アフリカ映画初のアカデミー賞外国語映画賞受賞した傑作。
1 乳母車にするために車椅子を狙う少年
南アフリカ最大の都市・ヨハネスブルク。
その一角にソウェトと呼ばれる最悪のスラム街がある。
少年ツォツィ(不良というスラングで、本名は分からない)は、この日も悪事を企んでいた。
| ツォツィ |
一人の富裕な男性から金銭を奪うために、満員電車に乗った男性を複数の仲間が囲い込み、刃物で刺殺してしまうのだ。
ソーキの店。
「今夜はやりすぎだぞ」
| ツォツィ(中央)、アープ(右)、ブッチャー(左) |
そう言って、「先生」と呼ばれるボストンが、仲間を指弾する。
「ツォツィ、名前は?」
睨み返すツォツィ。
「“不良”じゃないだろう」とボストン。
「こいつに聞くなよ」とアープ。
「半年も一緒だ。知りたい。誰だって、本当の名前がある。生まれつきの…“品位”って言葉、知ってるか?俺にはある。だから吐いた。あのネクタイ姿の男。彼にもあった。だが今は?死んでる」
| ボストン |
「座れよ。頭を冷やせ」とブッチャー。
このブッチャーが男性を刺殺した張本人で、極めて残忍な少年である。
刺殺事件を起こしたことで怒りがおさまらないボストンが、自らを傷つけながらツォツィに向かって言い放つ。
「今夜、あの男を殺した時、心が傷ついた。お前に分かるか。例えば女だ。付き合ってた女にフラれたら傷ついたろ。心が血を流したろ。お前の父親はどこにいる?両親はどこにいる?お前は捨て犬か?」
ここまで言われたツォツィは切れて、ボストンを蹴り上げ、殴られ、血塗れの惨状を呈した。
直後、その場から離れたツォツィは雨中の中、疾走するのだ。
土管を住処にしている二人の仲間は、既に戻っていた。
疾走の果て、眼についたのは1台の乗用車。
車の主が離れている間に、カージャックをするツォツィ。
車を運転していた女性が戻って来るが、銃で撃ち、車を運転して逃げ去ろうとする。
ツォツィの視線が捉えたのは泣き叫ぶ赤ん坊。
迷いの末、赤ん坊ごと盗んで、その場を離れていくのだ。
二人と住処を別にしてスラムの荒家に住むツォツィは、赤ちゃんのオムツを替え、ミルクを飲ませ、何とか泣き止ませる。
そこに、ブッチャーとアープがやって来た。
ソーキの店でボストンを預かっているという報告をしてから、今夜の“仕事”の話をして帰っていく。
ツォツィは待ち合わせの場所には行かず、一人の車椅子の障害者に狙いをつけて追い、車椅子を奪う算段なのだ。
車椅子を乳母車にしようと考えているのである。
全てを察知した障害者は金で解決しようと、金を放擲するが、それを蹴飛ばすツォツィは、相手の目線になって語りかける。
「犬みたいになっても、なぜ生き続ける?」
「俺は…太陽の光を感じたい。こんな手でも温かさは分かる」
「…金を拾え」
そう吐露し、帰っていくツォツィ。
スラムに戻ったツォツィは、赤ん坊に飲ませるミルクを与えても、ミルクの臭いで蟻の群れが赤ん坊の顔を覆ってしまうのである。
赤ん坊には母乳が必要なのだと考えたツォツィは、思い切った行動に打って出た。
スラムにいる女性を探り、赤ん坊を背負った女性の後を追って脅し、自ら運んで来た大きな袋に入れた赤ちゃんに乳を飲ませようと強いて、実行に及ぶのである。
乳を飲ませ終わった女性は、「俺の子だ」と言うツォツィに対して、「体を奇麗にしてあげる」と言って、丁寧に清めてくれるのである。
その姿を見て、心地良く笑みを浮かべるツォツィ。
幼少期を思い起こしているのだ。
「誰かに話したら殺す」
それがツォツィの捨て台詞だった。
そんなツォツィは、すくすく眠る赤ちゃんを見て、病弱な母と暴力的な父親のことを思い出す。
その父親から「デビッド」と呼ばれていたから、それがツォツィの本名なのだろう。
ツォツィの元にアープが訪ねて来て、閉鎖的なツォツィに変化を感じ、いつものように子分のように下手に出る。
「お前と俺は長年のダチだ。ガキの頃から一緒だろ。やり直そう」
そう望んでも、「なんで自分の頭で決めないんだ。今度は本当に終わりだ」と突き放され、関係が途絶されてしまうのだ。
今や、彼らの関係性に罅が入っているようだった。
【南ア最大の黒人居住区だったソウェトは、アパルトヘイト体制の廃止後も、多数派黒人の中にあって富裕層との格差が顕著で、派手な車や豪壮な邸宅が存在する一方で、貧民街や高い失業率の場所でもあり、治安は悪化したままとなっている。人種差別どころか、奪う側も黒人ならば、奪われる側も黒人という、究極の構図の悲惨さを炙り出している】
2 頬をつたう涙が光っていた
いつまでも泣き続ける赤ん坊のために、再び母乳を与えようと考え、例の女性の家に行くツォツィ。
赤ん坊の名前を聞かれ、ツォツィはデビッドと答え、自分がデビッドの父親でないことを打ち明ける。
女性の夫は仕事の帰りに襲われて死亡したと告白する。
「この子は私が世話をする。いつでも会える。ジャブ(自分の子)と遊ばせるわ。赤ちゃんの事なら分かる。ちょうだい」
「金を稼いで、あんたに払う」
そう言い添えて、ツォツィはボストンを預かっているソーキの所にいく。
そこには、ブッチャーとアープもいた。
ツォツィに殴られ、右目が腫れ上がったボストンを家に連れて帰り、世話をするというツォツィは、本物の「先生」になるための資金を出してやると言って、ブッチャーとアープを連れ、“仕事”に出て行く。
| ボストン |
| 左からアープ、ツォツィ、ブッチャー |
彼らは高級住宅に住む家を急襲するのだ。
そこには、一人の男性しかいなかった。
ツォツィは尋ねる。
「奥さんは?」
「入院してる。3日前に撃たれた。何でも持ってけ。だが妻には私が必要だ。赤ん坊が連れ去られた」
ブッチャーが「俺が殺る」と言って刃物を突き付けようとするのを、「必要だ」と言ってツォツィが止める。
ブッチャーが金目の物を漁っているのに対し、ツォツィは部屋に飾ってある赤子の遊び用具などを見て、動けないでいる。
ここで突然、アラームが作動した。
引き出しに隠されていた拳銃を手にしたブッチャーが家の主に向けて発砲したが、空砲だった。
苛立つブッチャーをツォツィが銃殺したのは、この時だった。
家の主にも血飛沫が飛んだ。
ツォツィを睨む家の主。
今度は家の主が手に持っていた警報器を止め、主に拳銃を向けるツォツィだったが、この家の車にアープと共に乗り込んだ。
「なんで撃った?」とアープ。
「クソ野郎だ」とツォツィ。
「ブッチャーは死んだぞ!」
「すぐに人を殺すからだ!」
ツォツィが運転する車と入れ替わりに警察車両が入って来たが、間一髪で逃げたツォツィは車を売り捌いて金に換え、アープを呼ぶが動かない。
「俺の番か?」
「何がだ?」
「ボストンを殴り、ブッチャーを…次は俺か?…分かったよ。終わりだ。別れよう。死にたくない。さよならだ」
アープに金を上げて、そのまま去っていくツォツィ。
ツォツィがその足で向かった先は、赤ん坊を預けてある例の女性の家。
金を差し出しても、「欲しくない」と言って受け取らない女性。
「誘拐したのね。新聞で読んだ。母親はもう歩けないって。脚は戻せなくても子供は返せる」
全てを知った女性は、赤ん坊を袋に入れて帰っていくツォツィを止め、「私に預けて。返してくる」と言うのだ。
「俺が返したら、また来ていいか?」とツォツィ。
小さな笑みを漏らす女性。
自宅で寝かせているボストンに、「俺が悪かった」と謝罪するツォツィ。
ツォツィが家を留守にしている間に、密告があって警察が踏み込んで来た。
ボストンが疑われるが、密告した女性は「この人じゃない」と言って、容疑は晴れたという顛末。
ツォツィは赤ん坊を返しに向かい、インターホンを鳴らし、「赤ん坊をここに置く」と言って、帰ろうとするが、警察に包囲され、赤ん坊を抱いたまま動けなくなる。
四方から拳銃を向けられるが、ツォツィの意図を理解する家の主が「彼は逃げない。銃を下ろしてくれ」と警察に頼むのだ。
「兄弟よ。誰もケガさせたくない。約束する。君も傷つけない」
「兄弟」という言葉は、家の主の正直な思いを代弁している。
家の主の言葉に嘘はないのだ。
その思いを受け止めるツォツィ。
門を開けて、家の主がツォツィに近づく。
ツォツィの頬をつたう涙が光っていた。
| 母親のもとに戻される赤ん坊 |
ツォツィは両手を上げ、警察に逮捕されるのだ。
ラストである。
3 少しずつ変容する心の旅の物語
ツォツィたちが狙うのは、豊かさを享受している一握りの黒人。
被害者が黒人なら、加害者も黒人。
罪の意識なく、犯罪に手を染める彼らにも格差がある。
土管暮らしのアープとブッチャーと、曲がりなりにも荒屋に住むツォツィ。
最後まで前者の身元は明かされないが、想像に難くないというところか。
そこに垣間見えるのは、〈生活〉という概念の差異であるが、これが両者の意識の乖離を貫流していると思われる。
前者の場合、高級車(BMW)の後部座席にいた赤ん坊を拾うなどという行為に走らないだろう。
赤ん坊を使って恐喝するという高難度の犯罪など、とうていありえないからである。
ではなぜ、ツォツィは赤ん坊を拾ったのか。
次の犯罪のためなどではない。
自明のことだが、泣いている赤ん坊を見捨てられないという感情が湧いたからという説明が、当を得ているだろう。
〈生活〉という観念が心の中で蠢いているが故に、ツォツィは赤ん坊を拾ってきてしまったのだ。
ただその時、〈世話〉という観念が欠落していた。
この観念を盲目的に導き出したのは、彼の胸中での〈生活〉という観念の自立性である。
この自立性が立ち上げられていたこと ―― これが大きかった。
だから、出来ない相談の解消法が喫緊の問題となる。
それは、新たなストレス対処法と化し、目敏く見つけた一人の乳母への絶対依存の関係を生んでいく。
乳母との出会いが、ツォツィの中枢に喰い込んできて、病気の生母を想起させ、聖母の如き乳母への精神的依存度が、いや増すのだ。

この辺りに、ツォツィの硬直した自我を相対的に柔和にさせる手品が読み取れるが、人間は簡単に変わらない。
変われないのだ。
思うに、ツォツィの変わりにくさと、変わりやすさを精緻に描いた点が、この映画の素晴らしさである。
前者は、金を得る手段として犯罪に容易に流れ込む手法であり、後者は、拾ってきた赤ん坊への情愛の度合いの変容である。
厄介なのは前者。
金持ちの黒人を襲撃し、金銭を奪い取るという生活様態に変化は読み取れないのだ。
ただ、ここで重要なのは、犯罪にのめり込む動機である。
最後の犯罪で、ツォツィの動機が、過去のそれと峻別されていたことが分かる。
一切は赤ん坊と乳母、自分が傷つけたボストンへの助力のためだった。
この一点において、アープやブッチャーと共有できていなかったことが判然とする。
これがブッチャーを殺めた決定的なモチーフだった。
話せば分かるかも知れないアープはともかく、凶暴なブッチャーに至っては、そんなツォツィの個人的感情など理解できようはずがない。
人間は簡単に変われないと言っても、赤ん坊を意思的に拾ったことで湧き出てきた感情の自立性は、結果的に関係構図の歪みを生んでいる。
ここで想起するのは、映像の冒頭で起こった刺殺事件の際にボストンが指弾した言葉である。
「“品位”って言葉、知ってるか?俺にはある。だから吐いた。あのネクタイ姿の男。彼にもあった。だが今は?死んでる」
自分たちの目的は富裕の黒人層から金銭を奪うことであって、その手段に対して品位を持たねばならない。
殺人などは以ての外だと言っているのである。
顔を見られたから殺すという邪悪なルールに疑問すら持たないリーダーのツォツィへの物言いが、彼の家族にも及んだのでツォツィを逆上させてしまった。
「お前の父親はどこにいる?両親はどこにいる?お前は捨て犬か?」
ここまで侮辱されたツォツィは、自分の存在そのものが否定されたと受け止めたので、ボストンへの歯止めなき暴行へと膨れ上がってしまったのだ。
自尊感情の低さで共通する他の3人は、他人と区別される自分の心の領域である「エゴバウンダリー」(自他境界)の落差において際立っているので、物事を理非曲直で判断すべきという思考を有するボストンにとって、「仲間」という概念のティッピングポイント(臨界点)になっていた。
だから、“品位”の意味を理解し、それを多少でも習得するように見えたツォツィを受け入れることができたのである。
―― 素晴らしい映画だった。
元南アフリカ大統領のネルソン・マンデラは、ギャビン・フッド監督と出演者たちに対面した際、「自分もかつてはツォツィだった。南アフリカを世界に知らしめたのはこの作品だ」と彼らを讃えた。
映画の主人公を演じたプレスリー・チュエニヤハエは、ギャビン・フッド監督について、インタビューの中で答えている。
「監督は、ツォツィが突然良い人になったりとか、何かがきっかけで突然、同情をよせられるようになったり、観ていてすぐに分かる、まさにこのタイミングで彼は目覚めたんだと分かるような作品にはしたくないと話してくれました。ツォツィは、作品の最初と最後では明らかに違うけど、それは少しずつ変わっていく心の旅でもあるのだと。ですが、脚本通りの撮影ではなかったので彼の心の動きを掴むのが難しかった。監督は常に私の側にいて、たとえば、このシーンのツォツィはこういう気持ちになっていて状況はこんなことになっているから、と詳しく説明してくれました。それがとても役に立ちました。それがなかったらもっと難しかったと思います」(「レプスリー・チュエニヤハエ『ツォツィ』インタビュー」シネマカフェ)
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| レプスリー・チュエニヤハエ |
この映画は、少年が少しずつ変容する心の旅の物語だったのだ。
【本作で、一躍国際的な注目を集めた南アフリカ人俳優プレスリー・チュエニヤハエさんが、40歳で死去した。死因などの詳細については、明らかにされていない/「オスカー受賞作『ツォツィ』主演俳優が40歳で死去」より】
4 南アフリカで起こったこと、その〈現在性〉
アジアへの中継地として重視し、大航海時代のポルトガルが最初に基地を設け入植を開始したが、寄港地の維持に苦慮し放棄した後に、1652年にオランダ人が入植、オランダ東インド会社への補給基地として建設したのが、ケープタウンを中心に発展したのがケープ植民地である。
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| オランダ東インド会社 |
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| ケープ植民地(ウィキ) |
オランダ人は貧しい農民であったボーア人(のちにアフリカーナーと呼称)と呼ばれ、現地のアフリカ人を制圧し、彼らを奴隷化して大農園経営を行うようになった。
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| ボーア人(アフリカーナー/ウィキ) |
次いで、ウィーン会議(1814年)の結果、英国がケープ植民地を手に入れ英領領ケープ植民地とし、オランダ系白人であるボーア人を圧迫したことで、後に19世紀末から20世紀初頭にかけて惹起した、英国とオランダ系アフリカーナーが南アフリカの植民地化を争った「第二次ボーア戦争」に発展する。
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| ウィーン会議 |
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| 「血の川の戦い」とも呼ばれる第二次ボーア戦争 |
英国は周辺に領土を広げ、1910年に南アフリカ連邦を作り、1961年から「南アフリカ共和国」となっている。
【オランダ東インド会社とは、アジア貿易を独占したオランダが作った世界初の株式会社。またボーア戦争は、ゲリラ戦、民間人弾圧を発現させ、資源支配を巡る近代総力戦の入口とも言える典型的な帝国主義の戦争であり、中でも第二次ボーア戦争は、金鉱・ダイヤモンドをめぐる英国の南アフリカ支配拡大の戦争だった。これが、後のアパルトヘイト体制に繋がっていくことになる由々しき戦争と化す】
1961年、南アフリカの白人政府が英連邦からの離脱を一方的に宣言して成立。
【南アフリカ共和国の英連邦離脱は、アパルトヘイト(極端な人種隔離政策)の非人道的な差別政策として、国内の反対運動だけでなく、国際的な批判を受け、本国である英国も圧力を加える機運が生まれたため、1961年には南アフリカのアフリカーナー系白人(政治的支配を失った、オランダ系を中心とするヨーロッパ移民の子孫)からなる政府は、英連邦から離脱して南アフリカ共和国とすることを一方的に宣言した。南アフリカの白人政権は、アフリカの民族独立運動や、米国における黒人差別の撤廃を求める公民権運動のうねりに危機感を強めながら、英連邦からの分離とアパルトヘイトの更なる強化の道を選んでいく。アパルトヘイトは最終的には、非白人を人種グループごと(アフリカ系黒人・カラード=混血集団・インド系など)に別個の社会へと隔離してしまう「全面的アパルトヘイト」にまで行き着いてしまう。1991年6月、国民党のデクラーク大統領は遂にアパルトヘイト全廃に踏み切った。デクラークは「アパルトヘイトは終わった」と宣言したが、その本質は、少数派白人の権利を保護することにあった。そんな中、アパルトヘイトの撤廃を求めて組織されたANC(アフリカ民族会議)は民主的な手続きによる選挙を主張し、マンデラとデクラークの間で合意が成立、ようやく1994年4月26日に総選挙が実施された。選挙の結果、ANCは有効投票の62.7%を獲得(それまでの与党国民党は20.4%にとどまった)し、比例代表制によって構成された議会によって、マンデラが史上初の黒人大統領に選出された】
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| 【アパルトヘイト「ダーバンビーチ条例第37節に基づき、この海水浴場は白人種集団に属する者専用とされる」と英語、アフリカーンス語、ズールー語で併記された1989年撮影の標識/ウィキ】 |
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| 【1993年12月、オスロでノーベル平和賞の金メダルと賞状を持つネルソン・マンデラ氏(左)とフレデリク・デクラーク氏=AP/朝日新聞】 |
アフリカーナー(ボーア人)を基盤とする、南アフリカで政権を握った国民党政権による黒人差別政策で、国連による「人道に対する罪」として決議されたアパルトヘイトを継続していたが、黒人の運動と国際世論に押され、1991年に差別を撤廃、1994年にANC(アフリカ民族会議)を中心とするネルソン・マンデラが黒人として大統領に当選した。
【ANCは1960年3月21日、反対集会をしていた数千の黒人に向け、白人警官が一斉発砲した事件起こった「シャープビル虐殺事件」を機に、国中で黒人による抗議活動や暴動が頻発したことで非合法化されたことで武力闘争に切り替えていった。1962年8月にマンデラも逮捕され終身刑の判決を受け、有名なロベン島(ケープ港の沖合にある監獄島)に幽閉された。こうしてANCの活動は冬の時代を迎え、その間、アパルトヘイト政策は都市部から農村部まで拡大された。因みに1966年の国連総会で、3月21日を国際人種差別撤廃デーとすることが決議され、南アフリカでは1994年以降、3月21日が「人権の日」となっている。現在、ANCは1994年以降長く与党として政権を担ってきた南アフリカ最大の政治勢力だが、今なお国政の中核政党でありつつも、支持率が約4割に低下し、選挙での支持低下や連立政権の行方が国内外の注目を集めている。気になるのは中国への依存率が高く、ソウェト生まれのラマポーザ政権下で、南アはBRICSの一国として、中国との貿易で輸入超過になりやすい構造を抱えている】
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| シャープビル虐殺事件 |
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| ロベン島にある刑務所/ウイキ(人生論的映画評論「マンデラの名もなき看守」より) |
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| ネルソン・マンデラ |
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| ラマポーザ大統領(ウィキ) |
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| 3月21日は国際人種差別撤廃デー/「シャープビル虐殺事件」の日 |
【1976年6月、アフリカ人学生による抗議デモと、それに端を発する全国的暴動であり、アフリカ系住民による暴動事件・ソウェト蜂起が起っている。沈滞していた反アパルトヘイト運動を再活性化させる契機になったとも言われる】
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| ソウェト蜂起 |
現在、南アフリカの治安は全体的に不安定(アフリカの中でも治安の悪化がトップと言われる)で、プレトリア、ヨハネスブルグ、ダーバン、ケープタウンなどの都市や観光地では、盗難や犯罪行為が発生する可能性が高く、先述したように、ヨハネスブルグ市南東部にある「ソウェト」では、貧富の格差が大きく、若年層の失業率が深刻なので、強盗や窃盗、車上荒らしなどの犯罪が多発する映画「ツォツィ」のような状況が常態化している。
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| アパルトヘイト終焉から30年 民主化の険しい道のり |
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| 映画「ツォツィ」より |
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| ソウェト(ウィキ) |
その背景にあるのは、アパルトヘイト政策のコアである「白人中心の経済構造」が残存し、人種と地域によって貧困が偏在している南アの状況が生まれてしまったこと。
かくて、アパルトヘイト時代の教育差別の名残や、現在の教育の質・アクセスの差によって、読み書きや計算などの基礎スキルが十分でない人が多く存在するに至った。
当然、治安が悪化する。
BBCによると、2022年7月に、武装集団がバーを襲撃して若者たちのグループに無差別に発砲した事件が発生し、15人が死亡したと報じられている。
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| 事件現場の前で涙を流す犠牲者遺族 |
また国全体として、電力や水など生活インフラの不安定さが大きな社会問題になっている。
これが、外務省の危険情報では、南アフリカ全土が「レベル2:不要不急の渡航は止めてください」に指定されている、民主主義国家・南アフリカ共和国の〈現在性〉である。
(2026年7月)












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