1 「母さん、決めたの。あの女が捨ててったものの、一つ一つを拾っていこうって」
弾丸の雨の中、肺結核を病む陳文雄(ちんふみお)は、幼い娘・照恵(てるえ)を連れ家を出た。
照恵 |
置き去りにされた妻・豊子は、「台湾でもどこでも行っちまえ!くたばっちまえ!バカヤロー!死んじまえ!」と文雄を大声で罵倒し、地面に座り込む。
照恵は後ろを振り返り、その姿を見続けた。
現在。
大人になった照恵が、父の遺骨を求めて、かつて文雄が入院し、亡くなった病院を訪ねた。
照恵 |
昭和29年(過去)
照恵は結核が悪化し入院する父の病床に、“アッパー(父親)”と書いた父の似顔絵を貼りつける。
「字、書けるようになったのか」
文雄 |
頷(うなず)く照恵。
「一生懸命、勉強したもんな」と、文雄の友人の王(おん)。
その頃、照恵は文雄と一緒に台湾からやって来た王の家に預けられていた。
そこに王の身重の妻・はつが、2人の子供を連れて病室へ入って来た。
「病気が治ったら、故郷へ照恵を連れて帰るつもりだって話してた」と文雄。
「文雄さんとこ、地主さんだもんね…」
「サトウキビ畑がチョロッとあるだけです」
王(おん)とはつ |
文雄は引き出しから手鏡を取り出し、光を当て天井にぽっかり浮かんだ台湾島を映し出す。
「アッパー(父親のこと)の故郷は真ん中あたり。“沙鹿(そあら)”」
「そあら?」
「春になったら、アッパーと行こうな」
文雄は照恵の頬を撫でながら、優しく語りかけた。
昔の記憶を辿りながら、照恵は病院側の返答を待っていたが、火災で資料は焼失しており、手掛かりは何も得られなかった。
そんな折、印刷所で働く照恵の職場に娘の深草(みぐさ)から電話が入り、警察からの連絡で照恵の弟・武則が詐欺で逮捕拘留されたことを知らされた。
照恵は夫を亡くし、高校生の深草と二人暮らしをしているが、早速、深草を連れ、弟・武則の元へ向かった。
「ウソつきだよな。母さんって。“天涯孤独”なんてね」
深草(みぐさ) |
接見室で待っていた武則は2人の姿を見て、懐かしそうな顔をするが、照恵は一人で部屋に入り、冷ややかな態度をとる。
武則は15歳の時に家を飛び出したと言うと、照恵は一瞬、困惑した表情になった後、うっすら笑みを浮かべた。
「変わんねえな。困ったとき、嫌んなったとき、そうやって作り笑いする癖」
武則 |
武則は顔を背ける。
「あんたの父さん、中島のお父さんのお墓を見つけたわ」
「顔も覚えちゃいない」
「それから、和知(わち)のお父さんのお墓もやっと。あちこち訪ね歩いて。あとは、私のお父さん、陳文雄(ちんふみお)のお骨を見つけるだけ」
「今さら、どうしようっての」
照恵は何か言おうとして口にせず、立ち上がって帰ろうとする。
「今度来るとき、セブンスターを差し入れしてくれないかな、姉ちゃん」
「喜んじゃいないのよ、武則」
【照恵の母・豊子には3人の男がいて、最初は照恵を守るために豊子を捨て、逝去した陳文雄で照恵の実父。中島は2番目の男で武則の実父。現在の和知は3番目の男で子供はいない】
昭和30年(過去)
父が亡くなり、児童福祉施設に入所していた照恵を、豊子が迎えに来た。
豊子 |
バラックの家に連れて行かれると、照恵に新しい父親と、その父親の子(弟の武則)を紹介するや、豊子はさっさと仕事に出て行った。
武則の父・中島は、飴でも買ってこいと小銭を投げるが、照恵が拾おうとしないので、無理やり受け取らせ、「可愛くねえの」と呟く。
中島 |
外で洗濯をしながら、当時流行した『バナナボート』を機嫌よく歌う豊子を手鏡(父の遺品)に映して見る照恵。
「あんたなんか嫌いなんだから。弟じゃないもん」と、照恵は付いて来る武則に冷たく言い放つが、中島と寝るのを邪魔されたくない豊子に暗くなるまで家を閉め出され、「お腹が空いた」と言う武則の手を優しく握り、桟橋に並んで座って時が経つのを待つのだった。
昭和33年(過去)
中島に逃げられた豊子は、3番目の夫である和知(わち)が住む「引揚者定着所」での生活を始める。
「引揚者定着所」への引っ越し。右から豊子、武則、照恵 |
和知は豊子一人が来るものと思っていたのが、子供2人も一緒で困惑するものの、豊子には頭が上がらず、子供たちは豊子に強制されて「お父さん」と呼ばれることになり、満更でもなさそうだった。
和知 |
同じ住人の浴衣姿の子供たちに花火大会に誘われるが、照恵は豊子の顔色を窺い、恐る恐るお小遣いをせがむと、豊子は「手を出しな」と答える。
照恵は喜んで手の平を差し出すと、いきなりその手に吸っていたタバコを押し付けた。
悲鳴をあげ、「ヤダ、ヤダ!」と泣き続ける照恵に、豊子は「何様だと思ってんだ!」と虫の居所が収まらず、友達の目の前で狂ったように激しく照恵を棒で叩き、和知が止めに入るが構わず「泣くんじゃないよ、うるさい!」と叫び、虐待し続ける。
武則はぽかんと口を開けたままで、誘いに来た女の子は恐ろしさで失禁してしまう。
その後も毎日のように照恵に対する虐待は続き、文雄の形見の手鏡で遊んでいるのを風呂から帰って来た豊子に見つかり、それを取り上げられ、照恵は廊下で住人が見ている前で思い切り蹴られ、髪を引っ張られ、叩かれる。
豊子は汚れた手や、乱れた顔や髪を気にし、照恵を呼んで髪を梳かせる。
「早く」とおねだりするような声で促し、「上手だねぇ…気持ちいいよ」と優しい言葉をかけ、機嫌よくバナナボートを口ずさむ豊子の髪を梳(す)きながら、褒められた照恵も嬉しそうな笑みを湛える。
またいつものように虐待が始まると、すっかり慣れてしまった和知は、廊下から「顔ぶっちゃダメですよ、女の子なんだから」と声をかけるのみ。
思い切り柱にぶつけられ瞼を腫らした照恵の顔を見て、「この顔は使えますね」と、似非(エセ)傷痍軍人を生業とする和知は、照恵を一緒に街角に立たせ、物乞いをさせる。
そして、普段より実入りが良かったので、武則と照恵にかき氷をご馳走するのだった。
現在。
以下、照恵と深草の会話。
「あのさ、なんかこの頃、こそこそしてない?友達とさ、なにそんな話すことあんの?そんなに仲良かったの?」
「まあね」
「友達って男?」
「バカ」
「怪しいよな、出かけてばっかりで」
「隠しごと、止めてほしいんだけどな。お母さん、私、詐欺師の叔父さんのとこ、行って来ちゃった」
「ウソ」と、驚いた表情の照恵。
「ウソ」
「怒るわよ!」
「顔色変えちゃって。やっぱり母さん、隠しごとしてる」
「してないわよ」
「ずるいよ、それって」
「深草には関係のないことなの!」
深草は立ち上がって、部屋を出ていこうとする。
「どこ行くのよ!」
「関係ないでしょ」
「深草!」
「ウソつき!ウソつきの母さんと一緒にいたくない!」
「いい加減にしなさい!」
答えない照恵。
「もしかして、私と母さんって、本当の親子じゃないんじゃないの?」
反射的に深草の頬を叩く照恵。
娘に初めて手を挙げた瞬間だった。
自分でも驚いた表情の照恵は、作り笑いをして誤魔化すのだった。
「なんで、こんな時に笑うの!母さんて、すげぇ嫌なヤツ!」
そう吐き捨て、深草は出ていった。
過去。
豊子の虐待は止まらない。
夜中に帰って来た豊子は照恵を階段に連れ出して、「飛んでみな」と命じるのだ。
拒む照恵を強引に階段の手前に連れ出し、飛ばそうとするが、二人とも落ちてしまう。
驚いて階段に集まったアパートの住人に向かって、罵倒を止めない豊子。
和知はその後、豊子と子供たちのために就職先を見つけ、中学校に入る照恵のために制服を買って来る。
それを嬉しそうに受け取った照恵は、豊子に「着て見せてあげな」と言われるが、年頃の照恵が着替えるのを躊躇(ためら)っていると、激昂した豊子が棒で照恵の額を叩き、噴き出した血が自分の服についたことを気にする豊子に、照恵はこれまで抑えていた疑問を投げかけた。
「脱げって言ってんだろ!」 |
「何で私を施設から引き取ったんですか?」
「しょうがないだろ!孤児院なんて、みっともなくてさ」
「私のこと、可愛いかったから引き取ってくれたんでしょ?」
一瞬、手が止まり、一点を見つめる豊子。
「そうでしょ?母さん」
「産みたくなかったんだよ、お前なんか。産みたかなかったんだよ!強姦されたんだよ。強姦されてできたんだよ!しょうがなくて、産んだんだよ!」
「でも、可愛かったんでしょ!」と抱き付く照恵を、「可愛かないよ!」と突き飛ばし、更に棒で叩こうとする豊子を、和知と武則が止めに入る。
その夜、照恵は包丁を喉に突き刺そうとするができず、手鏡に作り笑いの顔を映す。
「アッパー、迎えに来て。泣かないから、もう、泣かないから、迎えに来て。死んでないで、迎えに来て」
和知家の墓参りをする照恵と娘の深草。
「和知のお父さんの墓を見つけた時、母さん、決めたの。あの女が捨ててったものの、一つ一つを拾っていこうって」
そして、照恵は深草と共に、文雄の故郷・台湾のソアラへと向かうことになった。
台湾へ到着し、日本語が話せるタクシー運転手・林(りん)が役所に問い合わせ、文雄の親族の住所が判明する。
昭和39年(過去)
戸籍謄本がなくても就職できる会社に事務員として入社した照恵が、初任給を受け取ると、不動産屋で一番安い家賃のアパートを探し、家を出るという希望に胸を膨らます。
しかし、家に帰ると、店に出かける支度をした豊子が照恵の給料を渡すように手を伸ばし、躊躇する照恵の頬を思い切り叩き、給料袋から全額抜き取り、自分のバッグに入れる。
それに対し、作り笑いをする照恵の顔を見るや、また激しい虐待が始まった。
和知は顔はいけないと言いながら、意に介さず、自分の仕事を続けている。
外の水道水で手の血を洗い、口から折れた歯を吐き出す。
「ついてない。ついてない」
独り言を言いながら笑みを浮かべる照恵を見つめる武則。
現在。
林が文雄の兄に連絡を入れておいたので、タクシーが到着すると、多くの親族一同が二人を出迎えた。
「台湾人は血の繋がりを大事にするんですよ」と林。
日本語を話す伯父・ヨウセイが照恵に挨拶し、握手をすると、一斉に拍手が起こる。
会食で照恵がヨウセイに文雄の遺骨について訊ねるが、日本に取りに行くことも、友人が持ち帰った形跡もなく、台湾にはなく、多分日本だと話す。
そして、文雄と一緒に日本へ渡った知り合いを訪ねるようにと言って、末息子の志明に案内させることになった。
志明 |
早速、志明と共に次々と手帳に書かれた文雄の友人を訪ねて歩き回るが一向に見つからず、痺れを切らす深草は、志明に食って掛かる。
「そのメモって、本当にお祖父ちゃんと関係持った人たちなの?手掛かりのない人ばっか。なんか、わざとみたい」
照恵は深草を窘(たしな)め、帰国までの数日間を少しでも多くの友人を訪ねることに専念しようとする。
過去。
万引きで捕まった武則を交番に迎えに来た照恵。
「うんとお金を稼いだら、アパートだって借りられる。そしたら、二人で住もうか」
給料日に、照恵は給料袋から紙幣を抜き、家に帰ると、またも引っ越しのトラックに荷が積まれていた。
豊子に給料袋を渡すと、足りないと言って、豊子は更に照恵を叩いてバッグを奪うのだ。
ここで照恵は初めて反撃し、豊子を突き飛ばして給料袋を取り返し、走って逃げるが車の横断に阻まれ捕まってしまう。
照恵の髪を掴んで放そうとしない豊子を、走って来た武則が捕まえ、照恵から引き離す。
「行きなよ、姉ちゃん!一人で行っていいから、早く!」
照恵は一瞬躊躇い、武則を見つめるが、尚も武則に促され、一目散に走って逃げていく。
照恵が実母と物理的に訣別する瞬間だった。
2 「あんたが生まれた時、あたしは嬉しかった。幸せだった。だから、もういいの。やっと、母さんにサヨナラが言えたよ」
現在。
台湾で占いをする照恵に、志明は、「無駄なことを止めた方がいいかも知れない」と言い出す。
「お骨探しなんて、父はどうだっていい。あんたたちを早く日本に返したいんだ」
文雄のサトウキビ畑を勝手に売ったヨウセイは、責められるのを気にし、照恵が孤児院にいたことも知っていたのに何もしなかったのだった。
しかし、ヨウセイは「戦後農地改革でわずかしか残らなかった先祖代々の土地を守ってきたのだ、奪ったわけではない」と反駁(はんばく)する。
ヨウセイ |
照恵は土地のことはどうでもよく、文雄は故郷に帰りたかっただけだと言い、これ以上の関わりを拒否する。
その夜、志明がホテルを訪ねて来て、探していた文雄の友人・王の住所を受け取り、早速、照恵たちは王の家を訪ねた。
昭和22年(過去)
文雄と王は、日本にやって来て、強姦された豊子に遭遇し、文雄は豊子を連れて、風呂に入れ、服を与える。
王の店の2階に住む文雄の元を一旦去った豊子は再び戻って来て、二人は結ばれた。
現在。
王の家で歓待される照恵は、自分が強姦されて生まれたということを訊くと、王とはつは笑って作り話だと否定する。
「文雄さんと豊子さんの子よ。間違いなく」
はつは、豊子が子供ができるのを嫌がって、堕ろそうとしていたと言う。
過去の回想。
「子供できたら、嫌われる。あたし、見捨てられる、きっと」
そんな豊子を案じる文雄に、豊子は「ずっと私のそばにいて。あんたじゃなきゃ、ダメなの」と、しがみつく。
文雄は手鏡で台湾を映し出し、豊子と生まれてくる子と3人でいつか台湾へ行こうと語る。
「どこまでも、どこまでも、青々とした空と緑のサトウキビ畑が広がって…」
しかし、子供が産まれても豊子の気性は変わらず、幼児期の照恵に対する虐待の現実を間近で見て、文雄は病気にも拘らず、幼い照恵を連れ家を出たのだった。
現在。
「私が思うに、豊さんも子供の頃、何かあったんじゃないのかね…私たちは結局、文雄さんが亡くなる前の年にバタバタと台湾に移ることになっちまって、死に目に会えなくて」
本当は照恵を引き取りたかったが叶わず、ずっと気にかかっていたと言う。
「自分の娘を日本に捨ててきたようでね」
そう言って、はつは照恵を抱き寄せる。
日本に帰国した照恵は、再び役所を訪れ、文雄が日本国籍を取得していなかったのなら、外国人登録課で調べるように言われ、そこで登録済証明書が見つかった。
照恵が文雄の遺骨を探していると申し出ると、今度は死体埋葬許可書を調べ、ようやく文雄の遺骨が保管された寺が判明し、早速、その寺を訪ね、住職に供養をしてもらい、照恵は遺骨を受け取った。
「やっと見つけたよ、アッパー」
寺からの帰途、深草は遺骨を持ってお祖母ちゃんに会いに行こうと言い出す。
深草は照恵に内緒で、密かに収監されている叔父に会って、祖母の居場所を知っていたのだった。
「お祖母ちゃんは、お祖父ちゃんのこと、好きだったんでしょ?好きで好きでたまんないから、独り占めしたかったんだよ、きっと…」
「もう、いい!」
「母さんだって、本当は分かってるんでしょ?母さんは、遺骨を探す旅をしてたんじゃなくて、お祖母ちゃんを探してたんでしょ?」
照恵は返事をせず、幼い照恵が降り頻る雨の中、文雄に連れられ家を出た時の、罵倒する豊子の姿を思い浮かべるのだった。
「バカヤロー!死んじまえ!どうしたらいいの。これから先、あんたなしで、どうしたらいいのよ!あんた!一人にしないで。怖いよう!怖いよう!」
照恵は、拘留されている武則を訪ね、豊子に会いに行くつもりだと話す。
「万事解決ってわけか」
「恨んでる?あたしのこと。あれっきり」
「そんなことない…もう、来なくていいよ。俺と会って昔話したって、楽しかないだろうしね」
照恵は立ち上がり、セブンスターを吸いたくなったら、連絡をよこすようにと告げる。
「ああ、そうするよ」
雨が降り頻る港町のバス停を降りた照恵と深草は、「トヨコ」という美容室を見つけた。
そこに傘を差した初老の豊子が歩いてきて、店に入って行く。
緊張した面持ちの照恵は、「ごめんください」とドアを開けた。
吸っていたタバコの火を消した豊子は、「いらっしゃいませ」と迎える。
じっと豊子の顔を見つめる照恵は、「どうぞ」と言われ、椅子に座り、前髪のカットを頼む。
「あいにくの雨ですね。全く、嫌になっちゃう」
どれくらいカットするかを聞き、前髪を持ち上げた瞬間、額の傷を触った豊子は、客が照恵だと気づく。
そのまま黙ってカットする豊子に、照恵が話しかける。
「子供の頃、美容師になりたかったんです。母に、たった一つだけ褒められて。髪を梳くのが上手だって。それがとっても嬉しくて」
無言のままの豊子は、切り終わると、鏡に映る照恵の顔を一瞥する。
「2000円いただきます」
立ち上がった照恵が何かを言おうとすると、雨に濡れた豊子の男が帰って来て、「いらっしゃい」と言いながら、奥の部屋へと入っていった。
照恵は金を払い、豊子の顔を真っすぐに見つめ、「どうぞ、お元気で」と頭を下げ、店を後にした。
豊子は店を出て、照恵の後姿をいつまでも見続けるが、照恵は決して振り向くことはなかった。
帰りのバスの中。
「何で言わなかったの?」
「あたしの母さんは、17の時に死んだのよ。酷い母親だった。毎日殴る蹴るで…でも、殴られても蹴られても、母さんのことが好きで好きで、たまんなくて。でも、もういいの。あんたが生まれた時、あたしは嬉しかった。幸せだった。だから、もういいの。やっと、母さんにサヨナラが言えたよ。おかしいでしょ。あんな酷い母親に、可愛いよ、お前のことが可愛いよって、言ってもらいたかったなんて」
「可愛いよ、母さん」
「バカ。深草、母さん、泣いてもいい?」
「いいよ」
照恵は止めどなく溢れる涙を抑え切れずに号泣する。
ラスト。
広大なサトウキビ畑の道に立つ照恵と深草。
タクシー運転手の林も手伝い、サトウキビを刈って、文雄の墓所を開拓する。
満面の笑みの照恵は、大空を見上げて深呼吸し、開拓作業に勤しむのだった。
3 虐待サバイバーからの生還者
ここで言う母と娘とは豊子と照恵の関係ではなく、照恵と深草との関係である。
「天涯孤独」と言っていた母・照恵の過去の秘密を知った深草は、なお秘密を明かさない母に苛立ち、言い争いになってしまう。
この確執が「もしかして、私と母さんって、本当の親子じゃないんじゃないの?」という言辞に結ばれた時、娘の頬を叩く照恵の行為を炙り出してしまった。
もう、これ以上、隠しごとができなくなった照恵がなお、秘密を守り続けたのは、「虐待サバイバー」(虐待を受けて育った人)だった日々の記憶と向き合う勇気が足りなかったからである。
母に強い愛情を持ち「本当の親子」であることを疑っていない深草は、自ら叔父の武則に会いに行き、祖母(豊子)の住所を聞き出していた。
その時、母が「虐待サバイバー」であった事実を知ったに違いない。
このことで、「なんで、話してくれないの?なんでウソばっかつくの?」と言って、母に迫った自分の行為を自省したのだろう。
照恵もまた、娘に手を出した行為を自省する。
その直後の校内での競泳レースのシーンを見に行った照恵は深草に謝罪するが、深草は「謝んないでよ。母さんのそういうとこ嫌い」と笑って答えるのだ。
帰途、自転車の荷台に乗って娘に甘える母の構図こそ、幸福な日々を繋ぐ母子家庭の、何よりも柔和な時間を構築した照恵の人生の結晶点だった。
だからもう、「虐待サバイバー」だった日々の記憶と向き合う必要もなかった。
そんな照恵が娘を随行し、過去に向き合ったのは、愛する父の遺骨探しの旅。
これだけは片づけなければならなかった。
父と共生するはずだった台湾のサトウキビ畑で、父の墓所を開拓していくこと。
この旅の本質は、かくて自らが負った過去の忘れ得ぬ記憶の束を清算して、「再生」していくための時間になっていく。
しかし、忘れ得ぬ記憶の束には、そこだけは向き合いたくなかった母・豊子との、果てしがないほどの負の時間が張り付いている。
それは、「再生」するには決してスルーできない難儀で辛い記憶だった。
回避できないのは、十分、分かっている。
しかし、重い。
照恵が背負っている負荷を感じ取っていた深草は、悪びれた様子もなく言い切った。
「母さんだって、本当は分かってるんでしょ?母さんは、遺骨を探す旅をしてたんじゃなくて、お祖母ちゃんを探してたんでしょ?」
動揺を隠せない照恵は、無言を貫きながら、あの日のことを想起する。
幼い照恵が父・文雄に連れられ家を出た時の、号泣、罵倒しつつ追って来る豊子の哀れな姿。
「あんた!一人にしないで。怖いよう!怖いよう!」
とりわけ、最愛の文雄に対する占有状態が崩れる事態を怖れて、子供を産むことを拒ぶ女だったから、産まれた女児・照恵に対する容赦ない虐待が開かれていく。
「子供できたら、嫌われる。あたし、見捨てられる、きっと」
この独占感情が豊子の中枢を揺り動かしているのだ。
かくて照恵の誕生は、まさに「約束された虐待」と化していくのだ。
遂に見かねた文雄がその照恵を連れ、豊子の元を去っていく。
文雄の死後、照恵を施設から引き取ったのは、自分を裏切り、捨て去ったと決めつける文雄への報復以外ではなかった。
自らが被弾したダメージを解消するための暴力的返報が、17歳になるまで日々、続いていったのだ。
「産みたくなかったんだよ、お前なんか。産みたかなかったんだよ!強姦されたんだよ。強姦されてできたんだよ!しょうがなくて、産んだんだよ!」
豊子のこの言辞は、典型的な精神的虐待だった。
この関係から、何が生まれるというのか。
それでも、瞬時、救われる時間もあった。
照恵に髪を梳(す)かせる時だ。
然るに、この瞬時のハネムーンは長く続かない。
DVには、「緊張」⇒「暴力」⇒「ハネムーン」というサイクルがある。
これをDVサイクルと言う。
瞬時の「ハネムーン」が終焉したら、新たな「緊張」が待機しているのだ。
それは何でもよかった。
虫の居所が悪かったら、もう「暴力」の予兆となって、炸裂する。
手が痛くなったら棒を使って殴る蹴るを繰り返す。
疲れるまで暴れ捲る。
階段から落とすことまで考え、それを実行するのだ。
そこに殺意の片鱗すら垣間見えるから、救いようがなかった。
それでも、恐怖突入せねばならなかった。
恐怖突入なしに、忘れ得ぬ記憶の束を清算して、「再生」していくための時間を拓くことなど成し得ないのである。
豊子の翳(かげ)りを感じ取っていたから、自分を助けてくれた異父弟・武則にも会いに行くこともなかった。
「恨んでる?あたしのこと。あれっきり」 |
その所在も調べようとしなかったのである。
しかし、武則とも会った照恵は今、恐怖突入してブレークスルーしていくのみ。
母のブレークスルーの後押したのは、紛れもなく、怖いもの知らずの深草だった。
屈託がなく、溌剌とした青春を謳歌する深草の存在は、母・照恵にとって、絶対に失いたくない天使だった。
この天使を随行して、照恵は駆動する。
恐怖突入するのだ。
これ以上、書く必要がないだろう。
映画が、全て語ってくれるのみ。
「あんたが生まれた時、あたしは嬉しかった。幸せだった」
この照恵の言葉こそ、物語の生命線だったことは自明である。
―― 最後に、気になったことを書いておきたい。
「酷い母親だった。毎日殴る蹴るで…でも、殴られても蹴られても、母さんのことが好きで好きで、たまんなくて」
この照恵の言葉に違和感を覚える。
殺意さえ持っていたとも思える豊子に対して、「母さんのことが好きで好きで、たまんなくて」という表現に違和感を覚えるのだ。
照恵が豊子の髪を梳くことを好むのは、この時だけは豊子の機嫌が良くなるのを経験的に知悉(ちしつ)しているからであって、その時間だけが豊子の暴力から逃れ、恐怖からの瞬時の解放を得られるからである。
だから豊子の髪梳きは、照恵の自我防衛の唯一の手立てだったということに尽きる。
「母さんのことが好きで好きで、たまんなくて」という表現が、「愛を乞う人」(原作では「愛乞食」と表現)というタイトルに収斂されるだろうから、牽強付会(けんきょうふかい)の台詞のように思えてならないのである。
【余稿】 虐待サバイバーからの生還者
読売新聞の投稿サイト「発言小町」には、虐待サバイバーの人たちのリアルな寄稿が多く紹介されているので、その中に、比較的に共通し得る一文があったので、それを掲載しておきます。
「今の主人と結婚してから随分精神的にも安定して来て、自分の人生の中で、今が一番幸せだと思えます(子供は居ません)。(略)それまでは母親に対する恨みと復讐してやりたいという気持ちで、時々叫びだしたくなるような怒りと苦しみが自分の中にありましたが、最近はもうそれ程気にならなくなって来ました。勿論許してはいませんけどね(笑)。虐待する親って全く反省しないんです。苦しい気持ちや恨みの気持ちが全く無くなる訳では無いけど、でも段々と薄れて行きます」(「発現小町」)
「今が一番幸せ」と思えるか否か、それが全てであるということ。
まさに、物語の現代篇の母娘こそ、虐待サバイバーからの生還者であるだろう。
(2025年7月)
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