タイジ |
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母・光子 |
<「トラウマ」を克服し、「愛情」を得て、「尊厳」を奪回していく>
1 「僕にした仕打ちを母さんに後悔させるまで、絶対に死なないから!」
「小学生の頃、僕と姉は、こっそり母の姿を観察するのが好きでした。いつも母は奇麗で、いい匂いがして、そして、ちょっとだけ、寂しそうに見えました。僕が育ったのは、東京の川向う、この町にたくさんあった小さな工場の一つが、父の経営していた工場で、その2階が僕の住まいでした。母は頭の回転が速く、おしゃべりも上手だったので、いつも取り巻きがたくさんいて、光り輝くカリスマでした。色々な大人が母を褒め称(たた)えてくれたけど、母の一番の信者は、この僕でした。その母が僕のために手間をかけて作ってくれた混ぜご飯は、世界一なのです」(主人公タイジのモノローグ/以下、モノローグ)
タイジ少年と姉 |
タイジの母・光子/「ちょっとだけ、寂しそうに見えました」 |
「父の経営していた工場で、その2階が僕の住まいでした」 |
「いつも取り巻きがたくさんいて、光り輝くカリスマでした」 |
「母が僕のために手間をかけて作ってくれた混ぜご飯は、世界一なのです」 |
モノローグが続く。
「母には、もう一つの顔がありました。人目のないところでは、どこか不安定で、機嫌が悪く、いつもピリピリしていて、僕は戸惑いを覚えていました」(モノローグ)
「あっち、行ってよ!」 |
「母には、もう一つの顔がありました」 |
「プライドの高い母は、他人から意見されることを嫌い、逆らう人を決して許しませんでした。そんな母の宿敵は父で、夜になると激しく争っていました…お互い傷つけあっているようでした。母が僕に冷たく当たることがあっても、疲れた背中を見ると、母が消えていってしまいそうで、胸が潰れそうになりました。でも、子供の僕には何もしてあげられません」(モノローグ)
心優しきタイジ少年/「母が消えていってしまいそうで、胸が潰れそうになりました」 |
夫婦喧嘩の絶えない父母 |
「だったら、食べなくていい!」 |
「僕が産まれる前から、工場で働いていた女性がいて、血は繋がっていませんが、僕は“ばあちゃん”と呼んで、懐(なつ)いてました」(モノローグ)
母の虐待を案じるばあちゃん(以降、読みやすいように、「バアちゃん」に改める)に、いつでも、タイジは答えるのだ。
バアちゃん |
「僕が悪いの。僕って、何やってもブタなんだよね。ハッハハ」
「タイちゃんは、ブタじゃないよ」
常々、バアちゃんの、このハートフルなランゲージ(言葉)が、タイジを救う得難いメッセージになっていた。
「バアちゃんさえいれば、僕はどんな辛いことがあっても、平気だったのです」(モノローグ)
通信制の大学を出て、社会人になったタイジは、会社の昼休みに、一人で弁当を食べているところに、同僚のカナが近寄って来て、同年齢(23歳)ということもあり、会話も弾み、打ち解けていく。
タイジとカナ(右) |
何より、カナは「社会人劇団員求む」のチラシを拾ったことで、タイジに興味を持ったのである。
タイジはその劇団に入り、その中心メンバーのキミツという、金持ちで、心安く接して来る気障(きざ)な男とも親しくなっていく。
キミツ(右)とタイジ(左) |
キミツ |
タイジ |
「羽ばたけ!」と叫びながら、舞台稽古に参加するタイジ。
時系列が前後する物語は、殆どネグレクトに近い母子関係を映し出していく。
両親の不仲が炸裂した日から、数日後のこと。
「幼い僕の小さな世界が、足元からガラガラ崩れていくような出来事が襲いかかってきたのです」(モノローグ)
あろうことか、母・光子の一存で、肥満児や喘息の子を矯正する千葉の施設に、タイジを一年間、入所させることを決めてしまったのだ。
タイジの異変に気づいたバアちゃんは、事情を聞き及び、光子に激しく抗議する。
「タイちゃんさ。何か困ったことがあると、いつも、そうやって嘘笑いするでしょ」 |
二人の言い争いを耳に入れたタイジは、居た堪(たま)れずに、自ら施設に行くと言い出す外になかった。
「面白そうだから、僕、行くよ」 |
タイジが施設に向かう日に、バアちゃんはクッキーの缶を渡した。
「寂しくなったら、開けてね」
そう言って、送り出してくれたバアちゃんから渡された缶を車内で開けると、バアちゃんの宛名を書き込んだ、沢山のハガキと手紙が入っていた。
「タイちゃんは、ひとりじゃないからね。いやなことやこまったことがあったら、ハガキに書いて、ポストに入れてね」
それを読んだタイジは、泣き崩れてしまう。
一年後、笑みを湛(たた)えて帰って来たタイジを待っていたのは、離婚した母が、姉を連れ、家を出ていくという唐突な事態だった。
タイジはバアちゃんと会うことが叶わず、タクシーに押し込められた。
離婚に起因する転居は、家族の風景を変えていく。
母・光子の虐待がエスカレートしていくのだ。
「父の家を出てから、母は次第に荒れていきました。母は僕を叩くことで、不安定な気持ちを取り繕(つくろ)っていたのかも知れません……17歳になった僕は、まるで主婦のように、料理や洗濯をこなす術(すべ)が身についていました。つつがなく家事を切り盛りさえしていれば、僕はこの家にいてもいいと思えたからです。僕は何年も、息が詰まるような毎日を、じっと耐えていたのです」(モノローグ)
鞭で叩く母 |
「つつがなく家事を切り盛りさえしていれば、僕はこの家にいてもいいと思えたからです」 |
仕事や男関係で上手くいかないディストレス(強度のストレス症状)を、光子はタイジに向かって炸裂させる。
挙げ句(あげく)の果てには、タイジに向かって包丁を持ち出して、迫って来るのだ。
「死んでよ!頼むから死んでよ!」
「殺せるもんなら、殺しなよ!」
「あんたなんか、産まなきゃよかった!」
そう言うや、包丁でタイジの腕を斬りつけてしまう母・光子に対して、毅然とプロテストする。
「そんなに僕が嫌い?でもね、僕は死なないから!僕にした仕打ちを母さんに後悔させるまで、絶対に死なないから!」
魂の絶叫だった。
「出てって!二度と、顔見せないで!」
ここまで突きつけられたタイジは、未知なる人生行程を開くべく、果敢に出立(しゅったつ)するイメージと乖離し、石もて追われるようにして、母との決定的な別離を具現化する。
「このままここにいたら、自分が壊れてしまう。僕は母の金を盗み、荷物をまとめ、独りで行くことを決めたのです」(モノローグ)
それ以外の選択肢がなかったのだ。
青春期の初発点にある、17歳の時だった。
2 「僕はブタじゃない!僕はブタじゃない!」
18歳と偽り、住み込みの精肉工場に勤め始めるタイジ。
1年後、バアちゃんの消息を知ったタイジは、自宅を訪ねた。
バアちゃんの弟(左) |
死の床にあるバアちゃんに、タイジは自虐的に精肉工場で働いているという近況を話す。
「結局、変わらないんだよね。僕はブタのまんま」
「本当に心配してたんだよ。タイちゃん、無事に生きてるかなって。顔を見れて、本当に良かった」
帰り際、バアちゃんから声がかかる。
病床に戻ったタイジに、バアちゃんは声を振り絞るようにして懇願する。
「タイちゃんには、本当に笑ってほしいの。友達もたくさん、持って欲しいの。だから、言って。僕はブタじゃないって。言って!」
「僕は、ブタじゃない」
「もっと、大きな声で言って」
「僕はブタじゃない!僕はブタじゃない!」
タイジは嗚咽を漏らしながら、繰り返し、叫び続けるのだ。
死の床にあるバアちゃんの熱い思いが、タイジの中枢を揺り動かし、自己規定的な「主張」に変換させていったのである。
その後、社会人劇団の演目の準主役に抜擢されたタイジ。
それを見学に来ていたカナと、その恋人・大将は、笑みを浮かべて手を叩く。
カナ(右)と大将 |
それに気づいたタイジとキミツの4人で飲みに行ったあと、タイジの家に転がり込む。
一方、会社では営業成績のトップになったタイジだが、契約の審査を通さない不正を行っていた問題が同僚に指摘され、「売り上げを回す」と恫喝し、口止めしようとするのだ。
そんな折、会社を出たところで、キミツが車で迎えに来て、否応なしに、タイジを温泉に連れていく。
宿に着くと、既に、カナと大将が待っていた。
酒盛りの最中に、突然、母・光子からタイジに電話が入り、場の雰囲気が沈んでいく。
再婚した夫が逝去し、葬式に出て欲しいと言う話だった。
「絶対に出てよ」
「突然、勝手すぎるよ!」
そんな中、大将から風呂に入ろうと誘われると、「人前で裸になるのは死ぬほど嫌だ」と断るタイジ。
翌朝、一睡もできなかったタイジは、大将に無理やり風呂に連れていかれた。
湯船に入ると、タイジの背中は傷だらけだった。
母からのネグレクトによる傷跡である。
告白するタイジ |
それを目視した大将は、労(いたわ)り合うように言葉を添えた。
「俺にはもう、恥ずかしがるなよ」
浜辺に出て、タイジの虐待の話を共有する3人。
「子供時代って、暗黒だったんだ。生まれてきてからずっと、母さんに愛されてこなかった。毎日叩かれたり、殴られたり。子供の頃を思い出すと、修羅場みたいな記憶しかなくて。このままじゃ、本当に壊れちゃうんじゃないかって、17で家出して、それからずっと独りで生きてきた。やっといい会社入って、何とか独りで、仕事に対して一人前になれると思ってたのに…心の中でずっと母さんを責め続けてきたのに、僕がしてきたことは、あんなに憎んでいた母さんと同じだった。母さんは僕の中にいたんだ」
会社の不正を告白しているのだ。
その話を聞いた大将もカナも、タイジを励ます。
「自分を責めるな」
「もっと自分のいいところも見ないと」いつものように毒舌を吐き、「どうするか」を問うキミツ。
「誰だって、欠陥あるよ。欠陥もあることも含めて、人間て完璧なんじゃないかな」と大将
「あたしたち、今のタイちゃんが大好きだよ」とカナ。
タイジはその言葉を受けて、吐露する。
「僕はブタじゃない。明日、会社に行って謝る。僕のやった不正を告白する」
それを聞いたカナと大将は、タイジに熱誠(ねっせい)を込めて抱きついていく。
即座に、キミツが3人の笑顔の写真を撮ろうとする。
「笑いたいのに、笑えないんだよ…どうやって笑っていいか分かんなくなっちゃった。今までにこんなに嬉しかったこと、僕、一度もなかったから」
「こんなに嬉しかったこと、僕、一度もなかったから」 |
ここでも、友人たちの熱い思いが、タイジの中枢を揺り動かしていく。
「やっと、さらけ出したな」
キミツはそう言って、シャッターを切った。
その直後の映像は、バアちゃんとの最後のエピソード。
葬式の日、既に亡くなったバアちゃんの弟から、遺品となったクッキー缶を渡されるタイジ。
その中には、タイジが投函しなかった一枚のハガキが入っていた。
「“お母さんがどんなにぼくをきらいでも、ぼくは、お母さんのことが大好きです”」
児童期の思いを噛み締めて、葬式に向かったタイジは、6年ぶりに母と再会した。
そこで、タイジの伯母である光子の姉から、結婚生活が幸せだったことを聞かされる。
タイジの伯母(左) |
その夜、物故(ぶっこ)した再婚相手とのスナップ写真を見るタイジに、旅行の思い出を愉(たの)しげに話す光子。
「あの人に出会うまで、いいことなんて何もなかったから」
その直後、事業を引き継いだと言う光子は、早速、仕事を始め、タイジに「もう帰っていい」と言うのみ。
「今日は助かった。こっちの親族が誰もいないと、みっともなくて、恥かくとこだった」
「それだけ?それだけの理由で僕を呼んだの?」
何も答えず、パソコンに向かう光子。
母は何も変わっていなかったのだ。
この時、タイジは、光子が高血圧で処方された薬を、忙しさを理由に半年前から服用していない事実を知らされる。
きちんと食事をして、薬を飲むように促すタイジを、光子は「うるさい!」と言い放ち、鬱陶(うっとう)しがるばかりだった。
母親に絶望したタイジは、カナが悪阻(つわり)で倒れたという連絡を受け、キミツの車で急いで病院へ駆けつけた。
4人揃った場で、大将が母親との関係で悩むタイジに忠告する。
「親に変わって欲しかったら、まず自分が変われ。子供が変われば、親も絶対変わる」
この言葉を受け、タイジは母・光子の子供時代について、伯母の話を聞きに行く。
母子家庭で育ち、姉妹の母親は貧しさのストレスもあって、妹の光子ばかりが殴られ、虐待されていたと言うのだ。
その後、18歳の時に家を出た光子は、タイジの父と出会って結婚したというエピソードを知らされる。
衝撃を受けるタイジ |
その話を聞いたタイジは、光子の家に勝手に上がり込み、食事の支度や掃除をして、光子の生活をサポートし始める。
そんな時、掃除中に割ってしまった花瓶の中から、1億8千万円という多額の借金の督促状を見つけてしまう。
「自己破産しようよ。大丈夫、今ならまだやり直せるから」とタイジ。
「自己破産なんて、みっともない。絶対にイヤ!」と母。
光子が脳梗塞で倒れたのはその時だった。
タイジは光子を背負い、病院へと運び込む。
病室で目を覚ました光子は、ぼそりと呟く。
「母さん。どう、調子は?」 |
「いっそ、死んじゃえばよかった」
リハビリ施設に入所するように尻を叩くタイジに対し、光子は再び激しく拒絶する。
「自己破産させるために、そんなところに押し込むつもりなんでしょ」 |
「今すぐ、出てって。二度と顔見たくない」
母の病室を出たタイジは、病室を振り返り、力強く言い切った。
「負けてたまるか!母さん、あんたと対決だ」
タイジがキミツと共に、光子の病室に面した駐車場で、演劇のパフォーマンスをするのは、「宣戦布告」の直後だった。
光子が窓を開けると、歌って踊っているのが、ニワトリの舞台衣装を着たタイジだとすぐ分かった。
「羽ばたけ!羽ばたけ!」
タイジとキミツ |
最初は止めなさいと叫んでいた光子だが、いつしか、タイジのパフォーマンスに見入っていた。
「止めなさい!」 |
喝采を送る患者さんたち |
「母さん!みっともなくていいじゃん!僕なんか、母さんからも、学校からも、みっともないとか、気持ち悪いとか言われて、それでも、生きてきたんだよ!だから、母さんも頑張ってよ!頑張ってよ!僕がいるから!」
「気持ち悪いとか言われて、それでも、生きてきたんだよ!だから、母さんも頑張ってよ!!」 |
警備員に連れ去られながら叫ぶタイジの呼びかけに、光子は思わず嗚咽する。
退院した光子と、土手に座って語りかけるタイジ。
「僕ね、今までお母さんのこと、ずっと憎んでた。死ねばいいと思ってた。地獄へ落ちろと思ってた。でも、大好物の混ぜご飯食べたかったからさ、お母さんと同じ味に作れるようになるしかなかったんだよ。自己破産しよう…お母さんが何をしてたって、僕は、お母さんのこと大好きでいるからさ」
「でも…」 |
「大好物の混ぜご飯食べたかったからさ、お母さんと同じ味に作れるようになるしかなかったんだよ」 |
「自己破産しよう」 |
「お母さんが何をしてたって、僕は、お母さんのこと大好きでいるからさ」 |
「ありがとう…ありがとう。タイジがいてくれて、よかった」
滂沱(ぼうだ)の涙を流すタイジが、今、ここにいる。
「それから母は暮らしを立て直し始め、自己破産の申請をし、みるみる体調も回復していきました…でも、残念ながら、今はもう、母はこの世にいません。そして、生きているのが辛くて泣いていた自分も、もういません。短い間だったけれど、僕は、母と親子の時間を過ごすことができました。母さん、僕を生んでくれてありがとう」(モノローグ)
混ぜご飯を作るオープニングシーンに円環する物語は、仲間に囲まれながら、母の遺影を見るカットで閉じていく。
「短い間だったけれど、僕は、母と親子の時間を過ごすことができました」 |
「母さん、僕を生んでくれてありがとう」 |
3 「トラウマ」を克服し、「愛情」を得て、「尊厳」を奪回していく
「紋切り型の毒親」像を否定し、「壊れやすい人間の儚(はかな)さ」を持つ「愛を知らない再生する母親を描きたかった」(御法川修監督インタビューより)
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御法川修監督 |
作り手の言葉である。
その思いは、映像からひしひしと伝わってくるが、母を想うタイジの行動に容易に理解が及ばず、面食らったのは事実。
とりわけ、前半と後半の落差に違和感を覚えてしまった。
友人関係の御座(おざ)なりの処理にしっくりしなかったのも、一因。
それでも人間は多様であるが故に、ネグレクトされても、母に向かうタイジのような青年がいないと言い切れないのは、原作者・ 歌川たいじ氏の以下のインタビューを読めば一目瞭然となるだろう。
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歌川たいじ氏 |
「母とは決別したつもりでいたけれど、母親が亡くなる前、病気や借金で大変になった時に再び頻繁(ひんぱん)に会うようになりました。母に認めてもらいたかったからではなく、僕には、自分を認めてくれる別の『家族』ができたから、再び母に向き合えたのだと思う」(「『僕はブタと一緒』壮絶な虐待描いた映画の問い 生還までの道のり」)
ここで言う「家族」とは、言うまでもなく、キミツ、大将、カナのこと。
「18歳で、その後友達になる『キミツ』に出会いました。『僕はこんな風に育ったから、感じの良い青年にはなれないし、人から愛されない』と話すと、『本当のうたちゃんはそうじゃないでしょ』と言われたんです。考えてみたら、もっと奥には、人間が大好きな自分がいた」(同上)
タイジと共に、パフォーマンスするキミツ |
「会社の同僚だった『かなちゃん』は『うちの子になりなよ』と言ってくれました。かなちゃんの恋人の『大将』は、僕が『欠陥品のように感じる自分は幸せになれる気がしない』と言うと、『欠陥も含めて人間は完璧なんだ』と言ってくれた。3人が、死んでも失いたくない友達になり、僕にとっての『家族』になりました」(同上)
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出会って、その日のうちに友人になる大将 |
「欠陥もあることも含めて、人間て完璧なんじゃないかな」(大将) |
会社の同僚のカナ |
歌川たいじ氏の言葉には、読む者を納得させるものがある。
なぜなら、氏のインタビューには、「家族」を得るまでの孤独が語られていたからである。
「友達を作りたいと思ったのですが、周りの人たちはキラキラしてて、まぶしくて近寄れないんですよ。話しかけてみてもアラを見つける癖があるから、ひどいことを言ってドン引きされて、の繰り返し。何度もノックアウトされて撃沈して。絶望して、あまりにつらくて家にもいられず、新宿の街をずっと歩き続けたこともある」(同上)
この辺りの絶望感が、映画の中で精緻に表現できていないから、タイジがキミツ、大将、カナとの出会いに至るまでの心的行程が、観る者に伝わってこなかったばかりか、「うちの子になりなよ」とまで言ったカナちゃんらとの濃密な交叉の遷移が、表現のレベルにおいて御座なりになってしまったように思えるのである。
「母から布団たたきでたたかれると、ハート形のあざができるんです。父が経営していた工場で深夜に縛り付けられたり、階段の上から突き落とされたり。胸元や腕には包丁の傷痕がまだ残っています」(同上)
これほどのネグレクトを被弾した歌川たいじ氏が、自らの変化について語っている。
「それまでは傷にしがみついて生きていた。『痛い』と思うことで生きていることを実感するというか……。だから、傷がなくなると困るわけです。薄紙が1枚1枚はがれるように、何度も揺り戻しを経験しつつ、少しずつ変わっていきました」
氏のこの内面の変化が、映画の中で表現されることなく、単純に、家を出たタイジが、友人関係を得て変わっていったという御座なりの処理で済ましてしまったから、私には、物語の後半で覚えた違和感が拭えなかったのである。
―― ここから、タイジの心理について簡単に言及したい。
何より、ネグレクトは、それを被弾した者の心と脳に大きな傷跡を鏤刻(るこく)し、青年期・成人期になってからも精神的後遺症となって残り、パーソナリティ障害(人格障害)を惹起させやすいのは、よく知られていることである。
拙稿・人生論的映画評論「市民ケーン」でも言及したように、幼児虐待の克服課題には、「トラウマ」・「愛情」・「尊厳」という艱難(かんなん)なテーマがあると、私は考える。
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「市民ケーン」より |
まず、タイジが被弾したネグレクトを正確に言えば、「愚行録」の批評でも触れたように、児童期における、ネグレクト一歩手前の「マルトリートメント症候群」(不適切な養育)⇒引っ越し後の児童期以降の完全なネグレクトという風に分けられる。
ここで問題なのは、後者の凄惨なネグレクトである。
だから、青年期に踏み込んだタイジにとって、背中に傷跡を持つほどのネグレクトに遭った「トラウマ」の大きさは半端ではない。
ネグレクトされたタイジの傷跡 |
その後遺症は、不十分な描写だったが、孤独な青春期を繋ぐ彼の人生行程の中に窺(うかが)える。
母のみならず、他者からの「愛情」を被浴することのないタイジの自我は、「尊厳」を確保できていないのだ。
では、タイジは、「トラウマ」・「愛情」・「尊厳」という艱難なテーマを如何に克服していったのか。
これも不十分な描写だったが、紛れもなく、キミツ、大将、カナという友情を得たお蔭である。
だからこそ、「親に変わって欲しかったら、まず自分が変われ。子供が変われば、親も絶対変わる」という、この大将の言葉が唐突にインサートされ、「母との共存」という恐怖突入の行動に打って出るタイジの後半最大のエピソードが、「感動譚」のうちに括られていく手法に違和感を覚えてしまったのである。
「親に変わって欲しかったら、まず自分が変われ。子供が変われば、親も絶対変わる」 |
3人の友人に加えて重要なのは、バアちゃんの存在である。
特にバアちゃんは、児童期からのサポートがあり、タイジにとって、何より得難い存在だった。
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タイジをサポートし続けるバアちゃん |
同上 |
このことは、死の床にあるバアちゃんの傍らで、タイジが「僕はブタじゃない!僕はブタじゃない!」と繰り返し、嗚咽を漏らしながら叫び続けるシーンで再現されている。
実話であるらしいが、前に一歩進むタイジの心的行程の中で、身内よりも身内以外の人間との出会いが決定的に重要であった事実を物語っている。
結局、身内以外の人間との出会いが、タイジの克服課題のブレークスルーポイント(突破点)に大きく関与したという収束点に結ばれていく。
即ち、「トラウマ」を克服し、「愛情」を得て、「尊厳」を奪回していったという心的行程である。
最後に、タイジの母・光子について一言、書き添えておく。
「みっともない」
この言葉が、ネグレクトに及ぶ光子のパーソナリティを貫流している。
恐らく、自らが負い、封印した屈辱的なトラウマが、無意識裡に反転し、美貌と社交術を武器にして、上昇志向が膨張して形成された自我が再構築されずに、深々と内化していった彼女のパーソナリティの所産であるだろう。
逆らう者を許さないほどのプライドの高さ ―― これがあるから厄介だった。
だから、易々(やすやす)と変わらない。
易々と変わらないから、それを変えようとするタイジとの「対決」に終わりが見えなかった。
かくて、「『壊れやすい人間の儚さ』を持つ『愛を知らない再生する母親』の物語」(御法川修監督インタビュー)として描かれたのである。
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母子の収束点 |
―― 以下、映画批評的総括。
【この映画の構築力の弱さは、以上の作り手の言葉にあるように、主題提起の押し出しが先行し続けて、主題の推進力となった友情形成の行程の脆弱性にシンボライズされるような、構成力の手薄さについて指摘せざるを得ないのである。
多用されるモノローグと説明台詞のうちにエピソードを押し込んでしまったことによって、構成力の脆弱性が露わになったのではないか。
尺長(しゃくなが)になってもいいから、心穏やかな友人らとの関係交叉の心的行程を、丁寧に描くべきだったのではないだろうか。
ここでも、太賀の表現力は圧巻だった】
(2021年7月)
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