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2026年5月24日日曜日

ルノワール('25)  只者ではない観察者  早川千絵

 


映画作家の本領を表現し切った、非常にレベルの高い映画だった。


 


1  「お父さんが死ぬのを待っているみたいって。何でそんなことを書くかな」

 

 

 

舞台は、この国がバブル経済絶頂期に(ひた)っていた1980年代のひと夏。

 

主人公は、11歳の少女・沖田フキ(以下、フキ)。

 

「人が死ぬと泣く。死んだ人は可哀想だから泣いているのか。自分が可哀想だから泣いているのか」

 

就寝中にフキが何者かに首を縛られ、殺害されるという事件が発生し、その葬儀の場で級友や大人が涕泣(ていきゅう)する映像が提示される。

 

「私が死んだことは、自分ではあまり実感が湧かなかったけど、皆が悲しんでいるのを見たら私も悲しくなった。眼が覚めた時、涙が出ていてびっくりしたけど、本当に良かったと思った。終わり」

フキ

教室で作文を読むフキが、そこにいる。

 

郊外の団地で母と暮らすフキの父・圭司は癌を患い、最後のステージに入っていた。

 

「できるだけ家族といる方がいいって主治医は言うんですけど、家ではもう限界で…このまま最後まで病院でお願いしたいって伝えたんです。私は仕事がありますし…」

 

管理職で忙しい母・詩子は、会社の上司に伝える会話の一端である。

 

そんな詩子が、フキの担任から、「みなしごになってみたい」と題するフキの作文を紹介され、不満げな詩子は、校内で待つフキに「勝手に親を殺すな」と一言。

フキの母・詩子

「勝手に親を殺すな」

特段に怒ることなく、「たかが作文じゃない」と捨て台詞を残し、風を切って走る母の自転車の後部座席に乗るフキは、母の腰に手を回せず、乗り心地が悪そうだった。 


その足で父が入院する病院に行くフキ

 

英語教室にも通い、塾の先生との英会話。 

英語教室

テレビで超能力の放送を観て、興奮冷めやらず、父のカード当てのトランプマジックを間近に見て、思わず「すごい!」と言って驚くフキだが、疲れてしまった父は雑誌を読み出し、落胆するフキ。

フキの父(右)

「プライバシーの侵害」


自分の日記を、母が勝手に読んでいるのを見たフキの一撃。

 

「お父さんが死ぬのを待っているみたいって。何でそんなことを書くかな」

 

母の返しは愚痴のようだった。

 

「やっちゃんのお母さんと話したでしょ」

「やっちゃんて誰?」

「松下エリ」

「話したわよ」

「お父さん死んだのって聞かれた」

ちょっと聞いただけでしょ。向こうはプロなんだし。いざっていう時に、頼れる人がいる方がいいんだから。お母さんはね、先のことを考えてんの、色々。子供が分かったようなこと言いなさんな。言いたいことがあるんだったら、面と向かって言えば。日記だか作文だかに、こそこそ書かないでさ」


母の話を無視し、自由に踊るフキ。

 

「ねぇ、ちょっと聞いてんの?」

 

それだけだった。

 

パワハラが疑われ、会社からメンタル・トレーニングを強いられ、不満げに参加する詩子。

 

ストレス耐性の強化が求められたのだろう。


研修を担当するのは御前崎おまえざき

 

「コミュニケーションの取り方に難しさを抱えている人のためのプログラムです。研修の一番の目的は、ヒューマンスキルを高めるためにあります」

御前崎

ヒューマンスキルの隠喩と思われる「コミュニケーション障害」(ネットスラングで「コミュ障」)の克服を目指すと思い込み、自尊心が傷ついた詩子は、その場を去っていくが、御前崎の優しさに惹かれたのか、メンタル・トレーニングを続ける詩子。

 

二人が男女関係を持つのも、あっという間だった。

 

一方、好奇心旺盛なフキ。

 

英会話教室で仲良くなり、共に行動するちひろを誘い、戦争の悲惨な映像を観にいくが、映像に耐えられず、ちひろは倒れてしまった。

 

そのちひろの家に遊びに行ったフキは、ちひろの父親が浮気している写真を見てしまう。 


二人で遊んでいる中、フキが見た写真を、今度はちひろ自身も見ることになるが、これはフキが誘導した産物だった。

 

大人の世界の一端を垣間見た二人だが、英語教室の場で、ちひろが青森の祖父の家へ引っ越すことになったことを知らされるフキ。

 

「お友達になってくれたお礼」と言われ、ちひろからカチューシャをプレゼントされるフキ。 

ちひろ(右)

御前崎の姉が癌に効果のある健康食品を取り扱っていて、父の病院を訪ねることになる。

 

喫茶店でのこと。

 

御前崎の顔を凝視するフキ。

 

「おじさんの顔、面白い?」と尋ねられ、首を横に振るフキ。



活き活きするようになった母は、店でフキが手にするぬいぐるみを「買ってあげようか」と言って、頷くフキ。

 

御前崎の出現と母の変化。

 

フキは気になってならない。

 

友だちが不在なフキは、伝言ダイヤルを利用して、大学生と話すことになる。

 

心理学を専攻するという相手から、人間心理の興味深い話を聞き、ひと時楽しい時間を満喫する 。

 

一方、父は癌治療の難しさを感じ取っていた。

 

「アメリカにいい薬があって、それ試したいんだけど、もう日本の医療じゃできることないってさ」


会社の同僚が訪ねて来て、「復帰は無理だなぁ」という声を耳に入れるフキ。

 

病院の廊下を生気なく歩く父。


「今は割と落ち着いているけど…いいわよ無理して来なくて。来てもらったって気遣っちゃうし、顔見て泣かれても困るしさ」

 

母の声がフキの耳にも入ってくる。

 

そんな母のもとに、唐突な訪問者があった。

 

御前崎の妻である。

 

「あの、初めてじゃないんですよ主人、こういうこと。困ってる人がいると助けたくなる性分で。前の人はずっと若い子だったんですけどね。自殺未遂されちゃって、ほんと大変でした。また、そんなことがあったら嫌だから来たんです」

 

この話は、フキの耳には届かないが、止っている車に御前崎が乗っているので、ここでも凝視する。

 

見つめ合う大人と小5の少女。


だから、自宅への訪問客が誰であるか、推測しているはずである。

 

それでも、どうしても入れないフキ。

 

児童の立ち入り禁止のゾーンの渦中で、(みだ)らな大人を凝視する少女が、そこにいた。

 

 

 

2  「お父さんに会えるとしたら、なんて言いたい?」「“久しぶり”」

 

 

 

父の病院に足繁く通うフキは、一枚の絵に関心を(いだ)く。

 

病院のロビーで売られているルノワールの絵である。

「可愛いイレーヌ」

絵画史上最も有名な少女像と称される、8歳の「可愛いイレーヌ」(イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢)である。

 

父がフキにルノワールの「可愛いイレーヌ」を買ってもらって、それを眺め入るフキ。

 

そして父は、病院のスタッフから促されて100万を払って気功道場に通うことになる。

 

父思いのフキも一緒だった。


フキを連れ、競馬場にも行くが、財布を失くしてしまう父。

 

タクシー料金を母・詩子に支払ってもらい、帰宅する父とフキ。

 

ぐったり疲れて食卓で俯せている父に、「食べないなら寝たら」と言い放つ母が、100万円を支払ったと知り、大声で怒鳴るのだ。

 

「100万って何考えてんの!」


「俺の金、何使おうと勝手だろ」

「こんなことで病気なんか治るわけないじゃない!」

「フフフフ」とフキ。

「何笑ってんの、気持ち悪い」と母。

「そういう言い方やめろよ」と父。

「うるさい!」

 

怒鳴るだけの母。

 

痛みを訴える父。

 

「痛いのはこっちよ」と言い捨てて、食卓を離れていく母。

 

両親の関係が壊れている現実を感じ尽くしているフキには、今やもう万事休す。

 

外に出て心を安んじるように、一人、考え込む詩子。


沸点に達し、搔き乱した心へのストレスコーピング(ストレスへの対処行動)である。

 

この間、映像は映さないが、同様にストレスを溜め過ぎた父が卒倒し、救急車で運ばれていた。

 

「フキが救急車呼んだの?」 


「うん」

「大変だったね…」

 

救急車で運ばれた病院で待機する母子の会話である。

 

直後の映像は、伝言ダイヤルで知り合った大学生を名乗る青年からの誘いに迷うが、会うことを決める。

 

カチューシャをつけ、白い花柄のワンピースを着て、待合場所まで向かうフキ。

 

青年はフキを電車経由で自宅まで連れて行き、締め切った部屋の中でジュースを出す。 

青年を見るフキ

「はい…おいしい?」

「ありがとう」

 

最初に交わした会話である。

 

青年はソファーに座るフキの横にピッタリ座り、大きく深呼吸をさせた後、右手をフキの背中にまで伸ばし、両肩を優しく押さえ、ゆっくり顔を近づけていく。

 

「口臭いよ」といきなり笑い出し、立ち上がった青年は「こっちおいで」と言って、フキの歯磨きをする。  

 

二人に笑みが見える。



そんな時だった。

 

外国に行っていた青年の母が、1週間繰り上げて帰国し、自宅に戻って来たのだ。

 

締め切った部屋を開放する青年の母の話によると、青年の名は薫、受験生だった。

 

真っ青な顔の薫は、浴槽に隠し込んでいたフキを、母に見つからないように屋外に出して、まるで邪魔者を放擲(ほうてき)するように解き放つのだ。


性的悪戯から寸前に免れたフキは、そのまま何もなかったように、長い長い帰路に就く。


随所で妄想の世界(父と行った競馬場で見たサラブレッドとの出会い)に侵入するが、疲れ果て、豪雨に身を奪われ、もう限界だった。 


そんなフキを救い出す男性が現れ、拠って生きる在り処(ありか)への帰還を果たす。

 

自ら電車に乗って連れて来て、具合が悪くなって最後は放擲(ほうてき)するような、無責任な大人だけではなかったということか。

 

11歳の少女の帰還の先に待っていた、優しき父の死。

 

疲弊した体を癒し合う母と子。


まもなく、青森に引っ越した英語教室の親友・ちひろの元に、母と旅行に行く。

 

思い切り遊ぶ二人の少女。

 

「お父さんに会えるとしたら、なんて言いたい?」

「“久しぶり”」

 

迷った末に大きな声で答えた一言には、この夏、笑みを失った父と過ごした日々を懐かしみ、それを思い出として乗り越えていく少女の〈現在性〉が垣間見える。 


家族の風景のカットが映し出されて、クルーズ船でのパーティーに招かれて踊り続けるフキ。



ラストは、青森からの帰途の列車内で、母とのカード当てのテレパシーごっこをするフキの笑みだった。 


 

 

3  只者ではない観察者

 

 

 

“じっと見て、じっと聞く子”

 

主人公・フキのパーソナリティを説明する早川監督の言葉である。 

早川千絵監督

特に、大人の世界は未知なので、11歳の少女特有の思考・感性・行動様態が明瞭に発現されている。

 

“じっと見て、じっと聞く子”は、只者ではない観察者だった。

 

見たいものと、見たくないものを峻別(しゅんべつ)しながらも、その本質を見抜く能力は抜きんでている。

 

それは、成長への十分な条件を満たしているから、只者ではない観察者と化すのだ。

 

単に見るだけで終わらないから、只者ではない観察者は、学習する観察者として自らの自我を鍛え抜く。

 

児童期後期と思春期初期の難しい狭間にある少女の自我は、その形成過程にあって、より善き選択をするために周囲の諸状況から複合的な学習材料を手に入れるのだ。

 

大人社会のリアリズムから手に入れるのは限定的だから、情報が内包する怖気(おじけ)を排除しつつも、じっと聞く態度を表現する。

 

そこに最近接したエピソードがインサートされていた。

 

河合優実演じる大人の女性との交叉が、それである。

 

以下、そのエピソード。

 

テレパシーに嵌ったフキは、友だちと遊戯に興じるのみならず、団地の大人の女性と催眠術の世界に時間を投じていく。 


「窓の向こうに人が座っています。誰が座っていますか?」とフキ。

「マコ。私の旦那さん」と女性。

「その人はどんな顔していますか?」

「哀しい顔」

「どうして哀しいんですか?」


「どうしてかな…」

「死んじゃったから?…何で」

「…」

「何で死んじゃったんですか」27・39

「前の晩にね、喧嘩したの。お互い、一言も口聞かないで、ご飯食べて。旦那さんはそのまま会社に出ていって、それから私、あとから、家を出る時に、玄関の下駄箱の所に鍵があったのね、旦那さんの。凄く心が乱れていたんだと思う。その時、私、何か意地悪な気持ちになったんだよね。旦那さん帰って来て、鍵忘れたこと気づいて、あーしまったってなるとこ想像して、ざまーみろって…仕事、定時に終わって会社出たんだけど、駅に着いたら人身事故で電車動いてなくて、当分、復旧しないって言うから、じゃ映画でも観て、時間つぶすかって思って、映画館に行ったの。映画が終わったら、電車も動き始めて、10時過ぎだったかな、(うち)に着いたの。マンションの前に消防車とか救急車が止まって、赤い光でそこら中、真っ赤なの。何があったんだろうねって、他人事(ひとごと)だよね。ちょっとワクワクしちゃって、エレベーターが使えなくなってたから、階段で11階まで上がって、そしたら(うち)の前に警察の人がいて、ベランダから人が落ちたって言うの。それで私、あって思い出したの。鍵忘れたんだって。(うち)いつも窓の鍵、閉めないの。喧嘩のきっかけはね、旦那さんの部屋でビデオ見つけたの。エッチな奴かなぁって思って、どういうのが好きか見てやろうと思って、リビングのテレビでヘッドホンして、気づかれないように観たの。思ってたのと全然違って。ホームビデオみたいな奴。何だろう、これって。小さい子供ばっかり写ってるの。(みんな)、泣いてるの。色んな国の子供が泣いてるところを…ひたすら執拗に撮っている映像が次から次へと続くの。最初は、誰がどういう意図で作ったのか理解できなかったんだけど、ずっと見ているうちにね、だんだん、分かってきたんだよね。どうして、こういう映像が出回っているのか。どんな人がこういう映像を観て喜ぶのか。あんなもの観るんじゃなかった。知らなかったら、旦那さんのこと気持ち悪いって思わなかったのに」


夫婦喧嘩の原因となった、「色んな国の子供が泣いてる」映像が、本作の冒頭に紹介されていて、好奇心が強いフキもこの映像を観ているのだ。

 

テレビで流される猟奇事件等の報道に真剣に耳を傾けるフキだから、少女なりに理解できたにも拘らず、なぜ、この映像を気持ち悪いと言って、喧嘩になってしまったのか。


そこには、子供と大人の違いがある。


ペドフィリアの如き、こういう趣味を持つ夫への違和感・嫌悪感が生まれるのは当然だろう。

 

そのコンテクスト(文脈)で言えば、ここでフキが女性の目の前で強く手を叩き、「これで終わりです」と言って催眠術を終わりにしてしまったとも推量できる。

 

ざっくりと言えばこういう経緯だが、言うまでもなく、女性の静かだが、なお強烈な心情吐露はフキの催眠術の所産ではない。

 

女性が催眠術にかかってないのは自明の理。

 

大体、催眠術にかかりやすい人は、想像力が豊かであるが故に暗示にかかりやすい人。

 

催眠術は超能力ではなく、科学的に説明できるのである。

 

だから女性は、催眠術という心理的な技法を利用して、自ら抱える心的外傷を少しでも浄化するために、ここぞという時に、強烈な心情吐露に及んだのである。

 

即ち、相手が無害な子供であり、且つ感受性が豊かであると認識しているから、“聞く耳”を有するフキを相手に、心の奥深くに封印していた重く沈んだ(よど)みを(さら)け出したのである。

 

悲嘆(グリーフ)の重さを浄化するためのグリーフワークだったのだ。

 

悲嘆(グリーフ)を受け止めるフキもまた、女性の心に最近接するが、当然、限界がある。

 

だから物理的に離れようとするが、心のどこかで気になるから、“聞く耳”を絶やさなかった。

 

フキが出会った、大人の心の世界。

 

父が抱える病の辛さに日常的に近接している少女の感性が、団地に住む女性の心の世界に架橋したのである。

 

只者ではない観察者が、そこにいた。

 

また、薫との出会いと別れは呆気ないものだった。

 

歯磨きのシーンで頂点に達するフキの未知なる体験は、大人の世界の醜悪さを(あぶ)り出すが、長い帰途に就くフキの、様々な、しかし、児童期後期の好奇心を満たすに足る振る舞いとして、良くも悪くも、忘れ得ぬひと夏の時間の贈り物だったかも知れない。

 

同時にそれは、少女の内側で累加されたデイリーハッスル(日常的な小さな苛立ち)からの浄化・解放を希求する思いの束の、それ以外にない自我防衛戦略だったのかも知れない。

 

然るに、この危うい時間は、自分の力量では足りなすぎる突破力を露わにして、只者ではない観察者を沈黙させてしまうのだ。

 

それでも、次のステップへの飛翔の推進力と化していく。

 

誰もが回避できない通過儀礼と呼ぶには酷すぎるが、少女の豊かな感受性は、クレバーで行動的なパーソナリティを駆動させるに十分なのである。

 

そう信じられる映像だった。

 

「彼の欲望によって連れてこられて、彼の都合によって追い出される。尊厳が傷つけられて、すごく嫌な感じはするのだけれど、何が起きたのかはまだ理解できていない。女性は、大人になってからもこんなふうに尊厳が傷つけられる体験をする人も多い気がします。女の子は幼い時から大人になるまで、常に危険と隣り合わせだという状況も描きたかった」(インタビュー)

 

これも早川監督のインタビューでの言葉である。

 

本人の同意なく性的な画像を作る「ディープフェイクポルノ」や、ネット上で出会った異性に裸の画像を交換し、その画像で脅すというセクストーション」という犯罪を知る限り、「女の子は幼い時から大人になるまで、常に危険と隣り合わせ」という認識を持たねばならないと切に思う。

 

―― ここで、説明台詞を捨てた、優れて作家的な映像を総括したい。

 

病が深刻化し、心身の疲労が溜まるだけの父、パワハラ扱いされる管理職の仕事と、不倫に逃避する母のストレスコーピングが家族を騒がせて、家庭の事情(多分、両親の離婚)で青森に引っ越すちひろを含め、大人の事情に振り回される子供たちの構図が、本作を貫流している。

 

その只中で長い長い夏を縦横に動き、聞き耳を立てて世界を吸収する主人公のフキ。

 

ここで吸収された曲直(きょくちょく)正邪(せいじゃ)入り(まじ)えた情報の束が、受ける感情の起伏を成して、どこまでも続くような時間の海を遊弋(ゆうよく)していく。

 

映画の中で最も印象が残るのは、父との関係性の在りようである。

 

「私が死んだことは、自分ではあまり実感が湧かなかったけど、皆が悲しんでいるのを見たら私も悲しくなった」

 

フキの作文の一文である。

 

思えば、「みなしごになってみたい」と題するフキの作文には、当然のように、人間の死を実感的に捉えられない少女だが、少女なりに、「予期悲嘆」(身近な者の〈死〉に対する哀しみ)の思いに染まる心の準備をしているとも考えられる。

 

笑みのない父と日常的に近接しているからだ。

 

だから、フキの作文は不謹慎な作文などではないのである。

 

父の死への心の準備である「予期悲嘆の実行」という時間を内包していたが故に、父の死の現実に対して、フキは心乱すことなく、可能な限り客観的に捉えられたのである。

 

これが、「お父さんに会えるとしたら、なんて言いたい?」とちひろに尋ねられた時、大きな声で「“久しぶり”」と反応できたのだ。

 

少女のひと夏の収斂点は、子供をインボルブし、深々と呑み込むような大人社会の海図なき航海の偏流を起点にして、英語を武器に世界に飛翔(ひしょう)するイメージすら(いだ)かせる、クルーザーでのパーティーに象徴される映画のプロモーション画像の構図において極まっていた。

 

それは林間学校で弾けた少女の熱量の結晶点だった。

 

「プラン75」にも深い感銘を受けたが、本作もまた、文句のつけようがないレベルに達していた。 

「プラン75」より

(2026年5月)

2026年5月15日金曜日

フォーン・ブース('02)   匿名性社会、その闇のテロリズム  ジョエル・シュマッカー

 


序  近代社会の光と影

 

 

 

面白い映画だった。

 

単に面白いだけの映画なら一時間もすれば忘れてしまうが、本作には面白いだけの映画にとどまらない何かがあった。

 

それは何だろうか。

 

私はそこに、「近代社会の光と影」の最も尖った部分が露出されているように思えたのである。

 

だから「9.11」以後、私が観た映画の中で、本作の評価は高いものがあった。

 

確かに本作には、ハリウッド的な娯楽性の範疇に収斂されるあざとさが随所に散見されるが、その点を割り引いてもなお、私の鑑賞気分を充たす何かがあったのだ。

 

 ―― その辺りの言及の前に、本作のストーリーラインについて詳細にフォローしていく。

 

 

 

1  パブリシストの受難

 

 

 

“オペレーター。番号案内につないで欲しい。番号案内を。長距離電話をかけるんだ。長距離電話さ。天国につないで欲しい。オペレーター、番号案内を頼むよ。イエス様につないでくれ。番号案内を頼むよ。友だちと話したいんだ”

 

このような歌詞のゴスペル・ソングが流れて、映像が開かれた。

 

皆、携帯を持っていて、この現代の便利な利器を、当然のように自分の生活の一部に取り込んでいる。

 

「ニューヨーク市の人口は、5つの区で約800万人。周辺部を含めれば1200万人。電話回線は、ほぼ1000万。電話会社は50以上。300万人が携帯電話を使う。歩きながら話をするのは、今ではステータスの象徴だ。たちまち公衆電話の座を奪った。だがそれでも未だに、約450万人の居住者、約200万人の外来者は公衆電話を利用している。これは8番街と53丁目角の公衆電話。西マンハッタン“最後の聖域”。ボックス型公衆電話。最後の一台。毎日ここで、300の通話がなされ、この半年間で41回も強盗事件が起きた。電話会社は明日の朝8時に、このボックスも取り壊す予定だ。2ブロック先に、ここの最後の利用者になる男がいる」(冒頭のナレーション)

 

このナレーションでも紹介されているように、映画の舞台はニューヨークの繁華街、タイムズ・スクウェアである。

タイムズ・スクウェア(ウィキ)

 

このタイムズ・スクウェアを一人の男(左)が、部下を連れて歩いている。

 

左手に携帯電話を持って、次々に相手を替えて話し込んでいる。

 

男の名はスチュワート・シェパード。通称スチュ。 

スチュワート・シェパード(左)

パブリシスト(注1)である。

 

宣伝マンであるスチュは、携帯一つでタレントなどの売込みや、様々なイベントを計画し、自らが勝ち組のセレブとなった気分で日々を送っている。

 

(注1)「パブリシストとは、芸能人や政治家などのセレブをクライアントに持ち、彼らとマスコミの間を繋げるために様々なパーティ、記者会見などのイベントを企画・実施していくPR担当者、プレスのこと。一方ではスキャンダルが発覚しないための工作活動を手がけることも。マスコミが集中する大都市圏でしか成立しない職業である」(映画「ニューヨーク、最後の日々」公式HPより)

 

そんな多忙な男が携帯を手放して、フォーン・ブースに入った。

 

明日になれば取り壊される予定の、最後の電話ボックスである。

 

男がそこに入ったのは、自分の携帯を使えないからである。 


機能上の問題ではなく、妻帯者である彼が通話記録を残したくないためだ。

 

クライアントである新進女優に、いつも彼はこのようにして連絡をとっているのである。

 

そこに、ピザの配達員がやって来た。

 

男はしつこく付きまとう配達員に金を払って、「お前が食え。失せろ」と下品に言い放って追い返した。

 

スチュは女優の卵に電話して、映画の企画を持ち出して誘いをかけていく。

 

彼はその誘いを断られ、受話器を置いてボックスを出ようとした。

 

更にそこに、一本の電話。

 

彼は思わずその電話を取ってしまった。

 

「面白いよな。電話が鳴る。相手は分らない。なのに電話を取ってしまう」

 

いきなり、知らない男の声がした。

 

「何だって?」とスチュ。

「君は私の感情を傷つけたぞ」

「誰だ?」

「電話ボックスから出るな」

「番号違いだ」

「美味いピザだった。食って欲しかったよ」

「さっきのピザは、イケるジョークだな」

「これから体力の限界を味わうぞ」

「悪いが切る」

「ダメだ。君は私に従うんだ」

「あんたに従う?誰だ?」

「君を見ている」

「俺を?」

「ラズベリー色のシャツに、黒のスーツ。イタリア風だな」

「どこから見ている?」

「沢山ある窓を調べて見ろよ」

「俺は今、何を?」

 

スチュは電話ボックスから身を乗り出して周囲を見回したが、まるで見当がつかない。

 

彼の中に少しずつ不安が過(よ)ぎってきた。


 

「頭を掻き、髪を後ろへ撫で付けた。良くないぞ、スチュ」

「スチュだって?一体誰のことだ?」

「スチュアートと呼ぶか?」

「あんたに関係ない」

「スチュアート・シェパード。西51丁目1326番3階」

「俺に構うな」

「私はパムも知っている。電話を切るとまずいぞ。誰かが傷つく」

 

パムとは、新進女優パメラのこと。

 

電話の相手が自分のプライバシーを把握していることに、スチュは不安を隠せない。

 

「どうした?スチュ」と電話の男。

「俺が見限った役者か、クビにした助手なら、この町で働けないよう手を回すぞ。俺は無名の人間をスターにも、負け犬にもできる。聞こえたか?金が目当てなのか?狙いは何だ?」

 

スチュは懸命に虚勢を張って、相手を恫喝しようとする。

 

しかし相手はどこまでも冷静である。

 

「話す気になったか?」

「アダムの差し金か?」

「いや、私が自分でやったことだ」

「下らん、切るぞ」

「君の妻、ケリーにかける。後でな」

 

電話を切ったスチュの表情は、明らかに不安な気持ちを隠せないでいる。

 

彼はボックスを飛び出して、周りを見回した。

 

しかし何も分らない。

 

町行く人々が、それぞれ手に携帯を持って、自分の日常的なプライバシーを吐き出している。

 

そこに再び、ブースの電話が鳴った。

 

スチュはそれを取って、いきなり不快な思いをぶつけた。未だ強気である。

 

「望みは何だ?」

「私の話に集中しろ」

「俳優か?」

「そう、君が見限った役者だ」

「仕事はなし?」

「君に手を回されるまでもなく、この街では働けない。オフ・ブロードウェイ(注2)に出たがこけた。家賃を払うため、ウェイターやトイレ掃除もしている」

「オーディションさせてやる」

「たかが宣伝屋のくせに」

「エージェントに顔が利く。楽勝だよ」

「本当か?すごい。電話して欲しい人がいる」

「誰だ?」

「さっき君がかけた相手だよ」

「何のことだ」

「メモしておいた。君が押した番号は丸見えだ。パムにかけろ。じゃ、私がかける」

「止めろ!」

「手遅れだ。もう鳴っている。スピーカーホーン(音響装置)にする」

「冗談だろ」

「スチュ。私は冗談が嫌いだ」

 

(注2)大劇場で演じられるミュージカルを、「オン・ブロードウェイ」と呼ぶのに対して、100~300席程度の小劇場で上演される演劇を言う。


ここで電話の男は、パムに電話した。

 

パムの声がスチュにも届くが、彼の声はパムには聞こえない。

 

それを利用して、男はパムに、スチュがなぜ携帯ではなく、電話ボックスからいつもパムに電話することの理由を説明する。

 

「女房に携帯の請求書を調べられると困るからだ」と電話の男。

「何てことだ」とスチュ。

「独身だと言ってたわ」とパム。

「女房がいるとも。名前はケリー。感じのいい声をしている・・・君を騙すのは寝るためだよ」

「デタラメだ。信じるな」とスチュ。

 

しかしその声は、パムには聞こえない。

 

パムは男の声を受けて、「私はバカじゃない。彼と寝るつもりはない」と答える。

 

今度は、男はスチュを相手にする。

 

男はスチュの妻に電話をして、パムとのことを話すと恫喝するのだ。

 

スチュは、「俺も時々、気が変になる。辛さは分るよ。妻に電話は止せ」などと言って、懸命に相手の行為を制止しようとする。 


既にスチュの表情から、相手を権威や恫喝で対応しようとする強気の素振りすらも消えかかっていた。

 

追い込まれているのである

 

スチュは自分の方から妻に話すと言って、妻のいる場所に電話した。

 

「今、どこ?」と妻のケリー。

「電話ボックス」と夫のスチュ。

「知らない男の人からの電話で、あなたが大事な件で電話ボックスから、かけるって」

「イタズラ電話が多いからな」とスチュ。

 

彼は誤魔化すしかなかった。

 

「女をホテルに誘うと言え」と電話の男。

 

勿論、ケリーには聞こえない。

 

「黙れ!」とスチュ。

 

彼は思わず感情を噴き上げた。

 

驚く自分の妻に、スチュは「君に言ったんじゃない」としか説明できない。

 

相手の男は笑っている。

 

先程から、この電話ボックスを唯一の連絡手段に使っているコールガールたちが、外から丸見えのボックスの扉を叩き付けてくる。 


スチュはこのとき、電話の男と妻、そして、ボックスを利用しようとする女たちを相手にせざるを得なくなって、次第にストレスの許容臨界点に近づいてきた。

 

「我慢の限界だ」とスチュ。

「電話を切ったら、君を殺す」

「窓から双眼鏡で見て、何ができる」

「双眼鏡ではない。高度な照準器で見ている・・・」と相手の男。

 

敵はライフルを持っていると言うのだ。

 

「君を狙っている」

「結構だな・・・クタバレ」とスチュ。

 

彼は懸命に強気を装うとしている。そして受話機にライフル音を響かせた。

 

スチュの表情に、再び不安の感情が炙り出されていく。

 

「ここで発砲してみろ。大騒ぎになるぞ。警官が一斉に包囲する」

「そう思うか?やってみよう。1・・・2・・・隠れてもムダだ・・・3」

 

男がそう言った瞬間、ボックス前にリモコンで近づいて来た玩具のロボットが狙撃されて、破壊された。

 

スチュはボックス内で思わずしゃがみ込んだ。

 

「皆を見るがいい。大勢が悲鳴を上げている。警官が来たぞ・・・スチュ、聞いているか?男らしく、立て」

「これといった理由もなく、俺を殺すのか?」

 

スチュの声はあまりに弱々しい。

 

「理由は山ほどある。数え切れないほど・・・君の繊細さを試そう。今、君に照準を定めている。感じるか?レーザー・スコープ(赤外レーザーで瞬時に距離を計測できる)の熱を。集中しろ。意識を集中させろ。どこを狙っている?・・・答えてくれ、俺は今どこを狙っている?」

「肩の下」 

「どっちの?」

「右側だ」

「いいぞ、他の連中よりずっと頭が切れる・・・」

 

このとき、先程追い返されたコールガールのポン引きがやって来て、ボックスの扉を叩いた。電話を切りたくても切れないスチュは当惑するばかり。 


「・・・女たちが、うるせえんだよ・・・こっちは商売なんだ」とポン引き。

「分るが、切れないんだ」とスチュ。

「姉ちゃんたちが怒ってんだよ。お前の態度は眼に余る。丁寧に言ってるんだ。電話を切って、失せろ!」

 

相手は、今度は簡単に引き下がらない。

 

スチュは札ビラを切って、それで追い返そうとするが、相手は全く動じない。

 

電話の相手は、何でも金で解決しようとするスチュを笑っている。

 

ポン引きはボックスを蹴飛ばすが、それでも中から出られないスチュに激昂し、店からバッドを持って来て、それでボックスのガラスを打ち破ったのだ。

 

電話の相手はスチュに、「止めてやろうか」と打診し、ポン引きに体を押さえつけられていたスチュは、思わず「イエス」と答えた。

 

その瞬間、相手の動きが止まった。ポン引きは電話の男に狙撃され、その場に倒れ込んだのだ。

 

事態は一遍に、大事件に発展していったのである。

 

「なぜだ。なぜ、奴を撃ったんだ?」

「“イエス”と」

「“聞こえる”と返事したんだ」

「言葉は慎重に選べ」

 

この間、ボックスの周りに人だかりができて、彼らは皆スチュを睨んでいる。

 

「俺じゃない。銃は持ってない」

 

スチュは他の女たちに弁明するが、誰も取り合わない。

 

事態は深刻な状況を呈してきた。

 

電話の相手は、全ての責任はスチュにあると(なじ)るのである。

 

「君の罪は、他人対して傲慢なこと」 

「罪なんかない」 

「自分の行為に、男らしく責任を取れ」 

「あんたが殺した責任を、俺が取るのか?」

「原因は君にある」 

「俺が何をしたか知らないが、あんたなど死ねばいい」

「やっと本音を吐いたな」 

「あんたは誰だ?」

「君とは生きる世界が違う人間だ」

「仕事は?」

「観察している」

「観察?」

「人生に行き詰って、小さな部屋に閉じこもり、窓の外を眺め、毎日電話ボックスに出入りする人々を見る。そして彼らの物語を想像する。ある日、想像に飽き、一人を尾行する。彼の嘘を知り、罰してやろうと決意する。携帯片手の尊大な男は、私には気づかない。だが私は、ポルノ王や狡猾な重役に目を止めた。そして君にもだ」

「光栄だね・・・なぜ、ライフルを持った男に狙われる?」

「欲しい物を手に入れている。ケリーとパムだ。パムをレストランまで尾行した。美人だな。君は恵まれているのに、感謝もしない」

「見かけと実際は違う。自信家に見えても、助けを求めている。助けてくれ」

「私は助けようとしている。だが君が悪い」

 

電話の男の話だと、ポルノ王や狡猾な重役の殺害の犯人も自分だと言う。

 

明らかに、恐怖感を募らせていくスチュは、今や、敵に助けを求める臆病な男に成り下がっている。 


恐らく、それがこの男の実像なのだろう。

 

しかしもはや、この男の取り得る選択肢は限定されている。

 

そこまで追い詰められてしまっているのだ。

 

スチュがボックスの外を見ると、いつの間にか警察官に包囲されていた。

 

メディアも集まっていて、それを多くの群衆が取り囲んでいる。

 

状況は、フォーン・ブースに閉じこもる射撃魔という空気であった。

 

この空気を利用して、電話の男はスチュを更に追い詰めていく。

 

「両手を上げ、出て来い!命令だ」

 

警察の指示が、拡声器を通してボックスに閉じ込めらた哀れな男に投げ入れられた。

 

「君は私の命令に従え」と電話の男。

 

スチュを支配するのは、この男以外ではなかった。

 

「毎日、大勢が死んでいる。だが街頭の死体一つに、人は恐れ戦く。彼らを見てみろ。恐怖に震えている。警官が10人・・・ナムを思い出す」

「ベトナムか?俺は子供だったが、写真は見た」とスチュ。

「恐怖、悪臭、焦げた死体を喰う豚。ブーツの中の手榴弾。帰還兵は責められる。唾を吐かれたよ」

「国家は謝罪すべきだ。あんたが分ったよ。若くして戦争から戻り、感覚が麻痺し、仕事もなく孤独。辛すぎる身の上だよ。皆、理解してくれる。警官は帰還兵の味方だ」

「情けない奴だ。よく考えてみろ。焦げた死体?帰還兵なら50歳は過ぎている」

「騙すのは止せ!」

 

このボックスの中での会話に、警察を指揮するレイミー警部が入り込んで来た。 

ボックスに近づくレイミー警部

彼はスチュが後ろに拳銃を隠していると考えているが、そのスチュの言い分を聞こうとしたのである。

 

「その刑事(デカ)は目障りだ」と電話の声。

「邪魔するな」とスチュ。

「一体、誰と話している?」とレイミー警部。

 

スチュは電話の男の、「答えに気をつけろよ」という指示で、「精神科医」と話していることを警部に告げた。

 

電話から笑い声が漏れてきた。

 

警部はその嘘話に突っ込んでくるが、スチュは「近づくな」としか反応できない。

 

警部の背後には射撃班が待機しているが、誰も人質にとっていないスチュに対して、警部は強行突入を躊躇(ためら)っている。

 

彼は部下に、電話の主を特定するために逆探知を命じた。

 

一方、電話の男は状況を愉悦している。

 

「君は今、最も注目の存在だ。じき全米に流れる・・・全局、君のニュースだ」

「俺は一週間で忘れられる。被害者は皆そうだ。だが犯人は、タイム誌の表紙になる。あんたは有名になる・・・俺の名は忘れられても、あんたの名は長く残る」

「注目は浴びたくない」

「うまく売るんだ」

 

スチュは自分の職業的能力を利用して、犯人を自分の守備範囲に招こうとしている。

 

しかし、犯人は毅然と言い放つ。

 

「恐怖は創造性を生む」

「マスコミが飛びつく・・・」

「君を殺さずに投降しても、有名になるかな」

「あんたはヒーローになる。作家に本を書かせ、ドラマ化して全米を味方につける・・・」

「助かるためには、君を信じろと?」

「そうとも、俺を信じてくれ」

「私をバカだと思っているようだな」

 

スチュは自分を守るための必死の会話を続けるが、電話の男には全く通じない。それを感受した彼の表情は、恐怖に引き攣(つ)っている。

 

そのとき、彼の妻のケリーが、慌てて事件の現場に駆けつけて来た。 

ケリー

彼女は警部に、夫が電話の男に脅されているらしいことを必死に説明する。

 

それを知った警部は、電話の逆探知を部下に急がせた。

 

ここで妻のケリーが、拡声器を使って夫に呼びかけていく。

 

しかし、ボックス内の夫は電話の男の指示で、「妻じゃない。イカれた女優で、俺を付け回していた」と答えるしかなかった。

 

妻は警部に夫の写真を見せて、その関係が夫婦であることを証明した。

 

警部はケリーの話を信用し、スチュに呼びかけていく。

 

「スチュ、奥さんの話を聞け。心配しているんだ」

「妻じゃない」とスチュ。

「誰も何もしないわ。事情を知りたいだけよ」とケリー。

「その手に乗るもんか。イカれ女め!さっさと帰れ!」

「事態を悪化させないで。出て来て。警察に従って」

 

警部の指示で、ケリーの呼びかけは中断した。

 

今やスチュを支配し、状況を支配しているのは、紛れもなく電話の男だった。

 

男は、自分が駆使する邪道なる権力に酩酊(めいてい)しているように見える。

 

「ケリーに真実を話せ。パムとのことを」と電話の男。

「それで解放するか?」とスチュ。

「勿論」と電話の男。

 

男はスチュに、彼にとって最も辛い行動を要求した。

 

パムとの関係を妻に告白させようとしたのである。

 

スチュは殆ど泣き顔になって、妻に告白した。

 

「あなたが何をしようと気にしない」と妻。

「言われた通りにした。もう終わりだ」とスチュ。

 

電話の男にそう答えた。

 

「いや、まだだ」と電話の男。

 

この男はケリーの反応が気に食わなかったのだろう。

 

「気が変わった」

「何て奴だ。なぜ俺をこんな目に遭わす。望むことは全てやった。よくも騙したな。もう沢山だ!くたばりやがれ!」 


スチュは完全にレッドライン(絶対に越えてはならない境界線)を越えてしまった。

 

彼は一方的に電話を切ったのだ。

 

それを見た警部は驚いている。

 

狙撃班が動き出した。 

 

「投降する」とスチュ。

 

彼はボックスから、自らの意思で出て来たのである。

 

「銃を置け」と警部。 


警部の指示に従って、スチュが両手を挙げて近づいて来た。

 

そこにケリーが飛び出して来た。

 

それをスチュは制止する。

 

男のライフルがどこかで狙っているからだ。

 

そこにまた電話があった。

 

「よし、電話に出ろ」とレイミー警部。

 

スチュは再びボックスに戻り、電話を取った。

 

「さっきはついカッとして、口が滑ったようだが忘れてやろう」

「騙したな」

「騙される痛みを知ったか」

「解放の約束は?」

「落ち着け。物事は思うようにいかない。君はここまで良くやったが、まだ終りじゃない」

「俺は出て行く」

「命を落とすぞ」

「走って飛び出す。一発勝負だ。撃てるか?」

「いい射撃練習になる」

「すぐに居場所が知れるぞ。武装警官に運命を委ねるがいい。レオン殺しの濡れ衣が晴れるかどうか」

「俺はやっていない」

「動機は充分。うるさい目撃者も大勢いる」 

「俺は無実だ」

「本当に?」

「そうだ!」

「凶器の隠し場所を忘れたのか?天井板を持ち上げてみろ」

 

電話の男の指示に従って上を見たスチュは、唖然とした。

 

そこに拳銃が隠されていたのである。

 

「手を伸ばして、確かめてみたまえ」

「警官に撃ち殺される」

「やってみろよ」

「ライフルの弾は拳銃の弾と一致しない。テレビで覚えた」

「衝撃で潰れる弾だ。判別できない」

「銃なんかない」

「信じないなら自分で見ろ。弾も入っている」

「どうでもいい」

「想像力を働かせろ。私を撃ちたいと思うだろう?」

「笑いながら撃ってやる」

「その意気だ。私は劇場の上の4階にいる。ピンクのカーテンの部屋だ」

 

信じ難いことを言われたスチュは、周りを見回した。

 

すると男の言うように、ピンクのカーテンの部屋があった。

 

「なぜ、教える?」

「楽しいからさ。チャンスは互角だ。それが望みだろ?私の場所を知り、銃もある。度胸さえあれば、私を殺せる」

「撃つ前に殺される」

「まあ、そうだな。私の居場所も嘘だ。カーテンに穴を開けるだけだ」

 

この会話の終わりに、新進女優のパムが人だかりの中に入って来た。

 

「パムを傷つけたくないなら、銃を取れ」と電話の男。

 

男は銃を取ることを拒むスチュに、身代わりを選べと要求した。

 

パムか、ケリーのどちらを殺していいか、その答えを求めたのである。

 

当然、スチュは拒んだ。

 

「一人選べば、君は助かる」と電話の男。明らかに偏執狂である。

「止めてくれ。もう耐えられない」とスチュ。

 

そう言って、彼はしゃがみ込んだ。

 

泣き声になっている。

 

「男らしくしろ。だらしがないぞ!」

 

こんな不気味な会話の中で、スチュはポケットの携帯でケリーに発信した。

 

ケリーは夫からかかってきた携帯を、そのまま警部に渡した。

 

警部はフォーン・ブース内の異常な会話の内容を知ることになる。 

フォーン・ブース内の異常な会話の内容を知る警部

警部は狙撃犯の存在を確認し、部下にその位置の特定を急がせた。

 

事情を知った警部はボックスに近づいて、スチュに状況の本質を把握していることを暗に伝え、後方に下がったのである。

 

「聖書オタクが、軽薄なPR屋を殺す」と電話の男。

「望みを言え」とスチュ。

「誰でも悪党には罰を受けさせたい。銃を取れ」

「自殺か?」

「そうとも。印象的な行為だ」

 

電話の男に強制され、スチュは銃に手をかけた。

 

「映像は全米に流れるぞ」

「俺の死を見たいか?」

「そうではない。助かりたいなら、告白しろ」

「全て話した」

「全てじゃない。言い訳や、ごまかしはダメだ。カメラに向って本音を吐け。テレビは人の“悪”を見せる。ぴったりだ・・・君に罪を償うチャンスを与える。愛する者、数百万の視聴者、そして私の前で告白しろ。死ぬときがきた」

「俺の罪は重大か?殺人者、小児性愛者じゃない。女優と寝たいだけの宣伝屋だ。大物に見られたくて、派手な背広に金をかける男。自分に無益な相手は冷酷に扱う」

「私は知っている。皆に言うんだ」

 

スチュは、その言葉をボックスの外に吐き出した。

 

「・・・物事の本当の価値には眼も向けず、上辺だけ・・・パムに罪はないんだ。結婚していたことは隠していた。ケリー、君を見ていると自分が恥ずかしい。俺は成功した男のイメージを築いたつもりでいたが、とんだバカだったよ。独りぼっちが似合いだ。自分と違う人間を長く演じすぎたから、本当の俺を知られるのが怖い。でも、これが俺の姿。ただの弱い人間だ。君を心から愛している・・・君のことを失いたくない。でも、俺にはもう何も言う資格はない。俺は君に不向きだ・・・解放する気はないんだろ?・・・俺には嘘をつく人間が分る・・・」


 

スチュの長い告白。

 

後半は、殆ど涙交じりの告白。

 

そして最後に、自分を甚振(いたぶ)り続ける男への諦念が刻まれた。

 

「では、なぜ告白した?」と電話の男。

「あんたのためじゃない」とスチュ。

 

まだ泣いている。

 

この間、警部は犯人から妻にかけられた電話の記録から、犯人の潜むホテルの部屋を特定できたとの報告を受けた。

 

「清らかな心で死ねるな」と男の声。

「死ぬのはお前だ。警官をお前を捕まえに行く。俺が送り込んだ!」とスチュ。

 

彼は警部から受け取ったメッセージを犯人に告げたのだ。

 

彼にはもう状況の全てが我慢し難かったのだろう。

 

「また嘘か」と電話の男。

 

スチュの言うことを信用する訳がないのだ。

 

「警官がお前を追い詰める。周りを見てみろ。刻々、包囲網が狭まる。じき、このボックスほどの狭さになる」

「誰も来ないぞ」

「よく聞け!ドアを破って殺しに来る。あと数秒だ。逃げるか?」

「そうなれば道連れが必要だ。お前の一番大切なケリーがいい!」

「俺だ!原因は俺なんだ!俺を道連れに!」 

 

スチュはそう叫ぶや否や、銃を取って、ボックスの外に出て叫んだ。

 

「俺を殺すがいい!  


その瞬間、一発の銃声。

 

スチュはその場に倒れこんだ。

 

一方、犯人のホテルの部屋に突入した警官隊は、犯人の死体を確認した。

 

犯人は突入前に、喉を掻き切って自殺したのである。

 

まもなく、警官のゴム弾に当たって倒れたスチュを警部が起こし、そこに妻のケリーが飛んで来た。

 

更に死体となった犯人が運ばれて来て、二人はその顔を見た。

 

スチュはその顔を見て驚嘆した。

 

「電話が鳴る数分前に、ピザを届けに来た奴だ」

 

その後、スチュは救急車の中で、鎮静剤を打たれて、意識が朦朧(もうろう)となっていた。

 

朦朧とした意識の中に、見たこともない中年男の声が侵入してきた。 


「洒落た靴だな。イタリア製か。電話を切ったな。別れの挨拶もしていないのに。ピザ配達人は気の毒だった。君とケリーの仲直りは感動的だったよ。礼は結構だ。誰も言わんしな。君の誠実さが続くように祈る。もしそうでない時は、また電話するよ」

 

左手にライフル銃を入れたケースを持ったその男は、救急車の傍らから離れて、ゆっくりと騒々しいニューヨークの街中を歩いていく。

 

「面白いよな・・・電話が鳴る。相手は分らない。なのに電話を取ってしまう。そうだろ?」

 

男は事件のフォーン・ブースに目を遣りながら、そう呟いたのだ。

 

真犯人の正体は最後まで分らなかった。

 

不気味な映画の、不気味な展開の物語は、不気味な衛星の周回の画面を映し出して、アイロニカルに閉じていった。

 

 

 

2  匿名性の暴力の狂態

 

 

 

私たちの近代が手に入れた「大いなる豊かさ」は、皆が均しく貧しかった時代のある種の平等信仰に風穴を開けたに違いない。

 

均しく貧しかった時代には、一部特権階級の「富の独占」に対してさして気にも留めなかったが、「大いなる豊かさ」のそのうねりの起動によって、ごく身近な他人の幸福の有りようまでもが気になってきて、そこに能力主義社会の全面展開の駆動が、人々の意識を鷲掴みにしていくことで、いよいよ「格差」への認知はリアリティを形成するに至る。

 

これは、自分だけが不幸であるという現実的な認知を受容できない時代の到来を告げるものだった。

 

豊かさの実感は自由の選択肢の幅を広げる感覚を自明のものとし、更にそこに、私権の拡大的定着が揺るがないものになってきたとき、人々の意識は価値相対主義に流れ込んでいくことになった。

 

ある意味で、最大の宗教国家であると言われるアメリカにおいてすら、豊かさを獲得した都市生活者たちの意識のバックボーンには、誰にも侵害されたくない私権意識の強固なバリアが張り巡らされているに違いない。

 

彼らにとって宗教的な絶対感は、あくまでも、自らの私権感覚の砦の内に同居し得る限りにおいて存在する何かであろう。

 

不平等なる「大いなる豊かさ」の達成は、私権の拡大的定着と相対主義の快楽を手に入れたが、実はその内側に、厄介な鬼っ子を分娩してしまったのである。

 

その鬼っ子とは、匿名性社会の思いもかけない膨張であり、その歪んだ尖りの噴出である。

 

プライバシーの保護が制度的に守られていけばいく程、その特権的な私権の城砦を暴いて止まない者たちの陰湿な暴走を加速させてしまうのである。

 

私権の砦を目立たせる者には、その独占的な快楽に楔を打つことで楽しむ、「私権剥がし」の暴力が必ず追い駆けてくる。

 

前者の存在が匿名化されていない分だけ、それを()むことで愉悦する匿名性の暴力の狂態がより炙り出されてしまうのである。

 

近年のインターネットの急速な普及は、匿名性社会の裾野を確実に広げてしまったと言えるだろう。 

インターネットの普及(イメージ画像・GIGAZINEより)

ハンドルネームを駆使して、匿名掲示板に書き込まれる不快情報の数々は、明らかにモラルハラスメントの様相を呈していて、それを制度的にフォローしても防ぎ得ない匿名者の暴走が氾濫する始末である。

 

これらの情報は人権侵害のとば口にあって、未だ凶悪な犯罪にリンクせずとも、その不快情報の抑制の効かない暴走は、殆どエンドレスな状況を呈していると言っていいだろう。

 

例えば、一人の有名人が知られたくないプライバシーをキャッチされたとき、そこに群がる攻撃的な情報の狂宴は、この上なく便利な利器を開拓し、私権の拡大的定着が保証される近代の快楽の内に、ほぼ必然的に分娩されたものと考えた方がいい。

 

このような匿名者たちの暴力は殆ど確信犯であり、その目的は特定他者を甚振ることによって手に入れる快楽にこそある。

 

特定他者も快楽主義者なら、それを攻撃する匿名者もまた歪んだ快楽主義者なのである。

 

近代社会の問題の一つは、実は私たちが手に入れた様々な快楽の様態と、その歪んだ回路の暴走を抑制し得なかった脆弱さの中にあるとも言える。

 

匿名者たちは自らの快楽の享受を、自分が甚振る特定他者の辛さや苦悶の表情を想像したり、或いは、それを何らかの形で目撃したりすることで達成しているのである。

 

何とも歪んだ欲望だが、それもまた、近代社会が分娩した捉えようのない陰翳の一つの現象なのだ。

 

 

 

3  嫉妬の時代

 

 

 

近代とは、嫉妬の時代である。

 

しかもその嫉妬が、簡単な利器を通じて特定他者を決定的に甚振(いたぶ)ることが具現できることによって、その病理を再生産させてしまうという負の連鎖の構造を検証してしまったのだ。

 

嫉妬の時代の闇は、深々と陰湿さを増し、もはや辿り着く所のない迷妄をいよいよ広げるばかりである。

 

快楽を目的とする匿名者が特定他者を甚振って手に入れる快楽が、自分が仕掛けた攻撃によって一定の功を奏し、そこで相手の苦吟を確認することで手に入れる満足感にしばし浸れるが、しかしここで厄介なのは、その満足感は一回的なものでしかないということだ。

 

甚振ることを止めない者は、更なるレベルの満足を求めることになるので、そこにいつまでたっても、自己完結の最終的達成点が手に入らないのである。

 

より手応えのある快楽を手に入れるために、その攻撃の質を高めていかざるを得ないエンドレスの構造を持ってしまうということ。

 

それが厄介なのだ。

 

次のより高いレベルの快楽に流れていくことで、いよいよその様態を変えていくのである。

 

満足感というものに明瞭なゴールを持たない限り、快楽を求める人間の暴走は決して一箇所に留まることはないだろう。

 

だから人は、常に絶対的快楽を求めて突き進む 

「拡大自殺」とも言われる秋葉原通り魔殺人(ウィキ)


無論、そんなものは存在しないから、そのエンドレスな構造に呪縛された人間の脆い自我は、結局は破局に向って堕ちていく以外にないのである。

 

しばしば快楽を目的とする卑小な匿名者は、いつしか快楽殺人者となって手に入れる快楽の醍醐味を忘れられず、次々に特定他者を転がしていって、しばしば、ある種の「拡大自殺」(他者の手を借りて自滅する)の様相を呈するかの如く、遂に自らの自我を壊すに至るに違いない。

 

 

 

4  堕落せし者たちを裁く神

 

 

 

以上の問題意識を念頭に入れて、本作に言及する。

 

本作の主人公、スチュはパブリシストを気取るものの、新進女優も満足に口説けない口八丁のケチな宣伝マンである。

 

この男がどれ程の財産を所有しているか定かでないが、恐らくたかが知れているだろう。

 

現にスチュは、業界でそれ程の辣腕の持ち主であるという評価からはほど遠かった。

 

そんな男が狙われた。 


男を狙った者は、無論、極度に歪んだ匿名者。

 

しかも、この発信者は殺人まで犯しているから、単なる快楽的匿名者の次元を越えて、既に劇場型犯罪にも似た快楽殺人者をも髣髴させる。

 

あろうことか、この男は、スチュを「傲慢の罪」によって裁こうとしたのだ。

 

この男の話だと、過去にポルノ王や狡猾な重役のテロ犯罪に関係していると言う。

 

どうやらこの男は、自らを、「堕落せし者たちを裁く神」と看做しているようである。

 

そんな不気味な男だが、映像を通して、その実像は一度も語られない。

 

語られないから、この男のスチュ攻撃の目的も不分明である。

 

それにも拘らず、この男はスチュのプライバシーを把握している。

 

彼の妻のケリーですら知らない事実、即ち、スチュが秘め事にしている他愛のない浮気心ですら、この男は把握しているのだ。

 

その当人のスチュはと言えば、新進女優と寝たいと願ってはいるが、相手からあまり相手にされないような程度のケチな気分で、フォーン・ブースを利用しているに過ぎない男の浮気心で、タイムズ・スクエアを我が物顔で闊歩してみせる見栄っ張り。

 

確かに、その見栄っ張りの態度は、他者に対する傲慢な振舞いによって際立っていたが、それも宣伝マンとしての能力不足を補完しようとする脆弱さの表われに過ぎない。

 

それは、電話の男が仕組んだピザ店員に対して、「失せろ」と吐いた言動に象徴されるレベルの愚かさに過ぎないのである。

 

しかし電話の男は、そんなケチな宣伝マンを「特定他者」に指定して、本来的に非力な「勝ち組」自称者を、集中的に攻撃して止まないのだ。

 

電話の男の行動は、映像を観る限り、全て男の主観が描いた「断罪のシナリオ」通りに進めていて、ボックス内に隠した拳銃の存在を考えれば、男はスチュを最終段階で警察に狙撃させる段取りを作っていたと思われる。

 

つまり、こういうことだ。

 

問題のフォーン・ブースが、その日限りで取り壊される日に、いつもの時間にスチュがこのボックスを利用し、そしてその時間を利用してピザ屋に配達を頼み、そのピザ屋が追い返された後、ボックスを利用する女たちが騒いで、その結果、ポン引きとひと悶着が起きる。

 

更に、そのポン引きがホテルの一室からサイレンサー付きのライフルで射殺され、そこに事件が発生するのだ。

 

当然、警察官に包囲される。

 

しかし、スチュはボックスの中から動けない。

 

スチュがボックスから出て懺悔した後、電話の男によって指示された拳銃にスチュが手をかけたとき、彼は警察の狙撃班によって射殺されるという運命を担っていく。 


そこで、事件は自己完結する予定だったと思われるのである。

 

しかし、このシナリオに微妙な誤作動が生じ、不本意にも宣伝マンを生かし、ピザ配達人を殺害するに至った。

 

それでも電話の男は遂に逮捕されることなく、その目的の遂行は、スチュの懺悔という半分の達成に終始した。

 

しかし男には、まだ充分に時間がある。

 

スチュを監視し、その「悪徳」に変化が起こらなければ、事件を再び起こせばいいだけのことである。

 

男はそう考えて、現場を静かに後にしたのだろうか。

 

この男の心理についての言及は後述するとして、ここでテーマを変えて、論を繋げていきたい。

 

 

 

5  「電話ボックス」と「携帯電話」

 

 

 

本作のキーワードについて考えてみる。

 

 

私は本作のキーワードは、「電話ボックス」と「携帯電話」にあると考えている。

 

共に「光の近代」を象徴する利器の一つだが、後者の急速な普及によって、前者の利器としての役割が終焉したとする見方はあまりに自明のことである。

 

然るに、「携帯」以前の「電話ボックス」が果たした役割は大きかった。

 

その狭い空間に潜むことで、私たちは誰にも聞かれることのないプライバシーを、エリアの離れた他者との間で自在に交換することができた。

 

家の電話を使えば漏れる可能性のある知られたくないプライバシーも、人一人入れるほどの空間に潜り込んでしまえば、遠距離に住む他者との間の睦みをクロスさせることができるのである。

 

確かに犯罪防止の故に、「電話ボックス」の中は外部から丸見えになっていて、プライバシーの独占は甚だ困難だが、そのレベルの情報の露出は、そこを利用する個人にとっては末梢的な問題に過ぎない。

 

なぜなら「電話ボックス」の利用者は、会話の内容のみを秘め事にしておきたいからである。

 

そのことを考えるとき、「電話ボックス」の存在は、それを目的的に利用する個人にとっては、私的情報の絶好の交換手段としての固有の価値を保障する媒体以外の何ものでもなかったと言えるだろう。

 

そこでは、露出される視覚次元のプライバシーと交換し得るに足る、聴覚次元のプライバシーの価値が手に入るのである。

 

この目的的なプライバシーの獲得こそ、「電話ボックス」の最大の存在価値であったのだ。

 

同時に、私権に拘泥する私たちのプライバシーのスタンスとの関係に於いても、それはまさに、頃合のバランス感覚によって保持されていたと言えようか。

 

この把握はとても重要である、と私は考える。 

 

ところが「携帯」の出現によって、私たちの私権の感覚が極めて過剰になり、しばしばそれが不快なまでの尖りを見せる情報媒体になってしまったのである。

 

「携帯」という利器が私たちの日常性の内に侵入し、それがあっという間に、日常性の不可避なツールとしての役割を持ったことで、情報に依拠する私たちの文化フィールドは殆ど革命的なシフトを遂げてしまったと考えられる。 

ノキアの歴代携帯電話など(イメージ画像・ウイキ)

それはもう、私たちの身体の一部になってしまったと言っていい。

 

私たちの身体の機能がそれによって格段に伸ばされて、私たちは歩行しながら傍らにいない友人と会話し、そこから知りたい情報を好んでチョイスすることさえできるのだ。

 

私たちの日常は、「携帯」の出現によって情報漬けの時間の海に漬かることになったのである。

 

「携帯」の出現は、私たちの身体感覚から「距離」という観念を壊し、逆に物理的な操作感の飛躍的な増幅と反比例して、触感的な皮膚感覚を著しく磨耗させてしまったとも言えるだろうか。

 

しかし「携帯」の革命は、そんな眼に見える感覚的変化のレベルに留まらない。

 

何よりもそれは、私たちの私権意識の適切な均衡感を崩してしまったのである。

 

私たちがそれぞれの目的を持って、街を歩いているとしよう。

 

すると、すれ違った通行人が一人であるのに、そこから突然、違和感を覚えさせる声が届いてしまうのだ。

 

その違和感は、自分が知りたくもない赤の他人の個人情報が、唐突に侵入してきた不快感情であると言っていい。

 

それは機械音のような騒音ではない。

 

まさに、人の声であるからこそ不快なのだ。

 

それは、誰が住んでいるか認識できていないアパートの隣室から、その人の日常風景の様態が言語化されて、自分の部屋に侵入してきて止まない不快感を想起すれば足りるだろう。

 

自分が知りたくもない他者のプライバシーの乱入ほど、不愉快な事態はないということだ。

 

「携帯」の出現は、このような不快因子を生活空間の多くの場面で拡大的に増幅させてしまったのである。

 

SNSの爆発的普及を生み出した、侵入者としての「携帯」の威力は、限定的で、特定の生活空間における異次元的な「快走」に留まらないのだ。

 

街に出れば普通の感覚で氾濫し、鉄道車両の空間にあっても「快走」し、店舗にあっても、エレベーターに乗っても、静寂な住宅街に戻っても、限りなくその「快走」を止めないで踊っている。

 

そこに吐き出される他人の、どうでもいいプライバシーや、誹謗中傷の嵐が澱みのない流れとなって、時間と空間を切り裂いていくのだ。

 

個人的な経験を言えば、閑静な郊外に一時(いっとき)住んでいた頃、自分にとって必要な眠りの世界に抱かれていたまさにそのとき、私は男たちの絶叫のような会話の騒音によって叩き起こされた。

 

私は慌てて起きて、玄関の窓から外を見ると、家の前の道路には「携帯」を持った一人の男が立っていただけだった。

 

複数の男たちの会話の正体は、単に一人の男の通話の言葉に過ぎなかったのだ。

 

私はこのときほど、私自身が未だに持たない、侵入者としての「携帯」の威力を感受したことはなかった。

 

勝手に自分のプライバシーを吐き出す男には、地域が生活共同体としての最低限の規範性によって成り立つという観念が完全に欠落しているのである。

 

車両空間も、そこに乗り合わせた人々の物理的共同体という暗黙の了解ラインが成立していたはずだが、それも今や崩れ去ってしまったように見える。

 

しかも近代社会は、価値相対主義の天下である。

 

「人は人、自分は自分」という観念の蔓延化は、「携帯」を使う自分のプライバシーの街中での放出を是認するに至るから、それを使用せず、寧ろ、そんな情報洪水の氾濫から逃避したいと考える人々の権利をも奪ってしまうのだ。

 

ごく普通の規模の静寂を求める人々の、その普通の権利すらも奪われたと感じる思いの中には、都市生活から疎外感を感じて止まない思いを引き摺って、時代との上手な接合性を果たせないストレスを、過剰なまでに抱え込んでしまうケースが包含されるであろう。

 

「光の近代」の尖りは、必ずと言っていいほど「影の近代」の澱みをプールさせていく。 

イメージ画像・ブログGANREFより

そこでプールされたものがしばしば噴き上がってきて、「闇の近代」の側面を炙り出すことにもなるに違いない。

 

便利であり、快適であり、それがえも言われぬ快楽を随伴するものであればあるほど、それを快楽と感じられない人々の不満を高めていく。

 

不満を高めた人の自我に反社会的な攻撃性がべったりと張り付いているなら、その攻撃性が内側で合理的に組織され、それが一見不条理な暴力を突出させる場合もあるだろう。

 

確信的匿名者による確信的な暴力こそが、「闇の近代」の見えにくい偏執狂的な世界の突出でもあるのだ。

 

 

 

6  鬼っ子としての「闇の近代」

 

 

 

再び、本作に戻る。 

 

私の推論だが、この映画の偏執狂的な犯人の心理を考えたとき、まずこの犯人には、この事件に至るまでの、犯人なりの合理的な心理の軌跡があったことを想定せざるを得ないのである。

 

電話の男は、「光の近代」の洪水の海で騒がしく喚き散らす者たちの行為を「悪徳」と断定し、彼らを抹殺するか、或いは、何某かの懺悔を迫る裁きを加えることを決意した。

 

この犯人が実際、ポルノ王や狡猾な重役を殺害したか不分明だが、本作の展開を観る限り、電話の男の偏執狂的な確信ラインは、既に充分なシリアルキラーであったことを想像させるのだ。

 

この男にこのような行為を決意させるに至ったライトモチーフに、果たして男が言うような、「聖書オタク」的な文脈が横臥(おうが)しているか、それも分らない。

 

しかしこの男の自我の内側に、自らが抹殺すべき「悪徳の徒」に対峙する哲学的、倫理的文脈が立ち上げられていたと考えるのは決して不自然ではない。

 

男が殺害した者たちは、いずれもポルノ王であったり、ポン引きであったりしたことは重要である。そして次なるターゲットとして、スチュが狙われた心理的文脈も理解できる。

 

そのモチーフを、私はこう考えた。

 

ニューヨークのタイムズ・スクエアを、部下を引き連れて我が物顔で闊歩する男がいた。

 

その男が吐き出す浮薄な言葉の数々は、その態度と合わせて充分に傲慢であり過ぎた。 


それを殆ど毎日繰り返す雑音を耳にした鋭敏な攻撃者は、恐らく、彼の抹殺のリストにこの男を加えたに違いない。

 

常に二台の「携帯」を持ち歩いて、聞きたくもないその不快なプライバシーの放出を封じ込めるには、男にとって最も屈辱的な方法による以外にないと考えたのだろう。

 

電話の男は、その手段を公衆の面前での懺悔であると決めたのではないか。

 

電話ボックスを使って女を口説く男の不徳を、電話の男はまさにそのフォーン・ブース内で攻撃し、更に、その限定的な私権の許容範囲に於いて決定的な懺悔を迫ることを考えたのであろう。

 

電話の男にとっては、ポン引きもまた抹殺リストに入っているだろうから、この男を射殺し、その責任までもケチな宣伝マンに被せようとした訳だ。

 

男に誤算があったとすれば、スチュの妻ケリーの寛容な振舞いと、ピザ店員を殺したことだろう。

 

特に後者は抹殺リストに入っていなかったはずだが、万一の際に、犯人の代理役としての役割を遂行するというシナリオだけは用意されていたに違いない。

 

そのような観念に呪縛された男は、既に充分過ぎるほど過剰なモノマニア(偏執狂者)だが、男がそのような心理的軌跡を辿るに至った経緯についてもまた、想像の限りでしかない。

 

男の拠って立つ精神的基盤が一種の原理主義的な世界にあることは想像し得るが、しかしその尖ったメンタリティが異常な犯罪にシフトした文脈の内に、目立った媒介項が存在したかどうか不分明である。

 

恐らく、確信犯としてのこの男の中で、いつしか微妙な波動が生じてきて、その波動を軌道修正できない恐怖に満ちたラインが形成されてしまったに違いない。 


最初は悪戯半分で始めたものが、やがて、匿名者の独占的快楽主義という成功報酬の累積の中で、かつて味わったことのない魔境の蜜の味から脱出不能になってしまったと考えられる。

 

匿名の悪戯のゲームには、快楽殺人を経ることで、遂に戻るべき場所に戻れなくなってしまった人間の脆弱さが垣間見えるのである。 

 

本作における犯人のそうした脆弱さは、本作の主人公であるスチュにこそ当て嵌るとも言える。

 

男の恫喝によって虚飾を剥がされた宣伝マンの惨めさは際立っていた。

 

宣伝マンは男との会話を通して、その自我に張り付けられた虚飾の一切が()ぎ取られて、遂に生身の人間の、その非武装の姿を晒すことになってしまったのである。

 

 

「近代社会の光と影」―- 「光の近代」の象徴的利器の一つである「携帯」を駆使して、大都市の目抜き通りを闊歩する宣伝マンが、そこで撒き散らした不快な情報の虚飾性を徹底的に剥がされていく、その醜悪なるリアリティ。

 

その虚飾を剥がしていく者は、「闇の近代」に潜り込んだ一人の謎に満ちた匿名者。彼は自分の仕事を、「神の代行」とさえ考えているかも知れないような偏執狂的テロリスト

 

そのテロリストは、自分が作った闇の戦場でのその快楽を存分に味わい尽くしてしまうから、もうその狂気から解放されることはないであろう。

 

男がその狂気から解放されるとき、それは男の自我の解体によってでしかない。

 

男の歪んだ自我を乗せた、その身体の解体によってでしかないのだ。

 

そのときまでに、男の悔悛などとても望むべくもない。

 

男の存在性を解体するまで、インモラルの疾走者は、自らの快楽を転がし続けるゲームを捨てねばならないということなのか。

 

何とも窮屈な時代であることか。

 

ともあれ、「光の近代」は、常にその鬼っ子としての「闇の近代」を分娩してしまうということ。その覚悟なくして、「千畳敷にもう一間」という、近代のエンドレスな快楽追求のゲームに身を預けることは止めた方がいいだろう。

 

しかし、「より豊かに」という人間の進軍信仰が簡単に崩れるとは思えないので、せいぜい、この社会と適切なスタンスを取って、自分の「分」を括ったバランス感覚を捨てないことだ。

 

残念ながら、私の結論はこれだけである。

 

最後に、稿を括るに当って、この映画の「サスペンス性」の秀逸さを賞賛したい。

 

所謂、「サスペンス」とは、人間が予測し得ない極限的な状況に置かれたときの不安感情を意味する。

 

まさに本作の主人公であるスチュは、映画の殆ど冒頭から、ラスト・シークエンスの瞬間まで不安感情に苛まれ、その自我を甚振られてしまったのである。 

 

だから本作と付き合う観客は、一時(いっとき)も映像から眼を離せない心理状況を味わい、且つ、スチュの心境にその思いを乗せて最後まで緊張感を失うことがなかったであろう。

 

その意味で、本作は一級のサスペンス映画と評価することができようか。 

ジョエル・シュマッカー監督


【本稿は、2006年7月に投稿した評論を再編集したものです/2026年4月】