないヤクザ者同士の抗争を、法を超え、より強固な暴力によって収拾するという典型的なエンタメ時代劇。 



「『用心棒』はむしろある意味では喜劇です。だいたいこんなばかな話はない。(中略)ともかくある意味でメチャクチャなんだ。それをただ一気に、おもしろがらせておしまいまで見せてしまう。その徹底的な楽しさだけを追求してゆく作品、それもまた映画なのだと思いました」 

演出中の黒澤監督

ウィキで紹介されている「黒澤明、自作を語る」の一文であるが、まさにその通りの映画だった。

 

「メチャクチャ」に「ばかな話」で粗も多いが、「徹底的な楽しさだけを追求してゆく作品」だから、かえって観る者に受けた映画になった。 


純度100%の娯楽性に満ちたエンタメ時代劇だが、さすが黒澤映画だけに、随所にリアリティ溢れる構図を提示して息を呑む。

 

ラストシーンの卯之助のエピソードなどは、エンタメ時代劇の定番を超えるエピソードになり得る面白さだった。

 

「俺は…これを持ってねぇと…裸みてぇだ」 


拳銃vs刀の戦いに敗れて死にゆく卯之助が放った言辞である。

 

拳銃が男の体の一部になっているのだ。

 

大体、この言辞は拳銃なしに相手と戦えない弱さを露呈していて、滑稽ですらある。

 

刀で戦えないから、拳銃を封印されたら抗争の戦力になれないというシビアな現実が、ラストで明かされるのである。

 

その後、残った弾で三十郎を撃ち抜こうとしてもパワーがなく頓挫し、「地獄の入り口で…待ってるぜ」と絞り出して絶命していく男に対して、「こいつ、どこまでも向こう見ずの本性を崩さずに死んでいきやがった」と反応した三十郎だが、思うに、「向こう見ずの本性」それ自身こそ、この男の「死に際の美学」だったということだろう。 

「こいつ、どこまでも向こう見ずの本性を崩さずに死んで逝きやがった」


野暮なことだが、純度100%のエンタメと分かっていても、どうしても考えてしまう。

 

そもそも、三十郎は何をしたかったのかと。

 

「この町は気に入った。腰を据えるぞ」

 

めっぽう腕が立ち、義侠心に富む男が博奕打ち同士の抗争に関心を持ち、居酒屋の権爺に対して、こんなことを言ってのけるのだ。

 

まるで、自らの腕自慢を博奕打ち同士の抗争で駆使することで快感を得ているようなのである。 

「清兵衛と丑寅をけしかけて、お互い同士、思い切り殺し合いをさせたらこの町の大掃除の手間が省ける」と言い切る三十郎

殆ど遊びの感覚なのだ。

 

義侠心に富むと言いつつも、人助けが男の趣味とも思えないのは、おぬいを救済するために6人の博奕打ちを殺し、丑寅から手に入れた30両を与え、小平の家族から頭を下げて感謝される行為を嫌がったばかりか、小平から手紙を受け取っても、それを読もうとすらしなかったエピソードで自明である。 

この後、頭を下げるのを見て、三十郎は「何をぐずぐず。哀れな奴はでぇきらいだ」と怒り出す


要するに、剛腕と義侠心が融合し、それを遺憾なく発揮することが三十郎の自己実現の手立てだったということである。

 

これに尽きるから、抗争を収拾させたら、小銭のみを手に入れて、「あばよ」と言っていずこかの宿場に悠然と去っていくのである。 


こんな格好いいキャラを演じることができるのは、今も昔も、邦画界で三船敏郎以外に存在しない。 


「メチャクチャ」に「ばかな話」で粗も多いエンタメ時代劇を、これほど面白い作品に仕立て上げているのは、偏(ひとえ)に三船敏郎という稀有な俳優の存在感の大きさに尽きる。

 

黒澤作品は殆ど観ているが、そこで三船敏郎が演じるキャラクターの喚起力は半端ではない。

 

日本映画の存在を世界に知らしめた「羅生門」の盗賊を演じ切った三船は、邦画の狭隘な枠を突き抜けていた。

 

「用心棒」・「椿三十郎」は繰り返し観ているが、三船の殺陣の凄みは無双である。

 

研究熱心で努力家で知られる三船の殺陣もまた、殆ど自己流らしいが、プロの俳優の凄みに感嘆させられる。

 

私にとって、黒澤作品では「醉いどれ天使」・「野良犬」・「羅生門」が好きだが、それ以上に、稲垣浩監督の「無法松の一生」の純愛譚。 

醉いどれ天使」より

野良犬」より

羅生門」より

無法松の一生」より

ここでも三船は素晴らしい。

 

「分」で生きてきた男が、その「分」を越え、未亡人に恋した末に「奥さん!俺の心は汚い!奥さんに済まない」と言い残して散っていく男の物語だが、昔、観た後の余韻が今でも残っている。 

心の風景「『妬まず、恥じず、過剰に走らず』という『分相応』の『人生哲学』 ―― その突破力の脆弱性」より

同上

同上

こんなキャラを演じることができるのも、やはり、邦画界で三船敏郎以外に存在しないとさえ思われるのである。 



暴れて、弾けて、恋して、果てていく男を演じた三船敏郎という俳優が、改めて、不世出の俳優であることを認知させられた次第である。

 

(2023年7月)

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