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2023年9月30日土曜日

オフサイド・ガールズ('06)   「都会の女たち」の熱気は、地方から出て来た兵士の男を圧倒する  ジャファール・パナヒ

 


1  「わかった。こうしよう。試合さえ見せてくれたら、奴隷のように働く。お袋さんや家畜の世話もするし、放牧にも連れてく…」
 

 

 

「イランでは、女性が男性の競技を観戦できない。本作は2005年のワールドカップ最終予選、イラン対バーレーン戦の最中に撮影された」(キャプション)

 

競技場にサッカーを見に行った娘を探すために、タクシーに乗り込んだ父親。

 

「息子たちが連れ戻しに行ったんだが、どうやって探す気なのか。間に合わなければ、殺されるかも」 


先を走るミニバスを止めて乗り込んだが娘はおらず、隣を走る大型バスの方かも知れないと言われる。

 

併走するバスは、窓から身を乗り出した若者たちが、「イラン、ばんざい!」「バーレーンをやっつけろ!」と連呼し、イラン国旗を振って盛り上がっている。 


その大型バスでは、一人大人しく席に座る顔にペイントして男装する女の子(以下、便宜的に「ペイント女子」とネーミング/以下、同様)に気づいた青年が、友人に話しかける。 

ペイント女子


「女だぜ」

「見逃してやれ」

「知ってたのか?」

「知ってたさ。気づいても無視しろ。せっかく男のフリをしたんだ。競技場に入れてやれ」


「何だ。あいつの親父の競技場じゃあるまいし。バレたらどうなる?」

 

すると、友人が並走するミニバスの後ろの方を見ろと言う。

 

「二人とも女だ」

 

二人は窓から乗り出し、叫びながら勇ましく国旗を振っている。 


「まさか」

「奴らはやり方を知ってる。プロなんだ。あいつは初心者なんだな」 


二人は、ペイント女子の方を振り返る。

 

車内で中年男性同士の喧嘩が起きて、バスの運転手が警察に通報すると下車したので、それを阻止しようと、多くの乗客がバスを降りていった。

 

バスに残った青年がペイント女子を見ていると、抗議してくる。

 

「じろじろ見ないでよ。他の人に気づかれるわ。計画が台無しよ」

「僕は君の味方だ。本当だよ…心配するな。僕が力になる」

「いい格好しないで。一人で大丈夫よ」

「今日は警官がそこら中にいる。それに、誰が見たって、君はまるっきり女に見えるぜ」

 

運転手を引き止めた男たちがバスに戻って、再び競技場へと出発する。

 

騒動を起した男は、すぐ頭に血が上ると言うと、喧嘩の相手が反応する。

 

「そんな状態では競技場に入れないよ。家でテレビを見た方がいい」

「だが生の試合は違う。叫んだり、歌ったり、ウェーブしたり、何よりもいいのは、思いっきり悪口が言えることだ。誰からも文句を言われずにね」

 

そんな話を聞いて、微笑むペイント女子。 



競技場へ着くと、走って入り口方面へ向かい、ダフ屋に声をかけるが、「失せろ。問題を起こすな。女に売る物はない」と言われ、チケットを売ってもらえない。 


その前の客に5000トマンで売っていたチケットを、ペイント女子は6000で買うと粘ると、8000ならとダフ屋は答え、不要なポスターも300トマンのところ、500で売りつけられた。

 

しかし、ペイント女子は検問で引っ掛かかり走って逃げるが、呆気なく兵隊に捕まって連行されてしまう。 


「試合を見せて。どうせ誰も気づかないわ」

 

ペイント女子が懇願しても若い兵士に聞く耳はなく、携帯で両親に連絡したいと言っても許可しないのだ。 



ところが、その兵士はペイント女子から携帯を借り、私用で恋人に電話かけて話して返すと、その恋人から掛かってきた電話にペイント女子が出て、話がこじれれてしまう。

 

「彼女は逮捕者だよ。神に誓う…」

 

そして、また恋人からかかってくるかも知れないと、携帯を返さないのだ。

 

その後、連行された競技場の裏の、柵で囲まれた一角には、既に逮捕された3人の女の子たちがいた。

 

更に、男子にしか見えない女の子(以下、「男前女子」)が連行されて来て加わった。 


「正面ゲートに入れない女がまだ100人いる」との連絡を受け、兵士の一人はそちらに向かった。

 

試合が始まり、歓声が聞こえてくると、兵士のマシャドが興奮して試合の経過を声にして、実況中継を始めた。

 

それを聞きながら、何とか競技場内に見に行きたいと、女の子たちも不安げに聞き入っている。 

左から国旗女子、サッカー女子、男前女子(奥)



サッカーに興味を示さない、逮捕者の管理を任された兵士・サマランダ―は苛立っていた。

 

「俺は今、休暇中のはずなんだ…俺が駆り出されたのは、お前らのせいなのさ。都会の娘が遊びまわって。今頃は村で家畜の世話をしてたはずなんだ。お袋が病気で放牧に行けないし、雨が降らなくて、作物が枯れそうだ…」

サマランダ―



「わかった。こうしよう。試合さえ見せてくれたら、奴隷のように働く。お袋さんや家畜の世話もするし、放牧にも連れてく…」
 

男前女子と国旗女子



兵士になりたかったという男前女子がサマランダ―に交渉すると、帽子にイラン国旗を挟んだ女の子(以下、「国旗女子」)も「迷惑をかけないと約束する。命令なのはわかるけど、試合を見せて」と訴える。 


「俺には責任があると言ったろ。隊長が来たら、罰を受けるのは俺なんだぞ。なぜ、そんなにむきになる?たかが、サッカーだろ」

 

国旗女子は、「あの人に試合の実況をさせて。それ位いいでしょ?」とマシャディを指すと、サマランダ―はマシャディに実況中継の続きを指示した。 

実況中継するマシャディ


実況中継に聞き入る女の子たち



「あんた、見直したよ」と男前女子。

 

その時、先ほどからトイレに行きたがっている振りをする女の子(以下、「サッカー女子」)が、いよいよ我慢できなくなり、フェンスから抜け出すが阻止される。

 

サマランダ―が女性用トイレはないと言うと、男性用でいいと答えるのだ。 

サッカー女子


「テヘランの娘は何だ。悪魔でも取り憑いたか。あいつは兵隊になる、お前は男性用トイレ。いいか、男と女は違うんだぞ!」


「…行かせてくれないなら、そこら中にかけてやる!」

 

困ったサマランダ―は「仕方ない」と返して、マシャディと一緒に行かせることにした。

 

マシャディは、女だと分からないように、ポスターでお面を作って付けさせ、男性用トイレに連れて行く。 



競技場内の男性用トイレに着くと、マシャディは、用を足している男たち全員を外に出そうとするが理解されず、次から次と男たちが入って来て手間取る始末。

 

「お前らとは一緒に入れないんだ」

「何だよ。訳がわからないぜ」

 

何とか、トイレに入れさせることはできたが、男たちが次々にトイレに入って来るのをマシャディが阻止していると、出て来たサッカー女子は、どさくさに紛れてスタジアムへ走って逃げて行ってしまった。 


隙を見て逃げていくサッカー女子

マシャディは追い駆けたが無駄だった。 

スタジアムで



一方、トイレに行った2人が帰って来ないので、心配になって座り込むサマランダ―に、男前女子が声をかける。

 

「マシャディが戻って来ない。娘を逃がしたのかも。そうなったら破滅だ」

「…質問してもいい?なぜ女は、競技場で男と一緒に座れないんだ?」


「頑固な奴だな。女は男と一緒に座れないんだよ」

「日本人の女は、ここでイラン戦を見てたぜ」

「日本人だからさ」

「イランに生まれたのが運のつき。日本人に生まれたら、見てもいいってことか」

「日本人とは言葉が違う。汚い言葉を言っても、日本人にはわからない」

「だったら、問題は汚い言葉か?」

「それだけじゃない。男と女は同席できない」

「映画館はできるぜ」

「映画館は別だ」

「どうして?だって映画館の中は暗いぜ」

「…男女一緒だったのは、きっと家族だからだ」

「わかった。父親や兄弟と一緒なら、中に入れてくれるわけ?」

「俺に訊くな!…お前の父親も兄弟も夫も…他の人には父親でも兄弟でもない。お前には家族でも、他人にはただの男だ」 



モキュメンタリー 映画(ドキュメンタリーのように見せて演出する表現手法)の面白さがフル稼働していくのである。

 

 

 

2  「兵隊さんも踊ろうぜ」「踊れ!踊れ!」

 

 

 

兵隊の格好をした女の子(以下、「兵隊女子」)が、手錠をされ連行されて来た。

 

「すごい!この手は思いつかなかったな」と男前女子。

「いいでしょ」

「尊敬するよ」

兵隊女子(右)


 

連行して来た兵士が、「逮捕されたのに、困った奴らだ」とサマランダ―にぼやく。

 

「兵隊をバカにして、隙を見て逃げ出そうとした。見かけより手強い女なんだ。隊長が怒って手錠を掛けた。役員席にいた。隊長の席でふんぞり返ってた」

 

兵隊女子は得意げに話すのだ。

 

「まるでピッチに立ったみたいだった。失敗は、隊長の席に座ったことと将校の制服じゃなかったこと。それでバレちゃったの」


 

「面白い話がある」と、先ほどの兵士。

 

「バーレーンのバスの前にいた女たちは入れて貰えた」

「試合を見せた?」とサマランダー。

「ガラス窓の部屋に座ってね。警察の監視付だったけど」

「こいつらも」

「だめだ。向こうは逮捕されたってわけじゃない。外国の記者が沢山選挙の取材に来てる。注意を引きたくない。きつく叱るつもりさ」

「ここに置いとくのか?」

「いや、こいつらは分隊に移送するんだ」

「誰か逃がしたら?」

「俺たちは終わりさ。一生、軍隊で絞られる」 


そこにマシャディが走って戻って来た。

 

「女はどうした?」

「逃亡して」

「俺を殺す気か!…俺の人生が台無しだ」

 

そこに逃げたサッカー女子が戻って来た。

 

「なぜ戻って来た?」

「彼の家畜が可哀想だから」

サッカー女子(右から二人目)

「あいつのために?信じられない」

 

そんな気遣いを見せたサッカー女子は、スタジアムで見てきた試合展開を、それぞれに選手の名前をつけ、ピッチのポジションに就かせて、熱心に説明していくのだ。 



ここで、娘を探しに競技場にやって来た冒頭の父親が、娘を見つけられず失望する画が提示される。 



競技場ではハーフタイムが終わり、後半戦が始まった。

 

マシャディが実況中継すると、女の子たちも乗り出し、固唾(かたず)を飲んで聞き入り、遂にゴールが決まるや否や、会場の歓喜と共に、「イラン、ばんざい!」と飛び上がり、輪になって喜び合う。



その様子を静かに見守るサラマンダー。 



そこに警察車両がやって来て、隊長が持ち場を離れて試合を見ている兵士らを叱責し、女の子たちはバスに乗せられ、兵士らもバスに乗り込む。 

他の男子も乗り合わせている

車内では兵隊女子が泣いている。

 

「もっと強い女かと思ってた。どうしたんだ?」

「…軍服のせいで私の罪は、ずっと重くなるって」


「最悪でも拘留さ。別に殺されるわけじゃない」

 

バスの中では、爆竹所持で捕まった小僧が乗り合わせ、男前女子と騒ぎになったり、女の子の一人が家の近くをバスが通って、降ろしてくれと懇願したり、相変わらずサマランダ―を困らせる。

 

喉が渇いたと言うので車を止め、サマランダ―とマシャディが飲み物を買いに行き、皆は店のテレビでサッカー観戦する。 

サマランダーが買い物をしている店ではテレビの実況中継をしている



走り出したバスで、皆、ラジオで試合の続きを聴きたがるので、調子の悪いアンテナをサマランダ―が支えるが、「ずっと押さえてられない」と言うと、「しっかりやって!」と一斉に囃(はや)し立てる女の子たち。 


ラジオから中継が聴こえてきた。

 

「競技場をびっしり埋めた約8万人の観衆が熱狂しています。主審が今、笛を吹きました。ロスタイムは3分…あと3分をしのげば、イランのワールドカップ出場が決まります」 


車内は大いに盛り上がる。

 

「残りはたった3分よ!」 


皆、固唾を飲んで試合経過を聴き入る。

 

「…蹴ったボールが大きくピッチを戻って、イランのゴール前から外へ。残り2分です」

 

ここで、ラジオの音声が途切れ、「何よ!」と文句を言われたサマランダ―が体を伸ばして修正し、再び中継が聴こえるようになった。

 

「…敵を巧みにじらす…残り1分を切りました。あとわずか数秒です。プレイが続きます。すべての観衆が、主審の笛を待ってます。バーレーンの敗色濃厚。ここで選手たちが油断しないように…イラン勝利!ワールドカップ出場決定です!」

 

車内で大歓声が上がり、マシャディがサマランダ―にキスをして、「勝ったんだよ!」と手を叩く。 



突然、爆発音がしてサマランダ―が驚くと、小僧が爆竹を鳴らしたのだった。

 

小僧は女の子たちに花火を配り、皆ではしゃぐ中、一人、ペイント女子が泣いている。

 

「なぜ泣くんだ?…あんた、なぜ競技場に入ろうとしたんだ?」


「彼のために…日本戦のとき、事故で死んだ7人の一人なの。彼も試合が見たかったろうと思って」


「泣くなよ」

「お祝いしようよ」

「彼も喜んでるさ」

「何だか悲しくなって」

「ワールドカップだよ」

 

皆に慰められ、少し元気になったペイント女子。 


映画の序盤で、女子と判別できる下手な細工をして、競技場入りに拘泥する彼女の行動の意味が回収されたのである。

 

「どいて、どいて」


そう言うや、小僧が花火をペイント女子に渡す。

 

「あげるよ。彼の思い出に」

 

ペイント女子に笑顔が戻り、皆は「ワールドカップに行くぞ!」と盛り上がっている。 


その様子を見ているサマランダ―とマシャディは、優しい表情を浮かべている。 


併走する車と「イランは勝つぞ!」と呼応し合い、バーレーン戦勝利のお祭り騒ぎは続くのだ。

 

街は人々が繰り出してごった返し、車が渋滞してストップすると、ドアを開けて男が入って来て、食べ物を振舞う。

 

「兵隊さんも踊ろうぜ」

「踊れ!踊れ!」

 

混乱の中、「この隙に逃げよう」と男前女子が言うと、次々にバスを降り、『おお、イラン』の歌をバックにして、小僧から受け取った花火を掲げたペイント女子を先頭に、女の子たちは飛び跳ねながら雑踏を練り歩いていく。 


ペイント女子



ラストシーンである。

 

「『おお、イラン』は、イラン人が最も愛している母国の歌とも言える。約40年前に作られ、パーラウィ王朝やイスラム革命後、いつの時代も国歌にはならなかったものの、イラン人にとっては国歌より意味のある大切な歌として歌われてきた」(映画での解説)

 

“おお イラン

我らが宝の祖国

 

実り豊かの大地

悪魔の思想に紛れることなく

イランよ 永遠に栄あれ

 

敵よ お前が石ならば

私は鉄になろう

 

祖国のためなら命をも捧げよう

祖国への愛が心に潤うとき

祖国だけを思って行こう

 

祖国のためなら命も惜しくない

イランよ永遠に偉大なれ  

 

 

 

3  「都会の女たち」の熱気は、地方から出て来た兵士の男を圧倒する

 

 

 

「確かに女性が観戦できないが、軍がゲートで検問して女性とわかると連行される。国民的な不文律として常識化している。1979年以後(注)に見られる。映画自体は男装してまで入場するのをユーモラスに描いたもので、罰則は描かれていない。実際は警察に連行されて、身元引受人を呼ばれる。その場で二度としないと念書を書かされ、それでも破った人は罰金、或いは懲役が課せられるであろう」

 

ジャファール・パナヒ監督のインタビューでの言葉である。 

ジャファール・パナヒ監督



【注/シーア派宗教指導者ホメイニ師に率いられ、アメリカの援助を受け、国の西洋化を進めたパーレビ国王による開発独裁の体制を倒して、同年2月に確立された「イラン・イスラム革命」のこと。同年11月、アメリカに亡命した国王の身柄引き渡しをアメリカ側が拒否したことで、過激なイラン人学生による「アメリカ大使館占拠事件」が出来し、81年1月まで大使館の占拠が続くという異常な事態が惹起する。爾来、シャリーア(イスラム法)が適用され、映画を初めとする殆どの文化がイスラムの教えに沿ったもののみが許されていく。特に女性には、外出時のヘジャブ(ヒジャブ)と呼ばれる頭や身体を覆う布の着用が義務づけられるなど、イスラム原理主義を理念とした政治が展開されることとなった】 

ホメイニ師(ウィキ)


パーレビ国王(ウィキ)


イラン・イスラム革命


アメリカ大使館占拠事件


イスラム教徒の女性の衣装



―― 以下、簡単な映画批評。

 

パナヒ監督が言うように、ユーモラスに描かれたコメディ基調の映画の面白さは生半可ではなかった。

 

女性たちはサッカーの試合を見たいだけで、特に反政府運動に加担しているわけではない。

 

単に母国イランを応援するために、スタジアムでの生の観戦を享楽したいのだ。

 

観戦できない悔しさをラジオ放送で必死に聴き取り、一丸となって応援する。

 

ワールドカップの出場が決まった時の、彼女らの弾けまくる情態は凄まじかった。 


「都会の女たち」の熱気は、地方から出て来た兵士の男を圧倒するのだ。

 

「都会の女たち」の心身を柵で囲い込み、警察を待つだけの兵士の男たちは、概(おおむ)ね優しく穏やかだった。 

警察車両の中で女の子たちが歓喜する様子を見ている兵士



「俺は今、休暇中のはずなんだ…俺が駆り出されたのは、お前らのせいなのさ。都会の娘が遊びまわって。今頃は村で家畜の世話をしてたはずなんだ。お袋が病気で放牧に行けないし、雨が降らなくて、作物が枯れそうだ…」 


逮捕者の管理を任された兵士・サマランダ―の、この思いはとても理解できる。

 

「試合さえ見せてくれたら、奴隷のように働く。お袋さんや家畜の世話もするし、放牧にも連れてく…」と言い放った都会女子の思いも分からなくはない。 


然るに、そこに埋めがたい落差が生まれる。

 

「都会の女たち」⇔「招集兵士」との感情の落差である。 


それは、都市と農村の落差である。

 

同時に、女性の観戦を禁じる「イスラム基準のルール」と、そのルールに則って観戦の度に農村から招集されることで、ストレスコーピング(適切なストレス対処)の手立てを持ち得ない若者たちの立場との相殺し得ない落差である。

 

「イスラム基準のルール」には、確かに理屈はある。

 

「汚い言葉」から女性を守る。 

「試合を見るのは犯罪じゃないわ」(国旗女子)というクレームに答えるサマランダ―



それが道理に叶っているか否か、考えれば分かること。

 

男社会のルールの押し付け以外の何ものでもないことを。

 

その意味で、本質的に女性差別であると言える。

 

誤解され、膨れ上がって認識の歪みを生むバイアスの故に、イスラム教は女性を差別する宗教という偏見が巷間に広まっているが、基本的にイスラム教は女性を差別する宗教ではない。

 

女性と男性を区別し、相互扶助し合いながら生きていくための宗教という解釈が正解なのである。(拙稿 時代の風景「イスラム教は誤解されている」を参照されたし) 

聖地メッカのカーバ神殿/「イスラム教は誤解されている」より


外出時のヘジャブの着用が義務づけるシーア派国家「イラン・イスラム共和国」や、女性の権利を剝奪(はくだつ)するスンニ派組織の「イスラム国」(ISIL)、更には、アフガニスタンで実権を掌握し、女性の教育権すら奪い取るスンニ派組織「タリバン」等のイスラム原理主義と混同してはならないのだ。 

『イスラム原理主義=テロ組織』のイメージが定着してしまった事情とは」より



閑話休題。

 

それでもなお、女性のスポーツ観戦は許されなかった。

 

男子にあって、女子にないもの。

 

スポーツ観戦というガス抜きの手段の選択肢の有無である。 

スポーツ観戦は男たちのガス抜きの手段(映画より)



そのため、1979年のイスラム革命以来、イラン人女性のスポーツ観戦は認められていなかった。

 

イラン、女性のスタジアム観戦を許可…今月にファンが焼身自殺の悲劇」(2019年9月25日)というサイトによると、本作で描かれたW杯予選のイラン対バーレーン戦(2005年)で、少人数の女性ファンがスタジアム外で抗議を実施した一件が契機になって、「オープン・スタジアム運動」というイランでの女性の観戦解禁を求める活動が続けられ、2018年のロシア・ワールドカップでもイラン代表などの試合で横断幕を掲げてサポートを訴えていたという。

 

また、国際人権団体『アムネスティ・インターナショナル』によると、2019年3月にはテヘランに本拠地を構えるエステグラルのファンであるサハル・ホダヤリさんが男装してサッカースタジアムに入場しようとしたところを見つかり逮捕されていた。

 

彼女は9月2日に出廷したが、裁判所前で自らガソリンを浴びて焼身自殺を図り、7日後の9日に亡くなっていた。「ブルー・ガール」と名付けられたホダヤリさんの自殺は世界中の注目を集め、イランでの女性の観戦解禁への機運が高まり、これが推進力となって、国際試合に限り女性のスタジアム観戦が認められるようになったそうだ。 

同記事より


もとより、ジャファル・パナヒ監督は、本作の「オフサイド・ガールズ」などの作品が反体制的だという理由で、2010年に逮捕されて以来、当局の目を逃れて映画を撮り続け、その度に国際映画祭で受賞し、高い評価を得ている驚異的な映画作家である。

 

監督自身がタクシー運転手に扮して、テヘランの街に暮らす乗客たちの人生模様を描く「人生タクシー」がそうだったように、2010年に、6年間の懲役と渡航の禁止、「20年間の映画監督禁止令」を受けるという負の状況を逆手にとって物語を作り、自身で主演する映画を作り続けている、知る人ぞ知る反骨の映画作家なのだ。 

人生タクシー」より



パナヒ監督の逮捕に対して、スピルバーグ、フランシス・フォード・コッポラ、ロバート・レッドフォード、ロバート・デ・ニーロら、世界中の映画人が猛抗議し、パナヒ監督の釈放を要求する嘆願書を作成する行動が話題になった。

 

1週間を超えるハンガーストライキを行った結果、保釈金を払い釈放されたが、その後も、パナヒ監督の挫けることのない闘いが続き、その不屈の精神に終わりが見えない。

 

かくて、そのパナヒ監督が、2022年7月反対派を取り締まる渦中で再逮捕され、刑務所においてハンガーストライキを断行したパナヒ監督は、こう言い切った。

 

「釈放されるまで、私はいかなる食料を食べることも飲むことも、医薬の服用も拒否します。おそらく命が消えた私の体が刑務所から解放されるまで、私はこの状態に留まります」

 

高名な映画作家を殉教者にさせないために、イラン政府は2023年2月に一時釈放。

 

その際にパスポートが返却され、事実上、出国禁止命令が解かれるに至った。

 

4月には、息子たちが暮らすフランスへ行ったことが報道され、「闘う映画作家」としての面目躍如を果たすことになる。

 

民主化を求める終わりの見えない彼の存在は、多くの映画人のサポートを得て、未来を照らす一筋の希望の灯りを守り続けている。

 

拙稿「チャドルと生きる('00)の批評では、パナヒ監督の言動に対する理解が不足していて恥じ入る次第だが、今や、国家権力と命を懸けて闘う稀有な映画作家の動向に注目せざるを得ない。 

チャドルと生きる」より


尊敬の念に堪えない映画作家である。

 

 

 

4  「私は恐れていない。私を見よ。私には力がある」

 

 

 

2022年9月16日のことだった。

 

22歳の一人の女性が警察に逮捕された。

 

逮捕理由は、スカーフを適切に覆っていなかったこと。

 

適切に着用していなかったスカーフとは、ヘジャブ(ヒジャブ)と呼ばれる頭や身体を覆う布。

 

この国では、全ての女性がヘジャブを適切に覆っていなければ警察に逮捕される十分な根拠になる。

 

この警察の名は「道徳警察」(風紀警察)。 

女性に説教し、叱責する道徳警察(ウィキ)


テヘランのメラット公園に停車している道徳警察の三菱・デリカ車輌(ウィキ)



服装の戒律違反を犯した人々の逮捕を任務とするので、「服装警察」という別称を有する国家機関だ。

 

この国家機関は、ヘジャブの適切な着用を怠っている女性を拘束するために、人通りの多い街頭に常に立っていて、目を光らせて警邏(けいら)している。

 

性的寛容性など、この国には存在しない。

 

トランス女性へのハラスメントが惹起しても許容される件(くだん)の国の名は、言うまでもなくイラン・イスラム共和国。

 

ウクライナ侵略という蛮行を止めないロシアに、高性能の攻撃用ドローン(シャヘド136/自爆無人機)を大量に供給している軍事生産大国だ。 

シャヘド136(ウィキ)



「服装警察」を日常的に警邏させるこの軍事生産大国=原理主義国家によって留置施設で暴行され、死に追いやられたそのクルド人女性、マサ・アミニさん(マフサ・アミニ)の事件の広がりは、イランでかつてない規模の抗議行動を巻き起こし、世界各地で連鎖していった。 

マサ・アミニさん


マサ・アミニさんの眠る墓地に続く道を歩くデモ参加者。車の上にはヒジャブを脱いだ女性が立っている


トルコ・イスタンブールで抗議集会に参加する女性たち


抗議行動の最中に被害を受けた人の顔写真を掲げる女性。頬にはイラン国旗がペイントされている


オーストラリア・メルボルンの抗議者


イランの反政府デモはクルド人居住地域で始まり全国へと広がった


「女性、命、自由」がイランの抗議運動のスローガンとなった。写真はメキシコシティでイランの抗議運動を支持する女性


抗議運動に対する徹底的な弾圧によって、複数の犠牲者を出したこの事件だったが、一年が経ち、ヒジャブ未着用の女性は現在、5000~50万イラン・リアル(約18円~1760円)の罰金が科されるか、10日~2カ月収監される恐れが絶えず在る。

 

2023年10月現在、この抗議運動は収束したかに見えるが、事件に端を発した女性たちの自発的運動は、イラン・イスラム共和国の底層で根付いているのである。

 

以下、署名入りのBBCニュースの記事「『私は好きなものを着る』 イラン政権に反抗する女性たち」からの一部引用である。 

テヘラン市内には、ヒジャブ未着用の人を監視するカメラが設置されている


りつぶされた反体制をうたう落書き。それでもまた新たな落書きが現れる


反政府デモで片目を失った女性に義眼 イラン



【イラン・イスラム共和国の終わりをどれだけの人が望んでいるのか、正確に測ることはできない。

 

しかし、映画監督のモジュガン・イランルーさんによれば、体制への怒りは拡大しているという。

 

同監督は昨年10月、ベールを脱いでイランの最高指導者を批判し、4カ月間投獄された。先月にも再び短期間拘束された。政権は自分を威圧しようとしたのだと、監督は言う。

 

「イランの女性たちは、もうこれ以上怖がることさえできないという限界の、その先へと追い込まれた」。

 

イランルーさんはテヘランの自宅から、私(BBC記者・キャロライン・ホーリー氏)にそう話した。 

抗議行動の最中に死亡した人の墓の前でうなだれるモジュガン・イランルーさん



ただ、最近の弾圧があまりにも「恐ろしい」ものだったため、彼女は先月10日間、インスタグラムのアカウントを停止したことを認めた。彼女は公共の場でヒジャブを外した自分の写真を、インスタグラムに定期的に投稿している。

 

1955年にアメリカで、黒人女性のローザ・パークスさんがバスの車内で白人男性に席を譲ることを拒否し、アメリカの公民権運動に火をつけた瞬間になぞらえて、「これは短距離走ではなくマラソンです」と彼女は言う。

 

「彼女は席を譲らなかった。これは単に、椅子に座り続けた人の話ではありません。『私はあなたを恐れていない。私を見なさい。私には力がある』という声明なのです」。

 

そして、それは功を奏していると、イランルーさんは言う。保守的な地域でさえ、女性に対する男性の態度は変わりつつあるのだと。


社会革命が進行中なのだ。

 

「社会はマサ(アミニさん)の事件以前の時代に戻ることはない」と、彼女は信じている。

 

「街頭でも、地下鉄駅でも、バザールでも、男性たちは女性を称賛し、その勇気をたたえています。(中略)驚くべきことに、ゴム、マシュハド、イスファハンのような宗教色の強い都市でさえ、女性たちはもはやヘッドスカーフを被っていません」。

 

イランルーさんはテヘランが拠点の外交官と同様、これは社会階層を超えた反乱だと主張する。

 

地下鉄の露天商たちもベールを脱いだという。

 

彼女は昨年、カルチャーク刑務所のシラミがわいた部屋にぎゅうぎゅう詰めに収監された時のことを話してくれた。わずか11歳で母親になった貧しい若い女性と一緒だったというが、この少女もヘッドスカーフの着用を拒んだという。

 

女性が戦っているのはヒジャブだけではないと、イランルーさんは言う。女性はいま、結婚における平等な権利なども求めているという。

 

(略)今のところ、より良い日々の到来は、遠い先の話のように思える。

 

複数の人権団体によると、マサ・アミニさんの死と、その後の弾圧の責任を追及されたイラン政府関係者は1人もいない。政権側が引き下がる様子もない。むしろその真逆だ。

 

(略)一方で、イラン国民も降伏を拒否していると、ラムジー氏(イラン人権センターのジャスミン・ラムジー副所長)は言う。

 

「イランは依然として、いつ燃え上がってもおかしくない火薬庫だ」】(『私は好きなものを着る』 イラン政権に反抗する女性たち」より)

 

このニュース記事で訴えていたように、ローザ・パークスは、単に、椅子に座り続けた人の話ではない。

 

ローザ自らの信念を貫く力があった女性の話なのだ。

 

「私は恐れていない。私を見よ。私には力がある」

 

このマニフェストを放つ時、たった一人のローザは万人のローザに変換されるのだ。 

ローザ・パークス「変化とは、恐れず最初の一歩を踏み出すこと」



(2023年10月)  

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