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2021年9月9日木曜日

長いお別れ('19)  中野量太

 



<「約束された喪失感」を突き抜く、メリーゴーランドと三角帽子>

 

 

 

1  「この頃ね、色んなことが、遠いんだよ」

 

 

 

2007年 秋

 

東(ひがし)家の4人家族。 

東家

中学校の国語教師から、後に校長を勤めた経歴を持つ父・昇平と、夫を献身的に支える母・曜子。 

曜子

海洋学者の夫・新(しん)と、息子・崇(たかし)の3人でカリフォルニアへ移住している長女・麻里(まり)。

麻里
 


そして、総菜屋に勤めながら、食堂の経営を目指している次女・芙美(ふみ)。 

芙美



昇平の70歳の誕生日に母から呼ばれ、麻里と芙美は実家を訪れた。 

麻里と芙美


そこで二人は、昇平が認知症を発症していることに気づく。 

父・昇平(左)/誕生日には三角帽子を被る慣行がある


半年前から発症していたと言う母・曜子は、それを知らせるために二人を呼んだのである。 

娘に昇平の認知症を話す母・曜子

父から「本を貸す」と言われ、国語辞典を渡された芙美は、父の認知症を目の当たりにする


2年後 2009年 夏

 

芙美は「青空食堂」という移動食堂で、ヘルシーカレーをビジネス街で販売していたが、売れ行きは芳(かんば)しくなかった。 


「青空食堂」でバイトする女の子


曜子から電話が入り、昇平の大学時代の旧友・中村の通夜に参列することを頼まれ、引き受けざるを得ない芙美。 



カリフォルニアでは、ガールフレンドとデートの約束をした日に、実家に帰る母・麻里に付いていくようにと、父に言われる崇。

 

芙美は昇平を連れ、葬儀に参列して焼香をし、通夜振る舞いを済ませて帰ろうとしたところ、大学時代の柔道部の萩原に呼び止められた。

 

そこで、翌日の葬式の弔辞を頼まれた昇平だったが、芙美はそれを断る。

 

理由を言えるわけがなかった。 

昇平に弔辞を頼む萩原

「あの、明日の弔辞は、やっぱり萩原さんで」と芙美。

「中村が死んだのに、東が弔辞を読まないなんて…」と萩原。

「何?中村、死んじゃったのか!」と昇平。 


大声を出した昇平の顔を驚いて見つめる萩原は、全てを察した。

 

昇平の手を引いて、葬儀場から連れ出す芙美。

 

いつものように昇平は、デイサービス(通所介護)に通っている。 



車で送られて来た祖父を、カリフォルニアから帰って来たばかりの孫の崇が迎えたが、昇平は認知できない。 


介護施設の職員に説明され、何とか孫だと分かり、崇を抱き締める昇平。

 

漢字を教えてもらって喜ぶ崇は、昇平のことを「漢字マスター」と呼ぶことにした。 

「これから、おじいちゃんのこと『漢字マスター』って呼んでもいい?」


崇がソファで眠っている間に、昇平の姿が見えなくなった。

 

帰って来た麻里と祖母に指示され、崇は川の方に自転車で探しに行く。

 

移動食堂が軌道に乗らない芙美は、アルバイトの女の子に辞めてもらって意気消沈しているところに、曜子から連絡が入り、芙美も車で川の方へ向かった。 



そこで、昇平を保護してくれた芙美の中学時代の同級生・道彦と崇と3人が、川淵に腰を下ろしているのを見つけた。 

道彦(右)



道彦は、中学生の頃、クラリネットの練習で、芙美の家を度々訪れていたので、昇平の顔を覚えていたのである。

 

二人が話し込んでいると、昇平は芙美の車の「青空食堂」の文字に見入っていた。 


「これ、私の仕事」

 

本当は教師になって欲しかったという父に、吐露する芙美。

 

「この中で、ご飯を作って、売ってるの」

「立派だ!」 


そう言われた芙美は、喜びを隠せず、ヘルシーカレーを父に振舞うことにした。

 

道彦に言われて外を見ると、父は地元の人たちを整列させ、カレーの順番待ちを仕切っていた。 



道彦は芙美を手伝うことになる。

 

その後、昇平の生まれ育った家へ、曜子と麻里と崇と4人でやって来た。 



「嬉しくないの?この家に帰って来たかったんでしょ?」と崇。

「この頃ね、色んなことが、遠いんだよ」と昇平。


「遠いって?」

「色んなことがね。あんたたちや何かもさ」

「遠いのは、やっぱ、寂しいよね」

 

崇は、縁側に座っている祖父の膝に、そっと手を添えた。 


「もう、帰らないと」と昇平。

「ねえ、お父さん、ゆっくりしましょ」と曜子。

「お父さんって、誰だ?私は独身だ」


「おじさん、落ち着いて」と昇平の甥。

 

結局、自宅に帰る4人。

 

「そろそろ…僕の両親に、曜子さんを正式に紹介したい…一緒に来てくれますね」 


列車の中で、突然、プロポーズする昇平に、涙ぐみながら、曜子は「はい」と答え、昇平の手を握り締めた。 



2年後 2011年 春

 

芙美は、道彦の母が経営する洋食店で働いていた。

 

その母に、付き合って1年半になる道彦との結婚を勧められた。 

道彦の母


「2年、会ってない…未だに2歳のまんまだよ」 


別れた妻との間に儲けた娘について、芙美に吐露する道彦。

 

二人の関係が開かれる初発点である。

 

3.11、東日本大震災が発生した。

 

カリフォルニアにいる麻里が心配して、東京の母に電話をかけてきた。

 

放射能の飛来に気をつけ、マスクと帽子を被るように注意するのだ。

 

居ても立っても居られず、日本に帰るという麻里に対して、新は異を唱える。

 

「それぞれが、自己責任のもとに人生を生きること。それが、基本なんじゃないかな」


「家族の人生は、他人事なの?」


「そうは、言ってないよ」

 

崇も思春期になり、下校して来ても、母の苦手な英語で反応し、自分の部屋に直行してしまう。

 

一方、曜子はスーパーに昇平を連れて買い物に行き、レジを済ませて出て行こうとしたら、店員に呼び止められた。

 

昇平が店の品物をポケットに入れていたのである。

 

曜子は繰り返し謝罪し、芙美に迎えに来てもらうに至る。 



その芙美もまた、浮き足立っていた。

 

恋人の道彦が、娘と元妻に会うことになったからである。

 

芙美は娘に持っていく自分で焼いたクッキーを、道彦が忘れたので、届けに行く。

 

そこで、道彦の母を含めて、親子3人が仲睦まじくしている様子を遠目に見て、自分が入り込む余地がないと悟るのだ。 



帰り道に曜子から電話が入り、父の相手をして欲しい頼まれ、その足で実家に帰る。

 

昇平に焼いたクッキーを食べてもらいながら、芙美は泣きながら話しかける。

 

「お父さん、またダメになっちゃったんだよ。お父さん、繋がらないって、切ないね」


「そう、くりまるな」


「でも、くりまっちゃうよ…震災の後にさ、皆が繋がりたいとか、絆が大切とか、そういうふうになってるんだもん」


「そうでもないだろ」

「あたしがいくら頑張ったって、家族には勝てないもの」

「それはな、ゆーっとするんだな…学校や何かでも、そういうことは、よくあったよ」 


昇平の発する意味不明だが、その不思議な響きに、芙美は心を通わせ、「ゆーっ」と伸びをするのだ。 



いよいよ話が通じなくなった昇平と、母・曜子のことが心配で、麻里は実家に戻って来た。

 

芙美と麻里が昇平を施設に入れる相談をしているところに、曜子から電話が入り、昇平がいなくなったという連絡を受ける。 



帰宅し、携帯のGPSを確認すると、昇平は電車に乗り、遊園地へ向かっていることが分かった。

 

直ちに、3人で遊園地へ向かうと、メリーゴーランドに幼い姉妹と一緒に乗っている昇平を見つけた。 

3本の傘を持って遊園地を歩く昇平

「もし、目の前に可哀そうな子供がいたとしたら、おじいさんはどうしますか?」と言われ、メリーゴーランドに一緒に乗る昇平




昇平に「お父さん!」と声をかけ、手を振る3人。

その3本の傘を持つ母娘

笑みで応える昇平


曜子の話では、姉妹が幼い頃、一度だけ、この遊園地に3人で訪れたことがあり、雨が降りそうなので、昇平が傘を届けにやって来たと言うのだ。

 

「あの日は、芙美ちゃんが朝から風邪気味で、鼻をぐずぐずしてたから」 


この日も傘を3本持ち、昇平は遊園地にやって来たのだった。

 

 

 

2  「そんなのは、もうとっくに…決めてます」

 

 

 

2年後 2013年 秋、そして冬

 

テレビで2020年の東京五輪開催決定のニュースを見ていた曜子は、昇平に、「東京オリンピック、また一緒に見られたらいいですね」と話しかける。 


昇平は、「はい!」と元気に答え、読んでいた本のページを破り、丸めて口に入れてしまう。 



芙美は、再びスーパーの総菜コーナーで仕事をしていた。 



そんな折、曜子から呼び出されて、病院に向かった。

 

今度は、曜子が網膜剥離で2週間の入院手術が必要となったのである。

 

入院を嫌がる曜子。 



「やっぱり、ダメよ。芙美ちゃんに、ウンチのついたパンツ、取り換えられるの?」

「頑張る。ウンチ、頑張るから。だから、お母さんは、手術を頑張って、早く治して。ね!」


「頑張る。頑張る、お母さん。出来る限り入院期間を短くして、家に帰りますからね」
 



芙美は、文字通り、昇平のウンチの世話をすることになった。

 

病院に母の見舞いに行くと、ベッドで俯(うつぶ)せになっていた。

 

「今、お母さんの目の中には、ガスが入っていて、俯せだと、ガスが上に溜(た)まって、その気圧で網膜を押さえて、くっつけてるの」 



スカイプで対面しながら、麻里と連絡を取り合う芙美。

 

「芙美ちゃん、変わったね」

「え、そう?どんな風に?」

「家族っぽい。なんか、頼もしいもん」 



暗い顔で母の入院先にやって来た芙美は、昇平が入院したことを申し訳なさそうに告げだ。

 

「高熱が続いて、色々検査してもらったら、右大腿骨にひびが入ってて」 



その昇平は、曜子と同じ病院に入院していると聞き、驚く。

 

曜子は下を向いたまま、昇平のいる病室まで行き、再会する。

 

昇平はにっこり笑い、ベッドに俯せに顔を埋めた曜子の頭を撫(な)でるのだ。 



一方、カリフォルニアでは、不登校になった崇の件で呼び出された麻里と新が、担任から話を聞いていた。

 

担任は、不登校になる生徒の家庭には夫婦仲が悪いなど、問題がある場合が多いと指摘する。 



それを新に訳させた麻里は、今までの我慢を炸裂させてしまう。

 

のちに、夫・新の態度の変容で、夫婦仲が復元するというエピソードだった

 

そして今、曜子の退院の日、昇平のベッドで芙美と曜子の3人で、麻里とスカイプで会話をする。 



父と二人で話したいという麻里は、曜子と芙美が席を外したところで、崇とコミュニケーションがなく、学校もさぼっているという悩みを話し始める。

 

自分を責め、涙する麻里。 


「お父さんとお母さんみたいに、なりたかった」

 

黙って見つめているだけの昇平も、顔を歪めている。 



テーブルに俯(うつぶ)して寝入ってしまった麻里に、崇がカーディガンをかけた。 


ふと見ると、昇平がまだスカイプのカメラに向かって、此方(こちら)を見つめていた。

 

それに気づいた崇が、手を上げると、昇平も手を上げて応え、にっこり笑った。 



その直後、芙美から昇平が肺炎を起こして、集中治療室に入っていると連絡が入り、急ぎ麻里は帰国することになった。

 

以前と違って、思いやりを示す新が、麻里を空港へ送って行った。 



「認知症が進むと、大脳皮質の機能低下により、嚥下(えんげ)が困難になって、食べ物がよく飲み込めなくなるんです。そうなると、誤飲(ごいん)を繰り返すようになり、細菌も一緒に肺に入ってしまう。結果、誤嚥性肺炎を引き起こす。残念ですが、近いうちに、自力呼吸が困難になると思われます」 


昇平の担当医から、曜子と麻里が説明を受けた。

 

動揺を隠せない母娘。

 

昇平の誕生日ケーキを作っていたため、診察室に遅れて入って来た芙美も、その情報を共有するに至る。 


家族が揃ったところで、担当医は人工呼吸器をつけるか否かの意向を聞いてきた。

 

「それをつければ、父は今より、楽になれますか?」と麻里。


「呼吸は楽になります。しかし、一度つけてしまうと、もう簡単には外せなくなると考えて下さい」

「もう外せないってことは、つまり、治るためにつけるってわけじゃないということですか?」と芙美。


「はい。そう考えていただければ」
 


衝撃を受ける母娘3人。

 

曜子は昇平のベッドの傍らで、嗚咽を押し殺し、声を震わせながら、夫との記憶の向こうにある「上を向いて歩こう」を口ずさんでいる。 



麻里は新に相談したところ、3人の意見を尊重するということだった。

 

「多分、お父さんは望まない気がする」と麻里。


「きっと、お父さんは、余計なことするなって、言うんじゃないかな」と芙美。

 

ここで、母が珍しく声を荒げた。

 

「二人とも、勝手なこと言わないで!お父さんの考えが、何であなたたちに分かるの?」 



母の情感に添うように、麻里が反応する。

 

「あたしたちは、お母さんの意志に従うつもりだよ。だから、最後は、お母さんがゆっくり考えて決めたらいいんじゃないかな」


「バカにしないで!」
 


間髪を容(い)れず、目に角を立てる母が、そこにいる。

 

「そんなのは、もうとっくに…決めてます」 


母の言葉を聞き、涙ぐむ二人。 


何も言えないのだ。

 

その時、崇からメールが届いた。

 

「生きてる限り、生きてて欲しい」

 

そこで、芙美が封印した感情を抑えつつ、高らかに言い切った。

 

「よし!やっぱり、やろう!誕生日会」 


これで、全てが決まった。

 

芙美が用意してきた、恒例の紙の三角帽子を3人で被(かぶ)り、それをベッドで眠る昇平にも被せ、誕生日会が始まる。 



この一家にとって三角帽子は、情緒の共同体としての「家族」を象徴する物理的記号だったのである。

 

そして、その発案者は父・昇平だった。

 

うっすら笑みを浮かべている昇平が映し出される。 



父の逝去。

 

「お父さん、ごめんね。ずっと借りっぱなしで」

 

芙美は昇平の書斎に入り、認知症になってから、「本を貸す」と言うや、一方的に押し付けられた国語辞典を机に置いた。 



そこに、宅配便で北海道からじゃがいもが届いた。 


送り主は、芙美のかつての恋人で、それぞれの道を進んで別れた雄吾だった。

 

満面の笑みの芙美。 



ラストシーン。

 

不登校の崇が、校長に呼ばれた。

 

どんなことでもいいから、話してくれと言われた崇が、一考して答えていく。

 

「祖父が死にました。発症したのは何年も前で、何もかも忘れてしまって…」


「認知症だね。私の母も最後はそうだった」

「祖母が言うには、7年前からだそうです」

「7年か。それは長いね。“長いお別れ”(ロング・グッドバイ)だね」


「長いお別れ?」

「認知症は“長いお別れ”とも言う。彼らは、少しずつ記憶をなくし、ゆっくり遠ざかっていくから…おじいさんとの一番の思い出は何だい?」


「祖父は、漢字をたくさん知っていました」

「漢字?あの複雑な象形文字のことか」

「とても難しい感じをスラスラと書けるので、僕は“漢字マスター”と呼んでいました」 



そこで崇は、かつて自分のガールフレンドだったエリザベスの漢字を訊いた時、祖父が書いた紙端を校長に見せた。 



「僕の話は、これで終わりです」

 

そう言って部屋を出ようとする崇を、校長が呼び止めた。

 

「君が学校に来ないのは、崇、おじいさんんのことと関係があるのかな?」

 

少し考えてから、答えた。

 

「まったく関係ありません」 


校長が、「さよなら、崇」と右手を挙げた。

 

その姿は、かつて、スカイプで交わした病室の祖父を思い起こしていた。

 

崇も右手を挙げて、日本語で応えた。

 

「さよなら、マスター」 



廊下で落ちている葉っぱを拾い、ポケットに入れる崇。 

落葉を読書する本のしおりにしていた昇平のことを思い出す


穏やかな表情で、崇はゆっくり歩ていくのだ。 


 

 

3  「約束された喪失感」を突き抜く、メリーゴーランドと三角帽子

 

 

 

遺伝子の機能不全によって、無秩序な細胞の増殖が膨張し、それが組織の至る所に浸潤し、身体全体に広がっていく悪性腫瘍(癌)の罹患者の辛さの本質は、「約束された死」の恐怖である。

 

この悪性腫瘍(癌)に対して、認知症罹患者の辛さの本質は「約束された喪失感」であると、私は考えている。

 

「嬉しくないの?この家に帰って来たかったんでしょ?」と崇。

「この頃ね、色んなことが、遠いんだよ」


 

映画の中で漏洩された短い会話だが、この言葉は父・昇平の辛さの本質を的確に言い当てている。

 

日常生活に破綻をきたさない軽度認知障害(MCI)と切れ、ニューロン(脳の神経細胞)の脱落(人の脳の委縮は20~30歳をピークに減少に転じる)によって発生する認知症には、中核症状と周辺症状(BPSD)と呼称される二大症状がある。 

認知症の症状


何より、認知症の中核症状の一つは、記銘・保持・想起によって成る記憶に関わる「記憶障害」にある。

 

認知症の記憶障害では、「エピソード記憶」と「意味記憶」が阻害されるのである。

 

「エピソード記憶」とは、出来事の記憶。

 

「意味記憶」とは、一般常識の記憶。

 

この二つの記憶を「陳述記憶」と言う。 

陳述記憶と非陳述記憶


頭で覚える記憶である。

 

―― 映画の中で漏洩された「陳述記憶」について言えば、忘れ予防のための、「漢字ドリル」の脳トレのデイサービスにおいて、昇平の能力は群を抜いていて、未だ、認知症の初発のステージにあったエピソードが提示されていて、昇平の脳破壊の深甚(しんじん)さが白日の下に晒されることがなかった。 

「漢字ドリル」の脳トレのデイサービス


孫の崇を驚かせた昇平の漢字能力だが、脳破壊の進行の過程で、この唯一の得意分野が呆気なく頓挫する。 

漢字も書けなくなっていく昇平


愛読書を逆さまに読むに至り、もう、識字能力も覚束(おぼつか)なくなってしまったのである。 


このシーンに象徴されるように、識字能力を失ったたことで、「陳述記憶」の喪失が判然とするだろう。

 

しかし、認知症は大脳の疾患であるが故に、 小脳で覚えた「手続き記憶」だけは生き残される。

 

歩行・ピアノの演奏・自転車の乗り方・水泳など、体で覚えた記憶であるからだ。

 

これを、「非陳述記憶」と言う。

 

残念ながら、生き残されるはずの「手続き記憶」もまた、認知症の進行速度に応じて、漸次(ぜんじ)、確実に、決定的に破壊されていく。

 

脳機能がスカスカになっていくからである。

 

この認知症のオフェンシブパワー(攻撃力)の凄みに、言葉を失う。

 

更に、認知症の中核症状には、「見当識障害」と「認知機能障害」などの深刻な症状がある。

 

「見当識障害」とは、人・場所・時間が分らないという、ごく普通に見られる症状のこと。

見当識障害

 


―― 映画には、こんなセリフがインサートされていた。

 

「何、中村が死んじゃったのか!」 


大学の柔道仲間から中村の弔事を頼まれた際に、中村の逝去を知らされた時の昇平の反応である。

 

「一本!勝者、中村!」 


これは、通夜の帰り際で言い放った昇平の反応である。

 

この時点では、柔道という体で覚えた記憶、即ち、「手続き記憶」が生き残されていたのだ。

 

もう一つ、観ていて胸を打つシーン。

 

「そろそろ…僕の両親に、曜子さんを正式に紹介したい…一緒に来てくれますね」 


これは、輝いていた過去の自分に戻ろうとする「回帰型」の傾向を示す昇平に特徴的な、認知症の中核症状の発現である。


ついでに書けば、「青空食堂」や「万引き」のシーンと同様に、昇平にとって、「帰る」という言葉は、場所ではなく、「輝いていた過去」への回帰を意味するから、いつまで経っても「帰れない自分」に向き合ってしまうのである。 

万引きを咎められた昇平は、店長に対して、「立ってなさい。廊下!」と怒号する
地元の人たちを整列させ、カレーの順番待ちを仕切る昇平



―― 更に、認知症の中核症状に言及する。

 

「認知機能障害」である。

 

これには、掃除や着替えなどの合目的な行動ができない「失行」、感覚認知ができない「失認」、スーパーに行っても違う食材を買って来てしまうなどの「実行機能障害」がある。

 

昇平は、右大腿骨にひびが入っても認知できず、痛覚を訴えることもなかった。

 

訴えたくとも、それを表現できないのだ。

 

掃除や着替えも、夫への愛情深く、超絶的に献身する妻・曜子任せ。 



「実行機能障害」など、疾(と)うに自壊している。

 

万引きしても、その感覚が認知できないから、あまりに無知なスーパー店長に責められても、暴言(これは周辺症状)を吐く始末。

 

そして、認知症には、厄介な周辺症状がある。

 

周辺症状(BPSD)とは、幻覚・妄想・徘徊・異食・睡眠障害・抑鬱・不安・暴言・暴力・失禁・排尿・排便障害・セクハラなどの症状のことで、中核症状と峻別される。 

認知症による徘徊への備え

認知症による暴言・暴力への対応


症状の現出は人様々だが、根本的な治療法が存在しない認知症に罹患した身内を在宅介護する困難さは、今さら説明するまでもない。

 

この在宅介護する困難さについて、映画の中で気になるシーンがあった。

 

認知症の父を案じ、帰国するという麻里に対して、新は異を唱えるシーンである。

 

「それぞれが、自己責任のもとに人生を生きること。それが、基本なんじゃないかな」 



脳の神経細胞の破壊速度が緩く、脳機能が闊達に自己運動している海洋学者の、この自立的言辞が浮いてしまうのは、認知症罹患者には手厚い言語的・非言語的アウトリーチ(支援)なしに、「自己責任のもとに人生を生きること」が殆ど不可能である現実を見せつけられているからである。

 

だから、深甚な認知症罹患者を目の当たりにした、妻・麻里の中枢に届くことなど叶わなかったのだ。

 

話を進める。

 

この周辺症状(BPSD)について言えば、昇平もまた、他の認知症罹患者と同様に、セクハラ以外は殆ど映像提示されていた。

 

中でも、本のページを破いて食べる異食、頻発する徘徊、そして、「家に帰る」という言辞は、「認知機能障害」に起因する妄想の発現であり、「ウンチ問題」は排便障害、加えて、「この頃ね、色んなことが、遠いんだよ」という極め付けの言辞は、認知症のコア症状に起因する不安の発現である。 

徘徊する昇平を道彦が救う

昇平のウンチの世話をする芙美


「約束された喪失感」

 

まさに、この究極の辛さを抱えて生きる認知症罹患者の、壮絶で凄惨な風景が、多くの場合、点景ショットで見せながら、この映画は構成されていた。

 

―― ここで、簡単な映画批評を書き添えておきたい。

 

認知症(当時は痴呆症)を描いた映画の初発点は、有吉佐和子の「恍惚の人」。 

有吉佐和子(1960年/ウィキ)

映画「恍惚の人」より


時代の制約下での映画化である事実を認めてもなお残る、社会的偏見描写への大いなる違和感。

 

認知症罹患者の描き方が一方的で、認知症本人の心情・葛藤描写を排除したことで、社会的偏見を生み出した事実を否定しがたいのである。

 

「恍惚の人」と切れ、認知症研究の顕著な進歩を推進力にして、本篇の「長いお別れ」は、本人と家族の心情・葛藤描写を切り取っていたのは間違いない。 




殊の外(ことのほか)、この映画で映し出されたのは、メリーゴーランドと三角帽子に象徴されるように、介護の辛さを敢えて描くことなく、認知症罹患者を包括的に受容し、「家族愛・夫婦愛」に収斂させていく景色だった。




あとは、観る者の感性に委ねる手法の是非の問題に尽きるのだろう。

 

「約束された喪失感」を突き抜く、メリーゴーランドと三角帽子。

 

この表現こそ、本作のサブタイトルに相応しいということか。

 

―― ただ、どうしても気になる。

 

一々、回収する伏線を増やすためのエピソードを満載にしたことで、映画総体が間延びしてしまった印象を拭えないのだ。

 

それが、映画の完成度を希薄にさせてしまわなかったか。

 

4人に特化した家族を演じた俳優陣は、文句なく素晴らしかった。 


 

 

【余稿】  「家族の相互扶助」という、分りやすいテーマに凝縮することの難しさ

 

 

 

以下、拙稿 人生論的映画評論・続「アリスのままで」からの部分的引用である。 

「アリスのままで」より


川崎幸クリニック院長の報告によると、「認知症の人の老化の速度は非常に速く、認知症のない人の2~3倍のスピードで進行する」という特徴を指摘し、この顕著な現象を、「衰弱の進行に関する法則」と名付けている。

認知症の人の老化の速度は非常に速い

 

「食事のとり方が悪くなったら、衰弱が急速に進行して、2週間目に亡くなってしまいました。こんなに速く衰弱が進むとは正直思っていませんでした」

 

これは、「認知症の人と家族の会」で拾われた、日常的な会話の一例である。 

「認知症の人と家族の会」


衰弱の急速な進行は、2025年には700万人を超えるとの推計値がある(厚生労働省)認知症罹患者を、何年・何十年にわたって、介護し続けなければならないのかと思い悩んでいる家族に対して、川崎幸クリニック院長は、以下のような言葉で説明することにしているそうだ。 

川崎幸クリニック院長


「同じ年齢の正常な人と比べると、認知症の人の場合、老化が約2~3倍のスピードで進むと考えて下さい。例えば、2年たてば4~5歳年を取ったと同じ状態になりますから、看てあげられる期間は短いのです」

 

認知症罹患者と、その罹患者を介護する家族にとって、言葉で分っても、どうしても、感情の速度との乖離感をコントロールし得ない問題が残ってしまうだろう。

 

だから、「家族の誰が、どの程度、介護の負担を引き受けていくのか」という、現実的で真剣な話し合う必要性が出てくるのである。

 

これは、「優しさ」とか、「愛情の深さ」・「思いやり」・「利他心」・「自己犠牲の精神」などという耳触りのいい言葉に、安易に収斂させることが難しい、極めてセンシブルな問題なのだ。 

認知症介護、5つの心得


要するに、「家族の相互扶助」という、分りやすいテーマに凝縮することの難しさを、これほどまでに提起する現代的問題はないと言えるのである。 

世代間"相互"扶助の重要性/イメージ画像


単刀直入に言うと、脳の神経細胞が委縮し、最終的に死滅してしまう治癒不能な疾病に罹患した者が抱える、絶対的孤独と恐怖を共有することが不可能であるという、どうしようもない現実を認知せずして、何も始まらないということだ。 

脳の形態の変化
記憶障害の進行



この、どうしようもない現実を受容すること。

 

そこからしか、スタートできないということ。

 

だから、「誰が犠牲になるのか」などというセンチメンタルな発想から、家族成員は解放されねばならないだろう。

 

認知症罹患者は「人格崩壊」しないが、「精神身体的体系の力動的組織」が障害を来すことで、「性格、気質、興味、態度、価値観」などが変化する疾病である現実を認めざるを得ないのだ。

 

然るに、何より重要なのは、認知症を惹起させる脳の病気において、知覚・記憶・学習・思考・判断などの認知過程と、情動を含めた心理機能である「高次大脳機能」の全てが障害を来す訳ではないということである。 

高次大脳機能


これは、原因となる脳病変によって失われていく機能と、その脳病変による「高次大脳機能」が全面的に侵されずに、相応に保持されている機能があるということを意味する。

 

要するに、認知症患者が呈する様々な症状は、既に失われた機能と、なお、相応に保持されている機能との微妙なバランスの上に現出しているが故に、認知症罹患者の介護を進めていくためには、後者の機能をいかにフル活用し、失われた機能を補填していく工夫こそが決定的に重要になるということ ―― これに尽きるだろう。

 

(2021年9月)

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