<友愛の結晶点を描き切って閉じていく>
1 「私の夢は、庭付きの家を建てることです。妻と娘のために。それと、犬も欲しい」
高校時代の友人、武田と奈津美(なつみ/登場人物名は全て公式ホームから)と3人で過ごした厚久(あつひさ)の回想シーンから、物語が開かれる。
武田の肩に手を乗せる奈津美。前方に厚久がいる |
厚久は奈津美と結婚し、5歳の娘・鈴を育み、今も、夢を共有する武田との友情を延長させていた。
プロのミュージシャンになること・起業すること ―― これが二人の夢だった。
路上で歌う二人 |
その夢の実現のために、中国語と英語のレッスンを続けている。
中国語のレッスンを受ける厚久と武田 |
「不思議だよな。英語だとすらすら本音を言える」
映像のコアとなる表現が、親友と心を通わす武田の口から吐露された。
レッスンの帰りに、武田は厚久の家に寄り、奈津美と鈴との団欒の中に溶け込んでいる何気ない風景が提示される。
左から厚久、奈津美、鈴、武田 |
しかし、この風景を大きく変容させる事態が出来(しゅったい)する。
本の配送会社に勤めている厚久が、勤務中に眩暈(めまい)がして早退して家に帰ると、妻の奈津美が見知らぬ男と情事に耽る現場に出くわしてしまうのだ。
![]() |
配送会社に勤める厚久 |
目撃された妻と目を合わすが、衝撃を受けた厚久は、動転して言葉も発せずに、家から飛び出していく。
そのまま、自転車で娘・鈴の幼稚園に迎えに行く厚久の心には、抜けない棘が刺さっている。
「悪いんだけど、鈴に風邪移さないで」
娘と二人で食事をする奈津美は、具合の悪い厚久にそう言うだけで、昼間の情事の件に触れることなく、恥じる様子もない。
そればかりか、押し黙っているだけの厚久に対し、奈津美は言い放った。
「あなたからは、愛情感じないから、私はずっと苦しかった。あたしの気持ちは、あっちゃんには分からないと思うけど、苦しかった。この5年、ずっと」
「ずっと?」
「うん、ずっと」
妻の顔を呆然と見つめる厚久。
「あたしと付き合う前、あっちゃん、早智子(さちこ)さんという女の人と婚約していたでしょ。あっちゃん、婚約破棄してまで、私と付き合った。あのとき、早智子さんには悪いことしたよね。あの人のこと、相当傷つけたよね。私がバカだったって思うんだよね。早智子さん、今頃、どうしてるんだろう。可哀想」
そう言って、嗚咽を漏らす奈津美。
「何で今更、そんな話」
ここでマターを一転させ、奈津美はシビアな話に遷移させていく。
「鈴は、私が育てるから、お金のことは任せる。鈴が育てるのに必要な金額は、また改めて相談するってことでいいかな。今すぐには決められないし。それと、これは申し訳ないんだけど、鈴の幼稚園を変えるわけにいかないから、このまま、ここに住みたいと思ってる。意味分かるでしょ…何か、言って?私を全否定してもいいんだよ」
「…うん、全部分かった。でも、分からなくなっちゃったのは、じいちゃんがいたのかいなかったのか…」
タンスの上に飾ってある祖父と、二人の兄弟の写真を見ながら、そう答えるばかりの男が、そこに置き去りにされた。
夢の具現化から遠ざかる一歩 ―― これが、置き去りにされた男の最初の被弾だった。
「私の夢は、庭付きの家を建てることです。妻と娘のために。それと、犬も欲しい」
英語のレッスンを受ける男が、担当の女性教師に話した英語だが、最後の授業であるとも告げ、武田と共に帰路に就く。
月謝が払えなくなったからである。
言わずもがな、中国語のレッスンの途絶も同じ理由。
「いいんだよ、あんな嘘つかなくて。庭付きの家の話」
その帰路で、親友を思いやる武田の助言に対し、厚久は家を持つことも、武田と起業することも夢であることに変わりがないと答える。
まもなく、武田のもとに奈津美が訪ねて来た。
「奈津美、お前、ずるいよ」
武田の最初の一撃には、親友を裏切った女への感情が存分に込められていた。
「武ちゃんは、何を知ってるの?何も知らないで私を責めるのは、ずるいよ。あっちゃんも、ただ被害者面してるんだとしたら、それもずるい」
「…厚久は、お前が大変だった時に、婚約を破棄してまで、お前を救おうとしたんだ」
「知ってるよ。だから?だから、悲しいよね。私は救って欲しかったわけじゃない。愛して欲しかっただけなの。離婚の話してるときも、あっちゃんは、ずっと違うところ見てた。私の目なんて、見なかったよ。そういう夫婦だったの。分かる?じゃ、結局、どうするのが一番だったの?やっぱり、武ちゃんと結婚してれば、良かったんじゃないかな」
「冗談でも、やめろ」
「でも、私は好きだったよ。高校生のとき、ずっと」
「そういうことは、言うなよ。頼むから」
「あっちゃんは、婚約してた。早智子さんて人が、家にいた。ごめんなさい、ごめんなさいって何度も謝るの。あっちゃん、それから変わっちゃった。分かってたよ。私は結婚すべきじゃなかったの。でも、そのときもう鈴がお腹の中にいたし、頑張るしかなかったけど、やっぱり駄目だった。悔しいけど。あっちゃんが愛したのは、私じゃなかった。だから、この5年は、鈴だけのためにやってきた。でも、あたし。今、好きな人がいるの。人を好きになるっていう自分の気持ち、あたし、絶対否定しない。それが間違いだと思ったら、悪いけど、こんな理不尽な人生やってられないから。女でいるって、重要なの…」
「もういい、いい加減にしろ!男と女の話は、お前らでやってくれ!俺はそんなに暇じゃない…ごめん、嘘だ。何かあったら、電話しろ」
翌日、武田は厚久に会い、離婚の原因について問い質す。
「奈津美と別れた原因は何だ」
「今、寂しいか。離婚して、泣いたか」
首を横に振る厚久。
「ムカつかないのか。何でだ。鈴ちゃんには会いたくないのか」
「どっちにしたって、言わない方がいい。言いたいよ。でも、言おうと思っても、何でだろ、声が出ないんだ。日本人だからかな。心の中では泣いてるよ。でも、実際、涙が出ないんだ」
「俺は、お前を信じてるけど、お前が悪かったのか?」
「ああ」
「何をした」
「彼女を悲しませた」
半年後、奈津美は同棲相手が働かず、生活費に困っていた。
男は、デリヘルでも何でもできるだろと開き直るのだ。
奈津美の同棲相手 |
「デリヘルなんて、簡単にできるよ。だって、大事な娘と、好きな人のためでしょ。できるよ。簡単な気持ちで、あなたといるわけじゃないの。私も、もうどこにも行けないからね。これだけは言っとくけど、絶対に別れない。覚悟決めてるの。当たり前でしょ」
奈津美は厚久に電話をかけ、少しだけ振り込んでくれと頼む。
分かったと答える厚久は、何かを言いかけるが、それ以上話せなかった。
「ごめんね、ごめんね」
奈津美は厚久に謝り、涙を流す。
お盆に実家へ単身で帰った厚久は、そこで初めて奈津美と離婚したことを家族に告げた。
厚久の両親 |
大麻を吸い、引き籠りがちで仕事に就けない兄も、その話を又聞きし、驚いている。
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厚久の兄 |
その兄は、後日、弟が住んでいるであろう家に訪ねると、そこには、奈津美と鈴、そして、同棲相手の男が住んでいた。
外に出たその男を、厚久の兄は付け回し、あろうことか、殺してしまうのだ。
厚久の兄と、奈津美の同棲相手(右) |
半年後、厚久と両親が徹が収監されている刑務所にやって来た。
ラーメン店で父親が客に頼んで、親子3人の家族写真を撮る。
「バカだな。くだらない奴ほど、のうのうと生き残る」
厚久の父親は、こんなことを平然と言ってのける男なのだ。
刑務所近くの公園へ行き、今度は、母親の提案で刑務所をバックに家族写真を撮る。
一方、殺された同棲相手の男の借金の返済を求めて、強面の4人が奈津美の家に上がり込んでいた。
連帯保証人としてサインしてしまった記憶が曖昧な奈津美が、「借用書を見せて下さい」と求め、その眼前に、借用書を見せる取り立て屋のボス |
片や、厚久が元の自宅へ来たが、そこにはもう誰も住んでいなかった。
玄関のドアを叩き、「ごめん」と言いながら、早智子が厚久の元にやって来た時のことを回想する。
早智子は自分が子宮に問題があると分かり、子供が産めない体だったことを告げ、結婚しないで良かったんだと吐露するのだ。
早智子 |
「いいなあ、私も女の子が欲しかったから。可愛がってあげてよね」
厚久は、その言葉を受け、涙ながらに謝罪する。
「ごめん、奈津美を大切に思ってる」
「分かってるけど、そんなにはっきり言わないでよ。好きじゃないから、私にはそうやって、本音を言えるんだよね」
そこに、奈津美が帰って来たところで、回想シーンは閉じる。
譬(たと)え誤解であったとしても、厚久と早智子の睦み合う現場を、奈津美に目視されたという一件が負い目と化した男が、ここで決定的に沈み込んでいく。
全ては、この早智子に話した奈津美への思いを言語化しなかったこと ―― これに尽きるだろう。
鈴を実家に預け、デリヘルの仕事に就く奈津美。
奈津美(左) |
これが、窮乏生活を強いられた奈津美の〈現在性〉だった。
2 「あそこにいたほうが、鈴は幸せになる。庭もあるし、犬もいる」
半年後。
実家に預けられ、小学生になった鈴 |
デリヘルの仕事で訪れたホテルの一室で、中年男に「醜い、バカ」などと愚弄された挙句、奈津美は刃物で殺害されてしまうのだ。
「お前は醜いな。惨めなだけだろ」 |
「いざ、やってみれば慣れるものですよ」 |
奈津美の絶叫音が、のちに回想されていく。
壮絶だった。
翌日、厚久は所轄署の刑事に、奈津美が殺害された事実を知らされる。
男の被弾がピークアウトに達する。
よろけるように歩く厚久を支える武田。
二人は、奈津美の葬儀会場に向かっていく。
ここでも被弾する厚久。
「よく来られましたね。あなたと一緒にさせてしまったことが、本当に悔しくて。もう、いいでしょ。お願いだから、もう関わらないで。あなた(武田のこと)にも会わなければよかった」
二人が浴びた、奈津美の母親からの誹議(ひぎ)である。
断罪であると言っていい。
「鈴のことは、忘れてください」
そう言うや、母親は親族と共に、鈴を連れて会場へ消えていった。
置き去りにされた二人。
武田は外に出て、高校生の頃の奈津美を思い出していた。
武田の肩に手を乗せて、歩く奈津美。
彼の回想も、厚久のファーストシーンでの回想と重なっていた。
暗黙裡だったであろうが、3人共に同様の情報を共有していたのである。
明らかに、奈津美は武田に異性感情があったのだ。
鈴が祖母の目を盗んで、控室の厚久の元にやって来た。
鈴を見る厚久 |
実家で父と遊んだ影絵を今、夕陽に当て作って見せる。
その影絵に手を翳(かざ)す厚久。
父の実家で鈴と影絵で遊ぶ厚久 |
しかし、間髪(かんはつ)を入れず、鈴は連れ去られ、犬の影絵も消えてしまう。
武田の家に帰る二人の男。
嗚咽を洗面室で噛み殺す厚久。
厚久の願いで、二人で奈津美が殺されたラブホテルを訪れ、線香を上げ、いつも3人で食べていたパピコを2本供える。
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パピコを2本供える厚久と武田 |
奈津美の遺体現場で、奈津美の好物のパピコが2本供えられる
「本当にいたのかな。奈津美…俺が泣けないのは、日本人だからかな」
「奈津美のこと、愛してたか?それとも、本当に早智子さんのことが忘れられなかったのか?」
「あ、英語なら言えそうだ。I Love my wife、I realy realy realy realy love my wife. すごく、今でも、ずっと。でも、俺の愛は駄目だったよ」
「何でだ。奈津美にあんなことされたのに」
「出会っちゃったから。いろんな人のこと裏切ったけど。でもしょうがないだろ?出会っちゃったから」
「よかった」
そして今、二人は車を走らせ、高校生の頃遊んでいた、住宅街にある奈津美の実家を探すのだ。
そこで、庭で犬と一緒に遊ぶ鈴の姿があった。
「このまま行ってくれ。行ってくれ」
「いいのか」
「あそこにいたほうが、鈴は幸せになる。庭もあるし、犬もいる」
厚久の思いを込めた言葉である。
車をそのまま走らせる武田の傍らで、啜(すす)り泣く厚久。
瞬時に車を止める武田。
「ダメだ、行ってくる」
「大丈夫か?」
「何、ただ、言うだけだよ。鈴はお父さんの宝物だよ。できれば、一緒に暮らしたい…でも…多分、言えないと思う…今までも、本当のことは…言えたためしがないから…」
「今までも、本当のことは…言えたためしがないから…」 |
嗚咽の中で踠(もが)きながら、そう話す厚久。
武田も堪えきれず落涙し、厚久の背中を撫でる。
「出しちゃえ。出せ!全部、出すんだよ。言えよ、一緒に暮らしたいって、直接言えよ!」
「…言ったって、どうにもならない!」
「どうにもならなくても、言うんだよ!じゃなんで、ここまで来たんだ。ただのドライブか?俺は、そんなに暇じゃねぇんだよ!」
そう叫ぶと、武田はクラクションを鳴らし続ける。
その音で、鈴が再び道路に出て来た。
「俺がしっかり見ててやるから!本当のことを言うんだ。どうなったって、本当のことを言うんだよ!本当のことを言うことが大切なんだ。友達がここにいるんだ。少しは聞け」
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「本当のことを言うことが大切なんだ」 |
「友達がここにいるんだ。少しは聞け」 |
そして、咽(むせ)び泣きながら抱き合う二人。
「行くぞ!」
「頑張れ。俺がしっかり見ててやる!」
厚久はその言葉に背中を押され車から降り、鈴のほうへ歩いていく。
もう、堪(たま)らずらずに、走って向かっていく。
「駄目だ。ごめんな、見られない」
武田はそう言って、ハンドルに顔を伏せる。
鈴は厚久の方を見つめている。
厚久は必死に走っていく。
最愛の娘に向かって走っていくのだ。
ラストカットである。
3 友愛の結晶点を描き切って閉じていく
心の芯に突き刺さってくる映像に身震いした。
人間の複雑な心理の交叉を精緻に描き切った、石井裕也監督の紛れもない秀作である。
仲野太賀の演技はいつも出色だが、ここでは若葉竜也の表現力に驚かされた。
仲野太賀・「ほとりの朔子」より |
「葛城事件」で秀抜な演技を見せた若葉竜也は、本作において、「受け」の演技の難しさを完璧に表現していて、圧巻だった。
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若葉竜也・「葛城事件」より |
―― 以下、批評したい。
この「援助感情」の多寡・落差が、関係の様態を決める。
家族愛・友愛・同志愛・異性愛など、全て同じである。
異性愛は、そこに〈性〉が加わるが、その基本感情が「援助感情」であることには変わらない。
異性愛も、物理的共存が延長されれば〈性〉が脱色するケースが多く、その多寡・落差があるものの、限りなく、同志愛・友愛に近い感情に昇華されていくだろう。
特定他者に対して、援助を自然に噴き上げていく感情がコアになって、「愛」の形が多様に形成されていく。
これが、「愛」に対する私の定義である。
映画では、これらの「愛」の形が提示されていた。
中でも、コアになっていたのは異性愛である。
この異性愛には複雑な事情が絡み合っていて、人間が抱える感情処理の難しさを感受せざるを得ない。
「あなたからは、愛情感じないから、私はずっと苦しかった」
こんなことを妻・奈津美から言われても、反論できず、縮み込み、竦むだけの厚久。
この厚久の沈黙は何を意味するのか。
それを読み解く重要な会話がある。
武田を訪ねた際の奈津美との会話である。
「…厚久は、お前が大変だった時に、婚約を破棄してまで、お前を救おうとしたんだ」
この挑発的な武田の言辞に、奈津美は強く反駁(はんばく)した。
「私は救って欲しかったわけじゃない。愛して欲しかっただけなの。離婚の話してるときも、あっちゃんは、ずっと違うところ見てた。私の目なんて、見なかったよ」
ここで勘考する。
一体、奈津美は、厚久から何を救ってもらったのか。
それが、「お前が大変だった時」という武田の言辞と同義であることは疑う余地がないだろう。
映像は、それについて全く提示しない。
観る者に委ねられてしまったのである。
映画作家としての矜持(きょうじ)かも知れないが、主人公の内的過程の芯に関与するので、正直、不満も残る。
人生論的映画評論の範疇で、敢えて考えてみる。
こういうことではないか。
両親と距離を置くような生き方をしていた奈津美の〈現在性〉の情報を、厚久が得ていた。
婚約中の厚久が、奈津美に対して、早智子よりも強い異性感情を抱いてしまった。
厚久は、早智子と奈津美を、心の天秤にかけてしまう。
その結果、奈津美を選択する。
これが、武田に吐露した「出会っちゃったから」という意味の内実だろう。
「出会っちゃったから。いろんな人のこと裏切ったけど。でもしょうがないだろ?出会っちゃったから」 |
奈津美と過ごしたアパートの部屋を訪ねる |
思うに、高校時代から厚久は奈津美に好意を抱いていた。
ところが、武田に異性感情を抱いていた奈津美の感情を知っていたが故に、その奈津美に告白などできようもなかった。
武田の回想シーン |
元々、厚久は本音を言えない自我の脆弱性を抱えている。
それが、「日本人だからかな」という常套句に隠れ込んでしまうのだ。
「俺が泣けないのは、日本人だからかな」(奈津美の遺体があった部屋の傍で吐露する) |
そんな厚久にとって、奈津美の窮地は絶好の機会だった。
これで、「奈津美の窮地の救済」という名分が立った。
だから、早智子との婚約を破棄した。
このことは、厚久の視界不良のトラウマになっていく。
焦(じ)れったいほどの男の弱さが拍車をかけていくようだった。
かくて、早智子に対する負い目が膨らんでいたから、「あっちゃんは、ずっと違うところ見てた」という奈津美の誤解を生む。
「あっちゃんは、ずっと違うところ見てた」 |
更に、その誤解は、「早智子への復縁」(早智子の話に耳を傾け、同情するだけの振る舞い)という行為に流れた挙句、「夫・厚久」の裏切りという独り決めのゾーンに固着する。
「ゴメン」と謝り、嗚咽する厚久
「夫・厚久」の「裏切り」に衝撃を受ける奈津美 |
早智子も謝罪する |
「あっちゃんを愛していた」とまで吐露した奈津美は、「夫・厚久」から「夫」という、それだけは捨てられなかった絶対ワードを切り取ってしまうのだ。
それは、既に厚久との子を懐妊していた奈津美にとって、「幸福家族」のイメージが剥落する破壊力を有している。
以下の奈津美の物言いは、常に自己判断・自己決定し、進軍する彼女のハードランディングの内的風景を検証するに充分過ぎる証跡言辞であるだろう。
「私は結婚すべきじゃなかったの。でも、そのときもう鈴がお腹の中にいたし、頑張るしかなかったけど、やっぱり駄目だった。悔しいけど。あっちゃんが愛したのは、私じゃなかった。だから、この5年は、鈴だけのためにやってきた」
「その時(アパートに早智子がいたこと)も、鈴がお腹の中にいたし、頑張るしかなかったけど、やっぱり駄目だった」 |
そして、直線的に辿り着く彼女の攻勢点は、「本音を言わぬ男」を決定的に沈黙させる。
「でも、あたし。今、好きな人がいるの。人を好きになるっていう自分の気持ち、あたし、絶対否定しない。それが間違いだと思ったら、悪いけど、こんな理不尽な人生やってられないから。女でいるって、重要なの…」
この風景の乖離の中枢を占有したのは、「I Love my wife」を、早智子にのみ放った「ごめん、奈津美を大切に思ってる」という絶対ワードを具現できなかった男が、「あたし。今、好きな人がいるの」という絶対ワードを具現し得る女によって、「凍りつき症候群」(注1)をトレースするかのように、「分からなくなっちゃったのは、じいちゃんがいたのかいなかったのか」などという、男の脆弱な相対思考を破壊する関係性の歪みだった。
石井裕也監督が、「日本人そのものの象徴」(注2)として描いたという厚久の人物造形について、私なりに勘考したい。
「本音を言わぬ男」に隠れ込む厚久の自我の脆弱性。
影絵で遊ぶ鈴を実家の母に連れ去られ、厚久の孤独は深い |
しかし、「本音を言わぬ男」は、いつでも「本音を言わぬ男」ではなかった。
早智子なら言えるが、奈津美なら言えない。
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「何か、言って?私を全否定してもいいんだよ」 |
異性感情の落差が、そこに垣間見える。
同時にそれは、不安感情の落差である。
傷つけることが怖い。
傷つけられることが怖いからである。
それでも、「援助感情」だけは捨てられない。
観る者が感動するのは、その一点を精緻に描き切ったからである。
「本音を言わぬ男」に隠れ込む戦略が、彼の自我防衛の「最適化」であるということ。
これに尽きるが、その根っこに横たわるのが、厚久の家庭環境のネガティブな風景であると思われる。
どうしても拭えない彼の脆弱性を、石井裕也監督が「日本人そのものの象徴」として見るのは、人物造形像の簡便な処理だが、物語で提示された厚久の自我の脆弱性を心理学的にフォローしていけば、「本音を言わぬ男」に隠れ込む彼のルーツは透けて見えるだろう。
家族を壊した父親。
これがある。
その父親が、ラーメン店で「家族写真」を撮ってもらうシーンがあった。
「バカだな。くだらない奴ほど、のうのうと生き残る」
その時の父親の言葉である。
今度は、長男が入獄している刑務所の前で、「家族写真」を撮ることを積極的に求め、そこにいた男性を父親が強引に連れて来て、「家族写真」に収まるのだ。
「笑って」と言われても、最後まで笑えない厚久。
この家族のバックグラウンドをシンボライズする構図に、絶句する。
最後まで笑えない「本音を言わぬ男」の兄もまた、「本音を言わぬ男」だった。
と言うより、言葉の実質的な意味で「物言わぬ男」だった。
「物言わぬ男」を案じる弟と、弟を励まさんと家を出る兄の構図は、あまりにも痛々しい。
厚久のみが兄が収監されている刑務所を見つめている |
「あんなに世話になったのに、じいちゃんって本当にいたんだっけって、思っちゃってさ」
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じいちゃんに線香を上げる厚久 |
繰り返すが、映像で深い意味を込めた厚久の観念的言辞である。
「壊れちゃってるよね、あっちゃんの家族は」
前者は、この奈津美の物言いと同義である。
且つ、厚久を父にする「3人家族」の崩壊とも同義でもあった。
そして、その厚久の家族。
父の高圧的な振る舞いと、「軽佻浮薄」(けいちょうふはく)な印象を拭えない母。
致命的なほどデリカシー欠如の両親が、息子の一人を薬物依存症者にした挙句、殺人事件を犯す犯罪者にしてしまった。
大麻を吸う兄 |
厚久の自我形成に大きな影響を与えたであろう家庭環境が、「本音を言わぬ男」の自我防衛の「最適化」の戦略で、息子の一人を過剰武装させてしまったのではないか。
それは、情緒的共同体としての「援助感情」の致命的欠如だったと言える。
私は、そう思う。
―― 本稿の最後に、結論を出したい。
物語の本線で拾い上げられたのは、何よりも強度を増す「友愛」だった。
言うまでもなく、厚久と武田との関係濃度の高さ。
これが、ラストシーンで全開する物語の生命線であると言っていい。
咽(むせ)び泣きながら親友の胸に、顔を埋(うず)める厚久。
「本当のことを言うことが大切なんだ。友達がここにいるんだ」
そう言って、親友を抱擁する武田。
二人の「友愛」の結晶点が、そこに目眩(まばゆ)く輝いていた。
「親愛」・「信頼」・「礼節」・「援助」・「依存」・「共有」。
これらの心理的な因子が、友情の成立の基本要件である。
私の定義である。(詳細は、拙稿・人生論的映画評論「真夜中のカーボーイ」を参照にされたし)
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「真夜中のカーボーイ」より |
厚久と武田との「友愛」には、以上の心理的な因子が余すことなく内包されていた。
物語の感銘の深さは、「援助感情」を胆(きも)にする、二人の「友愛」の結晶点を描き切って閉じていくラストシーンのうちに収斂されたのである。
(注1)緊急事態に陥ったら何もできず、無思考状態になってしまう心的現象のこと。
(注2)「厚久は僕の考える日本人そのものの象徴でもある。そして、もっと俯瞰してみると、もはや我々は大切なものを色んな外圧から剥ぎ取られ、いよいよ最後の一つまで手が伸びかかっている。要するに日本、日本人は、それほどヤバいところまで来ているという認識の反映です」
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手前が石井裕也監督 |
「僕は日本語って、知らないうちに自然と主語が消えていく特殊な言語だと思っているんです。特に大人になると、その傾向がどんどん強くなる。『私はこう考えている』ではなく、『私共は』とか『上の者が』なんていう主語を混ぜていくうちに、話す人の主体が自然と曖昧になっていく。目の前にいる個人の意見なのか、その人が属している組織の総意なのか、区別がつかなくなってくる。あなたが発している言葉は、いったい誰の言葉なのか?
そういった時、僕は誰と話しているのかわからなくなる不安と混乱に陥るわけですよ」(石井裕也監督インタビューより)
(2021年4月)
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