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2022年5月29日日曜日

アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発(‘15)     ハンネス・ホルム

 



<「権威と服従の関係」が自我を支配するとき、その自我の自律性はシステムが作った物語の内に従属し、融合する>

 

 

 

1  「その頃、東欧では同胞がナチスの収容所で殺されていた。私が服従実験を行うのは、そのことが頭から離れないからです」

 

 

 

1961年8月 イェール大学 



二人の実験参加者、フレッドとジェームズが実験室に入って来た。 



謝礼を受け取り、実験者から説明を受ける。

 

「心理学者による学習プロセスの研究で、報酬や罰の効果について調査します…今回の実験では、“学習者”は誤答すると軽い罰を受けます。罰を与えるのは“先生”です」

 

くじ引きの結果、フレッドが先生で、ジェームズは学習者の役割が与えられた。 

フレッド(中央)


その様子をマジックミラー越しに観察する人物がいる。

 

スタンレー・ミルグラム博士である。 

ミルグラム


フレッドが単語を言い、ペアとなる単語をジェームスが4択の中から答え、不正解の場合、フレッドが電撃発生器のスイッチを押して電気ショックを与えるという手順で、実験が始まる。

 

ジェームズは、重症ではないが心臓の病気を持っていることを告げ、危険性について質問した。

 

「かなり痛いでしょうが、後に残る器官損傷はない」 



かくて、二人は相手の姿が見えない隣の部屋に別れ、実験が始まった。

 

その前に、電気ショックのサンプルとして、フレッドにも体験してもらった。

 

かなりの痛みで、それをフレッドは195ボルトだと質問に答えたが、実験者は45ボルトであると説明する。 



フレッドの背後に座る実験者からルールを指示され、テストがスタートした。

 

「学習者が誤答するたび、電撃レベルを1つ上げます。正確に実行してください」

 

不正解で、90ボルトのスイッチが押された。 



そこで、ジェームズの小さな呻き声が上がった。

 

それを聞いたジェームズは後ろを振り返るが、実験者は無反応だった。 



次にまた不正解となり、120ボルトのスイッチを押すと、またジェームズの呻き声。

 

更に不正解で135ボルトのスイッチを押し、呻き声を聞くと、再び後ろを振り返るが、特に反応はない。

 

またも不正解で150ボルトを押すと、「痛い!」という声が発せられた。

 

そして、165ボルトまで上げた時、「出してくれ!心臓病なんだから。もう実験には協力しない」とジェームズが叫んだ。 



フレッドの顔色も変わり、実験者を振り返ったが、続けるように促された。

 

「彼はイヤだと言ってる」

「それでも、すべて正解するまで続けなければなりません。続けてください」 



戸惑いを見せたが、「落ち着いて、集中しなさい」とジェームズに声をかけ、実験を続けるフレッド。

 

「不正解です。180ボルト」

「耐えられない!」

 

ここで、観察していたミルグラムの独白。

 

「彼も最後まで続けた」 



また別の被験者は、375ボルトのスイッチを拳で叩き、思わず笑みを零す。 



「ここから出してくれ!」と呻き声を上げているのは、フレッドの時の学習者役だったジェームズ。

 

ここで、先生役だけが被験者であることが判然とする。

 

ジェームズはスイッチを押される度に、テープレコーダーの声を流すだけなのだった。 

ジェームズ



最高値の450ボルトを押した別の被検者は、「同じスイッチで続けて」と実験者に指示されるが、相手が無反応なので不安になり、死んでいるかも知れないと、隣の様子を見て来るように訴える。 



しかし、実験者の強い指示で、再び450ボルトのスイッチを押し続ける。 



実験が終了し、ミルグラムが部屋に入り、被験者に質問する。

 

「学習者に電撃を与えたのは、なぜですか?」


「俺は途中でやめたかった。彼が叫んでたからね」

「痛そうだった?」

「ああ」

「やめてほしいと?」

「そうだ」


「彼には中止する権利が?」

「どうかな」

「その時点で、やめなかった理由は?」

「続けろと言われたからだ」


「苦しむ人の頼みは聞かずに?」

「実験を続ける責任があるし、誰も止めなかった」

「彼は頼んでいた」

「確かにそうだが、彼は被験者だからさ」

「それでは誰が…彼が電撃を受けた責任は誰に?」


「さあね」

 

そこで、隣の部屋からジェームズがやって来た。

 

「ちょっと怖くなって、ご心配をかけた」 



そして、実験者が説明する。

 

「この電撃発生器は、マウスやラッドなど小動物の実験用です。ボルトの数の表示は偽物です。実際には、あなたが体験した電撃より、少しだけ強い程度です」 



ジェームズに向かって被験者が声をかけた。

 

「大丈夫か?」

「ああ、元気だよ。恨みはない。私でも同じことをする」

 

また別の被験者に、ミルグラムが説明する。

 

「他人に苦痛を与える際の反応を研究しています。命令に従う心理の実験です…どうか、ご理解ください。自然な反応を見たかったのです。報告書を受け取るまで、誰かに話さないように。その人が被験者になる可能性がある」 




ここでミルグラムは、観る者に向かって、1933年にユダヤ人の移民の子としてブルックリンに生まれたと語りかける。

 

「その頃、東欧では同胞がナチスの収容所で殺されていた。私が服従実験を行うのは、そのことが頭から離れないからです。文明化した人間が、どうして残虐行為に走るのか。組織的な大虐殺は、どのように起きたか。加害者たちの良心は働かないのか」(独白) 



その頃、パーティーで知り合ったサシャと結ばれ、彼女もミルグラムの実験室にやって来て、共に実験内容を観察し、生涯、彼の研究の良き理解者となっていく。 

ミルグラムとサシャ(左)




更に実験は続くが、一人だけ明確に拒否する被験者がいた。 


彼はオランダ人の電気技師で、高電圧の苦痛をよく知っているからだった。

 

彼は極めて例外的だとミルグラムは言う。

 

「どの精神科医も心理学者も、最後までやる人などいないと言った…どんな職業の人も、最後まで電撃を加える」 



その後も、女性を被験者にしたりするなど、パターンを変えて実験したが、結果は殆ど同じで、被検者は最後の450ボルトまで実行した。 



「悪意ある権力の命令に服従して、市民に残虐行為を加えるような人間性は、アメリカ社会と無縁ではないのです…最後の2日間は実験を録画した。1962年5月26日と27日です。4日後、エルサレムでアイヒマンが絞首刑に。ホロコーストの責任者・アイヒマンは、ユダヤ人の国外追放や大虐殺に関与。戦後、アルゼンチンに逃亡した…モサドによって、1960年に拘束された」(独白) 



その裁判をテレビで見るミルグラムとサシャ。 



「アイヒマンは罪悪感も後悔の念も示さなかった。ユダヤ人の移送は任務で、上官の命令がなければ、何も行わなかったと述べた」(独白) 



是を以て(これをもって)、「服従実験」は完了するに至る。

 

 

 

2  「私たちは、まるで操り人形のようだが、知覚を持った人形だと信じている。自分を操る糸に気づくことができるはずだ。その気づきこそが、自由へと続く道の初めの一歩になる」

 

 

 

以下、ミルグラムの博士論文を指導した心理学者、ソロモン・アッシュについての話。

 

プリンストン高等研究所で、線の長さの認識について実験が再現される。

 

「やることは簡単です。左にある線を見て、右にある3本から、同じ長さの線を選びます」 

ソロモン・アッシュ


有名なアッシュの「同調実験」である。 

アッシュの「同調実験」/アッシュ実験で使用された2枚のカード。左は標準長の直線で、右派被験者が判断する必要がある3本の直線(ウィキ)

アッシュの「同調実験」/被験者の頭にあるのは「ほんとはBだろうけど、みんなが言うからAなんだろうなあ」という風に判断を変え、Aを選択してしまう


「同調実験」でアッシュは、他の実験参加者(サクラ)が不正解を選択すると、それに同調して、被験者自身も不正解の答えを選んでしまうという人間の傾向を明らかにした


―― 以下、「同調実験」を検証する、ミルグラムが70年代に製作した記録映画。

 

「白いTシャツの学生だけが本当の被検者で、数人の答えを聞かせた後で答えさせる…やがて他の学生たちは、わざと誤答する。被験者は集団の影響に屈して判断を曲げる」 



十数年後、ミルグラム夫妻はアッシュの自宅に向かう。

 

車の中で、「“判断の変容における、集団的圧力の効果”」とサシャに説明。 



アッシュ家の前で、ミルグラムは吐露する。

 

「“線の長さ”はどうかと思う。人間的な実験をやりたい」 



アッシュはミルグラム夫妻を前に、実験についてミルグラムを質す。

 

「服従の悪い面ばかりに、こだわるのはなぜだ?服従の恐ろしさを強調するが、悪の道具とは限らないだろ…君の実験は人を不快にさせる」


「780人の被検者のうち誰ひとり、叫んでる男性が無事か見に行かなかった。ただの一人もです」
 



その後ミルグラムは、ハーバード大学の助教授となり、人を使った別の「同調実験」を進めていく。

 

エレベーターに3人のサクラが、扉に背を向け、後ろ向きに立っていると、それに気づいた被験者の男性は落ち着きがなくなり、体の向きを変えていく。 


“コート姿の男性の様子にご注目ください。自分を保とうとしてますね。でも少しずつ…時計を見るふりをして、後ろ向きになります”」 



その映像を見て大笑いするサシャ。 



「私の研究の多くは、錯覚を利用しています…ハーバード大学で、“放置手紙実験”をしました…封をして切手を貼った手紙を大量に用意。歩道や公衆電話に放置したり…宛先はすべて同じ私書箱で…2週間で届いたのは、各100通のうち、受取人が医学研究協会は72通、カルナップ氏は71通、共産党の後援会は25通、ナチ党の後援会も25通でした」(独白) 



ミルグラムは生徒たちに、こう結論付けた。

 

「“アメリカ国民はナチ党と共産党が嫌い”。この実験結果は妥当で、驚きもなく、ホッとする」 



ミルグラムは、更に「放置手紙実験」を深めていく。

 

ミルグラム夫妻は、車の中で新聞で取り上げられた記事を読む。

 

「“イェール大学の実験は、人間の残忍性を明らかにした。24の条件下で実験を行い、被検者の数は…”100人もいたっけ?」


「30分以上も話したのに引用がない」

 

その後、ミルグラムはハーバード大学を追われることになる。

 

「嫌われてる自覚はあっても、ショックでした。名指しで攻撃する記事が、心理学の専門誌に。“研究の倫理を考える”、“ミルグラムの服従の研究への反論”」(独白) 



学者たちの会合で、ミルグラムは実験の意義を解説する。

 

「ここにいる皆さんを始め、専門家の予想は、最後まで電撃を加えるのは1000人に1人。しかし実験の結果は500人以上でした。実験室で起きたことは、予期せぬ発見だったのです」 



これに対して、道徳教育の専門家は、被検者を不安にさせ、強いストレスを与えたと批判。

 

「倫理観の後退だ」


 

逆にミルグラムが質問をする。

 

「服従という心理学的な機能について、服従が起こる状況と、それに伴う防衛機制、服従を続けさせる感情的な力とは?」


「科学は道徳的な人間性をおとしめてはならない」
 


意味不明で、答えになっていない提唱をする道徳教育の専門家。

 

また別の教授から、「虐待を強制したのか?」と尋ねられたミルグラムは、明確に否定した。

 

「命令と結果の間には、被験者という個人がいます。その良心と意志により、服従しても背(そむ)いてもいい」


「分からないのは、実験室での虐殺行為を、大量虐殺に加担するのと同一視していることだ」
 



この暴論に対し、ミルグラムは反論として資料を参加者に配る。

 

「実験が終わってから、被検者に質問しました…84%は実験に参加できてうれしい。15%はどちらでもない。1.3%は後悔していると答えました…74%は、何か個人的に重要なものと、人間の行動を定める状況を学んだそうです」 


被験者だけは、実験の意義を認知しているのである。


産まれたばかりの赤ん坊を抱くサシャと、休暇でパリへ向かうミルグラム。 



「実験の一年度、精神科医のエレーラと、被験者の心のケアをすることにした」(独白)

 

3人の被験者の女性と面談する精神科医とミルグラム。 



女性たちの率直な感想を聞き、実験の目的や罪悪感を抱いたことなどの意見を聞き、ミルグラムが応えていく。 



「あらゆる行動は、その人の感情や思想が起こすと考えがちです。しかし人の行動は状況が左右します。今回の実験においては、状況の力が個人の力を圧倒したのです」 



ミルグラムは更に、「スモールワールド」の研究を進めていた。

 

「世界中の人々の間には、生涯、会わなくても、“6次の隔たり”しかない。このようなネットワークを知れば、社会の構造をもっとよく理解できる。私たちは孤独で、バラバラなのだという言い古された愚痴は、正しくないのだろう」 


【「アメリカ合衆国国民から無作為に選んだ2人の人間の間は、平均して6人の知り合いを介することで繋がる」という、ミルグラムの仮説は「スモールワールド現象」とも呼ばれ、現在でもSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)の効果や伝染病の感染などの研究にも役立っている/Wikipedia 

「スモール・ワールド現象」とは、紹介の連鎖で誰にでも辿り着けるという仮説


1974年9月、ミルグラムは、ニューヨーク市立大学の大学院センターの社会心理学部長となった。 



服従実験から10年余りの時を経て、論争必至の『服従の心理:実験的視点』の出版するに至り、テレビ出演したミルグラムは、インタビュアーとの対談で、なぜ今この本が注目されるのかを問われた。 



「人は権威に逆らえないと実験が示したのに、みんな、聞きたくないわけです。社会の常識に傷がつき、倫理観が壊れますからね」


「この実験こそ、倫理的に問題だという批判については?詐欺のようなひどいやり方で…」


「この実験は確かに刺激が強いとは思います。人間の可変性について考えさせられました。悪意や攻撃性ではなく、変わりやすい性質です」
 



その後もいくつかの研究の実験を試み、ついに、服従実験はCBSのテレビドラマとなった。 

テレビドラマ


「人々は全体より部分を見ています。分業により細分化された専門的な仕事をしていて、常に上からの指示で行動します。これが“代理人状態”です。権威に服従することで、自分の行動と心理的距離をとります。代理人状態の人間が得意な言い訳は、“自分の仕事をしただけ。私の仕事じゃない”。命令に従うことが、行動基準です。他人の要望を遂行する道具のようになるのです。兵士や看護師や役人、俳優や会社員。学者や芸術家も、誰かの代理人です。代理人になるかどうか、被験者は自分で選べるはず。しかし一旦、受け入れれば、もう引き返せません」(独白) 



1984年、ミルグラムは、人々が思考しない全体主義の世界を描いたジョージ・オーウェルの『1984年』と関連付け、服従実験の講演で世界中を飛び回っていた。

 

そしてこの年、ミルグラムは5回目の心臓発作で、51歳で逝去した。 



ラスト。

 

「世界中の心理学の入門書が、服従実験を取り上げて論じている…実験の手法や結果は、今も批判され続けている。しかし権力が認めた暴力が整然と行われるたびに、服従実験は必ず話題に上る。答えは出ていないのだ。私たちは、まるで操り人形のようだが、知覚を持った人形だと信じている。自分を操る糸に気づくことができるはずだ。その気づきこそが、自由へと続く道の初めの一歩になる」(独白)

左のサシャの顔は、初めて実験を観察した時の真剣な表情

 

 

3  「権威と服従の関係」が自我を支配するとき、その自我の自律性はシステムが作った物語の内に従属し、融合する

 

 

 

「人々は全体より部分を見ています。分業により細分化された専門的な仕事をしていて、常に上からの指示で行動します。これが“代理人状態”です。権威に服従することで、自分の行動と心理的距離をとります。代理人状態の人間が得意な言い訳は、“自分の仕事をしただけ。私の仕事じゃない”。命令に従うことが、行動基準です。他人の要望を遂行する道具のようになるのです。兵士や看護師や役人、俳優や会社員。学者や芸術家も、誰かの代理人です。代理人になるかどうか、被験者は自分で選べるはず。しかし一旦、受け入れれば、もう引き返せません」 



以上のディスクール(言説)で瞭然とするように、本作の批評のコアは、映画の中でのミルグラムの言語表現それ自身がメッセージになっているので、そこに加える何ものもないが、映画批評的に言えば、様々な実験を実施しつつも、『服従の心理』という問題意識が本篇を貫流しているが故に、後半が尻切れトンボになった印象が拭えなかった。 

物語の語り手として、観る者に表現するミルグラム



それでも、世界で頻発する厄介な状況を社会心理学的な視座で対峙し、考察を深める知的思考を武器にして、人間が抱える複雑な問題に関与する実験を実施していくミルグラムの軌跡を描いた映画には観るべき価値があると、私は率直に思う。 

実験を観察するミルグラム


―― 以下、『服従の心理』という問題意識をコアにして、心理学的な批評に結んでいきたい。

 

「アイヒマン実験」とも呼称される「ミルグラム実験」から、私たちはどのような結論を手に入れるのだろうか。 



この問題意識が基軸になる。

 

物語の語り手でもあるミルグラム自身は実験を行うに際して、イェール大学の心理学専攻の学生を対象に、事前アンケートを実施している。 

イメージ画像/イェール大学心理学での「幸福論の授業」の講義(2018年)


全員が、最大の電圧を付加する者はごく僅か(平均1.2%)だろうと回答したのである。

 

ところが、提示された映像で確認できるように、実験結果は、被験者の65%が最大電圧である450ボルトまでスイッチを入れたのだ。 


450ボルトのスイッチを押し続けて、頭を抱え込む被験者


『服従の心理』というミルグラム自身の著書で明らかなように、私たち人間が権力・権威からの命令・指示に対して、違和感を覚えながらも服従し、多くの場合、与えられた任務・作業を遂行してしまうという由々しき現実を認知せざるを得ない。 



このことは、10年間にも及んで、特定の男によって、70件もの類似事件が惹起した実話(「ストリップサーチいたずら電話詐欺」)を映画化した「コンプライアンス服従の心理」(クレイグ・ゾベル監督)において、惨いまでに検証されてしまった。 

                 以下、「コンプライアンス服従の心理」より



物語の概要は、こういうものである。

 

―― 警察官を自称する男・ダニエルズがファストフード店に電話をかけ、女性店長を誘導し、「警察への協力行為」の名の下に、こう言い放つ。

 

「窃盗事件だ。お宅の従業員が、客から現金を盗んだ件だよ。レジ担当の若い女の子だ。年齢は19歳ぐらいで、金髪の・・・」

「ベッキー?」

「そう。ベッキーという名前だ。被害届が出ている。署員が、じきにそちらに着く。彼女は、別件でも捜査対象だ。協力してもらえるか?」

「勿論ですが、別件とは何です?」


「それは、まだ言えない。とにかく、君には協力をお願いしたい」
 

ダニエルズ

重要なのは、この僅かな会話のみで、私人に対する法的優越性が認められる、行政主体と私人との「権威と服従の関係」(このケースの場合、狭義の「権力関係」)の認知を済ませているという点である。

 

事件との関与を否定するベッキーが、サンドラに代わって電話に出た。 

ベッキー

「私はダニエルズだ。少し質問させてもらう。君に金を盗まれたという女性が警察に来ている」

 

全面否定するベッキーに、「被害女性」の当時の状況を説明した後で、再び、サンドラに代わってもらう。

 

「悪いが、彼女のバッグやポケットを調べてくれるか?」

 

このダニエルズの「要請」は、「命令」と同質のものと言っていい。

 

人権侵害に関わるダニエルズの「命令」を、サンドラが異議を唱えることなく受託したことで、「権威と服従の関係」の強化に変じる。

 

結局、見つからなかった「窃盗品」。

 

それを報告するサンドラ。

 

「予想通りだな。我々が到着するまで、彼女を部屋から出さずに、待っていて欲しい」 



孤立感を深めるベッキーだけが、感情含みで「冤罪」を主張するが、本人自身が話していたように、馘首を恐れる心理も手伝って、彼女もまた、サンドラと同様に、逆らい難い「権力関係」の懐の中に収斂されていく。

 

「私に対しては敬語で話すべきだろう」 



この一言が持つ意味は、有名な「ミルグラム実験」で証明されている、「対象人格の承認」に準じて具現する、「権威」の規範の力学をも超えて、明らかに、私人に対する法的優越性を有する「権力関係」の力学が確認できるだろう。

 

「連行して調べてもいいが、様々な事務処理が加わる。だから、彼女の服を脱がせて、検査してしまえば話が早い。関わるのは嫌だろうが、頼むよ。連行されたら、起訴される確率は9割以上だ。その場で君が検査するのは、彼女のためでもある。最終的な責任は私が負うから問題ないよ。安心したまえ」

 

当然ながら、それを拒否するベッキー。

 

しかし、その方が早く済むと、サンドラも求めていく。

 

「最終的な責任は私が負う」

 

この言辞の連射は、未知のゾーンに放り込まれたサンドラとベッキーの、堅固に武装化し得ない、殆ど宙吊り状態の自我の相当な拠り所になっている。

 

不安の除去を軽減するに足る格好な担保がなくとも、その言辞に縋りたいという幻想が分娩されてしまうからである。

 

「電話で話す限り、君はいい子のようだ」

 

このダニエルズの言辞は、基本的に「権力機構」の「取調室」と同質のものである。

 

「権威と服従の関係」が自我を支配するとき、その自我の自律性は、行政システムが仮構した物語の内に従属し、融合する。

 

そのとき、人間の自我の脆弱さが、情けないまでに炙り出されてしまう。

 

だから、ダニエルズに対するサンドラの「服従の心理」の本質は、ダニエルズに記号化された法執行機関への「優越性の承認と適応」であると言っていい。

 

「サンドラが検査を終えれば、すべて解決するはずだよ」

 

早く楽になりたいという相手の思いを見透かしている言辞である。

 

かくて、「警察が調べるから」という理由で、脱いだ服を車に置き、ベッキーをオフィスに待機させるという強制力を持つ指示が下る。 





見事な詐欺の手口だが、だからと言って、裸にさせてしまう行為の過剰性に抑制が効かない心理には、サンドラの「優越性の承認と適応」の行程が、「権威と服従の関係」の強化の顕在化の中で雁字搦(がんじがら)めになっているからである。 

           「権威と服従の関係」の強化の恐怖の中で奪われゆく者・ベッキ



人間は、ここまで脆弱性を晒すことができるのだ。

 

「権威と服従の関係」の強化は、頓挫するまで突き進んでいく。

 

まさに、犯人の「ダニエルズ」に記号化された法執行機関への「優越性の承認と適応」 ―― 「服従の心理」の本質が、そこに炙り出されてしまったのである。  

事件直前の店内の様子


―― 物語はもっと延長されるが、身体検査を口実にして、女性店員を裸にする手口が常套化する犯罪は、人間の「脆弱性」を認知・自覚する意味で、「ミルグラム実験」については、繰り返し学習を求められていると信じる私にとって、この映画で提示された問題意識の総体を受容することの大切さを、改めて確認した次第である。 

ミルグラム実験


【因みに、特殊な状況下にあって、権力・権威から命じられれば、与えられた役割に即して、犯罪に振れていくことを立証した「スタンフォード監獄実験」の異様な光景を想起する。当該実験では、「看守」と「囚人」に被験者を分け、権威の命令の下、看守による囚人管理が実行された結果、何が起こったか。囚人に対する精神的・身体的虐待が日常化したのだ。泣き出す「囚人」が出現し、中止に至ったこの実験は、近年、BBCによる監獄実験によって再検証されず、「帰無仮説」(当否が検定される仮説)によって棄却され、頓挫する。心理学実験の怖さをも知らねばならないだろう】 

スタンフォード監獄実験

「スタンフォード監獄実験」を描いた映画「es [エス]」より


―― 『服従の心理』を検証したミルグラム実験の成果は、同時に、私たちが「理性」とか、「良心」と呼んでいるものの、そのあまりの脆弱さを炙り出してしまったことにもある。

 

「理性」と「良心」の正体は自我である。

 

極論を言えば、人間とは自我であると言い換えられるかも知れない。

 

私見によれば、自我とは、人間の生命と安全を堅固に維持し、社会的適応を充全に果たしていくための羅針盤である。 

生物学では自我を大脳の観点から研究する


それは、社会的適応にとって極めて有害な攻撃的衝動を抑え、人間に固有なる様々な欲望を上手に管理し、しばしば、それをエネルギーに換えて自己実現を図っていくという、高度な適応戦略を展開する形成的な基幹能力であると言っていい。

 

しばしば、ドーパミン等の神経伝達物質の過剰なシャワーを浴びてたじたじにな るが、人間は自我なしに生きられないし、それによってのみ、人間は人間らしい営為を継続することが可能なのである。

 

人間がしばしば犯す大きな間違いは、「本能の代用品」(生存に関与するものに限定)である人間の自我が、それに身を委ねれば殆ど大枠を外すことのない展開を示し得る「本能」(広義に言えば、ローレンツが言う「生得的解発機構」)に対して、その進化の様態があまりに不十分であり、およそ万全な完成形になっていないという根源的な問題に起因する。

 

欲望を加工したり、或いは、全く異質の欲望を動員したりすることで、私たちの自我は元の欲望を制御するのである。

 

然るに、私たちの自我は欲望から強烈な刺激を受けて、ドキドキすることが止められない「ドーパミン・ジャンキー」と化し、しばしばメロメロになることもあるが、欲望を制御するためにそれを加工したり、全く異質の欲望を作り出したりことすらあるだろう。 

ドーパミン・ジャンキー/イメージ画像


「人間とは欲望である」という命題は、従って、「人間とは、欲望を加工的に制御する自我によってしか生きられない存在である」という命題とも、全く矛盾しないのである。

 

人間の自我の最も弱いところは、欲望のコントロールが不全であることと、それが環境に適応するときに、しばしば過剰に反応してしまうということである。

 

とりわけ、自我が閉鎖的な環境に置かれたとき、その中での序列的な関係に呪縛され、支配されやすいということ。

 

私たちの歴史上の誤りは、殆ど、この冷厳なる現実に相関すると思われる。

 

人間の自我の自律性は、どこまでも社会的な関係によって規定されてしまうということ、それが問題なのだ。

 

従って、劣化したシステ ムの下では、自我もまた、そのシステムに合わせて劣化してしまうのである。

 

だから、人間にとって最大の問題は、それぞれの自我の自律的展開に大きく関与する環境や、それを支えるシステムの出来不出来に依拠しているということなのだ。

 

システムの中で、私たちは、自分たちが作り出した過剰なまでに便利で、しばしば厄介な道具を、いつも万全に使いこなすことができずに狼狽(うろた)えるのである。

 

「権威と服従の関係」が自我を支配するとき、その自我の自律性はシステムが作った物語の内に従属し、融合する。

 

その自我が拠って立つ正義は、システムの価値観に収斂されるのだ。

 

そのとき人間の自我の脆弱さが、情けないまでに炙り出されてくるのである。

 

ミルグラム教授によって実施された、イェール大学での「アイヒマン実験」において、65%の者がそれを加えれば死ぬかも知れない電圧のスイッチを押したということは、やはり由々しき事態と言うより外はないのだ。 

映画より


人間はこれほどまで簡単に、「理性」とか「良心」を稀薄化させることができる存在なのである。

 

それ以外の選択肢がないという、閉鎖的で、退路が剥奪された苛酷な状況に人間を捕捉しないこと。

 

少なくとも、それだけは、人間学についての学習的な真理の一つであることは間違いないであろう。


―― 以下、スタンレー・ミルグラムの『服従の心理』から、冒頭の文面を引用する。 

スタンレー・ミルグラム


【服従は、社会生活の構造の中で、これ以上はないくらい基本的な要素だ。あらゆる共同生活で、何らかの権威システムは不可欠だし、完全に孤立して暮らす人でもないかぎり、他人に命令されたら、反抗するにせよ従うにせよ、何らかの反応を示さざるを得ない。1933年から1945年にかけて、何百万人もの罪のない人々が、命令に従って系統的に虐殺されたことは、信頼できる形で証明されている。ガス室が作られ、絶滅収容所に見張りが立ち、毎日のノルマ通りの死体が、器具の製造と同じ効率性をもって生産されていた。こうした非人間的な政策は、発端こそ一人の人物の頭の中かもしれないが、それが大規模に実行されるには、ものすごく大量の人間が命令に従わなくてならない。

 

服従とは、個人の行動を政治目的に結びつける心理メカニズムだ。それは人を権威システムに縛る指向上のセメントだ。近年の歴史上の事実や日常生活での観察から、多くの人々にとって服従というのが根深い行動傾向であり、それどころか倫理や同情、道徳的振るまいについての訓練を圧倒してしまうほどのきわめて強力な衝動であることが見てとれる】 

 

(2022年5月)

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