1 「どこでも良かったんです。東京から遠い、遮断機の音のしない場所なら、どこでも…」
「僕の大切な親友、芙美ちゃんの話をしよう。この地球には、毎日数えきれないほどの隕石が落ちてくる…ほとんどは、空気との摩擦で燃えてなくなってしまうけど…いくつか、小さな欠片になって地球に落ちて来る。どこに落ちて来るかは、勿論、誰にも分からない…」
航平 |
宇宙オタクの小学生、櫛本航平(以下、航平)のモノローグ(以下、モノローグ)から物語が開かれる。
その航平の親友である、もうすぐ50歳の五十嵐芙美(以下、芙美)が海に缶ビールの中身を捨てている。
芙美が参加する「ひまわり断酒会」の会合で、それぞれの自己紹介と酒に纏(まつ)わるエピソードを語り合い、芙美にも順番が回ってきた。
「断酒して2週間目に入りました。私が初めてお酒を飲んだのは、高校2年の夏。大好きだったハンドボール部の先輩に、ラブレターを突き返された日のことでした…」
芙美 |
参加者の笑いが零(こぼ)れる。
「隕石が人間に当たる確率は1億分の1…つまり、そんなことは、まず起こらない。それなのに、どういう訳か、あの夜…」(モノローグ)
航平が天体望遠鏡で星を観測し、芙美が自宅へ向かう車の運転していた時のこと。
夜空に光る隕石が落ちて二人を照らし、一旦止まって再び走り始めた芙美の車に破片の一つが衝突したのである。
芙美の車は横転したが無事で、タオル工場の同僚の友人で、航平の母親である櫛本直子(以下、直子)に車で迎えに来て、自宅アパートへ送ってもらった。
直子(左) |
一人暮らしの芙美の居間には、小学生低学年と思われる男の子の写真が飾られていた。
「僕は知っている。芙美ちゃんがお酒を飲むようになった本当の理由を…」(モノローグ)
小さな港町の工場で働く芙美と、直子、妙子の同僚3人は埠頭でお昼を食べながら、婚活で台湾旅行へ行った工場長が失恋して太極拳だけを覚えて帰って来た噂話などをしていると、恋人から携帯電話がかかってきて、その場を離れる妙子。
左から直子、芙美、妙子 |
太極拳をルーティンにする工場長 |
直子は造船所で働く櫛本貞夫(以下、貞夫)と再婚したが、義父・貞夫に航平は懐(なつ)いておらず、釣りに誘われても一緒に行こうともしない。
貞夫 |
朝、ジョギングをする芙美が自宅アパート近くの公園の長い階段を駆け上がると、交通誘導の警備員の男とすれ違い、互いに軽く会釈をする。
その男の手にはツユクサが握られていた。
芙美は航平を団地に迎えに行き、直子の車を借りて、航平が主張する隕石を拾いに、車に破片がぶつかった付近の海岸へ行く。
砂浜で拾った黒い石が隕石だと主張する航平は、家に帰りネットで「隕石 ぶつかった人」と検索すると、1954年11月30日にアラバマ州で昼寝をしていた女性に当たる事故があったことを知る。
その女性は、「その後、マスコミからの好奇の目に曝され、夫とも離婚し、数年後52歳で亡くなった」と書かれていた。
隣のダイニングから、直子が貞夫に不満を洩らす声が聞こえてくる。
「転勤がある仕事だってこと、分かっていてあなたと再婚したのよ。何で、ついて来いって言わないの?…航平が懐いてないから?」
「そんなこと、言ってないだろ」
「あの子は、あなたの子供なのよ」
航平は隕石に当たった女性の画像に悪戯書きをする。
航平が拾った石を、芙美と一緒に大学の航空宇宙工学科へ持って行くと、それが月隕石、つまり月の石と判明する。
欠けた月の石の大きい方を貰った芙美は、断酒会の鎖を付ける職人の会長に頼み、穴をあけてペンダントにすると言う。
「なんか、これ付けてたら、幸せになれる気がする」
「だといいね」
「だって、1憶分の1なんでしょ?」
「そっ、1憶分の1」
「で、どうなった、その後。隕石に当たった人」
航平は答えず、はぐらかす。
いつものように、ジョギングで階段を上り切ると、警備員の男が公園の椅子に腰かけ、熱心に草笛を吹いていて、芙美は一瞬立ち止まってそれを目視してから、そのまま走って行った。
断酒の会が休みで、そこで捨てるはずだったウィスキーのボトルを、馴染みのバー“羅針盤”へ届けに行き、芙美はマスターのウィスキーの勧めを断り、ナポリタンを注文する。
何気に横のカウンターを見ると、ツユクサが並べて置かれ、そこにマスターに買い物を頼まれた、例の警備員の男が店に入って来た。
男が座り、芙美に気づき、「すみませんが、どこかで?」と訊ねる。
「公園で。草笛の」と芙美が答えると、直に分かって、二人は笑顔を交わす。
「お上手ですね。草笛」
「これ、ツユクサです」
帰りがけ、自転車に乗って帰ろうとした警備員の男が振り返って、篠田吾郎と名乗り、芙美もまた名前を言った。
「篠田吾郎です」 |
「楽しかったです」
「私も」
帰りの運転で、信号で隣に止まった車を見ると、男の運転の助手席に妙子が座っており、芙美と目が合って気まずそうな顔をする。
妙子 |
翌日、妙子は「直ちゃんには内緒ね」と断った上で、恋人は死んだ亭主の葬儀を行った寺の坊主であると話す。
「あたし、後悔してないのよ。死んだ亭主に悪いとも思ってない…女はね。どこにいたって男で世界が広がるのよ」
「妙ちゃんが幸せなら、私はそれでいいけどさ」
「分かったようなこと言わないで…芙美ちゃん、気になる男の人、いるでしょ」
「え?」と反応するのみ。
直子は貞夫が新潟に転勤し、引っ越しすることになったと、芙美に伝える。
「航平にも悪くてね。あの子もこの町大好きでしょ」
「引っ越し、もう決めたの?」
「このまま別々で暮らしたら、何だか、あの人とはもう戻れない気がして…」
その帰り、交通誘導でドライバーからクレームを受け、平身低頭している篠田を見て、休憩中の篠田にペットボトルの茶を届ける。
二人は山の公園へ行き、篠田からツユクサの吹き方を教わり、芙美も音を出すことができて満面の笑みを漏らす。
その後も、芙美は航平を連れ、篠田と海へと出かける。
「芙美ちゃんはその男の人に、僕を息子ですと紹介した。ちょっとムカつく。芙美ちゃんはもう一つ、変なことを言った…」(モノローグ)
「ご主人は?」
「主人は捕鯨船に乗ってます」
「どちらへ?」
「今は南氷洋」
海から二人を見ている航平。
「芙美のウソつき!」(モノローグ)
断酒の会の会長が酔って、神社の狛犬に抱きつき眠っている。
それを見つけた芙美は、会長と喫茶店へ行く。
「実際、こんな会、飲まなきゃ、やってられないんだよ」
「だったら、止めたらいいじゃないですか」
「そう簡単に言うけどね、私は今まで、何人の会員の断酒を助けてきたか知ってる?毎年ね、感謝の年賀状が来ますよ。何通も。誰かの役に立つ。人の生きがい、そうバッサリ言うもんじゃない…隠れてお酒を飲んで、憂さを晴らしながら、他人の断酒を助けていく。私、何か悪いことをしてますか?」
芙美は会長に謝罪する。
「言い過ぎた」と言うや、会長は黙ってもらうお礼として、月の石のチェーン付けを引き受けるという顛末だった。
埠頭を芙美と篠田が歩き、芙美がリクエストした中山千夏の『あなたの心に』の草笛を篠田が吹く。
出来上がった月の石のペンダントを、鏡の前でつける芙美。
航平とバッタリ会った篠田が、冷えたルートビア(ノンアルコールの炭酸飲料で、バニラ、リコリス、ジンジャーなど多数の薬草やスパイスがブレンドされている)を飲みに誘い、航平が篠田に質問をし、篠田が歯科の開業医であるが止めてこの町に来たことが分かったが、その理由についてははぐらかされた。
今度は航平が篠田を誘い、山の奥の円盤型の建物へ連れて行く。
「俺、このままアルファケンタウルスへ行ったら、芙美ちゃんのこと、よろしく。4.37光年の彼方。俺、地球にはウンザリ。じゃ」
篠田も付いていき、航平は建物の中へ入ると、航平が思いを寄せる同級生の女子が男子とキスをするところを目撃し、帰りの自転車の後ろで泣き続ける航平。
小学生の失恋の憂さを、篠田に向かって晴らすのだ。
「言いたいことがある。俺、芙美ちゃんの子供なんかじゃないし、主人は捕鯨船に乗ってますって、あれもウソだし…俺も周りの大人、皆ウソつきだし!以上!」
航平は泣きながら走って帰って行った。
芙美が“羅針盤”へ行くと、マスターから篠田が芙美にと、スーパーで買った空心菜を渡され、それを持って店を出たところでやって来た篠田を自宅に誘い、調理をしてもてなす。
空心菜(くうしんさい/中国野菜) |
篠田は部屋に飾ってある少年の写真に目をやり、出来上がるのを待つのだった。
二人はテーブルで向かい合って食事をした後、ベランダで語り合う。
「あの写真は?」
「息子です。7歳の誕生日の2日後でした。夕食の支度をしている時に、お醤油を切らしちゃって、買って来てって頼んだんです。嫌だって。自転車のチェーンが直ぐ外れるし、テレビの漫画が始まるからって。あたし、ひどく叱って…踏切で自転車のチェーンが外れて、転んで、そこに電車が来て…」
「それで、この町に?」
「どこでも良かったんです。東京から遠い、遮断機の音のしない場所なら、どこでも…」
芙美はさっと話題を変え、工場長の台湾土産のデザートでお茶を淹れると言う。
帰り際、振り返った篠田は、唐突に「キスをしたら、迷惑ですか?」と芙美に訊く。
戸惑う芙美の表情を見て、篠田は「ごめんなさい。勘弁してください。ご馳走様でした」とそそくさとを帰って行った。
芙美は落ち着かない様子で、片づけ始めるとすぐに、玄関のチャイムが鳴り、ドアへ駆け寄りドアを開けた芙美は、謝りに来た篠田の手を引っ張り、停電したキッチンでキスを交わす。
この直後、停電する |
遮断機の音のしない場所に逃げて来た、中年女性の恋が実っていくようだった。
2 「痛みだけ取ってください。痛みが取れたら、また頑張れるんで」
新潟へ行くことが決まった航平が、月の石を売って、高校生になったら、そのお金でアメリカに留学したいと話す。
「大人になったら、天文学者になりたい…」
「へぇ。お母さんとお父さん、きっとが寂しがるよ」
「父さんと呼んでやってるけど、あんなの、ただの偽物だし」
「航平、もう一回言ってみ。そんな酷いこと言う航平なんて、もう芙美ちゃんの親友じゃないから。アメリカでもどこでも、好きに行けばいい」
芙美は怒って立ち上がり、妙子から預かった鳥かごを持って帰って行った。
恋人に振られた断酒の会の一人が脱落し、「泣きたい時に笑えるから飲むんですよ」とウィスキーを呷(あお)る。
航平が釣りをしている貞夫のところに、恥ずかしそうにやって来た。
「父さん」
「無理に呼ばなくてもいい。前みたいに、おじさんでいいから」
「あのさ、父さんと母さん、どこにいるの?」
「俺のか?…どこかな。家が貧乏でな。親戚に預けられて育った」
「父さんのこと嫌い?」
「ああ。もうずっと連絡してない。だからな、航平。俺は独りでも平気だから。航平は、ここで母さんと暮らしてていいんだ」
釣り糸が曳いて、二人は一緒に釣りを楽しむ。
夕暮れ時、篠田と並んで歩く芙美が訊ねる。
「今度、いつ会えますか?」
「土曜日でしたら。山に草笛吹きに行きますか?」
「はい」
仕事に行きかけて振り返った篠田。
「あの、僕まだ何もあなたに自分のこと…」
「篠田さん、あたし、50歳になる前に、隕石にぶつかったんです。篠田さんにも会えたし、それだけで幸せ。それでいいんです」
「…じゃあ、土曜日に」
車で帰る芙美は、鳥かごのインコが「愛してる」と発する声を聞き、車を止めUターンして篠田が働く交通誘導の現場に行き、溢れる思いを伝えるのだ。
「土曜日まで待てません。ちゃんと篠田さんのこと聞きたいです」
“羅針盤”で、篠田の話を聞く芙美。
「草笛、女房が教えてくれたんです。自宅の庭にツユクサが生えてて」
「奥さんは?」
「自殺です。何年も鬱で苦しんで。僕は何もしてあげられなくて。ただ、虫歯を治すことしかできなくて…芙美さん、帰ります、東京に。ツユクサはどこにでもあるありふれた花でした」
「はい」
買い物から帰って来たマスターに、芙美は酒を要求し、一気に飲み干す。
酔っ払って自宅に帰り、息子の写真に向かって、「終わりました」と報告する。
「いい夢を見させてもらいました。母さん、ちょっとだけ、女の子しました」
そう言って、月の石のペンダントを外すのである。
篠田は東京へ戻り、閉鎖していた歯科クリニックを再開する。
直子の一家が新潟へ出発する駅のホームに芙美が見送りに来て、ひとりベンチに座る航平に声をかける。
「こら、元気ないぞ!…芙美ちゃん、決めたんだ。ちゃんと幸せになるって。月の隕石にぶつかった女だもん」
航平は笑顔になって頷く。
「起立!ハグさせて」
「ハグって?」
「抱っこ」
思い切り航平をハグする芙美。
「芙美ちゃん、恥ずかしいよ」
「もう少し。もう少しだけ」
電車が入線して来る。
「芙美ちゃん、本当に幸せになる?僕がいなくても、幸せになる?」
芙美は頷き、また航平を強く抱き締めた。
その足でジョギングで山へ行き、ツユクサを吹くが音が出ない。
そんな折、虫歯が痛み、思い立ったように、芙美は東京の篠田のクリニックを訪ね、治療を受けるのである。
「痛みだけ取ってください。痛みが取れたら、また頑張れるんで」
港町に戻った芙美は、航平から元気を知らせる葉書を受け取った。
新潟で貞夫と釣りをする写真付きの葉書だった。
断酒の会に参加し、ジョギングをし、会社で朝のラジオ体操をする芙美の日常生活は続く。
一人、海に向かって埠頭を歩く芙美。
「一億分一を当てた芙美ちゃん…確率で言うと、もう二度と芙美ちゃんに隕石がぶつかることはない。だからと言って、芙美ちゃんが幸せになれないってことはない」(モノローグ)
芙美はポケットから出した月の石のペンダントを海に投げ込んだ。
振り返ると、大きな飛沫(しぶき)を上げて、クジラが飛び上がるのを見て驚き、笑顔になる。
再び戻ろうとし、芙美の方を見て、笑顔で佇んでいる篠田が目に留まった。
満面の笑みの芙美は、篠田に向かってダイブするのだった。
3 それぞれの〈生〉があり、それぞれの自己運動が広がっている
小さな港町で、一億分の一の確率で隕石にぶつかった芙美は、会社の同僚の息子であり、親友であると同時に、息子の役割を担った小学生の航平が見つけ出した月隕石を「幸せになれる気がする」とペンダントとして身につける。
【梗概を読めば分かるように、航平がネットで調べた1953年にアメリカで隕石に当たった女性は、その後離婚して52歳で死んでおり、そのことは芙美に話さなかった。因みに、2013年2月にロシアで起こった「チェリャビンスク州の隕石落下」は、上空で隕石が爆発した衝撃で約1200人が負傷した大事故だった/下の画像は、チェリャビンスク州上空で爆発した隕石が落ちたとされる湖の穴】
然るに、「幸せになれる気がする」という月隕石のペンダントを身に着ける芙美にとって、月の石のペンダントは単なる記号であって、それ以上の何ものでもない。
月隕石の実物 |
月の表面に存在するクレーターの大きさと、その数からして多くの隕石が降り注いでいる |
芙美が抱える心的外傷の重みが彼女に強いるのは、「私は幸せになってはならない」という、生涯にわたって遺棄し得ない記憶の破壊力であるが故に自我の底層で自縄自縛の観念に覆われてしまっているが、それを決して表出することはない。
航平への親愛感情は喪った息子の代償行為 |
「大丈夫、分かってる。母さん、そんなことでこの町に来たわけじゃないもんね」
梗概では触れなかったが、芙美のグリーフの心的過程を知る重要な表現である。
恋模様漂う篠田との出会いがあり、浮き浮きした気分になった芙美の、写真に収まる息子への独白だが、彼女には、自らの弁明不要な過誤で息子を死なせた罪責感が深く澱んでいるのだ。
その過誤を表出する相手と出会った時、芙美の日常を窮屈にさせていた迷妄が一瞬、解き放たれる。
「息子です。7歳の誕生日の2日後でした。夕食の支度をしている時に、お醤油を切らしちゃって、買って来てって頼んだんです。嫌だって。自転車のチェーンが直ぐ外れるし、テレビの漫画が始まるからって。あたし、ひどく叱って…踏切で自転車のチェーンが外れて、転んで、そこに電車が来て…」
チェーンが直ぐ外れる自転車で、7歳の息子に夜間にお使いをさせた行為の過誤は、誰が見ても不合理だった。
その不合理な過誤を出会って間もない篠田に告白する芙美の時間を動かしたのは、関心を抱かれながら自己を知らない特定他者と傷ましい情報を共有することで得られる相対的な解放感 ―― これを手に入れたかったのである。
心理学で言う自己開示である。
自己開示 |
ツユクサを吹く篠田と出会いが、彼に対する芙美の自己開示の扉を開け、封印してきたはずの「幸せ」を感じ、一気にトーンアップしていく。
篠田が働く交通誘導の現場に行くや、「土曜日まで待てません。ちゃんと篠田さんのこと聞きたいです」と吐露するのだ。
篠田もまた、自己開示する心の準備をしていた。
これは、相手の自己開示に対して自分も開示する心理状態になる「返報性の原理」、即ち、「自己開示の返報性」と呼ばれている。
自己開示の返報性 |
然るに、篠田の自己開示は暗鬱な空気を醸し出してしまった。
「草笛、女房が教えてくれたんです。自宅の庭にツユクサが生えてて」
「奥さんは?」
「自殺です。何年も鬱で苦しんで。僕は何もしてあげられなくて。ただ、虫歯を治すことしかできなくて…芙美さん、帰ります、東京に。ツユクサはどこにでもあるありふれた花でした」
これが篠田の答えだった。
小さな港町の一角で、自らの心的外傷を草笛で慰撫する行為を否定し、己(おの)が負うべきグリーフに向き合っていないリアルに強襲される男の中枢が震えていた。
自己開示することで決意し、自らが戻るべき場所に移動する。
「ツユクサはどこにでもあるありふれた花」という表現が、心的外傷を草笛で慰撫する行為で得た、小さくも捨て難い愛の没我に対する行為を相対化したのか否か、正確に読み取れなかったが、少なくとも、二人の恋模様漂う関係が途絶したことは確かだろう。
その場に残された芙美だったが、虫歯になるや、意を決して、「痛みだけ取ってください。痛みが取れたら、また頑張れるんで」という決め台詞に結ばれる行為に打って出る。
彼女の思いの深さを置き土産に、「ちゃんと幸せになる」と決めて港町に戻り、新たな〈生〉を紡いでいくのだ。
今度ばかりは「幸せになる」と決めた芙美は、月の石のペンダントを海に投げ捨て、区切りをつけていく。
そして、ラストのダイビングへの大きな旋回。
対岸には、復元する分の心の痛みを取り切り、戻って来た篠田が満面の笑みを浮かべて待っていた。
月の石に頼らずとも、ツユクサのようにどこにでもある、ありふれた幸せを手に入れたのである。
「それぞれの〈生〉があり、それぞれの自己運動が広がっている」
だから、己が〈生〉を生きていく。
グリーフを経て辿り着く二人の〈生〉が、このフレーズのうちに回収されていくのだ。
―― 映画のまとめ。
「心が疲れたら見てほしい。あなたにそっと寄り添う癒しの映画」というサイトがあったが、まさに本作は格好の「成人向きの癒し系ファンタジー映画」。
ファンタジーにした分だけ、リアリズムが削(そ)ぎ落とされる。
しかし、そこだけは削ぎ落せないものがある。
芙美と篠田の恋模様の行方である。
二人が抱えるグリーフ(悲嘆)の問題が物語の本線を成しているので、軽々に扱えないのでファンタジーに落とし込めず、リアリズムで勝負する他になかったが、それでも尚、「成人向きの癒し系ファンタジー映画」に収斂させていく。
この手法で構築した映画の是非を問う意味がないものの、物語の本線を変えない限り、「それぞれの〈生〉があり、それぞれの自己運動が広がっている」という周囲の複層的な風景を借景にして相対化することになる。
その分、グリーフ(悲嘆)の重みが客体化される。
だから、こういう映画になった。
あとは観る者の好き好きの問題である。
(2024年11月)
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