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2021年12月18日土曜日

MOTHER マザー('20)   大森立嗣

 



<「見捨てられ不安」を膨張させてきた感情の束が累加され、強迫観念と化していく>

 

 

 

1  「ばあちゃんダッシュ」をさせる機能不全家族

 

 

 

「周平、学校は?」 


それに答えない息子の足の怪我を見て、傷を舐める母・三隅秋子(みすみ/以下、秋子)。 

秋子

周平


このオープニングシーンから、この母子の関係構造が暗示されている。

 

その母・秋子は息子・周平を連れ、実家を訪ねる。

 

「あたしのこと、好きじゃないでしょ。あんたも、あんたも」 


実母と妹・楓(かえで)に向けて、言い放つ秋子。

 

「だから、お金だけちょうだいって言ってるの!」

「ダメだよ、お母さん。あたしも貸した分、まだ返してもらってないんだから…」


「うるさいんだよ!偉そうに」

「あたし、毎月お母さんに、お金渡してるんですけど!」


「どうせ、お母さんとグルになってるんでしょ」

「何それ。何でそんなに、ひねくれてるの」

「全部、あんたのせいだよ!あんたたち、ずっとバカにしてるんだよ。ずっと。子供の時から…楓ばっかり、可愛がっていたでしょ!あたし、大学行ってないんだから。あんたばっかしにお金かかってるんだよ!」 



そう叫ぶや、妹の腕を叩く秋子。

 

「自分が勉強してないからでしょ!偏差値低いしさ」

 

ここで完全に切れた秋子は、ガラスのコップを投げつけるのだ。 


「何してんの!」 


母がテーブルを叩いて、秋子を怒鳴りつける。

 

この間、父は周平を連れ出していた。 


周平がお札を一枚持って来て、秋子に渡す。

 

今度は一転して下手に出るや、秋子は、これが最後だと、お金を貸してくれと懇願するのだ。 

「ねぇ、お母さん。お金貸して、お願い」


「もう、お金は一切出さないから」

 

物腰柔らかに、しかし、そこだけは毅然と伝え、母も部屋を出て行った。

 

秋子は、妹の指摘をトレースするように、周平が受け取った金をゲーセンにつぎ込むのである。 



そのゲーセンで出会った男・遼(りょう)に声をかけ、家に連れ込むのだ。 

遼(左)


「お湯、沸かない。カップラーメンもない」 


これは、秋子にお湯を沸かすように命じられた際の周平の答え。

 

外に買いに行かされた周平は、お湯を入れたカップラーメンを2つ持って家に戻ると、秋子と遼が懇(ねんご)ろになっている声が耳に入る。 



その後、男関係にルーズな秋子は、宇治田(うじた)という市役所の男に周平を預け、遼と遊びに出かけてしまった。 

                        宇治田(右)



自宅に預かれない宇治田は、周平のいる自宅に食料を届けに行く。 



肝心の秋子が帰って来ないばかりか、ガスも止められ、学校へも行かずゲームをし、カップ麺を生で食べる周平。 


挙句の果てに電気も止められ、ゲームもできなくなった。

 

6日後。

 

秋子に呼び出された宇治田は、遼に因縁を付けられる。

 

「あんたさ。周平に悪戯したでしょ」 


遼は店で大声を出し、宇治田を脅迫する。

 

3人は宇治田の自宅に押し入り、金を要求すると、金を取りに部屋を出て2階へ行った。 



「俺、秋子と結婚すっから。決めたんだよ。今日から、俺、お父さんだ…わかってんのかよ!」 


返事をしない周平に、遼は怒鳴りつける。

 

「お父さんかどうかは、僕が決める」

「お前を子供として育てるかどうかは、俺が決めるんだよ!お前は、お荷物なんだよ」 



金を持って来ない宇治田の様子を見に行った遼と、揉み合いになった宇治田は、階段から落ちて自分で用意した包丁を横腹に刺してしまうのだ。 


驚愕する秋子


2週間後。

 

ホストも止め、給料も入らない遼と共に、事件の経過を心配して逃亡生活する秋子は、金の無心で家に電話をかける。 



そこで宇治田が訪ねて来たことを母に知らされ、嬉々として遼の元に走り、宇治田が生きていたことを告げる秋子。 

「超ラッキー!」(秋子)「じゃぁ、こんなとこに来なくてよかったじゃねぇかよ」(遼)


泥棒した金でラブホテルに泊まる3人。 


10日後のことだった。

 

相変わらず働かず、周平の実父である元夫に金を無心させる秋子。

 

毎月5万円を送っている父は、周平に尋ねる。

 


「お父さんとこ、来るか?」

「お母さんの方がいい」

 

二人の様子を窺う秋子


妹のマンションにも、周平にお金を無心に行かせる秋子の無為徒食(むいとしょく)の日常に終わりが見えない。 


いつもの嘘で追い返された周平だったが、実妹は外で待っている秋子のところへ走り、頬を叩くと、金を投げつけた。

 

「子供使って、頭おかしいんじゃないの!もう、お姉ちゃんとは縁切るから。絶対電話しないで。家にも来ないで!」 


雨に濡れた札を拾う秋子。

 

拾わされる周平。 



「子供、できたっぽい」 



妊娠を巡って、遼から暴行を受けて反撃する秋子と、秋子を執拗に守ろうとする周平に嫌気が差し、遼はラブホテルを出ていこうとする。 

DVを受ける母を庇う周平

「全部、終わり!」(遼)


秋子は遼に縋るように叫ぶが、遼は突き放す。

 

「ムリだ。ぜっていムリ!」 



遼が出ていくと、心配したラブホの従業員が入れ替わりに入って来て、秋子は関係を結ぶ。 



しかし、部屋には置いてもらえず、従業員に提供されたテントで寝ることになる。 

「これ、結構、快適っすよ」(従業員)


「あんなクズに捨てられちゃった…」

 

テントで夜を明かす秋子の物言いである。

 

懲りない女の時間だけが自己膨張していく。

 

お腹が痛む秋子は、周平に実家から金をせびりに行く「ばあちゃんダッシュ」をさせるのだ。 

「ダッシュ、周平。ばあちゃんダッシュ」(秋子)


「お母さん、妊娠したみたい」


「誰の子だ?」と祖父。

「お金要るって」

「嘘だろ。嘘ついて、お金巻きあげようとしてんだろ」と祖母。

「ほんと」

「ふざけないでよ!そんな子に育てた覚えないわよ!金もなくて、子供ばんばん作って。バッカじゃないの!あんたも!顔も見たくない!親子の縁、切るから。二度と来ないで!もう、嫌ぁ!」 


そう叫んで、泣き出す祖母を尻目に、お金を渡そうとする祖父だが、祖母に阻止される。 

「何してんの!」(祖母)


手ぶらで戻って来て責められた周平は、もう一度、「ばあちゃんダッシュ」をしようとするのだ。 

「もう一回、行こうか?」(周平)


母親の機嫌を損ねるわけにはいかない子供の悲哀だけが、そこに晒されている。

 

秋子は周平を呼び戻し、抱き締める。 



「ばあちゃんダッシュ」をさせる機能不全家族の裸形の様態が、救いがたいほど露わになっていた。

 

 

 

2  「もう、外に戻りたくないんですよね。だってここ、ご飯だって食べれるし、本だって読めるし…」

 

 

 

5年後。

 

周平の妹・冬華(ふゆか)が生まれ、家族3人は路上生活をしている。 



児童相談所で保護され、職員に諭(さと)される秋子。

 

「三隅さん、子供のこと、ちゃんと考えてる?」

「あたしの子供だよ。どうしようといいじゃないか!」


「落ち着いてください。今のままだで、お子さんはこちらで保護することになりますよ」
 

周平に寄り添う秋子


児相の斡旋で、3人は市の提供する簡易宿泊所に入ることになる。

 

児相の高橋亜矢(以下、亜矢)の勧めで、フリースクールに通い始めた周平。 

「周平君、学校って行ってみたくない?」(亜矢)

フリースクールでの周平

辞書で勉強する



秋子は相変わらず無気力で、スーパーの品物を無造作に万引きする日々を繋ぐのみ。 

万引きの品を手に持って帰っていく秋子


そんな折、宿泊所に遼がやって来て、再び、家族の一員として振舞い始めるのだ。 


金のために不貞行為に振れる秋子に対し、遼のDVが暴れ捲る。 


周平と冬華を迎えに来た亜矢が、それを目撃するが、何もできない。

 

嫌というほど暴力を振るわれた後、秋子は遼に漏らす。

 

「また、出て行っちゃうの?行かないでよ」 


そう言って、遼に縋りつくのだ。

 

相手が「クズ」であろうと、依存の対象を失うわけにはいかないのだろう。

 

同時に、そこには、「クズ」同士の情愛が捨てられないように見える。

 

喫茶店で、周平にカウンセリングする亜矢。 


「あたしもね。周平君たちと同じ感じで育ったんだ。毎日のように叩かれて。それで、施設で育ったの。でも、周りに良くしてくれた人がいて、まだ生きてるんだ。大人になるって、楽しいよ。いろんなことが知れて。それとね。お母さんと離れて暮らすこともできるんだよ」 


答えを持ち得ない周平。 



秋子がハローワークに出かけた後、亜矢が周平と冬華のために、沢山の差し入れの本を持って来た。 



そこに帰って来た秋子は、持って来た本を廊下に投げ捨ててしまうのだ。

 

「何様だよ!」

 

謝って出て行った亜矢のあとを、周平が追おうとすると、秋子が怒鳴って止めさせる。 


借金取りに追われている遼と共に、秋子は急いで逃げる準備をしている。

 

「俺、行かなくていい?ここにいちゃダメ?」


「いて、どうすんだよ」

「学校、行きたい」

「何言ってんだ、バカ!」


「二人で行ってよ。学校行きたいんだけど…」

 

周平が初めて自分の意思を主張したのだ。


しかし、「拒絶」という選択肢を持ち得ない少年は、付いて行くのみ。 



取り立て屋に追われる遼の状況が厳しくなり、「限界だ」と言うや、またも、秋子たちを置き去りにして出て行った。 

「秋子。やっぱ俺行くわ。限界だ」(遼)


さめざめと泣いて、周平に縋る秋子。

 

「もう、周平だけだからね」 



6か月後。

 

周平は、建築関係の会社で働いて、その寮に秋子と冬華と共に住んでいた。

 

社長に前借りを頼むが、断られる。 


「先日も前借したよな。何、使ってるんだ」(社長)「お母さんの携帯だとか…」(周平)


繰り返されているからだ。

 

部屋に戻って母親に「無理だった」と伝えると、大声で怒鳴り返される始末。

 

「もう、ムリだよ!パチンコもやめてよ」


「ふーん、偉くなったんだね…もう一回、行ってきな。仕事から帰って来たら、冬華といなくなってるかもね」
 



周平は事務所に忍び込んだところで、社長に見つかる。 



秋子のところに怒鳴りこんだ社長だが、自宅に3人を呼び、温かく接する。

 

ここでも秋子は、社長に色目を使い、関係を結ぶことになる。 



LINEに、遼からのSOSが届く。

 

明日までに50万円手に入らないと殺されると言うのだ。

 

周平に金庫から金を持って来させるが、全く足りない。 



再び、会社の寮から逃げ、ホームレスとなる3人。 

金庫の金を盗ませた周平に対して、「これだけ。全然足りないじゃん」(秋子)



行く当てがなくなった秋子は、「ババアん家(ち)に行けば金があるんだけどな」と言い出す始末。

 

「殺したら、手に入るよね」


「そうだね」

 

無言で歩き続ける二人。

 

「さっきの話、ほんと、できんの?」


「何が」

「ババアの話。ほんとにできんの、できないのって聞いてんの…お金ないよ。もう無理なんだよ、どこも。あんたやんないと、冬華、死んじゃうよ」

「できんの?」(秋子)


沈黙の末に、周平は反応する。


「ほんとに、やんの?」



 

翌日、実家の近くにやって来た3人。

 

「昨日、話したとおりにやって、周平」


「やるって、言ってんじゃん」

「どうやって、やんの?」

「さあ」

「どれくらい、かかんのかな」

「1時間くらいじゃない」

「遅いよ」

「うん」

「ここまで来て、できないとか、あり得ないからね」


「分かってるよ」

「じいちゃんたち、俺って分かるかな」

「行って」

 

祖父母の家に行くと、最初は周平と分からなかった祖母だが、すぐに気づき、中に上がらせた。

 

「周平、ご飯食べて行きなさいよ」


「あの時の子供、生まれたのか?」

「うん、妹」

 

会いたいと言う祖父に対し、周平はボソッと答えるのみ。 


「可愛いよ。今度会ってよ」

 

矢庭に立ち上がった周平は、台所の祖母を刺し、続いて祖父も刺し殺し、待っている秋子の元に戻った。 


「やったんだ…」(秋子)


実家に戻った3人は、ホームレス状態から解放され、あろうことか、そこで安眠するのだ。 



程なくして、祖父母殺害の容疑者として周平が逮捕された。

 

5か月後。

 

「あたし…祖父母殺せなんて、言ってませんよ」


「いえ、秋子さん、あなたが指示しなきゃ、周平君はそんなことしませんよ。元々優秀で、学習意欲も非常に高いんです。皆と同じように学校へ通えてたら…あなたが、そんな子をここまで追い詰めたんですよ」


「あいつね、時々、嘘つくんですよ。だって、証拠ないでしょ。あたしが殺せって言った証拠。何か、あります?」


「あなたと周平君は共依存です。あなたは周平君を使って、お金を工面してんじゃないんですか?」

「あの、あたしがあいつをどう育てても、親の勝手じゃないですか。あれは、あたしが産んだ子なの。あたしの分身。わかります?舐めるようにして、ずっと育ててきたの。あたしが自分の子供をどう育てても、それは、あたしの勝手でしょ。何か、悪いことあります?自分の子ですよ」 



秋子に面会した弁護士が、今度は周平と面会する。

 

「警察の人たちも、秋子さんが、強盗殺人の共犯者だと考えている。でもね、秋子さんは、殺害現場にいなかったね。事件に関与したかは、彼女が否定すれば立証が難しいんだよ」


「あの、もうちょっと、わかりやすく説明してもらえませんか。僕、小学校も出てないんで」


「今回のことはね、お母さんから君に対して、指示があったかどうかが争点になるんだ。それ次第で、周平君、君の量刑、罪の大きさも変わるんだよ。どうかな。指示はあった?」
 


暫く、考え込む周平。

 

「全部、僕がやりました」


「え?」

「お母さんから指示はないです。全部、僕がやりました」

「何でそんなこと言うんだ。なあ、周平君」 



判決が下った。

 

「秋子 懲役2年6月、執行猶予3年。周平 懲役12年。両者とも控訴しなかった」 



亜矢が周平に面会に来た。

 

「冬華、元気ですか?」

「冬華ちゃんね、やっと受け入れ先が見つかったの。でも、今は場所は言えないのね」


「冬華には、俺みたいになって欲しくないんで」


「文通できるように、今、体制整えてるから。少し待ってね…聞いていい?裁判ずっと見てきたけど、何で全部背負ったの?12年って、長すぎるよ」

「もう、外に戻りたくないんですよね。だってここ、ご飯だって食べれるし、本だって読めるし…」


「それが、理由?」

「…いいですか、もう」

 

そう言って、去ろうとする周平。

 

「待って!それだけじゃないでしょ?ねえ、周平君」


「僕、お母さん好きなんです」


「今も?」

「どうすれば、よかったんですかね。一人じゃ生きてけないですよ、お母さん」

「でも、全部自分がやったって。嘘はダメでしょ」


「ダメ?全部ダメですよ。生まれてきてから、ずっと。お母さんが好きなのは、ダメなんですかね?」
 

                「全部ダメですよ。生まれてきてから、ずっと」



亜矢は、それ以上、何も言えなかった。

 

冬華の施設入所を周平に報告してきたと、秋子に告げに来た亜矢。

 

「あたしの子だよ。周平も冬華も」


「あなたは育てられないでしょ」

 

亜矢は秋子の手を取り、自分の頬に引き寄せ、周平の思いを伝える。

 

「周平君。あなたのことが好きだって。今も好きだって」 


それを聞いても、顔色一つ変えない秋子の表情がアップされ、本篇は閉じていく。 


 

 

3  「見捨てられ不安」を膨張させてきた感情の束が累加され、強迫観念と化していく

 

 

 


機能不全家族で育った子に共通するのは、顕著なまでの言動抑制の環境下にあったが故に、子供の成長の生命線とも言える対人関係の形成が阻まれてしまって、自己愛・自尊心が育ちにくくなるという峻厳な現実である。

 

だから、親からDVを被弾しても、「共依存関係」の罠から解除されにくいのである。

 

「親から必要とされたい」

 

こんな痛々しい感情が、子供の幼い自我に張り付いているからである。

 

親に対する絶対依存の心的現象が、子供の幼い自我の奥深くまでインプリント(刷り込み)されているのだ。

 

「一人では何もできないから、親の言うことを素直に聞き、従えばいいんだ」

 

その親もまた、我が子に依存されていないと安寧できないから、こんな物言いに振れていく。

 

果たして、これを「愛」と呼べるか否か、考えてみれば誰でも分かること。

 

この歪んだ関係構造の本質は、我が子を自分に従属させることで得られる「強者利得」であって、それ以外ではない。

 

「強者利得」=「優越意識」である。

 

一言で書けば、「権力関係」。 


「権力関係」であるが故に、我が子の感情を操って、「強者」に対する依存関係を作り出し、「家族愛」を強いていく。

 

このインプリンテイング(刷り込み)こそ、「共依存関係」の罠の要部にある。

 

「親から必要とされたい」という我が子の感情を巧みに汲(く)み取り、否定的言辞を連射させていくことで、我が子に罪悪感をインプットしていくのだ。

 

「親が悪いのではなく、親の指示に従わなかった自分が悪いんだ」

 

こんな罪悪感をインプットしていくのである。

 

否定されることで増幅する罪悪感情。

 

更に厄介なのは、我が子を手放さないために、我が子の退路を遮断するような恫喝を加え、怯(おび)えさせる行為を常套手段にしていること。


この映画で、秋子が周平に放った恫喝言辞がある。 

 

「仕事から帰って来たら、冬華といなくなってるかもね」


「あんたやんないと、冬華、死んじゃうよ」
 



冬華の存在が生きがいになっている周平の弱みに付け込んで、こんな恫喝を加えるのだ。

 

明らかに殺人教唆である。


退路を断たれたら、社会適応できず、思春期自我を立ち上げ切れない少年は逃げ場を失ってしまうのだ。

 

ここに、自己愛・自尊心が育っていくに足る何があるというのか。

 

「共依存関係」の罠の破壊力は、人間形成の個々の芽を摘んでしまう暴力性に充ちているのだ。

 

この暴力性の極点と化した、概(おおむ)ね実話ベースの映画の、身の毛もよだつ祖父母殺人事件。 

母から殺人を教唆され、祖父母の家に上がり、短い会話の後、事件を起こす直前の周平の表情

川口高齢夫婦殺害事件



理が非でも語気を強めたいのは、「共依存関係」の罠に嵌った子供が、「共謀共同正犯」(刑法60条)が成り立つような由々しき事件の重大な加害者であると同時に、「共依存関係」の罠に囚われた「被害者」であるということ。


この認識なしに、このような環境下にある異常な関係構造を理解し得ないということである。

 

―― 諄(くど)いようだが、要約すると、以下の文脈に収斂されるだろう。

 

自らに「絶対依存」させるという非合理的なルールによって、子供を守るという至極当然の親の役割が削り取られ、自立に向かう思春期の「煩悶・葛藤」という、ごく普通の自我運動が封じられていく。

 

家族からの離脱は絶対許さないから、子供の変化を否定し、そこに越えられないバリアを作り出す。

 

極端に言えば、子供の変化に繋がる一切のプライバシーを擯斥(ひんせき)していくのだ。

 

亜矢が持って来た本を廊下に投げ捨てる秋子の行為は、その典型例である。 

【本を廊下に投げ捨てるシーン。フリースクールに通い、読書する周平の自立を阻む秋子は、周平が変化し、自分から離れていくことを怖れている】 

【本を持って来た亜矢を追おうとする周平に対して、秋子が怒鳴って止めさせるシーン。家族からの離脱を絶対許さない秋子は、自らに「絶対依存」させるという非合理的なルールで我が子を縛っている】

【「俺、行かなくていい?ここにいちゃダメ?」/秋子と遼の逃亡に対して周平が放った言葉だが、完全否定される。「拒絶」という選択肢を持ち得ない少年の自我だけが宙吊りにされる】

【「あんた、嫌われてっからね。目つきが気持ち悪いんだって…あと、あんた、臭いって」/「学校行きたいんだけど…」という周平の思いを、こんな嘘の言辞で自分に「絶対依存」させる関係構造は一貫して変わらない】


「僕、小学校も出てないんで…」

 

弁護士との接見での周平の言葉であるが、あまりに重すぎる。

 

「自分の子」という言葉を繰り返す母による、我が子に対する自立を否定する看過できない産物であるからだ。


もう、そこには出口が見えない。

 

喪失を重ねるだけの子供には、出口が見えないのだ。

 

この累加されていく喪失からの解放は、果たして可能なのか。

 

「アダルトチルドレンと共依存」(緒方明 誠信書房)によると、「二つの治療原則」が存在すると紹介されている。 



その1:子供時代の喪失を認め、理想化・幻想化している親を捨て去ること。

 

その2:自分が自分の親代わりになる技術を学ぶこと。

 

これが可能なら、こんな陰惨な事件など起こりようがないのである。

 

且つ、この「二つの治療原則」を実践に繋ぐためには、親代わりになって真摯に支えてくれる第三者を探すことが絶対条件になる。

 

「専門家」と呼べる第三者の介在によって、継続的アウトリーチを不可避とするのだ。

 

ここに辿り着くことの難しさを認知せざるを得ないのである。

 

―― 以上の文面は、映画の母子を観て、私が強く感じ入ったものの要諦(ようてい)である。

 

「僕、お母さん好きなんです」

「お母さんが好きなのは、ダメなんですかね?」 


ラストの接見シーンで、周平が亜矢に放った言葉である。

 

この言葉は、常に、母親からの「見捨てられ不安」を膨張させてきた感情の束が、母を求める行動に振れざるを得ない情動を強化させ、強迫観念と化した関係構造の産物であって、罷(まか)り間違っても「愛の結晶」などと呼べるものではない。

 

それは、6日間(実話は1カ月)、母と遼との「蜜月の旅」などによって、愈々(いよいよ)、膨張していく「見捨てられ不安」が強迫観念と化し、化け物のように肥大した状態で、幼い自我に染み付いた時間が累加された産物なのである。

 

見捨てられたくないから、母親にしがみ付く。

 

しがみ付いたら離さない。

 

「もう、周平だけだからね」  


こんなことを言われたら、「見捨てられ不安」がほんの少し溶けていくのだ。

 

だから、「僕、お母さん好きなんです」などという言葉に結ばれる。

 

構造的には、こういうことなのだ。

 

あまりに辛すぎると言う外にない。

 

【ついでに言及すれば、周平の冬華に対する優しさもまた、「共依存関係」の産物であると考えられる。即ち、遼に対する秋子がそうであったように、「依存者は共依存の対象を求める」という関係構造である】 

冬華に文字を教える周平


―― ところが、この映画の作り手は、この母子の「共依存関係」に同調しない言辞を発信している。

 

「社会から隔絶されているからこそ、秋子と周平は純度を保った、ふたりにだけしかない深い絆で結ばれたと思う」(大森立嗣監督インタビュー)

 

肝心な秋子の生育環境について映画は何も答えていないから、生育環境との相関関係を正確に知り得ないが、秋子は何某(なにがし)かのパーソナリティ障害(最も考えられるのは、「依存性パーソナリティ障害」/DSM-IV-TR=精神障害の診断と統計の手引き第4版改訂版で定義)に罹患していると思われる。


【私は、事件の母親は、複合的で、サイコパスの疑いもあると考えているが、弁護側証人になった理化学研究所の黒田公美(くろだくみ)博士は、事故などを契機に、認知機能が障害を来す脳機能障害としての「高次脳機能障害」との関連性を指摘している。また氏は、米国で実践しているような、教育プログラムを提供し、消費行動を改善する取り組みが、我が国で極端に遅れていることを指摘しているが、これも重要であると考える】 

黒田公美さん

かくて、およそ3000人に及ぶ、自治体が安否を把握できない「居所不明児童 」が発生する。住民登録が消除され、教育・医療・福祉に繋がれない「闇に消えた子供たち」の「育ち」が脅かされている現実の重み。その背景の一つにある児童虐待件数は年々増加する傾向を示し、全国で僅か219 か所(2020年)しか存在しない児相の「ケースの見落とし」を防ぐ手当がない現実は深刻である。自相には「虐待防止チェックリスト」がありながらも、それを有効に利用されないばかりか、相変わらずの縦割り行政で、行政内部間での情報共有が為されていない現状に絶句する】

                     イメージ画像

                        

「30年で虐待相談100倍…疲弊する児童相談所、限界も 命救う闘い、児相ぎりぎり」より

児童虐待の早期発見のためのチェックリスト

同上



映画に戻す。


秋子からの「見捨てられ不安」を膨張させてきた感情の束が累加され、強迫観念と化して作られた関係構造が、この作り手は「純度を保った深い絆」と考えているようだ。

 

そればかりではない。

 

「舐めるように育て、常に自分のそばに置いて、学校にも行かせなかった秋子の子育ては私たちの社会ではおかしいのですが、動物だったらそれは普通です。秋子みたいな人たちには、もしかしたら僕たちが失ってしまった何かがあるかもしれない。そういうところに魅かれてこの映画を作りたいと思いました」(大森立嗣監督インタビュー) 

大森立嗣監督


正直、作り手のこの言葉を目にして、驚かされた。

 

では、「自分の子」という台詞の連射の意味を、どう捉えたらいいのか。 

「あたしが自分の子供をどう育てても、それは、あたしの勝手でしょ。何か、悪いことあります?自分の子ですよ」(秋子)


呆れたのは、人間社会の義務教育を動物と比較したこと。

 

人間と動物の違いは、一体、どこにあると思っているのだろうか。【後述】

 

閑話休題。

 

私にとって看過できなかったのは、「秋子みたいな人たちには、もしかしたら僕たちが失ってしまった何かがあるかもしれない」という言葉。

 

「失ってしまった何か」について具体的に答えないのは、ネタバレ防止の意図があったにしても、どうしても引っかかってしまうのだ。

 

人間相互の物理的・心理的距離が、コロナ禍の状況下にあって、漸次(ぜんじ)、離れていくことで、「言語交換」=「コミュニケーション」⇒「肌・心の触れ合い」が希薄になっていると決めつける現象のことなのか、

 

少年の手記を読んだはずの作り手は、現代社会には、「秋子みたいな人たち」が、私たちが失った必要な「何か」を有しているとでも言うのか。

 

だから、「僕、お母さん好きなんです」、「お母さんが好きなのは、ダメなんですかね?」という、本作のコアとも言える、説得力のないオリジナルな台詞を加えたのか。

 

一切、不分明である。


然るに、少年が触れ合う相手が「未成熟な大人」に限定されていたことで、人の心理を読む能力=「認知的共感性」が欠け、捻(ねじ)れ切った「共依存関係」を深めてしまったと考えられないのか。

 

この母子の「共依存関係」の罠について、あまりに感覚的・観念的・非武装的であると言わざるを得ないのだ。 


 

(注)【人間だけが、脳全体の精神機能である言語中枢(大脳皮質)を手に入れたこと。これが、人間と動物の決定的な違いである。言葉や文字で表現する言語機能によって必要な情報を記号に変換させ、それを他者に伝達していく。その情報を相互に共有することで、人間特有の共同体を形成し、その共同体を維持する秩序を作り、それが「ルール」となって、「法」にもなっていく。言語中枢を手に入れた人間が作り出す「法」が、人間社会の規範と化し、相互に扶助し得る独自の世界を構築するのである。この「ルール」⇒「法」に背馳する者は裁かれる。当然のことである】


【参考文献・資料】


誰もボクを見ていない なぜ17歳の少年は、祖父母を殺害したのか」(山寺香著 ポプラ社) 「闇に消えた子どもたち—『居所不明児童』と児童虐待

 

(2021年12月)



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