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2019年6月11日火曜日

夜と霧('55)      アラン・レネ


<「我々だけが正義である」という、「絶対正義」の心地良き「物語」>





1  「絶え間ない悲鳴に、耳を貸さぬ我々がいる」





ナチスの台頭で米国に亡命し、その後、東独に生活の拠点を設け、東独の国歌をも作曲したユダヤ人、ハンス・アイスラーが作曲した、詩的でありながら、時には軽快で、淀みのないBGMに押し出されるように、カラーで記録された平和で牧歌的な戦後の〈現在〉と、瓦礫(がれき)処理の如く、ブルドーザーで死体の山を無造作に埋めていく、異様なまでの非日常の酷薄の実写を繋ぐ〈過去〉の風景をクロスカッティングさせていく。

ハンス・アイスラー
あまりに有名なこのドキュメンタリーは、どこまでも、強烈な主題提起を持つ「映画性」の枠を崩さない程度において、〈時代状況性〉の落差を強調することで、風化させてはならない問題意識の堅固な継続力の保持を、観る者に問い続けていく ―― それが、ヌーベルバーグの映画作家の一人である、アラン・レネ監督による「夜と霧」だった。(注)

アラン・レネ監督

ナチスが残した記録映像を巧みに利用することで、「見える残酷」の極点とも言うべき、戦争犯罪を告発したドキュメンタリー映画の衝撃波(圧力波)の強度は、人間の死体を「物体」として処理される凄烈(せいれつ)さの実写の異様さにおいて際立っていた。

舞台俳優出身のフランスの映画俳優、ミシェル・ブーケのナレーションが、クロスカッティングされた映像を、声高にならないギリギリの辺りで繋いでいく。

ミシェル・ブーケ・2010年(ウィキ)

「静かな風景。カラスが飛び、野焼きに煙る畑。車や農民の通る街道。

楽しげなリゾート地の隣に強制収容所があった。

アウシュヴィッツ、ベルゼン(ベルゲン・ベルゼン強制収容所)、ダッハウ(ミュンヘン郊外にある強制収容所)など、どの村もありふれた村だった。

ブルドーザーで死体を片付ける英軍兵士・ベルゲン・ベルゼン強制収容所(ウィキ)
解放後にイギリス軍が撮影した餓死した囚人の写真・ベルゲン・ベルゼン強制収容所(ウィキ)
22歳で処刑された女性看守・イルマ・グレーゼ(ナチスでの全刑死者では最年少・9番のワッペン)・ベルゲン・ベルゼン強制収容所(ウィキ)

今、収容所跡にカメラを手に訪れる。

雑草が血の滲む地面を覆い隠す。

もはや、鉄条網に電流は流れない」

ビルケナウ収容所の監視台と鉄条網

これが、一見、長閑(のどか)な映像へのナレーションの導入だった。

ナチス・ドイツのフィルムや、ヒトラーのアジテーションの記録映像の中で、ミシェル・ブーケの抑制的ナレーションが流麗に続く。

「全権委任法」(行政府に立法権を委譲した法で、独裁体制を決定づけた)成立後に演説を行うヒトラー(1933年3月)(ウィキ)

「1933年。機械の行進。一糸乱れぬ行動。全国民が協力する。収容所建設に業者が群がる。利権に賄賂が飛び交ったのだ。このときまだ、労働者たちや、ユダヤ人学生たちは遠くにいて、既に、収容先が決定している事実を知らずに生きている。

1938年、ナチス式敬礼でドイツ兵を歓迎する、チェコスロバキア・ザーツにおけるドイツ系住民(ウィキ)

建物は住人を待っている。

彼らは各地で検挙された。

貨車に乗せ、収容所へ。

囚人たちは列車で移送され、収容所に降り立つと、そこには赤十字をつけた救急車と医者が待ち構えていた

ミスや偶然で、リストに加えられ、収容所に運ばれる人もいた。鍵を掛け、封印された列車。飢えと渇き、窒息と狂気。必死の落とし文(おとしぶみ=置手紙)。死者も出た。

次は、夜と霧の中。

同じ線路に日は落ちる。

カメラは何を求めて歩くのか。

アウシュヴィッツ

死骸の山の傷痕(きずあと)か。或いは、殴られ、運ばれた囚人の足跡か。

別世界に来たようだ。

衛生上の名目で裸にされ、屈辱に耐える」

1941年8月、ヴィチェプスクで捕虜となり、裸にされた捕虜(ウィキ)

この辺りから、流麗なナレーションと寄り添えないような、驚天動地(きょうてんどうち)の記録映像が連射されていく。

そして、強烈な主題提起を持つ「映画性」を内包させて、最後のナレーションが一気に押し出されてくる。

「カポも将校も言う。命令に背けない責任はない

では、誰に責任が?

アドルフ・ヒトラー

冷たい水が廃墟の溝を満たす。悪夢のように濁っている。戦争は終わっていない。

今、点呼場に集まるのは雑草だけ。

ハキダメギク(イメージ画像・ウィキ)
セイタカアワダチソウ(イメージ画像・ウィキ)

見捨てられた町。

火葬場は廃墟に、ナチは過去になる。

だが、900万の霊が彷徨(さまよ)う。

アウシュヴィッツの火葬場

我々の中の誰が戦争を警戒し、知らせるのか。

次の戦争を防げるのか。

今も、カポが、将校が、密告者が隣にいる。信じる人、信じない人。

廃墟の下に死んだ怪物を見つめる我々は、遠ざかる映像の前で、希望が回復した振りをする。ある国の、ある時期の話と言い聞かせ、絶え間ない悲鳴に耳を貸さぬ我々がいる」

1936年のナチ党党大会(ウィキ)

「ホロコースト」を、「ある国の、ある時期の話」に封印してはならないというメッセージこそが、このドキュメンタリー映画の中枢的なテーマであることを、観る者は知るに至るのだ。

僅か32分の映画の中に、ホロコーストを告発する作家のモチーフが凝縮されていたが、正直、ドキュメンタリー映画としての「構築力」という視座で俯瞰すれば、科学的検証を軽視したとも思える一点において、些か粗雑な映像の印象を受ける。

然るに、〈時代状況性〉を慮(おもんばか)れば、「それも仕方ない」と譲歩すべきなのだろう。

(注)「夜と霧」というタイトルは、ヒトラーの秘密命令「夜と霧作戦」に由来する。





2  「私は命令に従っただけです」




アウシュヴィッツ強制収容所

若き日に、この映画を観たときの衝撃が、単なる「情感系の喧騒」に終始して、何となく閉じてしまったことで、その衝撃体験を、恐怖の再現実験である「スケアードストレイト」のレベルのうちに収斂させて、「人間」の根源的なテーマ性を持つ問題意識として内化してこなかったのは事実である。

ナチス・ドイツの占領下で、ポーランド領では少なくとも300万人のユダヤ系市民と、190万人の非ユダヤ系市民が、ナチスによって殺害されたと見られている

「ホロコースト」を、「ナチスによるユダヤ人虐殺」の問題のみに短絡的に帰結させていないが、今、このドキュメンタリー映画を見ながら考えさせられたのは、以下の根源的テーマ性に関わるものだった。

「人間の残酷性の強度と、権威への服従の心理」 ―― これが、終始、私の脳裏に焼き付いて離れないテーマだった。

本稿では、この問題意識に沿ってのみ言及する。

既に、「心の風景」等の拙稿の中で、このテーマについて繰り返し言及しているが、今回もそれらをベースに要約してみたい。

「人間の残酷性の強度と、権威への服従の心理」の問題について考えるとき、有名な「アイヒマン実験」を想起するのは自然であるだろう。

以下、社会心理学史上、最も有名で、説得力のある「ミルグラム実験」について簡潔に言及してみる。


「ミルグラム実験」のインフォーマルなテーマは、ナチス・ドイツの「ホロコースト」の現場責任者・アドルフ・アイヒマンが南米で逮捕され、裁判を経由した翌年、「狂人」とラベリングされていたアイヒマンの、その人並みの人間性が件(くだん)の裁判で露呈されたことを受けて、「ホロコースト」に関わった者たちの精神の「非狂人性」を検証するための実験だった。(人生論的映画評論・続 ハンナ・アーレント」参照されたし)

実験はまず、心理テストに参加する、ごく普通の市民たちを募集することからスタートした。

応募した市民たちにボタンを持たせ、マジックミラーの向こう側に坐る実験対象の人たちのミスに、電気ショックを与える仕事のアシストを求める。

かくて、開かれた「ミルグラム実験」。

被験者である「教師」Tは、解答を間違える度に別室の「生徒」Lに与える電気ショックを次第に強くしていくよう、実験者Eから指示される。だが「生徒」Lは実験者Eと結託しており、電気ショックで苦しむさまを演じているにすぎない

事前に、実験者たちから、あるレベル以上の電圧をかけたら被験者は死亡するかも知れないという注意があった。

それにも拘らず、65パーセントにも及ぶ実験参加者は、叫びを上げる被験者の実験中断のアピールを知りながら、嬉々としてスイッチを押し続けたのである。

これは、学生も民間人も変わりはなかった。

勿論、実験はヤラセである。

電気は最初から流れておらず、被験者の叫びも演技であった。

しかし、これがヤラセであると知らず、実験参加者たちはボタンを押したのである。

この「ヤラセ実験」の本来的な目的は、「人間がどこまで権威に服従しやすいか」、「人間がどこまで残酷になれるか」という点に絞り込み、それを調査することにあった。

そして、この実験の結果、人間の「残酷性」が証明されたのである。

しかし、この実験はこれで終わりにならない。

この実験には続きがあるのだ。

即ち、被験者がミスしても、今度はどのようなボタンを押してもOKというフリーハンドを許可したら、何と殆どの実験参加者は最も軽い電圧のボタンを押したのである。

この実験において、人間の「権威への服従性」が証明され、逆に人間の「残酷性」が否定されたのである。

この実験は、一体何を語るのか。

人間の「残酷性」か、それとも「非残酷性」か。

その両方なのである。

人間は残酷にもなり得るし、充分に心優しくもなり得るのである。

ミルグラム実験
では、両者を分けるのは何か。

一つだけ、明確に言えることは、命令系統の強力な介在の有無が、人間の心理に重要な影響を及ぼしてしまうということである。

つまり人間は、強力な命令系統の影響下に置かれてしまうと、そこに逆らい難い行為の他律性が生じ、これが大義名分にリンクしたとき、恐るべき加虐のシステムを創造してしまうのである。

人間の「権威への服従性」。

この実験が明らかにした、「権威」に対する人間の脆弱性。

これが、普遍的な様相を有することが証明されたのだ。

「単に、上部組織の命令に従っただけである」

人間の「残酷性」が証明されたにも拘らず、実験参加者たちには罪悪感が決定的に希薄だったという事実こそ、「ミルグラム実験」の本質だった。

その時、「ミルグラム実験」=「アイヒマン実験」であることを露呈する。

実験参加者の多くは、命令系統の「上部組織」に責任転嫁することで、罪悪感が希薄だった心理が炙(あぶ)り出されたのである。

アイヒマンもまた、実験参加者の心理をトレースするのだ。

アドルフ・アイヒマン

ここで、拙稿「ハンナ・アーレント」から、アイヒマンの主張を引用する。

「私は命令に従っただけです。殺害するか否かは、全て命令次第です。事務的に処理しただけです。私は一端を担ったに過ぎません。ユダヤ人輸送に必要なその他の業務は、様々な部署が担当しました。私は手を下していません。(略)皆、思いました。“上に逆らったって、状況は変わらない”仕方なかったんです。そういう時代でした。皆、そんな世界観で教育されていたんです」

アイヒマンが大きく映し出された描写の直後、ドイツ出身の哲学者であり、ユダヤ人のハンナは、同様に、ドイツ出身の旧友のシオニストであるクルト・ブルーメンフェルトに、迷うことなく言い切った。

クルト・ブルーメンフェルト

「アイヒマンは反ユダヤ主義ではない。貨車が発車したら、任務終了。彼は役人なのよ」と、旧友に言い切ったのだ。

以上の描出によって、「ミルグラム実験」=「アイヒマン実験」である事実が判然とするだろう。


更に、ここには心理学で有名な「傍観者効果」の中の、「責任分散の心理学」(自分だけが悪いのではないと考えること)が媒介すると、その加虐のメカニズムは構造化するだろう。

責任分散の心理学
ジェノヴィーズさ本人・背中を刺されたジェノヴィーズが悲鳴を上げても、38人の目撃者がいたにも拘らず、沈黙した事件で、ここから「傍観者効果」が提唱された。本人も殺害されるに至った

以上の実験から、私たちはどのような結論を手に入れたのだろうか。

言うまでもない。

私たちが「良心」とか、「ヒューマニズム」と呼んでいるものの、そのあまりの脆弱さである。

もう一度、重要な実験結果について言及したい。

ボタンを押す行為をフリーハンドにしたら、殆どの実験参加者が最も軽い電圧のボタンを押した事実が示すのは、命令系統の強力な介在が希薄になれば、その命令系統の「上部組織」に責任転嫁することが難しくなったことで、他律性が生じにくくなり、実験参加者の本来的意思が実験の「前線」に押し出される現象が出来する。

実験参加者の自律性が保証され、限定的だが、〈状況〉を支配することが可能になるのだ。

命令系統の「上部組織」に対する服従率が低下するのである。

服従率の低下=自律性の確保なのだ。

私が思うに、「ホロコースト」に関わった者たちの精神の「非狂人性」を検証する、「ミルグラム実験」のインフォーマルなテーマは、「アイヒマン実験」によって確認されたのである。

そして、もう一つ。

「関東軍防疫給水部本部」=「731部隊」ボイラー棟建物(ウィキ)
「731部隊」秘密研究所の当時の写真

『状況が歴史を動かす』 ―― 『731部隊』とは何だったのか」でも書いたが、「目標指向的行動」(目標に向かって行動すること)に則った組織において、権力関係の頂点に立つ石井四郎の強力な目的意識が、人体実験の行程の総体を細分化したことで、「システマチックな分業システム」を構築し、人の命を守る職務に挺身(ていしん)する医師たちが、心の奥底に澱(よど)んでいる罪悪感に捕捉されることなく、人の命を弄(もてあそ)ぶような職務に就くことを可能にしたと思えるのである。

ハンナ・アーレントが鋭利に指摘したように、ナチス・ ドイツによるホロコーストは、「ナチズム」という、狂気じみたイデオロギーに淵源(えんげん)するのではなく、「貨車が発車したら、任務終了」のアイヒマンの官僚的職務に端的に現れているように、「システマチックな分業システム」の所産であると言っていい。

ハンナ・アーレント

異様な環境に「過剰適応」することで、「環境の異様性」を希釈化し、自我の崩壊を食い止める。

皆、同様の観念系で動き、自らに与えられた研究・開発を遂行する。

この「皆」という観念が、「共有幻想」を仮構するのだ。

「システマチックな分業システム」が強力に機能することによって、「皆」という観念を集合させた「共有幻想」が強化されていく。

そういう社会を、アドルフ・ヒトラーは作ったのだ。

我が闘争初版本。1925年発行(ウィキ)

私は今、改めて思う。

倫理的観点から批判されつつも、1963年の心理学実験から56年も経っているのに、多くの国で、繰り返し、実験の追試が行われても、結果の全てがミルグラム実験を検証するものになっている。

如何に、この心理学実験が重要な意味を有するか、容易に理解できるだろう。





3  「我々だけが正義である」という、「絶対正義」の心地良き「物語」





「良心」の正体は自我である。

私たちの自我は、その「強さ」や「豊かさ」を内側にどれほど固めていても、前述したように、それを支配する関係が存在し、その関係が閉鎖的で特殊な環境のうちに成立すればするほど、そこに形成された「システムの力学」に捕縛されやすいという、厳然たる事実を否定し難いということである。

それは、私たちがいかに権威というものに弱いか、自らに与えられた役割を無防備なまでに演じてしまいやすいか、ということを明瞭に示している。

ゲシュタポのユダヤ局長であったアイヒマンは、紛れもなく正常だったのだ。

彼の少年期はとても気が弱く、真面目そのもの。

ナチスに入るまでの青年期は、平凡なサラリーマン生活を送っていた。

その真面目な生活はナチスに入ってから、より真価を発揮する。

彼は絶対服従のシステムに、ひたすら従順に従ったのだ。

その結果、誰よりも、多くのユダヤ人を屠(ほふ)る張本人となったのである。

いつも書いていることだが、アウシュヴィッツ収容所所長・ルドルフ・ヘス(ルドルフ・フェルディナント・ヘスのことで、副総統のルドルフ・ヴァルター・リヒャルト・ヘスではない)も、彼の残した手記でも検証されるように、その生真面目で実直な性格ゆえに、数え切れないほどのユダヤ人を焼却炉に送った者の一人であった。

ルドルフ・ヘスの回顧録
その回顧録によると、聖職者の家庭に生まれた彼は使命感が強く、厳しい父親からの教育を受けた思春期の自我のうちに、命令に従順に行動する真摯さだけが突出していたとも言える。

SS(ナチス親衛隊)の最高指導者であるヒムラーに至っては、その生来の動物好きな性格もあって、ユダヤ人の処刑に立ち会うのを嫌ったほど。

ハインリヒ・ヒムラー

彼もルドルフ・ヘス同様に、厳格なカトリック教徒の教えを受けて育った事実は重要であるだろう。

彼らを狂わせたのは、彼らが所属した「絶対的な組織」であり、その組織が作り出した「システマチックな分業システム」である。

「システマチックな分業システム」は、「我々だけが正義である」という、いつの時代でもお馴染みの「物語」によって支えられている。

「システマチックな分業システム」で動いた典型的ナチ党員
「我々だけが正義である」という「絶対正義」の前には、「絶対悪」しか存在しないのだ。

「絶対悪」は抹殺されねばならない。

「我々だけが正義である」という、「絶対正義」の心地良き「物語」。

このような「物語」に支えられて、負性のシステムに嵌り込んだ自我は、そのシステムから下達される「絶対命令」に絶対的に従ってしまうのである。

「アイヒマン実験」で、参加者の35%の者が450ボルトの電圧を、生徒役の者に加えなかったという事実の方が、私には寧ろ驚きである。

どんな状況下に置かれても、コルチャック先生やコルベ神父、或いは、「夜と霧」(原題は「 ある心理学者の強制収容所体験」)のヴィクトール・フランクルのような人物が存在するということである。
聖コルベ神父と遺品
映画「コルチャック先生 」より

ヴィクトール・フランクル(ウィキ)

成熟した自我が堅固で健全な理念に支えられていれば、人間は悪魔の仲間に加わらないで済むのだろうか。

しかし65%の者が、それを加えれば死ぬかも知れない電圧のスイッチを押したということは、やはり由々しき事態と言うより外はないのだ。

人間はこれほどまで簡単に、「良心」を希薄化させることができる存在なのである。

それ以外の選択肢がないという閉鎖的で、退路を奪われた苛酷な状況に身を預けないこと。 少なくとも、それだけは、人間学についての学習的な真理の一つであることは間違いないであろう。

ホロコースト記念碑を来訪する人々(ウィキ)
9時間半に及ぶ、ドキュメンタリー映画『SHOAH ショア』の衝撃は計り知れない

(2019年6月)

2019年5月5日日曜日

ライフ・イズ・ビューティフル('98)    ロベルト・ベニーニ


<究極なる給仕の美学> 



1  「お伽の国」での軽快な映像の色調の、反転的変容





一人の陽気なユダヤ人給仕が恋をして、一人の姫を白馬に乗せて連れ去った。

映画の前半は、それ以外にない大人のお伽話だった。

お伽話だから映像の彩りは華やかであり、そこに時代の翳(かげ)りは殆ど見られない。

姫を求める男の軽快なステップが、ミュージカルの律動で銀幕を駆けていく。

男は姫を奪ったのではない。

マイク・ニコルズ監督の「卒業」の青年のように、秩序破壊のメッセージの含みもそこにはない。 


映画「卒業」より

男はただ、姫をお伽の国に運んだに過ぎないのだ。

だから前半のテーマは、「お伽の国へ」というフレーズこそ相応しいだろう。

このような軽快な映像の色調が、後半に入って突然変貌する。

少しずつ映像が褪(あ)せてきて、時代の陰翳(陰翳)を写しとっていく。

変わらないのは、姫に対する男の愛情だけである。

男は姫との間に一粒種を儲けていて、家族が自転車で坂を下る微笑ましい描写の中に、時代の澱みと無縁にステップするお伽の国の住人たちの明朗さだけが浮き上がっていた。

そこに一片の衒(てら)いも虚勢もない家族の明朗が、映像を延々と救ってきたのだが、当局のユダヤ人狩りの難に遭う瞬間から、映像は明らかな変調を示していく。





2  「希望」と「時間」と「繋がり」を仮構する男の孤軍奮闘





男と愛児は絶滅収容所行きの貨車に乗せられ、男は愛児をガードするだけの余裕しか与えられない。

貨車の中で、男はひたすら我が子をガードする。

ユダヤ人でない妻も二人を追い、貨車に跳び乗った。

家族を乗せた貨車が復路のない旅を終え、閉ざされた空間に呑み込まれたとき、「愛する者を守る男の物語」が開かれたのである。

絶滅収容所には生活がなかった。

多くの人々の群れはあったが、当然、そこには「希望」がなく、「時間」がなく、「繋がり」すらなかった。

苛酷な強制労働以外にない地獄のスポットで、男は愛児に「日常性」を保証しようとする。

地獄を遊技場に読み替えて、そこに、「希望」と「時間」と「繋がり」を仮構したのである。

最愛の妻と切り離された男にとって、今はただ、我が子を守ることだけが人生の全てだった。

男の視線には、妻子の像しか捕捉されないのだ。

こうして、男と我が子の薄氷を踏むようなゲームが開かれていく。

男は愛児の自我に、収容所のリアリティを刻印するわけにはいかなかった。

愛児が日ならずして、過去をリアルに記憶できる年齢に達しつつあったこと。

「希望」と「時間」と「繋がり」を仮構するには、収容所のリアリティを、「遊び」の含みを多分に持ちながら、緊張感溢れるゲームに転嫁させる外になかった。

だから男は、一心不乱になって、自らの人生の全てをゲームの継続に懸けたのだ。

男の「コンセントレーション」(精神集中)の心理的推進力には、「究極なる給仕の精神」がある。

収容所が内包するだろう地獄の様相を、愛児の自我に外傷化させないため、男はゲームを寸時でも中断させるわけにはいかなかったのだ。

男もまた、そこに「時間」を得たのである。

「希望」を得たのである。

ウィナーになったら戦車をゲットできるという、恐怖の仮想実験である「スケアードストレイト」の強度のあるゲームの中で、男は「繋がり」を確保したのである。

房を隔てた舎内にいる妻に、妻の好きな音楽を男が届ける描写は、心に食い入るほど深く胸を打つ。

この描写は、「ショーシャンク」のスーパーマン氏に溢れていた、普遍的なヒューマニズムを衒(てら)ったものではない。

男は唯、妻に生活の律動を失って欲しくなかっただけである。

地獄の中で、家族の「繋がり」の可能性を一途に確認したかったのである。

男は収容所にあってさえも、家族の時間を継続させずにはいられなかったのだ。





3  絶滅収容所という名の負の極点をカジノに替えた男





男の綱渡りのゲームに、終焉の瞬間(とき)がやって来た。

約束された「物語」の、約束された「旅立ち」だった。

連合軍の進撃によって絶滅収容所の自壊の危機が高まったとき、男は愛する妻を奪回するための挙に打って出る。

しかし、愛児を守りつつ、姫を探すという、男が最後に放ったゲームでの博打(ばくち)は、途轍もない危うさに満ちていた。

男の露出は過剰過ぎたのだ。

男はドイツ兵に捕捉され、呆気なく撃ち殺されてしまったのである。

男によって隠された愛児は、男の死を知らない。

だから、ゲームの終りを知らない。

ドイツ兵の去った収容所の束の間の静寂に、愛児は立った。

静寂を破ったのは戦車の足音だった。

愛児はゲームの終りを確信した。

父は間違っていなかったのだ。

ゲームを勝利に導いた報酬が、遂に届いたのである。

戦車が止まって、米兵が降りて来た。

そして、愛児を抱えて同乗させ、ビクトリーロードを駆け抜けていく。

戦争とゲームの勝利が重なって、夢心地の中で戦車は駆ける。

そして、母との劇的な再会。

ゲームオーバーの向うに待つ報酬の大きさに、父の死を知らない愛児は束の間酔っていた。

ゲームを達成した満足感の中に、未だ不幸なる認知がヒットしてきていないのだ。

父は我が子に、まるで、ゲームに酔う時間を残しておいたと言わんばかりだった。

映像が閉じ、余情が広がった。

愛児をゲームのウィナーにすることによって、この家族の受難劇は完結したのである。

ゲームの始まりに父がいて、ゲームの終りに愛児が残った。

愛児を残すためのゲームの本当のウィナーは、愛児の父だった。

人類史上最も苛酷な経験をステージにした、際どいゲームを突き抜けた映像の覚悟は潔く、印象的なまでに切なかった。

滑稽と哀切の繊細なる振り子の中で、饒舌と諧謔(かいぎゃく)で抜け切った男の生きざまに集合する、「愛する者を守り抜く」という堅固な感情が、一筋の強靭な意志のうちに束ねられて、完璧なシナリオに俳優の超絶的表現力が溶融した一篇の映像は、粛然とする感銘を観る者に残して閉じていった。

男の意志を通して映像が残したイメージを勝手読みすると、極限状態に置かれた子供へのトラウマを回避させることだけが、無力な大人たちの唯一の倫理的義務であると把握できなくもない。

男は愛児の現在を守り、その未来をも救済しようとしたのではないか。

愛児の未来にトラウマを残さないという一点によって、絶滅収容所という名の負の極点を、男は相当にシビアな試練含みのカジノに替える必要があったのだ。

愛児の未来まで網羅した父の、その愛の守備範囲の広さに、私たちは、節榑(ふしくれ)立った時代の航海に向かう男たちの括りのさまを読みとることが可能であるだろう。





4  究極の給仕の美学



「ライフ・イズ・ビューティフル」は、守るべきものを持つ男の映画であった。

守るべきものを持つ男の愛はあまりに深く、まるで、給仕であった男の人生が、愛する妻子を守るためだけに、この世に存在するかのような異様な輝きを放つ。

妻子を守れずして、どこに男のレーゾンデートル(存在価値)があるのか。

ここぞというときに退路を断って、ここぞという何かを、そこに放つ。

男の「給仕人生」は、男の死によって完結した。

これは、「究極の給仕の美学」を描き切った映像でもあったのだ。

然るに、男のレーゾンデートルを問うような映像は、もう、喜劇仕立ての寓話にでもしない限り、消費社会の気忙(きぜわ)しい隙間に侵入できないようである。

それでもスーパーマンを量産して止まない、ハリウッドの過剰なラインの中では、切り口の鮮度を愉しむことができるだろうか。

歴史の重量感に沿(そぐ)わないような、軽快なステップによって犠牲にされたリアリズム。

それが生み残した危うい緊張が、まさに、その不均衡の故に鮮烈な余情を残す。

守るべきものを持つ者の脆さではなく、その強(したた)かさと、健気さを滑稽含みで描き切った覚悟が凄みを生んで、映像的達成を導いたと言えるだろう。

そんな逸品だった。

【本稿は、2006年2月に書いた映画評論を、再構成した拙文です】