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2014年7月22日火曜日

コンプライアンス 服従の心理(‘12)     クレイグ・ゾベル


<ダニエルズに記号化された法執行機関への「優越性の承認と適応」 ―― 「服従の心理」の本質>




1  「権力関係」の発生から、「権力関係」の強化という、徒ならぬ事態への風景の変容



「同じ過ちを、絶対に繰り返さないで。客を装って本部の人間が来るらしいから。清潔第一よ。金曜の夜は戦争になるわ」

前日に冷蔵庫を閉め忘れた者がいて、そのためベーコンが不足し、食材をダメにした一件で、オハイオ州の某ファストフード店の女性店長サンドラは、その日、店員の前で厳重な注意を促すと共に細かい指示を与えている。

ここで厄介なのは、「何とかなると思った」ので、サンドラが本部長への報告を怠っていたという事実である。

だから、「戦争になる」この日は、僅かなしくじりも犯してはならなかった。

この心理圧がストレッサーになって、彼女の自我を、普段以上に過剰防衛の意識で捕捉していたのである。

「言葉遣いに注意して」
「調理料の台がメチャクチャよ」

店員に対するこんな注意の多用も、すべて本社のミステリーショッパー(覆面調査)を恐れるからである。

ミステリーショッパーを恐れるサンドラに、思いも寄らない人物から電話がかかってきたのは、ファストフード店が多忙を極めているときだった。

サンドラ、警察の人から電話よ」と従業員。
「警察のダニエルズだ。責任者の方?」
「はい。店長です」
「名前は?」
「サンドラ・フロムです」
「店長のサンドラか。本部長に話したら、君に直接、電話をしろと」
サンドラ
「冷凍庫の件ですね」
「違う。窃盗事件だ。お宅の従業員が、客から現金を盗んだ件だよ。レジ担当の若い女の子だ。年齢は19歳ぐらいで、金髪の・・・」
「ベッキー?」
「そう。ベッキーという名前だ。被害届が出ている。署員が、じきにそちらに着く。彼女は、別件でも捜査対象だ。協力してもらえるか?」
「勿論ですが、別件とは何です?」
「それは、まだ言えない。とにかく、君には協力をお願いしたい」

以上の会話で分明だが、警察に特定された従業員の窃盗事件の一件を知らされたサンドラが、まだ切っていない電話口に出た行為には、特段の問題がない。

ただ、ここで押さえておきたいのは、サンドラが、「警察のダニエルズ」と名乗っただけの相手の存在を受容している事実である。

詐欺で固有名詞を名乗ることで、信頼感が増す。

疑義の念を抱く余地が生れにくいのである。

法治国家の国民の態度として、当然過ぎることだ。

重要なのは、この僅かな会話のみで「権力関係」の認知を済ませているという点である。

ここで言う、「権力関係」とは、狭義で言えば、私人に対する法的優越性が認められる、行政主体と私人との「権力関係」である。

即ち、一定の「支配・服従」の「権力関係」の認知を済ませていることが、次のステップへの準備となる。

「権力機構」の記号としての「ダニエルズ」
更に由々しきことは、「権力機構」の記号である「ダニエルズ」の狡猾な物言いである。

殆ど命令口調の話し方で、「本部長に話したら、君に直接、電話をしろと」、「別件でも捜査対象だ」というような、サンドラの非武装性を鋭利に衝く情報を提示した点である。

だから、次のステップへの移行が容易に可能になったのである。

事件との関与を否定するベッキーが、サンドラに代わって電話に出た。

「私はダニエルズだ。少し質問させてもらう。君に金を盗まれたという女性が、警察に来ている」

全面否定するベッキーに、「被害女性」の当時の状況を説明した後で、再び、サンドラに代わってもらう。

「悪いが、彼女のバッグやポケットを調べてくれるか?」

このダニエルズの「要請」は、「命令」と同質のものと言っていい。

人権侵害に関わるダニエルズの「命令」を、サンドラが異議を唱えることなく受託したことで、「権力関係」の認知が「権力関係」の発生に変化する。

二人にとって、私人に対する法的優越性が認められる「ダニエルズ」の存在は、「権力機構」の記号以外ではなかった。

全面否定するベッキー
ベッキーのポケットに何もないことで、控え室にあるバッグを調べにいく二人。

「店員の盗みは許さない」

ミステリーショッパーの一件が、サンドラをナーバスにさせていく。

結局、見つからなかった「窃盗品」。

それを報告するサンドラ。

「予想通りだな。我々が到着するまで、彼女を部屋から出さずに、待っていて欲しい。」
「問題もなく、いい子なんです。本当に間違いないんですか?」

「権力関係」の発生に変化がなくとも、一瞬、ベッキーの窃盗の事実に疑心暗鬼の感情が生れるが、「権力機構」の記号を強く押し出してきたダニエルズの以下の発言で、澱んだ空気が「権力関係」の懐の中に一気に収斂されていく。

「私は警官だ。つまり、責任を取るのはこの私だ。全ての。君は心配しなくていい。本部長とも電話が繋がっているし、迅速さが必要だ」
「ええ、その通りです。全て指示に従います」

孤立感を深めるベッキーだけが、感情含みで「冤罪」を主張するが、本人自身が話していたように、馘首を恐れる心理も手伝って、彼女もまた、サンドラと同様に、「権力関係」の懐の中に収斂されていく。

「私に対して敬語で話すべきだろう」

この一言が持つ意味は、有名な「ミルグラム実験」で証明されている、「対象人格の承認」に基づいて具現する、「権威」の規範の力学をも超えて、明らかに、私人に対する法的優越性を有する「権力関係」の発生が確認できるだろう。(厳密に言えば、相手の承認の前提と、「法」に準じた有形力=物理的な力の行使の有無によって、「権威」と「権力」の違いを認知せなばならない)

一気に畳み込んで来るダニエルズ
外部強制力を包含するこの関係を推進力にして、一気に畳み込んで来るダニエルズ。

ベッキーの恐怖心が軟着点を求める心理は、「冤罪」を形成する「権力機構」に支配されていく感情とも同質である。

そして、「権力関係」の発生は、「権力関係」の強化という徒(ただ)ならぬ事態にまで、一気に下降していくのだ。



2  ダニエルズに記号化された法執行機関への「優越性の承認と適応」 ―― 「服従の心理」の本質



「連行して調べてもいいが、様々な事務処理が加わる。だから、彼女の服を脱がせて、検査してしまえば話が早い。関わるのは嫌だろうが、頼むよ。連行されたら、起訴される確率は9割以上だ。その場で、君が検査するのは、彼女のためでもある。最終的な責任は私が負うから問題ないよ。安心したまえ」

当然ながら、それを拒否するベッキー。

しかし、その方が早く済むと、サンドラも求めていく。

「最終的な責任は私が負う」

この言辞の連射は、未知のゾーンに放り込まれたサンドラとベッキーの、堅固に武装化し得ない、殆ど宙吊り状態の心理の相当な拠り所になっている。

不安の除去を軽減するに足る格好な担保がなくとも、その言辞に縋りたいという幻想が分娩されてしまうからである。

本来、サンドラとベッキーの関係は、単なる「雇用関係」であって、権力の行使による支配と服従との関係である「権力関係」ではないが、この時点で、「権力関係」の懐の中に収斂されたサンドラは、ベッキーとの関係を、限りなく「疑似権力関係」の色彩に変色させていく。

「電話で話す限り、君はいい子のようだ」

このダニエルズの言辞は、基本的に「権力機構」の「取調室」と同質のものである。

「アメとムチ」を駆使して、「疑似権力関係」の懐の中に収斂さていく手法だからである。

「権力関係」が自我を支配するとき、その自我の自律性は、行政システムが仮構した物語の内に従属し、融合する。

法執行機関の価値観に収斂されるサンドラ
その自我が拠って立つ正義は、法執行機関の価値観に収斂されるのだ。

そのとき、人間の自我の脆弱さが、情けないまでに炙り出されてしまう

だから、ダニエルズに対するサンドラの「服従の心理」の本質は、ダニエルズに記号化された法執行機関への「優越性の承認と適応」であると言っていい。

これは、普通の国民なら誰でも有する心理であるが故に、サンドラの「服従の心理」が消極的推進力となって、法執行機関の要求に従順に反応していくプロセスが、「権力関係」の強化に結ばれるというアンモラルな行動連鎖のハードルを低くしてしまうのである。

「サンドラが検査を終えれば、すべて解決するはずだよ」

早く楽になりたいという相手の思いを見透かしている言辞である。

疑義の念を抱いて面倒臭い状況にインボルブされるより、「優越性の承認と適応」の行程の幻想に身を預けたいという人間の脆弱性が、そこで分娩された不穏な空気の中枢に寝そべっている。

かくて、「警察が調べるから」という理由で、脱いだ服を車に置き、ベッキーをオフィスに待機させるという強制力を持つ指示が下る。

エプロンしか着ていないベッキー
今や、恐々と疑義を呈するサンドラに、「通常は明かせない情報だが、話そう」と言って、ダニエルズは「秘密の共有」を結ぶのだ。

「実は彼女の自宅を捜索中なんだ。彼女の兄が・・・マリファナ絡みの事件の容疑者なんだ。彼女も関わっているかも知れない。彼女の服は麻薬を扱った証拠として、法廷で使える可能性がある」

「秘密の共有」を結ぶことで、いよいよ、「権力関係」の懐の中に収斂されていく。

見事な詐欺の手口だが、だからと言って、裸にさせてしまう行為の過剰性に抑制が効かない心理には、サンドラの「優越性の承認と適応」の行程が、「権力関係」の強化の顕在化の中で雁字搦(がんじがら)めになっているからである。

人間は、ここまで脆弱性を晒すことができるのだ。

「権力関係」の強化は、頓挫するまで突き進んでいく。

サンドラに代わって、裸のベッキーの「見張り」を命じられた男性従業員のケヴィン。

状況の違和感に馴染めず、当惑するばかりの若者が、エプロンしか着ていないベッキーを調べろと命じられても、笑って誤魔化すばかり。

「こっちは法の番人だぞ。もう少し敬意を持って話せ」

「法の番人」・ダニエルズ
「法の番人」の命令に服従する選択肢を迫るダニエルズ。

しかし、ケヴィンが電話相手の命令に安易に応じられないのは、既に、「権力関係」の強化のステージを開いている男との心理的距離が大き過ぎたからである。

加えて、ケヴィンがベッキーとの心理的距離が近過ぎたことも重要な因子でもあった。

恐らく異性関係ないと思われる、仕事場での女友達に屈辱を与えるのに躊躇するのは、当然過ぎる選択肢なのだ。

その心理を把握したダニエルズが、ケヴィンの「代用」に選択したのは、サンドラの婚約者のヴァンだった。

ベッキーとの心理的距離が近過ぎないことと、サンドラを「権力関係」の懐の中に押し込めている現実を利用する以外になかったからである。

そこで、急遽、店に呼び出されたヴァン。

「今回の捜査は、私がすべてを仕切っている」

自らが「法の番人」であり、その責任を負っている事実を説明するダニエルズの常套手段である。

間髪を容れず、ケヴィンに命じた行為を、友人と飲酒していたヴァンに迫るダニエルズ。

躊躇するヴァンに、「女には隠し場所があるだろ?」とせせら笑いながら、不埒な行為を迫るのだ。

躊躇するヴァン
「どうも解せない」というヴァンに、サンドラは、「法の番人」の命令の履行を求め、自分は店に戻ってしまう愚かさを露呈する。

今のサンドラは、ダニエルズに対する「優越性の承認と適応」の心的行程が確立されているから、行動の反転など臨める訳がない。

ヴァンと二人切りになっても、当然、拒絶するベッキーに、「法の番人」からの「拘置」という切り札をチラつかされ、動揺するベッキー。

「分りました」

ベッキーもまた、「権力関係」の強化の恐怖を感受し、自らエプロンを取ってしまう。

ベッキーの身体検査が開かれるのだ。

ベッキーの反抗的態度へのペナルティーとして、尻叩きするヴァン。

ヴァンに対する敬語の強要を、ベッキーが求められたのは、ヴァン自身が「法の番人」としての代行者の役割を自覚させるためである。

アルコールが入っていたとしても、この異常な状況下では酔いも覚めてしまうはずだが、遂に、ヴァンはレッドラインを越えてしまうのだ。

「悪いことをしてしまった・・・」

その一言を残して、ヴァンは逃げるように去っていく。

「権力関係」の強化の恐怖の中で奪われゆく者・ベッキー
若い女性の肌に触れて、欲情が喚起させられたのだろう。

しかし、この「いたずら電話詐欺」(正確には、2004年の逮捕に至るまで、特定の男によって、70件もの類似事件を起こした「ストリップサーチいたずら電話詐欺」)は、呆気なく終焉する。

出入り業者であるハロルドが、権力を振り翳(かざ)すダニエルズから居丈高に命じられたが、断固として言い切った。

「お宅が、どなたか知りませんが、女性を裸にして検査など、そんなもん知らん」

ケヴィンの拒絶の事情と些か差異があれども、ケヴィン以上に厳とした態度で、厄介な権力の懐に呑み込まれなかった者もいるということ ―― この把握は重要である。

更に加えるなら、「ミルグラム実験」のように、完全に閉鎖的な環境下と違って、アメリカやカナダで有名な「周辺都市」或いは、「準郊外」(クレイグ・ゾベル監督の言葉/注)にある「隔絶された場所」であったにせよ、禁断のオフィスと店との行き来が物理的に可能な状況下で、且つ、電話詐欺の内容が極端に常識外れのものであれば、単に権力を振り翳すだけで、出会い頭のハロルドに対して、唐突に、予備情報も与えることのない一方的行為には無理があったと言えるだろう。

権力に呑み込まれるという「状況性」において、ハロルドの場合は、その内面的表出の発動が、外部強制力によって捕縛される空気から相対的に解放されていたのである。

それでも、権力に呑み込まれる者が出来するのが、様々な因子が複層的に絡み合っている人間社会の現象の不可思議な所以である。

事件直前の店内で
人間は様々なのだ。

その様々な人間が、様々な状況性の、様々な因子の絡み合いの中で、断定的判断の困難な行為に結ばれる。

恐らく、「これが人間の本性である」という、甚(はなは)だ短絡的な決めつけをも無化してしまうほどの、そういう複雑系人間学がダッチロールする社会の、カオスの臭気漂う果てしない秩序の大海の一角で、私たちは呼吸を繋いでいるのである。

ダニエルズのように、他人を支配し、苦しめることで快楽を感じる者もいれば、サンドラのように、そんな男に難なく騙される女もいる。

サンドラにしたって、「あのような愚昧な行為に振れる行為の女」というラベリングをしない方がいい。

明らかに、判断能力の欠如が認知できるものの、狡猾なプロの詐欺師の承諾誘導に関わるクロージングテクニック(誘導話法)の、殆ど曇りの欠片が拾えないほど、自我中枢を支配する包括力のうちに、サンドラが呑み込まれた心的行程には、責任負荷のシビアな状況性・ストレスフルな心理の様態・本部や店内での関係の力学・コンプライアンスへの順応度、等々の条件のハンデが絡み合っているのである。

しかしそれは、「未知のゾーン」における、この一件の責任から、サンドラが免れ得ない現実を意味しない。

騙されたとは言え、彼女の責任は相当に重いと言わざるを得ないのだ。

これが、普通の民主国家の国民が負う初歩的常識であるが、当然、訴訟権の行使も可能だから、あとは、司法が決めてくれる問題に過ぎない。

それだけのことである。


(注)犯罪が蔓延によって都市の荒廃が進んだ状況下で、アメリカで頻繁に使われる、「サバービア」(郊外)よりも離れた場所に広がるように形成されていった、比較的裕福なエリア。アメリカの他に、カナダが典型的な「準郊外」を形成。



3  私人に対する法的優越性を有する「権力関係」の前で晒す人間の「脆弱性」



サンドラを演じたアン・ダウドとクレイグ・ゾベル監督
このハロルドからの情報を得て驚くサンドラは、「はるか遠くにある本社により管理されている」(クレイグ・ゾベル監督の言葉)その本部に電話して、呆気なく、ダニエルズの本性を知り、愕然とする。

直ちに、サンドラはダニエルズの電話に出て、「あなたは誰?」と聞くが、相手に察知された瞬間、一方的に切れらてしまうに至る。

正真正銘の警察が動いたことで、一切が終焉していくのだ。

「あなた自身の責任は感じませんか?」

このテレビのインタビューに、サンドラは沈痛な面持ちだが、自分の主張だけはきっぱりと表現していく。

「勿論、感じています。ベッキーは、本当に気の毒でした。でも、私は正しいと思ったことをしただけ。あの状況では、誰もが同じことをしたはずです」
「自分も被害者だと?」
「勿論です。私は犯人に利用され、従っただけです」

この直後、事件の監視カメラの再生を求めるインタビュアーに対して、サンドラの弁護士がオンエアなしでも拒否することで、訴訟社会を常態化させている国民国家の断片を切り取る映像は、笑み含みでインタビュアーと雑談するカットを挿入し、閉じていく。

「サンドラの加害者性」を衝く見事な括りだった。

―― 繰り返し言及しているが、本作に対する私の把握は、以下の通り。

「権力関係」の認知⇒「権力関係」の発生⇒「権力関係」の強化⇒「権力関係」の破綻。

この構造が、実話をベースにした物語の基本骨格である。

だから、言うまでもなく、この映画は、承諾誘導に関わるクロージングテクニックを持つ狡猾なプロの詐欺師によって、「疑似権力関係」の懐の中に収斂されていくサンドラの「優越性の承認と適応」の行程が、「権力関係」の強化の顕在化の中で雁字搦(がんじがら)めになっていく様態を描き切ることで、「ミルグラム実験」で証明されている、「対象人格の承認」に基づいて具現する、「権威」の規範の力学をも超えて、明らかに、私人に対する法的優越性を有する「権力関係」の前で、極端なまでに「脆弱性」を晒す事態をリアルに映像化したのである。

人間の「脆弱性」を認知・自覚する意味で、「ミルグラム実験」については、繰り返し学習を求められていると信じる私にとって、この映画で提示された問題意識の総体を受容することの大切さを、改めて確認したい。

傑作と言う外にない。

【参考資料 拙稿 人生論的映画評論・「es [エス]

(2014年7月)


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