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2020年6月26日金曜日

グリーンブック('18)   ピーター・ファレリー


シャーリー(左)とトニー

<「情動的共感」の感覚が粗野な男の人格総体を噴き上げ、全く異なる生い立ちを有する二人の心理的距離が最近接する>



1  無教養なガードマンの、間違いだらけの手紙を手解きする教養豊かな黒人ピアニスト



黒人差別真っ只中の1962年。

ディープサウスを主要舞台にした本作は、ジャマイカ系黒人ピアニストと、彼をガードするイタリア系白人との曲折的交流を描く典型的なバディムービー。
ディープサウス(「アメリカ最南部」)(ウィキ)

且つ、コメディ風味満点のロードムービーである。

前者の名はシャーリー、後者の名はトニー。

上品で教養豊かなシャーリーと、粗野で無教養なトニーという、如何にも映画になりやすい非対称な関係構図である。
二人の出会い(シャーリーの豪邸を訪ねるトニー)
シャーリー
愛妻ドロレスとトニー
愛妻ドロレスとトニー2

カーネギーホールの上に住む、著名なミュージシャンのシャーリーがトニーに頼んだのは、ニューヨーク・ブロンクスを起点に、ディープサウスを回るコンサート・ツアーの車の運転の仕事。更に、スケジュール管理、助手役、身の回りの世話などであるが、最も重要な役割は、シャーリーのボディ・ガードであった。
「宿泊施設が同じ時も、違う時もある」とレコード会社の社員に説明をうけ、「グリーンブック」を渡される
レコード会社からトニーが受け取ったのは、黒人が宿泊可能なホテルのガイドブック、即ち、「グリーンブック」。

この「グリーンブック」を伝手(つて)に、テンポよく物語は展開していく。
ディープサウスへの旅へ
旅の初日で、物思いに耽るシャーリー
関係性は「契約」の範疇に留まっている
初日の演奏
演奏を初めて聴き入る

ディープサウスに入って、黒人差別の現実を目の当たりにするシャーリー。
ディープサウスで働く黒人たち
彼らを視認するシャーリー

畑を耕す黒人奴隷が、背広を着た自分を恨めしそうに見つめているカットは鮮烈だった。

十分なコミュニケーションが成立しない二人が、接近した一つのエピソードがある。

それは、毎日、妻ドロレスに間違いだらけの手紙を書くトニーに、シャーリーが、「汚い言葉を使わずに、誰にも書けない手紙を」と手解(ほど)きしたのだ。

「“愛するドロレス 君を想うと、アイオワの美しいプレーンが目に浮かぶ。僕らを割く距離が、気を滅入らせる。君のいない時間と経験は意味がない。君との恋は、前世からの運命だ。生きている限り、君を想い続ける”」

言われた通りに、書き留めるトニー。

ブロンクスで、それを読むドロレスは、感無量の表情を映し出していた。

そんな中、高い教養と上流階級の生活習慣を身につけたシャーリーが、高級紳士服の店のショーウィンドウの一着が目に留まり、早速、トニーと共に店に入る。
しかし、シャーリーが試着室に入ろうとすると、購入してからだと店主に言われ、断られる。

「分かった」と笑顔で答え、買わずに店を出るシャーリー。
また、一人で外出してバーに入ったことで、白人男性のリンチに遭い、それを火消したトニーの役割が、いよいよ増しいていく。

その夜、再び警察から呼び出されたトニーが駆け付けると、YMCA(キリスト教青年会)の一室で裸にされたシャーリーと、見知らぬ白人男性が捕らわれていた。
警官をうまく買収して、シャーリーを助け出したが、逆に文句を言われるトニー。

「警官にあんなことをするなんて」
「スケジュールを守ることが、俺の仕事だからね」
「買収した」
「仕方なかった。バレたら永久失職だろ?」
「いいか、私を気遣う、そんなフリはよせ。演奏会に穴が開くと、給料が心配なんだろ?」
「俺が自分の懐しか考えない男と思うのか?恩知らずめ!俺が助けたんだぞ。ちょっとは感謝しろ。独りで出歩きやがって!」
「今夜は知られたくなかった」
シャーリーは同税愛者だったのだ。

この辺りから、トニーとシャーリーの関係構造が変化していく。
「トニー、君はいい仕事をしている。だから、君を正式なツアーマネージャーに雇いたい。肩書と共に責任も重くなるが、給料も上がる」
「いや、断る。辞退するよ」
「昨夜は悪かった」とシャーリー。
「気にすんな。この世は複雑だ」
二人は、雨の夜道を迷いながら走行していた。

今度はパトカーが追跡して来て、シャーリーの車を止め、免許書の提示を求めてきた。

車内にシャーリーを視認すると、黒人の夜の外出は禁止されていると注意され、車から降ろされる。
トニーがイタリア人だと分かると、警官はトニーに対して差別的な言辞を浴びせる。

「半分、ニガーだから」

思わず、その警官を殴ってしまうトニー。
結局、二人は留置所に拘束される。

「同行者の逮捕理由は分かるが、私は、どうして?」
シャーリーが警官たちに勾留理由を質問するが、全く相手にされない。

一人の警官の助言で、シャーリーは弁護士に電話する権利を与えられた。

留置所内で、シャーリーの怒りが炸裂する。

「殴って、何の得があった?暴力は敗北だ。品位を保つことが、勝利をもたらすのだ。君のせいで、今夜は負けだ」
その時、警察署に電話が入った。

突然、慇懃(いんぎん)な受け答えをする署長。
直ちに、釈放の命令が下されたのである。

「ロバート・ケネディが救い神か。こりゃスゴいや!」

車の中で興奮するトニー。

実は、このときの司法長官はロバート・ケネディその人だったのだ。

この直後のエピソードは本作の肝なので、批評の中で詳述する。



2  自らが黒人差別の社会に一石を投じようとする男と、それを受容する男との旅が軟着する



今まで手紙の指南をしていたシャーリーに対し、その申し出を断るトニー。

「悪いけど、どう書くのか、俺にもコツが分かった」
その手紙を取り上げ読んだシャーリーは、「いい手紙だ」と感嘆する。
アラバマ州バーミンガム。

ツアー最後のクリスマス公演の日である。

いつものように、シャーリーは物置のような控室で着替え、トニーはトリオの仲間と共にレストランで食事をしていた。

ここで、トリオの一人が、シャーリーに関わる重要な情報をトニーに吐露する。

「ドクターが、なぜこの旅に出たのかと尋ねたな?才能だけでは十分じゃないんだ。勇気が人の心を変える」
シャーリーのディープサウスへの旅の目的を明らかにする
同上

要するに、シャーリーのディープサウス行きの目的は、自らが黒人差別の社会に一石を投じ、人々と自身の意識を変えようという問題意識が行動に移されたということだった。

このような重要な情報がトニーに吐露される現象自体、トニーに対する信頼感がトリオの中で共有されていたことの証左であると言える。

正装でやって来たシャーリーが、入室を拒否された由々しき一件が出来したのは、この直後だった。

「理解できない」

シャーリーは反発する。

「ここで食べられないなら、今夜の演奏は降りる」
レストランの支配人は、トニーに説得を求め、買収しようとさえするのだ。

「今の仕事だって、金のためだろ?」
この言葉に切れたトニーは、支配人の体を壁に押し付けるが、シャーリーの言葉で制止する。
暴行未遂事件に終わった辺りに、トニーの変化が窺われる。

「こんなところ、出て行こうぜ」

二人は黒人専用のクラブ“オレンジ・バード”に行き、そこで多くの黒人たちを前に、クラシックのピアノ演奏を披露する。

絶賛の拍手を呼び起こすと、今度は店のバンドメンバーとブルースをセッションする。

バンドメンバーとセッションする
同上

大いに盛り上がり、二人は気分よく店を後にしたという、映画作りの上手さを見せる反転的な顛末(てんまつ)だった。
あとは、クリスマスの日に自宅に戻る約束を果たすための、ニューヨークへの帰路の旅。

しかし、またしても警官に呼び止められることになるが、今度は車の後輪がパンクしていることを知らされるものだった。

この国には、こういう警官も存在するという映像提示である。

「メリー・クリスマス!」

警官の言葉に送られ、激しい雪道の運転は続く。

疲れ果てたトニーに代わって、シャーリーが運転し、何とかブロンクスに到着する。
ここでシャーリーと別れたトニーは、クリスマスの準備を終えて待っている家族の元に帰って来た。

家族の団欒の中で、どことなく落ち着かないトニー。
別離の寂しさが、トニーをナイーブにしているのだろう。

「あのニガー、大変だったか?」と仲間の一人。
「“ニガー”はよせ」
トニーは、ここまで変わったのだ。

その反応に驚く妻ドロレス。
そこに、玄関のドアのノック。

トニーが出ると、招待されていた家族の知人夫妻だった。

しかし、その後ろには、シャーリーがシャンパンを持って笑みを湛(たた)えていた。
喜び、歓待するトニー。
「メリー・クリスマス!」

大家族は一瞬固まるが、立ち所に、「席を作れ!」と声が上がる。

妻ドロレスはシャーリーにハグする。

「手紙をありがとう!」

ラストカットである。



3  「情動的共感」の感覚が粗野な男の人格総体を噴き上げ、全く異なる生い立ちを有する二人の心理的距離が最近接する




「違う価値観の二人が、お互いの間の壁をコツコツ打ち破るエピソードがストーリーの肝になる」(大江千里)物語だが、「差別や不寛容を描くハリウッド映画にあまりに頻出する『白人の救世主』迷信を、ますます広めるものだ」という厳しい批判があり、私もまた、それらの批判を相応に受け止めている。
トニーの執拗な勧めで、フライドチキンを初めて食べ、おいしさを味わうシャーリー
フライドチキンを貪りながら、運転するトニー
最初は、トニーの脇見運転を注意するだけの関係だった
シャーリーに笑みが見られる関係になっていく

ここでは、本作を「違う価値観の二人が、お互いの間の壁をコツコツ打ち破るストーリー」と規定した上で、そのストーリーを可能にした「コミュニケーションの成立」というテーマで考えてみたい。

「コツコツ打ち破るエピソード」の中で印象深いのは、粗筋でも紹介したように、「手紙の指南」のエピソードである。

教養豊かなシャーリーが、愛妻ドロレスに手紙を書く行為を毎日のルーティンとするトニーに対して、相互の会話を交えつつ「手紙の指南」をしていくのだ。

限りなく深い言語表現の「美」について理解できずとも、自ら筆記していくことで、心が踊るマフィアの運転手。
シャーリーが指南したと分かる手紙を読むドロレス
マフィア時代のトニー
シャーリーの危機を、マフィア時代の雰囲気を残しつつ、拳銃を隠し込んだトニーが救済する
同上

それまで幾つかの重要なエピソードを累加してきつつも、二人の関係の本質は、一方が他方に発する、単なる情報伝達の職務的範疇の域を超えるものにはなっていなかった。
手紙の指南
感動するドロレス

ところが、「手紙の指南」のエピソード以降のストーリーの展開は、明らかに、二人の関係の中に、プライバシーの開陳なしに済まないエピソードがインサートされていく。

中でも、同性愛のエピソードは、「基本・コメディライン」の物語の中で、一種の「劇薬」でもあった。

「知られたくなかった」

シャーリーの言葉である。

思うに、心理学的に言えば、コミュニケーションを成立させるには、相手の行動抑制という状態をも含む「情動的共感」を必須にする。

コミュニケーション成立の条件は「相互作用」である現象を前提にすれば、ノンバーバルコミュニケーション(非言語コミュニケーション)を含む、コミュニケーション成立の条件は「意志の疎通」であると考えている。
ノンバーバルコミュニケーション

「意志の疎通」なしに「情動的共感」など、とうてい及ばない。

「意志の疎通」とは単なる情報の伝達ではないのだ。

「他者理解」を前提として認識を共有することが、コミュニケーション成立の絶対条件である。

だから、そこで生まれる「共感」・「共有」の感覚が、相互の関係力学の質の高さを決定づけると言っていい。

本作で、このコミュニケーションの心理学的理解を深める重要なエピソードがある。

―― 以下、それを再現する。

トニーが警官を殴って留置所に拘束されたが、有無を言わせず、トニーと共に拘束されたシャーリーが、時の司法長官ロバート・ケネディに援助を求めて釈放された後の二人の会話。

この会話こそ、映画の肝である。

この時、シャーリーは自分を恥じていた。
「私は恥ずかしい。この国の司法長官に迷惑をかけた。この国を変える兄弟だぞ。それ以上の仕事があるか?なのに、この私は…暴行罪に問われて、ド田舎の警察から救いを求めた。人間のカスだ!また暴力を!」
同時に、警官に暴力を振るったトニーを非難するシャーリー。

彼は徹底的な非暴力主義なのである。

倫理意識も高い。

しかし、トニーも反発する。

「雨の中、あんたに“外に出ろ”と」
こう言われて、シャーリーもまた、感情を炸裂させる。

「君が警官の言葉にカッとなった。私はいつも耐えてる。一晩ぐらい我慢しろ」
「黒人でないから?俺は、あんたより黒人だ。あんたは黒人を知らない。黒人の食い物、暮らし、リトル・リチャード(注・ロックンロールの草分け的なミュージシャンのアフリカ系アメリカ人)も知らない」
「彼を知ってれば黒人か。自分で言ってることが分かってるのか?」
「俺は自分が誰かを分かってる。生まれ育ちはブロンクス。親と兄妹、今は妻子もだ。それが俺って男だ。家族を食わすために毎日働いている。あんたの住まいは、城のてっぺん。金持ち相手の演奏会。俺は裏町、あんたはお城。俺の世界の方が黒い!」
この言葉に傷ついたシャーリーは車を降り、弾丸の雨の中を歩いていく。

自分を追って来たトニーに言い放つ。
「金持ちは教養人と思われたくて、私の演奏を聴く。その場以外の私は、ただのニガー。それが白人社会だ。その蔑視を私は独りで耐える。はぐれ黒人だから。黒人でも白人でもなく、男でもない私は何なんだ?」
「金持ちは教養人と思われたくて、私の演奏を聴く」
「はぐれ黒人だから」
同上
明らかにトニーは、ここでシャーリーの思いの中枢に触れることができた。
だから、何も言えない。

涙が滲んでいた。

この映画の核心的エピソードである。

車内で二人は殆ど語り合うこともなく、グリーンブックのガイドにある黒人専用ホテルに宿泊した。

煙草の吸い過ぎを注意され、素直に従うトニー。
トニーは変わったのだ。

この夜、「情動的共感」の感覚がトニーの人格総体を噴き上げ、全く異なる生い立ちを有する二人の心理的距離が最近接した

ノンバーバルを含むコミュニケーションが、今、一定の完成形を表出したのである。

拙稿を通して繰り返し書いているが、私の定義によると、友情の成立の基本要件を、「親愛」・「信頼」・「礼節」・「援助」・「依存」・「共有」という心理的因子であると考えている。

いずれの要件も、「自我の武装解除」なしに開かれないものである。

このシーンで、「男でもない私は何なんだ」とまで言い切ったシャーリーの自我は、完全に武装解除されていた。

甘えの感情に繋がる依存感情。

本作を通して初めて、こういう心理的な因子がシャーリーの情動を噴き上げ、それを全人格的に受容するトニーが、そこに立ち竦んでいた。

一定の完成形を表出したコミュニケーションの様態は、孤独な天才ミュージシャンの心の芯を溶かし、友情としか呼べない関係を構築させるに至った。
多くの批判があるように、如何にもハリウッド的収束点だが、観る者を深く感動させた映画であった事実を否定すべき何ものでもない。

「基本・娯楽」であるアメリカ映画は、これでいいのだろう。

そう思った。
ピーター・ファレリー監督



4  アメリカ公民権運動の歴史



【余稿として、些か長文になるが、本稿の最後に、アメリカ公民権運動の歴史に言及したい】

公共共施設における生活万般にわたって、白人用と黒人用が分離される分離政策によって、共用することが許されなかった時代を象徴し、19世紀から20世紀に及ぶ、米国南部諸州(ジョージア州、アラバマ州、ミシシッピ州など)の黒人差別法として悪名高い「ジム・クロウ法」。
有色人種専用の水飲み場(1950年ごろ)(ウィキ)

「分離すれども平等」という主義のもと、公共施設での黒人分離は人種差別に当たらないとした、「プレッシー対ファーガソン裁判」と呼称される最高裁判決(1896年5月)で、「ジム・クロウ法」は、長く黒人差別の合法化の根拠とされるに至る。

米国版アパルトヘイト政策である。

このような理不尽な状況下で惹起したのが、「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」(アラバマ州)だった。

バスの白人優先席に座っていた、一人の勇気ある黒人女性がいた。 

彼女の名はローザ・パークス。
ローザ・パークス(ウィキ)
パークスが逮捕時に乗っていたバス(ウィキ)

のちに「公民権運動の母」と呼ばれる女性である。 

職業婦人であった42歳のローザは、百貨店での仕事を終え、帰宅する途中だった。 

当然ながら、ローザは白人の運転手から席の移動を命じられるが、断固として拒否する。 

そのため、彼女は「人種分離法」違反で警察官に逮捕され、投獄されるに至る。 

1955年12月1日のことだった。
 
この「ローザ・パークス逮捕事件」に衝撃を受け、激しい抗議運動を始動する覚悟を決意した、バプテスト派(聖書に基づく素朴な信仰を重んじ、個人の良心の自由を大事にする教派)の26歳の若き牧師がいた。 

キング牧師である。 

キング牧師(ウィキ)

この抗議運動の先頭に立ったキング牧師の徹底した「非暴力・不服従」の行動は、「モンゴメリー・バス・ボイコット」と呼ばれる382日間に及ぶ運動に結実され、彼の運命に重要な変動をもたらしたばかりか、アメリカ全土に広範な広がりを見せる公民権運動の重要な起点になっていく。
 
全米を揺るがす公民権運動の背景に、1954年の「ブラウン判決」の存在があった事実を無視できないだろう。 
アール・ウォーレン/公民権運動への道を開く「ブラウン判決」を下した連邦最高裁判所長官(ウィキ)

米国最高裁が、「人種分離した教育は不平等である」という信念のもとに、公立学校における黒人と白人の別学を定めた州法を違憲と認め、「人種隔離違憲判決」と呼ばれる画期的な判決である。 

この判決の影響は決定的に大きかった。

 「ブラウン判決」の結果、合衆国憲法修正第14条(法の下における平等保護条項)に違反するという判例が確立されたことで、「分離すれども平等」という欺瞞的な「プレッシー対ファーガソン裁判」の根柢が覆され、公民権運動への道を開いたのである。
 
かくて、徹底した「非暴力主義」を貫徹するキング牧師の運動は、様々な場所に居座る「シット・イン」と呼称される「市民的不服従」の戦術を生み出していく。 

1960年に始まった「シット・イン」は、業務妨害の抗議によって暴力を被弾する事態にも見舞われるが、マスメディアの援護も手伝って、一般市民の賛同を得ることで、加速的な広がりを持つ運動に発展する。 

テネシー州ナッシュビルのダウンタウンのランチ・カウンターで、人種差別の撤廃を求める、大学生を中心とした3ヵ月間に及ぶ「ナッシュビル座り込み」は、公民権運動の画期点になっていく。
ナッシュビルの街並み(ウィキ)
現在のシット・イン(ウィキ)

この間、公民権運動における重要事件と言われる「リトルロック高校事件」(1957年)が惹起する。
リトルロック高校事件/黒人生徒の入学に反対し学校を封鎖する白人たち(ウィキ)

黒人受け入れを決定したリトルロック高校(アーカンソー州)において、一部の白人が黒人生徒の排斥運動を開始したことで、州知事が州兵を出動させ、学校を閉鎖し、黒人学生の入学を妨害するという事件に発展し、入学する9人の黒人学生の護衛のために、アイゼンハワー大統領は空挺部隊を派遣するに至り、入学する黒人学生を護衛させた。
リトルロック高校事件/リトルロック・セントラル高校(ウィキ)
リトルロック高校事件/タイム誌の表紙を飾るリトルロック高校事件(ウィキ)

公民権運動が全米規模で盛り上がりを見せた「リトルロック高校事件」は、すべての高校で融合教育が実施された1972年において終焉する。  

そして、「I Have a Dream」(「私には夢がある」)という、キング牧師の演説の言葉で有名な、人種差別撤廃を求める「ワシントン大行進」が遂行される。 
ワシントン大行進
ワシントン大行進
ワシントン大行進で“I Have a Dream”の演説を行うキング(ウィキ)

1963年8月28日のことである。 

キング牧師などの指導の下に、20万~30万人がワシントンD.. を埋め尽くすこの日こそ、人種差別撤廃を求める公民権運動が最高潮に達した政治集会であると言っていい。
   
しかし、「ワシントン大行進」の2年後、厄介な事件が惹起する。 

アラバマ州セルマで、公民権運動家の無抵抗のデモ隊を白人警官が襲い、多数の重軽傷者を出すという「血の日曜日事件」である。 
「血の日曜日事件」にてデモ隊を襲う白人警官(ウィキ)

この事件はテレビで報道されたことで、公民権運動を後押しする結果を生み、「国民共同体としての国家」の側面を損なうコストを累加させてしまうのだ。 

1965年のことである。 

ベトナム戦争にアメリカが本格参入した年でもあった。 

更に、事態は悪化する。 

ノーベル平和賞を授与されるほどの影響力を与えた、キング牧師の「非暴力・不服従」の運動が、あろうことか、そのキング牧師の暗殺事件(1968年4月)によって、公民権運動の生命線であった「非暴力・不服従」の理念が反転し、マルコムXの影響下で、非合法的な手段を用いる過激な運動形態へと変容していくのだ。 
キング牧師が暗殺されたモーテル(ウィキ)
マルコムX(右)とキング牧師(ウィキ)

1960年代後半から1970年代にかけて出来した、ブラックパンサー党(「黒豹党」)による急進的な黒人解放闘争がそれである。 
ヒューイ・ニュートン

共産主義の思想で理論武装したヒューイ・ニュートンとボビー・シールが組織し、民族的アイデンティティの象徴(「ブラック・イズ・ビューティフル」)としてのアフロヘアーの髪型と、黒づくめの着衣で固め、帝国主義との闘争を目的とした「革命的民族主義」を標榜し、エドガー・フーバー率いる連邦捜査局 (FBI)との闘争を具現化するのである。 

更に、思想的不一致でブラックパンサー党を離党したストークリー・カーマイケルは、スニック(SNCC=学生非暴力調整委員会)を組織し、同様に急進的活動を実践していくが、先進国の極左運動が辿った道をトレースする。 
ストークリー・カーマイケル

大衆の継続的な支持を受けることなど叶わず、加速的に運動は萎み、沈静化するのだ。  

しかし現在も、全米各地で人種差別感情を元にした、白人による有色人種に対する暴力事件や冤罪事件、人種差別的な扱いは数多く起こっており、1990年代に至っても、ロサンゼルス暴動での「ロドニー・キング事件」のようなヘイトクライム(憎悪犯罪)が起きている他、クー・クラックス・クランなどの白人至上主義団体が、南部を中心に各地で活動を続けている。
ロドニー・キング/ロサンゼルス暴動のきっかけとなったアフリカ系アメリカ人の男性(ウィキ)

奴隷貿易の歴史から始まったこの問題の深刻さは、現代史に至って具現した、表面的な福祉政策の充実化等(アファーマティブ・アクション=積極的差別是正措置)の制度的処方によっても、逆差別による「ホワイト・バックラッシュ」(白人の人種差別主義者による巻き返し)という厄介な問題等が存在し(映画「クラッシュ」)、なお容易にクリアし切れないテーマを内包している。   
映画「クラッシュ」より

個人的に特別な能力や才覚を持ち、周囲からの差別の視線の集中砲火にあっても、倒れないほどのパワーを内蔵する、ごく一握りの例外を除けば、「黒人問題」の現在的課題の克服は依然として先送りにされているのである。

それでも現在は、西瓜を盗んだだけで、黒人たちが首を吊るされなくなった事実だけは認知すべきであろう

残念ながら、ミネソタ州ミネアポリスで白人警官に膝で首を押さえつけられ亡くなった黒人ジョージ・フロイドの事件に対する、アメリカの「反人種差別デモ」の広がりに見えるように、アメリカの黒人差別に終わりが見えないのも、この国の現実なのだ。
ジョージ・フロイドの死/2020年5月25日(ウィキ)

【参考・引用資料】 
 
拙稿 人生論的映画評論・続「それでも夜は明ける」、「大統領の執事の涙」 人生論的映画評論「真夜中のカーボーイ」他

「それでも夜は明ける」より
(2020・6)

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