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2022年6月3日金曜日

蒼然たる暮色に閉ざされながらも、〈今〉を生きる母と子の物語 映画「梅切らぬバカ」('21)  和島香太郎

 



1  「このまま、共倒れになっちゃうのかね…やっぱり、母ちゃんと一緒の方がいいよね?」

 

 

 

庭で母・山田珠子(たまこ)に髪を切ってもらっている、息子の忠男(愛称・チュウさん)。 

珠子と忠男


ハサミを入れる度に怯(おび)えて反応する忠男だが、隣の家に荷物を運ぶ引っ越し業者に気を取られている。 



その業者は、珠子の敷地から通路に伸びた梅の木の枝が邪魔で、転倒して荷物を散乱させてしまう。

 

「あれ、どうにかして欲しいよな」

 

梅の木を指差して、隣に引っ越して来た里村茂(以下、茂)が妻・英子(えいこ)に文句を言う。 

左から茂、草太、英子


目覚まし時計が鳴り、「6時45分」と言いながら飛び起きる忠男。 


数分単位の時間を気にしながら、朝の支度をするのだ。

 

珠子に言われ、30回数えながらを朝ご飯を食べ、電動カミソリで髭を剃ってもらい、歯磨きをする。 

30回数えている

電動カミソリを怖がっている


全て決まった時刻通り、規則正しく事を運んでいく忠男は、もうすぐ50歳になる自閉症者である。

 

一方、隣家の茂は、登校初日の草太(そうた)と共に家を出ると、家から出て来た忠男に挨拶をするが、目を合わせることなくスルーされる。 

大切な梅の木の下を反(そ)り返って歩く忠男


「なんだ、あいつ」

 

不審がる茂だったが、英子に頼まれたゴミを出すので、草太に言われ、忠男のゴミ出しに後からついて行く。

 

ゴミ捨て場で、茂が捨てたゴミ袋を忠男が取り出し、中身を確かめようとする。

 

すると、自治会長がやって来て、中に燃えないゴミがあることを指摘された茂。

 

「お隣さんでしょ?うまくやっていけそう?」 

自治会長(左)


自治会長に訊ねられた茂は、「特に付き合うつもりもないし」と答えるのみ。

 

忠男は道すがらの乗馬クラブで、いつものように「ヒヒヒヒ~ン」と声をかけ、ポニー(小形の馬)を驚かしてしまう。 

常に「フラッピング」(手を羽ばたかせるような仕草)している(自閉症特有の症状)


そのポニーを「怖かったね」と言って撫でながら、忠男を牽制するオーナーの今井。 

今井(左)


忠男が向かった先は福祉作業所で、そこで箱作りの作業をしているのだ。 

福祉作業所での忠男(左)


英子が珠子に引っ越しの挨拶に訪れると、外に女性たちが順番待ちをしていた。 



珠子はカリスマ占い師。 



仕方なく英子も順番を待ち、初めて燐家に上がり、珠子に挨拶を終えると、帰り際に梅の木が危ないと伝え、了解する珠子。

 

英子は亭主関白な夫の指示に愚痴をこぼしながら、英子は燐家を訪ねたのである。

 

一方、作業所を訪ねた珠子は、忠男の入所先のグループホームを紹介されるが、踏ん切りがつかないでいた。 

福祉作業所の責任者(右)はグループホームも運営している


忠男の誕生日のお祝いに、福祉作業所からケーキをプレゼントされ、家でハッピーバースデーの歌を一緒に歌い、祝う。 


歌の途中で、立ち上がり、ろうそくを吹き消してしまう忠男。

 

電気をつけると、忠男は呻き、ぎっくり腰で動けなくなってしまった。

 

珠子が巨体の忠男を抱えて歩こうとするが、二人で畳の上に倒れ込んでしまう。

 

「このまま、共倒れになっちゃうのかね…チュウさん、ここ離れて、暮らせる?…やっぱり、母ちゃんと一緒の方がいいよね?チュウさん、どうしたいの?」


「お嫁さん…」

「お嫁さん、もらう?」

「もらいます」

「チュウさん、前からお嫁さんもらうって言ってたね。母ちゃんが一緒にいたんじゃ邪魔だね」

「はい」

 

呆気なかった。

 

ぎっくり腰が治り切らない忠男と珠子は、互いに杖をついて、入所するグループホームの部屋を見にやって来た。 



前の入所者は地域でのトラブルで退居したと聞いた珠子は、地域の説明会に出席することにした。

 

赤ん坊を叩かれたという住人は、叩いた退居者が泣き声を聞くとパニックになるからと説明を受けるが、納得できない。

 

その入所者が既に退去したと聞き、「当然だ」と言う乗馬クラブのオーナーの今井。 

説明会


他にも、土地の価値が下がるのを心配だと言う隣人もいる。

 

「何も、こんな住宅街で運営しなくても。もっと離れたとこに行けば、いくらだって…」

 

今井の意見を聞いた珠子は、そこで口を挟む。

 

「あんた、通いづらいところに移転できる?あたしだってさ、通いやすいこのホームがいいわけさ」 



この物言いに反発する今井は、監視を徹底するように求めただけで、何も解決し得ないまま、時を浪費するばかりだった。

 

珠子が帰って来ると、茂が大声で叱りつけながら、忠男を家から追い出すのだ。

 

「不法侵入だよ!次、入ったら警察呼ぶからな!」 


ひたすら謝る珠子。

 

茂の怒りの矛先(ほこさき)は、忠男のみ。

 

英子が夫を諫(いさ)め、家に戻ると、草太は引っ越しの際に失くしたボールを見つけた。

 

「(隣の人=忠男が)届けてくれたのかな?」 

草太と英子

草太の言葉である。

 

その草太は梅の実を拾い集め、それを珠子に届け、家に上がり込む。 



ボールの一件もあって、忠男に対する草太の気持ちには、父のような拒絶的感情が入り込むことがなく、却って親近感が湧いてくるようだった。

 

 

 

2  「チュウさんがいてくれて、母ちゃん幸せだよ。忠さん、ありがとう、ありがとう!」

 

 

 

梅の木の剪定(せんてい)をすると、草太に両親への伝言を頼む珠子。

 

「無駄な枝が伸びると、いい花や実が付かなくなるだろ。“梅切らぬバカ”って言うのよ」 


【「梅切らぬ馬鹿」とは、桜と異なり、梅は切って育てることが大切であるという意味で、それぞれの特徴・適性に合わせて対応することを説く】

 

そこに忠男が帰って来て、草太と目を合わせることなく、草太が持っていた馬のぬいぐるみを取り上げ、自分の部屋でぬいぐるみを抱いて可愛がる 忠男。 

自閉症特有の症状・「同一性の保持」/特定の対象に対して強い興味を示す



草太は忠男が心底、馬が好きなのだと知る。

 

剪定の作業を見守る忠男は、ハサミの音に異常に反応し、パニックを起こしたので、職人もそれを見て、切ることを断念する。 

パニックを起こす忠男/自閉症特有の症状

剪定の作業を断念する職人/それを見る英子(右)



まもなく、忠男はグループホームに引っ越した。

 

「忠さん、しばらく会えないんだよ」 


軽く頷く忠男に、珠子が手を振り、忠男も手を振って返し、珠子はホームを後にする。 



忠男のホームでの暮らしが始まった。

 

家に居た時と同じく、6時45分の目覚まし時計の音で起き、6時56分のトイレタイムをリピートしていくが、トイレに他の入所者が入っているので、無理やり開けようとして、小さなトラブルになる。 



一方、珠子は忠男がいなくなった寂しさで体調を壊すが、隣の英子と立ち話をして気を紛らしていく。

 

「チュウさんの父親が植えたんだよ」

「ご主人は…?」

「ウチじゃ死んだことになってるから、いつでも庭から見てるんだよ。悪いことはできないよって。お蔭でチュウさん、いい子に育ってくれた」


「チュウさんが、いい子に育ってくれたのは、お母さんのお蔭だと思います」

「お宅の息子さんもね」

 

いい会話である。

 

ホームの夕食時、献立の読み上げが終わらないうちに、忠男は食事を始めてしまった。

 

7時の食事タイムだからである。

 

「チュウさん、お行儀悪いよね」と仲間から注意されても、恬(てん)としている忠男。 


自分のルールだけは変えられないのだ。

 

そんな折、事件が起こる。

 

ホームを抜け出し、自販機の前でジュースを飲んでいる忠男を見つけた草太が、馬好きの忠男を乗馬クラブに連れ、馬小屋に入っていく。 

「遊び、行こうか?」(草太)「遊び。行きます」(忠男)


ポニーの手綱(たづな)を引いて、広場を歩く忠男は至福の表情が隠せない。 



そこで、乗馬クラブのスタッフに見つかり、草太は忠男と共に去ろうとするが、忠男は一歩も動けず、草太は一人で逃げて行ってしまった。 



脱走したポニーが道路に出て、仰天した自治会長が転倒してしまうのだ。

 

近隣住民が集まり、大騒ぎになり、オーナーの今井は自治会長に平謝りするばかり。

 

ホームの責任者の大津がやって来て、珠子に事の次第を伝える。 

大津(右)


その様子を二階から見ていた草太は、朝食時に両親がその話題をしたところで、突然、号泣する。 



「俺のせいなんだ…ポニーがいなくなったのは、俺のせいなんだ」


「馬小屋に入ったの?」

 

頷く草太。

 

「塾のお友達と?」

「友達いない」

「じゃ、草太1人で?」

「チュウさんと一緒」

「巻き込まれたのか?」と茂。

「俺が巻き込んだ」

「どうしよう」と英子。

「謝るしかないだろ」と茂。


「あなた、一緒に謝ってくれるの?」

 

その直後、通路で珠子に会った草太は話かけようとするが、茂に止められた。

 

「黙っておけ」 



ゴミ置き場に行くと、怪我をした自治会長が茂にビラを渡し、「グループホーム運営反対」の署名を求めてきた。 


茂は、それを受け取らず、草太を連れて去って行く。

 

反対の署名が多数集まり、それを持って、大津が珠子を伴い役所に出向き、説明会に職員の同席を求めたが、「中立の立場」と言われるのみで、無駄骨に終わった。 

役所に出向く珠子と大津

「いつだって、役所は中立だよ」(珠子)


益々、風当たりが厳しくなり、地域住民たちがホームの前に集まり、抗議の声を上げる。 

「説明を求めます」(今井)


それを怖がる施設の入所者たち。

 

忠男は大声に怯え、自らの頭部を叩き続けてしまう。 



結局、忠男はグループホームを後にして、自宅に戻ることになった。

 

帰路、珠子が呟く。

 

「せっかく、広いお家に引っ越したのにね。お母ちゃんいなくなったら、チュウさん、一人ぼっちだ」


「かまいません」

「かまいません?」

 

消沈する母の声。

 

すると、「壊れていても、かまいません…」とテープを流して、廃品回収車が通り過ぎていく。 



「冷蔵庫、テレビ、エアコン…」 


流れてくる言葉をリピートする忠男の反響言語。 

自閉症特有の症状・「反響言語」(相手の発言をリピートする)


それを見つめる母の表情が緩み、思わず、忠男の胸に顔を埋める。

 

「チュウさん、お帰り」


「テレビ、エアコン、冷蔵庫…」


「チュウさんがいてくれて、母ちゃん幸せだよ。忠さん、ありがとう、ありがとう!」


「かまいません」

 

会社の帰り、茂が珠子の家を訪ねると、英子と草太も謝りに来ていた。 



茂が草太が巻き込んだことを詫びると、珠子が応える。

 

「いいのよ。草太はもう、お友達だものね」

 

「チュウさんのお帰りパーティ」で御馳走を振舞われた茂は、忠男にビールを注(つ)ぎ、自己紹介をする。


 

それに対し、忠男は、「チュウさんです」と、相手の目を見ずに答えた。 



変わらぬ日常性。

 

朝6時45分に起き、6時56分にトイレに入る。

 

爪を噛まなくなった忠男の伸びた爪を今、珠子が切って上げていた。

 

「かまいません」と言い、刺激を我慢する忠男。 



通所する忠男と、茂、草太が一緒になり、朝の挨拶をする。 



一緒にゴミ出しをした後、忠男は乗馬クラブの前を通り、ポニーを連れたオーナーに出くわすが、声を押し込んで去って行く。 



ラストシーン。

 

梅の木肌を見つめる珠子。 



梅の枝は切られることなく、相変わらず枝を通路に突き出して、珠子と忠男を見守るように佇んでいる。 

ラストカット

 

 

3  蒼然たる暮色に閉ざされながらも、〈今〉を生きる母と子の物語

 

 

 

「愛されキャラ」全開の塚地武雅の本領発揮の演技が冴え渡り、コント職人の範疇を突き抜け、自閉症者に成り切っていた。 



何より素晴らしいのは、自閉症の息子を、50年間育て上げた母を演じ切った加賀まりこ。 



その自然体の表現力。 


圧巻だった。

 

私には、船上生活で糊口(ここう)を凌ぐ「泥の河」 の娼婦の印象が鮮烈な残像になっていたが、本篇での肝っ玉母さんの情愛の深さが琴線に触れ、改めて奥行き深い演技に魅せられた。 

泥の河」より


その情愛の深さが全く嫌味になっていないのは、解決の糸口を容易に見い出せないテーマをコアにした物語を淡々と繋ぎ、泣かせにかかった感動譚に流さない演出の力量に因る。

 

観る者に感動を約束させて、BGMをインサートしつつ情緒的に描かなかったことで、本作は強い映画になった。 

「東京新聞映画賞」を受賞した「梅切らぬバカ」

「東京新聞映画賞」を受賞した「梅切らぬバカ」


しかし、強い映画であるが故にシビアな物語になった。

 

「映画の中では、近隣とのわだかまりが全て解決されるわけではありません。障害のある方が地域で孤立していることを忘れてほしくないからです」(和島香太郎監督インタビュー)

 

和島香太郎監督


的を射た作り手のこのメッセージが映像総体を貫流していて、決して声高にならず、尺を削った分だけリアルな問いかけが残響と化して、観る者に訴えかけてくる。

 

「貴方なら、『共生』に踏み出せるのか」

 

この問いかけを等閑(なおざり)に付すことができなかった。

 

―― 以下、批評。

 

この映画で重要なシーンがある。

 

事を荒立てたくないという配慮が透けて見えるが、ホームの責任者の反対を押し切って、地域の説明会に珠子が出席した時のこと。

 

「中から出れないように、施錠するとか」

 

乗馬クラブのオーナーの今井の言辞に対して、珠子は凛として正論を放った。

 

「あんたの馬だって、しょっちゅう脱走するじゃないの…お互い様だろ?この町が、あんたの馬を追い出そうとしたか?」


 

今井は返す言葉もなかった。

 

正論に対する異論を捻(ひね)り出し、それを言語に結ぶのは難しいのだ。

 

対等な立場に捕捉されているからである。

 

我が国に根強く残る「お互い様」の文化は、相手の思いやりの精神を前提として成り立っているが故に、「迷惑をかける」行為を忌避する日本人のアンリトン・ルールである。 

「『お互い様文化』をあえて甘受しよう ー自然災害が多発する日本で、わたしたちが知っておきたいこと」より

お互い様

常日頃からのつながりを大切に ~頼って頼られて『お互い様』~」より


その根柢には、相互扶助の思想がある。

 

それは、地域共同体を支えるメンタリティだった。

 

この文化が今、変容している。

 

個人差があれども、「豊かさ」を実感的に感取させた高度な消費社会は、各自に「自由」の感覚を涵養(かんよう)し、「私権の拡大的定着」を確保していく。 

イメージ画像

COVIDは私権を制限した



プライバシー優先の「相対主義」のメンタリティを決定づけていくのだ。

 

「豊かさ」⇒「自由」⇒「私権の拡大的定着」⇒「相対主義」という流れである。 

価値相対主義


かくて、古い日本語として我が国の地域共同体に定着してきた「お互い様」の文化は、「迷惑」をかけられた地域住民の声高の物言いを正当化するに至る。

 

「迷惑」の概念が「日常生活維持の被害」という含みを持った時、もうそこには、「迷惑」を蒙った人たちの私権が優先されるのである。

 

「辛いのはお互い様」だから「我慢しよう」という文化が済し崩し的に希薄になり、脱色していく。

 

誰が悪いわけではないが、こういう社会を作り上げてしまったら、もう、復元困難であるだろう。

 

「暴力を 許さぬ地域の 声と意志」という標語のもとに、「暴力団対応10原則」に則って、「暴追センター」(全国暴力追放運動推進センター)で反社を排除するのは仕方がない。 

                       暴追センター



【「暴力団対応10原則」は、「相手の要求に応じ即断、即答はしない」、「湯茶の接待はしない」、「会話や応対の内容を記録する」等々/ウィキ】

 

然るに、「障害者グループホーム」のような特定の施設に身を預ける入所者に対して、「迷惑」という理由で、地域から排除する行為には改善の余地が多大にある。 



相互に努力し合って、少しずつでも理解を深めていくこと。

 

映画で描かれたようなケースで言えば、緊要なのは、脳の先天的な発達障害である自閉症(後述)に対する正しい理解のために、地域住民と情報を共有していくこと。

 

「共生」の難しさを認知してもなお、情報共有は不可能ではない。

 

一切は、そこからしか始まらないからである。

 

―― 映画で最も印象的なのは、忠男に対する草太少年の関係交叉の丹念な描写。

 

引っ越しの際に排水溝に転がったボールを届けた忠男を逸早く認知し、転校生なので友達がいない少年の孤独を癒すのだが、「事件」によって児童基準の罪責感を負って、号泣するのだ。 



少年の偏見の低さを切り取ったエピソードを、物語の生命線の一つにしていることが容易に読解できる。

 

「いいじゃん、自由で」 



この一言が、少年の推進力になっていたことで分かるように、自閉症についての基本的理解が欠けていても、父・茂に象徴される大人たちの、障害者グループホームに対する偏見・差別意識から解放されているのだ。 


【「もう一度、ここで暮らすんだって」(英子)「ウソだろ」(茂)/茂の変わりにくさを切り取ったこのリアリティは、「全員救済」の感動譚に流さず、とてもいい】


地域住民から冷眼視され、「共生」の難しさに晒されている母子の日常が窮屈になっている。 



何より、隣に引っ越して来た里村家の主(あるじ)から、邪魔者扱いされてしまうのだ。

 

障害者に対する茂の硬直的態度。

 

「不法侵入だよ!次、入ったら警察呼ぶからな!」 


ここまで難詰(なんきつ)されたのである。

 

ごく普通に考えて、明らかに、外見的に障害者であるとしか思えないにも拘らず、こういう態度を取る大人は滅多にいないだろう。

 

だから、このシーンは気になった。

 

いずれにせよ、母子の日常の窮屈さは、事の次第によっては、地域住民の差別視線の餌食にされる危うさを具現化するだろう。

 

かくて、住宅街の一角に構えるグルーブホームに集合する障害者の日常性は、「説明会」なしに成立しないので、その継続力が保障されないのである。

 

そして、母子が抱え込む「7050問題」。

 

70代の母親が、50代に入った障害者の息子を介護し続けることの難儀さは想像を絶する。 


10年経てば、「8060問題」に踏み込んでいくのだ。

 

地域との「共生」以前の問題なのである、

 

映画は、この問題を隠し込むことなく、そのシビアな現実を聢(しか)と描いていた。

 

「このまま、共倒れになっちゃうのかね」 


珠子のこの言葉は、あまりに重い。

 

物語の本線を貫流しているのだ。

 

母子の未来は蒼然(そうぜん)たる暮色に閉ざされている。

 

それでも、〈今〉を生きている。

 

強い母は、このまま終わらないだろう。

 

この世で最も大切な息子の未来を紡いでいくだろう。

 

その紡ぎの中で「物語」を繋いでいく。

 

母と子の得難い「物語」を繋いでいくのだ。

 

 

 

3  自閉症は脳の先天的な発達障害である

 

 

 

【以下、人生論的映画評論・続「レインマン」からの批評を、引用・補筆・再編集した拙稿です】 

【自閉症・「サヴァン症候群」(記憶能力が抜きん出た「カレンダー計算」で知られる)を完璧に演じたダスティン・ホフマン(右)】 


自閉症は、高機能自閉症、アスペルガー症候群と共に、「自閉スペクトラム症」と呼称される脳の先天的な発達障害である。(スペクトラムとは「集合体」という意味) 

自閉スペクトラム症


【2013年の「DSM-5」(精神障害の診断・統計マニュアル第5版)で「自閉スペクトラム症」と明記】


普遍的ではないが、精神遅滞の頻度は相当程度高い。

 

まず、この把握が前提になる。

 

然るに、相当に幅広い個人差を有している現実も無視できない。

 

何より不幸なのは、脳の発達異常であることによって、根本的治癒が不可能であるという冷厳な現実を無視したら、今もなお数多いる、「自閉症者は天才を生む」という、真に不幸なる「負のラベリング」から、いつまでも解放されず、近年、話題になることが多い「アスペルガー症候群」(「自閉スペクトラム症」)に対するロジカルエラー(論理的過誤)を犯すことになる。

 

脳の仕組みが健常者とは明瞭に異なっている事実誤認が容易に修正されず、例えば、「アスペルガー症候群のボーダーライン」と言われるマーク・ザッカーバーグ(敬称略)のように、些か言語コミュニケーションを苦手にしているように思われながらも、ハーバード大学のコンピューターを簡単にハッキングすることで、学内の女子の顔の格付けサイトを立ち上げる発想を具現する能力から開かれたプログラミング能力によって、「激情的な習得欲求」⇒「一点集中力的な『創造力』の開発欲求」という稀有な能力に変換させていく振れ方は、殆ど「天才」の範疇であると言っていい。 

マーク・ザッカーバーグ



未だに、知的障害を伴わない「高機能自閉症」としての「アスペルガー症候群」という把握が研究者間で共有されていないにも拘らず、「自閉症」=「アスペルガー症候群」=「天才」という愚昧な感覚で氾濫する現実は、アルゴリズムを蹴飛ばし、簡便な判断によって直感的に判断を下す「ヒューリスティック処理」の陥穽に流れやすいから厄介なのである。

 

加えて、「サリーとアンのテスト」(自閉症者は人の心を理解できないことを示すテスト) で有名な「心の理論」(相手の心中を推察する能力)が、ミラーニューロン(他者の喜怒哀楽を理解する能力)との関連で語られることが多いが、それもまた、どこまでも発展途上の仮説の範疇を突き抜けられていないばかりか、「心の理論」に関わる研究自体が、その概念の包括力において困難な、自閉症の様々な行為を科学的に説明し得ない現実がある。 

4歳未満の子供の多くは「案の箱を探す」と答えます。4歳以上の子どもになると「サリーのカゴを探す」と答える割合が高くなります。それだけ自分と相手を別々に考えたり、逆に重ね合わせたりすることが子どもにとって難しいってことです。「サリーとアン課題」という有名なテストです


然るに、特定の分野に限ってのみ信じ難い能力を発揮する、原因不明の「サヴァン症候群」を「自閉スペクトラム症」(ASD)の範疇に入れるとしても、式場隆三郎(国府台病院を創設した精神科医)によって「発見」され、注目された、我が国の山下清(記憶を基に完璧な貼絵アートに再現)の例を含めて、その出現率は稀有であるが故に、決して通常の自閉症者を代表する者ではないということである。 

山下清(ウィキ)


だから、「広汎性発達障害」(「自閉スペクトラム症」)と括られるケースが多いように、「アスペルガー症候群」や「サヴァン症候群」と必ずしも地続きになり得ない、知的障害を伴い、IQが70以下であるが故に「低機能自閉症」とも呼ばれている「カナー症候群」は、学習障害を併発する確率が高く、その出現率も少なくない。

 

同様に、先述したように、出現率が比較的に高い「アスペルガー症候群」と自閉症障害者の関連も特定できない現実を無視できないのである。

 

私塾時代に、私自身が経験した「広汎性発達障害」の児童は、「カナー症候群」の範疇に入ると思われるケースだったので、学習障害の併発によって、常に苛立っているところがあり、「反響言語」(相手の発言をリピートする)、「フラッピング」(手を羽ばたかせるような仕草)や、特定の対象に対して強い興味を示す「同一性の保持」という自閉症特有の症状があり、視線を合わせないこと、接触を極度に嫌う傾向が顕著で、更にアプローチを間違えると、突然パニックが起こる現象に対して、正直、緊張の連続だったと回顧している次第である。 

自閉スペクトラム症の診断基準

自閉スペクトラム症の診断基準


言語コミュニケーション、対人関係、行動傾向、集中力、感覚(過敏)、想像力、柔軟性、運動・学習能力、感情的知性(感情察知能力)などに障害が見られるが、但し「自閉スペクトラム症」に括られながらも、知的障害を伴わない「アスペルガー症候群」と峻別する必要がある。

 

それ故、「自閉スペクトラム症」に罹患する対象人格の特性を理解した上で、個々に合った「環境調整」のもとで適切なアウトリーチが求められるということ。

 

「特性」と「環境」の融合 ―― これに尽きるだろう。

 

そんな折、多様性社会の実現を目指し、華やかなドレスを着た車椅子障害者を先頭に、健常者と共に障害に関係なく練り歩く、140人の「インクルーシブパレード2022」(5月27日)が墨田区の錦糸公園周辺で開かれた。 

「インクルーシブパレード2022」


誰も仲間外れにしない「社会的包摂」の広がりこそ、我が国の喫緊のテーマなのだ。

 

(2022年6月)


 

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