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2021年7月6日火曜日

恐怖のスポットでグリーフワークが完結する 映画「蜜蜂と遠雷」('19) ―― その眩い煌めき 石川慶

 



1  「落ちちゃったよ。生活者の音楽は、敗北しました」

 

 

 

第10回 芳ヶ江 国際ピアノコンクール

第一次予選 11月9日~13 

亜夜


「2週間にわたる3つの予選を経て、6名が本選へ進みます。今年は過去最多の53か国1地域から、512名の応募がありました。この後の審査で、二次に進む24名が選ばれます」
 


カメラに向かって解説する海外メディアのレポートである。

 

このコンクールで本命視されているのは、ジュリアード音楽院に通うマサル(通称「ジュリアードの王子」)。 

ファンにサインするマサル


コンクールに参加する一人、岩手の楽器店に勤めている高島明石(以下、明石)は、年齢制限ギリギリで、このコンクールに挑戦する一人。 

写真つきで紹介された記事を読む明石


そして、密かに注目されているのは、「消えた天才、栄伝亜夜(えいでん あや/以下、亜夜)」、20歳。 

審査員長の嵯峨(右)と、元夫の審査員シルヴァーバーグ


母親の逝去が原因で、7年前にステージをドタキャンした過去がある。 



「一次審査は通るでしょうけど、かつてのような輝きはなかった」 


審査委員長・嵯峨三枝子(以下、嵯峨)の亜夜への評価である。

 

彼女は、審査員の一人である元夫のシルヴァーバーグと、今回の参加者について立ち話をしていた。

 

その亜夜は、かつて近所に住み、亜夜の母親にピアノを教わっていたマサルと再会する。 


「あーちゃんのお母さんは、僕にピアノの楽しさを教えてくれた先生だよ」 


亜夜との再会を喜ぶマサルの言葉である。

 

また、このコンクールに16歳の天才少年・風間塵(じん/以下、塵)が参加している。

 

彼の評価を巡り、審査委員会は紛糾する。 


「あんな弾き方は冒涜に近い」


「とてつもない才能の持ち主だ」

 

しかし、彼を推薦したのは、逝去して間もないピアノの神様・ホフマンだった。

 

ホフマン曰く、「“彼は文字通り、天から我々へのギフトだ”」。 



そして、第一次の予選結果が発表される。

 

そこには、上記4人の名があった。 

「おめでとうございます。復活ですね。と言っても、栄伝さんには当たり前か」(明石)

「俺はすっごく嬉しいし、楽しいですけどね」(明石)


第二次予選。

 

マサルは演奏に備え、朝からマラソンをして、体調管理に余念がない。 



課題曲は「春と修羅」。

 

「カデンツア」(即興演奏)が自信作と言い切るマサルに対し、亜夜はまだ何も決まっていないと答える。 


難曲を演奏し終えたマサルは、満面の笑みを湛えていた。

 

本作の中に、明石の生活風景の一端が挿入される。 



その明石は、第二次予選で、温もりに満ちた生活風景を感じさせる「カデンツア」を披露した。 



それを会場で聴いていた亜夜は、急に思い立ち、練習用のピアノを探すが、会場に空きはなく、明石が知り合いの工房を紹介してくれた。 



彼女の跡をつけてきた塵と、ピアノへの思いを語り合い、窓の月を見ながら、二人でドビュッシーの「月の光」(ドビュッシー)、「イッツ・オンリー・ア・ペーパー・ムーン」(ハロルド・アーレン)、「月光」(ベートーヴェン)を連弾する。 

「月光」を連弾する


塵はインタビューで応募理由について聞かれ、ホフマン先生との約束について答えている。

 

「世界は音楽で溢れているから、聴きなさい、っていう意味なんだけど、そういう音楽をね、ホフマン先生は奏でなさいって言ってた。そういう音楽を奏でる人を見つけなさいって」 



その塵の第二次予選の演奏が終わった。 


塵の演奏を聴いて、圧倒される明石

ロビーで聴きながら驚くメディア関係者。右にマサルがいる


「すっごい、気持ちよかったよ!ホールで弾くのって、こんなに楽しいんだって、思った」 


楽屋で、次の演奏の順番を待っていた亜夜に弾んだ声で報告する塵。 



そして、亜夜の番がやって来た。

 

「行ってらっしゃい。客席で聴いているよ」

 

母親との連弾を思い出しつつ弾くピアノは、上々の出来だった。 


弾きながら、母との連弾(右の画像)を思い出す



第二次予選後、インタビューに答える明石。

 

「落ちちゃったよ。生活者の音楽は、敗北しました。これで、ひとまず、俺の音楽人生の第一章はお終い」 

「落ちちゃったよ。生活者の音楽は、敗北しました」

「俺の音楽人生の第一章はお終い」


海岸に出て、砂浜で遊ぶ亜夜とマサル、塵を見ながら、一緒にやって来た明石と、明石に帯同するカメラマンで、同級生の仁科雅美が語り合うシーンが挿入される。 


重要なシーンなので、詳細は批評において言及する。

 

 

 

2  「あなたが、世界を鳴らすのよ」

 

 

 

本選に残ったのは、亜夜、マサル、塵の日本人3名を含む6名。 


世界有数の指揮者・小野寺昌幸がタクトを振ることになっている。

 

「今回のコンテスタント(競技者)には、同情するわ。指揮者が、あの小野寺昌幸なんてね」


「俺は嫌いだね。あんな気取った野郎は」
 


嵯峨三枝子とシルヴァーバーグとの会話である。

 

その辛辣さが、以下の指示に表現されている。

 

「彼らに合わせて、レベルの低い演奏はしないように」 

小野寺昌幸

楽団員に、そう言い切る小野寺。

 

だから、ピアノとフルートの入りが合わないと、何度かやり直しを要求し、注文をつけるマサルに対し、君がオケに合わせたらどうかと、冷ややかに突き放つ小野寺。

「ありがとうございます」と言った後、「フルートと僕が合ってないように聴こえるんですよね」と注文を付けるマサル



それでも、4楽章の入りに拘(こだわ)るマサルは、小野寺に突き放されてしまうのだ。 


「君の時間は終わったはずだ」 

 

一人、会場の階段に座り、譜面と格闘するマサル。

 

そこに亜夜がやって来て、リハの様子を訊く。

 

「やっぱ、一人で弾くのと比べて、難しいね。何で、プロコフィエフ2番にしちゃったんだろ」


「あたしね、プロコフィエフって、全部好き。何かさ、踊れるよね…」

「そんな風に考えたことなかったな」

「マー君は、何でプロコフィエフにしたの?」

「プロコフィエフってさ、作曲家としてもそうだけど、ピアニストとしても超一流じゃない?これね、あんまり人には言ってないんだけど、僕、将来的には、コンポーザピアニストになりたいんだ。今の時代、何で、作曲もするピアニストって、いなくなっちゃったんだろうね。だって、当時はさ、僕らみたいな若者が、ポップミュージックの新曲を聴くような感覚で、ラフマニノフの新曲を聴いていたわけでしょ?何かね、僕の中だけど、クラシックって、こう、枠の中に嵌められているような気がしてて、もう一回ぶち破って外に出たいっていう、感じかな。新しいクラシック、それをやりたいっていう夢がある」

「僕、将来的には、コンポーザピアニストになりたいんだ」

マサルの話を真剣に聞く亜夜

「もう一回ぶち破って外に出たいっていう、感じかな」


「最高だと思う」

「あーちゃんは?何で、3番なの?」

「私のはね、宿題なの」 



亜夜はリハーサルでオケについていけず、演奏が中断される。 


かつて、演奏を放棄したトラウマが甦(よみがえ)る亜夜だった。 



パウダールームで、たった今の亜夜のリハを見ていた嵯峨が、辛辣な言葉を投げかける。

 

「やめるとしても、今がラストチャンスかもね。覚悟がないまま、コンサートピアニストになるのも、結構、悲劇よ。正直に言ってもいい?今のあなたのピアノの音って、あたしの若い頃の音を聴いている感じがするの。その必死な音が、ちょっと苦手。ま、辞め時を失ったかつての天才少女からの個人的なアドバイスね」 


「今のあなたのピアノの音って、あたしの若い頃の音を聴いている感じがするの」



化粧室での嵯峨の言葉には棘(とげ)があるが、決して嫌味になっていない。

 

だからこそ、亜夜の心に深く刻まれていくのである。 

少女時代の亜夜

どうしても、侵入的想起を払拭できない亜夜の〈現在性〉


弥々(いよいよ)迎えた、最終選考の当日。

 

マサルは未だ思うように弾けず、ピアノと格闘していた。

 

亜夜が練習室に入って来た。

 

「第二ピアノ、私できるよ。プロコの2番は、弾いたことあるんだ」


「でも悪いよ。あーちゃんも、すぐ本番だし」

「その、4楽章だけ、さらっちゃお」


 

そう言うと、二人は一緒に4楽章を弾く。

 

「ほら、できた!」

「できた!」 


笑みを讃(たた)え合う二人。

 

「泣き虫マー君が、こんなに大きな、海みたいな音楽を弾けるようになるなんてね」


「あーちゃんの背中を、必死に追いかけていただけだよ」

 

「マー君、大丈夫」と肩を叩き、ドアを開ける亜夜。 


「あーちゃん、戻って来るよね?」 


亜夜は、笑いながら部屋を出ていく。

 

そして、本番を迎えたマサル。

 

曲目は、「プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第2番 Op. 16」(Op.とはopus number=作品番号のこと) 


オケと呼吸がピッタリと合い、弾きながらどんどん調子を上げていく。

 

会場で聴いていると言った亜夜は、ロビーのモニターでマサルの演奏を見つめていた。

 

そこに、明石がやって来た。

 

「凄いよね。客席全部に祝福されてるって感じで」


「客席だけじゃないですよ。世界に祝福されているんです」


「ありがとう。君ら天才を見てたらさ、続けててもいいんだよって、言われたみたいで。こんな大観衆の前で弾くことはないだろうけど、やっぱり俺、どうしようもないくらい、ピアノが好きなんだな」
 


「やっぱり俺、どうしようもないくらい、ピアノが好きなんだな」


その言葉を聞いて亜夜は、涙が止まらず、立ち竦(すく)むだけだった。 



マサルの演奏は大成功裡に終わった。 


小野寺昌幸やフルート奏者から笑みも漏れる。

 

ステップアップに成就したのである。 



次のエントリーの奏者が体調不良で棄権し、塵に繰り上がった。

 

オケの配置変更で、コントラバスが移動する。 



「風間塵シフトってことですか?」

「あそこ、床が歪(ひず)んでるんだよ。去年の補修工事で裏から合板を張ってあるんだが、あそこからだと奇麗に音が伸びて行かないんだ。風間君は、そのことに気づいているんだ」 

田久保

ステージマネージャーの田久保が、そう反応した。

 

塵の演奏が始まった。 


演目は『バルトーク:ピアノ協奏曲第3番(Sz.119)(亡命先の米国での最後の創作) 

バルトーク・ベーラ/ハンガリー出身の 20世紀を代表する音楽家(ウィキ)


その頃、亜夜は地下の駐車場でトランクを転がし、会場を後にしようとしていた。 



そこで俄(にわか)に、3人と海で過ごした時の塵の言葉が浮かんできた。

 

「世界が鳴ってる」

 

そこで、一台のグランドピアノが亜夜の目に留まった。 


吸いつけられるようにピアノに近づき、雨の音を感じながら目を瞑る。 



亜夜は、雨が打ちつける外階段を走って上っていく。 



幼い頃、母親と一緒に聞いた雨の音を、ピアノで再現したことを思い起こすのだ。

 

「亜夜、世界はね、いつでも音楽で溢れているんだよ」

 

母と連弾しながら、「音」が音楽になっていったことを感受する少女。 


「世界が鳴ってる」 


そう呟いた亜夜の耳元で、母が囁(ささや)いた。

 

「あなたが、世界を鳴らすのよ」 


鮮烈に想起する、亡き母の言葉。 

 

塵の演奏が終わり、会場は大喝采に包まれている。

 

しかし、亜夜の姿が見えない。

 

客席で見ていたマサルが、心配して楽屋に走っていく。

 

亜夜が正装して入って来たのは、その時だった。 



舞台から戻って来た塵が、亜夜に声をかけた。

 

「おかえり」



小さく頷(うなず)く亜夜。  


そして、一人呟く

 

「先生、見つけたよ」 


亜夜に聞こえなかったが、塵のコンクール参加の目的の一つ(音楽を奏でる人を見つけること=亜夜の発見)を達成したのである。

 

かくて、亜夜の演奏が始まった。 


曲目は、「プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 Op.26」

 

亜夜は難局を乗り越え、オケと一体となって最高のパフォーマンスを見せた。 


亜夜の演奏に聴き入る明石

亜夜の演奏を目の当たりにして感動するマサル

笑みを湛える亜夜/彼女のグリーフワークが完結していく


万雷の拍手で祝福される亜夜。


 

亜夜は完全復活を遂げたのである。

 

―― ラストのキャプション。

 

第10回芳ヶ江国際ピアノコンクールの審査結果は、第1位マサル、第2位亜夜、第3位塵、(以下省略)という結果だった。

 

更に、マサルは聴衆賞を、明石は奨励賞と菱沼賞(日本人作曲家演奏賞)を受賞した。


 

 

 

3  恐怖のスポットでグリーフワークが完結する ―― その 眩い煌めき

 

 

素晴らしい音楽映画だった。

 

聴視していて、音楽の感動と物語の感動が綺麗に嵌って、観終わった後も余韻に浸ることができた。

 

物語の中で、忘れられないシーンがある。 

 

前述したように、海岸でのシーンである。  

 

砂浜で遊ぶ3人。


 

木の鍵盤で練習するほどに演奏を、伸び伸びと、且つ、存分に愉悦する塵。

 

コンポーザー・ピアニスト(自ら作曲するピアニスト)を目指し、完璧主義の演奏を希求するマサル。

 

そして、演奏に立ち竦み、恐怖突入できずに煩悶・葛藤を深めるばかりの亜夜。

 

この3人を目視しながら、明石に帯同するカメラマンの仁科雅美が、思わず吐露する。

 

「すごい世界だね…素人の私には分かんないな。子供の頃からずっと、殆どの時間をピアノに捧げて、ピアニストになるっていう選択肢のみを目指して、人生過ごしてきてるわけでしょ」

仁科雅美(左)

「それはねぇ、悔しいけど、俺にも分かんないよ。あっち側の世界は」
 


                   「あっち側の世界は」


「生活者の音楽」を体言するために、年齢制限ギリギリでコンクールに挑戦した明石にとって、亜夜、マサル、塵の3人は、どこまでも「あっち側の世界」の特別なチャレンジャーであった。

 

そんな明石が、コンクールを目指して、妻と口論する生活風景がインサートされていた。

 

「生活者の音楽って言うのかな。音楽だけを生業(なりわい)にしている奴らには、絶対にたどり着けない領域があるはずだから」

 

そう語る明石だが、「カデンツア」を聴いた妻から「ごちゃごちゃして重たい」と言われ、感情的に反駁(はんばく)してしまう。 



コンクールが近づいてきて、苛立っているのだ。
 



ラストチャンスのコンクールにおいて、温もりに満ちた生活風景を感じさせる「カデンツア」を披露し、一次予選を突破しつつも、二次予選で敗退し、「生活者の音楽は、敗北しました」と答えた明石だが、それでも、「あっち側の世界」の特別なチャレンジャーの演奏を最後まで聴視し続ける。

 

その結果、明石は「生活者の音楽」を続けていくことを決意するに至った。

 

「君ら天才を見てたらさ、続けててもいいんだよって、言われたみたいで」 


亜夜に、そう打ち明けたのである。

 

「どうしようもないくらい、ピアノが好きな」明石の音楽人生は繋がったのである。 

「生活者の音楽」

その言葉を聞いて嗚咽した亜夜もまた、自己を振り返る契機となっていくが、この時点では、未だ漂動していた。

 

その亜夜を含む「あっち側の世界」の3人は今、海岸で、拍子で曲名を当てる遊びに熱中している。 


「何だ?」(曲名を当てさせる遊び)


その遊びそのものが、充分に、「あっち側の世界」の独壇場だった。 


「何か聴こえる」という塵に導かれて、3人は海の方へと走っていく。

 

「世界が鳴ってる」 


「世界が鳴ってる」


3人が見つめる先の海岸線の立ち込めた雲の中に、遠雷が響いていた。 


養蜂家の父を持つ塵が、遠雷の音に敏感に反応する。

 

「蜜蜂と遠雷」というタイトルに表現されていたように、この物語の根幹を、塵が動かしていることを敢えて見せるシーンだった。

 

なぜなら、「世界が鳴ってる」という塵の言葉は、何より、母との連弾の中で亜夜が表現した言葉だった。 

                   「世界が鳴ってる」


あの時、優しい母と、様々な音を聴く時間を共有していたのである。
 


時計の音、小鳥の声、やかんの音を聴く亜夜。 

「聞こえない?」

「時計の音」

「小鳥」

「やかんの音」

「雨の音?」

「雨の音。どんな音かな?」


そして、雨の音を弾く亜夜に、母は「いい音を拾ってきました」と言って、褒め称(ほめそや)した後、亜夜に話すのだ。

「いい音を拾ってきました」

母が音を奏でる

笑みを交わし合う母と娘

母と娘が音を奏でる

「すごい。音楽になった」

 

「あなたが、世界を鳴らすのよ」 



この母の言葉を思い出した亜夜が、正装して本選の舞台に立つ。

 

正装して、凛として舞台に向かう亜夜の後方から、塵は呟く。

 

「先生、見つけたよ」

 

ホフマン先生から、音楽を奏でる人を見つけることを目的にした塵のコンクール参加は、「亜夜の発見」によって完結するに至る。

 

「私が世界を鳴らす」

 

この境地に立った亜夜は、ブルーを背景にする馬の疾駆のように、ここで一気に走り抜けねばならなかった。 


この馬の推進力は、「あなたが、世界を鳴らすのよ」と言った母の推進力なのだ。

 

物語のラストで、風景が瞬(またた)く間に変容する。

 

変容した風景が齎(もたら)したのは、コンクールを審査する者たちをも巻き込んでいく。

 

亜夜に辞め時を促した嵯峨を波動させるのである。

 

完璧な亜夜の演奏を聴いていた嵯峨が、隣席のシルヴァーバーグに吐露した。

 

「私ね。分かった気がするわ」


「何が?」

「ホフマン先生の推薦状の意味よ」


「”彼を本物のギフトとするか、災厄にしてしまうかは、我々にかかっている”」


「すでにたくさんのギフトを受け取ってるわね」


「そうだな」

 

塵のコンクール参加は、「かつての天才少女」で終わってしまった嵯峨を審査員長とする、審査員らの能力をも問う現象と化したのである。

 

「蜜蜂と遠雷」のイメージを被(かぶ)した塵の存在は、コンクールそれ自身の風景を変容させてしまうのだ。 



亜夜に遠雷を届け、「私が世界を鳴らす」という心境への遷移のお膳立てをする。 



亜夜を経由した塵の破天荒な演奏に象徴される、「あっち側の世界」の一挙手一投足は、「生活者の音楽」を続けていくことを決意する明石にも到(いた)る。

 

思うに、「あっち側の世界」とは、私の定義によると、「永遠の門ゴッホの見た未来」の批評でも書いたように、「激情的習得欲求」のこと。 

「永遠の門ゴッホの見た未来」より


これは、「生活者の音楽」に拘泥(こうでい)する明石とは無縁な世界である。 



身体で覚え、身体に染み付いた高度な「手続き記憶」(「技能記憶」)は、一旦、形成されれば長期記憶と化すので、動作変換が自動的に遂行されていく。 

手続き記憶


「激情的習得欲求」の所産である。

 

亜夜もまた、そうだった。

 

しかし、彼女は頓挫する。

 

彼女を閉じ込めていた心的外傷の故である。

 

彼女を閉じ込めていた心的外傷の深さは、自己完結し得ていない「悲嘆」(グリーフ)の重さであった。 



ところが、彼女のグリーフワークが、まさに、コンクールそれ自身の渦中で具現化するのだ。

 

そこに隠し込まれていたのは、塵との心理的交叉であった。 



「世界が鳴ってる」という塵の一言が起点となって、「ブルーを背景にする馬の疾駆」が「母の推進力」と化し、グリーフワークを具現するのである。

 

恐怖のスポットでグリーフワークが完結する ―― その 眩(まばゆ)い煌(きらめ)めき。

 

感銘深い映画の収束点である。

 

亜夜のグリーフワークは、「プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 Op.26」の演奏によって、最高のパフォーマンスを体言するのだ。 

セルゲイ・プロコフィエフ(ウィキ)


その超絶技巧こそ、心優しき母との関係の中で形成された「激情的習得欲求」の結晶だったのである。 

石川慶監督




【出色の原作をベースに映画を批判するレビューが散見されたが、基本的に原作映画であっても、小説と映画は全く異なる文化フィールドである。原作から零れ落ちたもの(例えば、奏(かなで)の存在など)を映画的に脚色する自由の幅こそ、映像文化の腕力でもある。「原作・絶対」のバイアスは、それとのレリバンスにおいて、手抜かりという感覚を抱きやすいので、理が非でも、映画批判に振れてしまうのは理解できるが、その視野の狭隘さが、観る者の感度と自由の幅を削り取っていく。その意味で、「総合芸術としての映画を観る行為」について再考させられた作品だった】

 

(2021年7月)

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