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2023年9月22日金曜日

生きる('52)   黒澤ヒューマニズムの真骨頂  黒澤明



1  「わしは死ぬまでその、一日でも良い、そんなふうに生きて…死にたい」 
 

 

 


「これは、この物語の主人公の胃袋である。噴門部に胃癌の兆候が見られるが、本人は未だそれを知らない」(ナレーション)

 

その主人公とは、某市役所の市民課長を務める渡辺勘治(以下、勘治)。 

渡辺勘治

市民の陳情を受け付ける窓口で、黒江町(くろえちょう)の悪臭のする下水溜まりを公園にして欲しいという婦人会の女性たちの訴えを、市民課職員の坂井が勘治に伝える。 

坂井(左)

時間を潰すための仕事をしている勘治は、書類にハンコを押しながら、「土木課」と一言。 



役所では地位を守ること以外、何もしないのが一番いいのである。

 

一方、婦人連絡会(以下、婦人会)の女性たちは、市民課に言われた土木課から公園課、地区の保健所、衛生課、環境衛生係、予防課、防疫係、虫疫係、下水課、道路課、都市計画部、区画整理課、消防署、児童福祉係、市会議員、助役と、散々たらい回しにされた挙句、辿り着いた先が新しく設立されたという市民課だったことに憤慨する。 


「もういい!お前さんたちにはもう何も頼まないよ!どこ行っても人をバカにしてさ。民主主義が聞いて呆れるよ!」 


引き上げて行く女性たちに、市民課係長の大野から指示された木村が、課長が不在なので書類を提出してもらえないかと声をかける。

 

勘治は、あと1か月で30年間無欠勤という記録が達成できるところで役所を休み、病院へレントゲンを撮りに行ったのである。

 

待合室で、患者の一人が勘治に話しかけて来た。

 

「医者は大抵、軽い胃潰瘍だって言うんですよ。それからね、手術は必要ない。食事もまあ、あんまり不消化なものでない限り、好きなものを食べてもいい、こう言われたら、長くて一年」

 

男は更に、様々な身体の症状の具体例を挙げ、その場合はせいぜい3カ月だと話し、それを自覚する勘治は、恐ろしくなって落ち込んでしまった。 


順番で呼ばれた勘治は、レントゲンを診た医師に、開口一番に「軽い胃潰瘍」と言われ、ショックを受けて上着を落とす。

 

「正直に、本当のことをおっしゃって下さい。胃癌だとおっしゃって下さい」


「今、申し上げた通り、胃潰瘍ですから」

 

更に、手術は必要ない、好きなものを食べていいと言われたことで、勘治は胃癌と確信する。

 

勘治が帰った後、若い医師に「あの患者、一年ぐらいですか?」と聞かれた主治医は、「せいぜい半年」と答えるのだった。 



家に帰った勘治は、息子の光男と嫁の一枝が暮らす二階の部屋で、灯も付けずまんじりともせず座っていたので、帰宅して来た二人を驚かす。 


勘治がいることを知らず、一枝が新しい家を建てる話を持ちかけ、光男も父の退職金と恩給と貯金を計算し、「うんと言わなければ、別々に暮らすって切り出すんだね。それが親父に一番効くよ」などと話し合う夫婦の会話を聞かれてしまったのだ。 

「やだわぁ、私。あんな話、すっかり聞かれちゃって」(一枝)/光男(左)


勘治は早世した妻の遺影を見つめ、葬式の際に幼かった光男が不憫でならなかったことや、兄の喜一が光男が結婚すれば邪険にされると言われ、再婚を勧めてきたことなどを思い出す。 


火葬場に向かう父子と、兄夫婦/光男(前)、後部座席の左から勘治、たつ(喜一の妻)、喜一


その時、二階から光男に呼びかけられ、嬉しそうに階段を上がりかけると、戸締りを頼まれただけだった。

 

野球の試合で走塁でアウトになった少年期、盲腸の手術を受けた思春期、そして、学徒出陣する青春期の光男の思い出が頭をよぎる。 

ミスで泣く光男

手術に際して不安を訴える光男

学徒出陣の日の別れ


心の中で「光男、光男」と何度も呼びかけるが、現在の光男に言葉をかけることができない勘治は布団を被り、さめざめと泣き伏すのだ。 



勘治は役所へ行く振りをして、5日間無断欠勤していることが訪ねて来た坂井によって判明した。

 

一枝から電話で知らされた光男は、伯父夫婦の家を訪ねることになる。 


5万円を引き出していると話す光男に、道楽者の伯父は女でもできたんじゃないかと決めつけるが、伯母は4日前に勘治が来た際に、痩せて皮膚がかさかさして、他に訳がありそうだと、逆に光男に家で何があったのかと訊ねるが、思い当たる節がある光男ははぐらかす。 


当の勘治は、飲み屋にいた小説家に手持ちの薬を渡すと、酒を勧められるが、「飲んでも、みんな吐いてしまって」と言って胃癌であることを告白する。 

小説家

それでも自分の酒を口にする勘治に、小説家は「胃癌と分かっていて酒を飲むなんて、あんた、まるで自殺…」と言いかけて口ごもった。

 

「ところが死ねません。ひと思いに死んでやれ。そう思っても、とても死ねない。つまり、死に切れない。私はこの年まで何のために、その…」

「何か、深い事情がおありのようですな」


「いいえ。つまり、私が馬鹿者なんでして…私は、ただ、自分に腹が立って。私はつい2.3日前までは、自分の金で酒を飲んだこともありません。つまり、もういくらも生きられないと分かって、初めて、その…」


「分かります。しかし、酒は無茶ですよ。第一、美味いですか?」

「いやぁ、美味くは。しかし、時々は胃癌のことも、その、色々嫌なことも忘れますし、この高い酒を飲むなんて、今までの自分に面当てに毒を飲んでいるような…」

 

勘治は小説家に、ひと思いに5万円を使う方法を教えて欲しいと頼むが、小説家は、そのお金は使わず、今夜は自分が奢ると言うのだ。

 

【当時の5万円は、現在で150万相当】

 

「面白いなんて言っちゃ失礼なんですが、あなたは実に珍しい人物だ。私はね、つまらない小説を書いているいい加減な男ですが、今夜は全く考えさせられた。なるほど、不幸には立派な一面があるってのは、本当ですな。つまり、不幸は人間に真理を教える。あなたの胃癌は、あなたの人生に対する目を開かせた…あなたは、その年で過去の自分に反逆しようとしてるんだ。私はその反逆精神に打たれた…人生を楽しむことってね、これはあなた、人間の義務ですよ。与えられた生命を無駄にするのは、神に対する冒涜ですよ。人間、生きることに貪欲にならなくてはダメ…」 



早速、勘治は小説家に連れられパチンコ屋で時を過ごし、ビアホールから出ると歓楽街で帽子を盗まれ、派手な帽子を購入し、小説家の馴染みのバーからダンスホールへ辿り着く。 


踊り子に絡みながらぎこちない動きをしていた勘治は、ピアノ奏者に「いのち短し…」とリクエストする。

 

演奏に合わせ、低い声で『ゴンドラの歌』を歌い始めると、周囲の者たちが踊りを止めてしまった。 

「いのち短し 恋せよ乙女」


底抜けに弾けるダンスホールのスポットの体温を冷やしてしまったのである。

 

風俗の空気に水を差した勘治は、目からポロポロ涙を零しながら、最後まで歌い続けるのだった。 


小説家に連れ出され、ストリップ劇場で興奮した勘治は、街に繰り出すと奇声を上げ、ひしめき合うダンスホールで踊り、娼婦と車に乗り合わせるが、勘治は浮かれるどころか、吐き気で途中下車し、その後も落ち込んでいく様子を見て、小説家も頭を抱えてしまい、自らの限界を感じ取ったようだった。


 

程なく、昼間の街を歩いていると、部下のトヨ(「とよ」を便宜的に「トヨ」にした)に声をかけられた。 

トヨ


トヨは、辞表のハンコを得るために、勘治の家を探しているところだった。

 

「退屈。死にそうよ。毎日判で押したみたい。新しい出来事なんか、何も起こんない」

 

勘治が家へ連れて行くと、出勤するところだった光男夫婦は、突然、若い女性を同伴して帰って来た父の姿を見て驚き、一連の勘治の行動がこの女性と関係があると疑う一枝に対し、光男はそれを否定するが、自信を持ち得なかった。

 

真面目一方の父と共存してきた経験則を疑えないからである。

 

勘治はトヨを部屋に通すと、長年の役所勤めについての心境を吐露する。

 

「この30年間、役所で一体何をしたのか、いくら考えても思い出せない。覚えているのは、つまり、ただ忙しくて、しかも、退屈だったってことだけだ」


「私、勘違いしてたわ。課長がそんな話せる人だったなんて」

 

トヨの退職願にハンコを押した勘治は、自分の欠勤届の提出をトヨに頼む。

 

トヨは、役所では勘治の欠勤が「突然変異」だと評判にになっていると話した後、それを一蹴してしまう。

 

「構うもんですか。30年も無欠勤だったんじゃないの。半年ぐらいサボる権利あるわ」 


トヨと一緒に家を出た勘治を、二階の窓から窺う光男と一枝は、新しい帽子を被った勘治と腕を組み、ネクタイを直すトヨの振る舞いを見て、二人の仲を確信するに至った。 



トヨの穴の開いたストッキングを見て洋品店に連れて行き、喫茶店でケーキをご馳走する。

 

天真爛漫なトヨは、悪びれもせず、市民課の課員のそれぞれにつけたニックネームを披露すると、勘治は腹の底から哄笑する。 


流石に課長につけたニックネームは控えたが、勘治が聞きたがる。

 

「じゃぁ言うわ。“ミイラ”」

 

勘治はハッとして下を向くが、トヨが屈託なく笑うので、釣られて勘治も笑い出す。 



役所に辞表を出しに行くのを引き止め、トヨをパチンコに連れて行き、更にアイススケート、遊園地、映画と、あらゆる娯楽を一日中、共に楽しむのだ。 



すき焼き屋でも、食事を全く取らない勘治は、旺盛に食べ続けるトヨに、なぜ30年間、ミイラのようになって働いていたかを話し始める。

 

「みんな倅のためを思って…ところが、倅は全然そんなことは、少しも、その…」

「でも、そんな責任を息子さんに押し付けるのは無理よ。だってそうでしょ?息子さんがミイラになってくれって頼んだんなら別だけど…どうしたんですか?私になんかに息子さんの悪口言ったりして…やっぱり息子さんが一番好きなくせに!」 


「どうしたんですか?私になんかに息子さんの悪口言ったりして」



そう笑いながら言われた勘治は、嬉しそうに笑顔を見せる。

 

家に帰り、食後の団欒で、光男は新聞で顔を隠したまま、記事を話題にし、一枝は一言も話さず、勘治は口籠るばかり。 


光男に聞いてもらいたいことがあると切り出すと、一枝と目配せし、勘治の告白を遮ってしまうのだ。

 

女の話だと思い込んでいる光男は、伯父に相談してきたことを話していく。

 

「こういう問題はひとつ、後腐れないように事務的に済ませておきたいですな。例えば、お父さんの財産に対する我々の権利にしても、前もっていざこざのないようにしておかないと。現に、この4、5日の間、5万円も使わされてるじゃありませんか。今どきの若い女は…」


「光男、お前、何を…」

 

勘治が反論しようとしても、取り付く島もなく、激昂した光男は机を叩いて捲し立てていく。

 

「…あっさり、年甲斐もない放蕩を認めているんですよ!…大体そういう関係の女を家に連れて来るなんて、非常識過ぎますよ!」

 

一方的に責められた勘治は、言葉を失う外になかった。 


「この物語の主人公が、この椅子に座らなくなってから2週間立った。そしてその間に、渡辺氏に関する様々の噂や無数の憶測が生まれた。そして、その噂や憶測はどれもこれも、渡辺氏が大変馬鹿なことをしているという点では、完全に一致していた。しかし、当人にとって、この間の行動ほど真剣だったことは未だかってないのだ」(ナレーション) 

右から木村、小原、大野、坂井



勘治はトヨの勤める工場に押し掛け、遊びに誘うが、痛烈に拒否される。

 

「ここは市役所と違うのよ!一時間でできる仕事を、わざわざ一日掛りでやるなんて、そんなバカバカしいところじゃないんだから。ここでは一秒無駄にすれば、それだけ収入が減るのよ!」 


ここまで言われ、元気なく帰って行く勘治を不憫に思い、今夜だけということで、また会うことになった。

 

レストランで押し黙る勘治に、トヨが不満をぶつける。

 

「もうたくさん。この次はお汁粉屋、それから、お寿司屋かお蕎麦屋。ね、そんなこと繰り返して、何になるの?ご馳走になってこんなこと言っちゃ悪いんだけど、私、本当に参っちゃった。だって、お互いにもう話すことなんてないんだもの…またそんな顔して。本当のこと言うと、私、気味悪いわ。課長さんが…」


「…自分でも分からない。どうして、その、君の後ばかり追い回すのか。ただ、わしに分かっているのは…君、わしはもうすぐ死ぬんだ。わしは胃癌だ。ここにその…君、分かるかね。どうジタバタしても、あと、一年か半年だ。それが分かってから、急に、何かここがその…わしは子供の時、池で溺れかけたことがある。その時の気持ちそっくりだ。目の前が真っ暗。もがいても暴れても、何もつかむものがない。ただ、君だけ…」


「息子さんは?」

「息子のことは言わんでくれ!わしには、息子はおらん。独りぼっちだ…息子は、どこか遠いところにいる…思い出すだけも、かえって辛い」

「だって、あたしなんか、どうして?」

「しかし…君を見てると、なんか、ここが温かくなる…君は若い、健康で…つまり、君はどうしてそんなに活気があるのか、全く、その活気が…わしには羨ましい。わしは死ぬまでその、一日でも良い、そんなふうに生きて…死にたい。とても死ねない…何かしたい。ところが、それが分からない。ただ、君がそれを知ってる…教えてくれ!どうしたら君のように…」


「だって、私、ただ働いて、食べて、それだけよ!」

 

勘治を振り払い、トヨは工場で作っている動くウサギの玩具を見せる。

 

「こんなもんでも作ってると楽しいわよ。私、これ作り出してから、日本中の赤ん坊と仲良しになったような気がするの。課長さんも、何か作ってみたら?」

「役所で一体、何を?」

「そうね、あそこじゃ無理ね。あんなとこ辞めて、どっか…」

「もう、遅い…」 


勘治は俯(うつむ)き、涙ぐみ、考え込むと、突然、顔を上げ、にやりと笑うので、トヨは怖くなって反射的に避ける。

 

「遅くない。あそこでも、やればできる。ただ、やる気になれば…」 


勘治は玩具を手に取り、立ち上がって足早に去って行く。

 

「わしにも何かできる」と呟きながら階段を駆け下りる勘治に、他の客の誕生日パーティーでの“ハッピー・バースデー”の歌が降り注がれるのである。 


秀逸な構図だった。

 

翌朝、勘治が突然出勤して仕事を始めているので、市民課の面々は驚き、戸惑うばかり。 


勘治は堆(うずたか)く積まれた書類の中から、「暗渠修理及び埋立陳情書 黒江町 婦人連合会」の文書を大野に見せ、「本件は土木課へ回送すべきものと認めます」と貼られた付箋(ふせん)を剥(は)がし、市民課が主体となって他の課をまとめて、計画を進めていくことを指示する。 



早速、勘治は大野と主任の斎藤を引き連れ、実地調査に向かっていくのだ。 


 

 

2  「わしは人を憎んでなんかいられない。そんな暇はない」

 

 

 

映像は一転し、5か月後の勘治の葬儀の日を映し出していく。 


祭壇を囲んで通夜の席に、役所の上役とその部下、市民課・公園課・土木課・総務課らの面々が参列している。 


そこに新聞記者たちが押しかけ、対応した大野に、助役に会わせてくれと頼み込む。

 

「痛くもない腹を探られても…」と困惑する助役に、記者らが畳みかけていく。

 

「あの公園を作ったのは、表向きは市の公園課とあの地区の市会議員、それからあなたの尽力ってことになってますけど、本当は渡辺さんじゃないですか?専(もっぱ)らの噂ですよ」

左から大野、助役、マスコミ



「しかし君、渡辺君は市民課長なんだから。ところが公園を作る仕事は公園課の所管事項でね」

「それは分かってます。しかしですね、何度か立ち消えになりそうになったあの計画を、最後まで粘ってまとめ上げたプロモーターは誰かってことですよ」

「あの地区の人たちは、それは渡辺さんだって信じてますよ。その渡辺さんが、自分の作った公園で死んだことに異様な関心を持っていますよ」

「それは、どういう?」

「つまり、それ以前に色々疑問があった訳ですからね。例えば、あの公園の開園式の助役さんの祝辞にしても、あの中には渡辺さんのことは一言も出てこない…その時、渡辺さんは全く無視されて一番隅の席に座らされたっていうこと。要するに、そういう渡辺さんに対する一般の同情がですね、渡辺さんがあの公園で死なれたということに対して、特別な解釈を生み出したわけです。つまりあれは、市の上層部に対する無言の抗議だという風な」

「そうすると、渡辺君はあの公園で自殺とまでは言わなくても、覚悟のうえで凍死したとでも言うのかね?」

「ま、そうですね」

「夕べは雪が降っていたことだし、芝居なんかにありそうなことだ。でもね、実はね、渡辺君の死因は解剖の結果、はっきり分かってるんだよ。自殺じゃ勿論ない、凍死でもない、死因は胃癌だ。胃癌による内出血だ。渡辺君は突然、自分でも思いがけん時に死んだんだよ」 


助役は席に戻ると、押し黙って俯いている役所の面々に対し、既に引き払った新聞記者への苦言を呈する。

 

「新聞記者のものの考え方や神経は、これは、一般的に言えることだが、その役所というものについて無理解なのは困ったものだね…あの公園を作るには、渡辺君は大変な尽力をした。その熱意には全く頭が下がったよ。しかし、それは、あくまで市民課長という職権内のことでね。つまり、市民の要望を取り次ぐという、市民課の仕事を超えて、市民課長が公園を作ったという話は役所の機構を知ってる者にとっちゃ、全くナンセンスだよ」 


助役の話に同調して、笑みを見せて頷く役所の参列者たちの中で、市民課員の木村だけは反応しない。 

左から大野、斎藤、小原、野口、木村、坂井



更に助役は、自分たちの落ち度として、適当な功労者として公園課長や土木部長などを発表しておけば良かったなどと話すのだ。

 

この話を受けて、土木部長が、事情の入り組んだ市会(市議会のこと)を上手く捌(さば)いた助役が最大の功労者であると、へつらって見せる。

 

そこに、黒江町の婦人会の女性たちが訪れ、皆、次々に涕泣(ていきゅう)しながら焼香し、勘治の遺影に手を合わせ、心からの哀悼を示す姿を目の当たりにして、通夜の席は勘治の死の哀しみに包まれる。 



この様子を見て、光男は亡き父親の人格の芯に触れた思いだった。 



誰が公園建設の最大の功労者か言わずもがなの雰囲気の中で、助役や他の上役は罰が悪くなり、早々に通夜を後にする。 


残った役所の面々は勘治の祭壇を囲み、改めて故人を偲んで通夜の酒を飲み交わす。

 

「会議ですか?お偉方は」と市民課の野口が、大野に酒を汲むと、「うん」と一言。

 

「いたたまれないんですよ。誰がなんてたって、あの公園を作ったのは渡辺さんです。本当は助役さんたちも、それを感じている。だから…」 


木村が涙を浮かべながら物言いをすると、大野が「それは言い過ぎだ」と窘(たしな)めた。

 

それを契機に、それぞれが自分の解釈を開陳していくことで、侃々諤々(かんかんがくがく)の様相を呈していく。

 

「あの設計、予算、工事の施行は公園課がやったこと」と公園課の職員。

「市役所の人間のくせに、市民課長が公園を作れるなんて考えるのがおかしいよ。役所には縄張りというものがちゃんと…」と坂井。

「あの公園は誰が作ったと言えば、強(し)いて言えば、“偶然”だよ…選挙が目の前に迫ってなきゃ、あんな仕事担ぎ回る市会議員も出てこなかっただろうし、利権屋があの敷地に得意顔で鼻突っ込んでこなかったら、あれほどトントン拍子に進まなかったかも知れませんしね」と野口。

野口(左から二人目)


 

そこに、市民課の小原(おばら)が、首を捻りながら疑問を口にした。

 

「どうも分からないな。どういう訳で、渡辺さんの人柄が急にあんな風に…」 

「360日ジメジメしている」ので「どぶ板」という渾名をつけられる小原



ここから、公園建設の最大の功労者は誰かという話題と共に、5カ月前に勘治が急に人が変って仕事に邁進するようになったか、その原因を特定するために、記憶を辿る各自の話が展開していく。

 

「全く不思議だ」と大野が言うと、斎藤は、勘治が胃癌だと知ってたんじゃないかと指摘する。 

斎藤(手前)


大野が光男にそのことを聞き質すと、光男は否定した。

 

「さあ、知ってれば私に言わないはずはないと思うんです。しかし、自分が胃癌だと知らずに死んだことは、父にとって大変幸せだったと思うんです。何しろ、あの病気は死刑の宣告も同じですから」 


それに対して伯父(勘治の実兄)の喜一は、いつものように、勘治には若い女との艶種(つやだね)があり、「ホルモンの作用を受けて、一時的に若返ることがよくある」と言い切るや、それで人が変わったようになったと決めつけるのだ。 

喜一


「なるほど。そう言えば、随分派手な帽子を」と笑う大野に斎藤も同調するが、最も身近に勘治の仕事ぶりを見て来た二人は違和感を覚える。

 

あの日のこと。

 

土砂降りの雨の中、実地調査に向かった勘治が傘も差さず、汚泥の水溜りの中まで入って目を凝らして見回す熱意を思い起こし、「ただ、婦人のその影響だけでは説明がその…」と大野が喜一に疑義を呈する。 


公園課の職員は、その勘治の型破りの熱心さが、却って公園計画を拗(こじ)らせたところがあったと物言いをする。

 

「僕が一番不思議に思うのは、あの30年も役所の飯を食っていた人が、どうして…とにかくね、計画書を作って各課を説いて回ったのはまずかったんですな…へそを曲げるのは当たり前ですよ」

 

しかし、公園課長らが、それでも勘治の不思議な粘りに折れていったと言うのだ。 

公園課長の前で頭を下げ続ける勘治



職員の下っ端にも頭を下げて回ったり、婦人会の女性たちを引き連れ、助役に陳情に行ったりしたが、最も驚いたのが、助役室での出来事だったと回想する。 



「一課長が、面と向かって助役に楯突くなんて、恐らく市役所開闢(かいびゃく)以来の出来事だよ」と、大野が話し始めると、皆、驚いて固まってしまった。 

大野(右)と斎藤


野口(右)と坂井


勘治は助役に、新公園は見送るように突き放されたが、「是非…その…もう一度お考えを」と頭を下げ、「今、何て言った?」と凄まれても、目を見張って訴えかけて対峙し、その場から動こうとしなかったのだ。 

「今、何て言った?」




大野の話を聞いて、通夜の場は一瞬静まり返ったが、早々に、酒が進んで管(くだ)を巻き始めていった。

 

「そりゃ、無茶ですよ。役所にはちゃんと縄張りが…」と返す坂井。

 

同じ言い草を繰り返している。

 

「だって、あの後で、助役は考え直したじゃありませんか」と木村。 


彼だけは、勘治の熱意を純粋に受け止めている。

 

「あれは市会議員に突かれたんだよ。つまり、偶然さ。全ては君みたいに渡辺さんの熱意で割り切ろうとするのは、センチメンタル過ぎるよ」と野口。

 

彼の物言いにも変化が見られない。

 

ここで、どっと笑いが起こる。

 

「そうかな。僕にはそう思えません。とにかく、渡辺さんのあの熱意が通じないんだったら、世の中、闇ですよ!」

 

木村の一貫性も変わらない。。

 

木村は、勘治が書類を片手に、壁を伝(つた)って助役室へと歩く姿を目撃しているのだ。 


公園課員も、公園の工事現場で歩く勘治が転ぶ様子を見ていた。

 

婦人たちに抱えられ、座って差し出された水を飲む勘治は、建設中の公園を愛おしそうに、「目に入れても痛くない自分の子供か孫を見るような」眼差しで見渡し、至福の表情を浮かべていたのである。 



「当たり前ですよ。あの公園の育ての親は渡辺さんなんですから…誰がなんて言ったって、あの公園を作ったのは渡辺さんです」と木村。

 

この物言いを受け、野口が市会議員の話を持ち出し、上の方の出来事に勘治は全然関係ないと主張する。

 

ここで大野が、全然関係ないとは言えないと口を挟むのだ。

 

ヤクザが助役室の前で待っていて、勘治に「黙って手を引け」と迫り、その胸倉を掴んで脅すが、無言で一歩も引かず、薄ら笑みを浮かべる勘治の表情に、ヤクザたちも薄気味悪くなって手を出せなくなり、退散していったとうエピソードを披露したのである。 



酔いが回って口数も減ったところで、突然、大野が大きな声で、「渡辺さんは自分が胃癌だったことを知ってたんだよ!」と言い切った。 


大野が総務課へ2週間も通っても返答が得られないことに憤慨し、勘治に腹が立たないのかと訊ねると、「わしは人を憎んでなんかいられない。そんな暇はない」との答えが返ってきた。 


同じように斎藤も、空の夕陽を見上げ、「実に美しい。わしは夕焼けなんて、この30年間、すっかり…いや、しかし、わしにはそんな暇はない」と、自分を鼓舞するように歩き出したというエピソードを切り出した。 



その話を聞いて、皆、「やっぱりそうか」と納得する。

 

「そうか、渡辺さんは自分の命が幾許(いくばく)もないことを知って…そういう事情なら、渡辺さんの異常な熱心さも、あの並外れた行動も分かりますな。いや、ああなるのは当たり前かも知れん!」と野口。 


原因を特定できて納得できたようだった。

 

「そうだよ、君。そうなりゃ僕たちだってやるぞ、きっと!」と大野。

 

「僕だってやりますよ!」との声が上がり、酒の席が盛り上がるのだ。

 

「しかし、我々だって、いつポックリ死ぬか」

 

ここでまた、木村が水を差す。

 

酔いが回った小原が、「お前なんか、渡辺さんのマネなんか」と大野に絡む。

 

止めに入った斎藤が呂律(ろれつ)が回らない状態で、「渡辺さんは実に偉かった…渡辺さんに比べて、我々は…」と言いかけると、小原が「人間のクズだ」と一喝する。 


「どうせクズですよ。でもね、役所にだっていい人が入って来るんですよ。でも、長くいるうちに。僕だって昔は、こんな…」と坂井。

「あそこはね、何もしちゃいけない所なんだからね。何もやらないこと以外は過激行為なんだから」と野口。


「どこかの町内のゴミ箱片付けるのもですね、そのゴミ箱が一杯になるくらい書類が必要なんですからね」と斎藤。

「ハンコ、ハンコ、ハンコ」と坂井。

「あの複雑な仕組みの中じゃ…何か考える暇さえないんだから」と大野。 


ここで、グダグダと愚痴を言い合う大野らに、「バカ野郎!」と小原が哮(たけ)って、空気を一変させる。 



皆、気まずそうに下を向く中で、斎藤が振り返り小原に訴えかける。

 

「そんな何一つできないような仕組みの中でですね、しかも胃癌と闘いながらですね、渡辺さんは、あれだけのことを成し遂げたんだ」 


トヨによって、「何も特徴がない」ので「定食」と渾名される斎藤をして、ここまで言わしめるのだ。

 

坂井や野口も続く。

 

「それですよ、それを言いたいんですよ!僕は」と坂井。

 

「フワフワして中身が空っぽ」なので「こいのぼり」と渾名される男が、半べそをかいている。

 

「だから僕は腹が立つんだ!その渡辺さんがだな、何にも報いられることなく…その功績を横取りした奴は、人間じゃないよ!」

 

「あっちにベタベタ。こっちにベタベタ」するので、「ハエ取り紙」と渾名される野口も訴えるが、「助役とはっきり言え!」と、またも小原に一喝される。 


はっとする面々。 



「あの公園で、一人で寂しく死んでいく時の、渡辺さんの気持ち、どんなだろうと、僕は考えただけで…」と坂井。

 

「空気」という文化風土が、この国を規定していることを、観る者は否が応でも認知させられるのである。

 

 

 

3  いのち短し 恋せよ乙女

 

 

 

 

「世間」という名の「空気」が、決定的な落とし所に収斂される極めつけのシークエンスが待機していた。

 

誠実そうな警察官が弔問に参列したのである。 


件(くだん)の警察官が、公園に落ちていた勘治の帽子を届け、焼香をさせて欲しいと祭壇に上がって来た。

 

焼香だけして帰ろうとする警察官を喜一が引き止め、昨夜の出来事について話を聞く。 


それを受け、静かな物腰で吐露する警察官。

 

「実は、僕は昨夜、パトロール中に新公園でお会いしたんです…11時近かったです。ブランコに、しかもあの雪の中で。僕は酔っぱらいかと思って、いや、僕の職務怠慢です」 


そう言って頭を下げる警察官は、その時、目撃した勘治の意外な様子を話し始める。

 

「…しかし、あんまり楽しそうだったから。なんて言っていいか、その、しみじみと、歌を歌っておられた。そりゃ、その不思議なほど、心の奥の方まで沁み渡る声で…」



驚き、言葉を失う役所の面々。 



雪が舞う中、ブランコを漕ぎながら、『ゴンドラの歌』を歌う勘治が映し出されていく。 


いのち短し 恋せよ乙女

あかき唇 褪(あ)せぬ間に

熱き血潮の 冷えぬ間に

明日(あす)という日は ないものを


【ここでは、「明日の月日の ないものを」ではない】

 

その情景を想像しながら、しんみりと勘治に思いを馳せる参列者たち。 


もう、言葉に結べなかった。

 

廊下に出た光男が、一枝に話しかける。

 

「夕べな、階段の下に、俺の名前を書いた袋に入って、貯金の通帳と印鑑、それから、退職金の受領手続きの書類が置いてあったんだ」


「じゃぁ、お父さん、公園に行く前に…」

「でも、親父もひどいな。胃癌なら胃癌て、なぜ僕に…」

 

勘治の帽子を手にした光男は涙を滲ませる。

 

「おい、勘治のこれ(女)、来なかったじゃないか。あれ、本当にそうだったのかなぁ?」と喜一。 


この男の拘泥だけは最後まで変わらないが、ここにきて漸(ようや)く、訝(いぶか)る思いが発露された。

 

外部の第三者の出現によって生まれ、高揚された「空気」が、相互に影響し合って扁桃体を刺激し、情動反応を惹起させるのだ。

 

酩酊の極に達した参列者たちは、威勢のいい雄叫びを上げていく。

 

「断じてやるぞ!」と坂井。

「渡辺さんの後に続け!」と野口。

「渡辺さんの死を無駄にするな、ですな」と斎藤。

「生まれ変わったつもりでやるよ!」と大野。

 

「やるぞ!頑張ろう!」と大騒ぎの中、酩酊とは無縁な木村は一人、祭壇の前で、静かに勘治の遺影を見つめていた。 



こうして、様々な「空気」が混淆(こんこう)し、絡み合った通夜の夜が閉じていく。

 

一転して、市民課の仕事の風景。

 

市民課長に昇進した大野が、書類にハンコを押し、下水処理に関する陳情を取り次いだ坂井に、「土木課」と一言。 


相も変らぬお役所仕事の対応ぶりに、憤慨して勢いよく立ち上がった木村だったが、大野らの冷たい視線に、諦め顔で倒した椅子を元に戻して座り直すだけだった。 



ラスト。

 

橋の上から見下ろす勘治が作った公園では、子供たちが元気良く遊び回っている。 


我が子の名を呼び、「ごはんだよ」と迎えに来る母親



その様子をしばし見ていた木村は、萎え萎え(なえなえ) となして帰途に就くのだった。 


 

 

4  黒澤ヒューマニズムの真骨頂

 

 

 

渡辺勘治の逝去は呆気なかった。

 

勘治の通夜から開かれるのは、彼の関係者からの回想シーン。

 

これが他の作品を寄せ付けないほど断トツに面白い。

 

実相を把握できない状況下で、人間の変わりやすさが露呈される描写で埋め尽くされるからである。

 

その変わりやすさが、人間の変わりにくさで閉めるラストで反転する物語の構成力こそ、この映画の生命線だった。

 

限りなく相対化・客観化された物語の構造を分かりやすく提示する黒澤ヒューマニズムの真骨頂が集約されていて、的確に表現すべき言葉が見つからない。

 

―― 以下、批評。

 

社会心理学において、何某かのコスト(ここでは労力と時間)を負いながら、他者に利益を与える行動を「利他的行動」と言う。

 

欧米で活発なボランティアは、その典型例である。

 

このボランティアで明らかなように、私たちヒトだけが血縁関係のない他者に対して利他的行動を示す。

 

脳科学的に言えば、ヒト特有の利他的行動の神経回路網が形成されているからである。

 

この「利他的行動」を支えているものを、心理学では「温情効果」と呼んでいる。

 

即ち、血縁関係のない他者への援助行動が自分の喜びに昇華するという考えが、ヒト特有の利他的行動に貫流されているのである。

 

動機づけに基づく意思決定に重要な役割を果たしているのは、前頭葉の下部に位置する「前頭眼窩野」(ぜんとうがんかや)という脳部位の活動とも言われるが、この「利他的行動」が「自己効力感」を高めるのは否定できないだろう。 

前頭眼窩野


バンデューラが言う「自己効力感」とは、自己を信じる能力のこと。

 

「自己効力感」が高い人は困難な状況でも簡単には諦めず努力することができるから、ストレスフルな状況にも耐えられるのである

 

映画の渡辺勘治もまた、彼の「利他的行動」が「自己効力感」を高めていったと考えられる。

 

官僚生活の味気ない日々の累加によって、いつしか失われていった利他的観念を復元させるコアになったのは、言うまでもなく、「残り少ない生理的寿命」の認知にある。

 

凡庸な〈生〉で人生を終焉させる事態への違和感・恐怖感。

 

これが初老の男の魂を駆動させ、目まぐるしく変転させていったのである。

「わしは人を憎んでなんかいられない。そんな暇はない」


 

自我が自らの身体的・精神的状況に対して統御可能な状態にあること。

 

これが「人間らしさ」についての私の定義。

 

この「人間らしさ」と、如何に折り合いをつけていくかということ、即ち、「適応」への総体的過程。

 

これが「生きる」ということに対する私の定義である。

 

渡辺勘治が、埋(うず)もれていた「人間らしさ」という観念を復元させていく艱難な心的行程において、それと如何に折り合いをつけていくかという厄介だが、容易に逃れられない根源的テーマを突きつけられ迷妄し、煩悶する。

 

自己の現在的状況の不具合感を認知した時、何もかも変容していかざるを得なかった。

 

途方もなく険しい視界不良のカオスに捕捉されて、自己を追い詰めていくのだ。

 

既に、この心理的状態自身が、「人間らしさ」という観念を復元させていく彼の魂の駆動を約束させていく重要な初発点になっていると言える。

 

これが、繰り返されるナレーションという名の、「神の視線」とも思しき「第三者の視線」で客体化された構築的な物語の中枢にある。

 

かくて、自らが抱える負の現在的状況に対する、その「適応」への総体的過程こそ、「生きる」ことの全てと化していく。

 

受け入れ難い負の現在的状況の只中で、自己を満足させる何かを追って、追って、追い続けていくのである。

 

この艱難な「適応」への総体的過程の凄みが、男の全人格を駆動させていくのだ。

 

男の全人格の激しい漂動・振れ具合こそ、この映画の主線にある。

 

だから映画は、ヒューマニズムの本質を問う作品になった。

 

これも私の狭隘な定義だが、ヒューマニズムとは、自らを囲繞する状況から問題意識を抽出して、それを限りなく自己運動に発展的に繋いでいく人間的諸現象の総体と考えている。

 

自己の現在的状況に折り合いをつけられず、カオスの沼に嵌った男が、レジリエンスの欠片(かけら)を拾い上げていく内的時間の累加の果てに待機していたのは、「公務員」としての自らの在り方に対する疑念だった。 


これが、「在るべき自己」への回帰の起点になっていく。

 

妻に早世された空洞を埋めるために、我が息子・光男のために世俗の欲望と距離を置き、それに対して鈍感であり続けた男が世俗の欲望の沼に嵌り込んでいけなかったのは、無分別な行為の累積に馴致できない性向を形成してきたからである。

 

もう、この性向は修復不能だった。 


世俗の欲望に対する極端な鈍感さ=馴染みにくさは、当然ながら、世俗の世界から排除されていく。 



世俗の欲望で自らの心身を丸ごと消費できない人間が、その性向を変容させていくのは容易ではないのだ。 


「あなたの胃癌は、あなたの人生に対する目を開かせた…あなたは、その年で過去の自分に反逆しようとしてるんだ。私はその反逆精神に打たれた…人生を楽しむことってね、これはあなた、人間の義務ですよ」 


歓楽街で帽子を盗まれ、派手な帽子を購入して嬉々とする


パラレルワールドに存する小説家から、こんな風に褒め殺しにされた異界の住人の男が、生気に満ちた溌溂たるトヨからミイラと揶揄される所以であった。 


世俗の世界から弾かれても、男が現在的状況と折り合いをつける旅に出たのは、「人間らしさ」という観念を手に入れたからである。

 

「人間らしさ」とは、ここでは「自分らしさ」と同義になる。

 

だから、現在的状況に対する男の「適応」への総体的過程は、「自分らしさ」を手に入れる時間の旅と化していく。

 

30年間にも及ぶ役人生活によって摩耗した「自分らしさ」を取り戻す男の旅のコアにあるのは、悔いを残さない人生を生き切ること。

 

これも男の性向で説明可能だが、悔いを残さないために人生の後始末をつけて、逝くこと。

 

それは、男が初めて自らの職務に対する使命感を抱懐する「仕事」の遂行だった。

 

良くも悪くも、極端なほどに真面目で口下手なため、コミュニケーション能力というソフトスキルを持ち得ない男は、思いの具現化の手立ては、ひたすら身体表現のみだったが、この映画で最も重要な言語表現が吐き出されるシーンが想起される。

 

「わしは死ぬまでその、一日でも良い、そんなふうに生きて…死にたい。とても死ねない…何かしたい。ところが、それが分からない」 


トヨに対して、刹那的な人生を悔いる男の芯が、唯一、表現された描写である。

 

この時点で、男にとってトヨの存在は身体的な何かではなく、紛(まご)うことなく観念的な存在であることが瞭然とする。

 

十分なほど身体的だったトヨの存在の観念性。 


だから、男の通夜に参列することがなかった。

 

トヨとの短い交叉によって、向社会的行動の決定的契機を得た男には、男の疾病を知るトヨの存在は不要となる。

 

物語として不要となるのである。

 

「それが分からない」と吐露して手に入れた男の観念の旅の、それ以外にない自己完結的な人生の初発点が、トヨとの最後の交叉のうちに凝縮されていたのだ。

 

ここから、男の自己完結的な人生が利他的行動に振れていく。

 

ヒューマニズムの本質に迫る自己運動が開かれていくのである。

 

責任逃れのために、市議会議員や助役をも経由し、市役所内の各課ででたらい回しにされていた不衛生な場所を埋め立てて公園にするという住民の陳情を想起し、その観念を精神的推進力にして、没我の境地で難題突破に切り進む相貌が発現されていく。

 

「遅くない。あそこでも、やればできる。ただ、やる気になれば…」 


自らがイニシァティブを取って、弱り切った身体を駆動させていく反転的な昇華の旅に打って出るのだ。

 

然るに、どこまでも、悔いを残さない人生を生き切ることのみが、その観念の旅の収斂点だった。

 

余命を全人格的に生き切って、悔いを残さずに昇天する。

 

完成された公園で、男の薄命に寄り添うような「ゴンドラの唄」を腹の底から振り絞って歌い切って昇天する。 


これは本質的に自死である。

 

「自己効力感」を完璧に得て存分に消尽(しょうじん)した男の旅が、凍てつく冬に身を捧げ、ほぼ確信的に成就した瞬間だった。

 

市民課らの面々が、男の変容が「胃癌なら分かる」と口走る凡庸さは、その後の彼らが「お役所仕事」を繋ぐ風景を見せて閉じる物語のアイロニーによって検証されていくが、私も含めて、胃癌の激痛に耐えられず、疲弊し切って寝込んでしまうリアルに敵(かな)うはずがない。

 

実相が明かされないまま閉じていくことで、男の人生は殆ど「神の領域」に最近接し、アウフヘーベンしていく。

 

だから、徹頭徹尾、ヒューマニズムという幻影の限界に肉薄する理念性の高い映画になったが、黒澤ヒューマニズムの真骨頂が発揮された秀作を三度観直して、今回もまた泣かされてしまった。

 

個人的には、ヤクザと対峙する貧乏医師の物語「醉いどれ天使」の志村喬が好きだが、黒澤組の常連俳優の名演に酔い痴れる楽しみだけは蓋(けだ)し格別である。 

醉いどれ天使」より



(2023年9月)

 

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