<冥闇なる物理的時間を穿ち、内的時間が動き出していく>
1 苦痛と恐怖の〈現在性〉に捕捉された男の時間の重さ
プールに潜り、幼い頃の母との思い出を回想するスペインの映画監督・サルバドール。
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母ハシンタ |
プールから上がると、ホテルのラウンジで、旧友のスレマに声をかけられた。
「執筆も撮影もせず、何を?」
「ただ生きてる」
「私は演技なしには生きられない」
「アルベルトは、アルゼンチンに?」
「メキシコよ…彼に会った?」
「『風味』のプレミア以来、会ってない」
「あれから、30年も経つのよ」
「32年だ。あの映画を、先週やっと見直した…自分の作品だが、感動したよ…シネマテーク(フィルムアーカイブ)がネガを、レストアして、上映するそうだ。アルベルトと、作品を紹介したい」
「恨んでないのね」
「奴は脚本を無視して演じた。殺したかったよ。でも、あいつを恨んではいない」
サルバドールは、スレマにアルベルトの連絡先を聞き出した。
(回想)
聖歌隊のソリストに選ばれて、練習に励む児童期のサルバドール。
歌の練習のために、最初の3年間は学校の授業を全く受けず、毎回、試験もパスした。
「学校は私を無知にし、全科目、試験なしで進級させていた。長じて私は映画監督になったが、監督作の宣伝ツアーで、スペインの地理を学んだ。私は成功し、旅を重ねた…自分の肉体を痛みと病によって知った。30歳までは、ほぼ無意識に過ごしたが、やがて、自分の“頭”と、その中身に目覚めた。喜びと知識の源であるが、苦痛への無限の可能性を持つ。不眠症になり、慢性咽頭炎や、中耳炎、逆流症、潰瘍、内因性喘息に苦しんだ。神経痛…特に坐骨神経痛、あらゆる種類の筋肉痛、腰椎、背部の痛み、両ヒザと肩の腱炎。そして、耳鳴りにも悩まされていた…それらに加えて、私の専門は頭痛だった…背中の痛みもだ。脊椎固定術により、背骨の大半が動かなかくなり、私の人生は、脊柱が中心なのだと悟った。椎骨の一つ一つ、筋肉や靭帯の数も意識した。神秘なる肉体を構成する要素だ…だが、すべてが身体的ではない。抽象的な困難にも苦しむ。パニックや不安など、心の痛みは、苦痛や恐怖をもたらす。当然ながら、何年間も鬱病を抱えている。夜、様々な痛みに襲われると、私は神を信じ、祈りを捧げる。昼、単純な痛みだけだと、私は無神論者だ」(サルバドールのモノローグ)
以上が、映画監督・サルバドールの〈現在性〉だった。
【逆流症とは、胃酸が食道に逆流する「胃食道逆流症」のことで、胸やけを起こす。腰椎(ようつい)の大半が腰痛症状】
(現在)
そのサルバドールは、アルベルトの自宅を唐突に訪問する。
アルベルト(右) |
中に入ると、映画のポスターが目についた。
「嬉しいね。『風味』が飾ってあるとは」
「なぜ、来たんだ?」
「この映画と和解するのに、32年かかった」
「なぜ、32年も経って、俺に会いに来た?」
「シネマテークが『風味』をレストアして、古典と認定した」
「なぜ今頃、一緒に作品を紹介する?当時は、やらなかった。君が“やるな”と」
「だからこそ、今、一緒にやるべきだ」
庭でヘロインを吸うアルベルトに、自分も吸うと言う初体験のサルバドール。
【ヘロインは強度の「ダウナー系」(麻酔作用)で、血液脳関門を容易に通過するので、その過剰摂取死において「最強最悪の麻薬」と言われる】
(回想)
父親を訪ねていく、母ハシンタとサルバドール。
辿り着いた家は、何と洞窟だった。
「掃除はしたんだ」
「私たちが来て、うれしい?」
「もっといい家を…洞窟なんて俺も、つらい。他になくて」
「大丈夫よ。私が家らしくするから」
(現在)
いつものように頭痛に苦しむサルバドールの元に、今度はアルベルトが訪ねて来た。
ここでもまた、ヘロインを吸引し、易々と眠りに落ちる。
その間、アルベルトはサルバドールのパソコン内に保存された脚本を読み、その濃密さに圧倒された。
そのタイトルは「中毒」。
アルベルトは目を覚ましたサルバドールに、この作品を舞台で演じたいと懇願するが、断られる。
後日、「風味」を上映する日に、二人は映画館へ行かず、自宅にいた。
「苦労して上着を借りたのに」(アルベルト) |
ヘロインを吸引していたのである。
上映後、二人の登場を待っている観客の質問を、主催者から携帯電話から受け、それに答えるサルバドール。
アルベルトの演技について聞かれたサルバドールは、酷評する。
「リズムを殺す。力強く、滑稽で、毒舌家のコカイン中毒者を、彼は軽妙に演じなかった。正反対のドラッグ、ヘロインをやっていたからだ。演技のリズムは鈍重で、脚本のユーモアが消えてしまった。だが、今になれば、彼の演技の深刻さが、役に似合うし、重みが…」
我慢しつつ、ここまで耳にしていたアルベルトが激怒し、サルバドールの携帯を弾き飛ばす。
「なんて奴だ!」
「言いたくなかったが、言った」
「俺を甘く見るな。二度と侮辱させない」
「だが、真実だろ。撮影中はヘロインをやるなと…いつか、言いたかった」
「イカれ野郎が!」
そう言い捨て、アルベルトは出て行った。
シラケる観客 |
心身のバランスを崩し、家に籠りっきりのサルバドール。
アシスタントのメルセデスがやって来て、家政婦にサルバドールの様子を聞き、アドバイスする。
メルセデス(右) |
サルバドールは、とうとう、街頭の薬の売人に接触するようになっていく。
(回想)
街の階段に座り、本を読んでいるサルバドール。
それを見た通りすがりの女性が手紙の代筆を頼むと、ハシンタは一緒にいた識字能力のない左官職人エドゥアルドに対して、サルバドールが読み書きと算術を教える代わりに、家の壁や流しの修繕を頼み込み、「知識」と「技術」の「交換取引」は落着する。
エドゥアルド(左) |
かくて、サルバドールは洞窟の自宅で、エドゥアルドに熱心に文字を教えていく。
鉛筆の持ち方まで、自ら手を添えて教え、文字を書かせるのである。
奨学金で学校教育を受けさせるために、神学校行きを勧める母に反発するサルバドール。
神父になることを頑として拒むのだった。
(現在)
喧嘩別れしたアルベルトの家に、「中毒」を演じる権利を渡すと告げに来たサルバドール。
その代わり、自分の名は出さないで欲しいとアルベルトに頼む。
「告白的な内容だ。特定されたくない」
程なくして、「中毒」が小劇場で上演された。
そこで語られたのは、マルセロとの愛の物語。
「人の多い洗面所で、マルセロに会った…その晩、軽く触れあった後で、彼が好きだと自覚した。週末は彼とベッドで過ごし、気づくと、1年経っていた。お互いなしでは生きられない。1981年のこと…マドリードは僕たちのもの」
ヘロイン漬けのマルセロを案じつつも、二人は享楽する日々を過ごす。
そして、「マドリードから逃れるための旅」。
「ヘロインから…。あの旅が僕にとって、豊かな発想の源となり、数年間、多くの物語を生み。輝かしく彩った。だが、旅だけでは生きられない。再びマドリードへ。地雷原の街。未来などない。絶望的だ。どうすべきか…繰り返すだけ…愛の力で、彼の中毒に勝てるだろうと。でも、ムリだった。愛だけでは不可能だ…。だが、マルセロと僕自身を救おうと。彼は僕から離れ救われた。僕はマドリードに残り、映画に救われた」
感慨深く観劇するマルセロこと、フェデリコ |
【フランコ独裁体制下のスペインは、フランコ死後も専制支配が続き、軍部のクーデター未遂事件が発生したのが1981年。左派政権が誕生し、民主化されたのは1982年のこと】
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サンタンデール市のフランコ像(ウィキ)
【因みに、スペインには、フランコ軍事独裁政権下で、弾圧を受けた犠牲者の名誉を回復し、遺族を補償する「歴史の記憶法」が存在する】
演劇が終わり、鳴りやまぬ拍手。
アルベルトの楽屋に、マルセロこと、フェデリコが訪ねて来た。
「僕はフェデリコ。作品の“マルセロ”だ…彼は、生きてる?」
言うまでもなく、「彼」とはサルバドールのこと。
自宅でベッドに伏しているサルバドールに、フェデリコが訪ねて来たことを携帯で知らせるるアルベルト。
早速、フェデリコから電話が入る。
「もう落ち着いたが、打ちのめされて、劇場を出た。『中毒』を観たんだ」
サルバドールは翌日の約束を待てず、自宅に呼び、再会を果たす。
「でも、安心したよ。“彼の面倒を見ながら、作家、監督として、より進化した”と。本当に、そう感じたか?」
「君を邪魔に思ったことは一度もない。その反対だ。僕の人生を何よりも、誰よりも豊かにしてくれた」
「…君の映画は、どれも僕の人生の“祝祭”だ。世界中の成功が誇らしいよ」
ここから一転して、話はコアの部分に入っていく。
「新しい相手は?」
「いるよ。君は?」
「いない。男?女?」
「女だ。男は君が最後だよ」
そこで、二人の息子の写真を見せるフェデリコ。
そしてフェデリコは、現在、住んでいるブエノスアイレスに訪ねて来るようにと誘う。
別れを惜しむ二人。
フェデリコが帰ったあと、ヘロインをトイレに流すサルバドール。
ヘロインを捨てる決意する男 |
サルバドールに変化が見える。
苦痛と恐怖の〈現在性〉に捕捉された男の時間が、今、変容していくのだ。
2 自らの少年期の回想シーンを演出する映画監督
安定剤を砕き、ヨーグルトに入れながら、メルセデスに電話し、かかりつけのガリンド医師の診察を依頼する。
脊椎の痛みに今の薬は効かず、精神的にも不安定で、ヘロインの常用をガリンド医師に告白するサルバドール。
最後に吸引したのが一昨日だと、正直に吐露するのだ。
「この1日半、どのように対処を?」
「安定剤と鉄の意志で」
「強固な意志が必要です。ヘロインの効果は、なかなか忘れられない…多少、忙しいほうがいい。未練は何も?」
「毎日考えてます…今の私には、できない。それが一番の問題です…4年前、母が死んだ。2年後、背部の手術をした。どちらも、まだ立ち直っていない。助けてください」
ここで医師は、ヘロイン吸引のインタラプト(途絶)を求め、新しい薬を処方する。
サルバドールが、散歩に出ていくと、メルセデスは医師に喉の潰瘍の可能性を話し、CT検査を受ける必要があると伝えた。
ガリンド医師は、本人は無自覚でもあり、今は不安を取り除くために、それには触れないことにした。
死期が近いと感じている、母との会話を思い出すサルバドール。
「幼い頃の母の姿が甦(よみがえ)る」
「映画で、お母さまを描いてないわね」
「母が嫌がる」
「そう思う?」
「病院にいた時、そう言った」
(回想)
「いい息子じゃなかった」
「僕が?」
「そうよ」
「信心深い女性に託したことを恨んで、復讐した」
幼い頃、神学校の寄宿舎に入るのを拒否したことを言っているのだ。
「神学校へ行かせたのは、うちが貧しかったから」
「神学校はともかく、復讐したなんて」
「卒業資格を取ったとたん、マドリードへ。父さんが死んで…一緒に住もうかと聞いたら、言葉巧みに逃げたわ。私とは共有できない人生を送っているからって」
「…すまなかった。望んだような息子になれなくて…こんな僕に、母さんは失望したと。とても残念だ」
看過できない重要な会話もあった。
「私が、あなたをこの世に送り、上を目指せるよう、厳しくした」
「分かってる」
「村へ連れていって。最後の願いよ」
「分かった。一緒に村へ行こう…もう、失望させない」
(現在)
「約束を守れなかった。翌日、母は病院へ戻った…母は村で死にたがった。連れていくと約束した。それなのに、病院のICUで死んだ。独りぼっちで」
話は転じ、各地の招待状をサルバドールに示すメルセデス。
その中に、小さな画廊からの読書する少年の絵のチラシがあった。
サルバドールは、それに反応する。
少年時代に読み書きを教えていた、左官職人エドゥアルドが描いたものだったからだ。
(回想)
キッチンのタイル貼りをしに来ていたエドゥアルドは、読書していたサルバドールをモデルに絵を描き、仕上げは家ですると言う。
サルバドール少年をモデルに絵を描くエドゥアルド |
作業で汚れていたので、盥(たらい)に水を張り、裸になって体を洗い清めていく。
それを目撃したサルバドールは、タオルを持っていこうとして、その場で気絶して倒れこんでしまうのだ。
帰って来たハシンタが、サルバドールが日射病で倒れたことを知り、エドゥアルドを責めるのだった。
(現在)
CT検査の結果、喉の腫瘍ではないと判明し、フォレスティエ病(前椎骨縦靭帯が骨化)による嚥下障害(食べ物を上手に飲み込めない状態)と診断された。
その結果、手術で石灰化部分を切除する手術をすることになった。
危険はないと説明され、安堵するサルバドール。
手術を迎える前に、サルバドールはメルセデスを伴い、自分を描いたエドゥアルドの絵が展示されている画廊を訪れた。
画廊主に絵について尋ねると、バルセロナの蚤の市で買ったもので、作者は分からないと言う。
絵の裏に文章があると知らされ、それを購入したサルバドールは車内で読んでいく。
「学校の住所を知らないから、絵を家に送る。手紙を書けて、うれしい。君が教えてくれた。感謝してる。今は妻の伯父の店で働き、数字にも強い。君のおかげだ。街は快適だけど、洞窟が懐かしい。特に君のことが。僕を導く君の手を思い出す。学校で勉強し、本を読み、映画を観てるだろう。ビルバオの僕の住所だ。よかったら手紙を。君の生徒 エドゥアルド」
エドゥアルドの手紙を読み、涙ぐむサルバドール。
そして今、サルバドールは、脚本の仕事に精力的に取り組み、パソコンのキーを打ち続けていく。
パソコンのキーを打ち続けるサルバドール |
題名は「初めての欲望」。
かくて迎えた、サルバドールの喉の手術の日。
手術台の上で、医師と話しながら、麻酔で意識が遠のいていく。
ラストシーン。
それは、自らの少年期の回想シーンを演出する映画監督サルバドール。
映画監督サルバドールが、今、「初めての欲望」を演出する |
映画で挿入された少年期の回想シーンは、監督の復帰作である「初めての欲望」のカットだったのである。
演技を終えた母ハシンタ役のペネロペ・クルスと、子供役の少年 |
自明のことだが、エドゥアルドこそ、サルバドールの「性的指向」の初発点だったのだ。
3 冥闇なる物理的時間を穿ち、内的時間が動き出していく
言いたいことを全て台詞にする饒舌さが気になったが、その構成力は秀逸で、映画的構築力は出色だった。
且つ、その色彩感覚において、潤沢な作品でもあった。
―― 以下、映画批評。
この映画で最も重要なシーンがある。
フェデリコとの再会である。
以下、その時のフェデリコの言葉。
「…君の映画は、どれも僕の人生の“祝祭”だ。世界中の成功が誇らしいよ」
ここまで評価されたこと。
「中毒」の演劇を偶然に知り、それを鑑賞し、頬を濡らすフェデリコの思いには、単にノスタルジーでは済まない情愛を惹起させるのに充分過ぎた。
「性的指向」としてのバイセクシュアリティ(両生愛)を隠し込み、社会適応に成就したと思えるような幸福の日々を繋ぐフェデリコにとって、サルバドールとの再会は、蜜の味の香りに浸ることで、その豊饒(ほうじょう)な時間を再確認する至福の一時(ひととき)だった。
このことは、サルバドールにとっても等価であったが、その内実は、余りある情愛の再確認の含みを遥かに超えていたと言える。
二人が共有する時間の只中で、彼の内的時間が動き出していく。
苦痛に歪む日々を繋ぐ、冥闇(めいあん)なる物理的時間を穿(うが)ち、一筋の光明を見出す推進力になっていくのだ。
ヘロイン漬けを脱し、再起せんとする一歩 |
この再会をトリガー (契機)に、憂鬱なる映画作家・サルバドールが決定的に変容していくのである。
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憂鬱なる映画作家・サルバドール |
表現者としてのアイデンティティの復元の行程が開かれていったこと ―― これに尽きる。
だから、心身の復元こそが最強のテーマとなる。
興味深いシーンがインサートされていた。
主治医に吐露するメルセデスの言葉である。
「よく喉が詰まります。1時間前、病院に来る時、わずかな水に、むせて死ぬかと…消化器科の内視鏡検査で、食道を圧迫するしこりが。喉が詰まる原因ですが、何のしこりなのか…CTスキャンを受けろと。病院は腫瘍の可能性を捨てていません。どうすれば…」
サルバドールの心身の不調を最も案じ、思い遣るメルセデスの心情がひしと伝わってきて、深く感銘する。
この会話の前に、「歩いて来る」と言って立ち去るサルバドールのカットがあった。
一歩、前に向かっていくサルバドールの変容が垣間見えるが、ここで敢えて、彼はメルセデスに喉の問題を主治医に尋ねさせたとも思える。
メルセデスの性格を知り尽くしているが故に、自らが抱える疾病に対して敏感に反応する男にとって、これ以上の負荷を高めたくないという感情が、そこに透けて見えるのである。
それでも、自分は復活せねばならない。
そのために、自らの心身を蘇生させること。
これが絶対条件だった。
だが、それを自ら主治医に話す勇気がない。
だから、最も信頼するメルセデスに一任する。
かくて、蘇生したサルバドールは未来を見据え、身体疾駆していく。
これが、ラストシーンで明らかにされるのだ。
もとより、蘇生に向かうサルバドールの内的時間は、彼自身の行動によって開かれていった。
32年ぶりのアルベルトとの再会である。
不快を抑えられないアルベルトに、レストア(古典化)された「風味」の上演で、二人が舞台挨拶することを持ちかけたのだ。
それを受けるアルベルトはヘロイン漬けになっていて、流れの中で、その禁断の麻薬に手を染めてしまうサルバドール。
その強度の麻酔作用がサルバドールの痛みを緩和すると同時に、不眠症の男を心地よく眠らせてくれる効果が絶大だったので、ヘロイン漬けになる事態は必至だった。
しかし、サルバドールをヘロイン漬けにした舞台俳優のアルベルトは、「中毒」の上演のお膳立てをする決定的な役割を担っていく。
これが、サルバドールとフェデリコとの再会を生む。
この再会が、サルバドールの風景を根柢的に変えていくのだ。
要するに、アルベルトはサルバドールに対して、「善」と「悪」の双方をもたらしたのである。
特定他者に善悪をもたらす、物語の展開者としてのトリックスター。
これが、アルベルトの記号的な存在性を炙り出していた。
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ヘロイン漬けにして、舞台挨拶に出られないサルバドールの頽廃 |
映画でのアルベルトの役割は、この解釈で説明可能だろう。
―― 本稿の最後に、サルバドール監督が自伝映画を撮っているラストシーンについて。
粗筋で書いたように、回想シーンの全てが、「初めての欲望」という映画を撮る、サルバドーレの復帰作であったことが判然とする。
かくて、「回想パート」が、苦痛に歪む日々を繋ぐサルバドーレの「現在パート」のうちに回収されたのである。
よくあるトラップだが、映像総体から俯瞰すれば第一義的ではない。
サルバドーレの「現在パート」に収斂されることで、苦痛に歪む日々を繋ぐ男の時間が復元した〈現在性〉。
この文脈で、本篇の構造を把握できると、私は考えている。
(2021年11月)
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