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2022年9月20日火曜日

歓待('10)  群を抜く、「決め台詞」と叫喚シーンを捨て去った映像 ―― その鉈の切れ味 深田晃司


1  「大事なのは、腹割ることです。僕は、奥さん、助けたいんですよ」

 

 

 

下町の河川敷に建てられたみすぼらしい破(やぶ)れ屋。 


人の気配はない。

 

そんな下町で印刷業を営む小林家には、主人の幹夫(みきお)と妻・夏希(なつき)、そして、前妻の娘・エリコと出戻りの妹・清子(せいこ)が住んでいる。

 

父の三回忌の法事から帰ると、町内会の敏子が、「犯罪防止キャンペーン」の回覧板を持って、幹夫のところにやって来た。

 

「ほんと、増えてるらしいんで。空き巣とか犯罪。ほら、外国人のとか。危ないんですよ」

幹夫と敏子


「本当ですかぁ?」

「知らないけど、そうなんじゃないんですか」

 

更に、ホームレスが増えている河原(先の河川敷の破れ屋)の美化運動の署名を求められ、幹夫はサインする。

 

エリコは、最近いなくなったインコのピーちゃんを探す張り紙を幹夫に印刷してもらい、清子と一緒に町内会の掲示板に貼りに行く。 

夏希とエリコ



その直後、一人の男がその張り紙を剥(は)がし、小林家を訪ねて来た。

 

駅の広場でインコを見たというその男は、かつて、小林印刷に資金援助してくれた資産家の加川の息子、加川花太郎であると名乗る。 

加川(右)


それは、あまりに唐突だった。

 

従業員の山口の体調が悪いために、この加川が住み込みで働くことになったのだ。

 

町内会の見回りから帰って来た清子が、幹夫に不服を言う。

 

「ずいぶん急じゃない」

清子(右)



「今のアパートが立ち退きで、部屋探してるらしいんだよ、ちょうど。あれ、嫌?」

「いいけど、相談してよ。私だってこの家住んでるんだから」

「ああ、ごめんな」

「あたしの部屋だって、勝手に夏希ちゃんの部屋になってるし」

「だって、2年で戻って来るって思わないだろ、普通」

「でも、女まわせるなら、一言あってもいいんじゃないの?」

「女とか、言うなよ…」

 

山口の入院見舞いの帰りに3人でスーパーに寄ると、幹夫は生後8か月の子供を連れた前妻・章江(あきえ)とばったり出会(でくわ)す。 

章江(右)



久々に再会したエリコは章江の家へ行き、小林と夏希が家に戻ると、突然、外国人の女性がタオルを巻いた姿で風呂から出て来た。 

アナベル



これも唐突だった。

 

加川が帰って来ると、彼女は妻のアナベルで、ブラジルから来日して5年になり、サルサ(ラテン音楽)のダンスを教えていると、夕食の団欒の場で、加川は小林家の一同に紹介する。

 

章江が送りに来たエリコを、幹夫を清子が玄関に迎えに行くと、出し抜けに、加川が夏希に話す。

 

「僕たちね、実は偽装結婚なんすよ…ウソ、ウソ、冗談ですよ。嫌だな、真に受けて、もう…まあ、一つよろしくお願いします。迷惑かけないから」 


呆気に取られる夏希。 



その夜、隣の部屋から加川とアナベルの喘ぎ声(よがり声)が聞こえてくる。

 

喘(あえ)ぎ声で眠れない幹夫は、今日会った章江が夏希を見て安心したという話をしながら、夏希に迫って来るが、「やめて!」と大きな声で拒絶されるのだ。 

章江の言葉を夏希に伝える幹夫



翌朝、洗面所で清子が歯磨きをし、続いて幹夫が歯磨きを始める。

 

【リピートされるこの構図は、小林家の日常性として記号化されている】

 

留学資金を溜めるためにパートを始めるという清子は、本当ならもっと楽になっていたと金銭的な不満を漏らす。

 

「俺が再婚したのが悪いのか」

「そうは言ってないでしょ」

 

そこに夏希がやって来て、清子と朝の挨拶をして歯磨きを始める。

 

出勤する清子と挨拶する敏子は、小林家の2階の窓際に立っている上半身裸のアナベルを、驚きながら見上げるばかり。

 

アナベルが外でダンスを教えてもらっているエリコに、英語のレッスンを呼びかける夏希。 



夏希はエリコに「先生」と呼ばれ、以前より英語を教えているのだが、夏希が2階に上がった隙に、代わってアナベルが、エリコに発音を教えていた。 



繰り返される不意打ち。

 

一週間休みを取りたいという加川の申し出を許可したことに、夏希は幹夫に不満を垂れるのだ。 


「ちょっと勝手なんじゃないんですか?」

「そうかな」

「それに奥さん、アナベルもちょっとね。目立ちすぎるのよ。近所で噂になってるんだから。ちょっと言いにくいけど、辞めてもらうか、せめて、家を出て行ってもらった方がいいんじゃないですか?」


「そんな急に住み始めたばっかりで、言えないよ。アナベルだって、いい人じゃないか」

「何かねえ」

 

そこに加川が2階から降りて来ると、二人は愛想よく挨拶する。

 

残されたアナベルが、輪転機を回している幹夫を誘い出す。 


二階に誘うアナベル



そこに、インコを探しに行って、鳥籠を持ってエリコと帰って来た夏希は、2階から声が聞こえてくるので上がっていくと、幹夫がアナベルにダンスを習っているところだった。 



夏希に代わって英語を教わるエリコを、インコ探しに誘い、夏希が鳥籠を持って出て行くと、旅行から帰って来た加川も後を追って探しに行く。 



双眼鏡でインコを探す加川は、小林の家の方を覗くと、幹夫とアナベルが裸で抱き合っているところだった。 



何か見えるかを聞く夏希に、面白いものが見えると勧めるが、それを断られた加川は、双眼鏡を見ながら言い放つ。(既に夏希には、「面白いもの」の正体を把握している)

 

「奥さん、会社の金、横領していますよね」

「え?」

「小林印刷の帳簿とか、色々調べさせてもらったんですけどね、計算が合わないんですよ。毎月10万ぐらいずつ、どっかに消えてる。幹夫さんは知らないでしょうね。会計は奥さんが全部、管理してんだから」

「あたし、知りません」

「奥さん、時々家抜けて、人と会ってますよね」

「知りません」

「いえいえいえ、本間タカヒロ29歳。無職。婦女暴行で服役歴あり」

 

幹夫に報告するという加川に、「奥さん次第です」と言われた夏希は逃げようがなく、重い口を開いていく。

 

「あの男は…兄です」


「お兄さん、いたんですか?それは、幹夫さんは?」

「知りません」

「それはまた何で?」

「恥ですから」

「ああ、分かりますけどね。あれだけ立派な経歴だから」

「でも、違うんです。彼とは腹違いで、育ってきた場所も全部。だから、違うんです。あたしたちとは」


「はははは、OKOK。大事なのは、腹割ることです。言ってしまえば、大したことないでしょ。僕は、奥さん、助けたいんですよ…よし、じゃぁ、行きましょ」
 



夏希は喫茶店で腹違いの兄と会い、用件を話す。

 

「もう、お金払いたくないんです。ごめんなさい」

「ちょっと、夏っちゃん、止めてよ。ごめんね。俺も悪いと思ってんだけど、ほんと、ごめん」

本間



「もう、連絡してこないでくれますか」

「分かった。もう行かない」

「本当?」

「でも、僕も今、お金ないし、借金もあるし、悪いとは思うけど、君しか頼れないんだよ…これが最後。最後に、もう10万だけ」

 

5万円しかないという夏希が、財布からお金を出そうとするところで、加川が本間の前に現れた。 


隣の席に座って脅し、話をつけると言って、夏希を先に返すのだ。 



帰路、夏希に好意を持っている仕事の客のバンドマンから声をかけられ、ライブのチケットをもらう。 



夏希が家に戻ると、加川から電話が入り、「二度と脅さない。借金も自分で何とかする。誓約書にサインする」と本間に約束させたことを伝えられる。 



ところが、加川は兄を小林家に連れて帰り、仕事がないので、印刷所で働かせると言うのだ。 

本間を小林印刷所で働かせる加川



困惑する幹夫に対し、加川は妻と寝たことを質し、有無を言わせない状況に追い込んでいく。

 

「とにかくあなたは、私の妻と姦通した。そういうことですよね」


「すいません、すいません、あの、妻には…」

 

夏希もまた、兄が働くことになり、困惑が広がるばかり。

 

翌日から加川は、自分が社長のように振舞い、勝手に原料を増量して業者に発注するのである。 


主従関係が反転してしまったのだ。

 

 

 

2  宴の空間が閉ざされ、夫婦の時間が変容していく

 

 

 

敏子から出席を求められた幹夫は、夏希に町内会への出席を強く促し、初めて会合に出席するが、完全に浮いてしまう。 

夏希に町内会への出席を促す幹夫


町内会に出席する夏希




そこで、河原の段ボールハウスの撤去が始まることが報告された。

 

家への帰り道で掲示板のインコ探しの張り紙を剥がし、バンドマンからもらったたチケットを取り出し、ライブへと向かう。

 

ライブを楽しんだ帰路、彼のバイクの後ろに乗り、送ってもらうのである。 



朝帰りした夏希が起きると、幹夫は布団におらず、洗面所で歯磨きを始めるところだった。

 

二人は無言で歯磨きをする。

 

河原では立ち退きの強制執行が始まった時だった。

 

「そろそろかな」 


加川が窓を開け、そう呟いたのだ。

 

アナベルが不気味な笑みを浮かべるカットがインサート。 



その日以降、加川を頼って、引きも切らず、小林家に外国人がやって来て、2階に上がっていく。 


冒頭の破れ家に集合していた連中である。

 

狭い部屋にすし詰め状態で座っている外国人たちを見て、幹夫は驚愕し、加川に帰ってくれと迫ると、アナベルの親戚だと言い訳する始末。 


「全然、違うじゃないですか!」

「そんなことないっすよ」

「ここは、俺たちの家なんですよ」


「私たちの家じゃないですか」

 

そう言って、加川は幹夫の肩を抱くのだ。

 

そこに清子が割って入る。

 

「いいじゃないの?友達でしょ?アナベルの」


「お前は、黙ってろ!」

「兄さん、この家の権利はあたしにもあるんですからね。そのあたしがいいと言ってるんだから、いいでしょ」

 

こうして、一つのトイレの前で、小林家の面々も含めて、外国人たちが順番待ちの列を成すことになる。

 

「悪いんだけど、明日だけでも、みんな、どうにかしてくれませんかね」


「出てけってこと?」

「いえいえ、一日だけでいいんだ。明日、夏希の誕生日なんだよね。記念日はいつも、家で祝うことにしてんだよ」

「まあ、急には無理だな」

 

トーンダウンした小林家の主と、最大音量を表出する侵入者との懸隔(けんかく)が際立つ会話だった。

 

翌朝、外国人たちも歯磨きをし、それぞれに家で寛いでいる。 



風景が一変する。

 

外国人の侵入が止まらなくなった折、加川は役所からの注文書を幹夫に渡し、受注を増やし、外国人たちに仕事をさせるのだ。 



座敷から、その仕事ぶりを眺めるだけの幹夫と夏希。 


その座敷も、加川たちの作業場となり、二人は2階に追いやられてしまう。 



愈々(いよいよ)、ブラックコメディの世界が広がっていく。

 

夫婦が暇を持て余していると、間断なく回っていた輪転機の音がストップした。

 

幹夫と夏希が1階に下りると、加川と外国人労働者たちが、二人の前に立ち塞がっている。 



一斉にクラッカーが鳴らされ、アナベルが「ハッピーバースデー!」と言いながら、夏希に誕生日ケーキを渡すのである。 



皆に拍手で祝福されて、驚きと戸惑いの表情の二人。 



清子が食事を振舞い、皆で踊り出すのを見ているだけの幹夫と夏希だったが、加川に促され、ぎこちなくその輪に入っていく。 


宴が盛り上がっている只中だった。 



すっかり場の空気に馴染んだ夏希は、同じく一緒に踊りを楽しむ幹夫に、先日の朝帰りの日に男の子と寝たと告白し、「ゴメンね」と謝るのだ。 


その瞬間、幹夫のビンタが飛んできた。 


すぐさま夏希もビンタを返し、二人はじっと見つめ合う。 



皆が踊りを止め、静まり返るが、そこでアナベルが心を込めて歌を歌い始めた。

 

夏希と幹夫はその間も、ずっと見つめ合っている。

 

そこに、警察官が乗り込んで、外国人登録証の提示を求められると、外国人たちは一斉に家から逃げて行った。 



呆気に取られる、幹夫と夏希と清子。 



加川とアナベルも紛れて逃げ出し、笑いながら夜の街を走り去っていく。

 

宴の時間が終焉した瞬間だった。

 

翌日、小林家の前に集まる、敏子を中心にする町内会の婦人たち。

 

「誰もいませんね」

「ほんと怖かったんだから。外人ばかりで、ドンちゃん騒ぎして。だいたい、あの髭もじゃの、ひどいんですよ、あの男。不法滞在の斡旋か何かやっていたって話ですよ」


「捕まったんですか?」

「それが、逃げちゃったらしいのよ」

「だめね、警察も何やってんの」

 

そこに、幹夫が取り調べから帰って来て、敏子に大変でしたと労われる。

 

「お騒がせしました」と、家に入ろうとする幹夫は振り返り、敏子に言い放つ。 


「あの…友達の悪口は言わないで下さい」 



家に戻ると、名前を呼んでも誰もおらず、散らかった部屋のちゃぶ台で、疲弊し切った幹夫は居眠りする。 



幹夫を警察に迎えに行き、入れ違いになった夏希が戻って来た。 

「大丈夫だった?」「うん、まあ、大丈夫。ただの事情聴取だよ」



エリコも疲れて、2階で寝ていると言う夏希。

 

鳥籠にインコが戻っていた。

 

それに気づいた幹夫が、鳥籠に近づく。

 

「見つかったのか。良かったなぁ。元気そうじゃない」


「それ、買ってきたの。同じ色の」


「そうか。買ったんだ。…いいのか?それで」

「いいんじゃない?忘れるわよ、すぐ」


「…片付けるか、部屋」

「うん」

 

昨晩の狂乱で散らばったゴミを、無言で片付ける二人。 



宴の空間が閉ざされ、夫婦の時間が変容していくようだった。

 


 

3  群を抜く、「決め台詞」と叫喚シーンを捨て去った映像 ―― その鉈の切れ味

 

 

 

この映画は、基本的に印刷工場を営む夫婦・幹夫と夏希の物語である。

 

もっと言えば、夏希の物語であると言っていい。

 

―― 以下、私が勘考する物語の構造である。

 

結論から言うと、小林印刷所への最初の侵入者・夏希の、下町共同体という殆ど異界の文化への適応の苦労譚であり、その心の漂動の変遷を経て軟着し、その底層に沈積する澱みを浄化し、夫婦関係を再構築していく物語である。

 

詳細が映像提示されていない事実を承知で、敢えて書いていく。


育ってきた場所も違うと言いつつも、厄介な異母兄の問題が彼女の自我に張り付き、下町共同体での社交性が削り取られ、出自を隠し込むように生きてきたかのような夏希が相応のフェミニンを有したことで、妻に逃げられ、寂寞(せきばく)感を埋められない「丸ごと善人」の幹夫に一目惚れされ、結ばれた成り行きで平凡な日常性を手に入れた。 

厄介な異母兄・本間に持ち金の5万円を渡す夏希



平凡な日常性 ―― それは朝起きたら歯ブラシをし、朝食を摂り、夫婦の共同作業による印刷工場の一日が始まる。 



輪転機が回る音こそが、夫婦の平凡な日常性の記号そのものだった。 

夏希は部屋で事務の仕事に専念している



そんなシンプルだが、温和な日々が開かれたばかりの渦中に、結婚に頓挫した出戻りの義妹・清子が唐突に闖入(ちんにゅう)して来た。

 

小林印刷所への第二の侵入者である。

 

ところが、多分に計画錯誤的(楽観バイアスは頓挫する)で、その場凌ぎの日々を繋いできたであろうの清子から見れば、自分の部屋が「見知らぬ女」(夏希のこと)に奪われたことが許し難いが、実質的に無為徒食(むいとしょく)の日常への負荷を抱えているが故に、町内会での見回りなどで相殺することで、夏希との間で生まれる緊張感を削り取っている。 

「女住まわせるなら、一言あってもいいんじゃないの?」と言ってのける清子


町内会には出席する清子



だから、表面的には融和関係を保持しているが、これは、自分の感情を押し殺している夏希の努力なしに困難だった。 



同時に言えるのは、共に「悪意なき侵入者」だったこと。

 

「悪意なき侵入者」であるから、「建前共存」が可能だったのである。

 

そして、もう一つ。

 

前妻の娘・エリコとの微妙な関係性。 

エリコに英語を教えている



幸いにして、エリコの天真爛漫な性格に救われているから何の問題もなかった。

 

それでも気になるのは、夫と前妻との関係である。 

幹夫と話す前妻の章江を見ている



嫉妬感情ではない。

 

端的に言えば、比較されることへの不満である。

 

こんなシーンがあった。

 

喘(あえ)ぎ声で眠れない幹夫が、同様に眠れない夏希に吐露するシーンである。

 

「何かお前見て、安心したって。心配だったんだってさ、エリコのことが。俺一人で」 



自分は前妻・章江の代理品ではないのだ。

 

この強い感情が、夏希にある。

 

だから元々、夫に対する性的欲求が希薄なばかりではなく、こんな吐露を耳に入れれば、「やめて!」と言って、拒絶する外になかった。

 

夏希の本音が、初めて漏洩するシーンである。

 

然るに、それほどまでにして手に入れた平凡な日常性を、夏希は手放すわけにはいかないのだ。

 

夏希のテーマは、下町共同体への適応の問題のみ。

 

これは容易ではない。

 

なぜなら、好奇心旺盛な共同体の住民に対して、プライバシーの開陳(かいちん)を求められるからだ。 

町内会に初めて出席し、孤立する夏希



こればかりは避けたい。

 

厄介な異母兄の問題を抱えている夏希にとって、町内会への「顔見世」は、タイトロープ(綱渡り)の危うさを内包しているからである。

 

それでも延長される平穏な日常性。

 

しかし、その平穏な日常性を根柢から崩す事態が惹起する。

 

加川の出現である。

 

この男こそ、小林印刷への第三の侵入者である。 



それも、「悪意ある侵入者」だったから厄介極まりなかった。

 

大体、「加川花太郎」と名乗ったが、これは信憑​性に大いに欠ける。

 

怖れを知らないような大胆不敵な男が、身元を明かすような愚に振れないことは自明だった。 

小林家にアナベルを紹介する加川


溶け込むのも早いアナベル



丸ごと善人で、幾分、オールカマー的な「受容力」があり、騙しやすい幹夫に目を付けたであろう自称・加川にとって、印刷所の時限制限(摘発までの)の乗っ取りは、端(はな)から仕込まれている段取りであったに違いない。

 

印刷技術の取得も、この文脈で説明可能だろう。

 

この男の犯罪については、粗筋で書いたので詳細は省くが、それでも、小林夫婦の籠絡(ろうらく)という一件だけは見逃すことができないので言及していく。

 

対象人格の足元を見て行動する加川の、夫婦に対する籠絡は見事という外にないからだ。

 

先(ま)ず、夏希の籠絡。

 

10万の横領を強いられた異母兄・本間との悪縁を断つ方略で、夏希を完璧に黙らせる。 



それも、本間を小林印刷所で働かせるのだ。


印刷所で目を合わせ、にやつく本間



この念の入れようで、もう、夏希は加川の意のままになり、支配・服従の権力関係が成立する。

 

次に、幹夫の籠絡。

 

これはもう、プロの独壇場の世界である。

 

一週間の休暇を取って、「偽装結婚」の相棒・アナベルの色仕掛けで一件落着。 

一週間の休暇を取る加川



且つ、それを夏希に開放し、敢えて夫婦の紐帯(ちゅうたい)を弱体化させていく。 



そうすれば、罷(まか)り間違って夫婦の「叛乱」が惹起しても、それを無化させることができるのだ。

 

小林印刷所での支配・服従の権力関係が整備したら、そこで一気に、強制送還が約束済みの不法滞在者を送り込み、「就職」させ、狭いながらも、住み込みでの「住居」を保証する。 

小林印刷所で働く不法滞在者



かくて、彼らこそ小林印刷への最後の侵入者となるに至る。 

小林夫婦は口を噤(つぐ)む外になかった



不法滞在の斡旋の仕事を完結させた、自称・加川花太郎の本領発揮のシークエンスの凄みは、侵入者の外国人が人のいい者たちの集合であったが故に、小林家の3人をもインボルブし、歌って踊り捲ることで、印刷所というフラットな空間を、完全解放系の空間に入れ替えるという取って置きの手品を駆使したことに尽きるだろう。

 

完全解放系の空間に入れ変わったことで、小林夫婦は決定的に変容していくのだ。 

すっかり打ち解けた夫婦は、踊りのラインに加わっている



本音を全開させ、不倫を告白した夏希の頬を叩いた夫の、その頬を叩き返すカットが提示され、いつまでも見つめ合う二人。 

いつまでも見つめ合う夫婦を見る加川とアナベル



彼らはこの仮構された空間の渦中で、本来目指すべき関係の構築にまで行き着いてしまうのである。

 

摘発に備えて動いた大胆不敵な男の約束済みの逃走で終焉する物語は、男の恩恵を置き土産にして閉じていく。

 

「僕は、奥さん、助けたいんですよ」 


この男の言葉は嘘ではなかったのである。

 

まさに、「歓待」だったのだ。

 

―― インコから始まって、インコで終わる映画。 

夏希が買ってきたインコ



インコとは、小林家の安寧な日常性の象徴的表現である。

 

加えて言えば、探し出したインコではなく、夏希が買い入れたインコに変換されることで、小林家、就中(なかんずく)、小林夫婦の再構築の物語が開かれていくことの収束点と化したのである。

 

それは、小林家を柔和に、且つ、巧みに仕切っていくだろう夏希の時間が溶融し、ネガティブな記憶を引き摺ることのない〈生〉の、それ以外にない変移のシグナルとも言える。

 

集団舞踏のシーンで存分に解放系に転位したことで、封印してきた記憶の一切が浄化され、夫婦の再構築が具現化したのだ。


 

だから、夫婦の解放系を引き出した希代の詐欺師・加川について、幹夫は「友達」と言ってのけたのである。

 

そこから開かれる小林家の安寧な日常についての描写など、もう、語るべき何ものもない。

 

集団舞踏を映像提示してもなお、「決め台詞」と叫喚シーンを捨て去った映像の、その鉈(なた)の切れ味は群を抜いていて、若き映画作家・深田晃司の面目躍如の一篇だった。 

深田晃司監督



こういう映画が、数多の商業映画の粗雑な屑籠(くずかご)の中に潜んでいるから、私の映画散策が止められないのである。

 

―― 本稿の最後に、物語で描かれた、下町共同体の閉鎖的で排外主義的なテーマについて次章で言及していく。

 

 

 

4  日本人は決して排外主義ではない。

 

 

 

ここでは、深田晃司監督の認識と異なるだろう点を俎上に載せたい。

 

同質性が高いアジア圏の民族に対する「異化現象」が、時には、極右のヘイトスピーチを生み出すが、総じて言えば、「日本人は排外主義」という思考には根拠がないラベリングであると、私は考えている。 

ヘイトクライムで放火された在日コリアンの街・宇治市ウトロ地区(ウィキ)



データで示していく。

 

「日本に住む外国人が増えるとどのような影響があると思いますか」というアンケート調査の結果を示す以下の図から言えること。 

外国人増加の影響認知



外国人の移入が増えた2009年(この映画の製作の前年)から8年間で、2割近くの外国人が急増している事実を考えれば、日本人の大多数が排外的傾向を持つのであれば、「悪影響がある」と考える人が増えるはずだが、実際には、経済活性化などのプラスの影響があると思う人が着実に増える一方で、働き口が奪われる懸念は明確に減少し、治安・秩序の乱れの懸念も09年の水準より13年、17年ともに低下しているのである。

 

ここ8年ほどの外国籍住民の急増を経験した上でも、人々の懸念は高まっていないのだ。

 

寧ろ、「良い影響が多く、悪影響は少ない」と考える人が増加しているのである。

 

次に、「日本政府は日本に定住している、または、定住する意思のある外国人に対して認めるべきだと思いますか」というアンケート調査の結果を示す、以下の図から言えること。 

外国籍者への権利意識



確かに権利を制限的に考える人が、09年に比べて13年と17年では微増しているが、それでも、母国の習慣を守る権利は認めた方が良いという人々の方が、否定派よりも10ポイント以上多いのだ。

 

また、インターネット上では否定的な意見が目立つ外国人の生活保護受給権についても、賛成が反対を上回るばかりか、現在は認められていない地方参政権も賛否は拮抗しているのである。

 

以上のデータを見ていくと、イメージほど日本社会は排外的ではなく、外国人増加への懸念は減少傾向で、外国人の権利に否定的な意見の人が多数派を占有していないのだ。

 

しかし、現在の外国人の受け入れ状況、特に政府が主導する諸制度には、「奴隷労働」とも批判される「技能実習制度」や、入管施設における度重なる人権侵害などの問題は決して等閑視(とうかんし)してはならない。 

                      技能実習制度のしくみ



基本的には、政治の責任である。

 

思うに、一般の日本人は英語を話せないので、自ら外国人に話しかけることは稀であるが、何某かのコミュニケーションが可能なら、概して言えば、穏やかで親切心の強い日本人は友好的な対応で接することを厭(いと)わない。

 

そこには排外意識の精神というより、感情表現が苦手な日本人のシャイな気質が読み取れる。

 

日本旅館のインバウンド対応に見られるように、控えめだが、相手を思いやる「おもてなし」の文化が息づいているのだろうか。

イメージ



【排外主義の問題のついでに書き添えておきたい。『日本人は集団主義的』という通説を批判する高野陽太郎教授(東京大学大学院人文社会系研究科)によると、「日本人は集団主義・アメリカ人は個人主義」と広く信じられている観念傾向は、ルース・ベネディクトの『菊と刀』によって世間に広まったことで知られるが、現在、心理学的研究・言語学的研究・教育学的研究・経済学的研究・歴史的研究・エピソードによって、人間の思考を歪める心理的なバイアスによって作りだされたものであることが明らかになっている。その理由は、「対応バイアス」(状況無視)という思考のバイアスである。映画のテーマから逸脱するので例証は避けるが、比較文化研究の実証データを分析すると、通常、文化の影響は予想外に小さく、文化差は表層の差異に過ぎないということ。これに尽きないか】  

高野陽太郎教授



【引用資料】

 

「日本人は『排外的』?-現代日本の排外主義と移民政策」(田辺俊介・早稲田大学文学学術院教授) 


(2022年9月)

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