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2022年7月29日金曜日

ブータン 山の教室('19)  パオ・チョニン・ドルジ  村民への優しい眼差しをリザーブした青年教師の精神浄化の物語

  


1  “先生には敬意を払いなさい。未来に触れることのできる人だ”

 

 

 

ブータンの首都ティンプーで教師をしているウゲン。 


ブータンの首都ティンプー

祖母と二人暮らしで、友人たちと都会の生活を満喫するウゲンの夢は、教師を辞め、オーストラリアで歌手になること。

 

常にヘッドフォンで音楽を聴き続け、全く教師の仕事をやる気のないウゲンに、ブータンで一番の僻地・ルナナへの転属が役所から言い渡される。 

ウゲン

冬まで頑張れば、教員の5年の義務期間が終わるので、それまで我慢のつもりで、ウゲンはルナナへ行くことにした。

 

友人や祖母に見送られ、標高2800メートルのガサまでバスで向かう。 

ウゲンの祖母(左から二人目、その右は彼女)

ガサまでバスで行く

夜にガサに到着し、ルナナの村長の代理で来たミチェンに迎えられ、一泊して朝一番で村へと出発するが、そこから7日間険しい山登りを前にウゲンの気力が萎えてしまう。

スマホを見るウゲンとミチェン(右)。ドマとは、ブータンで人気の木の実で、寒い時に食べる
 



幾つかの渓谷を越え、テントを張って夜を過ごし、8日目にしてやっとルナナに到着する。 

ミチェンが歌っている


村の入り口から2時間前の処で、村民総出がウゲンを出迎えた。 

村長とミチェン


ルナナ村長アジャがウゲンに挨拶をする。

 

「ルナナの村民、全員を代表して、心から歓迎します」

 

村長がウゲンを案内し、お茶を振舞われた。

 

「先生、村の子供たちに教育を与えてください。村の仕事はヤク飼いや、冬虫夏草を集めることですが、学問があれば別の道もある」 


【冬虫夏草(とうちゅうかそう)とは、昆虫に寄生してキノコを作る菌のこと】

 

ルナナ村 人口:56人 標高:4800メートル 



村民たちに随伴し、ようやく村に辿り着いたウゲン。

 

学校へ案内されると、何もない教室に動揺を隠せないウゲン。 



次に寝泊まりする部屋に案内されると、ウゲンは思わず村長に訴えた。

 

「村長、正直に言います。僕には無理です。ここは世界一僻地にある学校だ。前の先生も、きっと苦労したと思う。僕には、できない。すぐにでも町に帰りたい…教師を辞める気だった」


「ミチェンやラバを、数日休ませたら、先生を町まで送らせます」


「でも村長、村には教員が必要です」とミチェン。

「いいさ。無理強いはできない」

 

翌朝、ドアを叩く音に目を覚ましたウゲンが出て行くと、女の子が挨拶をする。

 

「クラス委員のペムザムです。授業は8時半からで、今は9時です。先生が来ないから、様子を見にきました」 

ペムザム

「分かった」と答え、ウゲンは着替えて教室へ向かう。 



初めての授業で自己紹介することになり、それぞれの名前と将来の夢を聞いていく。

 

「ペムザムは何になりたい?」

「歌手になりたいです」 



ウゲンに促され、歌を披露するペムザム。

 

「君の名前は?」

「サンゲです。将来は先生になりたいです」

「どうして?」

「先生は未来に触れることができるからです」


「君が先生になったら、町から先生を呼ばなくてすむね」

 

教室の外から、“ヤクに捧げる歌”が聴こえてきた。

 

村で一番の歌い手のセデュの歌声である。

 

ペムザムは、8時半と3時に鳴らす学校の鐘をウゲンに渡す。

 

翌朝、ミチェンが村人からの米とバター、チーズを届けに来た。

 

ウゲンが火を起こせずにマッチで紙につけていると知ると、ミチェンは村では紙は貴重品なので、ヤクの糞を使っていると話す。 


その付け方を教えるために、二人はミチェンの家に向かった。

 

道すがら、仕事もせずに、酔いつぶれて横たわっていペムザムの父親に、ミチェンは声をかけるが反応はなく、言っても無駄だと置き去りにする。

 

ミチェンの家で妻を紹介され、上がり込んでヤクの乾燥した糞の火のつけ方を教わるウゲン。 

ヤクの糞

「村長が、いつも言います。“先生には敬意を払いなさい。未来に触れることのできる人だ”」


「教職課程では教わらなかったな」

 

ウゲンが教わったヤクの糞で火を点けようとすると、外で子供たちの声が聞こえ、外に出ると、ペムザムがいた。

 

「両親は離婚して、お父さんは、ずっとお酒と賭け事です。お母さんは、ヤクを連れて遠くにいます。家には、おばあちゃんが…」 



ウゲンは、前任者が置いていったトランクから教科書を出し、教室を掃除して机を並べた。

 

鐘を鳴らし、子供たちを整列させる。

 

ペンザムが旗を揚げ、皆で国家を歌うのである。 



教室で紙と鉛筆を生徒に配り、黒板がない代わりに、壁に炭で字を書き、授業が始まった。 



ウゲンがヤクの糞を拾いに行くと、セデュの歌声が聞こえてきた。

 

近づいて声をかけるウゲン。

 

「いつも、ここで歌を?どうして?」

「歌を捧げてるの」


「歌を捧げてるって、どういうこと?」

「歌を万物に捧げているのよ。人、動物、神々、この谷の精霊たちにね…オグロヅルは鳴く時、誰がどう思うかなんて考えない。だた鳴く。私も同じ」


「僕にも教えてくれないかな」
 



その直後、明日の授業の準備をしているウゲンの元に、村長とミチェンがやって来た。

 

「ガサに戻る準備ができたので、知らせに来ました。いつでも出発できます」


「しばらく、ここに残ります。子供たちを残していくのはつらい。途中で帰ったら、政府に怒られますしね」
 


喜びを隠せない二人。 



純朴な子供たちやセデュとの触れ合いで、深く心を動かされたウゲンは、冬が来るまでこの地に留まることを決めたのである。

 

ミチェンとウゲンは黒板を作り、早速、授業に使っていくことになる。 


 ウゲンの新たな時間が拓かれていくのだ。



 

2  “凛々しいヤク あたかも神の子のごとし”

 

 

 

村長に呼ばれたウゲンが行くと、セデュもチーズを届けに来ていた。

 

村長はセデュを妹のように思っていて、事故で脚を折ったときも、歌って励ましたと言う。

 

「先生は子供たちの希望です。村人たちも、とても喜んでいます」


「僕も楽しんでます」

「運命を感じますね」

「前世はヤク飼いだったかも」


「ヤク飼いじゃない。先生は、きっとヤクでした…村に欠かせない存在です」
 



セデュが、最長老のヤクの“ノルブ(宝)”を教室に連れて来た。 



これで、糞を集めに山へ行く必要はなくなったのである。

 

ウゲンは、セデュに“ヤクに捧げる歌”の歌詞のメモを渡されるが、歌い方が分からないと、教えてもらうことになった。

 

「ヤクとヤク飼いの絆は、とても神聖なの。家族のように親しい。ヤクは多くを与えてくれる。肉が必要になった時は、村じゅうのヤクを集め、投げ縄を投げた縄が落ちたヤクを犠牲にしたの。村じゅうが心を痛めたわ。村のヤク飼いで、岩塩を売るためにチベットに行った人がいた。運命が働いて、投げ縄は彼のヤクに落ちた。そのヤク飼いが、この歌を作ったのよ。歌詞に、こうあるわ。“ヤクのおかげで、私は命長らえた”…澄んだ魂を賛美する詞なの…」 



セデュの話に聞き入るウゲン。 



ウゲンはノルブに餌を与え、村の子の爪を切ってあげていると、ペムザムがやって来た。 



「村長が、冬になったら先生とはお別れだって。この村は楽しくないですか?」


「楽しいさ」

「なのに、冬になったら行っちゃうの?」

「仕方ないんだ」 



その言葉を聞くと、ペムザムは踵(きびす)を返し、去って行った。

 

ウゲンは、英語の授業の一環で、教室で飼うことになったノルブに、生徒たちと英語で挨拶する。 


 Carの意味が分からないので、Cow(雌牛)に代える


家では、ヤクに捧げる歌の練習に励み、オーストラリアのパンフレットに歌詞を書き込む。

 

そんな折、ティンプーの友人から、依頼した教材などが送られてきた。

 

子供たちが遊ぶボール、歯ブラシと歯磨き粉、ポスター、ギターなどがき、おまけに、オーストラリア行きのビザが取得できたという便りも含まれていた。

 

稲穂が黄金色に輝き、季節はすっかり秋になっていた。 



届いた荷物を教室に運び、それを見て生徒たちも歓喜し、早速、歯磨きの練習をする。 



ギターを弾いて、生徒たちと歌い、踊るのだ。 


ウゲンの授業の一環だった。

 

“ヤクに捧げる歌”の練習も欠かさないウゲンは、セデュに褒められる。

 

「どんどん上手になって、まるで村の人みたい」 



相変わらず、ウゲンは歌の練習に励み、ギターを弾き、ミチェンや生徒たちと歌い、踊る日々の中、稲刈りが進み、秋も深まっていく。 



そんな折、教室に残るウゲンの元に村長がやって来た。

 

世界地図や単語、図鑑の絵などのポスターが貼られた教室を見渡し、素晴らしいと感嘆した後、訪問目的が伝えられる。

 

「山の頂上が白くなりました。これから毎日、雪が増えていきます。村は、じき雪に覆われる。冬が来たのです。ヤクも低地に移ります。先生も町に戻る時期です」


「でも、まだ授業が終わっていません」

「今、出ないと道がなくなって、春まで残ることになる。見送るのは私たちもつらいが、今しかありません。ぜひ、また来年、子供たちのために戻ってください」

「村長、僕は外国に行きます」


「どのくらいの間?」

「たぶん、一生です」

「この国は、世界で一番、幸せな国と言われているそうです。それなのに、先生のように、国の未来を担う人が、幸せを求めて外国に行くんですね」 



明後日に出発すると告げて、村長は教室を後にした。

 

セデュもやって来て、別れを惜しむ。

 

「ここで教えるのは嫌い?」

「もっと、いい先生が来てくれるよ」

「やめて。いい先生かどうかを決めるのは、本人じゃない。ペムザムたち、生徒が決めることよ。あの子たちは、とても楽しかったって。先生との別れを悲しんでる…」 



ウゲンは、ティンプーに来ないかとセデュを誘ったが、母もいるので行かないと答える。

 

「あなたが、あの歌を完璧に歌える日まで村で待つ。オグロヅルのように歌って」 



出発の日がやって来た。

 

初めて来た日と同じように、村長と村民全員がウゲンを見送る。


 

ペムザムが泣き顔で、ウゲンに生徒からの手紙を渡す。 



歩き始めると、セデュが声をかける。

 

「いつも、ここにいる」

 

二人の感情が最近接した瞬間だった。 

セデュからもらった白い布(「カタ」)は、道中の安全を祈る意味を持つ伝統的な布


それは同時に、最後まで打ち明けられなかった、その関係がピークアウトに達した瞬間でもあった。

 

振り返ると、村民たちが手を振っている。

 

村長の歌声が聴こえてきた。


 

村長はもともと歌の名手だったが、奥さんが亡くなり、歌うのを止めてしまったと、ミチェンから知らされる。

 

「“次に歌うのは、私のヤクが戻ってきた時だ”」 


ミチェンは村長の言葉を伝えるのである。

 

ウゲンは聖なる動物・ヤクだったのだ。

 

村長の思いを胸に、今度はペムザムからの手紙を読むウゲン。

 

「“先生、私たちの学校で、勉強を教えてくれてありがとうございました。私たちは、先生のことが大好きでした。先生は思いやりの心を教えてくれました。私たちが勉強できるように、窓の紙をくれたこと、決して忘れません。私たちとノルブのために、どうか戻っきてください”」 


  

手紙をそっと胸に仕舞い込み、行き同じ険しい帰り道を辿っていく。

 

ルナナ行きの際には無視した、守護者が住むと言われる標高5240メートルのカルチュン峠で、「いつか戻れるようにね」と言って、祈りを捧げるウゲン。 



オーストラリアのシドニー。 



カフェバーで、客たちを前に弾き語りをするウゲン。 



誰も聴いておらず、ウンザリするウゲンは途中で歌を止めてしまう。

 

「カネを払ってるんだ。ちゃんと歌え」とバーテンダーの叱咤。 



客たちもウゲンを注目する。

 

ウゲンはオーストラリアのパンフを取り出し、一呼吸すると、そこに記された歌詞を見ながら、突然、“ヤクに捧げる歌”を力強く歌い始めた。

 

“凛々しいヤク その名はハダル あたかも神の子のごとし 汝 ハダルの故郷を問うなかれ 知りたくば教えよう ハダルの故郷は 壮大なる白い山の麓 黄金色の牧草が 大地を覆う場所”  


 

 

3  村民への優しい眼差しをリザーブした青年教師の精神浄化の物語

 

 

 

純朴な子供たち、心優しき村人たち、伝統歌を歌い継ぐ精霊のような村の「歌姫」、ヒマラヤを望む山岳風景。 


ウゲンを迎えるルナナ村の人々

歌姫」セデュ



これだけの条件が揃えば、情緒過多で心和む感動譚ができてしまうが、この映画は少し違った。

 

心和む感動譚であるが、決して情緒過多な映画に膨れ上がっていなかった。

 

それらと出会う無気力な青年教師の変容を淡々と描き出すのだ。

 

とりわけ、伝統歌を歌い継ぐ精霊のような村の「歌姫」セデュとの出会い。 


これは大きかった。

 

“ヤクに捧げる歌”を習い、それを習得する。

 

僻地に来てもイヤホンを外せなかったシティボーイが、村の伝説に聞き入って感銘し、ノルブ(ヤクの名)を入れた教室で、生徒たちと英語の授業を進めていく。

 

新鮮な授業を本気で遂行する青年教師を慕い、共に歌い、遊び、標高4800メートルの山麓を駆け巡る。 



大自然という借景があるだけで、一幅の名画のような構図を極めてしまうので、全てが画になるのである。 

ヒマラヤを望むルナナへの道

撮影担当のジグメ・テンジン




この大自然の懐の深さに抱かれ(注)、そのシャワーを被浴して、青年教師の心身は目眩(めくるめ)く浄化されるのだ。

 

(注)我が国の神道概念で言えば、優しい自然「和御魂」(にきみたま)のこと。 

和御魂(「にぎみたま」とも読む)


然るに、それでも変わらなかったウゲンのオーストラリア移住の夢。

 

普通に考えてみれば、自明なこと。

 

長く自己を支えていた夢を捨て、電気も通らない限界集落で冬越しする覚悟を持てというのは無理があり過ぎる。

 

実際、男子が一人しかいなかったことで分かるように、児童数が減り続ける僻地の子供たちもまた、成人したら都市に出て行く夢を捨てることなどできるだろうか。

 

【現に、唯一の男子生徒・サンゲの夢は「未来に触れることができる教師」(村長の口癖)なので、いつしかルナナを離れることになる。果たして、サンゲは教師になったら村に戻って来るだろうか】 

サンゲ

「この国は、世界で一番、幸せな国と言われているそうです。それなのに、先生のように、国の未来を担う人が、幸せを求めて外国に行くんですね」 



村長のこの言葉は、相当に重い。

 

ブータンで起こっている現実に対して、警鐘を鳴らす含みを持つ映画のメッセージであるだろう。

 

ウゲンもまた、別れを惜しむ村民への優しい眼差しをリザーブしたまま、夢に向かって邁進する。 



未だ、シドニーで成功していないが、歌手になる夢は具現化した。

 

しかし、若者の自我の奥底で、村の「歌姫」セデュから習った歌の記憶が深々と根付いていた。

 

“ヤクに捧げる歌”こそ、村民への優しい眼差しと同化した精神的アイテムなのである。

 

この歌が、ラストで炸裂するのだ。 



最も心が揺さぶられた歌を、自らの文化フィールドで表現し切ったのである。

 

ウゲンのその先にある人生は分からないが、具現化させた夢を如何に膨らませていくかに委ねられるだろう。

 

物語では、そんなウゲンの心情が的確に描かれていて出色である。 


村民への優しい眼差しをリザーブした青年教師の精神浄化の物語 ―― そんな映画だった。

 

【末梢的な物言いをすれば、「純粋無垢」のイメージを、ペムザムに特化した戦略的映像のギミックに些か引っ掛かりを覚えたのも事実】 



―― 以下、作り手の問題意識のコアにアプローチしてみたい。

 

精神の豊かさを重視し、ブータン特有の「国民総幸福量」(GNH)を誇りとする作り手の素朴な思いが詰まった映画のメッセージは、「才能と教養ある若者が、夢や幸せを求めて、きらびやかな欧米の都市に移住している」(パオ・チョニン・ドルジ監督)現実を憂い、「ブータン人は本当に幸せなのか。そもそも何を指して『幸福』と呼ぶのか――そんな問い掛け」(同上)だった。 

パオ・チョニン・ドルジ監督


だから、「教師という仕事に充実感を得られず、歌手としてオーストラリアに移住することを夢見る今どきの若者」(同上)の「“幸せを探す旅”を描こうと考えた」(同上)物語となる。 



かくて、「彼の探し求めているものが、世界の中心ではなく、隅っこでも見つけられるのかどうかを試したかった」(同上)という思いの束は、同時に「私自身への問い掛け」(同上)でもあった。   


「ルナナに行くには、舗装された道路から山道を歩いて10日かかります。電気も水道も通っていません。撮影中の2カ月半でシャワーを浴びたのは一度だけでした。生活はもちろん自給自足で、ヤク(ウシ科の動物)の糞を燃料にしています」(同上) 

ウゲンのルナナからの帰路も厳しい 


作り手のこの説明だけで、本篇に自己投入する映画作家の情熱が観る者に伝わってくる。

 

「教育を受けられることが決して当たり前ではなく、崇高なものだということを示したかったのです。雪山の向こうの世界を知らない子どもたちにとって、教師はたった一つの希望の光なのです」(同上) 




だから、便利さとは程遠く、「映画」という快楽装置に無縁な子供たちの瞳の輝きは、都市でギラギラの輝きを放つ子供たちとの間に横たわる「快楽の落差」を異化してしまうのだろうか。

 

「彼らの生き方や生活の営みには、現代社会から失われかけた清らかな人間の精神が息づいています」(同上)

 

作り手は、明快に言い切った。

 

「ペム・ザムというのは、ブータンのグローバリゼーションや現代化の波に引き寄せられつつあるブータンの子供を代表しているように思えます。まだそこの波にのまれてはいないイノセンスがあるのですが、同時にグローバリゼーションや現代化の波にのまれてしまって、このイノセンスは、いつか失くなってしまうとも感じるわけです」(同上) 



かくて、「快楽の落差」を異化できなくなった時、少女の無垢な瞳はイノセンスを失い、この国の現代化の波に呑み込まれてしまうのか。

 

この抗い難い危機感が、映画製作の心理的推進力になったのか。

 

だからと言って、「古き良き時代に帰れ」というシンプルな物言いではないことは、ラストシーンを観れば了解し得る。

 

「“光”を享受する時に、“影”のような僻地での生活があることを忘れなければ、今の快適さの有り難みに気付」(同上)くことができる。 



この語りには、「経済的・物資的な幸せと文明がない中での精神的な幸せという二項対立ではなく、幸せの意味を問うものです」(同上)という含意が潜んでいる。

 

どうやら、この辺りに作り手の問題意識のコアが見え隠れするようである。 

「それぞれの伝統文化を大切に」『ブータン 山の教室』監督が日本の学校とオンラインで繋がる


―― 以下、余稿として、ブータンの〈現在性〉について補筆したい。

 

 

 

4  ブータンの今

 

 

 

標高は2300mもありながら亜熱帯の高地気候で、最大の都市ティンプーを首都にして、約78万の人々がヒマラヤ山脈東部に居住する小さな国(ほぼ九州と同じ面積)・ブータン王国。 

ティンプー(ウィキ)


チベット仏教を信仰するこの国が今、他の国家の時代的変遷の変容の例に漏れず、押し寄せる近代化の波に呑まれ、藻掻(もが)いているように見える。 

ブータンの近代化

ティンプー市内を歩く若者


「近代ブータンの父」と称された、第3代ブータン国王ジグミ・ドルジ・ワンチュクの近代化政策(国民議会の設置と独立性・国王権力の制限・農奴制廃止・経済発展重視・国連加盟)によって鎖国主義が終止符を打つことになった。 

ジグミ・ドルジ・ワンチュク第3代ブータン国王(ウィキ)


現在にまで続く次代国王のジグミ・シンゲ・ワンチュクの出現によって、国王権力の大幅な制限が王政廃止に繋がり、ブータン初の総選挙が具現化されてく。

ジグミ・シンゲ・ワンチュク第4代ブータン国王(ウィキ)

 

かくて政党政治が開かれ、ブータン王国が立憲君主国となるに至る。

 

テレビとインターネットの解禁(1999年)で、パソコン・携帯電話の保有が加速するのである。 

インターネットの解禁


都市生活で不可欠なスマホ。

 

若者で溢れ返るインターネットカフェ。

 

欧米の音楽や映画をも愉悦する。 

カラオケ・バー


西洋的な価値観が、都市で普通に受容できるのである。

 

一度手に入れた快楽は、もう手放せない。

 

それを持ち得ない地方と格差は広がるばかりである。

 

テクノロジー社会の広がりは、経済・文化・情報の格差を必至にする。 

ブータンにおけるテクノロジー社会の広がり


そこに、快楽の落差が生まれる。

 

快楽の落差が生まれたら、それを埋める手法は限定的である。

 

快楽を手放すか、禁断なる後者の世界の蜜の味を嘗(な)め、未知なる快楽に踏み込んでいくか。

 

それとも、快楽の落差の広がりの傍観者になっていくか。

 

これが、農業国家ブータンで出来している現状である。

農業国家ブータン
      
「ブータン農業の父」と言われる伝説的日本人・西岡京治(けいじ)


民主化の実現(2008年)によって開かれた近代化の宿命である。

 

「国民総幸福量」(GNH)。 

「国民総幸福量」(GNH


「幸せな国・ブータン」というイメージを定着させ、マーケティングな手品を駆使した重要な概念である。

 

或いは、経済力のない最貧国家が、国際社会に適応するための政治的概念であると言ってもいい。

 

この曖昧な概念で、国の豊かさの度合いを測るのだ。

 

ブータン国民の約97%が「自分は幸せ」と回答しているが、ここには調査のトリックがある。

 

Wikipediaによると、以下の通り。

 

【満足度】自分で幸せだと思うか、幸せになるにはどのようなことが必要か?

【精神面】自分自身がスピリチュアルだと思うか?お祈りや瞑想をするか?

【自殺について】自殺を考えたことがあるか?実行しようとしたことがあるか?

【環境に関する教養】身近な植物の種に関する知識、水路のメンテナンスが重要だと思うか、自分で植林をするか。

Cultural literacy】地域の祭り、祭りの意味、祭りで行われるダンスや歌の意味の知識について

【信用感】ブータン人/近所の住人をどれだけ信用しているか?

 

のちに11段階評価による調査に改められたが、この2005年のアンケート項目の答えが、「非常に幸福 (very happy)」「幸福 (happy)」「非常に幸福とはいえない (not very happy)」という偏った3択しかなく、「どちらでもない」、「あまり幸福ではない」といった選択肢が用意されていなかった。

 

だから、97%が「自分は幸せ」と答えたのである。

 

大体、ブータンのみが使用するこの戦略的概念の曖昧さは数値化不能で、あまりに主観的・非科学的であるが故に、幸福の尺度の測定モデルの困難さを露呈しているのだ。

 

そこに、テクノロジー社会の広がりと、なお、電気・テレビすら持ち得ない山岳部に呼吸を繋ぎ、昔ながらの生活を送る共同体社会との折り合いの付け方の難しさ読み取れる。 

「ブータン 山の教室」より


「幸せな国・ブータン」のイメージに拘泥しつつ、近代化の進展に舵を切ったジグミ・シンゲ・ワンチュク前国王と、ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク現国王(5代)の苦労を察するに余り有る。 

ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク第5代国王(ウィキ)


【「『幸福な国』の不都合な真実」と指弾される、南部在住のネパール系ブータン難民(南部問題)という、前国王による民族浄化の問題も看過できないが、ここでは言及を避ける】 


ベルダンギ(ネパール)にある難民キャンプにおいてブータンの旅券を見せるブータン難民(ウィキ)


(2022年8月)

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