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2020年10月9日金曜日

海を駆ける('18)   深田晃司


<「さよなら。またどこかで」という理不尽な自然の挑発に、人は何ができるか>

 

 

 

1  「海から出て来た異体」と、若者たちとの緩やかな交流

 

 

 

2004年、インドネシア・スマトラ島のバンダ・アチェに大津波(注1)が襲い、そこに一人の日本人が浜辺に打ち上げられた。


この津波の復興支援をするNGOで、バンダ・アチェにやって来た一人の日本人。

 

貴子である。 

貴子

貴子の息子で、インドネシア人の父との間に生まれたタカシは、インドネシア国籍を選んでいて、日本を知らないが、日本語は堪能である。

タカシ

 

以来、津波の復興支援をライフワークにした貴子は、タカシと共にアチェで暮らしていた。

 

貴子は早速、アチェの浜辺に打ち上げられた男に会いに行く。

 

男は記憶を失っていた。


 

一方、タカシは、日本から来た姪の大学生のサチコを空港に迎えに行き、その男を連れた貴子らと合流し、トラックの荷台に乗り込む。 

左から貴子、ラウ、サチコ、タカシ、イルマ

サチコ

そのトラックの荷台で、漂流した謎の男が、突然、歌い出す。
 


ラウ ―― 貴子が名付けた男の名である。

 

その意味は、インドネシア語で「海」。

 

貴子は、このラウを保護する役割を担ったのである。

 

「僕はインドネシア語も、日本語も完璧じゃない。だから僕は、日本人にも中国人にも思われる。時々、自分は一体、何なんだろうって考えます」 

タカシ

記者志望のイルマが、タカシにインタビューした際の動画での発言だが、自分のルーツに困惑し、アイデンティティークライシスに陥っているように見えるものの、当人は至って闊達(かったつ)である。 

                                              イルマ(右)とクリス


そのタカシが思いを寄せるイルマは、スマトラ沖地震で母親と家も財産も失い、現在、父親と復興住宅に住んでいる。

 

ラウの身元捜しをする貴子とイルマは、カメラマンとしてのタカシ、幼馴染のクリス、サチコを伴って出かけた。

 

宿泊名簿から、クロダという日本人らしき名前が浮上する。 


最後に着ていた服と似ていると証言する女主人。

 

そんな情報しか得られず、結局、何も分からないまま。

 

一方、サチコは亡父が遺した写真を手立てに、遺言にあった遺灰を撒く場所を探している。

サチコ(左)とクリス

 

これが、サチコのインドネシア訪問の目的である。

 

その写真を見たクリスは、その場所を知っていると言う。

 

二人はその地に行き、海辺に立ってみたが、写真の場所に似ているものの、違うと答えるサチコ。

 

二人の会話は津波の話題に及び、優秀なイルマが大学に進めなかった不運について、クリスは同情含みに説明する。 


ラウの身元調査を続けたが、一向に手掛かりは得られない。

 

帰り際、道に横たわる少女を、ラウが手をかざして救済するシーンがインサートされる。 


ラウの超能力なのだろうか。

 

その様子をビデオカメラで撮影したイルマは、その映像を確認する。

 

ラウが手から水の球のようなものを作り、それを少女の口の中へ入れると、少女は目を覚ます。 


イルマは、それを「海から来た男」というテーマで起筆し、アチェ新聞にメールを送るが、「手品」として片付けられ、採用されることはなかった。

 

―― アチェに集合した4人の若者。

 

タカシ、クリス、イルマ、そして、英文学を専攻しながら、何某(なにがし)かの事情で大学を中退したサチコである。 

イルマ(左)とサチコ

クリスとの関係について語るイルマ

イルマに思いを寄せるタカシ。

 

サチコに思いを寄せるクリス。 

サチコ(右)クリス(愛を告白)

イルマとクリスの付き合いは、宗教の違いで禁忌にされていたらしい。

イルマとクリス

 

「彼とは友だちのままでいたい」

 

イルマの吐露である。

 

そんな4人が、サチコの歓迎パーティーに集合した。

 

そこにやって来た貴子の友人、ジャーナリストのレニをイルマに紹介する。 

レニ(左から二人目)

アチェ紛争を取材中で、イルマの父親が「アチェ独立運動」(注2)の闘士だったからである。 


その父は拷問され、脚に障害が残っている。

 

一方、サチコに思いを寄せるクリスは、直截(ちょくさい)に愛の告白をする。

 

「サチコ、ツキガキレイデスネ」

 

「月、見えないよ…ごめん、意味分からない」


 

拙い日本語で告白したクリスは、サチコに振られたと思い、努力虚しく、その場を立ち去っていく。

 

実は、「月がきれいですね」というのは、漱石がかつて「I love you」を訳した言葉だった。

 

これは、叔母から教わったタカシが、クリスに伝授した愛の告白だったのである。

 

翌朝、サチコが発熱で苦しんでいた。


 

そこにラウがやって来て、いつものように手をかざした。 


海で泳ぐ夢を見るサチコ。 


島のトーチカで、父親がカメラで写真を撮るのが見える。

 

翌朝、サチコの熱は下がっていた。 


ラウの超能力の発現である。

 

クリスが見舞いにやって来て、サチコは夢で見たトーチカのある場所を訊ねた。

 

それは、アチェ北部のサバンにあると言う。

 

「そこが、私が探していた場所だと思う」 


クリスが、その場所に連れて行くとサチコに約束した。

 

そのサチコが、テレビを見て仰天する。

 

レニがラウを同席させ、ジャカルタで記者会見を開き、イルマが撮った映像を紹介し、自分の取材であるかのように説明するのだ。 


矢継ぎ早に質問する記者たち。

 


「日本人ですよね?なぜインドネシアに?」

「分からない。さまよってたら、アチェにたどり着いた」

「今ここで、水の球を出してください」

「何のこと?」

「ビデオで見ましたよ。手品ですか?」 


ここで、レニが代弁する。

 

「手品ではありません。科学者が証明しています」

 

ラウが再現しようとするが、気乗りがしないのか、ラウは席を立つ。

 

「疲れた。もう帰る。さよなら。またどこかで」 


すべてインドネシア語である。

 

そう言って部屋を出たラウが、瞬時に、アチェのサチコとタカシのいる部屋に入って来た。 


まさに、「海を駆ける異体」だった。

 

(注1)【これは、スマトラ島北端に位置するバンダ・アチェ(アチェ州の州都)を震央にし、22万人の犠牲者を出した「2004年スマトラ島沖地震」のことで、地震の規模のエネルギー量を表す指標値である「モーメント・マグニチュード」(Mw)において、2011年「東日本大震災」の約1.4倍に相当すると言われる。因みに、近代地震学の計器観測史上で世界最大なのは、1960年に起こった「チリ地震」である】 

                    タイの海岸に押し寄せる津波「2004年スマトラ島沖地震」(ウィキ)

                モルディブの首都マレの海岸に押し寄せる津波「2004年スマトラ島沖地震」(ウィキ)


(注2)【「アチェ独立運動」とは、インドネシアからの分離・独立を標榜して、1976年に結成された武装組織「自由アチェ運動」を主体にする反政府運動であり、スハルト政権下で30年間に及んで1万5千人の犠牲者を出した大規模な武装闘争だった。「ヘルシンキ和平合意」(2005年)において停戦に至った】
 

自由アチェ運動の司令官"Abdullah Syafei'i"と女性兵士(1999年)(ウィキ)

 

 

2  「海に帰る異体」と、その異体を追う若者たち

 

 

 

人智を超えるラウの能力を目の当たりにして、驚嘆する二人。


 

その後、二人はラウを連れ、トラックの荷台に乗り、サバン行きの桟橋に到着する。 


貴子が歩いているのを見かけたラウは、トラックから降り、貴子に随行していく。

 

桟橋に着いた二人はクリスを待っている。

 

「ラウって、何なんだろうね。人間じゃないのかな」

 

サチコが、思わず吐露する。

 

同様の体験をしたタカシは反応せず、「クリスは来ないよ」と言うのみ。(この言葉は、クリスの到着によって回収される)

 

一方、貴子は、追いついたラウに話しかける。

 

「本当に、ラウって、何者なの?宇宙人って言われても、納得しちゃうかも…でもまあ、いっか、どうでも。しばらく隠れていたほうがいいよ、テレビ出ちゃったから」 


貴子はそう言うと、自分の作業を始めた。

 

ラウは目の前に現れた蝶を追い、貴子の傍まで来て、手をかざすと、貴子はその場で倒れ込んでしまった。(その後の貴子の登場がないことから、絶命したと思われる) 

蝶を追うラウ


そして、若者たちの動向。

 

クリスは遅れて桟橋にやって来たが、サチコの姿が見つからない。

 

イルマも到着し、ラウの身元調査のため、サバン行きの船に二人で乗り込んだ。

 

船上でサチコはクリスと会うと、イルマと一緒に来たことを誤解し、頬を叩く。 


嫉妬したのだ。

 

イルマは、サチコに振られて落ち込んでいるクリスに、サバン行きに誘ったと話し、クリスは、その約束の変更を留守電にかけたが、それがタカシの電話だったことが分かった。

 

サチコは「クリスを振っていない」と言うが、タカシに教わった「ツキガキレイデスネ」の意味が明かされ、結局、すべての誤解は解けたという、青春期に在り来り(ありきたり)の顚末(てんまつ)だった。 




4人はサバンに着くと、アチェにいたはずのラウがそこにいて、子供たちと遊んでいる。

 

ここでもまた、驚きを隠せないサチコとタカシ。

 

トーチカにやって来たサチコは、この場所こそが、父が写真を撮ったスポットであると確認する。

 

サチコはラウに夢の話をして、一緒にいたことに感謝する。

 

遺言通り、遺灰を海に撒くサチコ。 


海辺に4人が集まると、子供の棺を担いだ村人の葬列が目に入る。 


タカシが村人に事情を聞くと、4人の子供が川に流され、その犯人がラウだと指を差す。

村人に事情を聞きにいくタカシ

 
3人に事情を話すタカシ


ラウは海に向かって歩いていく。

 

ラウが水に引き込んで殺した悪魔だと言う村人たちの言葉に、サチコはラウに尋ねる。

 

「ラウ、そんなことないよね?」 


笑みを浮かべたラウは答える。 


「そろそろ帰らないと。またいつか」 


そう言うや、ラウは海の上を駆けて行った。 


それを追いかける4人も、海の上を駆けていくが、突然、ラウは海の中に沈んでいった。 


ラウを見失った4人は、浜辺に向かって泳いでいく。


 

 

 

3  「さよなら。またどこかで」という理不尽な自然の挑発に、人は何ができるか

 

 

 

「あくまでラウっていう、いわば自然の象徴のような、全く理由もなく気まぐれに人を殺めたりする自然そのもののような存在と、貧富の差であったり、将来の夢であったり、津波であったり、ものすごく人間的な葛藤を抱えた若者たちの、他愛もない恋愛物語とを対比させたかったんです。そして最後に一気に自然の存在が立ち上がってきて、自然の中に放り出されて終わる……といったようなものにしたいと思っていたので、その対比のために若者たち4人が描かれているんです」(深田晃司監督インタビュー)

深田晃司監督

 

この深田晃司監督の言葉で、まず、本作のコアを理解したい。

 

「海」からやって来た謎の男・ラウは、人間に恩恵を施すと同時に、甚大な災害をもたらす「自然」(映画では「海」)を擬人化した異体であるということ。

 

この異体を、ここでは仮に、「海から出て来た男」と「海に帰る男」という風に二分化してみる。 

「海から出て来た男」


「海から出て来た男」

「海に帰る男」




この異体が見せる超能力は、あまりに可視的だった。
                

 

以下、「海から出て来た男」が人間社会に残した「施し」=「恵み」。

 

歌えば荷台の魚たちが跳ねたり、シャワーからお湯を出したり、超能力によって生身の人間を救済する。 


視力の弱い老人の目を見えるようにしたり、更に、引きこもりになる心的外傷を抱えていたのか、大学を中退し、父親の遺言を果たすために異国の地にやって来たサチコの熱病を治癒し、彼女の鎮魂(葬送儀礼の本質)を援助したりする。 


サチコの鎮魂

充分なまでに、「施し」=「恵み」を残した「海から出て来た男」が、突然、変貌する。

 

「海から出て来た男」が「海に帰る男」への、不意打ちの如き変貌。

 

人間社会に残した「手酷さ」=「悪さ」。

 

人間の理解を逸脱する「海に帰る男」の変移は、この異体の「粒子と波動の二重性」を発現する。

 

これは、貴子と4人の子供の溺死のシーンに尽きるだろう。 

貴子の死

「海から出て来た男」を十全に保護していた、意味不明な貴子の死、そして、渓流で遊んでいた子供4人が、あっという間に川に流されて瞬時に絶命する。

 

後者の場合、上半身裸の一人の子供に憑依(ひょうい)した異体が、荷台の魚たちを跳ねさせた時のような不思議なメロディをハミングした直後に起こったのだ。


 

この「海に帰る男」の変移の本質は、人間に恩恵を施す「自然」が、甚大な災害をもたらす「自然」と共存する現実を顕わしていること ―― それ以外ではない。 

ラウの「異体性」と対比された、4人の若者たちの躍動感

寓話に仮構された物語を思い巡らしてみれば、この変貌の契機は、ラウの超能力を見せるために、レニが企画・実践したジャカルタでの記者会見だったのではないか。 

レニの記者会見でのラウ

「今ここで、水の球を出してください」などと要求されたことで、記者会見をボイコットし、「疲れた。もう帰る。さよなら。またどこかで」と反応したラウは、瞬時に時空の壁を超えていった。

 

「さよなら。またどこかで」という含意は明瞭である。

 

「生きとし生けるものの命を奪うぞ」 ―― このメッセージである。

 

理不尽な形で、「生きとし生けるものの命を奪う」自然の理不尽さに、異を唱える何ものもない。

 

時には、自然は理不尽なのだ。

 

「最終氷期」が終了した際に発生し、100m以上の海水面の上昇を記録した「縄文海進」に象徴されるように、様々な時間スケールにおける様々な自然現象の変化、即ち、地球温暖化の影響を包括的に捉える気候変動の問題が、若(も)しや、人為的な処方が困難かも知れないことを考えると、もう、人智を超える能力を発現する自然の理不尽さに対して、一体、何が可能なのかと嘆息せざるを得ない。 

「縄文海進」

「平安海進」

少なくとも、日本人は、そう考えた。

 

―― ここから、映画と離れた批評を繋ぎたい。

 

以下、拙稿 時代の風景「『自然災害多発国・日本』 ―― 『降伏と祈念』という、日本人の自然観の本質が揺らぎ始めている」からの部分的引用である。

 

台風・大雨・大雪・洪水・土砂災害・地震・津波・火山噴火などに及ぶ自然災害を、繰り返し被弾し続け、時には恨み、怒りを噴き上げるが、多くの場合、「どうしようもない」、「手に負えない」と溜め息を漏らし、諦念(ていねん)する。

             千曲川決壊・決壊地点の長野市穂保を北側から撮影(日経)


 

自然の猛威に太刀打ちできず、無力感に溜息をつき、存分に悲しんだ後、諦念してしまう。

 

諦めなければ、日常生活を繋げないのだ。

 

だから、忘れる。

 

上手に忘れる。

 

「辛いのは、自分だけでない」

 

そう、言い聞かせて忘れるのだ。

 

その代わり、年中行事として残す。

 

全国の神社で執り行われる日本の年中行事の多くが、厄除けの神事(節分祭)を含め、「豊作祈願」と、「宮中祭祀」の「新嘗祭」(にいなめさい)に象徴される「収穫を感謝する祭り」に収斂されるということ ―― これが、何より至要(しよう)たる事実である。 

         新嘗祭・宮中と全国の神社で行われる「収穫祭」(イメージ画像)

         新嘗祭・宮中と全国の神社で行われる「収穫祭」(イメージ画像)



従って、国家と国民の安寧・繁栄を天皇が祈願する「宮中祭祀」もまた、この文脈で理解することが可能である。

 

日本人が年中行事として残す行為それ自身が、自然に対する畏敬(いけい)の念の表現であり、罷(まか)り間違っても、「人間が自然を支配する」という発想など、起こりようがない。

 

このことは、「環境倫理学」の論争テーマになっている、自然環境を保護・管理するという人間中心の「保全主義」よりも、自然環境をそのままの状態で保持するという、自然中心の「保存主義」が、なお、我が国で影響力を有するのは、以上の言及で判然とするだろう。 

1970年代の欧米から生まれた環境倫理学は、「自然の生存権」・「世代間倫理」(世代間調整)・「地球有限主義」という三本柱によって成っている


「天災は忘れた頃にやってくる」

 

だから、この名言が、私たちの国に存在する。

 

「地震や風水の災禍の頻繁でしかも全く予測し難い国土に住むものにとっては天然の無常は遠い祖先からの遺伝的記憶となって五臓六腑に染み渡っている」

 

これは、寺田寅彦の言葉である。

                        寺田寅彦


だから、「忘れた頃にやってくる」天災に対する日本人の観念傾向が「恨み」を超え、無常観に大きく振れて、「諦めの心理」に捕捉されてしまうのは是非もないのか。

この無常観が、「日本人の自然観」の根柢にある。

 

柔和な徳を備えた「和御魂」(にきみたま)⇔荒ぶる魂=「荒魂」(あらたま)との矛盾と共生することで、自然に対する「畏怖」と「甘え」の感情が形成されてきた。

和御魂

荒魂

自然に対する「畏怖」と「甘え」。

 

これは、日本人の自然観を的確に把握した表現である。

 

私流の解釈をすれば、「畏怖」とは、「荒ぶる魂」を以ってしても勝てない超自然的呪力への全面降伏であり、「甘え」とは、「和御魂」を以て(もって)年中行事で祈念する、災厄免訴への懇望(こんもう)である。

 

「降伏と祈念」 ―― これが日本人の自然観の本質であると、私は考えている。

 

ここで、論点を変える。

 

自然の理不尽さの一切を、自然それ自身に還元させる訳にはいかないからだ。

 

例えば、道路建設から始まり、輸出用大豆栽培が加速し、目も当てられない程の大規模なアマゾン破壊によって、急速に乾燥化が進み、水資源の枯渇を惹起させた結果、持続可能な経済活動を不可能にした人間が、その犯した罪が起因して、自然からしっぺ返しを食らうのは当然のことだった。 

                       アマゾン破壊

大豆栽培がアマゾン破壊を加速

特定の人間の、特定の人間による、特定の人間のための大規模な開発行為が、水資源の枯渇=「生活基盤の崩壊」という自業自得のしっぺ返しを食らったのだ。

 

自然は理不尽だが、決して、先述した「保全主義」という枠組みに囚われるような、柔(やわ)な代物ではないのである。

 

このように考える時、どうしても言及が不可避なテーマがある。

 

「生物多様性」の問題である。

生物多様性に富むアマゾン熱帯雨林(ウィキ)

 
生物多様性・ドイツ北部の泥炭湿原(ウィキ)

生物多様性・農地造成のために焼かれた森(メキシコ/ウィキ)

生物多様性・外来種として日本で問題になっている生物の例:オオクチバス(ウィキ)

サンゴ礁の生物多様性(ウィキ)


「生物多様性」の喪失の深刻さ。

                     生物多様性・外務省HP


 
「降伏と祈念」という日本人の自然観をもってしても、「生物多様性」に対する日本人の理解不足は、殆ど致命的である。

 

いつも思うことだが、私たち日本人は、政治・社会・文化・経済などのフィールドにおいて、「多様性」という重要な観念に鈍感過ぎるのではないか。

 

生態系の崩れが気候変動を惹起し、地球環境の危機に対して鈍感過ぎるという指摘を無化し得ないだろう。

 

綺麗事で括るのに恥じらいを感じるが、それでも私たちが目指すべきは、「自然との共生」という艱難(かんなん)なテーマに尽きるのではないか。

 

それにも拘らず、一切は、自然と人間との「せめぎ合いにおける混沌と均衡」のループ(繰り返し)の中で、相対的な安定が顕現するに過ぎないのだ。

 

この映画に含意されたテーマもまた、その辺りにあると考えている。

 

「さよなら。またどこかで」という理不尽な自然の挑発に、人は何ができるか。

 

せいぜい私たちは、異体・ラウから、「さよなら。またどこかで」と言われないために、人智の及ぶ範疇で、限りなく科学的な視座で不断の研究・解析を重ねていかねばならないのだろう。

 

(2020年10月) 

インドネシアを流暢に話すタカシを演じた太賀は、完璧にインドネシア人になり切っていて、その演技力に感嘆した。今後の日本を背負う若き俳優として注目を浴びているのが頷ける




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