1 「まいねじゃ」と吐露する少女の鬱屈が今、開放されていく
【津軽弁の聞き取りが難しく、台詞を起こしても誤っているかも知れません。間違いがあれば指摘してくれると助かります】
青森県北津軽郡板柳町に住む高校一年生の相馬いと(以下、便宜的に「イト」とカタカナ表記)は、同級生との会話も成立しないほど津軽弁の訛りが強く、極度の人見知りになっている。
国語の授業で津軽弁で朗読するイト |
父・耕一は大学教授で、津軽三味線を弾いていた母を早く亡くしたイトは、同じく、津軽三味線の名手である祖母・ハツエに育てられて成長した。
左からイト、祖母ハツヱ、父・耕一 |
教え子を自宅に招き、ゼミの授業をする大学教授の父・耕一 |
イトの左手を見て、「糸道がきりまってら」と言って、残念がる津軽三味線の名手のハツヱ(右) |
イトもまた、中学時代に津軽三味線の大会で受賞するほどの腕前を持つが、今は、三味線を弾く格好が恥ずかしいと、疎遠になっている。
津軽三味線の大会で受賞した中3のイト |
そんなイトが、スマホでたまたま見つけた青森市内の「津軽メイド珈琲店」のアルバイトの募集に応募する。
店を探して辿り着くと、東京からUターンした店長の工藤に、「今日から手伝って下さい」と言われ、早速メイド服に着替えたイトは、先輩メイドでシングルマザーの幸子(さちこ)の指導を受ける。
「今日から手伝って下さい」(工藤) |
「おかえりなさいませ。ご主人様」
幸子 |
メイド喫茶のこの決め台詞を、どうしても「ごすずんさま」と言ってしまうイト。
開店して客を迎え、フロアに出たイトだが、電信柱のように突っ立っているだけで、同僚の智美(ともみ)に注意される。
常連客 |
「おかえりなさいませ。ご主人様」 |
「電信柱かい」(智美) |
通学電車の中で、「まいねじゃ」(ダメだ)と思わず吐露するイト。
ハツヱにメイドカフェでアルバイトを始めたことを話したイトは、部屋に戻り、幸子の動画を見ながら挨拶の練習を始めた。
そこに父・耕一が入って来るや、「面白いぞ」と言って、『英国メイドの生活』という本をイトに渡す。
「ほら、これ。面白いぞ」 |
店で食事を運ぶイトが、突然、尻もちを付いて転び、皿が割れるという事態が発生した。
セクハラである。
店長の工藤が割って入り、巧みにセクハラ男を追い返し、一件落着するが、この許すべからざる厄介な一件を契機に、自己主張できないイトの中で、少しずつ変化の兆候が見られるようになっていく。
客を体(てい)よく帰らせる工藤店長 |
その夜、久々に三味線を手にして、弾き始めたイト。
ところが、長年放って置いたので、三味線の皮が音を立てて破れてしまった。
ハツヱにそのことを注意されたイトは、自分で直すと主張する。
口数が少ないイトに好意を持つ常連客が、「イト転協」を立ち上げると言う。
正式名称は、「イトさんのプライベートさ、立ち入ることなく、転ばないように見守り、かつ、痴漢の接近は、断固阻止する紳士協定」とのこと。
控室で、智美はイトに対する常連客の態度に嫌味を言い放すが、それがイトへの批判にまで転じていく。
「女慣れしてないモテない地元のオタクが考えそうなことだよ。守りますってさ、結局、女をバカにしてんじゃん…また沈黙だよ。ウケるな。よくそれでメイドカフェでバイトしようって思ったな。何、お金欲しいの?」
「うん…あと、話(はなし)っこ苦手だはんで…このめんこい制服、着でがったし…」
可愛い制服への憧憬の念を抱いていたという本音を吐露するのだ。
饒舌とは無縁であっても、どこまでも素直な少女である。
だから、常連客のアイドル的存在になったのだろう。
そんなイトを目の当たりにして、ストレートな智美は、自分の思いを吐露していく。
この店でお金を貯めて、絶対に漫画家になって東京へ行くと話すのだが、自分に自信を持てないイトへの批判も忘れなかった。
「そうやって、自分を蔑むの止めたら?楽したいだけじゃん」
この言葉は、イトの中枢に届くのに充分過ぎた。
学校の社会見学で、イトは「青森大空襲」の展示会を見に行った。
早苗 |
そこで、館員からイトの住む板柳町(いたやなぎまち)にも空襲があった話を聞き入り、暗澹(あんたん)たる気持ちで帰路に就く。
【「青森大空襲」は、1945年7月28日〜29日にかけて青森市に対する空襲で、甚大な被害を蒙った。そして、ここでも、時の政府の1941年と1943年の「防空法」の改正によって、空襲に遭っても住民の逃亡を禁じるという悪法が甚大な被害をもたらしてしまった】
空襲後の青森(ウィキ) |
社会見学の帰路、イトは前を歩いている早苗に、思い切って声をかけた。
いつも目が合い、気になっているクラスメートだった。
「電車、間に合わなねが」
「走れば、ぎりぎり」
「なんが、走りてくねぇ気分」
「うん、うじも。なんが、苦しくなっちゃった…戦争の話」
イトも頷き、早苗がいつもイヤホンで何を聴いているのか尋ねると、いきなり、イヤホンキャップをイトの耳に入れた。
弘前出身の「人間椅子」というバンドの曲だった。
一緒に、イヤホンで曲を聴きながら歩く二人。
イトの変容が具現化されたエピソードであった。
メイド珈琲店で初めての給料を受け取り、それを三味線のケースに保管するイト。
その後、オーナーの成田が、恒例行事でスタッフらを連れ、海辺に遊びに出て、皆の表情は弾け捲っていた。
キャンプファイヤーで踊る、幸子と娘や、スタッフたちを見つめながら、母の記憶を辿るイト。
縁側で三味線を弾く母に声をかけると、自分がその縁側に座り、母に髪を梳(す)いてもらう。
「奇麗な髪っこだな。黒くて、つやっつやどして」
ハツヱに起こされて、夢から覚めたイトは、テレビのニュースで、違法なサプリメント販売で逮捕された成田オーナーの映像を目の当たりにする。
メイド珈琲店もあおりを受け、工藤はスタッフに退職金を払い、閉店せざるを得ないと皆に伝えた。
帰宅すると、耕一がイトに声をかける。
「何か、話すことないか?」
「メイドやめたぐねぇ」
「アホ!お前が辞めなくたって、店、潰れるに決まってんだろ。犯罪者がいる店で、娘働かせる親、どこにいる?もう、行くなよ」
「辞めねぇ」
メイドカフェの客を蔑み、時代錯誤な接客態度をさんざん愚弄する耕一。
「拝金主義の、詐欺師だろうが!」
その言葉を受け、怒りの表情で耕一を睨みつけるイト。
「言いたいことあるなら、言葉使え」
「…差別スギ(主義)のインツキ(インチキ)教授!」
イトは部屋で荷物をまとめ、三味線も抱えて家を出て行こうとする。
そこへ、父がリュックを背負って玄関に下りて来た。
「山へ行く。俺が出て行く。お前は、ばあちゃんの傍(そば)にいろ」
「わぁが出てく」
父と娘の意地を張り合いを見ていたハツヱは、二人とも追い出してしまうのだ。
「表さ行って、あだま(頭)さ冷やして来い!」
かくて、二人は家を後にした。
物語の展開が、この辺りから大きく動いていく。
2 「だはんで、この店で、三味線、弾かせてくだせぇ」
家を出たイトはバスに乗って、親友の早苗の家に向かった。
早苗の部屋で、イトは先日二人で聴いた曲を、三味線で弾いてみせる。
早苗は凄いと驚く。
「覚えだの?」
「何べんも聴いてはんでさ」
「耳コピ?」
頷くイトは、耳で覚えるのが慣れていると答える。
今度は、早苗が三味線を弾いて、本当はギターをやりたいけど、お金がなくて中古も買えないと話す。
そこで、イトがバイトの給料袋を差し出すと、早苗は同情しないでくれと答えるのだ。
「同情、しねぇでけ」
「わぁのかっちゃさ、32歳で病気で死んだのさ。だはんで、ほとんど、覚えでねぇ。とっちゃもばばも、かっちゃのこと、何もしゃべんでねはんでさ。わぁ、なんも知らんね」
「自分のことばっかり。お父さんだって、奥さんば亡くして悲しいべ。お祖母ちゃんだって、娘ば亡くしてんだ。悲しいのは、皆一緒だ」
「かんにん」
「なーんで、人生って、簡単じゃないんだべね」
早苗は、再びイトに三味線を弾くように求め、イトの演奏に弁話の合いの手を入れて、盛り上げるのだ。
まもなく、三味線を抱えてメイド珈琲店に出勤したイトは、意を決して皆に思いを伝える。
「幸子さんど、智美さんど、店長ど、気が合う人たちど、ずっと一緒に働きてぇです。まんだ、いっぺぇお客さんさ、来てもらえてぇんです。だはんで、この店で、三味線、弾かせてくだせぇ」
3人はキョトンとした顔をするが、このイトの思いを受容する幸子が、店長に向かって懇願する。
「もう一回、何とかできないですか?店長…あだしも、あと10年はメイド服ば着たい。退職金減ってもいい。一か月の猶予期間で、もう一回、頑張りたい」
続いて智美も、あと3年はメイド服を着てもいいとプッシュする。
「私も、あと3年はメイド服着てもいいかな」 |
しかし店長は、今、店を畳むのが、普通に考えて一番いいと答えるばかり。
「普通に考えて?主語、誰?店長は、何がしたいんぜ?」
「ずっと不安でした。東京で働いているときも、青森に戻ってからも、僕の人生、これからも不安なんですよ。だから、楽しいこと、やりたいです。この店、続けたいです」
「やろうよ」
智美も賛同する。
「やろう、一か月。それでダメなら、諦めがつく」
大きく頷いたイトは、早速、三味線の皮を直しに行く。
三味線の皮を直してもらったイトは、ここで家出からの帰宅を果たす。
ハツヱの元へ行き、二人で津軽三味線を合奏するのだ。
津軽三味線を弾き終わったイトの時間が、大きく動いていく。
「メイド×三味線」を謳い文句に、イトがモデルとなったチラシを作って配り、津軽メイド珈琲店がリニューアルオープンした。
そこに、山から戻った耕一が来店し、コーヒーを注文する。
父の姿に気づいたイトは、驚いて身を隠すが、店長にコーヒーの淹(い)れ方を教えてもらい、それを父のテーブルに運ぶのだ。
「けっぱれ」
父の一言である。
頷くイト。
いよいよ、津軽メイド珈琲店の、三味線ライブが始まろうとしている。
三味線ライブの初日に、イトの手を確認して握り、送り出すハツヱ |
「おかえりなさいませ。ご主人様」 |
幸子が、控室で出番を待つイトの髪を梳く。
母を思い出し、涙を零すイト。
司会の智美が舞台で挨拶をし、現在、店が存続の危機にあることを訴えた。
「…たった4人の、この小さな店の行く末は、前途多難。まだまだ不確かです」
ここで、常連客が声を上げた。
「おらんど、みんな、不確かだ。生きるって、そういうことだべ。みんなで、頑張るべや」
店内は、大きな拍手に包まれた。
そして、いよいよイトが舞台に上がり、演奏が始まる。
曲は「津軽あいや節」。
祖母が弾くのを聴き、一番最初に覚えた曲だった。
ハツヱや早苗もやって来た。
ラストシーン。
耕一とイトが岩木山に登っている。
登頂したイトは、遠くに見下ろす板柳町の方を見つめ、呟いた。
「いつも、あそこさ、いるのか。わだし。ちっちぇな」
「ちっちぇな」 |
「ちいせぇな」と父。
突然、イトは板柳町に向かって手を振り、大きな声で叫ぶ。
「おーい、おーい!」
立ち上がったイトは、大きく両手を振って、何度も叫ぶのだった。
ラストカットは、下山し、登頂した岩木山に手を振り、物語を走り切ったイトの「青春」の画(え)だった。
3 自立する少女の身体疾駆が弾けていく
心に残るエンタメの秀作。
三味線ライブの初日に、覚悟を括って店に向かうイト |
思春期後期から青春期にかけて多くの体験を重ねていくことが、自我の確立運動の財産になることを、優れた構成力によって描き出した見事な青春映画だった。
横浜聡子監督 |
―― 以下、批評。
この映画で、重要なエピソードがあった。
粗筋(あらすじ)で簡単に触れたが、主人公・イトがメイド喫茶でセクハラに被弾するシーンである。
直感的にセクハラと見抜いた智美が、座っている客の男に詰め寄った。
「あんた、今、この子のケツなでたべ」
男は証拠があるのかと言い寄るが、そこに店長の工藤が割って入って、援護する。
「証拠はこの子です。何もないのに、叫んだり、転んだりしません」
警察を呼べとがなり立てる男に、工藤は穏やかな口調で説得を試みる。
「当店は、風俗営業としての届け出はしておりません。事情聴取の運びになり、お客様の接触が一切認められなかった場合、名誉棄損で、お客様は当店を告訴することが可能です。万が一、接触が認められた場合に、強制わいせつ罪で当店がお客様を…」
これで怒り出した男が、今度は開き直ってみせるた。
「萌え、萌えだのって、男さ、媚び売ってるのは、お前たちのほうだべ。ややこしい」
「萌え、萌えは、コミュニケーションツールです。千歩譲って媚びだったとしても、それは、メイドに触れていいということの理由にはなりません…お代は結構です!いってらっしゃいませ、ご主人様」
「いってらっしゃいませ、ご主人様」(工藤) |
工藤は毅然と言い放ち、客を追い出したという顛末(てんまつ)だった。
その直後のエピソードが、本作のヒロイン・イトの内的行程の初発点になっていったからである。
控室で、「わぁ(私)が悪い」と言うイトを、幸子が叱責した。
「その考え、間違ってる。お前も皆も、全員傷つく」
黙って頷き、幸子に出されたアップルパイを頬張りながら、イトは涙ぐむのである。
内に抱える少女のコンプレックスの芯が、炙り出されたのだ。
セクハラされても、それを言い返せないほど脆弱なイトの裸形の様態が露わになり、その内面を抉(えぐ)り、それ以外にない少女の時間を開いていく。
肝心な時に表現を封じることが、「お前も皆も、全員傷つく」という、あってはならない事態を出来(しゅったい)させてしまうのである。
肝心な時に表現を封じてはならない。
少なくとも、少女の観念は、そう把握した。
しかし、観念が行為に結ばれるには高いハードルがある。
身体を疾駆させていくのは、内実の希薄な観念では容易ではない。
だから、まだ試練が待っている。
もう一つの重要なエピソード。
海辺に遊びでのシーンである。
シングルマザーの幸子は、娘も連れて来ていた。
以下、その幸子とイトの会話。
幸子はイトに、娘と似ているところがあると話すのだ。
「内気なところとか、じょっぱり(意地っ張り)なところとか。頑固で負けず嫌い。イトは、誰さ似たの?」
「ばば(祖母)かも知れねぇし、とっちゃ(父)かな」
「かっちゃ(母)じゃねぇんだ」
「かっちゃは、いねぇさ。す(死)んでまって」
「だったな。我慢しねぐて、いいんだよ、イト」
「…人さ、可哀そうと思われるのが嫌で、ぜって、泣がねぇって思ってたっけ。いつの間にが、涙が出なぐなってしまいました」
ここでも、素直な少女の素顔が全開するが、「我慢しねぐて、いいんだよ」という柔和に投げ入れられた言葉は、イトの変容の推進力になっていく。
メイドカフェの客を蔑み、時代錯誤な接客態度をさんざん愚弄する耕一。
「こんな女子高生に制服着せて、金集めて。拝金主義の、詐欺師だろうが!」 |
自分が知るメイドカフェのスタッフや客は、世間から蔑まれるような人たちではない。
ここで異を唱えなかったら、自分はダメなままで終わってしまう。
「…差別スギ(主義)のインツキ(インチキ)教授!」
そう括って、尊敬する父に対して、ここまで言い放ったのだ。
そして、イトの行動は家出にまで振れていく。
まさに身体疾駆である。
家を出たイトは親友の早苗の家に行き、彼女の弁話の合いの手を受け、ずっと距離を置いていた三味線を弾くのである。
ここまで動いた少女の身体疾駆は止まらない。
この活力が、閉鎖寸前のメイドカフェを変えていく。
三味線ライブをメインにするメイドカフェが再生するのだ。
リニューアルオープンの前に、イトは、客として入店した父と会う。
そこで、父にメイドカフェの実態を見せるのだ。
それは、関係の進化を果たす再構築の起点になっていく。
あれほど嫌悪していたのに、今や、両足を開き、母を想い起こしながら、「津軽あいや節」を演奏する少女の身体疾駆が、コンプレックスを克服し切った自立する青春の、細(ささや)やかだが、決して手放せないモニュメントを打ち立てたのである。
自立する少女の身体疾駆が、岩木山の頂上で叫びに結ばれ、自らの緩やかな足跡(そくせき)を俯瞰し、新たな時間を刻んでいくのだ。
【「いとみち」=「糸道」とは、ネットで調べたら、「三味線の棹を持つ左手人差し指の爪に作る溝」のこと】
左手人差し指の爪を見るイト |
(2022年3月)
0 件のコメント:
コメントを投稿