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2023年7月19日水曜日

八月の狂詩曲('91)   「戦時の悲劇」と「牧歌的な平和」が架橋する  黒澤明

 


1  「戦争が終わってもう45年も経つとに、ピカはまだ戦争ば止めとらん。まだ人殺しば続けよる。ばってん、みんな戦争のせいたい」
 

 

 

「なんだか、おかしな夏でした。その夏休みには、奇妙な出来事ばかり起こりました」(たみのモノローグ)

 

長崎の山村に住む祖母・鉦(かね)の元に、4人の孫たちが泊まりに来ていた。

 

縦男(たてお/良江の息子)が調子の外れたオルガンを弾き、絶対に調律して直してみせると言うと、たみ(忠雄の娘)が無理だと茶化す。

 

ハワイから届いた忠雄のエアメールをたみから渡された縦男は、鉦とみな子(良江の娘)、信次郎(忠雄の息子)らが集まる居間へ行き、読んで聞かせるのである。 

左から縦男、みな子、鉦、たみ、信次郎



その手紙には、ハワイで農園を営む鉦の兄・錫二郎(すずじろう)が重い病に罹患し、鉦が嫌だというので代わりに会いに行った息子の忠雄と娘の良江が、アメリカ人と結婚した錫二郎の家族から歓待される様子が書かれていたが、錫二郎は妹の鉦に会いたがっており、夏休み期間の孫たちがハワイに連れて来てくれないかとの要望に応えて、鉦が考え直して欲しいという内容だった。

 

錫二郎の息子のクラークからも、父が死ぬ前に会って欲しいとカタカナで書いた手紙が添えられており、孫たちも鉦のハワイ行きを期待含みで説得しようとするが、十何人の兄弟の1人である錫二郎のことを覚えておらず、何かの間違いだと言い張り、埒が明かない。 


必死に思い出そうとする鉦


何かの間違いだと言い張る鉦


「簾(すだれ)のかかった石頭」(信次郎)と言って、お祖母ちゃんを笑う孫たち



その鉦の作る食事は孫たちの口に合わず、たみが作ることを提案し、長崎に買い出しに行くことになった。 


縦男は、鉦のハワイ行きを説得すると言って家に残った。

 

丘の上から長崎市内を見下ろしながら、たみがみな子と信次郎に語りかける。

 

「このキレイな長崎の町の下には、一発の原子爆弾で消えてしまった、もう一つの長崎があるのよ」


「お祖父ちゃんは、その長崎の原爆で死んだんだろ?」と信次郎。

「そう」

「お祖母ちゃんは、どうして助かったの?」

「家にいたからよ。あそこは爆心地から8キロも離れた山の影だから」

「でも、あの頭、原爆でやられたんだって言ってたよ」

「お祖母ちゃんはあの日、お祖父ちゃんを探しにこの長崎まで来たからよ。お祖父ちゃんが勤めていた学校、爆心地の近くなの」


「それで、お祖父ちゃん、見つかったの?」

「学校は潰れて燃えて、焼け爛れた死体がいっぱいで、どれがお祖父ちゃんか、とうとう分からなかったの」

 

そこから3人は、祖父が勤めていた学校を訪れた。

 

「お祖母ちゃんはここの先生だったのよ。お祖父ちゃんと結婚して辞めたの」

「運がよかったね」

「どうかしらね…お祖父ちゃんが亡くなった時、あたしたちのお父さんはまだ赤ん坊。みなちゃんのお母さんは、お祖母ちゃんのお腹にいたのよ。一人残されて、大変だったに違いないわ」

 

校庭に置かれた被爆して歪んだジャングルジムのモニュメントを前に佇み、帽子を取って祈りを捧げる3人。 


「お祖父ちゃん、見つかんなくても、ここにいるよ、きっと」と信次郎。 



「その日、私たちは長崎の町を歩き回りました。原爆のことをもっと知りたかったからです」(たみのモノローグ)

 

浦上天主堂で被爆した石像を見て、「天使たちも、みんな泣いてる」とたみが呟く。 


被爆マリア像



長崎の平和公園で、各国から送られてきた慰霊碑を見ながら、「アメリカのがないね」と言う信次郎。

 

「当たり前じゃない。原爆を落としたのはアメリカよ」とたみ。 



噴水に建てられた「のどがかわいてたまりませんでした…」と刻まれた石碑を読み上げ、「水、水、みんなそう言って死んでいったのよ」とたみが言うと、3人は石碑に水をかける。 



「しかし、多くの人たちにとって、原爆は遠い昔の出来事に過ぎません。そして、どんな恐ろしい出来事も年と共に、忘れられていくのです」(モノローグ) 


「これでいいのかしら?」


「何だか、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんが可哀そうだね」

 

3人は今、神妙な面持ちで後部座席に揺られている。 



暗い畦道を歩いていると、帰りを心配して迎えに来る祖母の姿が見えた。

 

「お祖母ちゃん!」と走り寄る3人。

「遅かったとねぇ」 



みな子の作った夕飯を食べた後、縦男が鉦から聞き出した兄弟姉妹たち11人の名前を書き並べた黒板に集まる。 


鉦は他にも2、3人いるが思い出せないと言い、縦男は名前が抜けている順番からも、錫二郎は兄だと主張するのだ。

 

「思い出しても、お祖母ちゃん、ハワイへは行かないよ、きっと…お祖母ちゃんはアメリカが嫌いなんだ。当然だよ。原子爆弾でお祖父ちゃんを殺されたんだからね」と信次郎。


「あたしもそう思う。私たちも私たちの親も戦争を知らないし、原子爆弾のことだって話には聞いていても、少し怖いおとぎ話くらいに思ってただけ。原爆を頭の上に落とされた人たちの気持ちなんか、少しも分からなくて。考えもしないで。お母さんなんか、ハワイに大金持ちの親戚がいるって聞いたら、興奮しちゃって!」とみな子。

「嫌ね。私のお父さんだってそうよ。お祖母ちゃんに、ろくに話もしないで、慌ててハワイ行っちゃって!」

 

孫たちの話を後ろで聞いていた鉦が、スイカを運んできた。

 

「嬉しかねぇ。祖母ちゃんのことば、そげん考えてくれて。本当にありがとな。ばってん、アメリカば恨んどったとは、昔んことだでな。お祖父ちゃん死んでから、もう45年。今は、アメリカは別に好きでもなかけど、嫌いでもなか。みんな戦争のせいたい。戦争が悪かとやけ…錫二郎とかいう人んことで、お父さんやお母さんのことば、悪う言うたらいかん。二人は祖母ちゃんがハワイへ追いやったようなもんたい。その間、お前たち4人ば預かるとの嬉しゅうて…ハワイのお金持ちのことは、どうでんよか…」 


鉦は黒板に書かれた既にこの世を去った兄弟姉妹たちの名前を見て、様々なエピソードの記憶を思い起こしていく。

 

鉦は、また黒板に書かれた名前にある、一番下の鈴吉という頭の弱い子が、原爆で髪の毛が抜け、部屋に籠ったきりになり、出て来なくなったという話を始めた。 


「ばってん、夏の暑か日はさすがに我慢できんとやろ。月の出たら、こっそり山奥の滝壺まで泳ぎに行きよったけど…」

 

信次郎が部屋に籠って何をしてたかを訊くと、「どういう訳か、目ばっかり…紙さえあれば、飽きもせんで、目ん玉ばっかり描きよった」と言うので、黒板に目を描いて見せた。

 

すると鉦は、「これたい!この通り…そう言えば、お前は鈴吉にそっくりたい。瓜二つじゃ」と言うと、信次郎はむっとするが、他の皆は大笑いする。 



その鈴吉が夏の暑い日に泳ぎに行ってたという滝壺へ、4人でやって来た。 


弁当を食べながら、ハワイへ行く話をしていると、滝壺を泳ぐ白蛇を見つけ凍り付いてしまうのだ。 



帰り道、小さなお堂(念仏堂)で「般若心経」(はんにゃしんぎょう/浄土真宗を除く宗派で唱えるお経)を唱える年寄りたちの中に鉦もいた。 



「時々おばあさんたちが集まって、皆で一緒に亡くなった人たちの供養をするの」とたみ。

 

4人と一緒に帰る鉦が、立ち止まって振り返る。

 

「蛇の目?鈴吉のあの目は、蛇の目じゃなか。人の目でもなか。あいは、ピカの目じゃ」 


鉦はその日、空襲警報を聞いて、山の向こうの長崎の方向を鈴吉と見ていたと話し出す。

 

「急にそん空の裂けて光った。そん裂け目から、大きか目の覗いた。うちも鈴吉も、その大きか目に睨まれたごとあって、空ば見上げて動き切れんかった。ドーンと大きこと音がして地面の揺れた。鈴吉ば、腰ば抜かして、目剥いて、まだ空ば見上げとった。そん時から、ピカの目に取り憑かれて、そん目ばっかり見よるけん、そん絵ばっかり描きよったとじゃ。うちも、あん目ば忘れられん。あげん怖か目はなか」 

「あげん怖か目はなか」



そう話すと、鉦は踵(きびす)を返して、家に戻って行った。

 

まもなく、縦男が書いた錫二郎に兄弟の名前を問う手紙の返事が届き、確認が取れたので、鉦にハワイ行きの決断を忠雄が求めてきた。

 

鉦の「行く」という言葉を聞いて、歓喜する4人。 


但し、祖父の命日の供養を済ませてからとなり、早速、その旨を伝える電報を打った。

 

その電報と行き違いに、突然、忠男と良江の兄妹(鉦の子)がハワイから帰って来て、8月9日が祖父の命日であることに触れ、錫二郎の息子のクラークに知られるのがまずいと言い出すのだ。

 

「なんてったって、クラークさんはアメリカ人よ。お祖母ちゃんの連れ合いが原爆で死んだって分かれば、気まずいことになるわ」と良江。 

良江/縦男とみな子の母


「困ったな」と忠雄。 

忠雄/たみと信次郎の父



感性豊かなたみは、錫二郎やクラークらに祖父の話をしなかったことに呆れる始末。

 

そこに、良江の夫・登と忠雄の妻・町子が到着し、大人たちはハワイの広大なパイナップル農園や豪邸話で盛り上がるが、信次郎が「お祖母ちゃんに会いに来たのに、なんでお祖母ちゃんのこと聞かないの?」と町子に尋ね、水を差す。 

登(良江の夫/右から二人目)と町子(忠雄の妻/右から4人目)



その頃、鉦はお堂に集まり、お経を唱えていた。

 

たみは父親たちが祖父のことを隠すのがおかしいと、縦男に疑問をぶつける。

 

「良く言えば、錫二郎さんやクラークさんに対する思いやり。悪く言えば、外交的駆け引きと打算。はっきり言えば、せっかく掴んだ大金持ちとの付き合いに水を差すようなことはしたくないのさ」 


相変わらず、大人たちの農園と豪邸話は続き、東京のパイナップル工場への忠雄の就職話に沸き立つ会話を聞いていた鉦は怒り出す。 

忠雄と登


「浅ましかぁ!まるで乞食じゃ。うちはな、錫二郎って人が、兄さんやけん会いに行くと。大金持ちやけ会いに行くわけじゃなかとぞ!」 

「大金持ちやけ会いに行くわけじゃなかとぞ!」



その直後、鉦はお祖父ちゃんが好きだった月見に孫たちを誘う。 



そんな中、クラークが日本に来るという電報が来て、鉦のハワイ行きの話もなくなり、落胆する良江は、「アメリカ人は原爆を思い出させられることが嫌なのよ」と、縦男が書いた電報を出したせいだと決めつけ、頭を叩くのだ。 

「アメリカ人は原爆を思い出させられることが嫌なのよ」



クラークは今度の話に区切りをつけ、一連の交流をなかったことにするために来日すると解釈したのだった。

 

鉦は自分が書かせたと良江を戒める。

 

「やめんか!…本当のことば書いて、何んで悪か。バカか。原爆ば落としといて、そいを思い出すとが嫌って?嫌なら思い出さんでよかけど、こいも知らんとは言わせん。ピカは戦争ば止むるために落としたって言うて、戦争が終わってもう45年も経つとに、ピカはまだ戦争ば止めとらん。まだ人殺しば続けよる。ばってん、みんな戦争のせいたい。戦争に勝つために、人は何でんしよる。いずれ己は滅ぼすことまですっとじゃ」 

「いずれ己は滅ぼすことまですっとじゃ」


これまで溜め込んできた祖母の情動が炸裂する瞬間だった。

 

 

 

2  「こいが、ピカには一番よかと!白かもんば着とって、助かったもんの、たくさんおった!」

 

 

 

クラークを空港へ迎えに行った縦男たちは、到着ロビーに向かう忠雄と良江に随行せず、信次郎の「逃げようか」という言葉に反応し、4人はバスに乗って長崎市内に入っていく。

 

「今の長崎、原爆落とされた所とは思えないわね」とたみ。


「人間て、なんでもすぐに忘れてしまうのね」とみな子。

「俺は、絶対に忘れないぞ」と縦男。

 

その後、4人は再び祖父が亡くなった学校へ行くことにした。

 

クラークは忠雄と良江に再会するなり、「あなたたち、おじさんのこと、なぜ言わなかったのですか?」と訊ねた。

 

「おじさんのこと、知って、みんな泣きました」 

クラーク


俯(うつむ)いていた二人は、ハッとしてクラークの顔を見る。

 

タクシーの中で、忠雄は子供たちがいなくなり、バカな考えだった、自分たちが間違っていたと悟るのだ。

 

良江が行きたいところを聞くと、クラークは「おじさんが亡くなった所」と答えた。

 

4人が学校のモニュメントに向かって校庭を歩いていると、クラークを連れて到着した忠雄が声をかける。

 

「クラークさんはお祖母ちゃんに謝りに来たんだよ。電報を見て、お祖父ちゃんのこと知って、すまなかったって」


「だって、お父さんは…」とたみ。

 

クラークが縦男らと挨拶を交わし、8月9日が終わったら、叔母さんと一緒にハワイへ行こうと呼びかける。 


忠雄があの日死んだ子供たちのためのモニュメントを指差すと、クラークは歩み寄り、「この子供たちと一緒に、叔父さん、死んだ」と言葉にする。 


そこに、モニュメントに向かってやって来た一群の人たちが、花を供え始めた。 


彼らはここで亡くなった子供たちのスクールメイトだと、忠雄がクラークに説明する。 


「この人たち、見る。あの日の長崎、よく分かる」 



ホテルではなく、鉦の家に泊まることを希望するクラークは、縁側で鉦と対話して、自分たち家族の気持ちを伝える。

 

「叔父さんのこと、知らなくて。ホントにすみませんでした」


「よかと」

「叔母さん、長崎の人。それなのに、私たち、気がつかない。悪いです。私たち、悪かった」

「よかとですよ」

「父、私に言いました。クラーク、行って叔母さんの、できるだけのことしなさい」

「よかとですよ。こいで、よか。サンキュー・ベリー・マッチ」

 

2人は立ち上がり握手する。 


その様子を信次郎が縦男らに伝えると皆で歓喜し、調律をし終えた縦男がオルガンを弾いて、シューベルトの「野ばら」を合唱するのだ。 


クラークが入って来て、その歌を褒め、子供たちが作ったベッドに寝転んだり、叔父の若かりし日の写真を見たりして交流を深めていく。

 

【祖母への謝罪のシーンは、「鉦の夫が被爆死したことを知らなかった」ことであり、原爆投下に対するクラークの謝罪ではないこと。これを誤解してはならないだろう】

 

8月9日。

 

お堂で村人たちが「般若心経」を唱え、クラークらも参列する。 



クラークと共にお堂に参列する信次郎が、忙(せわ)しなく地面を動くアリの行列を発見し、行き先を目で追っていくと、一本の茎を這い登った先に真っ赤なバラの蜜に辿り着くのを視認する。 


信次郎は、クラークとその光景を共有して喜び合うのである。

 

クラークは滝壺で信次郎と水を掛け合って遊び、「タイの滝登り!」と言い間違えて、皆を笑わせる。 


忠男がクラークに、錫二郎が亡くなったと知らせる電報を届けに走って来たのは、そんな折だった。 



急遽、帰国するクラークを見送って帰って来ると、鉦が手紙を手にして蹲(うずくま)っている。

 

「兄さん、すまんかったな。早う、行けばよかった」と泣き崩れる鉦。 



忠雄が帰り支度をして玄関で靴を履いていると、後ろから鉦が、「おお、兄さん!会いに来てくれたとね」と嬉しそうに声をかける。 


忠雄の顔を見て首を傾げ、黙ってそのまま部屋に戻って行った。

 

心配になった忠雄たちは帰宅を断念し、その夜は泊まることにした。

 

そして、鮮烈なラストシークエンス。

 

激しく雷が鳴り響き、忠雄と良江が雨戸を閉めていると、突然、鉦が「ピカじゃ!ピカじゃ!」と叫んで来たかと思うと、寝ている孫たちに白い布をかけ、覆い被さった。

 

「こいが、ピカには一番よかと!白かもんば着とって、助かったもんの、たくさんおった!」

 

翌日、鉦が姿を晦(くら)まし、部屋を探したら祖父の着物が出され、服が吊るされていた。

 

「お祖母ちゃんの頭の時計は、逆に回ってるんだよ。今は、お祖父ちゃんのこの頃にタイムスリップしてんのさ」と縦男。 


そこに、近所のおばあさんがやって来た。

 

「ちょっと前、お宅のお祖母ちゃんが、うちんところへ来て、黙って座っとったけど、雲ば見て、慌てて長崎の方へ行ったと。今日の雲は、ピカん時の雲とそっくりやけ、多分、あの日のことば思い出して、いや、あの日の気になって…」 


家族が一斉に軒下から空を見上げると、黒い雲がむくむくと空高く湧き上がって広がり、突然、弾丸の雨が打ち付けてきた。 



信次郎が靴を履いて雨の中を走り出すと、間髪をいれず、3人の子供たちもそれに続く。 


忠男と躊躇する良江も、暴風雨の中を走り出す。

 

信次郎、縦男、みな子、たみ、忠雄、良江の順で、一本道を力の限り走り抜けるのだ。 



前方に日傘を差し、豪雨に煽(あお)られながら遅々と歩を進める鉦を発見し、子供たちが「お祖母ちゃん!」と叫びながら走って追い掛けていく。 



鉦の傘が裏返しになると同時に、「野ばら」の合唱が流れ、子供たちは転び、よろけながらも全力で走り続けるのだ。 


暴風雨に抗い、必死に歩み続ける鉦の姿は、原爆を忘れ去ろうとする時代の風潮に抵抗する者の、憤怒に満ちた戦士のようでもあった。

 

エンドロールは、本篇を貫流する、ヴィヴァルディ作曲の宗教音楽として知られる抒情的な「スターバト・マーテル(悲しみの聖母)」。

 

 

 

3  「戦時の悲劇」と「牧歌的な平和」が架橋する

 

 

 


原作者(村田喜代子)や映画評論家、国内外からの厳しい批判で耳目を集めた「八月の狂詩曲」だが、常に明晰なるコアメッセージを映像化することから逃げない姿勢を有する、黒澤明監督の脚色力が冴えた秀作に、深い感銘を受ける。
 

黒澤明監督


【「ドライブ・マイ・カー」もそうだったが、物語の中枢部分が創作化されたことで生命線を保持したように、本作もまた、クラーク来日からラストシークエンスまでの物語の中枢部分を創作したことで、映像の生命線を保持し得たと言える。小説と映画は全く異なる文化表現フィールドなのである】

 

一切がラストシーンに収斂される映像の切れ味は、原作の世界と無縁な反戦・反核映画の結晶点でもあった。

 

正直、昔、この映画を観た時の印象は、説明台詞の多さと描写のリアリズムの欠落に「つまらないな」という感懐で終わってしまったので、今回、再鑑賞し、自らの不明を恥じ入る次第である。

 

ここでは、映像の勝負を懸けたラストシーンに特化して書いていく。

 

何もかも砕き、溶かしてしまう巨大な暴力に呑み込まれた負の時間に拉致されても、必死に抗う祖母を救わんとして、その祖母と束の間、負の時間を観念的に共有した孫たちがひたすら追い続けていくラストを、改めて勘考してみる。

 

なぜ、祖母は時間を逆行する行動に打って出たのか。

 

一言で言えば、被爆死した夫の救済のためである。

 

8キロも離れた山影にいたことで被爆しなかった祖母が、クラークとの出会いと別れを機にピカの破壊力が侵入的に想起し、心的外傷的出来事を再体験するに至った。

 

それまで感覚鈍麻させてきたことで自我を適応させてきた〈生〉の恒常性が崩れ、突として、夫の救済に向けて動き出したのである。 



そんな祖母の異様な変容に面喰らい、動転したのは、祖母と深く寄り添ってきた孫たち。

 

その孫たちが、逸早く動いていく。 




彼らの疾走の推進力となっているのは、祖母に寄り添いながら遂にオルガンで修理した、シューベルトの「野ばら」の軽快な律動と、素朴で清廉な唱歌。

 

「野ばら」は「牧歌的な平和」の象徴であるが、映画では反語的表現(逆説的な否定)として使用されている。

 

反語的表現の「野ばら」の「牧歌的な平和」に対して、巨大な暴力に呑み込まれ、原爆が落ちた長崎市街に向かって、「夫救済」のために進軍する祖母が負っているのは「戦時の悲劇」。

 

かくて、「牧歌的な平和」が「戦時の悲劇」を追走するのである。

 

だから、容易に縮まらない。

 

祖母に寄り添った孫たちは、現代人がすっかり忘れてしまった凄惨な過去を、浦上天主堂や平和公園の訪問などを通して拾い上げていくが、祖母と共有した痛ましき情報はどこまでも観念でしかないから、どうしても「牧歌的な平和」の〈現在性〉の虚構のスキームを超えられないのである。 



狂気と化し、「戦時の悲劇」に囚われてしまった祖母の絶対空間に入り込めないのは必至だった。

 

それでも追い続けねばならない。

 

この国が負った凄惨な過去を追い続けねばならない。

 

忘れてはならないのだ。

 

誰かが追い続けねば、「牧歌的な平和」の〈現在性〉の虚構のスキームだけが賞賛され、生き残されてしまうのである。

 

だから、「戦時の悲劇」の〈歴史性〉と「牧歌的な平和」の〈現在性〉は架橋されねばならないのである。

 

形而上学的に言えば、そういうことではないだろうか。

 

思うに、感受性豊かな4人の孫たちは、「お祖母ちゃん救済」という観念のみで駆動する。

 

それは、この夏の奇妙な経験を通してお婆ちゃんに寄り添い続けた結晶点でもあった。

 

「戦時の悲劇」に同化し得ないまでも、大好きなお祖母ちゃんと、これほどまでに寄り添ったことで、子供たちなりの感性によって、既に十分に架橋できているのだ。

 

奇妙な夏の掛け替えのない経験で生まれた熱量が、子供たちの追走を支え切っていた。

 

この熱量が一過的であっても、いつしか、子供たちの内側に宿った熱量の残滓(ざんし)が、それを求めざるを得ない厄介な事態に立ち会った時、殆ど無意識裡に蠢動(しゅんどう)し、新たな熱エネルギーとして立ち昇り、煮え滾(たぎ)って自らの動力でブレイクスルーするかも知れないのである。

 

その熱エネルギーこそ、彼らの自己効力感への止揚の証左でもあるからだ。

 

―― 考えてみれば、この映画はクラークの来日以降、物語の風景は一変する。 



それまで説得力の欠けた複数のエピソードは「描写のリアリズム」が保持されていても、物語の主戦は反戦系ヒュ―マンドラマの枠組みを逸脱することがなかった。

 

ところが、クラークの来日によって映像の強度が一気に増し、象徴性を有するシーンが連射されていく。

 

最も印象的なのは、「般若心経」を唱えて原爆を追悼する村のお堂でのシーン。 


地を這うアリがラインを成し、植物の茎を登り切ったところで辿り着いたのが一輪の真紅のバラ。

 

奇妙なラインの移動のシーンの含意は、「弱き者たち」(アリ=長崎での被爆者)の平和(赤いバラ)への行進ということなのか。

 

そして何より、「般若心経」は、弱き私たちを浄土(煩悩のない幸せに満ちた場所)へ導こうとする経典なのである。 

「般若心経」



原爆の熱で歪んだジャングルジムのシーンや、クラークの小学校の校庭での祈りのシーンで使われたように、物語を貫流するのはヴィヴァルディの「スターバト・マーテル」(悲しみの聖母)。 


「スターバト・マーテル」



黒澤明監督が、本来、ミサ曲の「スターバト・マーテル」(悲しみの聖母)をエンディングにしたことの意味は重要なことである。

 

被爆に関わるエピソードで、度々、ヴィヴァルディの「スターバト・マーテル」がインサートされているからである。

 

ジャングルジムのシーンが4人の孫を浦上天主堂と平和公園に導き、そこでもヴィヴァルディが奏でられていた。 


爆心地・浦上地区(潜伏キリシタンの村)から500m離れただけの浦上天主堂が被爆したことで、1万5000人の信徒のうち1万人が亡くなったばかりか、鐘楼ドームは崩れ落ち、ヨハネ像は熱戦で変色し、建物の殆どが倒壊・焼失を蒙った悲劇を、聖母マリアが慈愛のもとに包み込んでくれるのである。 

原爆により崩れ落ちた浦上天守堂旧鐘楼



原爆で破壊された長崎・浦上天主堂。爆心側の南入口に立つ聖ヨハネ像(右)と悲しみのマリア像


長崎原爆の爪痕を残していた浦上天主堂


原爆で破壊された長崎・浦上天主堂



真紅のバラの真の姿は、神の慈愛を表現する聖母マリアではなかったのか。 


一切は聖母マリアの慈愛のうちに収斂させていく。

 

ヴィヴァルディは、被爆地・長崎の風景に寄り添い続ける物語の生命線だった。

 

―― 解釈多様な物語の中で、私の琴線に最も触れたエピソードがある。

 

二人のお年寄りが無言で向き合っていたシーンが、それである。 


鉦の元におばあさんが訪ねて来て、二人は一時間以上向き合ったまま何も話さず、そのうち頭を下げて帰って行ったのを見ていた信次郎が不思議に思い、祖母に訊ねた時の祖母の答え。

 

「黙っとっても分かる話がある。あえん人の連れ合いも、お祖父ちゃんのごと、長崎で死んだと。だけん、時々来て、黙って座って、黙って帰ると。話ばする時、黙っとる人もおっとじゃ」 


癒しが「沈黙」の中に成立することを示す好例であり、深く胸に響くエピソードだった。

 

この時、「沈黙」は「無言での語り合い」に昇華されているのだ。

 

それにしても、村瀬幸子。 


素晴らしかった。

 

私には吉田喜重監督の『人間の約束』が鮮烈に残っているが、本作での圧巻の演技は、彼女の最高到達点であるとさえ思う。 

人間の約束」より


同上



この演技を観られただけでも十分だった。

 

 

 

4  雲の切れ間から、一瞬だけ、長崎市街が眼下に広がっていた

 

 

 

広島への原爆投下の際に被害の科学的調査のために観測機として参加した、「グレート・アーティスト」を操縦したチャールズ・スウィーニー少佐を機長とするB-29「ボックスカー」の原爆投下の第一目標は、日本最大の兵器廠(管理所)があり、周囲に都市工業施設がある小倉市(現・北九州市)だったが、当日の小倉上空を漂っていた霞・煙のために三度に及ぶ目標確認に失敗したことで爆撃航程燃料に余裕がなくなり、「ボックスカー」が小倉市上空を離れて、第二目標である長崎市に変更したことはよく知られている。 

チャールズ・スウィーニー(ウィキ)


ボックスカー機首部分のノーズアート(ノーズアートとは機体に描かれた絵画/ウィキ)


原爆投下第一目標の小倉


小倉都心に設置されている「原爆犠牲者慰霊平和祈念碑」と「長崎の鐘」



しかし、「ボックスカー」が長崎県上空へ侵入した時にも、空の領域を90%の綿雲(わたぐも/積雲)が覆っていたので、スウィーニー機長はレーダーによる爆弾投下も止む無しと考え、レーダー爆撃を決断していた。

 

その瞬間だった。

 

雲の切れ間から、一瞬だけ眼下に広がる長崎市街が覗いたのだ。

 

午前10時58分、高度9000mから「ファットマン」を手動で投下するに至った。

 

ファットマンは放物線を描きながら落下、約4分後の午前11時2分、松山町171番地の別荘のテニスコート(爆心地。現在、「平和公園」)の上空約500mで炸裂した。 

大浦展望公園からの長崎市


原爆から1年後の長崎市の航空写真=1946年8月3日、米軍撮影


平和公園(原爆落下中心地)



以下、「チャールズ・スィニーの手記」(「原爆搭載機の進入経路と投弾/ながさきの平和」ホームページ)からの引用。

 

「爆弾投下まであと三〇秒だった。トーン・シグナルが作動し、爆弾倉の扉が音をたてて開いた。あと二十五秒。その時ビーハンが叫んだ。『見えました!見えました!』私は答えた。『よし、決めてやれ!』

 

ビーハンは、工業地区の三菱のある二つの軍需工場のちょうど中間に、雲の隙間を見つけたのだ。そこは予定照準点から北三キロの場所で、海岸沿いの平地の奥に広がる丘陵によって、住宅地からは隔てられていた。ビーハンがミサイル走路の基準点に自動照準を合わせるために調整を行い、その結果が私のパネルの航路方位指示器に反映され、私は必要な飛行経路の調整を行った。私は依然、投下地点までの操縦を手動で行っていた。

 

爆撃航程の初期の段階で、ビーハンは照準点を瞬間的に見ていたのだが、そこで決断を下していたら、レーダーによる航程は中断していたところだろう。だが彼はもっと視界が開けることを願いながら考え直し、それは我々にとっても眼下の都市にとっても幸いな結果をもたらすことになった」 

長崎市に投下された原爆のキノコ雲(ウィキ)


昭和20年8月9日午前11時2分/爆発と同時に空中の一点に摂氏数千万度ともいわれる火球が発生、火球から放射された熱線は、爆発直後から約3秒間にわたって外部に強い影響を与えたと考えられている。特に人体に熱傷を与えたのは、爆発後の0.3秒から3秒までの間においての赤外線であった。一説では地上物質の表面温度は、原爆の直下では恐らく3000~4000度にも達したと推定されている


香焼島(こうやぎじま/海底炭田の拠点だったが1964年に至って閉山)から撮影された長崎原爆のキノコ雲(ウィキ)



【ビーハンとは、長崎市に原子爆弾を投下した爆撃機「ボックスカー」の爆撃手を務めたカーミット・ビーハンのことで、その日は彼の27歳の誕生日だった。先の「グレート・アーティスト」にも搭乗し、人類初の広島原爆投下の光景を目撃し、爆撃手として卓越した技術を持つ軍人だった。ウィキによると、戦後、晩年に「被爆者に謝罪したい」と長崎市へ訪問を希望する手紙を出したが、被爆者団体の反対に遭い中止になったと言われる】 

カーミット・ビーハン



この長崎市に投下された原子爆弾「ファットマン」は、ウラン235の「リトルボーイ」を投下した広島と異なり、プルトニウム239の核兵器であり、その威力は「リトルボーイ」の1.5倍と言われるが、周囲が山で囲まれた地形のために熱線と爆風が山によって遮断されたことで、結果的に被害想定が約74000人の犠牲者に留まったに過ぎなかった。 

ファットマンのモックアップ(モックアップとは木型=きがた/ウィキ)


プルトニウム239/純度99.96%のプルトニウム環(ウィキ) 


原子炉内の生成物・軽水炉型原子力発電所と核分裂生成物の生成/世界で最も広く使われているタイプの原子炉です。燃料の濃縮ウラン(ウラン235:3~5%、ウラン238:95~97%)に中性子を当てると、核分裂が起こります。そのとき、ヨウ素131、セシウム137、ストロンチウム90等の放射性の核分裂生成物が作られます。また、ウラン238に中性子が当たると、プルトニウム239が作られます/環境省ホーム】 


ウラン=ウラニウム(銀白色/ウィキ)


天然ウランと濃縮ウラン/天然ウランには核分裂しやすいウラン235が0.7%程度しか含まれていないので、軽水炉ではこれを3~5%に濃縮したものを燃料として使っている。残りの95~97%は核分裂しにくいウラン238である



【原爆投下に関わる経緯については、「夕凪の街 桜の国」の映画批評を参考にしてください】 

夕凪の街 桜の国」より


(2023年7月)

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