1 「革命は悪魔との戦いで始まり、自己との戦いで終わる」
「名前は?クソッタレ」とペルフィディア。
「スティーブン・J・ロックジョー警部だ」とロックジョー。
「私はペルフィディア・ビバリーヒルズ。宣戦布告だ。お前らの悪行を正す。ビビってんなら自業自得だ。私のことも、この戦いも知らないだろう。メッセージは明快。国境・肉体・選択の自由・恐怖からの解放だ」
| ペルフィディア |
「たまんねえな」
| ロックジョー |
「茶化す気か?」
そう言うや、ペルフィディアはロックジョーを移民収容所のフェンスに閉じ込める。
「我々は政治組織であり、その正体は謎だ!宿敵・帝国主義やファシスト政権の監視や攻撃をかいくぐる!お前らは“フレンチ75”の政治的捕虜だ。フレンチ75によって囚われた。警察くたばれ」
| パット |
極左暴力集団の「フレンチ75」で、ペルフィディアと共に活動の中枢を担い、爆破物担当のパットのアジテーションである。
「今、俺は閉回路を作ってる。そして、静電気を除去するために…これが雷管だよ。いいかい。裁判所に入る時は誤作動防止にシャントを使うこと。これが爆発物だ。これが携帯電話。まず携帯の電源を入れる。雷管をつけずに、誤作動を防ぐため…」
| パット |
【閉回路とは電流が途切れずに流れ続けている回路のこと。雷管とは起爆装置。携帯の使用によって、電波や電気的影響により誤作動を招く怖れがあるため雷管をつけない。シャントとは、回路の電流を検出するためのシャント抵抗器で、回路の誤動作や破壊を防ぐ役割を担う】
そんな話をしながら、ペルフィディアと愛し合うパット。
「武力革命が唯一の方法」と考えるペルフィディアは、「中絶禁止の警告を無視した」企業等の爆破を実践する。
そのペルフィディアを探し続けるロックジョーは彼女を見つけ出し、ホテルで密会する。
まもなくペルフィディアは妊娠し、それを知り、黙認するパット。
ペルフィディアとパットの間に産まれたであろう赤子の構図が提示される。
「私を支配したいのね」
そう言い切って、産まれた女児シャーリーンの世話をするパットに愛想を尽かすペルフィディア。
パットが正体を知られないために、先月、亡くなったばかりの親子の名を借りて生きていくことになる。
パットとシャーリーンの名が、ボブとウィラに代わるのだ。
その頃、ペルフィディアは事件を起こし、殺人罪で拘束される。
パットの元から離れた彼女を救ったのはロックジョー。
「フレンチ75」や昔の仲間・家族との接触を禁じ、いつでも証言に応じて働き、生活費を稼ぐことが条件づけられた。
「革命は悪魔との戦いで始まり、自己との戦いで終わる」(ペルフィディアのモノローグ)
直後、「フレンチ75」のメンバーが次々に斃されていく。
その中心にいるのは、ここでもロックジョー。
「フレンチ75を壊滅させた目覚ましい功績と比類なき勇気を称え、スティーブン・J・ロックジョーに対してB・フォレスト勲章を授与する」
「証人保護プログラム」で守られたペルフィディアの密告の結果である。
そのペルフィディアの棲家を訪ねたロックジョーが目にしたのは、「このプッシー(子猫)はあんたのものじゃない」という貼り紙だった。
ペルフィディアはロックジョーをも裏切り、メキシコに逃避するのだ。
【証人保護プログラムとは、証言者を守るために身辺警護などの措置を包括的に行う制度のこと。ここではペルフィディアの裏切りの代償だった】
2 「あんた、誰!」「お前のパパだ!」
「16年後、世界はほとんど変わっていない」(ペルフィディアのモノローグ)
空手に打ち込むウィラ。
| ウィラ |
16歳になったウィラを指導する「センセイ」。
| センセイ |
「全体的にウィラはとても頑張っています。自身に満ちたリーダーで、何事にも熱心であり。よき生徒であろうと常に努力しています。毎日、勉強への準備ができ、やる気のあふれていて、他の生徒たちに人気があります」
学校の教師に褒められたボブは感動する。
フレンチ75を離脱したボブはウィラの父親になり切って生きてきたが、今や落ちぶれてアルコールと薬物依存で精神的にも脆くなってしまっていた。
過保護に育てたウィラのみが、彼のアイデンティティの拠り所なのである。
一方、警視にまで昇進したロックジョーは今、白人至上主義の団体である“クリスマスの冒険者”への入会を希望し、身元調査を受けることになった。
中でも、異人種間の交配を認知しない“クリスマスの冒険者”の絶対規範を求められたロックジョーにとって、ペルフィディアとの関係を問われるのは厄介事だった。
同時に、ウィラが自分の娘ではないかと疑うので、その存在が目障りになってきた。
アメリカにかつて存在した「異人種間結婚禁止法」の絶対規範を、今でも守る“クリスマスの冒険者”。
当然、ロックジョーに対する身元調査は厳格なものとなる。
| スロックモートン |
【異人種間結婚禁止法は、1967年に「ラヴィング対ヴァージニア州裁判」によって廃止された】
かくてロックジョーは、ボブとウィラの現住所を知るために、フレンチ75のメンバーであるハワード・サマーヴィルを拘束して、父娘がボブとウィラを名乗って、バクタン・クロスという街に住んでいることを白状させる。
「男は殺害可、娘を捕らえろ」
ボブとウィラを重要標的と決めつけ、警察組織を動かしていくロックジョー。
一方、薬物依存症の父の健康を案じて、注意を促すウィラ。
ウィラの真剣な物言いに反応するボブには、娘の思いを受容せざるを得なかった。
ところが、友人らと外出したウィラの身に危機が迫り、フレンチ75のメンバーだったデアンドラが救出する。
ボブの元にウィラの危機を知らせる電話が入り、動揺を隠せず、「テンパるなよ、ボブ。ヤクに打ち勝て。不安に負けず、やれることをやれ」などと言いながら、心を落ち着かせるのだ。
その時だった。
ロックジョーの組織によって自宅を襲撃されながら、自宅のトンネルを伝わって逃げるボブはウィラの身だけが気がかりだった。
移民コミュニティの支援者であり、ウィラの空手のセンセイに助けを求めて、隠れるように逃げ込むボブ。
「家を襲われ、俺と娘が狙われている」
保護されているウィラの居場所を知るために、フレンチ75の残党に救助を求めても、長年のヤク漬けで「今、何時?」の暗号(合言葉)をすっかり忘れてしまったボブは、焦燥感を募らせるばかり。
ボブを知る同志に連絡が繋がり、苦労の末、聞き出した場所は“勇敢なビーバー修道院”。
しかし、ボブの電話のかけ過ぎで逆探知された、移民が集まるセンセイの居場所。
地下通路を通して移民たちを教会に匿い、本人も居場所から脱出し、教会に逃げたセンセイに、ボブが「屋根から木に落ちてテーザー銃で拘束された」との連絡が入った。
その頃、ビーバー修道院に守られたウィラと見つめ合う革命尼僧の修道院長は、言い放つ。
「(母と似ていないが)中身は似てそう。危険な存在ということね。裏切者の娘は注意しないとならない。住まわせてあげるのは、自分に対する役目を全うできる人だけ」
母親を英雄だと信じるウィラも負けていない。
「食いぶちと、クソに責任持てってことね」
「その通り」
学校のダンスパーティで襲撃を受ける時、ウィラを救出して修道院へ送り届けたデアンドラは、修道院長に対して、「私は(ウィラの母親について)真実を話す勇気がない」と吐露する。
| デアンドラ |
「ペルフィディアは今なお、存在であり得る。彼女のような人は、もう革命に必要ない。状況は、すでに厳しい。あなたは我々より闘志がある。私はとうの昔にうんざりしてるのよ」と修道院長。
一方、“クリスマスの冒険者”への入会を希望するロックジョーの身元調査の結果、証人保護プログラムで守られ、組織を裏切ったペルフィディアとの関係が明らかになり、二人の子であるウィラを探し続けて事件を起こしているロックジョーの抹殺を決め、ティム・スミスという男に暗殺を依頼することになった。
| ティム・スミス |
黒人と性的関係を持ち、それを知られたくないためにウィラを追うロックジョーの動向によって、秘密結社“クリスマスの冒険者”との関係が知られることを怖れたための処置である。
そのウィラはデアンドラから、母ペルフィディアが裏切者である事実を知ることになり、動揺する。
「ママは裏切者?」
「ええ、そうよ」とデアンドラ。
「パパは“英雄だ”と言ってた」とウィラ。
そのパパは警察に拘束されていたが、センセイの手配によって病院に移され、逃げ出すことに成就する。
| 自撮りするセンセイ |
ボブが修道院に着く前に、ロックジョーがウィラを拘束し、睨み合う二人。
「一致しなければ解放する」
そう言って、修道院を襲撃した際に採取したウィラのDNAを自身のものと照合させ、「親子鑑定検査」を実施するロックジョー。
その頃、ボブを乗せたセンセイの車は警察に追われていて、警察に見えないスポットで、センセイはボブを途中で降ろすのだ。
ボブは修道院を見下ろせる丘でライフルを構える。
そこに邪魔になったウィラを始末しようと車に乗せるロックジョー。
「親子鑑定検査」で父娘の関係が明らかになったからである。
そこでライフルを発射するが、ロックジョーに当たらず、逆に警察の反撃を受けるボブだが、逸早く車に乗ってロックジョーの車を追っていく。
ロックジョーは賞金稼ぎの仕事をするアヴァンティと会い、“1776”の連中にウィラを渡し、その処分を依頼する。
| アヴァンティ(左) |
そのアヴァンティは“1776”の一人に、金を渡してウィラを預ける。
一方、ロックジョーはティム・スミスに殺害され、崖から車ごと転落する。
ボブはロックジョーの車にウィラが乗っていなかったことを確認し、居場所不明のウィラを求めて探し捲る。
ウィラを預かったアヴァンティは“1776”の男を殺害し、ウィラを解放し、1776”の男たちに襲いかかっていく。
「子供は殺らない」という信条を持つからだと思えるが、ではなぜこの仕事を引き受けたのか不明である。
だが、この間、ウィラは銃を手に車に乗り込み、ハイウェイを走っていく。
そのウィラを追うのは、ロックジョーを殺害したティム・スミス。
更に、それを追うのはボブ。
ウィラは途中、降車して道路脇に潜んで銃を構え、ティム・スミスの車が降車した車に突撃した瞬間を見て、降りてくるティム・スミスを撃ち抜くのだ。
ティム・スミスを撃ち抜いたのは、ウィラが放つ“農園天国、じゃじゃ馬億万長者、Hジャンクション”という暗号に答えられないティムが、"I don't know"としか反応できなかったからである。
そしてボブの車も到着し、ウィラを視認して叫ぶが、ウィラはこの時も暗号を叫ぶのみ。
「もういい、いいんだ」とだけ反応し、暗号に答えないボブを特定できず、銃を手放さない。
「パパだよ。ウィラ。俺を見ろ」との一言を放ち特定できても、「あんた、誰!」と返すウィラ。
既に、ボブが本当の父親でないと分かっているから、「あんた、誰!」と返したのか否か、ここも不明だが、「お前のパパだ!」との大声で、「ボブこそが本当の父親である」と心から思ったに違いない。
だからウィラは、瞬時にボブの懐に飛び込んでいったのだろう。
車内で父に抱きつくウィラ。
この映画の根柢的な結晶点である。
余談だが、ロックジョーはまだ生きていたが、最終的に秘密結社“クリスマスの冒険者”によってガス死の運命を辿ってしまう。
3 「ほどほどにな」「イヤよ」
自宅に戻ったボブはウィラに、括った者のように吐露していく。
「ずっと隠していたことがある。すべて、お前に話したい。いいかい?今まで話さなかったのは、お前に知ってほしくないことがあったから。お前を悲しませたり、混乱させないためだ。俺は何とか、お前を守りたかったんだ。ママの愚かな過ちや俺の過ちから。俺がなろうとしたのは、お前が助けを求め、頼ってくれる人間だ。いつもクールで、何でも話せるような父親だよ。叶わぬ望みだけど、だけど、もう、これ以上、どんな嘘もつきたくない。この数年、言えないままだったことを、お前に話そう。すべて打ち明けるから、見たいなら見てもいい。見たいか?」
「何なの?パパ」
「分からない?これは手紙だ。お前のママから」
「私に?パパに?」
「お前だ」
ボブは、ウィラ宛てのペルフィディアの手紙を渡し、それを読むウィラ。
“愛するシャーリーン。影の向こう側からの声よ。驚いたでしょうが、ずっと手紙を書きたかった。目を覚ますと、私だけここにいることがどうかしてると思えてくる。家族と断ち切られて、私は人生を偽ってきた。偽りの強さで振る舞い、偽りの死に、身を隠した。嘘を重ねた私がやり直すには、もう遅い。あなたは幸せ?愛にあふれている?将来は何をするつもり?私のように世界の変革を望む?私たちは失敗した。あなたは成功するかも。世界をよくできるかもしれない。毎日、あなたを想ってる。一日も欠かさずに。母として、強くありたかった。いつの日か、時が満ち、安全であれば、きっと会える。私の代わりにパパにキスを。私のゲットー・パット。愛を込めて。母ペルフィディアより”
手紙を読み終えたウィラは父の元に戻って、抱擁する。
父もウィラを抱擁する。
父ボブがフラッシュ作動のやり方を娘から聞いている時に、オークランドで強制捜査があり、デモ参加者はリンカーン公園に集合しているとの報を聞き、雨中の只中に、ウィラは足早に出かけていくのだ。
オークランドまで車で3時間半かかることを告げ、「ほどほどにな」と忠告する父に、「イヤよ」と答える娘。
娘もまた、母の反体制的な活動のラインに立っていたのである。
【フラッシュ作動とは携帯などが光量不足の時に、自動で発光すること】
4 「究極の救出劇」という御伽話を捨てた傑作
「私には政治を題材にした映画は書けない。面白くないからです。私が面白いと思うのは人と人との間に芽生える感情。政治は興味深い舞台や背景にはなるけれど、物語というものはどんな舞台設定に置き換えても成立しなければいけないものだとも考えています。宇宙でも、中世でも、どこが舞台だってそう。私にとっては、人間関係——家族や恋人、仕事相手など——の礎こそが物語を面白くする唯一の要素だと思っています」(ポール・トーマス・アンダーソン監督インタビュー)
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| PTA |
アート系のPTAがカーチェイスの映画を作ったのは驚きだったが、PTAの言うことはとてもよく分かる。
面白くないから、政治を題材にした映画は書けない。
その通りだと思う。
社会派系と決めつけられるのは心外なのだろう。
それでも、本作が社会派系含みの映画であることは自明である。
にも拘らず、この映画を一言で括れば、「あんた、誰!」「お前のパパだ!」という究極的な言語交通に象徴されるように、血縁のない父と娘の情感全開のシーンのうちに集約されるのではないか。
血縁がない事実が分かっても、非武装なる父の思いの深さに浄化される娘の感情の漂動が、父の懐のうちに吸収されるカットは、もう、それ以外にない結晶点に落ち着くのである。
「世代間の断絶の話なんだ。父と娘がどう関係を結ぶかの話であり、僕らと次の世代とでは、世界そのものがまるで違うということ。理解しているつもりでも、実は分かっていない。彼らはそうやってコミュニケーションを取っている」(「レオナルド・ディカプリオ × ポール・トーマス・アンダーソン初対談
二人の稀代の表現者が語る、型破りのヒーローとハリウッド」より)
これは主演のディカプリオの言葉。
まさに、「ほどほどにな」「イヤよ」というラストでの遣り取りは、時代と世代の変容を強く印象づける。
命を賭けて「フレンチ75」に関与していたパットの時代と比較して、ウィラの場合、「活動家」という臭気が希薄で、世界そのものの薄さの中でデモ参加によってアイデンティティフィケーションを手に入れようとしているように思えるのだ。
何より本作で評価したいのは、物語の中心に位置し、活発に動きながら、娘の危機に最後まで関わることができない男の空振りの人生が貫流していて、ハリウッド好みの「究極の救出劇」という御伽話に流さなかったという一点にある。
たった一人で危機突破を果たす娘の英雄譚に、主人公のボブが関与できずに一連の事件が終焉するという設定は、ご都合主義を拒む、まさにPTAの独壇場の世界である。
「自由とは恐れないことだ」
センセイの一言であるが、強烈な響きを内包する。
PTAによると、ニーナ・シモン(アメリカのジャズ歌手)の言葉だそうだ。
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| ニーナ・シモン |
脚本にはなかったということ。
「でも撮影が進むほど、その言葉が頭の中で反響した。『恐れるな。進め』。ベニチオに言わせるのが完璧だと思った。哲学としても、僕にとって真実だ。自由とは“恐れがない”こと。いつか、みんながそこに辿り着けるといい」(「レオナルド・ディカプリオ × ポール・トーマス・アンダーソン初対談 二人の稀代の表現者が語る、型破りのヒーローとハリウッド」より)
「自由」というテーマが心理学であるより、サルトルの実存主義の思想がそうであったように、基本的に哲学の問題である。
私にとって、PTAの作品の中で、ダニエル・デイ=ルイスが完璧に表現した「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」が最も愛着が強いだけに留まらず、ハリウッドの作品の中で私自身のマスターピースであると考えている。
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「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」より
娘を探し続ける父親のシリアス基調の物語の中にあって、多分にコメデイリリーフを効かせた展開のエンタメ性が炸裂して、作品にオリジナリティ溢れるメリットをもたらしていた。
本作が危機の時代に抗う社会派系含みの、「究極の救出劇」という御伽話を捨てた傑作である所以である。
ついでに書けば、如何なる危機に遭っても、わざわざ空手のシーンをインサートさせておきながら、映画の「約束事」のルールを無視して、ウィラが「空手」の技術を披露することがなかったところも面白かった。
「空手」は、ウィラの強さのメタファーなのであろう。
(2026年7月)





