【ほぼ映画の提示する時系列に沿って書いていきます。】
1 「俺もカンちゃんも、あんたに死なれたくないんだよ!生きてて欲しいんだよ!」
3.11から9年後、仙台市。
宮城県で2020年まで使用されていた仮設住宅(映画より) |
それは残忍さを極める事件だった。
老朽化した誰も住んでいないアパートの一室で発見された男の死体は、手足を拘束され、口に粘着テープを貼られたまま、脱水状態で餓死させられていた。
被害者の名は三雲忠勝(みくもただかつ)。
三雲は健康福祉センターに勤務し、生活保護課の課長の職務を担っていた。
早速、県警捜査一課の笘篠(とましの)と相棒の所轄署の刑事・蓮田(はすだ)が、三雲の勤務先へ聞き取りに行く。
笘篠(左)と蓮田 |
応対した所長は、三雲は「お人好しで、誰も妬まず、恨みもせず、そんな得難い管理職だった」と言い、直属の部下である円山幹子(まるやまみきこ)からも、三雲が「善人」だったとの証言を引き出した。
幹子 |
笘篠は3.11で妻子を喪い、「変わり者で出世できない」と噂される中年刑事である。
一方、当時、笘篠が行方不明の妻子を探しに来た避難所にいた利根泰久(とねかつひさ)という男が、その後、放火事件で服役した後、仮釈で出所したところだった。
乳児の時に親に捨てられ、施設で育った利根は、保護司の世話で鉄工所に勤め始めた。
利根(左)と保護司(右) |
利根は今、3.11の避難所にいた頃の出来事を回想している。
パンの配給の順番に強引に入ろうとして殴られ、水たまりに顔を押し付けられた後、濡れたまま階段に座っていると、遠島けい(とおしまけい/以下、読みやすくするため「ケイ」と表記する)がそっとタオルを渡す。
ケイ |
「ふてくされた顔しないで」
いつもケイの傍にいて、震災で母を亡くした黄色いジャケットを着た女の子・カンちゃんと共に、3人は寄り添うように並んで座っていた。
その遺体安置所で、妻の遺体を発見した笘篠。
「この、腕時計を握ってました。発見場所から言って、一度沖まで流され、岸に辿り着いたんだと思います」
「腕時計は、息子のです」
表に出ると、妻子の幻影を見る。
喪った妻子を鎮魂する笘篠 |
傍らにカンちゃんがいた。
カンちゃん |
現在。
生活保護に纏(まつ)わる怨恨説で事件を追う笘篠と蓮田は、その実態を知るために、幹子に頼んで、スーパーで働いて不正受給が疑われる女のアパートの訪問に同行した。
「働けるなら、病気の方、治ったって診断されたりしますよ」と幹子。
「ダメですか?うつ病で、生活保護の母親の娘は、塾に行ったら!…学校で調べたらしくて、娘は虐めに…生活保護受けたら、全部、我慢しろって言うんですか!」
次の訪問では、高級車を所持するヤクザ風の男に対し、幹子は傍らの刑事を利して、強気の態度で捲(まく)し立てていく。
「求職活動して、生活保護から一日も早く卒業できるようにしてください…はっきり言いますが、あなたのように遊んで暮らしている人に、受給していた分を、そっくり他の対象者に渡してあげたいんです」
笘篠に止められた幹子は、きっぱりと言い切った。
「震災が起こってから、仙台市には県内から多くの生活困窮者が入って来ました。不正受給を放置している場合じゃないんです。本当に困っている人たちがいるんです。あの震災が、すべてを変えてしまったんです」
「そんなことは分かってる」
「分かるはずありません」
そう言うや、足早に去って行く幹子。
二人目の被害者が発見された。
その手口は三雲と酷似していた。
被害者の名は城之内猛(じょうのうちたける)。
城之内猛 |
仙台福祉連絡会の副理事で、清廉潔白な人格者として通っていた。
そして、三雲と城之内は、かつて生活支援課で、同僚として働いていたことが判明し、明確に怨恨の線で捜査を進める方針が決定される。
かくて、二人が生活支援を担当していた期間に、生活保護申請を却下した案件を徹底的に調べ、当時の申請者の家を訪問することになった。
三雲が担当窓口だったという老人の話。
「善人なのか、悪人なのか、のらりくらり話はぐらかすんだ。親身に聞いてる振りして」
「結局、もらえなかった?」と刑事。
「ああ、だから、こんなんだ」
一方、幹子は生活困窮者の老女を訪ね、生活保護の申請の説得をする。
「でも、世間様に迷惑をかけてるようで、申し訳なかよ」
「そんなの、間違ってます…二言目には世間に迷惑って言うけど、それは違うんだからね。これは権利なんだって。健康で文化的な最低限度の生活。それを国が援助するのは当たり前の話なの。もっと、声を上げていいんです。声を上げなくちゃダメなんです」
幹子は上司に報告すると、あっさりと却下された。
「ダメだよ、勝手にこんなことしちゃ。申請はあくまでも本人の意思なんだから。こっちから勧めてどうすんだ」
利根の回想シーン。
いつしか、避難所からカンちゃんはケイの家で泊まるようになり、そこに利根も連れていく。
カンちゃんに誘われる利根 |
利根を連れ、ケイの家に行くカンちゃん |
利根を迎えるケイ |
ケイの家で摂る最初の食事 |
3人は共に親類縁者がいないので、避難所でも孤立している。
夜、眠りに就けないカンちゃんとケイの話を聞きながら、堪(たま)らなくなり外に出た利根は、咽(むせ)び泣きながら、振り絞るように漏らした。
「俺も、生きててよかったのか…」
「あったりまえじゃないか」
後ろから抱き締めるケイの優しさが、男の中枢を溶かしていく。
まもなく3人は一緒に暮らし、やがて、利根は就活のために栃木へ出て行った。
「いってらっしゃい!」
「行ってきます」
照れくさそうに、笑って応える利根。
現在。
利根がカンちゃんの里子として育った家を訪ねて行くと、そこにカンちゃんは住んでいなかった。
郵便受けから封筒を持ち出し、印刷された児童園に電話をして、カンちゃんの所在を訊ねる利根。
一方、事件の捜査は遅滞なく進行していた。
申請却下の書類の捜査から、福祉事務所長の指示で隠蔽された案件が見つかり、その書類の提出を笘篠が迫っていく。
その申請者の名前にケイがあり、一緒に付き添っていた利根の名を聞き出したのである。
ここから、本件容疑者として利根泰久を手配することが決定し、所在確認が始まった。
程なくして、通報から利根を発見した笘篠と蓮田が、弾丸の雨の中、逃走する利根を追い駆けるが、見失ってしまう。
利根は仕事を終えて、事務所から出て来た幹子を待っていた。
この幹子こそが、カンちゃんだったことが明らかになる。
「どうして?あと2年は服役しているって」
「模範囚だったんだ」
「今は、私には私の生活がある」
「何で、あんな職場入った?そこまでして」
「救いたい。今更だって、思うかもしれないけど。だから、やってる」
「無駄だ。誰も救えない」
「利根さんこそ、止めた方がいいと思います」
そう言うや、幹子は去って行った。
回想シーン。
久々に、ケイたちのいる家に戻った利根。
道すがら、自転車に制服姿の女子学生に声を掛けられた。
カンちゃんだった。
「おかえり」
「ただいま」
利根は、カンちゃんを自転車の後ろに乗せ、二人は楽しそうにケイの家へ向かった。
すると、ケイは布団を敷いたまま横たわり、反応がない。
利根は、預金通帳を調べるなどして、ろくに食事も摂れていないケイの暮らしぶりを心配し、生活保護を受けることを勧める。
「いくら自分の生活が苦しくなったからと言って、国に面倒見てもらいだくねぇ」
「何言ってんだ。飢え死にするぞ」
「そういうことは、他人が口出しすることでねぇ」
ここで、利根は声を荒げる。
「何が他人だよ。ふざけんなよ!俺もカンちゃんも、あんたに死なれたくないんだよ!生きてて欲しいんだよ!本当の母親のように思ってるから。そんなことも分かんないのかよ」
「そんなことも分かんないのかよ」
二人の顔を見つめ、ケイは意を決して言った。
「分かったよ。行ってみる」
早速、利根とカンちゃんが付き添い、福祉事務所を訊ね、交渉する。
最初に窓口で取り次いだのは上崎岳大(かみさきたけひろ)。
上崎 |
その次に対応したのが三雲だった。
三雲 |
三雲にケイとの関係を聞かれた利根は、知り合いだと答えた。
「だったら、お祖母ちゃん、助けて上げられないですか…地域や社会の助け合いっていうのは、貧困解決するには一番で、生活保護なんか、そういうのに比べたら力ないんですよ」(三雲)
それでもカンちゃんは、「申請書類を下さい」と頼むと、「本人の意思じゃないといけないんです」と言われ、三雲に返される。
二人に促されたケイは、明言する。
「生活保護、申請します」
現在。
ケイの生活保護の申請をしたときの窓口担当が、現国会議員の上崎であることが判明する。
結局、生活保護の申請は通っていたが、支給されることなく、ケイは餓死してしまう。
それを知ったカンちゃんは、駆けつけた利根の胸に泣き崩れる。
二人は福祉事務所に走り、担当の三雲に怒りをぶつける。
三雲は、ケイが自分で取り下げたと言い張り、利根はそれを否定して、三雲の胸倉を掴むしかなかった。
「ケイさんがそんなことするわけねぇだろうがよ!」 |
「生活保護はあくまで、本人の申請です。こちらから押し売りすることはできません。対応は問題ありませんでした」(三雲)
そこに、城之内所長が割って入って来た。
「平成13年、生活保護法改正案が国会を通過し、翌年から施行されました。この改正案の主な目的は、申請の厳格化と扶養義務者への支援強化です。生活保護利用率が日本では1%台なのに対し、アメリカ、ヨーロッパでは、5から10%。そうした現状に対し、国連は日本政府へ貧困問題に関して勧告まで出してきた。そういう国に住んでるんです、我々は。君に言っても分からないだろうけど…震災では多くの人が理不尽に命を奪われた。それに比べれば、君たちの境遇には理由がある。そういうことを、よく考えてみたらどうですか?他人のせいばかりにせず!」
城之内を凝視する幹子 |
「そういうことを、よく考えてみたらどうですか?他人のせいばかりにせず!」 |
吐き捨てるように言うや、車に乗り込む城之内。
「死ぬ時ぐらい、人間らしく死にたい。誰かに看取(みと)られて。そういうの、もう難しいんですよ。死ぬ時は独りだから」
三雲もまた、利根の目を見据えて言い放ち、車を発進させていく。
置き去りにされた利根の眼光だけが、役所の人間を炯々(けいけい)と射ていた。
2 観る者だけに届く被災者の、その埋もれゆく悲哀を提示して閉じていく
「泰久兄ちゃんは…利根さんは、自分の気持ちを表すのが苦手だけど、本当は心の優しい…私が知ってる利根泰久は、そういう人間です」
訪ねて来た笘篠に、幹子そう答えるのみ。
過去。
利根とカンちゃんが、棺を焼却炉に見送る際、上崎が駆けつけ、泣きながら声を振り絞った。
「死んじまったら、お終いだ。お終いじゃないか…」
その直後、利根は福祉事務所に火炎瓶を投げつけ、放火した。
上島の福祉と貧困問題を訴える講演会場で、多数の刑事たちが見張る中、ボディーガードに守られて帰ろうとする上崎の車の前に、利根が立ちはだかった。
話があると上崎に迫るが、笘篠刑事らに捕まり、利根は署で一連の事件の自白をする。
「謝罪を要求するように、あいつ(上崎)に言ってくれ」 |
幹子は職場のネットで、利根逮捕のニュースを見た。
上崎に謝罪を要求する利根の言い分を伝えに、笘篠刑事らが上崎の事務所を訪ねた。
そこで、意外な事実を知らされた。
ケイには、離婚した暴力を振る前夫との間に娘がいたが、再婚時に連れて行けず、里子に出したと言うのである。
「遠島けいさんには子供がいました。理髪店の主人と一緒になる前に、結婚して娘さんがいたんです」 |
事情を知らずに育った娘に対して扶養照会をできないと言うケイは、三雲の勧めに従い、受給の辞退届を書いた。
以下、その現場に立ち合った上崎の、笘篠らへの説明。
「遠島さんは、大変なことになってしまう。僕にも分かってました。だけど、その時は思考停止みたいな状態で…皆、疲れていました。三雲さんは、震災の後、全員を救うことはできないって、いつも言ってました。僕も、震災で家族を亡くしてるから、三雲さんの気持ちは、よく分かりました。震災に、多くの雑務、国や厚労省から言葉にならない圧力、一方で不正受給。そんな時、三雲さんが言い始めたのが原理原則でした。それが、結局は、多くの人を救うことになると、そう信じたんだと思います」
ケイを案じる上崎の話に嘘がない。
その直後、笘篠と蓮田は、ケイの実の娘を訪ねて行った。
教室を開く女性(ケイの娘)に実母のことを聞くと、育ての親から死んだと聞かされていると答えた。
ケイの実娘(じつじょう) |
署に戻った笘篠は、利根の取り調べを「自分がやる」と上司に訴え、蓮田の援護もあって認められるに至る。
笘篠がケイの申請辞退の理由を利根に聞くと、彼は圧力をかけられたからと思い込んでいたので、その経緯を単刀直入に説明する。
「あいつらは最初から生活保護受けさせる気がなかったから(殺った)」 |
これで、状況は一転していく。
ケイに娘がいたこと、生みの親が金に困っていると知られたくないという理由があったと知らされた利根は、頭を抱え込んでしまった。
「扶養紹介」という、最強の障壁による「水際作戦」のプレッシャーの前に屈服させられたのである。
「でも、ケイさんは君たちに会えた。君とカンちゃんと一緒に過ごすことができて、もう一度、家族を作ることができた。その瞬間、幸せだった」
「だったら、俺たちのために、生きてくれたらよかっただろ…結局、ケイさんは死んだんだ。あいつらが、辞退させたら餓死すると分かってて、辞退届を受け取ったから。何でもっとちゃんと見てやれなかった」
取り調べ室の一角で、利根の復元不能の恨みだけが捨てられていた。
上崎の行方が分からなくなったのは、その直後だった。
笘篠が利根にそれを告げるや、猛烈に反応し、取調べ室から出ようとした。
「最初から捕まることが目的だったな!」
ここで、笘篠は利根の隠し込んでいる意図を知り、声を張り上げる。
笘篠は上崎の居場所を知り得る利根を署から連れ出して、向かったのはケイの自宅だった。
そこに、上崎を拉致した幹子がいた。
警察が来たと分かると、上崎を殺すと抵抗するが、利根が一人で話すと言って部屋に入り、幹子に犯行を止めるように説得するのだ。
「カンちゃん。もう止めよう」 |
「震災は、怪物。あたしたちが立ち向かうこともできない。突然来て、全部壊して、たくさんの命奪って。母さんも。誰憎んでいいのか分からなかった。だけど、けいさんが死んだのは違う。人間のせい。皆が悪い!皆が悪いから、けいさん、死んだんだって」
「カンちゃんの気持ちは分かる。でも、もう止めよう。上崎を殺すな。カンちゃん、止めろ、止めてくれ」
「死んだらお終い…お終いじゃないから!」
かつて、上崎がケイの焼却の際に放ったこの言葉に憤慨し、幹子は上崎を睨みつけるのだ。
利根が、襖(ふすま)に記されたケイの言葉を見るように告げると、幹子は上崎に突き付けていた刃物を下ろし、遺書の方へ移動した。
「そこにケイさんの遺言がある。死ぬ間際にやっと書いたんだ」 |
そこで、笘篠は幹子に手錠をかけ、上崎を保護する。
利根は幹子を抱き締め、襖に目をやると、「おかえりなさい」と書かれていた。
これで、もう駄目になった。
幹子は事件を起こす前に、ウェブページに自分の思いを書き、 SNSに投稿していた。
それを読む笘篠。
「…生活保護の現場では、皆懸命に働いています。不埒な1%以外は。でも、一生懸命だけでは駄目なんです。なぜなら、生活保護は、最初で最後のセイフティーネットだからです。飛び越えてください。原理原則を破ってでも、そこを突破してください。命を救ってください。申請者たちに自己責任を押し付けるなら、職員たちも責任を取ってください。私も、これが終わったら責任を取るつもりです。その上で、護られなかった人たちへ、どうか声をあげてください。心を閉ざしていると、自分がこの世に独りぼっちでいるような気になります。でも、それは間違いです。この世は思うより広く、あなたのことを気にかけてくれる人が存在します。私も、そういう人たちに救われた一人だから、断言できます。あなたは決して独りぼっちではありません。もう一度、いや何度でも勇気を持って、声をあげてください。不埒な者があげる声よりも、もっと大きく。もっと図太く」
自死に及んだ幹子は今、病院のベッドで一連の事件を回想する。
ここで、出所した利根と再会した際の会話のコアが明かされる。
「もう、誰にも止められない」と幹子。
「死んでいい人なんて、いないんだ」と利根。
利根の言葉を振り切って、帰っていく幹子 |
利根は帰ろうとする幹子の腕を掴み、凝視しながら言い聞かせるのだ。
現在。
事件に関与して仮釈を取り消された利根を、笘篠は自分の妻の遺体が見つかった海辺に連れていく。
「俺は護ってあげることができなかった。でも、君はカンちゃんを護ろうとしたんだ」
「違う。俺は護れなかった。あの日、目の前で男の子が沈んでいって、俺は助けようと思って…でも水が怖くて、ただ見てた。黄色いジャケット着た男の子が沈んでいくのを。飛び込めなかった。俺は、その子を見捨てた。だから、避難所で黄色いパーカー着たカンちゃんを見たとき、カンちゃんだけは何とか護らなきゃって。絶対、見捨てちゃダメだって」
「ありがとう。助けようとしてくれて、声に出してくれて、ありがとう」
映画は、会話の含意が観る者だけに届く被災者の、その埋もれゆく悲哀を提示して閉じていく。
3 「歪んだ復讐劇」に「殺意の揺らぎ」を見せない者の、その意志の異様な強靭さ
佐藤健の演技が際立つ社会派ドラマ。
全てとは言わないが、邦画を観てつくづく思うのは、俳優の演技が出色なのに脚本・演出の力量不足が目立って、それが作品総体の訴求力の欠損を印象づけてしまうこと。
だから、完成度が低くなる。
なぜ、この映画を犯人捜しのサスペンスにしてしまったのか。
サスペンスとしての脆弱性が剥出(むきだ)しに出て、正直、愕然とした。
批評に結ぶ気力が失せ、ここでは、その一点のみにテーマを絞って揶揄含みの物言いをしていく。
―― 粗筋で分かる通り、殺人事件の殺害動機に無理があり過ぎる。
「こっちから勧めてどうすんだ」
これは、生活困窮者の老女を訪ね、生活保護の申請を勧め、それを上司に求めて却下されるシーン。
このシーンで判然とするように、我が国の生活保護の「水際作戦」の事態がインサートされていることで社会派ドラマの体裁が整っていた。
ではなぜ、そこに殺人事件をコアにした映画に仮構せねばならなかったのか。
サスペンスとしてのエンタメ性を強調したが故に、却ってサスペンスとしての脆弱性が炙り出されてしまったと考えなかったのか。
一切は、被害者への強い怨恨に関わる心理描写を削り取ってしまったこと。
これに尽きる。
最後に明かされたのは、利根とカンちゃんの再会シーンでの短い遣り取りのみ。
「もう、誰にも止められない」
「死んでいい人なんて、いないんだ」
これだけだった。
被害者に対するカンちゃん=幹子の強い怨恨は、自らが三雲の直属の部下になるという物語の設定を提示するのみ。
サスペンス性を強調するための構成を押し出したからである。
だから、被害者への強い怨恨描写が欠落されるに至る。
国の圧力によって、「扶養照会」(後述)という生活保護の「水際作戦」を請け負わされている自治体の職務の厳しさは、利根に対する所長の物言いのシーンで描かれているので、観る者も我が国の生活保護の高いハードルが容易に理解できる。
ここで、「水際作戦」を請け負わされている事件の被害者には致命的な落ち度がないことが分かるだろう。
そこに、ケイの申請辞退の現場に立ち会った少女の恨みのルーツが垣間見えるが、その怨恨を推進力にして膨張した「理不尽さへの憤怒」が彼女の内面に生き残されていたので、目を覆う悍(おぞ)ましき事件に膨れ上がっていく心的過程の描写が、最後まで提示されなかった。
少女の怨恨が生き残され続け、三雲の直属の部下になり、復讐劇を完結させていく。
三雲と幹子が共に写っている |
「理不尽に対する抗議」と作り手は語っているが、ここで言う「理不尽」の意味が国の行政それ自身であるにも拘らず、クレバーな幹子はその現実を知悉(ちしつ)しながらも、生活保護法改正によって、それを請け負わされている各自治体の福祉事務所の職員への復讐劇に振れていくのだ。
しかし、「水際作戦」を請け負わされている担当者の辛さ・矛盾を自ら経験していくことで、そのリアルな様態が理解できていても、生活保護を担当する3人に対して異様なばかりの殺意を持ち、脱水症状を起こし、餓死させるという酸鼻(さんび)を極める事件を惹起させてしまう。
アドホックな「驚かしの技巧」に丸投げしたかのような物語の、この設定に無理があり過ぎると思わないのか。
一連の「為にする構成」に、大いに違和感を覚えざるを得ないのである。
何より、幹子の心的過程に漂動する「殺意の揺らぎ」を、この映画は完全に放擲(ほうてき)してしまうのである。
「殺意の揺らぎ」という人間の葛藤を描かなかったら、ヒューマンドラマとしての不全性を露呈させるだけではないか。
明らかに、「歪んだ復讐劇」である。
この「歪んだ復讐劇」を決して諦念しない、その一際(ひときわ)目を引く殺意の継続力。
「歪んだ復讐劇」に「殺意の揺らぎ」を見せない人間の意志の強靭さ。
果たして人間は、それほどまでに強靭なのか。
興味深いエピソードがあった。
笘篠との短い会話である。
「どうして、そんなに強く生きられるんですか?あ、いや、ふと、そう思っただけです」
「声を上げるんです。声を上げれば、誰かが応えてくれます。世の中、捨てたもんじゃないんです。誰かが手を差し伸べてくれるんです」
「声を上げれば、誰かが手を差し伸べてくれる」という理念を有しながら、「声を上げても行政は動かない」現実を目の当たりにしたが故に、「動かなかった行政」に対する「歪んだ復讐劇」に振れていく幹子にとって、国家行政の最前線に立ち、福祉の拡大を訴える上崎への復讐だけは完結させねばならなかった。
真摯に「扶養照会」の改善について努めていた上崎 |
偽善者ではなく、真摯に課題解決に取り組む上崎への怨恨のルーツにあるのは、ケイの死を知るや真っ先にやって来て、「死んじまったら、お終いだ。お終いじゃないか…」と号泣する男の言辞を否定的に受け取り、先の二人と同様に拉致・監禁し、餓死させんとするのだ。
上崎を睨みつける幹子 |
このバイアス全開の極端な僻見(へきけん)に、言葉を失う。
ここまでして「歪んだ復讐劇」に入り込む「殺意の揺らぎ」など、微塵もないということか。
これが幹子の強靭さだとしたら、そこにヒューマンドラマとしての映像が訴える何ものもなく、ただ単に、「生活保護の高いハードル」を描く物語のテーマだけが迷走するばかりではないのか。
迷走する物語が映し出す、あまりに異様な光景。
ラストで映される、二人の被害者のアップの表情。
城之内 |
ここまで描くのか。
そして、極めつけは、コアの物言いにおいて作り手のメッセージが読み取れる、SNSに投稿した幹子の声高な言辞。
「声をあげてください」と幹子は呼びかけるが、偏頗(へんぱ)な主観で凶悪犯罪を犯した者の声など誰が聞くというのか。
だから、何もかも灰燼(かいじん)に帰すのみ。
「為にする構成」に寄り過ぎた映画が仕掛けた負の残像だけが、否が応でも曝され続けるのだ。
一体、意識を失った男を階段を引き摺り上げるという離れ業をやってのける幹子は、男子重量挙げのメダリストなのか。
生活困窮者を必死に救わんとする行為を普通に繋ぐ優しさに満ちているからこそか、「扶養照会」を行わざるを得ない立場に置かれる役人に対して、残酷な復讐劇を完結させんとして、二件にわたる事件後も涼しい顔をして職務に勤(いそ)しむ幹子は、解離性同一性障害(多重人格障害)なのか。
そんな風に揶揄したくなるほど、愕然とさせられた「サスペンス系のヒューマンドラマ」だった。
―― 物言いのついで書けば、ラストシーンの不自然さ。
津波が怖くて子供を救助できない若者のトラウマが言語化された。
「でも水が怖くて、ただ見てた」 |
捜査妨害によって仮釈が取り消された、この若者の心情吐露によって、我が子を津波で喪った中年刑事のトラウマが浄化されていく。
二つのトラウマが重なり合うが、癒しにくい負荷を抱える若者だけが置き去りにされた。
トラウマの浄化を映像化するために、中年刑事が仮釈取り消しの若者を、トラウマのルーツとなった海辺に誘うシーンがインサートされたのである。
「悲劇の記号化」が固着化されつつある、ファーストシーンに円環させることで、3.11系の映画に収斂させたい意図が見え透いていて、物語総体の仮構性が極まっていた。
不自然な台詞が耳障りになったシーンもあり、社会派的主題をコアにしつつも、「感動」を予約する商業映画の仮構性が気になってしまった次第である。
―― 以下、本作のテーマになった、この国の生活保護の高いハードルについて正確に書いていく。
4 生活保護という高いハードルの届かぬ光彩の陰翳
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」
敗戦後、発足してまもない日本社会党の衆議院議員・森戸辰男らが、ワイマール憲法をベースに起草した有名な条文である。
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森戸辰男(ウィキ) |
GHQの草案にもなかったが、この条文を「憲法改正草案」として盛り込んだのは、鈴木安蔵、今中次麿(つぎまろ)らの「憲法研究会」(戦後日本の憲法制定の準備をした研究会)。
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「憲法研究会」当時の鈴木安蔵 |
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今中次麿(ウィキ) |
これをGHQの憲法草案に「25条」として押し込んで生まれたのが、「生活保護」という名で知られる公的扶助制度である。
所謂、ミーンズテスト(資力調査)に基づき、国民に最低限度の生活を保障する「ナショナル・ミニマム」である。
社会保障制度の土台となった、英国の「ベヴァリッジ報告書」をルーツにする公的扶助制度の誕生である。
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ウィリアム・ベヴァリッジ(ウィキ)
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東京の生活保護の申請 |
「水際作戦」である。
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「水際作戦」の告発記事 |
厚労省の実施要領に則っているので、自治体には裁量の幅が殆どなく、国の就労促進方針に追従する外にないのだ。
また、「生活保護のデメリット|6つのデメリットと受給者の義務を解説」によると、以下、具体的にそのデメリットを箇条書きする。
所有できる物に制限がかかる。
住む場所が制限される。
お金の使い方に制限がかかる。
ローンを組めない。
クレジットカードを作れない。
家族や親戚にバレる。
定期的にケースワーカーとの面談が必要。
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生活保護のデメリット |
加えて、自動車(所有していれば手放すことが条件だが、働くための交通手段や、僻地での通院手段は例外)・大型バイク、生命保険・学資保険、贅沢品(2台以上保有しているパソコンやスマートフォン。貴金属や高級腕時計などの宝飾品)の所有が制限されている。
他に、収入を超えるリボ払い(分割払い)は制約を受けるばかりか、「無担保・保証人なし」のカードローンが禁止され、収入に見合ったアパートや公営住宅などへの転居や、持ち家をを担保に老後資金を借り入れる「リバースモーゲージ」が必要になることもある。
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リバースモーゲージ |
当然ながら、ケースワーカーとの定期的面談が必須となる。
求職活動の状況、預貯金の金額等を報告するためである。
そして、先の「家族や親戚にバレる」というデメリットこそ、生活保護申請の最大のハードルと言われる「扶養照会」。
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「扶養照会」見直し・自治体で異なる判断基準・国に是正求める声 |
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生活保護申請に伴う「扶養照会」、効果は少なく当事者・親族・職員に悪影響の現状 |
【この「扶養照会」によて、ケイの苦渋の表情のカットが、鮮烈に想起されるだろう】
「扶養照会」のことを聞かされ、辞退届にサインするケイ |
要するに、家族・親戚縁者に連絡そ、相手の弱みに付け込み、時には高飛車な態度で、「援助できないか」などと問い合わせること。
受給申請者本人に親族との関係が不芳(ふほう)な人が少なくないので、これで、過半の申請者は引いてしまうのである。
この「扶養照会」は、多くのセーフティネットがある苛烈な競争社会の米国も含め、殆どの先進諸外国で実施されていない人権侵害であると言っていい。
国民年金保険料、国民健康保険料、介護保険料、介護サービス利用料が免除になるというメリットもありながらも、「健康で文化的な最低限度の生活」を実現するための公的扶助制度受給における、この「水際作戦」の方略は改善すべき喫緊の課題なのだ。
「被保護者は、常に、能力に応じて勤労に励み、自ら、健康の保持及び増進に努め、収入、支出その他生計の状況を適切に把握するとともに支出の節約を図り、その他生活の維持及び向上に努めなければならない」
生活保護法の第60条の条文である。
この官僚的な条文を否定すべくもないが、「自助・共助・公助」と述べた後、「最終的には生活保護がある」と言い切った菅義偉前首相の物言いは、定額給付金の再支給を否定する文脈で出てきたものあるが故に、国民の反発は必至だった。
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大きな波紋を呼んだ菅義偉首相の「最終的には生活保護がある」という発言 |
社会のセーフティネットとして十分に機能していない現状において、生活困窮者の救済が後手後手になり、そして今、なお続く「コロナショック」の被弾によって、リーマンショック(2008年)後の生活保護の急増後、徐々に減少傾向にあった事態が一気に変容したのである。
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「貧困とセーフティネット 生活保護とスティグマ」より |
「就労の状況、心身の状況、地域社会との関係性その他の事情により、現に経済的に困窮し、最低限度の生活を維持することができなくなるおそれのある者」と定義される「生活困窮者」を支援する、「生活困窮者自立支援法」(2013年公布)もまた、試行錯誤の段階であり、自治体ごとにばらつきがあり、統一性がないという課題が浮き彫りになっているのが現状で、行政の改善の努力を一刀両断するほど傲岸(ごうがん)さはないものの、なお包括的な構築が求められている。
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生活保護という高いハードルの届かぬ光彩の陰翳。
無念であるが、これが我が国の現実なのだ。
綺麗事を言うようで些か引けるが、誰もが無理せずに生きられる社会の構築こそ、緊切な課題である。
【因みに、実際の生活保護受給者の現状は、「コロナショック」以前の2018年時点で約210万人。被保護者の45.5%は65歳以上の高齢者、扶助の半分は「医療扶助」と「精神疾患」であることを付与しておく】
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生活保護受給、過去最多の205万人超に(2011年7月時点での数字) |
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「生活保護を受けるための4つの条件」より |
(2022年5月)
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