
映画作家の本領を表現し切った、非常にレベルの高い映画だった。
1 「お父さんが死ぬのを待っているみたいって。何でそんなことを書くかな」
舞台は、この国がバブル経済絶頂期に浸っていた1980年代のひと夏。
主人公は、11歳の少女・沖田フキ(以下、フキ)。
「人が死ぬと泣く。死んだ人は可哀想だから泣いているのか。自分が可哀想だから泣いているのか」
就寝中にフキが何者かに首を縛られ、殺害されるという事件が発生し、その葬儀の場で級友や大人が涕泣する映像が提示される。
「私が死んだことは、自分ではあまり実感が湧かなかったけど、皆が悲しんでいるのを見たら私も悲しくなった。眼が覚めた時、涙が出ていてびっくりしたけど、本当に良かったと思った。終わり」
| フキ |
教室で作文を読むフキが、そこにいる。
郊外の団地で母と暮らすフキの父・圭司は癌を患い、最後のステージに入っていた。
「できるだけ家族といる方がいいって主治医は言うんですけど、家ではもう限界で…このまま最後まで病院でお願いしたいって伝えたんです。私は仕事がありますし…」
管理職で忙しい母・詩子は、会社の上司に伝える会話の一端である。
そんな詩子が、フキの担任から、「みなしごになってみたい」と題するフキの作文を紹介され、不満げな詩子は、校内で待つフキに「勝手に親を殺すな」と一言。
| フキの母・詩子 |
| 「勝手に親を殺すな」 |
特段に怒ることなく、「たかが作文じゃない」と捨て台詞を残し、風を切って走る母の自転車の後部座席に乗るフキは、母の腰に手を回せず、乗り心地が悪そうだった。
その足で父が入院する病院に行くフキ。
英語教室にも通い、塾の先生との英会話。
| 英語教室 |
テレビで超能力の放送を観て、興奮冷めやらず、父のカード当てのトランプマジックを間近に見て、思わず「すごい!」と言って驚くフキだが、疲れてしまった父は雑誌を読み出し、落胆するフキ。
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| フキの父(右) |
「プライバシーの侵害」
自分の日記を、母が勝手に読んでいるのを見たフキの一撃。
「お父さんが死ぬのを待っているみたいって。何でそんなことを書くかな」
母の返しは愚痴のようだった。
「やっちゃんのお母さんと話したでしょ」
「やっちゃんて誰?」
「松下エリ」
「話したわよ」
「お父さん死んだのって聞かれた」
「ちょっと聞いただけでしょ。向こうはプロなんだし。いざっていう時に、頼れる人がいる方がいいんだから。お母さんはね、先のことを考えてんの、色々。子供が分かったようなこと言いなさんな。言いたいことがあるんだったら、面と向かって言えば。日記だか作文だかに、こそこそ書かないでさ」
母の話を無視し、自由に踊るフキ。
「ねぇ、ちょっと聞いてんの?」
それだけだった。
パワハラが疑われ、会社からメンタル・トレーニングを強いられ、不満げに参加する詩子。
ストレス耐性の強化が求められたのだろう。
研修を担当するのは御前崎。
「コミュニケーションの取り方に難しさを抱えている人のためのプログラムです。研修の一番の目的は、ヒューマンスキルを高めるためにあります」
| 御前崎 |
ヒューマンスキルの隠喩と思われる「コミュニケーション障害」(ネットスラングで「コミュ障」)の克服を目指すと思い込み、自尊心が傷ついた詩子は、その場を去っていくが、御前崎の優しさに惹かれたのか、メンタル・トレーニングを続ける詩子。
二人が男女関係を持つのも、あっという間だった。
一方、好奇心旺盛なフキ。
英会話教室で仲良くなり、共に行動するちひろを誘い、戦争の悲惨な映像を観にいくが、映像に耐えられず、ちひろは倒れてしまった。
そのちひろの家に遊びに行ったフキは、ちひろの父親が浮気している写真を見てしまう。
二人で遊んでいる中、フキが見た写真を、今度はちひろ自身も見ることになるが、これはフキが誘導した産物だった。
大人の世界の一端を垣間見た二人だが、英語教室の場で、ちひろが青森の祖父の家へ引っ越すことになったことを知らされるフキ。
「お友達になってくれたお礼」と言われ、ちひろからカチューシャをプレゼントされるフキ。
| ちひろ(右) |
御前崎の姉が癌に効果のある健康食品を取り扱っていて、父の病院を訪ねることになる。
喫茶店でのこと。
御前崎の顔を凝視するフキ。
「おじさんの顔、面白い?」と尋ねられ、首を横に振るフキ。
活き活きするようになった母は、店でフキが手にするぬいぐるみを「買ってあげようか」と言って、頷くフキ。
御前崎の出現と母の変化。
フキは気になってならない。
友だちが不在なフキは、伝言ダイヤルを利用して、大学生と話すことになる。
心理学を専攻するという相手から、人間心理の興味深い話を聞き、ひと時楽しい時間を満喫する 。
一方、父は癌治療の難しさを感じ取っていた。
「アメリカにいい薬があって、それ試したいんだけど、もう日本の医療じゃできることないってさ」
会社の同僚が訪ねて来て、「復帰は無理だなぁ」という声を耳に入れるフキ。
病院の廊下を生気なく歩く父。
「今は割と落ち着いているけど…いいわよ無理して来なくて。来てもらったって気遣っちゃうし、顔見て泣かれても困るしさ」
母の声がフキの耳にも入ってくる。
そんな母のもとに、唐突な訪問者があった。
御前崎の妻である。
「あの、初めてじゃないんですよ主人、こういうこと。困ってる人がいると助けたくなる性分で。前の人はずっと若い子だったんですけどね。自殺未遂されちゃって、ほんと大変でした。また、そんなことがあったら嫌だから来たんです」
この話は、フキの耳には届かないが、止っている車に御前崎が乗っているので、ここでも凝視する。
見つめ合う大人と小5の少女。
だから、自宅への訪問客が誰であるか、推測しているはずである。
それでも、どうしても入れないフキ。
児童の立ち入り禁止のゾーンの渦中で、淫らな大人を凝視する少女が、そこにいた。
2 「お父さんに会えるとしたら、なんて言いたい?」「“久しぶり”」
父の病院に足繁く通うフキは、一枚の絵に関心を抱く。
病院のロビーで売られているルノワールの絵である。
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| 「可愛いイレーヌ」 |
絵画史上最も有名な少女像と称される、8歳の「可愛いイレーヌ」(イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢)である。
父がフキにルノワールの「可愛いイレーヌ」を買ってもらって、それを眺め入るフキ。
そして父は、病院のスタッフから促されて100万を払って気功道場に通うことになる。
父思いのフキも一緒だった。
フキを連れ、競馬場にも行くが、財布を失くしてしまう父。
タクシー料金を母・詩子に支払ってもらい、帰宅する父とフキ。
ぐったり疲れて食卓で俯せている父に、「食べないなら寝たら」と言い放つ母が、100万円を支払ったと知り、大声で怒鳴るのだ。
「100万って何考えてんの!」
「俺の金、何使おうと勝手だろ」
「こんなことで病気なんか治るわけないじゃない!」
「フフフフ」とフキ。
「何笑ってんの、気持ち悪い」と母。
「そういう言い方やめろよ」と父。
「うるさい!」
怒鳴るだけの母。
痛みを訴える父。
「痛いのはこっちよ」と言い捨てて、食卓を離れていく母。
両親の関係が壊れている現実を感じ尽くしているフキには、今やもう万事休す。
外に出て心を安んじるように、一人、考え込む詩子。
沸点に達し、搔き乱した心へのストレスコーピング(ストレスへの対処行動)である。
この間、映像は映さないが、同様にストレスを溜め過ぎた父が卒倒し、救急車で運ばれていた。
「フキが救急車呼んだの?」
「うん」
「大変だったね…」
救急車で運ばれた病院で待機する母子の会話である。
直後の映像は、伝言ダイヤルで知り合った大学生を名乗る青年からの誘いに迷うが、会うことを決める。
カチューシャをつけ、白い花柄のワンピースを着て、待合場所まで向かうフキ。
青年はフキを電車経由で自宅まで連れて行き、締め切った部屋の中でジュースを出す。
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| 青年を見るフキ |
「はい…おいしい?」
「ありがとう」
最初に交わした会話である。
青年はソファーに座るフキの横にピッタリ座り、大きく深呼吸をさせた後、右手をフキの背中にまで伸ばし、両肩を優しく押さえ、ゆっくり顔を近づけていく。
「口臭いよ」といきなり笑い出し、立ち上がった青年は「こっちおいで」と言って、フキの歯磨きをする。
二人に笑みが見える。
そんな時だった。
外国に行っていた青年の母が、1週間繰り上げて帰国し、自宅に戻って来たのだ。
締め切った部屋を開放する青年の母の話によると、青年の名は薫、受験生だった。
真っ青な顔の薫は、浴槽に隠し込んでいたフキを、母に見つからないように屋外に出して、まるで邪魔者を放擲するように解き放つのだ。
性的悪戯から寸前に免れたフキは、そのまま何もなかったように、長い長い帰路に就く。
随所で妄想の世界(父と行った競馬場で見たサラブレッドとの出会い)に侵入するが、疲れ果て、豪雨に身を奪われ、もう限界だった。
そんなフキを救い出す男性が現れ、拠って生きる在り処への帰還を果たす。
自ら電車に乗って連れて来て、具合が悪くなって最後は放擲するような、無責任な大人だけではなかったということか。
11歳の少女の帰還の先に待っていた、優しき父の死。
疲弊した体を癒し合う母と子。
まもなく、青森に引っ越した英語教室の親友・ちひろの元に、母と旅行に行く。
思い切り遊ぶ二人の少女。
「“久しぶり”」
迷った末に大きな声で答えた一言には、この夏、笑みを失った父と過ごした日々を懐かしみ、それを思い出として乗り越えていく少女の〈現在性〉が垣間見える。
家族の風景のカットが映し出されて、クルーズ船でのパーティーに招かれて踊り続けるフキ。
ラストは、青森からの帰途の列車内で、母とのカード当てのテレパシーごっこをするフキの笑みだった。
3 只者ではない観察者
“じっと見て、じっと聞く子”
主人公・フキのパーソナリティを説明する早川監督の言葉である。
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| 早川千絵監督 |
特に、大人の世界は未知なので、11歳の少女特有の思考・感性・行動様態が明瞭に発現されている。
“じっと見て、じっと聞く子”は、只者ではない観察者だった。
見たいものと、見たくないものを峻別しながらも、その本質を見抜く能力は抜きんでている。
それは、成長への十分な条件を満たしているから、只者ではない観察者と化すのだ。
単に見るだけで終わらないから、只者ではない観察者は、学習する観察者として自らの自我を鍛え抜く。
児童期後期と思春期初期の難しい狭間にある少女の自我は、その形成過程にあって、より善き選択をするために周囲の諸状況から複合的な学習材料を手に入れるのだ。
大人社会のリアリズムから手に入れるのは限定的だから、情報が内包する怖気を排除しつつも、じっと聞く態度を表現する。
そこに最近接したエピソードがインサートされていた。
河合優実演じる大人の女性との交叉が、それである。
以下、そのエピソード。
テレパシーに嵌ったフキは、友だちと遊戯に興じるのみならず、団地の大人の女性と催眠術の世界に時間を投じていく。
「窓の向こうに人が座っています。誰が座っていますか?」とフキ。
「マコ。私の旦那さん」と女性。
「その人はどんな顔していますか?」
「哀しい顔」
「どうして哀しいんですか?」
「どうしてかな…」
「死んじゃったから?…何で」
「…」
「何で死んじゃったんですか」27・39
「前の晩にね、喧嘩したの。お互い、一言も口聞かないで、ご飯食べて。旦那さんはそのまま会社に出ていって、それから私、あとから、家を出る時に、玄関の下駄箱の所に鍵があったのね、旦那さんの。凄く心が乱れていたんだと思う。その時、私、何か意地悪な気持ちになったんだよね。旦那さん帰って来て、鍵忘れたこと気づいて、あーしまったってなるとこ想像して、ざまーみろって…仕事、定時に終わって会社出たんだけど、駅に着いたら人身事故で電車動いてなくて、当分、復旧しないって言うから、じゃ映画でも観て、時間つぶすかって思って、映画館に行ったの。映画が終わったら、電車も動き始めて、10時過ぎだったかな、家に着いたの。マンションの前に消防車とか救急車が止まって、赤い光でそこら中、真っ赤なの。何があったんだろうねって、他人事だよね。ちょっとワクワクしちゃって、エレベーターが使えなくなってたから、階段で11階まで上がって、そしたら家の前に警察の人がいて、ベランダから人が落ちたって言うの。それで私、あって思い出したの。鍵忘れたんだって。家いつも窓の鍵、閉めないの。喧嘩のきっかけはね、旦那さんの部屋でビデオ見つけたの。エッチな奴かなぁって思って、どういうのが好きか見てやろうと思って、リビングのテレビでヘッドホンして、気づかれないように観たの。思ってたのと全然違って。ホームビデオみたいな奴。何だろう、これって。小さい子供ばっかり写ってるの。皆、泣いてるの。色んな国の子供が泣いてるところを…ひたすら執拗に撮っている映像が次から次へと続くの。最初は、誰がどういう意図で作ったのか理解できなかったんだけど、ずっと見ているうちにね、だんだん、分かってきたんだよね。どうして、こういう映像が出回っているのか。どんな人がこういう映像を観て喜ぶのか。あんなもの観るんじゃなかった。知らなかったら、旦那さんのこと気持ち悪いって思わなかったのに」
夫婦喧嘩の原因となった、「色んな国の子供が泣いてる」映像が、本作の冒頭に紹介されていて、好奇心が強いフキもこの映像を観ているのだ。
テレビで流される猟奇事件等の報道に真剣に耳を傾けるフキだから、少女なりに理解できたにも拘らず、なぜ、この映像を気持ち悪いと言って、喧嘩になってしまったのか。
そこには、子供と大人の違いがある。
そのコンテクスト(文脈)で言えば、ここでフキが女性の目の前で強く手を叩き、「これで終わりです」と言って催眠術を終わりにしてしまったとも推量できる。
ざっくりと言えばこういう経緯だが、言うまでもなく、女性の静かだが、なお強烈な心情吐露はフキの催眠術の所産ではない。
女性が催眠術にかかってないのは自明の理。
大体、催眠術にかかりやすい人は、想像力が豊かであるが故に暗示にかかりやすい人。
催眠術は超能力ではなく、科学的に説明できるのである。
だから女性は、催眠術という心理的な技法を利用して、自ら抱える心的外傷を少しでも浄化するために、ここぞという時に、強烈な心情吐露に及んだのである。
即ち、相手が無害な子供であり、且つ感受性が豊かであると認識しているから、“聞く耳”を有するフキを相手に、心の奥深くに封印していた重く沈んだ澱みを曝け出したのである。
悲嘆(グリーフ)の重さを浄化するためのグリーフワークだったのだ。
悲嘆(グリーフ)を受け止めるフキもまた、女性の心に最近接するが、当然、限界がある。
だから物理的に離れようとするが、心のどこかで気になるから、“聞く耳”を絶やさなかった。
フキが出会った、大人の心の世界。
父が抱える病の辛さに日常的に近接している少女の感性が、団地に住む女性の心の世界に架橋したのである。
只者ではない観察者が、そこにいた。
また、薫との出会いと別れは呆気ないものだった。
歯磨きのシーンで頂点に達するフキの未知なる体験は、大人の世界の醜悪さを炙り出すが、長い帰途に就くフキの、様々な、しかし、児童期後期の好奇心を満たすに足る振る舞いとして、良くも悪くも、忘れ得ぬひと夏の時間の贈り物だったかも知れない。
同時にそれは、少女の内側で累加されたデイリーハッスル(日常的な小さな苛立ち)からの浄化・解放を希求する思いの束の、それ以外にない自我防衛戦略だったのかも知れない。
然るに、この危うい時間は、自分の力量では足りなすぎる突破力を露わにして、只者ではない観察者を沈黙させてしまうのだ。
それでも、次のステップへの飛翔の推進力と化していく。
誰もが回避できない通過儀礼と呼ぶには酷すぎるが、少女の豊かな感受性は、クレバーで行動的なパーソナリティを駆動させるに十分なのである。
そう信じられる映像だった。
「彼の欲望によって連れてこられて、彼の都合によって追い出される。尊厳が傷つけられて、すごく嫌な感じはするのだけれど、何が起きたのかはまだ理解できていない。女性は、大人になってからもこんなふうに尊厳が傷つけられる体験をする人も多い気がします。女の子は幼い時から大人になるまで、常に危険と隣り合わせだという状況も描きたかった」(インタビュー)
これも早川監督のインタビューでの言葉である。
本人の同意なく性的な画像を作る「ディープフェイクポルノ」や、ネット上で出会った異性に裸の画像を交換し、その画像で脅すという「セクストーション」という犯罪を知る限り、「女の子は幼い時から大人になるまで、常に危険と隣り合わせ」という認識を持たねばならないと切に思う。
―― ここで、説明台詞を捨てた、優れて作家的な映像を総括したい。
病が深刻化し、心身の疲労が溜まるだけの父、パワハラ扱いされる管理職の仕事と、不倫に逃避する母のストレスコーピングが家族を騒がせて、家庭の事情(多分、両親の離婚)で青森に引っ越すちひろを含め、大人の事情に振り回される子供たちの構図が、本作を貫流している。
その只中で長い長い夏を縦横に動き、聞き耳を立てて世界を吸収する主人公のフキ。
ここで吸収された曲直正邪入り交えた情報の束が、受ける感情の起伏を成して、どこまでも続くような時間の海を遊弋していく。
映画の中で最も印象が残るのは、父との関係性の在りようである。
「私が死んだことは、自分ではあまり実感が湧かなかったけど、皆が悲しんでいるのを見たら私も悲しくなった」
フキの作文の一文である。
思えば、「みなしごになってみたい」と題するフキの作文には、当然のように、人間の死を実感的に捉えられない少女だが、少女なりに、「予期悲嘆」(身近な者の〈死〉に対する哀しみ)の思いに染まる心の準備をしているとも考えられる。
笑みのない父と日常的に近接しているからだ。
だから、フキの作文は不謹慎な作文などではないのである。
父の死への心の準備である「予期悲嘆の実行」という時間を内包していたが故に、父の死の現実に対して、フキは心乱すことなく、可能な限り客観的に捉えられたのである。
これが、「お父さんに会えるとしたら、なんて言いたい?」とちひろに尋ねられた時、大きな声で「“久しぶり”」と反応できたのだ。
少女のひと夏の収斂点は、子供をインボルブし、深々と呑み込むような大人社会の海図なき航海の偏流を起点にして、英語を武器に世界に飛翔するイメージすら抱かせる、クルーザーでのパーティーに象徴される映画のプロモーション画像の構図において極まっていた。
それは林間学校で弾けた少女の熱量の結晶点だった。
「プラン75」にも深い感銘を受けたが、本作もまた、文句のつけようがないレベルに達していた。
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| 「プラン75」より |
(2026年5月)













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