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2022年7月8日金曜日

虐殺の大地を走り抜き、鮮烈な時間を拓いていく 映画「ルワンダの涙」('05)の壮絶さ  マイケル・ケイトン=ジョーンズ

 


1  虐殺の大地の一角で木霊する神父の炸裂

 

 

 

【これはこの地で起きた実話である】

 

「ルワンダ 1994年。フツ族の政府は30年来、少数民族のツチ族を迫害していた。西欧の圧力で、大統領は渋々、ツチ族との政権分担に同意。国連は平和監視の目的で、首都キガリに小隊を置いた」

 

1994年4月5日 公立技術学校 キガリ

 

学校を運営するのは、土地の者から慕われるクリストファー神父。 

修道女のもとを訪れるクリストファー神父

修道女


そこに教師として赴任してきた国連協力隊の英国人・ジョーは、子供たちを笑わせる親しみやすい男だった。 

マリーのマラソンのタイムを計り、子供たちを活気づけるジョー


そのジョーがキガリ(ルワンダの首都)の中心部で、BBCの記者・レイチェルからルワンダの不穏な状況を知らされる。 

フランソワと共にキガリに行くジョー

キガリの中心地域


「カチル(キガリのカチル地区のこと)でツチ族の集会を取材してたら、フツ族が乱入してきて、ナタで皆殺しに。警察は、ただ見守るだけ。怖かったわ。フツ族とツチ族の共存を期待したけれど、ワインの異種ブレンドとは訳が違うわ」


「ローマは1日にして成らずさ」

「迫害がこれほどとは。老女の顔を半分に切って、ツチ族を挑発してた」 

レイチェル


何かが起こる前兆だった。

 

1994年4月6日

 

政府のシボナマ議員が学校を訪れ、クリストファーに国連軍の人数を聞き、活動の様子を伺いに来た。 

シボナマ議員

ジョーに好意を抱き、マラソンに熱心なツチ族の少女マリーが、この日もマラソンの練習をしていると、フツ族の少年たちから「ニェンジ(ゴキブリ)」と言われ、投石される。 

マリー

そして、この夜、由々しき事件が出来した。

 

クリストファーとジョーは国連平和維持部隊(PKO)の指揮官・デロン大尉から、大統領機が墜落したことを知らされる。 


「守りの堅い、この学校を防衛拠点にする」とデロン大尉。 

国連平和維持軍小隊の隊長・デロン大尉(中央)


閉鎖した学校の外では砲撃が鳴り、大勢のツチ族の住民たちが助けを求め、門の前に押し寄せていた。 



「門を開けろ」と神父。

「ここは基地だ。難民キャンプじゃない」とデロン大尉。

「ここは学校だ。私のね」 



そう言うや、神父は門を開けさせ、住民を学校に入れた。 

懐妊中のエッダと、その子供


老夫妻がジョーに話しかけてくるものの、ルワンダ語が分からず、学校の整備係で ジョーの通訳係を兼任するフランソワに通訳を頼むが、老夫妻は押し黙ってしまう。 



「おれはフツ族だ。ツチ族に憎まれてる」 



フランソワはそう話し、父親の家へと帰っていった。

 

1994年4月7日

 

ラジオで、大統領の死が伝えられ、ルワンダで暴動が起きていることを伝えるニュースが流される。

 

「政府筋は、これがツチ族のテロによるものと非難しています」 



ジョーは学校を出て、マリーの所在を確かめるために、学校所有の車で出かけるが、マリーは不在だった。 

マリーの家に入り、不在を確認する


学校へ戻ると、マリーは家族と共に避難していて、安堵するジョー。 

マリー親子


デロン大尉は、撤退の準備を始めるとクリストファーに話す。 



そこに、元閣僚のツチ族の男性が入って来て、国連軍に介入を訴えた。

 

「殺害は、でたらめに起きているのではない。計画的なものだ。国連本部の介入の要請をしてほしい」

「我々の任務は平和の監視です。それ以上のことは…」

「フツ族の過激派にとって、ツチ族は、まさにユダヤ人。絶滅を計画している」 



再び、シボナマ議員が学校を訪れ、神父に警告する。

 

「政府は、この学校に難民を入れることに反対です。ルワンダ人のことは、ルワンダ人が」


「だが私は、大尉に意見できる立場にない」

 

この時点で、首相を護衛していた10名のベルギー兵が行方不明になり、その首相も暗殺されるという厄介な事態にエスカレートしていた。 



「我々は無力だ。国連が標的にされているなら、もう何もできない」 


クリストファーはジョーに嘆いた。

 

ジョーは、神父にテレビ中継を提案する。

 

「ここで起きてる事件を世界に知らせるには、TVしかないからです」

「できるのかね?」

「BBC放送のレイチェルに話してみます」 



しかし、デロンに外出の護衛を断られ、頓挫する。 


行方不明だった部下たちが、政府の兵舎で処刑されていたのが見つかったからだ。

 

ジョーは単身、学校の外に出て、通訳のフランソワの家を訪ねるが不在で、レイチェルに取材を依頼するが、手一杯だと断られる。

 

しかし、学校には40人のヨーロッパ人がいると聞き、レイチェルはカメラマンを連れジョーの車で学校へと向かう。

 

【「ヨーロッパ人」という言葉は、メディアを動かす武器になるのである】

 

「今では一般人や警察までがツチ族を殺してる。至る所でナタが振るわれてるわ」 



道端にはツチ族の遺体が転がり、更に民兵が殺害している現場を視認する。 



銃を持った民兵に車を止められた3人は、暴力的に車から引き摺り降ろされてしまうのだ。

 

小突かれながら、レイチェルはジョーが教師であることや、自分がBBCの記者であると伝えると、民兵はそれ以上の暴力を振るわなくなった。

 

しかし、ジョーは一人の男が、惨殺されるのを目の当たりにする。 



その民兵の中に、ナタを持ったフランソワいて、ジョーに気づき、何やら仲間に話すと、3人は解放され退散した。 

フランソワ


3人の奇跡的解放が、フランソワの口利きであることは自明だった。

 

道すがら、虐殺死体の映像を撮るBBCの2人。 



ジョーは怯え、衝撃を受け、口を閉ざす。

 

学校に戻ったジョーは、神父にフランソワが殺害者に加わっていることを話す。

 

一方、デロン大尉にインタビューする気丈なレイチェル。

 

「この敷地の外では、今も虐殺が…阻止しないのですか?」

「命令されていないし、武器が使えるのは自衛のみなので…」


「これは、ジェノサイドでは?だとすれば、介入の義務がありますね」
 



デロンは、ここでカメラを止めさせる。

 

「私には権限がない。たとえ無能を思われても、命令に従うしかないんだ」


「でも国連は…」

「命令を下すのは安保理(国連安全保障理事会のこと)だ。本部に訴えてくれ。我々も努力した。君たちもやってみろ」

 

フツ族の民兵が学校を包囲し、ナタを持って中に入り込んだ男が捕捉された。 



発電機の故障で灯が消え、建物の奥から女の叫び声が聞こえた。

 

ジョーとレイチェルが向かうと、クリストファーが懇意にしているエッダのお腹から赤ん坊を取り上げるところだった。

 

新しい命が誕生し、束の間の喜びが溢れ、その子は、クリストファーと名付けられた。 

赤ん坊を抱くエッダ


しかし、クリストファーに元気がなかった。

 

教会が襲撃され、同僚の神父も惨殺されたからである。 



それでも、エッダの赤ん坊の具合が悪いと知り、市販薬を買い、連絡がつかない修道院へ行くと言って、クリストファーは自ら車を出した。

 

フツ族の子供に与えると偽り、馴染みのジュリアスの店で薬を手に入れ、道々に虐殺死体を見ながら修道院へ向かうと、中は修道女たちのレイプ死体に溢れていた。 

ジュリアス



九死に一生を得る思いで学校に辿り着いたクリストファーは、デロンから死体に群がる犬を撃ち殺すので、銃声に驚かないよう、難民に伝えてくれと頼まれる。



それに対し、疲弊し切ったクリストファーは、怒りを込めて反駁(はんばく)する。

 

「君らを撃ったのか?」


「何のことだ?」

「君らが受けてる命令のことだ。犬を撃つのは、先に犬が撃ってきたからだろうな。言わせてもらう!なぜ、下らん命令に従うんだ?衛生上の問題は、次々に作り出されるぞ!連中のナタで」 



神に仕える神父の炸裂が、虐殺の大地の一角で木霊(こだま)するのだ。

 

【ここで、Shooting Dogsという原題の意味が明かされる】

 

 

 

2  「私たちは運がいいわ。与えられた時間をムダにはしない」

 

 

 

フランス軍がやって来た。 


フランス人のみを救済するためである。 



デロンが難民救済を訴えても無視され、40人の白人のみを受け入れると言う。 



トラックに乗り込もうとするツチ族を追い出し、白人と所有の犬をトラックに乗せる。 



レイチェルに一緒に乗ることを促されるジョー。

 

「ここにいても何もできないわ」

「僕は残る」 



レイチェルを乗せたトラックはあっという間に去り、銃とナタを掲げて気勢を上げるフツ族の合間を走り抜けて行った。 

それを見るマリー



ジョーは赤ん坊の薬を届けるために、エッダを探していた。

 

難民の一部が学校から脱出し、草むらに出たところで、フツ族のナタに襲われ、次々に命を落とす。

 

ジョーは、慌てて戻ろうとして、草むらに身を潜めるエッダを発見する。 



しかし、赤ん坊の泣き声に気づいたフツ族により、母子はジョーの目の前で惨殺されてしまった。 



以下、事件直後のジョーとクリストファーの会話。

 

「人間は、どこまで苦しめるのかな。苦痛が限界を超えたら感じなくなるんだろうか。死ぬ前に」


「分からない」

「考えたことないですか?感じなくなればいいなって。苦痛が極度なら」

「だといいが」

「神のみぞ知るだ。聞いてみてください。そばにいるなら」

「私たちも、ここを出よう」 



クリストファーの気力は、すっかり萎えていた。

 

そのクリストファーのもとに、マリーが訪ねて来た。

 

「私たちを見捨てないわね」


「この世には、恐ろしいことが起きる。だが、どんな時にも君を想ってるよ。いつまでも。死ぬまで」
 



その「恐ろしいこと」が現実味を帯びることになる。

 

国連平和維持部隊の撤退である。

 

デロンが二人に告げる。

 

「命令で空港に撤退する」


「すぐに?」とクリストファー。

「30分後に」

「君も来い。来なければ死ぬ」

「ここの皆は?」とジョー。


「私には、どうしようもない」

 

そう言うや、デロンはその場を去った。

 

「こうなるなら、彼ら(難民たち)はここに来なかった」とジョー。

「急がないと」とクリストファー。

「できることは、何もない」

「あるとも。死ぬかもしれない子供たちに、聖体拝領を」 



「聖なるスポット」の教会で、クリストファーは、マリーたちに聖体拝領の儀式を執り行った。 



いよいよ、国連平和維持部隊が撤退する。

 

周りを取り囲む避難民たち。 



車に向かうジョーに気づいたマリーが呼び止めた。

 

「どこへ行くの?」

「すまない」


「約束したわ」


「すまない」

 

マリーと約束するジョー


そう言い残し、ジョーはトラックに乗り込んだ。

 

マリーの父が、デロンに声をかけた。

 

「お願いがあります。皆からです。キチュキロ(注)の住民とこの学校の難民から。“私たちは皆、父、母、息子、娘です。今では一つの家族。家族として死にたいのです。そこで撤退なさる前にお願いします。私たちを銃殺してください”。ナタで殺されたくない。銃なら一瞬だし、苦痛も少ない」


「その要望には応えられない」

「私たちが無理なら、どうか子供たちだけでも」

「残念だが」

「どうか、子供たちを」


「力になれません」


 

デロンは去って行く。

 

【マリーの父の嘆願は、どうせ無理だと思っているから、「銃を置いていって下さい」という懇望を封印し、より不可能、この表現に留まったものと思われる。それ故、この映像提示は強烈なアイロニーの含みを持つ】

 

(注)キチュキロとは、ガサボ郡、ニャルゲンゲ郡と並ぶ、キガリ州の下位行政区画の一つであるキチュキロ郡のこと。

 

ジョーが車から難民たちに目を向けると、その中にクリストファーがいた。

 

思わず車から降りて、クリストファーのところへ行く。

 

「私は残る。そうすべきなんだ」


「なぜです?」

「君は聞いたね。神は一体、どこにいるのかと。私は知っている。神はここに、苦しむ人々といるとね。神の愛を感じるよ。かつてないほどに強く深く。私の愛も、ここだ。私の魂だ。今、去れば、2度と見つけられないだろう。万事にも全力を尽くせ、ジョー」 



こうして、国連平和維持部隊は学校から全て撤退した。


置き去りにされたツチ族の避難民。 

クリストファー(中央)、マリーもいる


クリストファーも動く。

 

彼は学校のトラックに子供たちを寝そべらせて乗せ、シートで覆って学校脱出を図るのだ。 



全ての車が去った後、シボナマ議員が促し、「作業開始」の号令一下、フツ族が学校を一斉に襲撃する。 

虐殺を指示するシボナマ議員



夜になり、クリストファーが運転するトラックが、フツ族の集団に遭遇する。

 

車を止められ、降りたクリストファーは、薬を買ったジュリアスと問答する中、マリーは機転を利かせ、子供たちを車から降ろし、暗がりの中に逃げさせた。 

ジュリアス



クリストファーは結局、雑貨店主のジュリアスに銃で撃たれ、斃れてしまう。

 

マリーが逃げ去って行くのを見届けてから死亡するクリストファー。 



国連では、「集団虐殺的行為」と詭弁を弄(ろう)し、ルワンダのジェノサイドを正式に認めようとしなかった。

 

学校に残ったツチ族は、ほぼ全員、虐殺されるに至った。


 

マリーはひたすら走る。 



5年後。

 

イギリスで教師を務めるジョーのもとに、成長したマリーが訪ねて来た。

 

「なぜ逃げたの?」


「僕は…僕は死ぬのが怖かった」


「…私たちは運がいいわ。与えられた時間をムダにはしない」
 



そんな会話だった。

 

ラストシーンに続いて、印象深いキャプションが表示される。

 

「1994年4月11日。 



技術学校で国連軍に放棄されたルワンダ人2500人以上が、民兵に殺された。同年4月から7月には、80万人以上のルワンダ人が集団虐殺された。技術学校での殺害を免れた人々の協力なしには、この映画は完成しなかった。この映画を、彼らと虐殺の犠牲者たちに捧げる」 


 

 

3  虐殺の大地を走り抜き、鮮烈な時間を拓いていく

 

 

 

奴隷貿易を例に出すまでもなく、黒人は「家畜」と同義であり、「人間」ではなかった。

 

白人至上主義者のみならず、一般の白人大衆には、この歪んだ人種観が長く根付いていた。

 

だから、アフリカに対する欧米の植民地化政策は、当たり前のように行われ、当たり前のように受け継がれてきた。 

アフリカ分割(ウィキ)


その手法は簡単である。

 

部族を分断化し、争わせ、統治する。

 

ルワンダこそ、まさにその典型だった。

 

映画で鮮烈な台詞がインサートされている。

 

以下、ジョーレイチェルの会話である。

 

「なぜ、ここに?」とレイチェル。

「僕は、とても恵まれた子供時代を送った。それで、恩返しをしたいと思った。何か変えたいとね…現実はこれだ」


「去年、ボスニアで同じ気持ちに…最高の仕事をしたけれど、毎日、泣いてた。それが、ここでは涙が出ないの」

「感覚が麻痺したのかも」

「いいえ、違う。もっと、ひどい。ボスニアの白人女性の体とみると連想したの。これが母だったらと。ここの死体は、ただの死んだアフリカ人。結局、私たちは、自分勝手な人間なのよ」 



レイチェルにとって、白人の民族紛争であるユーゴ内戦の過程で惹起した、ボスニア内戦で目の当たりにした白人女性の死体が「母」を連想させるので、そのリアリテイの凄みで心を痛める衝戟(しょうげき)があったが、アフリカ人の部族紛争で行われたジェノサイドによる死屍累々(ししるいるい)の凄惨さは、「ただの死んだアフリカ人」のラインでしかなかった。 

スレブレニツァの虐殺/ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で起こった大量虐殺事件。画像は、2007年に行われた465人のボシュニャク人の埋葬(ウィキ)


ここに、映画のメッセージが読み取れる。

 

このことは、フランス人のみを救済するフランス軍部隊の居丈高(いたけだか)な行為に象徴されるように、白人所有の犬を救っても、ルワンダ大虐殺を扇動・実行した民兵の中心組織「インテラハムウェ」(映画でも台詞になっていたが、重要なので後述する)の恐怖に怯(おび)えるツチ族の避難民を、乗り込もうとするトラックから暴力的に追い出してしまうのである。 

フランス政府、ルワンダ大虐殺への加担を否定


国連が当初そうであったように、彼らはルワンダ大虐殺を、単に「部族紛争」としてしか考えていなかった。

 

と言うより、白人社会にとって、アフリカで起こる問題の全ては「部族紛争」か、或いは、独裁政権に対するクーデターでしかないのである。 

キガリにある虐殺記念館


これは、銃とナタを掲げて気勢を上げる「インテラハムウェ」の中心人物・シボナマ議員が、「ルワンダ人のことは、ルワンダ人が(解決する)」という物言いによっても判然とする。 



「インテラハムウェ」から見れば、国連平和維持部隊を含む、在ルアンダの白人の存在は目障りでしかないのだ。

 

だから、政権転覆を図ると糊塗(こと)し、同じ言語・宗教を共有していても、ドイツとベルギーの植民地政策のために、支配階層と化した最大の敵対者である少数派のツチ族の絶滅は、長年にわたって差別されてきた最大部族のフツ族(とりわけ「過激派」)の叛乱の収束点だった。

 

これも後述するが、この「部族紛争」のルーツは、「分断して統治する」という欧州列強の典型的な支配政策によって生み出されたものである。

 

先のレイチェルの率直な言辞のうちに、欧州列強の支配政策の欺瞞性が透けて見える。 



問題は、部族間の通婚もあった二つの部族(実際は三部族)が分断・統治されてきたことで、部族間の確執(かくしつ)がジェノサイドにまで膨らんでしまったこと。

 

このことを思う時、キガリの公立技術学校に教師として赴任してきたジョーに対する、フランソワの言辞も鮮烈だった。

 

「おれはフツ族だ。ツチ族に憎まれてる」


「ツチ族の生徒にもか?」

「君は分かってない」


「それじゃ説明してくれ」


「ツチ族は昔のように、フツ族を奴隷にしたいんだ」

「バカな」

「本当さ。従わない奴は寝床で殺す」

「本気で信じてるのか?」

「大統領が殺されれば、おれたちも危ない。自衛か死かだ」 



フツ族を奴隷にさせないために、ツチ族を絶滅させるという論法であるが、英語も話し、識字能力も高いフランソワにとって、ベルギー植民地下にあって、「最も優れた民族としてのツチ族」Ⅴ「ツチより劣った民族としてのフツ族」という統治構造への理不尽な思いの集合は、親の代から刷り込まれてきた産物だった。

 

この恐怖が憎悪に転じ、フランソワをして、「隣人が殺人者に変わる」という、「千の丘ラジオ」のヘイトスピーチに扇動された、恐るべき組織的ジェノサイドに身を投じてしまったと思われる。

 

ジョーにそう話した後、フランソワは実家に帰っていくが、もう、戻って来なかった。

 

では、肝心な平和維持軍は、なぜ組織的ジェノサイドを止められなかったのか。 



端的に言えば、「国際平和と安全の維持」を主たる活動目的を有する国連が全く機能しなかったからである。

 

今度は、国連平和維持部隊の任務を負うデロン大尉に対する、クリストファー神父の言葉を再現する。

 

「君たち、平和維持軍の使命は、流血を防ぐことだろ」


「違う。平和維持ではない。フツ族とツチ族の平和監視、それが使命だ」


「では、なぜ武装を?」


「武器の使用は自衛のためだけ。マシンガンを使うにも、事務総長の許可が要る」


「我々の任務は平和の施行でなく、監視なのだ」

 

ここで言う「平和の施行でなく、監視」という意味は、究極的には、平和維持軍が直接、フツ族から攻撃されない限り、何もしないということ。

ツチ族の避難民

組織的ジェノサイドに介入しないということである。

 

この会話の先には、続きがある。

 

デロン大尉に対して、疲弊し切ったクリストファーは遂に爆裂(ばくれつ)する。

 

「犬を撃つのは、先に犬が撃ってきたからだろうな。言わせてもらう!なぜ、下らん命令に従うんだ?衛生上の問題は、次々に作り出されるぞ!連中のナタで」 



この物言いは、神に仕える神父の限界を超えていた。

 

それでも、親しい修道女の死体を目の当たりにした神父は、糾弾(きゅうだん)せざるを得なかったのである。

 

平和維持軍の銃口を、ナタを振り回し、レイプした後、殺害するフツ族に向けるべきであるとさえ言い放ったのだ。

 

仲間のベルギー人が殺されて、苛立つ軍人・デロン大尉には何もできない。 


それが国連の命令だからである。

 

その国連と言えば、白人の民族紛争であるユーゴ内戦にのみ深い関心を示し、アフリカ人の部族紛争でジェノサイドが起こっても認めず、「集団虐殺的行為」と詭弁を弄するのみ。 



これは、なおアフリカの大地で紛争が起こっても、第三次世界大戦が危惧されているから仕方がないだろうが、連日、「ウクライナ侵攻」という名のロシアの侵略戦争のニュースを流し続けるメディア総体の、極端に偏頗(へんぱ)な報道姿勢にも、相当の責任がある。 

アフリカの紛争多発地帯


これだけは、私たちは声を大にして発信せざるを得ないのだ。

 

―― 以上が映画批評のコアであるが、ここで、この映画に対する私の見解を簡便に記しておきたい。

 

物語を動かしていく4人がいる。


但し、特殊な状況下にある平和維持軍のデロン大尉を敢えて除き、ここではジェノサイドに関与した4人に焦点を当てる。

 

一人目。

 

「フツパワー」というイデオロギーを手に入れ、恐怖を憎悪に変え、虐殺者に堕ちていく青春の冥闇(めいあん)なる風景。 

公立技術学校に残るツチ族を虐殺する民兵組織


それは、捻(ね)じれ切った向こうに待つ、空洞化される時間の悲哀だった。

 

フランソアのことだ。 



「虐殺者」という記号に、生涯、取り憑かれていくだろう。

 

二人目。

 

「ずいぶん捜したわ」


「…だろうね」

「クリストファー神父は、ここで?」

「若い頃にね」

「私たちの犠牲に。神父は言ってたわ。“犠牲は最大の愛”だと…あなたを想いながら逃げたの。実況中継してたでしょ。不思議だったわ。怯えながら走ってたのに、私の頭の中で、あなたは、しゃべり通し」


「なぜ逃げたの?」


僕は…僕は死ぬのが怖かった」


「…私たちは運がいいわ。与えられた時間をムダにはしない」
 



ラストシーンの、会話の全文である。

 

憂鬱な表情から滲み出てくる言辞には、生気がない。

 

それは、サバイバーズギルト(生還者罪責感)に捕捉され、成熟したマリーから、その乗り越えを突き付けられた男の〈生〉のリアリティだった。

 

ジョーのことだ。 



それ以外にない選択肢だった、「犠牲者」という記号から逃亡した男は、生涯、取り憑かれていくのだろうか。 



三人目。

 

「私たちを見捨てないわね」 



マリーに、そう言われ、もう逃げられなくなった。 



サバイバーズギルトの唯一の糸すらも自ら断ち切り、迷妄を払拭し、確信的に殉教するの僕(しもべ)。

 

駈け走るマリーを救い切り、前者と切れ、自己救済の旅に打って出た男。

 

クリストファーのことだ。 



「殉教」という記号から逃亡しなかった男を、神はインクルーシブするだろう。 



そして、四人目。

 

その生還が困難だと思うが故に、理念系の着地点に落とし込む映画の向こうに待つのは、サバイバーズギルトを超え、「時間」をキャッチアップする少女の希望だった

 

マリーのことだ。 



「犠牲者」という記号を突き抜け、疾走する少女が手に入れたのは、「…与えられた時間をムダにはしない」という揺るがぬ決意だったに違いない。

 

虐殺の大地を走り抜き、鮮烈な時間拓いていくのだ。 



ゼロ年代に踏み込んだ少女の身体疾駆を、誰も止めることができないだろう。

 

この物語を根柢から支え切った少女こそ、映画の実質的ヒロインであったと言える。

 

ルワンダの全パートは、少女の直走から開かれ、少女の直走で閉じていく。 



「(生還者は)与えられた時間をムダにはしない」

 

ここに、映画のメッセージが凝縮されている。 




ントラマ教会での虐殺/5000人もの避難民が手榴弾、マチェテ、銃で攻撃されたり、生きたまま焼かれて虐殺された。聖堂には現在も毛布や子供の靴、犠牲者の遺骨の一部が散乱し、祭壇には頭蓋骨が残されている(ウィキ)



【以下の稿は、拙稿「時代の風景 『隣人が殺人者に変わる』 ―― ルワンダで起こったこと」からの転載です】




4  「隣人が殺人者に変わる」 ―― ルワンダで起こったこと





ドイツの植民地だったルワンダが、ベルギーの植民地に遷移(せんい)したのは、ドイツ・オーストリア主体の「中央同盟国」が、英・仏・露主体の「連合国」に敗れた第一次世界大戦によってである。



国家独占資本主義の形成下にあって、欧州列強が植民地や勢力圏の拡大を巡って帝国主義戦争を繰り広げた結果、アフリカ大陸に点在するドイツ帝国植民地、即ち、ブルンジ、ルワンダ、タンガニーカ(タンザニアの大陸部)の3地域で成る「ドイツ領東アフリカ」は、「アフリカ戦線」での激戦後、最終的に降伏し、大英帝国とベルギーに占領後、委任統治領となった。
第一次世界大戦後、ルワンダとブルンジを植民地化したベルギー
「ベルリン会議」/列強による「アフリカ分割」の原則が確認された「ベルリン会議」で、ベルギー国王レオポルド2世は植民地獲得に強い関心を持ち、コンゴを自らの私有地(コンゴ自由国)として、住民に象牙やゴムの採集を強制させた(ウィキ)
レオポルド2世(ウィキ)
手を切られたコンゴ人/マーク・トウェイン『レオポルド王の独白 彼のコンゴ統治についての自己弁護』(ウィキ)


かくてルワンダは、ベルギー植民地下で、先住農耕民をルーツにする多数派のフツと、狩猟採集民で最少のトゥワ、そして、牧畜民をルーツにするツチという、ルワンダ語を使用する3つの部族が分断的に占領されていく。


際立つのは、痩せ型で、鼻が高く長身で、肌の色が比較的薄いので、コーカソイド=白人系に近いとされる少数派(人口比14%)のツチが、明らかに人種差別政策の下、中間支配者として利用され、ルワンダを統治させたこと。


要するに、最も優れた民族=ツチ(牧畜民族/宣教師は「黒い肌のヨーロッパ人」と見做した)、ツチより劣った民族=フツ(農耕民族)、そして、最も劣った民族=トゥワ(狩猟民族)という、サブサハラ(サハラ以南アフリカ)の人種に関する、「ハム仮説」と呼ばれる人種観をベースに、この三層構造を根柢にした分断統治が制度的に仮構され、導入されるに至ったのである。



この「ハム仮説」を元にした統治理念が導入されたことによって、ルワンダ社会に人種概念が形成されるのだ。
ハム仮説の提唱者、ジョン・ハニング・スピーク(ウィキ)
国際連合の定義によるサブサハラ(ウィキ)


まさに、「分断して統治する」という、欧州列強の典型的な支配政策である。


この分断統治が、ツチとフツの対立の構図を強化させ、後のルワンダ紛争とルワンダ虐殺、更に、ブルンジ紛争に至った対立の要因となったのは否定し難い。


因みに、ルワンダとブルンジに存在したベルギーの植民地「ルアンダ=ウルンディ」は、第二次世界大戦後には国連の信託統治下にあり、1962年、ルワンダとブルンジの独立により消滅したが、大戦後、急進的な独立を求めるツチに対する反発がベルギーで広がり、多数派のフツを支持する方針へと変化(「フツ革命」=約20万人のツチが難民として国外に逃れた)するベルギーの政策転換を見る限り、コンゴ動乱(注)への対応に象徴されるアフリカ支配を、自国の国益のみで動かす欧州の植民地政策が激しい誹議(ひぎ)を受けたのは、当然の帰結だったと言える。
アフリカの委任統治領。10が「ルアンダ・ウルンディ」(ウィキ)
ブルンジ共和国は、中部アフリカの内陸に位置するナイル源流の国だが、ツチ族とフツ族の対立抗争が相次ぎ、ジェノサイドが止まらない
ブルンジ共和国の首都ギテガにて・「ブルンジの旅行情報」より


ジュベナール・ハビャリマナ。


国際社会からの民主化圧力の影響下で、民主化・宥和政策を進め、ネポティズム(縁故主義)的に、「開発独裁」の手法で経済を牽引(けんいん)した、フツ出身のルワンダ大統領である。


1994年、このジュベナール・ハビャリマナ大統領と、ブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領が暗殺される事件が惹起した。


搭乗していた旅客機が、ミサイル攻撃によって撃墜されたのだ。


「ハビャリマナとンタリャミラ両大統領暗殺事件」と呼称されるこの由々しき事件が、未だ犯人が特定できない状況下で、既に内戦状態にあったツチとフツの全面衝突の引き金になった。
1994年4月6日に航空機事故で死亡した、ルワンダのジュベナール・ハビャリマナ大統領。ハビャリマナ大統領の死がルワンダ虐殺の契機となった(ウィキ)
大統領専用機として使われていたダッソー ファルコン50の同型機(ウィキ)


ウガンダに逃れ、ウガンダ内戦にも関与し、ツチ系難民を主体にするルワンダの旧反政府勢力「ルワンダ愛国戦線」(RPF/司令官はポール・カガメ)が犯人とされ(実際は、フツ政府の宥和政策を敵視したフツ過激派の説が最有力)、ルワンダ虐殺という、目も当てられない陰惨な状況が一気に開かれていく。

ポール・カガメ大統領/2000年4月以降~(ウィキ)




ここで、ルワンダ虐殺の推進力になった「フツ・パワー」について言及しておきたい。


撃墜事件で暗殺されたジュベナール・ハビャリマナと、妻のアガトの血縁を中心に組織された「アカズ」が、フツ過激派の拠点と化して形成的に強化した、「フツ至上主義」というイデオロギーこそ、ルワンダ虐殺に自己投入した彼らの精神的推進力=「フツ・パワー」だった。


この「フツ・パワー」の公式理念と呼ばれるほど悪名高いのは、反ツチ系のイデオロギーを満載させた「フツの十戒」。


ツチと人間関係を持ったフツを裏切り者と規定し、フツの優秀性を強調し、強い反ツチ連帯を喚起していく。


但し、「フツの十戒」の反ツチのエクストリームは、一般大衆の次元にまで浸透することなく、フツ過激派によるジェノサイドへの影響力は限定的だった。


だから、「フツの十戒」がジェノサイドのイデオロギーになったと言うよりも、権力維持に拘泥(こうでい)する「アカズ」が、フツ至上主義を主唱する「フツ・パワー」の狂信的高まりを背景に、「ツチの殲滅」という極端な民族主義を扇動することで国内を席巻(せっけん)し、ツチやフツ穏健派への虐殺の主体と化していくのである。

フツの十戒


現在、一般的に言われているのは、「フツ・パワー」の急進派の一部が、組織的にジェノサイドの計画・実行に及んだということ。


これは、「フツ・パワー」の急進派の多くが、ジェノサイド発生直後に作られた臨時政府のメンバーとなっている事実で判然とするだろう。


何より、国連憲章第7章下で、その設立を決定した「ルワンダ国際刑事法廷」(ICTR)において(安保理決議第955号)、当時の閣僚ら多数のフツ政権幹部・軍人・高官・ジャーナリスト・教会関係者(虐殺に協力したカトリックの指導者/大司教がフツの政党の中核メンバーだった)ら約70人が、「ジェノサイド罪」と「人道に対する罪」・「ジュネーブ諸条約違反」で拘束されている事実(被起訴者数92名)で検証できる。
ルワンダ国際戦犯法廷の建物(ウィキ)
「ジェノサイドの頭脳」との異名もある、ルワンダ大虐殺の中心人物テオネスト・バゴソラ(右)は、「ルワンダ国際刑事法廷」(ICTR)2008年に終身刑が言い渡された(画像はAFP)

アガート・ハビャリマナ/ルワンダ大統領だったジュベナール・ハビャリマナの妻で、フツ過激派の拠点「アカズ」の中心人物。「アガート・ハビャリマナと大統領暗殺後に、ルワンダの実質的最高指導者となったテオネスト・バゴソラ大佐が共に属したアカズ派が、彼女の夫の暗殺とルワンダ虐殺を組織した首謀者である」と言われる



特にジェノサイド時、首相に就いていたジャン・カンバンダは自らジェノサイドの画策・実行を認め、1998年9月に有罪判決(終身刑)が下されている。


且つ、「アカズ」を中心とするグループが、ジェノサイドに密接に関係したことに疑う余地がない。


ここで無視できないのは、それまで比較的に良好であったルワンダの経済状況が、1980年代後半から次第に暗転し、停滞していったこと。


ハビャリマナが導入した民主化によって、「ルワンダ国際刑事法廷」で起訴された特権層が利権を有したことで、却って、国内の格差が拡大していったという事実である。


そして、国内で沸き起こり、膨張した不満の一切を、反政府勢力の「ルワンダ愛国戦線」(RPF)に責任転嫁する。


独裁政権の常套手段である。


「ツチの殲滅」という極端な民族主義が突沸(とっぷつ)し、爆轟(ばくごう)していく条件を独裁政権と、そこに深く関与するフツ過激派が仮構していったのだ。


但し、ハビャリマナ暗殺事件との脈絡で言えば、先述したように、宥和政策に理解を示していたとも言われるハビャリマナへの不満が、フツ過激派内部で生まれていたと考えられるので、その辺りの関係を正確に説明するのは難しい。
ルワンダ紛争の構図
タンザニアの都市アルーシャ/ここで「アルーシャ協定」が調印された。ジェノサイドの責任追及のための国際裁判所、「ルワンダ国際戦犯法廷」(ICTR)がアルーシャに設置されている

ルワンダのポール・カガメ現大統領はRPFの司令官


1993年8月4日、「東アフリカ共同体」が所在するタンザニアのアルーシャ市で開催・調印された和平協定「アルーシャ協定」において、「ルワンダ愛国戦線」との「権力分有」が合意されるが、この協定によって、フツ勢力間の分裂・対立は決定的になっていく。


特に急進派にとって、「ルワンダ愛国戦線」との権力分有など有り得ないことだった。


それは、フツ過激派の視座から見れば、「権力の喪失」を意味する。


これだけは、絶対に認知できない。


同時に、ツチ族系政府のウガンダが、ウガンダへ追いやられた「ルワンダ愛国戦線」を支援する現実を目の当たりにして、膨張し切った復讐感情が一気に炸裂する。


だからこそ、目を覆わんばかりの行動に走っていく。
しかし、組織的だった。


彼らのジェノサイドが組織的に遂行されたという事実。


これは極めて重大な問題である。


例えば、こんなアジプロ(扇動的宣伝)がある。


「国内外のツチが一体化してルワンダ社会に浸透しようとしており、彼らはフツを大量に殺害して過去のツチ政権の再現を狙っている。数世紀前に、ツチの侵略で被害を受けた我々、無実のフツは、団結して自衛のためツチの排除にあたらねばならない」(「ルワンダにおける1994年のジェノサイド――その経緯、構造、国内的・国際的要因――」より)


これは、「フツ・パワー」の急進派が、「千の丘ラジオ」のヘイトスピーチを通して流したアジプロである。
「千の丘ラジオ」の圧倒的な影響力
「千の丘ラジオ」のヘイトスピーチ


アジプロや民兵組織の結成、銃火器の供給、虐殺対象のリストアップなどを組織的に準備した事実は、ハビャリマナ大統領の宥和政策による「権力分有」を否定し、「権力占有」を目処(めど)にしていたことを意味するのだ。


そして、「憎悪の共同体」と化した、「フツ・パワー」による目を覆わんばかりの行動のトリガーこそ、先の「ハビャリマナとンタリャミラ両大統領暗殺事件」であった。


1994年4月6日のことである。


フツ政府から停戦命令が下された結果、合意に至った「アルーシャ協定」から、僅か8か月後のことだった。


停戦命令を下したのはハビャリマナ大統領。


その大統領が暗殺されたのである。

しかし、ここから、「マチェテ」などで武装したフツ過激派によるジェノサイドが暴れ捲っていく。

「インテラハムウェ」。


ハビャリマナ大統領によって創設された「開発国民革命運動」(MRND)の指導下に、フツ系過激派が集合し、ルワンダ大虐殺を扇動・実行した民兵組織である。


軍の指導下で軍事訓練を行っていた「インテラハムウェ」は、ルワンダの首都・キガリ周辺の失業者(多くは若者)に声を掛け、メンバーを募り、彼らの不満を吸収し、ジェノサイドに向かわせたのだ。


ジェノサイド後、彼らはコンゴ民主共和国へ逃亡した。


一部の「ジェノシデール」(虐殺者)は、現在でも逃亡を続けていて、資金・武器の提供を行ったフェリシアン・カブガなど、「ルワンダ国際刑事法廷」によって国際指名手配の対象になっている。


そして、「インプザムガンビ」。


「インテラハムウェ」と共に、ジェノサイドを主導したフツ過激派系の民兵組織である。


「フツ・パワー」のイデオロギーによって、権力中枢部によって意図的に作られた民兵組織であり、ジェノサイドの大半に関与したことが知られている。


ジェノサイド後、近接国に逃亡し、難民化するが、「ルワンダ国際刑事法廷」で2人の指導者が逮捕され、無期懲役の判決を受けるに至る。


大規模で、凄惨を極めたジェノサイド。
ルワンダ虐殺の犠牲者の遺体(ウィキ)
ルワンダ虐殺の犠牲者の頭蓋骨(ウィキ)


そのジェノサイドは、ハビャリマナ大統領が暗殺された当日、即ち、4月6日の夜から開かれていく。


最初の2日間に狙われた被害者の多くは、フツ急進派に批判的な立場に依拠する人物だった。


政治家、実業家のみならず、警護の国連PKO兵士(後述)、憲法裁判所長官、ジャーナリスト、人権活動家といった人たちである。


先の「インテラハムウェ」・「インプザムガンビ」などの民兵集団が主体になったのは言うまでもない。


「千の丘ラジオ」のヘイトスピーチがフル稼働し、「ゴキブリであるツチ」の完全一掃を呼びかける。


4月7日以降は、全国的にジェノサイドのストームが拡散し、止め処(とめど)なく荒れまくり、終わりが見えなくなっていく。
ムランビ虐殺記念館/ムランビ技術学校は現在記念館となっており、虐殺犠牲者の遺体展示を行っている(ウィキ)
校内に残る虐殺犠牲者の頭蓋骨(ウィキ)
ニャマタ虐殺記念館(ウィキ)
ニャマタ虐殺記念館に展示されている頭蓋骨(ウィキ)
ニャマタ虐殺記念館に展示されている頭蓋骨(ウィキ)



ジェノサイド初期には、「マチェテ」などの農具だった武器が、やがて手榴弾、AK-47といった武器に変わり、ジェノサイドの残虐性が増強されていくのだ。
AK-47 II型・装着している弾倉はリブが増加した中期型(ウィキ)


かくて、ツチの避難場所の大半が破壊される。


逃げ場所を失ったツチの人たちは、「マチェテ」でズタズタに切られ、レイプされた挙句、呆気なく殺される。


ジェノサイド下のレイプは、日常茶飯事だった。


幼児は岩に叩きつけられ、生きたまま、汚物槽に落とされた。


母親は助かりたかったら、自分の子供を殺すように命じられた。


乳房や男性器を切り落とすことなど、普通だった。


血縁関係者同士の近親相姦の強要もあったと言う。


また、妊娠後期の妻が夫の眼前で腹を割(さ)かれ、胎児を顔に押し付けられ、「食え」と命じられる行為が多発し、まさに、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の悍ましき世界が、其処彼処(そこかしこ)で曝されていく。


このジェノサイドの渦中で、「フツ・パワー」のプロパガンダによって、少なくとも、数万人以上のフツ民衆が殺害に参加した事実があり、大きな衝撃を与えている。


思うに、封建的なメンタリティに通底する、権力や権威に対する従順さ。


とりわけ、ルワンダの民衆には、国家、教会関係者という権力・権威に対する従順さがあり、その従順さがティッピング・ポイント(暴走初発点)を超え、ジェノサイドという罪深い行為に踏み込んでいく要因になったと言える。


他の発展途上国の人々と同様に、ルワンダの民衆もまた、充分な教育は受けてないから、相対的に権力・権威の「威光」に脆弱である。


権力・権威が放つ「威光」への脆弱性は「従順さ」を内蔵させる。


このような「従順さ」は、権力・権威を有する者から見れば、「命令」と同義となる。


フツの市民は虐殺に「協力」することを強いられ、ツチの隣人を殺害するように命令された。


そんな状況下で、「命令」に対する「従順さ」を体現しない者は「裏切り者」になる。


まさに、フツ穏健派は「裏切り者」だったのである。


だからフツ穏健派は、「裏切り者」として真っ先に殺害される。


また、熱狂的な「ジェノシデール」(虐殺者)の多くは、ルワンダの9割を占める貧困層出身者であり、職に就けない若者や、ブルンジからの難民も多かったと言われる。


そんな彼らにとって、「千の丘ラジオ」のヘイトスピーチが如何に有効であったことか、瞭然とするだろう。
以下、事件後3年の生々しい記録映像の中で、「千の丘ラジオ」について放送された番組をもとに、そのナレーションをYouTubeから部分的に起こしてみる。



タイトルは、「なぜ隣人を殺したか ルワンダ虐殺と煽動ラジオ放送」。


「事件から3年、虐殺に関わったとされる容疑者は、国内の刑務所におよそ13万人捕えられている。どの刑務所も、9割以上は虐殺の容疑者で埋まり、建物に入り切らず、溢れ返っている。容疑者たちは、人工の85%以上を占める多数派のフツ族に属している。13万人の容疑者と80万人の被害者。事件のあとに作られた『虐殺法』によって、既に90人が処刑された。容疑者の殆どは、今も罪を認めていない。しかし共通して、一つのラジオ放送を聞いていた。虐殺を煽動したと言われる『千の丘ラジオ』。関係者の多くは国外に逃亡し、国連がその行方を追っている。国営放送が堅苦しい番組を流していた時、『千の丘ラジオ』は流行の音楽にのせて、ディスクジョッキーが喋る新しい民間放送として登場した。当時、ルアンダにはテレビがない。農村には新聞も届かない。『千の丘ラジオ』は農村の若者を中心に、瞬(またた)く間に、人々の心を捉えていった」




こうして、「千の丘ラジオ」の影響下で、フツの、ごく普通の農村の未成年が、近所に住む4人の子供を殺害した。


刑務所に収容された、その17歳の少年が、誰よりも先に罪を認め、懲役3年の刑に服し、刑期を終え、出所後、インタビューに応じていた。


この動画を見て、釈然としない心持ちの中で、複雑な感情を隠し切れなかったが、先進国の端っこで呼吸を繋ぐ私自身、「平和ボケ」することなく、世界の現実を直視し、ファクトフルネスを強化しつつ、「ルアンダの今」⇒「世界の今」をフォローしていかねばならないと括っている。
コンゴ(当時のザイール)の難民キャンプから国連の助けで、母国に帰還するルワンダ難民(1996年11月19日) REUTERS(ニューズウィーク日本版)



―― ここで私たちは、ツチとフツの対立の「根深さ」が虚構であった事実を知る必要がある。


元々、ジェノサイド以前のツチとフツの間には、民衆レベルにおいて、通婚が一般的だったことで判然とするように、確かな共存関係が成立していたという事実を認知せねばならないだろう。


ジェノサイド後に行われた聞き取り調査によれば、9割近い人が、内戦の前後でツチ民衆との関係性は変化しなかったと回答している。(本稿のコアは、「ルワンダにおける1994年のジェノサイド――その経緯、構造、国内的・国際的要因――」をベースに言及している)


北部の戦闘地域を逃れて国内難民になる者はいたが、フツ民衆の間では、「ルワンダ愛国戦線」と周りのツチ民衆とを同一視する意識は希薄で、「フツ・パワー」派のプロパガンダもあまり浸透していなかったと言われている。


それにも拘らず、「隣人が殺人者に変わる」という惨劇が出来したのだ。


犠牲者の大半は自宅周辺で殺害され、直接手を下したのは、多くの場合、隣人・知人であった。


しかし、虐殺が大規模化されるようになって、先述したように、AK-47や手榴弾といった銃火器が使用されるが、初期は、武器の多くは、中国から安価で大量に輸入した「マチェテ」や鍬(くわ)。


「マチェテ」や鍬を手にした隣人が、殺人者に変貌していったのである。


そこには、国際機関の無力という重要な問題が晒されているので、稿を変えて言及したい。
「ルワンダの悲劇、キガリジェノサイド記念館を訪れて思うこと」より
同上
同上



(注)1960年、ベルギー領コンゴの独立運動の暴動が内乱に発展し、旧宗主国ベルギーが武力介入したことで、より激化し、コンゴ民主共和国の独立後、米国の後押しを受けたモブツがクーデターを起こし、独立指導者で初代首相のパトリス・ルムンバが殺害された。ツチ人の軍事力を背景に、コンゴ・ザイール解放民主勢力連合(AFDL)による武装蜂起によって倒れるまで(1997年)、モブツの独裁政治が続いた。
パトリス・ルムンバ(ウィキ)
パトリス・ルムンバ





5  「虐殺を止められなかった司令官」 ―― 男の孤独と、国連の度し難き欺瞞性





ロメオ・ダレールという男がいる。


ルワンダ虐殺時に、PKO(国際連合平和維持活動/国際連合ルワンダ支援団=UNAMIRは1993年10月5日に決議872によって採択)の司令官であったカナダの元軍人。
ロメオ・ダレール


アルーシャ協定に基づいて着任したロメオ・ダレールの元に、匿名の情報者からツチ族虐殺の密告が届いていた。


この密告を受けたダレール司令官は、UNAMIRの増強と、フツ過激派の武器の押収を提案するが、UNAMIRには権限がないという理由で却下される。


この判断を下したのは、後に国連事務総長になるコフィー・アナン(PKO担当国連事務次長)だった。
ルワンダ虐殺当時に、国連平和維持活動局のPKO担当国連事務次長であったコフィー・アナン(ウィキ)
UNAMIR(国際連合ルワンダ支援団)
UNAMIR(国際連合ルワンダ支援団)



PKOに協力している先進国も、一貫して消極的だった。


ソマリア内戦で疲弊し切っていた米国(ビル・クリントン大統領)、10名のPKO兵士が惨殺されたことで、部隊を大幅に削減するベルギー、そして、イタリア、フランスも同様だった。


中でも、10名のベルギーPKO兵士が惨殺された事件は、米国を筆頭にする先進国に決定的な影響を与えることになる。


国際連合ルワンダ支援団のベルギー人職員が殺害された事件の記念施設の外観、銃弾の跡が数多く残されている(ウィキ)
キガリにて、過激派の襲撃を受けて国際連合ルワンダ支援団のベルギー人職員が殺害された事件の記念施設(ウィキ)
空港周囲の蛇腹形鉄条網を整備するフランスの軍人。ルワンダからの避難民の救援活動を行う多国籍軍の活動の一環(ウィキ)


米国にとって、ブラックホークヘリが民兵によって撃墜され、米軍兵士18名の死傷者を出した「ソマリア内戦」(「モガディシュの戦闘」)で負った衝撃は、殆どPTSDと言ってよかった。


だから米国は、介入に失敗した国連PKOのトラウマを引き摺っているから、ルワンダで起こっているジェノサイドを否定し、「ジェノサイド的」という言葉を使い続けたのである。
アメリカの国連大使であったマデレーン・オルブライト(ウィキ)
モガディシュの戦闘・武装したソマリア民兵と武装車両(ウィキ)
映画 「ブラックホーク・ダウン」より


明らかに、自己欺瞞である。

そんな状況下で、ダレールは、各国の大使にツチ族虐殺の情報を伝えても、全く埒(らち)が明かなかった。


無力なダレールは、要人の暗殺・虐殺のデトネーションに走る、「インテラハムウェ」の武装を静観することを余儀なくされた。


「ロメオ・ダレールは、国連から与えられていたマンデート(権限)を無視し続け、住民保護活動を行った。その後、国連平和維持活動局本部からマンデートに従うように指示を受けたが、その後もマンデートを無視して、駐屯地に逃れてきた避難民を保護した。しかしながら、人員不足とマンデートから積極的な介入行動を行うことが出来ず、目の前で殺され続ける多くの避難民たちを救うことが出来なかった。ダレール司令官は人員の増加やマンデートの強化を国連に求め続けたが、その要望は拒否され続けた」


ジェノサイドの現実を知りながら、静観するだけの国連の無力・無関心を否応なく感受させられるだけだった。


PKO本部を攻撃され、日々に過激化するジェノサイドの凄惨な現場を視界に収めても、自ら何もできず、神経だけが摩耗していくロメオ・ダレール。


それでも、「一人でも救う」という思いで、なおルワンダに残るダレールは、結局、何も為し得ず、司令官を辞任し、帰国の途に就く。


ジェノサイド終結後の1994年8月のことだった。


完全に自我が消耗し切っていた。


帰国後、PTSDに罹患するほど、自我が消耗し切っていたのだ。
ロメオ・ダレール・2006年現在(ウィキ)


「私は自暴自棄になっていました。そうするより他になかったのです。ルワンダで聞いた音や臭い。眼に焼きついた光景。そうしたものを抱えて、生きることに耐えられなかった。夜は静寂が耳について眠れませんでした。螺旋状(らせんじょう)の渦に巻き込まれたように、気分がどんどん落ち込んでいきました。車で走りながら、このまま橋に突っ込もう、そう思ったことも何度かあります。誰かに助けを求めていなければ、多分、今頃、死んでいたでしょう」


これは、「元PKO司令官が語るルワンダ虐殺」(YouTube)でのダレールの言葉。


限界だったのだ。


アルコールと薬物の依存症の昏睡状態下で自殺を図ったが、一命を取り留めた。


現在は、健康維持機能を保持する環境適応能力である「防衛体力」の復元が可能になり、行動を起こす身体的能力=「行動体力」を復元させているように見えるが、YouTubeの動画を見る限り、ダレールの脳裏にへばり付く心的外傷から解放されたと決めつけられないようにも思える。


「虐殺を止められなかった司令官」
ロメオ・ダレール


こういう批判が、なお取り憑いていて、本人の内側にも、「固着した観念」として、自我の底層に澱んでいるように見える。


ジェノサイドは、それに加担した者だけでなく、それを視認し、傍観した者の自我をも打ち砕く破壊力がある。


人口に膾炙(かいしゃ)されている「ホテル・ルワンダ」では、相当に美化されているが、難民の命を救った支配人のポール・ルセサバギナをドン・チードルが演じ、ロメオ・ダレールをモデルにしたオリバー大佐を、ニック・ノルティが演じていた。
映画「ホテル・ルワンダ」より/ポール・ルセサバギナ(左)とオリバー大佐
ポール・ルセサバギナ


「ある司令官の孤独な戦い」というイメージが鮮烈に表現されていたが、「キリング・フィールド」がそうであったように、映画という文化フィールドの「快楽装置」で、ジェノサイドの甚大な破壊力を再現するのは不可能であると言っていい。


話を戻す。


いずれにせよ、ロメオ・ダレールの「正義」を無力化させたのが、
和維持と社会の発展を目的として作られた国際機関としての「国連」である事実を誰も疑う余地がない。

ニューヨーク市にある国際連合本部ビル(ウィキ)



以下、ロメオ・ダレールが、PKO部隊があったルアンダの国立大学で講演したときの言葉。


「世界には、大量虐殺を認めるような考えがまかり通っています。当時、列強国が関心を持っていたのはユーゴスラビアでした。ルアンダで起きているのは、単なる部族間の争いと考えられていました。一方、ユーゴスラビアの争いは宗教絡みで、ヨーロッパの安全保障にも関わる複雑なものです。それにユーゴスラビアは白人社会です。ルアンダは黒人の国で、戦略上も重要な場所でないと考えられていました。人口が多すぎるとまで言われていたのです。かくいう私、ロメオ・ダレールも、1994年1月から、ルアンダの人々を失望させてきました」


ダレールのこの指摘の正しさは、ダレール自身が「ルワンダ愛国戦線」から非難を浴びることになる、身の毛もよだつジェノサイドによって証明されている。


児童数百人を含むツチ系避難民の約2000人が、「インテラハムウェ」によって虐殺された「キガリの公立技術学校の虐殺」である。
ロメオ・ダレール・虐殺記念館にて
キガリの学校の黒板に残されていた落書き。国際連合ルワンダ支援団司令官の"ダレール"の名 Dallaireと、国際連合ルワンダ支援団キガリ州司令官のリュック・マーシャルの名(ウィキ)



血も凍るほどの事件が起こり、その情報が国連に入っていたにも拘らず、国連はUNAMIRの人員減少を決定したのである(国連安保理決議第912号)。


その国連は、同時期に、白人社会で出来した「ユーゴスラビアの争い」(ボスニア紛争)に対して積極的な関与をする。


国連の度し難き欺瞞性に、腹わたが煮えくり返る思いで一杯である。

国際連合安全保障理事会の会議場(ウィキ)
ルワンダで起こったこと



【「隣人が殺人者に変わる時」加害者編】



「田舎のルワンダでは、ジェノサイドは、土を純化し、ゴキブリ農民のツチを駆除することを意味していた。ゆえにツチのジェノサイドは隣人によるジェノサイドであり、また農業に関連したジェノサイドであった。簡単な組織によって旧式の道具を用いて執行されたのだが、それは非常に効果的なものだった。


その結果は、ユダヤ人やジプシーの殺戮によるよりも、明らかに目覚ましいものだった。


ルワンダでは、80万人ものツチがわずか12週間で殺されたからだ。1942年、殺戮や国外追放といった活動の最盛期においてさえ、ナチス政権やその熱心な執行機関、おかかえの化学産業や軍隊や警察は、洗練された設備や産業技術(強力な機関銃や鉄道設備、ユダヤ人登録システム一般炭素ガスのトラック、チクロンBガス室など……)を備えていたが、ドイツやドイツに占領された15の国々のどこにおいて、ルワンダのジェノサイドほど効率的な殺戮行為を成し遂げる事はできなかった」(加害者編「十一 隣人による殺戮」より)


【「隣人が殺人者に変わる時」生存者たちの証言】



「1994年のことである。ルワンダの『ニャマタ』という地域の丘で、ツチ系住民およそ5万9千人のうち約5万人もが、マチューテ(なた)を持ったフツ系の兵士や隣人たちによって虐殺された。この虐殺は4月11日(月)午前11時に始まり、5月14日午後2時まで続き、その間毎日欠かさず、午前9時半から午後4時の間に行われたのである。その衝撃の強さがこの執筆の出発点である。


虐殺が始まる数日前の4月6日の夕方、キガリへ戻るルワンダ共和国のハビャリマナ大統領を乗せた飛行機が、着陸間際に爆破された。この攻撃が、何カ月もの間計画されたツチ系住民抹殺への合図になり、夜が明けるころには、首都の何ヶ所もの通りで殺戮が始まり、やがて国全体へと広がっていった。


丘や湿地帯の多いブゲセラ地区の真ん中にある小さな町ニャマタの大通りでは、それより4日遅れて殺人が始まった。ツチ系の住人たちはすぐ教会に避難したり、バナナ園や湿地帯、ユーカリの森などに逃げ込んだ。しかしニャマタの教会では4月14日、15日、16日のたった3日間で、5千人もの人たちが、民兵や軍人、そして膨大な数のフツの隣人たちによって殺害されたのである(ここから12キロ離れた小さな村、ンタラマの教会でも同じくらい多くの人々が犠牲になった)。


この2つの虐殺が赤粘土ラテライトに覆われたこの不毛の地でのジェノサイド(根絶を目的とした虐殺)の始まりである。それは5月半ばまで続くのである。


一カ月の間、よく訓練された忠実な殺し屋たちは、歌を歌いながら、マチューテや槍やこん棒を持って、逃げるツチたちを追跡した。『カユンバ』のユーカリの森や、『ニャムウィザ』のパピルスの茂った湿地帯を取り囲んだ。勤勉な殺し屋たちは、ツチ系住民の6人に5人を殺したわけだが、この効率の高さはルワンダの他の田舎町でも同じであり、都市部のその率を大きく超えているのである。


のち数年もの間、ニャマタの丘の生存者たちは、他の地の生存者と同様、ジェノサイドについては語らなかった。それはまるで、ナチの強制収容所からの生存者が解放後すぐに黙ってしまったのと同じだった。


そして今日に至り、ジェノサイドの生存者は、『人生がバラバラに壊れてしまった』、
または『人生が止まった』、あるいは『ただ生き続けるしかない』と心境を語っている。


彼らはみんな、今度はジェノサイドのことは話すが、それ以外は何も語ろうとしないのである。まるで、心の奥でそう決めてしまっているかのようだ。


そんな彼らと話をするために、私はルワンダを再訪した。カシウスやフランシーネ、アンジェリック、ベルテなど、彼らの自分の物語を話してもらうため。マリールイズの店やキブンゴのカウンターで、プリムス(ベルギー製ビール)やバナナビールを酌み交わした。彼らの家やキャバレーのテラス、アカシアの木陰でのおしゃべりも続けた。初めはためらいながらだったが、やがて信頼し、親しく話すことができるようになったのである。


彼らの何人かは外国人にこの件について話したり、質問を受けたりすることに不信を抱いていたが、私をはねつける者は誰もいなかった。


彼らは今の自分たちを邪魔者』で、『仲間外れにされている』と言う。あるいは、『誰も信用できない』とか、本当に希望がなく孤独で、『もうおしまいだ』と言う者もいる。


仲間が亡くなったのに自分は生き残っていることや、こうして普通の生活を送っていることに対して、『気持ちが悪い』とか、時には、『自分のせい』と感じているとも話した。


ニャマタやその丘を取り囲む高地。そこに住む牛飼いや農民、教師、商人、ソーシャルワーカー、職人の助手等々。これらの生存者たちは不安に怯(おび)えたり、思い出そうとするときの心の痛みに耐えながら、くる日もくる日も自分の物語を話した。彼らの証言によって新しい質問が次々に沸き起こり、彼らとの話しは続いていった。


ジェノサイド以前はお互いに懐疑的であったり無関心だったりもした彼らの多くが、今は何を差しおいても、自分たちの人生がどんなに限りなく苦しく、そして孤独になってしまったかを、他人と分かち合いたいと望んでいるのである。


ジェノサイドとは、いわゆる『戦争』のことを指すのではない。ジェノサイドは根絶を目的とする計画された殺戮だ。『戦争』の直後に生き残った市民は、殺戮の証言が必要だと強く感じるが、ジェノサイド後の生存者は、沈黙を強く望み、いっさい何も語ろうとしない。この彼らの沈黙は気がかりである。


ルワンダのジェノサイドの歴史を記述するには、長い時間がかかるだろう。しかし、この本の目的は、すでに出版されている数々のドキュメントや調査記録や小説(中には優れたものがあるが)の山に加わることはできない。生存者たちの驚くばかりの物語を読者に届けることが、この本のただ一つの目的である。


生存者自身の記述を要約すると、ジェノサイドは人間によって考え出された非人間的で狂気に満ちた計画であり、しかも非常に秩序立っているがゆえに、誰もが予想しえないプロジェクトだということだ。


クロディーネやオデット、ジャンバプテスト、クリスティーネや彼らの仲間たちの、沼地に身を沈めながらの逃亡の話(しばしばぶっきらぼうな表現だったが)は、彼らの野営生活や深刻な困窮、屈辱、ついにはルワンダ社会で周縁に追いやられたことまでを、ありのままに表現している。さらに、自分がどう見られているかという不安や妄想、仲間との絆や自分の記憶への疑いまでも含まれていた。単なるジェノサイドの生き残りとしてではなく、もっと深くアフリカ人として村人としての彼らの思いは、私たちを『ルワンダ・ジェノサイドの真の姿、そのぎりぎりのところまで連れていくのである」(「はじめに」より)


【参考・引用資料】


ルワンダ『女性活躍』の複雑な実情――“虐殺”から25年、様変わりした国の現実」  「|ルワンダ虐殺|レイプ被害者のトラウマ、依然強く」  「なぜルワンダのジェノサイドは起きたのか 民衆の動員と参加から見た全体像の構築」  「ルワンダにおける1994年のジェノサイド――その経緯、構造、国内的・国際的要因――」  「ルワンダ国際刑事裁判所の概要」【外務省 国際機関人事センター】  「なぜ『世界』は80万人の死を防ぐことが出来なかったのか?―ルワンダ虐殺から22年(後半)」  「元PKO司令官が語るルワンダ虐殺」(YouTube)  「なぜ隣人を殺したか ルワンダ虐殺と煽動ラジオ放送」(YouTube  「|ルワンダ|『100日間の虐殺』から立ち直ろうとする人々  「『隣人が殺人者に変わる時』生存者たちの証言」     「『隣人が殺人者に変わる時』加害者編」


(2019年11月)


【ルワンダ大虐殺から僅か20年で、「アフリカのシンガポール」と言われるほど奇跡的な復興・発展を遂げ、欧米諸国から評価されているポール・カガメ大統領だが、近年、反体制派への弾圧と憲法改正による任期延長に見られるように、独裁化傾向が強化されている現実を見逃してはならない。典型的なケースを言えば、カガメ政権批判を繰り返していたポール・ルセサバギナ(「ホテル・ルワンダ」のモデル)が、独自の武装組織を持つ反政府政党を組織し、資金援助を行ったことなどの疑惑で、禁錮25年の有罪判決を受け、拘束されている現状を軽視することはできない】

映画「ホテル・ルワンダ」では、ドン・チードル氏(左)がルセサバギナ(右)を演じた


【読んで頂いて、ありがとうございます】


(2022年7月)



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