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2026年9月4日金曜日

道('54)  「闇夜」、「浜辺」、そして、「神から遠き者」の嗚咽  フェデリコ・フェリーニ

 




1  【粗筋】

 

 

 

旅芸人のザンパノは体に巻いた鉄の鎖を切る大道芸を売り物にしていたが、芸のアシスタントだった女が死んでしまったため、女の故郷へ向かい、女の妹で、知的障害が残るが、心の素直なジェルソミーナをタダ同然で買い取る。ジェルソミーナはザンパノとともにオート三輪で旅をするうち、芸を仕込まれ、女道化師となるが、言動が粗野で、ときに暴力を振るうザンパノに嫌気が差し、彼のもとを飛び出す。 

ジェルソミーナと別れる母の涙

家族と別れ、ザンパノが待つオート三輪(後方)に乗っていくジェルソミーナ

鋼を切るザンパノの芸を見る

“ザンパノが来たよ”と言わされる

太鼓を叩く稽古

あてもなく歩いた末にたどり着いた街で、ジェルソミーナは陽気な綱渡り芸人・通称「イル・マット」の芸を目撃する。追いついたザンパノはジェルソミーナを連れ戻し、あるサッカス団に合流する。そこにはイル・マットがいた。イル・マットとザンパノは旧知であるうえ、何らかの理由(作中では明示されない)で険悪な仲だった。イル・マットはザンパノの出演中に客席から冗談を言って彼の邪魔をする一方で、ジェルソミーナにラッパを教える。

イル・マットの芸を目撃する

イル・マット

サーカス団長にジェルソミーナを紹介する

ザンパノをからかうイル・マット

からかわれて怒るザンパノ

イル・マットからラッパを教えてもらうジェルソミーナ


ある日、イル・マットのからかいに我慢の限界を超えたザンパノは、ナイフを持って彼を追いかけ、駆け付けた警察に逮捕される。この事件のためサーカス団は街を立ち去らねばならなくなり、責任を問われたイル・マットとザンパノはサーカス団を解雇される。ジェルソミーナはサーカス団の団長に、同行するよう誘われるが、自分が足手まといになると感じた彼女は街に残ることを選ぶ。それを知ったイル・マットは、「世の中のすべては何かの役に立っている。それは神さまだけがご存知だ。ジェルソミーナもザンパノの役に立っているからこそ連れ戻されたんだ」と告げ、ザンパノのオート三輪を駆って、彼が留置されている警察署へジェルソミーナを送り届け、立ち去る。釈放されたザンパノは、イル・マットが勝手にオート三輪を使ったことを悟り、渋い表情を見せる。

警察に逮捕されたザンパノに対するサーカス団長(左)の怒り

「こんな小石でも何かの役に立っている。お前だって何かの役に立っている。アザミ顔の女でも」
イル・マットとの別れ


ジェルソミーナとザンパノは再び2人だけで大道芸を披露する日々を送る。ある日ザンパノは、路上で自動車を修理するイル・マットを見かけ、彼を殴り飛ばす。自動車の車体に頭をぶつけたイル・マットは、打ち所が悪く、そのまま死んでしまう。ザンパノは自動車事故に見せかけるため、イル・マットと、彼の自動車を崖下に突き落とし、ジェルソミーナを連れてその場を去る。それ以降、ジェルソミーナは虚脱したまま何もできなくなり、大道芸のアシスタントとして役に立たなくなる。ザンパノはある日、居眠りするジェルソミーナを置き去りにする。

僧院の納屋で泊まる二人。ザンパノに話しかけるが、無視されるジェルソミーナ

再会したイル・マットは、ここでもザンパノをからかい、殴られて死ぬことになる

イル・マットの遺体を担いで崖下に落とす


数年後。ある海辺の町で鎖の芸を披露するザンパノだったが、年老いた彼の芸はかつての精彩を欠いていた。ザンパノはそこで、地元の娘が耳慣れた歌を口ずさんでいるのを聞く。それはかつてジェルソミーナがラッパで吹いていた曲であった。ザンパノはその娘から、ジェルソミーナと思われる女がこの町に来て、娘の家にかくまわれ、やがて死んだことを聞き出す。いたたまれなくなったザンパノは酒場で痛飲し、大暴れしたあげく、町をさまよう。海岸にたどり着いたザンパノは、砂浜に倒れ込み、嗚咽を漏らした。/ウィキ引用】 

イル・マットを喪い、茫然自失のジェルソミーナは全く反応しない

金を置いてジェルソミーナを捨てていくザンパノ





2  「相互の共存性」を求める者の心情世界に近づいて

 

 

 

「『道』は非常に根深い対立、不幸、郷愁、時の流れ去る予感などを語った映画で、一つ一つが社会問題や政治的責務に還元できるわけではなかった。だからネオリアリズムの熱狂に支配されていた時代に、退廃的で、反動的な否定すべき映画とされてしまった」(「フェリーニ映画を語る」フェデリコ・フェリーニ、ジョヴァンニ・グラッツィーニ著 竹内博英訳 筑摩書房) 


フェデリコ・フェリーニ監督

このフェリーニの言葉に端的に表れているように、この「La Strada」(道)という原題を持つあまりに著名な映画は、イタリアに起こったネオリアリズムの巨大な支配力と明らかに切れている。

 

なぜならフェリーニは、そこに、「神に近き者」(以下、「近き者」、または「女」)と「神から遠き者」(以下、「遠き者」、または「男」)という人格イメージを造形しているからだ。

 

「近き者」の名をジェルソミーナ、「遠き者」の名をザンパノと呼称し、この命名の内にも、彼らの人格イメージに即した象徴性を被しているが、本稿では固有名詞は捨てる。 


本来、出会うべきはずもない両者が、それぞれに抱えた事情(「パン」と「大道芸のサポーター」のトレード)によってクロスし、どこまでも続く「細々とした白い道」をアメリカ製の幌付きオート三輪に乗って、大道芸人の旅を続けるのだ。 


知的障害を持つ「近き者」である女は、涙を見せる母親から、「パン」の問題の故に、「大道芸のサポーター」の問題を抱える「遠き者」に対して「人身御供」(ひとみごくう)に出されるが、芸も食事も相手に満足させ得ない女は、「遠き者」のビジネスの強力なサポーターにはなり得ず、その度に、折檻される日常性が繰り返されていく。


「遠き者」は確かに、たまたま宿泊した修道院から盗みを図るような小悪党だが、それ以上に、自分の思いを相手に丁寧に伝えられない不器用な男だった。

 

「私が何を言っても感じない」

 

そんな男(「遠き者」)の粗暴さと勝手さに耐え切れず、「もう、私帰る」と言い放って縁を切った女(「近き者」)は、偶(たま)さか出会った「神の意を伝えるメッセンジャーとしての道化師」(以下、「道化師」)の二つの重要な助言によって、再び、「遠き者」との大道芸人の世界に戻っていく。

 

危険な綱渡り芸人であるが故に、自分の近未来の死を予言していた「道化師」が、女に語ったこと。

 

それは、二つの決定力のある言葉。

 

その一つ。

 

「多分、彼は君が好きなんだ。彼は犬と同じさ。お前に話しかけたいのに、吠える事しか知らん。哀れな男さ。でも、奴には君がついている」 


もう一つ。

 

「どんなものでも何か役に立っている。こんな小石でも、何か役に立ってる。神様だけが知っている。人がいつ生まれ、いつ死ぬか。この石もきっと、何かの役に立っている。無用のものなどない。君だってそうだ。そんな頭でも…」 


「近き者」は、この言葉によって、「遠き者」は、単に自分の思いを相手に丁寧に伝えられない不器用な男であると信じたかったのである。

 

映像は、感情表現する際にも、「話したくても、吠えるしか能がない」男の不器用さを、そこに特段の嫌みも被すことなく記録していく。

 

「遠き者」は、何の役にも立たない「近き者」に対して、下半身の処理の相手としてではなく、「安らぎ」の感情をも抱懐していたが、そんな感情の認知も覚束ないような男は、当然、それを女に伝えることができないだけなのだ。

 

「あんたといる場所が、私の家だわ」

 

これは、旅先でトマトを植えようとするほどの状況認識力を持つ女が、「吠えるしか能がない」男に放った言葉。 


「遠き者」の荒々しい情感世界の、その本質的理解を得たと信じたいと願うばかりの、「近き者」の情感系もまた、「相互の共存性」を求める者の心情世界に近づいていったのである。

 

 

 

3   「近き者」、「遠き者」、そして「道化師」の死

 

 

 

物語の流れの上で殆ど必然的なその事件は、遂に出来してしまった。

 

昔からの因縁もあって、「遠き者」は「道化師」を勢い余って、殺害してしまったのだ。

 

事件を目の当たりにした「近き者」は「神の意を伝えるメッセンジャー」を象徴させる「道化師」を喪って、深い底なしの沼に沈潜していった。

 

衝撃のあまり、女は狂気の世界に最近接したかの如く情緒不安定となり、泣き過ごす日々を過ごすばかり。

 

「近き者」は、事件によって「遠き者」との距離を決定的に開いたばかりか、「神」との距離をも相対的に開いてしまったように見える。

 

そのことは、事件が出来する前に、より「相互の共存性」を増幅させる幻想をも踏み躙(にじ)ることによって、「安らぎ」の対象として求められていたはずの人格像の、そのイメージの根源をも砕いてしまったのである。

 

「遠き者」は「安らぎ」の対象を希薄化させた時間の憂鬱の中で、明らかに「近き者」の本来的価値の実感を崩されて、遂に遺棄するに至った。

 

女が転寝(うたたね)する間に、男は女を置き去りにしてしまったのだ。

 

それでも、「近き者」に対する情愛にも似た感情の欠片が、「遠き者」に一つの小さな行為を選択させた。

 

「遠き者」は、戸外で眠る「近き者」の傍らにラッパを添えたのである。

 

数年後、海浜でのサーカス興業の中に男はいた。

 

その日、己の分厚い胸に巻いた鎖を断ち切るというパワー芸のみで生きてきた、「遠き者」のシンプルな大道芸には殆ど生気がなかった。

 

「遠き者」は、「近き者」の客死の事実を知ったからだ。

 

「遠き者」は、「近き者」が神の言葉を受容する「聖なる場所」=「浜辺」で、「道化師」の死を嘆き続けながら、まもなく客死していった哀しい顛末を知ったのである。

 

その夜、自らの体をアルコール漬けにした挙句、店の客たちと喧嘩をした「遠き者」は、「近き者」がラッパを吹いていた浜辺にその身を運び、言葉にならない動物の如き叫びを刻んだのだ。

 

肉食動物のような男が天を仰いだとき、酩酊をすっかり溶かし切った野獣の号泣は、「聖なる場所」に身を横たえていた女の嘆きを捕捉しつつ、神の声を弄(まさぐ)る者のヌミノース(聖なるものとクロスする非合理的体験)を突き上げていたのか。

 

それは、骨の髄まで孤独な男が、自我を裂くほどの孤独を極めた瞬間だった。

 

孤独を極めた「遠き者」に叫びを刻ませたものは、恐らく、「近き者」の嘆きを体の芯で受け止める、「聖なる場所」の地鳴りが自らを貫いてきたからだろう。

 

これは、孤独を極めた男の体の芯に、マキシマムに達した神との距離を最近接させる奇跡を描いた、殆ど寓話的な映像だった。

 

或いはそれは、こんな男の中枢にも、神の声が届き得ることを信じる映像作家の祈念であったのか。

 

しかし、孤独を極めた男に、浜辺で自我を裂かせるまでの時間に届くまで、二人の人間の生命を犠牲にしたという現実の重量感は、決して等閑(なおざり)にできようはずがない。

 

そこだけは冷厳なリアリズムに預けたかの如き寓話的な映像は、なお男の未来を変容させていく全き可能性を保証しないのだ。

 

私たちがどれほど祈念しようと、神の声が万民に届き得るという幻想について、マジックを操ると言われる作り手がどれほど肯定的であるか、私には分らない。

 

しかし、「遠き者」と「近き者」との距離がどれほど開いていようとも、私たちはこの相対距離の自由の幅の中で、己が人生を構築しなければならないことを教示しているようだった。

 

 

 

4  「闇夜」、「浜辺」、そして、「神から遠き者」の嗚咽

 

 

 

幾度観ても、神経の中枢にまで食い入ってくるような、この映像の完成度の高さに驚かされる。

 

何よりも、女の死を描かなかったことが一番良い。

 

それを映し出してしまったら、観る者の主観が「聖なる『近き者』」への心象世界に引っ張られ過ぎて、勝負を賭けたラストシーンの決定的な絵柄が緩いものになってしまったはずだ。

 

海岸線状に広がる「白い道」の一画に住む土地の者から、女の死の哀しい顛末を知らされるという巧妙な挿入によって、映像の客観性が担保されたのである。

 

乱闘後、「一人で沢山だ」と叫んで、「浜辺」に踏みこんだ男の嗚咽を捕捉するカメラが引いていく。

 

束の間、女が身を横たえていた浜辺で、神の声を弄(まさぐ)る者のヌミノースを突き上げたかも知れない男の情感が暴れ出すことで、多分に感傷の濃度の深い作品が、「神から遠き者」の魂の孤独を記録した映像であることが鮮明になったのである。

 

【ヌミノースとは、神聖さに触れたときの「恐れ」と「魅了」が入り混じる独特の体験】

 

「闇夜」、「浜辺」、そして、「神から遠き者」の嗚咽。

 

この3つの要素が、映像の主題性を表現していたのだ。

 

それは、ネオリアリズムから確信的に切れた映像の、それ以上ない鮮烈な立ち上げを意味するだろう。

 

【本稿は、2010年3月に投稿した拙稿を粗筋をつけて再編集した批評文です】


(2026年9月)

 

2026年8月24日月曜日

宝島('25)  肉弾の言語の滾りを宙吊りにする男、観念の虚妄の要塞を喰い千切る男  大友啓史

 



1  粗筋(公式ホームより)

 

 

 

1952年、沖縄がアメリカだった時代。

 

米軍基地から奪った物資を住民らに分け与える戦果アギヤーと呼ばれる若者たちがいた。いつか「でっかい戦果」を上げることを夢見る幼馴染のグスク(妻夫木聡)、ヤマコ(広瀬すず)、レイ(窪田正孝)の3人。 


そして、彼らの英雄的存在であり、リーダーとしてみんなを引っ張っていたのが、一番年上のオン(永山瑛太)だった。全てを懸けて臨んだある襲撃の夜、オンは予定外の戦果を手に入れ、突然消息を絶つ

 

残された3人は、「オンが目指した本物の英雄」を心に秘め、やがてグスクは刑事に、ヤマコは教師に、そしてレイはヤクザになり、オンの影を追いながらそれぞれの道を歩み始める。 


しかし、アメリカに支配され、本土からも見捨てられた環境では何も思い通りにならない現実に、やり場のない怒りを募らせ、ある事件をきっかけに抑えていた感情が爆発する。
 


やがて、オンが基地から持ち出した“何か”を追い、米軍も動き出す――。 


消えた英雄が手にした“予定外の戦果”とは何だったのか?そして、20年の歳月を経て明かされる衝撃の真実とは――。(公式ホーム)

 

 

 

2  コザ暴動は、それ以外にない沖縄の怒りが爆発した蜂起だった

 

 

 

暴力描写の多用にうんざりさせられたが、誰かが手掛けねばならない沖縄のリアルを実写したドラマだった。

 

以下、拙稿「沖縄狂想曲」からの部分的引用である。

 

歴史を(さかのぼ)ること1450年代。

 

琉球王国は他国と親密な関係を築き、世界の架け橋となって繁栄したと言われている。 


1879年、日本が琉球を併合し、450年続いた琉球王国(成立は1429年)が消滅して沖縄県となった。

 

沖縄では14世紀に琉球王国が誕生し、中国や東南アジアなど周辺諸国と交易しながら、「大交易時代」と呼ばれる一時代を築いた。

 

1609年に薩摩藩の武力侵攻を受けて以降は、薩摩の支配下に置かれたが、諸外国との交易は続き、日本や中国の文化も吸収しながら、独自の琉球文化を形成していくことになる。

 

琉球文化には、(さん)(しん)(三味線の起源の一つ)の伴奏によって踊る沖縄民謡、盆踊りのエイサー、獅子舞などが知られている。 

エイサー

当時の王府があった首里城など県内の9か所の遺跡は、2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界文化遺産に登録され、当時の繁栄を現在に伝えている。(グスクとは城塞的遺構) 

首里城跡

しかし、その琉球王国も、1879年に明治維新の余波を受けて幕を閉じ、沖縄県が誕生する。

 

1941年12月8日、日本軍が真珠湾を奇襲し、沖縄県民も徴収され、戦争に巻き込まれていくようになった。

 

1944年10月10日、米軍による沖縄本島への空襲・1010(じゅうじゅう)空襲。 

1010(じゅうじゅう)空襲

1944年4月1日、米軍が沖縄本島に上陸。国民は「生きて虜囚(りょしゅう)(はずかし)めを受けず」と教えられていたため、多くの住民が集団自決するに至った。  

左には焼け焦げた死体がある

読谷村(よみたんそん)チビチリガマ。

 

米軍の残虐な仕打ちを怖れ、肉親同士が殺し合う。

 

そこは、まさに地獄だった。 

丸木位里(いり)、丸木俊(とし)の大作『沖縄戦の図』

この洞窟への避難者約140人のうち83人が非業の最期を遂げた、チビチリガマの集団自決。 

チビチリガマ

チビチリガマ

【3か月間に及んだ地上戦で20万人を超す死者を出した「沖縄戦」。そのうち9万4千人は、沖縄の住民だったとされています。

 

大湾千代さんは、米軍の上陸地点となった沖縄本島中部・読谷村に住んでいました。当時、読谷村には住民総動員で作られた陸軍の北飛行場がありました。大湾さんは、およそ140人の地元住民とともに洞窟、「チビチリガマ」に潜んでいましたが、米軍につかまれば残酷な方法で殺されると言われていたことから集団死が発生しました。家族の手によって殺されるという悲劇で、幼い子供を中心に83人が命を落としました。

 

大湾さんはかろうじて集団死を逃れることができましたが、防衛隊に参加させられた47歳の父と兄そして、姉を沖縄戦で失いました。 

大湾千代さん

戦後、読谷村の大部分は米軍に土地を奪われ、村の面積の95%が米軍施設となり、生きるために八重山に開拓民として移り住んだ人もいました。また、村内では、不発弾処理がひんぱんに行われた上に、演習による死亡事故が起こり、人々を苦しめました。いまも、村土の半分が米軍施設という状況が続き、生まれ育った土地に住むことのできない人々が少なくありません。

 

大湾さんは、戦争の記憶と家族を失ったこと、チビチリガマで多くの人が亡くなったことにいまも苦しんでいます。また、飛び交う米軍機を見たり、その轟音を聞いたりすると、昭和19年10月の「十・十空襲」を思い出すと言います】(「NHK 沖縄戦 心の傷 ~戦後67年 初の大規模調査~」)

 

沖縄決戦と呼ばれ、沖縄での組織的戦闘を行った大本営直轄の第32軍(沖縄守備軍)の使命は勝つことではなく、米軍を消耗させることだった。 



大本営は本土決戦の準備の時間稼ぎのために、沖縄を捨て石にしたのである。

 

この認識なしに沖縄を語ることはできないのである。

 

【第32軍は、1944年3月22日に、大本営直轄の沖縄守備軍として創設された】

 

松代(長野県)にある「松代(まつしろ)象山(ぞうざん)地下(ちか)(ごう)」に大本営を移し、本土防衛体制を構築して米軍を迎え撃つこと。


これが32軍の使命だった。

 

主要政府機関や皇居を移すため、海から離れ、山が固いという理由で選ばれた松代の地下壕造営には、1万人の日本人、沖縄人、朝鮮人が駆り出された。 

松代象山地下壕

沖縄戦は、本土を守る体制ができるまでの時間稼ぎのための戦争だったのだ。

 

1945年6月23日、第32軍司令官・牛島(みつる)の自決によって、沖縄での組織的戦闘は終結する。 

牛島満(ウィキ)

生き延びた生存者は収容所へ移送される。

 

壊れた家を修復する。

 

拾ってきた物で新しい家を建てる。

 

新しい生活が始まったのだ。 


しかし1950年2月、「沖縄に恒久的基地建設を始める」とGHQは発表し、住民の強制的土地接収を遂行していく。

 

それは、「銃剣とブルドーザー」と呼ばれるほど暴力的なものだった。

 

【「銃剣とブルドーザー」とは、沖縄戦後から米軍が基地を拡大するために武装兵を送り込み、ブルドーザーで沖縄住民の家屋や土地を破壊し、暴力的に実施された土地接収事業のこと。住民は収容所に送られ、広大な土地が接収されて基地建設が進められた。/「象の檻」は、沖縄に集中する米軍基地問題の象徴の一つでもあり、住民の日常生活の傍に巨大な諜報施設が存在する異様な光景は、沖縄の抱える重圧を物語っている】

 

1952年2月、読谷村で強制的土地接収が始まり、そこでソ連と米国の冷戦時代に世界中に造られたのが、あらゆる軍事通信の傍受・分析を担う「(ぞう)(おり)」だった。 

象の檻

1954年1月、米大統領は「沖縄を無期限管理」と明言する。

 

「トリイステーション」(トリイ通信施設/沖縄県読谷村にあるアメリカ陸軍の基地)となる場所は、「反戦地主」として知られる知花(ちばな)昌一(しょういち)さんたちが代々受け継がれてきた土地だった。 

知花昌一さん


この土地の返還を求めて家族と共に明け渡し訴訟を起こしたが、日本政府は1997年4月、「米軍用地特別措置法」を改正し、使用期限を事実上、半永久的に延長可能とした。

 

そして、年間で4万回以上の離発着が行われている嘉手納(かでな)飛行場。

 

タッチアンドゴー(離着陸訓練)などによる基地周辺の騒音は、大きい時で100デシベルを越える。

嘉手納基地を離陸する米空軍CV22オスプレイ(上)。下はタッチアンドゴーを繰り返すF22最新鋭ステルス戦闘機


電車が通る時のガード下の音量、即ち、隣同士で話しても聞こえないレベルの騒音である。

 

【アメリカ空軍が運営する嘉手納飛行場(嘉手納基地)は、4000m級の滑走路2本を有し、100機以上の軍用機が常駐する極東最大の米軍基地である。軍人・家族、軍属、日本人従業員を含め人員2万人以上に上る。面積においても品川区とほぼ同等の20平方km(東京ドーム約420個分)、日本最大の空港である東京国際空港(羽田空港)の約2倍である/ウィキ】 

嘉手納飛行場(ウィキ)

1960年代後半、コザの街は米軍で賑わっていた。

 

彼らの多くは貧しい家庭で生まれ育っており、金を稼ぐために入隊した者が多かった。

 

でもベトナムへ行って命を失うことになれば、貰った金も意味がなくなる。

 

ベトナムに派兵される、その前の日に、有り金を全て使ってしまう者が数多くいた。

 

もう生きてアメリカに帰ることはできないかも知れない。そんな思いを抱えながら、兵士たちが酒を飲み続けたのが、この街である。 



1970年12月20日未明、米軍車両が起こした沖縄への交通事故を契機に、米国軍人に対する「うちなんちゅ」(沖縄人)の不満が炸裂する。

 

バイクを含む82台の米軍車両が、群衆によって焼き討ちされたのだ(コザ騒動)。

 

コザ騒動からコザ蜂起(コザ暴動)への飛躍は、アメリカ施政権下にあった沖縄のコザ市(現在の沖縄市)で、それまで累加された米軍の人権侵害に対する怒りが沸点に達した沖縄住民の極北的な叛乱だった。 

暴動後、燃やされた車の近くに立つアメリカ軍兵士(ウィキ)

刑事裁判権のない沖縄の人々にとって、ベトナム戦争の最前線の沖縄という広大なエリアで起こった、殺人・強盗・強姦などの凶悪犯罪を犯し、薬物に溺れたた米兵が裁かれない理不尽さに耐える臨界点を超えていたのだ。

 

1970年時点で、軍人・軍属家族らによる沖縄住民への犯罪行為は、コザ市のみで300件以上に膨張していたのである。

 

交通事故のみで年間1000件を超えていたという統計に言葉を失う。

 

人権を侵害されても泣き寝入りを強いられる沖縄住民。

 

米軍は「知花弾薬庫」(嘉手納弾薬庫地区)などに毒ガスを秘密裏に備蓄していたが、毒ガス漏洩事故が発覚し、軍関係者が中毒症で病院に収容された報道もあり、周辺住民は事故の再発に怯えて、島ぐるみの撤去要求運動が起ったのは必至だった。  

毒ガス即時撤去要求、アメリカのカンボジア侵略反対県民総決起大会 1970年5月23日

知花弾薬庫にある毒ガスを移送するトラック 1971年1月

アメリカ軍人が沖縄人を()いた交通事故に端を発するコザ暴動は、それ以外にない沖縄の怒りが爆発した蜂起だったのだ。  

 

 

 

3  肉弾の言語の(たぎ)りを宙吊りにする男、観念の虚妄の要塞を喰い千切る男

 

 

 

コザ暴動の渦中で、嘉手納基地でのグスクとレイの激論が強烈な印象に残る。

 

VXガスを基地から盗んだレイの行為を非難するグスクの間で生まれた議論である。

 

【VXガスは、化学物質の中でも最強クラスの毒性を持つ有機リン系の神経剤で、吸収毒性はサリンの約100倍と言われる】

 

レイはグスクに銃を向け、VXガスの缶を出し、「これで米軍と有利に交渉する」と言い放ったのである。


「何する気か!」

「グスク。そんなに俺に会いたかったのか?」


「暴動にあやかってアメリカに突撃か?」


「俺を逮捕でもしたいのか?」

「こんな日に逮捕なんかするか!」


「一緒にアメリカに泡吹かせに行くか」

「あー、上等やさ」

「家族が()()ちょうさ(てる)()

「あい、何で知ってるわけ?」

 

ここで、レイは銃を構えて命じる。

 

「もういい。回れ右して基地の外まで走れ!立ち止まったり、振り向いたりしたら、お前の頭に穴があく。分かったか?またやーグスク。よーい、ドン」


銃を上に向けた瞬間に、振り向いたグスクはレイに飛びかかった。

 

格闘する二人。

 

グスクは左手にVXガスの缶が入っている袋を持ち、上にかざしながら言い放つ。

 

「このブツがなかったら、計画はオジャンってわけか!」


「それ返せ。変なことするなよ!」

 

袋からVXガスの缶を出すグスク。


「これが毒ガスか」

「ああ。貧者の核よ。VXガスさあね。大して金はかからんが、威力は抜群だから、“貧者の核爆弾”って呼ばれてるわけよ」


ここで基地の外で起こっているコザ暴動の騒音が二人の耳に入ってきて、レイは声高に叫んだ。

 

「見てみい!貧者の怒りばーよ!」

 

ここで暴動の様子が大写しになる。



グスク。グスク!一緒にやらんか。それとも飼い主の言いなりか?」とレイ。


ここでヘリの音が聞こえ、まっしぐらに疾走するグスク。

 

グスクを追うレイ。

 

機動隊と対峙した沖縄住民や過激派が嘉手納基地内に雪崩(なだ)れ込む。


ここから二人の議論が開かれる。

 

「これで何するつもりな?独立でもねじり込むつもりか?」とグスク。

「あんなもん空論やさ」とレイ。

「だったら復帰賛成派な?」

「復帰はしたらいい。どうせ基地も残る。だからヤマトゥ(本土)と交渉する()()

「フッ。あきさ(びつく)みよ(りだ)()。本土を脅そうっていうのか」

「ガスまいて、ここのアメリカーどもをー皆殺しにしてからに。本土の奴らに言うわけよ。次は本土(あったー)にまくってなあ」


「それで?どうするわけ?」


「復帰に条件つける。首都を沖縄にする。もう一つはヤマコを首相にする」


「フッハハハハ…」

()()くぬひゃ(コノヤロ)()。何がおかしいかひゃ⁉」


「ああ。最高やさ。それに本土にも、もっと基地を造らせたら上等やさ」


「そうやさ!何で言わんの?まず言え!何でも、まず言うことやさ!大きい声で言え!分かるか!」


「分かる」

「じゃあ、返せ!」

「返さん」

「何でよ」

「間違ってる」

「“分かる”って言ったやあしぇ!」

「こんなやり方で誰も言うこと聞かん!」

「こんなやり方でしか誰も言うこと聞かん。分からんのか!」

「言うこと聞くふーなーして、最後にはつぶされるよ。分からんのか!」

「俺はつぶされていい。言いたいこと言ってから死にたい」


「殺されたら殺し返すのか。あ?」
「きれいごとやっても、何も変わらんかったさ。こっちも武器持てばいいわけよ。持て、武器を!やー。何でダメなわけ?武器持ったら、奴らも耳を貸すよ。皆で持てばいいさ」

「きれいごとに力ないことぐらい分かってる!分かってるばーよ!」 


「あーもう!」

「でもよ。俺は諦めんよ。諦めん人たちもいっぱいいるさ!今は無理かもしれんけど、10年後20年後には、もっともっと平和な世があるはずやさ!人間はそんなバカじゃない。弱いもんが虐げられたり、泣き寝入りしたりせん!飛行機落とした奴が無罪になったり、戦争なんかしないようになる!そんな世の中が続くはずないさ。そんなバカなことが続くはずないばーよ。そんなバカなことが続いたら、人間はもうおしまいど!そんな野蛮なことが続くんなら、そんなのはもう…人間じゃないよ」 


レイは再び銃をグスクに向け、言い切った。

 

「それが人間やさ」

「それでも俺は…諦めん」

 

以上が二人の会話の一部始終である。

 

肉弾の言語の(たぎ)りを宙吊りにする男、観念の虚妄の要塞を喰い千切る男。

 

どこまでも融解できない不毛が(さら)される時間を弄ぶだけだった。

 

それは暴力の極点としての生物学的倒死(とうし)を鎮魂できる者たちと、それを極限的飛翔が内包する肉弾の言語で、破壊的暴力への(かじ)を切った者との埋め難い落差だった。

 

【現在、那覇市や沖縄市を中心に、約660名の構成員を有する暴力団が存在し、旭琉會(きょくりゅうかい)のみが指定暴力団とされている。元来、沖縄には任侠道の伝統がなく、本土への移住によって、暴力団を生み出す土壌そのものが存在しない。戦後、映画で描かれた、米軍基地から物資を盗み出し、それらを売り(さば)く「戦果アギヤー」の連中が組織化されたのが、沖縄の暴力団の起源であると把握されている。ヤクザになったレイは、その典型例である】

 

 

 

4  「お前は沖縄の基地で生まれた基地の子やさ」

 

 

 

その後の展開も書いておく。

 

 

最後まで折り合わない二人に、「米軍が来る」と伝えたのはヤマコ。 


レイを慕う孤児のウタもやって来て、邪魔者扱いされながら、「(わー)は基地で生まれた。基地の子やさ。生まれた所に戻って何が悪い。色々、考えたんだけど。こんなことしてもなにもならん」と言ってのけた。 

ウタ

そこに、米軍高官アーヴィンが米軍兵士を率いて、彼らを取り囲み、降伏を求めるが、グスクが必死に、「これが君たちのやり方か?」と(いぶか)るアーヴィンに「違う」と訴える中、「(わー)の父さん、知らんか!」と叫ぶウタ。



「ここで、わったー(俺)が死んでも、あとに続く者が必ず現れる。戦果アギャーは何度でもよみがえる!」と言い放つレイ。
 


手にはVXガスの缶が握られている。

 

レイはVXガスで威嚇するが、米軍兵士がレイに向けて発砲し、レイを庇ったウタが撃たれてしまうのだ。

 

グスクはガス缶が入った袋を見せ、「見逃してくれれば、ガスはここへ置いていく」と アーヴィンに頼む。


友好記号である「トモダチ」と言われたアーヴィンは、迷い抜いた挙句、米軍兵士を撤退させる。 

アーヴィン

金網のフェンスを壊してて基地の外に出る4人。

 

自分が助からないことを悟ったウタは病院に向かうことを拒み、クサティ浜に向かうように懇願し、車で海岸に向かうことになった。

 

4人が辿り着いた浜で視認したのは、オンちゃんと(おぼ)しき骸骨だった。

 

衝撃を受ける3人。

 

「あの夜、基地に一人の女が入った」

 

ヤマコは基地撤去の女性から聞いた話を思い起こす。

 

「あの日、臨月の娘さんがね。基地に忍び込んだわけ。お腹の子の父親を探して…」


痛みで苦悶する女性の声。

 

「会いたかったはずでしょうね。いや、悔しかったはずでしょうね」

 

その話を聞くヤマコ。

 

「基地の中で産んで、そのまま亡くなったって。そのあと、赤ちゃんはどこにも見当たらなくて…」

 

ここで、グスクがアーヴィンの通訳をしていた小松に、「じゃあ、俺たちが嘉手納基地に入った日の記録を見せれ!」と肉薄すると、「それが、その日から数日間の日報がなかったんです」と答える小松の遣り取りがインサートされる。 

小松

俺のお父ちゃんは、ちょっと偉い人だったらしいやさ!教えて!俺のお父ちゃんはどこね!」と叫ぶウタの回想。


「父親は高官。記録は消され、箝口令かんこうれいが敷かれた」とグスクとヤマコ。

「え、どういうことね?」とレイ。

「基地を解雇された人が話してくれた」とヤマコ。

「(嘉手納アギャーの日のオンの戦果は)武器じゃなかったんだ、レイ」とグスク。

 

それが、「予定にない戦果」だった。

 

即ち、「オンちゃんが持ち出した『予定にない戦果』」(グスク)とは、陣痛の苦しみの挙句、命の絶えた女が産んだ赤ちゃん(ウタのこと)だった。

 

その赤ちゃんを命を賭けて育てたのがオンだったのだ。

 

オンは悪石島(鹿児島県トカラ列島)で、密貿易の手伝いをしながら、ウタと名付けた赤ん坊を育て上げ、今や幼児となったウタを愛し、父子の生活を繋いていた。 

オンとウタ

「お前はこの海の向こう、沖縄の基地で生まれた基地の子やさ」


オンは幼児のウタにその出自(しゅつじ)を話すのだ。

 

「お前は愛されて生まれたんだよ」


オンが語るウタへの思いである。

 

そんな時だった。

 

密輸を取り締まる米軍の空爆を受け、オンはウタを小船に乗せて何とか生き延びる。


沖縄本島のクサティ浜に小船が着き、大怪我したオンが岩場に座る。

 

ウタはオンに水を持って来るが、オンは岩場で亡くなってしまうのだ。


銃弾を受けたウタもまた、吐露し終わった後、絶命し、ウタを見守っている3人の悲哀が浜辺に残された。

 

コザの暴動が伝えられる中、大勢の沖縄住民に守られて、グスクとヤマコによるオンとウタの葬送儀礼が行われる。


遺体の処理と鎮魂の儀式である。

 

ラスト。

 

浜の一角で、ヤマコはグスクに問いかける。

 

「いつになったら、この苦しみは消えるのかね。いつになったら、私たちは本当に笑えるのかね」

「分からん。でも…そのいつかを信じて生きないといけん」 


ヤマコが去った浜に残されたグスクは、海岸の向こうにオンを幻視する。


笑みを交わす二人。

 

「さあ、起きれ。そろそろ本当に生きる時がきた」

 

オンのラストメッセージが映画を括るのだ。

 

【思うに、暴力に始まり鎮魂で終焉する物語の内実を支配するのは、極限状況下で、米軍を挑発することで(たお)される運命に遭遇したヤクザ(レイ)の身代わりになった少年(ウタ)の、飛び切りの英雄譚という三流アクションを、サスペンスの手法でインサートすることなしに、とっておきの真実(予期せぬ戦果)を表現できないエンタメ全開の噓臭さのエピソードだったように思った。

 

暴力描写のリアリティとエンタメ全開のフェーズが溶融する、一連のシークエンスに疑義を抱かざるを得なかった。

 

暴力描写=三流アクションという構図からは、社会派映画の肝を拾うことは難しかった。

 

だから、肝心の鎮魂描写が映画的なメッセージ性を希薄にすることになったと思われる。

 

個人的に、ここだけは酷評になったが、映像総体の評価は決して粗悪なものでなかっただけに残念でならない。


妻夫木聡と窪田正孝は文句なく素晴らしかった

 

(2026年8月)