検索

2024年9月10日火曜日

市子('23)   「手に負えない何者か」と化していく  戸田彬弘

 


1  「…うち、人、殺してしもた…」

 

 

 

「昨日夕方に東大阪市の生駒山の山中から、性別不詳の白骨遺体が発見されました…司法解剖の結果、死後8年近くが経過していると…」

 

テレビニュースを聴きながら、バッグに服を詰めていた川辺市子(以下、市子)は、恋人の長谷川義則(以下、長谷川)が仕事から帰宅するバイクの走行音が聞こえ、手を止める。 


慌てて荷物をまとめ、市子はベランダから下りようとするが、バッグに手が届かない。

 

長谷川はバイクを止め、アパートの部屋に入ると市子の姿はなく、ベランダにバッグが残されていた。 

長谷川

その頃、市子は全速力で逃走していた。

 

2015年8月13日のことである。

 

その前日の12日、市子はシチューを作り、長谷川と食べながら、「うち、今幸せなんよ」と涙ぐむ。 

市子

長谷川は徐(おもむろ)にカバンから結婚届の用紙を出した。

 

「一緒になろうか…結婚、してください」 


頭を下げる長谷川のプロポーズに、涙を流す市子。

 

「ウソや…うれしい」 


長谷川は市子に浴衣をプレゼントし、それを着て花火を見に行く約束をする。 



2015年8月21日

 

捜索願を受け、刑事・後藤がやって来て、市子について訊ねるが、長谷川は彼女の両親や出身地について答えられない。 

後藤

3年間一緒に暮らして、お互いに自分たちのことを語り合ってこなかったのだ。

 

「長谷川さん、この女性、誰なんでしょう?」

「え?市子ですよ」


「それが、どうも存在せぇへんのですよ」

 

1999年7月

 

山本さつき(以下、さつき)は、市子と同じ団地に住み、市子の母・なつみが勤めるスナックにいる父親の元へ行く。

 

そこで、幼い頃よく遊んだという市子が、客の小泉雅雄(以下、小泉)の隣で宿題をしているが、なつみが市子を「月子」と呼んでいるのを訝(いぶか)る。 

さつき

中央右から小泉、なつみ、月子


さつきは、なつみから夕食を受け取って帰る月子(市子)を追い、「市子ちゃん?」と声をかけ、自分が好きな男子生徒と話をしていたことを月子に尋ねる。

 

すると、「あいつ、気持ち悪いし嫌いや」と言われ、腹を立てたさつきは月子と喧嘩になるが、年下のはずの月子の力が強く、押し倒されてしまう。

 

2000年9月

 

幸田梢(こずえ、以下、梢)は、胸が大きいと男子生徒にからかわれるのを見て、月子が自ら体操着をめくり上げ、「触りたかったら触れ」と、梢の前に出て庇う。 

月子

月子の「性化行動」(年齢不相応な性行動)が露わになるエピソードである。


そんな月子に好感を持った梢は、一戸建てのハイソな自宅へ月子を呼んでケーキをご馳走したり、デパートへ買い物に連れて行く。 

月子と梢(右)

月子はお礼にたまごっちを梢に渡そうとするが、それがすぐ万引きしたものと分かり、受け取らず去って行く梢だったが、その後、梢は市子の家に遊びに行く。 

「うち、そういうのイヤやねんけど」と言って、受け取らない梢


梢が部屋に入ると、なつみが肌をはだけてベッドに眠っており、介護用のおまるが置いてあるのに気づく。

 

そこに、先のなつみの店の客で、障害福祉課のソーシャルワーカーの小泉がなつみと懇ろになっていたところを見られ、小泉は月子に千円札を渡し外に追い出すのだ。 

小泉

月子はドアを開け、「足りへん」と小泉にせがみ、更に千円を受け取り、「行こ」と梢を誘うが、異様な月子の家庭環境を見て、梢は、「帰る」と言うや去って行った。 



2008年7月

 

田中宗介(以下、宗介)は、高校時代の月子の恋人だが、最近、月子が冷たいことに焦りを感じており、同じ同級生の北秀和(以下、北)が月子のストーカーをしていたと言いがかりをつけ、月子に土下座して謝罪させる。

 

それを無視する月子の態度に不安を募らせた宗介は、月子の住む団地で帰りを待ち、家に行こうとする。 

宗介と月子

そこで缶ビールを飲み、団地の水道水で足を洗っていた小泉が月子に鍵を要求し、家の中に入って行った。

 

小泉を父親と勘違いした宗介は挨拶したが、様子がおかしいので、「今日、やめとこか?」と言うと、月子は宗介の手を引いて団地の裏に連れて行き、矢庭にキスをする。

 

宗介が月子を突き放すが、俯(うつむ)く月子を案じる。

 

「うち、ほんまに宗介のこと、嫌いなんとちゃうんよ」 


そう言って、宗介の手を掴んで自分のスカートの中に入れようとするので、宗介は、その手を振り払い、「ごめん、帰るわ」と逃げるように去って行った。 



2015年8月28日

 

長谷川は、失踪した市子の手がかりを求め、市子が働いていた新聞配達店を訪ね、3~4年前、同じ寮に住んでいた吉田キキが働くケーキ屋を知らされる。

 

2009年5月

 

吉田キキは、自分で作った試作品のケーキを持って、寮で体調を崩して寝ている市子の部屋へ入る。

 

パティシエになる夢を持つキキは市子に試食してもらい、小学校の頃、裕福な梢の家でケーキを4つも食べたと話す市子に、一緒にケーキ屋をやろうと誘った。 

キキ

「ありがとう…考えとくな」

「あかんよ!もう決まりや。善は急げって言うし。今日、記念日にしよ」

 

市子は涙を溜めた目を伏せる。

 

「なんか、あったん?」

「…うち、人、殺してしもた…」 

市子

その話を、パティシエになったキキの店で聞かされる長谷川。

 

「“ウソウソ、なーんもないよ。いっつも優しく話しかけてくれて、ありがとうやで”」


「それ、市子が言ったんですか?」


「びっくりしすぎて、信じてなかったって言うか、市子ちゃん、優しい子やし…」

 

長谷川がバイクで帰ろうとすると、店からキキが走って出て来た。

 

キキは市子と出会って新聞配達に誘った時、ホームレスみたいに夜中に毎日ウロウロして、家に帰りたくない、昔のことも話したくないと言うので、市子のことは何も知らないと話す。

 

「嬉しかったと思います。市子」

「警察の人が、なんで市子ちゃん、捜してるんですか?」


「僕も分からなくて」

 

一方、警察は、「生駒山死体遺棄事件」として、川辺なつみの行方を追っており、ホワイトボードには、なつみの婚姻・離婚暦や、長女の月子の出産、その父として横山健太郎、自殺したとされる小泉雅雄との関係が書かれ、川辺月子として市子の写真が貼られていた。 


なつみは今も失踪中であるが、警察は2年前に山浦美智子と偽名を使って友人宅に身を寄せていた能登半島の石川県志賀町へ聞き込みに入り、後藤は地元の取材に行くことになった。

 

その後藤に、長谷川から電話が入り、今、所轄署まで自ら足を運んでいることを知らされ、以降、後藤は情報を有する長谷川と行動を共にすることになる。

 

後藤は市子が住んでいた団地の幼馴染の山本さつきから、最初は市子と名乗り、同い年だったと思っていたら、小学校に入る頃に姿を見なくなり、小学4年の時、月子として新入学して来たので、自分の記憶違いだと考えたが、ある時喧嘩をしたら、ものすごく力が強く、やはり年齢を誤魔化していたと思う、との証言を得た。 

さつき

先の喧嘩の一件である。

 

後藤の運転する車の助手席で情報を共有する長谷川は、梢の証言で家に“おまる”があったことを質問すると、逆に、市子が病気になった時に病院へ行ったか、携帯は何を使っていたか、仕事は何をしていたかについて訊かれる。

 

その質問に、病院は嫌いで行かず、携帯はガラケーで、仕事は昨年まで新聞配達をしていたが、販売店の倒産以降は働いていなかったと長谷川は答えた。

 

後藤はここで、今まで伏せていた生駒山で見つかった白骨遺体の事件と、市子失踪との関与について話し始めた。

 

その白骨死体は、筋ジストロフィーの患者のものだった事実を説明する後藤。

 

「その遺体が、川辺月子の可能性があると疑われてる」

 

そう言って、川辺家の戸籍謄本を長谷川に見せた。 


「市子の名前がないですけど?」

 

「幸田梢さんは、介護用の“おまる”があった言うてた。月子の病気は知的障害も伴うし、生涯を通して立つこともできへん難病でな。それが発覚したんは、カルテの記録からは2歳。でありながら、4年後の春から川辺月子は小学校に通い始めてて、以降、高校までの就学履歴がある」

「どういうことですか?」

「健常者の川辺月子と障害者の川辺月子が存在してる。市子の母、川辺なつみには市子が生まれた同年に離婚歴があった。法律による規定で離婚後300日以内に生まれた子供は、遺伝子とは関係なく、前の夫の子と推定される。よく言われんのは、前の夫のDVとかで母親が連絡を取ることを拒み、出生届を出せず、その子供が無戸籍になってしまうケース。おそらく、川辺市子はそうやった…市子が月子になりすましていた…生きてくために取った決断やろうけど…吉田キキさんに出会った頃には市子を名乗ってる…言うまでもなく病院も行かれへんし、携帯も買い換えられへん。まともな仕事に就くことかって…それでも市子を選んだんは、なんか理由があるはずなんや」 



次に、二人はNGO・無戸籍支援の会「アカシ」の代表の井出を訪ね、市子が2020年頃来て、就籍(しゅうせき/無籍者が届け出をして戸籍に記載されること)を試みたが脱落したとの話を聞く。

 

その直後、高校時代の同級生が市子を探しに来たと言い、その人物が北である事実が判明した。 

井出から北の存在を知らされる


なぜ、月子と名乗っていた高校生の同級生である北が、市子として探していたのかについて疑問視する二人。

 

2008年9月

 

北は高校時代、駄菓子屋で同じアイスを買った月子に声を掛けられ、一緒の電車で帰宅し、駅の改札を出て別れたものの、月子に惹かれて後を付いていく。 

月子と北

そして今、その北のアパートを後藤と長谷川が訪ね、なぜ市子を捜していたのかを問い詰める。 


更に、自殺として片付けられた小泉についても川辺家と関わっていないわけがなく、その点についても後藤は北を追及するのだ。

 

月子を好きだった北は、帰り道に本当の名は市子だと本人から聞き、複雑な家庭環境を心配して、失踪した市子を捜して支援団体を訪ねたと言い、それ以上の関係を否定する。

 

アパートの部屋から物音を聞いた長谷川は、北の制止を振り払って部屋に上がり込むと、居間の窓が開いて誰もいないが、市子の座るときの癖である二つ折りの座布団が目に留まった。


 

長谷川は自宅に戻り、市子が置いていったバックの底から、川辺月子の保険証と封筒に入った小泉となつみ、月子、市子の4人の家族写真を見つけ出した。 



北は市子に携帯をかけるが応答はなく、なおもかけ続けようとすると、玄関のチャイムが鳴り、突然、長谷川が単身で訪ねて来た。

 

長谷川は話を拒む北に対し、自分も市子の味方だと言い、室内に入れてもらうことになる。

 

高校時代の下校中、雷雨に見舞われた北は木陰で雨宿りするが、市子は強雨に打たれながら、「最高や!全部、流れてしまえ!」と、両手を広げ天を仰ぎ、泣きながら笑うのだった。 


その姿を見つめる北は、市子を団地まで送るが、帰り際、小泉に手を掴まれて家に戻るのを目撃し、市子の家へ方へ向かう。 


北はベランダ側に回り、カーテンの隙間から市子と小泉の様子を伺う。 


「お前らのせいで、俺の人生メチャクチャや!なあ!どないしてくれんねん」


「これが目的やろ。ほんで帰って」

 

市子は制服のスカーフを外して小泉の前に立つ。

 

市子の「性化行動」のルーツが、ここで明かされるのである。

 

「お前ら親子は、ほんま悪魔やな」

 

市子をベッドに押し倒し、小泉が覆いかかると、市子は泣きながら拒絶する。

 

「もう、しゃーないんやって!なっ?お前かて、どうにもできへんやろ」

「イヤやぁ!戻りたい!」

 

ベッドから降り、泣きながら台所へ逃げる市子。

 

「戻りたい?どこにや?お前が市子やった時にか?それとも、月子埋めた時にか?戻っても、なんも変わらへんねんぞ…お前は嘘ばっかしやねん。名前も年齢も嘘、いくら嘘ついてもな、いつかバレんねん。お前は存在せぇへん人間なんや。そうしとけば、よかったんじゃ!」


「イヤやぁ!」

「イヤや言うても、それがお前の現実じゃ!」

 

そこまで言われた市子は混乱し、小泉を包丁で刺し殺してしまった。

 

ベランダに上がって二人の争いを聞き、目撃した北は部屋に入り、座り込んでいる市子に声をかける。

 

「うちは市子や」

「なに、言うてんねん」

「市子なのに…もう、よう分からんわ」

 

真っ赤な血に染まった制服を着た市子を小泉から引き離した北は、「川辺は俺が守ったるから。川辺のヒーローになるん想像してたし…大丈夫やからな」と言って、泣きじゃくる市子の肩を抱く。 



その後、二人で小泉の遺体を線路に寝かせたが、途中で市子はいなくなり、市子の家で待ったが、戻って来なかったと話すのだ。

 

長谷川は、北の話を聞いてうな垂れている。

 

「これで全部です。約束通り、警察には黙っといてください」

「信じていいんですよね?…分かりました。約束は守ります」

「ほんまに何も知らんかったんか?よう、そんなんで一緒におれたな。もう終わりにしたってくれ」

「終われませんよ」

「殺人罪に時効はなくなってんぞ。だから川辺は死ぬまでな!…あんたには、もう会いたないと言うてた」


「…それでも、市子に会いたい」


「会(お)うて、どうすんねん」

「分かんないけど、抱き締めたい」

「もう、あんたには受け止められへん。川辺は、俺にしか助けられんから」

 

市子の失踪の実相と、キキに話した「…うち、人、殺してしもた…」という物騒な言葉の意味が明らかにされたのである。

 

 

 

2  「…朝、起きた時に寝顔があるのを見て安心する…そういうことを“好き”って言うやとしたら、うちは、ちゃんと人のこと、好きでいられたんかな」

 

 

 

2010年12月

 

支援団体へ行き、ケーキ屋で働いていると聞いた北は、市子が働く店を捜し出し訪ねたが、「ストーカーやん…もう2度と来んとって」と冷たくあしらい、店に戻ろうとする。

 

「待てって!」

「うちな、今、市子として生きてんねん」


「いや、お前、月子やから、市子って誰やねん…俺と川辺がやったこと、分かってんのか?ちゃんと俺と向き合えって!」

「…ごめん、うちな、夢できてん。友達もできて…やから感謝はしてるけど、分かって欲しい」

「アホか」

「アホでもいい。市子として生きていきたい」

「そんな嘘、すぐバレんで…俺が守ったるから…」

「ありがとう。でも、もう昔の人とは関わりたくない」

 

帰ろうとする市子の腕を掴む北。

 

「俺はどうしたらええねん!」

「北君も好きに生きたらええよ…うちのこと、話したかったら話してもええよ」

「川辺…悪魔やで」

 

そこで笑みを浮かべる市子に、北は「夢って、なんやねん」と問い、市子はキキに誘われ、一緒にケーキ屋の店を開く夢の話をする。

 

「救われたんよ…うち、キキちゃんとの夢、叶えたい…だからもう、うちのことは忘れて欲しい…」 


市子は涙声で北に懇願する。

 

北のアパートに、北見冬子(以下、冬子)が掲示板で知り合ったという市子を訪ねて来た。 

冬子

市子が不在で帰ろうとする冬子を、北は引き止めた。

 

「ここに来たら、死ぬの手伝ってくれるって。お金もなんもいらんから、身分証持ってきたらいいって」

 

冬子は健康保険証を差し出すが、北は「こんなこと、させられへん」と突き返し、帰るよう促す。

 

「あなた、誰ですか?」

「とにかく、川辺はもう、ここに戻ってこぉへん」

 

北は「帰ってください」と土下座する。

 

冬子は親も友達もおらず、仕事もずっと前に辞めているから大丈夫と言うのである。

 

戸籍のすり替えができると言っているのだ。

 

その時、冬子の携帯に公衆電話から市子が連絡し、北が替わって市子と話す。

 

海にいるという市子は、北に「普通に生きたいだけや」と言う。 


「こんなことせんでも、俺が守ったるから」

「うちのヒーローなんやろ?…2人でこっちに来て欲しい」

 

一方、長谷川は市子の家族写真の裏に記された、「やまうらみちこ」という偽名を名乗る女性が住む徳島県の住所へと向かう。

 

フェリーから下りて住所の家に近づくと、男女の争う声がして、頭に血を滲ませたなつみが家から出て来た。

 

堤防へ向かったなつみに長谷川が声をかけ、失踪した市子の訪問の是非を訊ねた。 

なつみ

「いろいろあって、会わんようになって長いんです」

「小泉さんの事件の後からですよね」

 

警察かと疑うなつみに、長谷川は「ただの恋人」だと説明し、市子が所持していた家族写真を見せると、なつみはそれを奪い取り、胸に当てるのだ。

 

「何しに来たん?」


「市子を…助けたくて」

「あの子、何も言わんと出ていったんやろ?せやったら、捜しても喜ばへんよ」

「市子には戸籍がないんですよね?1人でどうやって生きていくんですか」

「なんとかなりますから」

「そんなわけ、ないでしょ」

「もう、うるさいな!関わらんといてよ!」

「あなた、母親でしょ?市子の唯一の家族でしょ」 


長谷川は一瞬、激昂してから、なつみに謝る。

 

「もう、遅いねんて…どうにもならんかってん。時間ばっかり、どんどん過ぎていってな…もう二度と来んといて」

 

なつみは写真を返して去ろうとするが、長谷川は生駒山で発見された白骨遺体が川辺月子と断定され、警察がなつみと市子を探していると告げ、市子と会う前に全てを知っておきたいと言って頭を下げるのである。 



以下、なつみの回想。

 

2008年8月

 

35℃を越える猛暑日、なつみが化粧を終え、仕事に出て行った。 


市子は月子の紙オムツを片付け、酸素マスクを外して口の周りを拭き、痰の吸引をする。 


月子は市子を凝視し、市子も月子を見下ろして、二人は暫く見つめ合っている。 



唐突に酸素呼吸器を外した市子は、警告アラームが鳴っても、そのまま月子を見続けるのだ。 


夕方、なつみが帰って来て、月子を見て、市子に一言。

 

「ありがとな」 


市子に麦茶を入れ、「きっと明日はいい天気…いい天気…」などと鼻歌(「虹」)を歌いながら、キッチンで洗い物をしている。

 

「お母さん、うち…うちな…」 


なつみは振り返ることなく、洗い物を続けるのだ。

 

市子が10歳の頃の、仲睦ましかった4人の食卓風景。 

月子



「いろんなことが、限界やったんよ…幸せな時期もあったんやで」

 

なつみの話を聞き終わり、咽び泣く長谷川。 



その頃、北は冬子を助手席に乗せ、市子が待つ真っ暗な埠頭に到着した。 

市子

車から降りた北は、「川辺…」と声をかけ、冬子は笑みを浮かべ、黙って市子に頭を下げ、市子も頭を下げる。 


冬子


警察署のデスクに座る後藤は、長谷川に携帯をかけるが、フェリーに乗船する長谷川は着信に気づくが出ようとしない。

 

「本日早朝、和歌山県西黒郡の海岸から、一台の乗用車が発見されました。中には20代と見られる男性と、同じく20代と見られる女性の遺体が見つかっており、いまだ身元は明らかになっていません…」 


テレビから聴こえてくる事件の報道である。

 

このことは、北が市子のヒーローになるために自らを人身御供(ひとみごくう)にして、冬子と共に車ごと海に飛び込んでいったことを示唆する。

 

当然ながら、長谷川は事件について知る由もない。

 

フェリーが出港し、甲板に立つ長谷川は、港に佇(たたず)むなつみに目をやり、深々と頭を下げ続けるなつみに対し、長谷川も一礼する。 



自宅に戻り、吊るされた市子にプレゼントした浴衣を見ながら、市子と出会った祭りの日が回想されていく。

 

夜、祭りの屋台で、最後の焼きそばを買った長谷川の後から、市子が焼きそばを買いに来た。

 

それに気づいた長谷川は、市子にその焼きそばを渡し、階段で食べる市子の横に座り、互いに名前を言い合い、一つの焼きそばとビールをシェアする。 


階段を下りて来た若いカップルを見て、市子が呟く。

 

「浴衣、かわいいなぁ」 


ここから、長谷川が市子にプロポーズした日のこと、二人で暮らした幸福な日々が執拗なまでに回想されていく。 



市子の思いがオーバーラップする。

 

「…朝、起きた時に寝顔があるのを見て安心する…そういうことを“好き”って言うやとしたら、うちは、ちゃんと人のこと、好きでいられたんかな」 


市子が、長谷川と撮った写真を見て涙を流す。 



ファーストシーンの穏やかな海が見える、蝉しぐれが注ぐアスファルトの道を、“虹”の鼻歌を歌いながら、力強く歩いていく黒いワンピース姿の市子。 


母親がそうだったように、自らも母親と同化したかのように、後腐れなく厄介な偽装事故死を完遂させて、前向きに鼻歌を歌っていくのだ。

 

鼻歌「虹」は、過去の記憶の一切を払拭し、一人身で生き抜いていく覚悟の記号だったと思わせるラストだった。

 

 

 

3  「無戸籍」という地獄

 

 

 

「無戸籍」という深刻な社会問題をコアにする物語を、視点の多様化(エピソードを羅列するだけの回想シーンの連射)・時系列の分断という陳腐な手法を駆使し、殆ど意味のない謎解きサスペンスにしたこと。

 

もう、これだけで批評する気が失せた。

 

怪物」の批評でも言及したが、物語をサスペンスにしたことで、観る者に推理小説のパズルを解く快楽を担保し、真っ向勝負を避ける傾向の強い邦画に特有なエンタメに落とし込む。 

怪物」より



しかもラストでの、市子が長谷川と暮らしていた幸福だった時代の感動譚の押し付けのシーンの諄(くど)さに象徴されるように、肝心な部分を捨象(テーマの希薄性)して作られたテレビドラマレベルの、遣り切れないほどのエンタメだった。

 

これは梗概を詳細にフォローしていて、痛感した次第である。

 

―― 何より、社会生活において様々な不利益が生じる「無戸籍」の問題。

 

この問題の正確な理解なしに成立しない映画だから、ここから書いていく。

 

前夫との間に300日以内に子供を出産した場合、民法第772条の規定により、戸籍上、前夫の子供とされることに対して首肯し得ない理由がある時、出生届を提出しない行為に振れれば、その子供は「無戸籍者」となる。

 

必要な行政サービスを受けられだけでなく、住居や就労の機会を失い、健康保険への加入ができず、運転免許の取得不可はもとより、会社から求められるようになったマイナンバーカードの作成どころか、銀行口座も開設できないのである。

 

映画の冒頭で描かれていたように、婚姻届にも戸籍が必要になるため結婚もできないのだ。 

『親子3人で無戸籍』心中まで考えたシングルマザーの29年間「私の人生は闇でした」立ちはだかった人生の壁】より


同上


同上


同上

同上


同上


同上


同上


同上


同上


同上


同上/「娘2人の戸籍/フィリピン国籍」をついに取得…ミサコさん『堂々とできる』


同上



就労の問題も看過できない。


アルバイトですら厳しいとすら言われているので、身過ぎ世過ぎ(みすぎよすぎ)を繋ぐのも困難な現実があり、身も世もなく泣き暮れるリアルを約束してしまうのである。

 

辛うじて零細企業にしがみつき、存分に搾取されるという方略しかないのだ。

 

要するに、労働の選択肢がないということ。

 

これに尽きる。

 

正確な統計がないから分からないが、「無戸籍者」の自殺率の高さは決して低くないと推量できる。

 

何より、「無戸籍者」であることは発覚しにくいので、老齢になって介護が必要な状況になっても介護サービスを受けられず、避けられたはずの悲劇を出来させてしまう。

 

例えば、是枝裕和監督による「誰も知らない」のベースになった「巣鴨子供置き去り事件」は、4人の子を究極のネグレクト状態に置くという救い難い事件だったが、この4人の子には出生届が出されていない「無戸籍児」だっただけに、殆ど「約束された悲劇」をなぞっていくのだ。 

巣鴨子供置き去り事件


誰も知らない」より



信じ難いのは、事件の母親が懲役3年、執行猶予4年という判決で実刑にすらならなかったという歴然たる事実。

 

そして「無戸籍者」の悲劇の極致は、2020年9月に起こった。

 

大阪府高石市の民家でのこと。 

餓死した無戸籍の高齢女性が発見された民家

女性が以前住んでいたアパートの跡地


生活費が底をつき、最後は水と塩だけで凌いでいた母子。

 

遂に78歳の母親が餓死するに至った。

 

「無戸籍だったので助けを求められなかった」

 

49歳の息子が、近所の自治会長の70代男性宅に訪ねた時の言葉である。

 

息子自身も衰弱していて入院することになるが、母子共に「無戸籍者」であったため、ベッドの上に女性が仰向けに寝て、手を腹の上で組んで餓死した母親を救えなかったと、淡々と件(くだん)の自治会長に告げたのだ。 

女性を知る自治会長の男性


女性からもらったカゴを見せる自治会長


元々、平穏な暮らしに影が差したのは平成28年のこと。

 

内縁の夫が死亡し、息子と2人で遺産頼みの生活が始まったが、2020年夏には困窮を極めて食べるものもなくなった。

 

母親は知人を訪ね借金を頼もうとしても最後まで言い出せず、素麺(そうめん)をもらって帰ったと言う。

 

それが、ほぼ最後の食事だった。

 

当の母親が衰弱して歩けなくなり、息子が看病するようになった。

 

この「非日常の日常」の収束点は、もう約束済みだったのである。

 

高石市が、当該母子の存在を把握していなかったのは自明である。

 

当該母子に対する行政の関与の余地を拾えないのだ。 

法務省が発行するパンフレット


「無戸籍者」であるが故の悲劇の顛末が、折りも折り、我が国でCOVID-19のパンデミックの端緒となった時期と重なっていて、多くの家族が不特定他者への関心を希薄にさせ、「巣ごもり消費」を余儀なくされていた渦中で出来したのである。(「餓死母親の息子『無戸籍で助け求められず』水と塩で…」参照) 

同上

「無戸籍」の問題それ自身こそが、紛(まご)うことなき人権侵害であるという所以である。

 

そして今、重い腰を上げて漸(ようや)く行政が動いた。

 

2022年12月に、民法改正が国会で成立したのである。

 

現在、民法改正により、2024年4月1日から離婚後300日以内に生まれた子の父を「前夫」とする規定が廃止され、再婚後に生まれた子の父を「現夫」とする改正民法が施行された。 

再婚後の出産、現夫の子に


同時に、“女性は離婚から100日間再婚禁止”という規定も廃止され、女性も離婚後すぐに再婚することが可能となっている。

 

子供の「無戸籍者」を防止するための改正が功を奏したと言えるが、既に、その問題が指摘されていたにも拘らず、「無戸籍者」の現状を国・行政も真剣に調査しようともしなかった。

 

いつもながら呆れるばかりである。

 

不良な子孫(遺伝性精神薄弱・精神分裂病・血友病・色盲・知的障害・身体障害・ハンセン病・浮浪者など多数)の出生(しゅっしょう)を防ぐことを目的に、強制的に不妊手術を断行し、1948年から1996年まで約半世紀近く存在した優生保護法と同様に、何もかも対応が遅すぎるのだ。 

優生保護法


人権無視の優生保護法


【究極の人権侵害である「優生保護法」は、谷口弥三郎らが中心となって超党派議員の議員立法によって提出され、衆議院で全会一致で可決された】 

谷口弥三郎(ウィキ)



但し、法務省が2020年に実施した「無戸籍者」への調査によると、離婚後300日以内で生まれた子のうち改正の影響を受ける見込みの子は4割程度だった。 

無戸籍者向けの相談窓口を設置している兵庫県明石市のホームページ

このことは尚、「無戸籍者」の問題が根本的に改善されていない現実を意味する。

 

「無戸籍」という地獄は延長されているのだ。

 

ついでに書けば、「無戸籍者」本人が無戸籍を解消する届け出をして、家庭裁判所の許可を得れば就籍(しゅうせき)することが可能である。

 

因みに、映画との関連で言えば、「無戸籍者」でも小学校・中学校は義務教育なので、登校できる事実は押さえておくべきである。

 

【法務省が把握する全国の無戸籍者は2021年5月10日時点で838人。だが支援団体「民法772条による無戸籍児家族の会」(東京)は1万人以上いると推計する。同会によると、無戸籍を解消する裁判や調停などは年3千件程度あるが、嫡出推定などが壁となり認められない事例がこのうち500件ほどを占める。同会の井戸正枝代表は「同じような傾向が20年以上続いている」と語る。/「孤立する無戸籍者 推計1万人超、届かぬ行政支援」より】

 

 

 

4  「手に負えない何者か」と化していく

 

 

 

ここから映画批評。

 

性的虐待あり、殺人事件あり、不治の病に罹患する身内を死に追い遣ったりなどという謎解きミステリーにしたこのドラマから、果たして「無戸籍」という地獄という、人の命の危機に直結する深刻な事態についてのソリッドな問題意識を拾えるだろうか。

 

【ミステリーとサスペンスの違いについて所説あるので、ここではほぼ同義の意味として使用している】 


多くの人には考察の余地がある鮮烈な映画だったかも知れないが、私にはダメだった。

 

以下、この映画で腑に落ちない点に言及していく。

 

その1。

 

「無戸籍」という深刻な社会問題を、殆ど意味のない謎解きサスペンスにしたこと。

 

これについては持論なので、そこに加える言辞の何ものもない。

 

その2。

 

最低限、必要な情報が提示されていないこと。

 

市子の父親が元夫のDV男であることは観ていれば分かるが、では月子の父親は誰なのか。

 

これはセリフの中で全く出てこない。

 

気になって映画を詳細に観ていったら、所轄署の捜査会議で提示された相関図で判明した。

 

その名は、会議中、ホワイトボードのズームアウトで読み取れた横山健太郎。

 

これは、後藤が長谷川に見せた戸籍謄本にも記されていたから間違いない。 

月子の父親が横川健二郎であると記されている


この名を知り得ない観客の多くは、市子の母なつみの情夫・小泉を月子の父親と捉えてしまうだろう。 


【戸籍謄本を偽造したら「公文書偽造罪」という犯罪になり、偽名で住民登録したら「公正証書原本不実記載罪」という犯罪になるので、警察が調査しないわけがないのである


然るに、小泉が義父であったら、なぜ、自宅の鍵を携帯していないのかという疑問が残る。

 

「幸せだった時代」の所産として提示される家族写真で誤認識するのだろうが、一連の小泉の言動を観る限り、月子の父親でないことは明らかである。 


もう一点、気になったのは、各市町村が法令によって義務づけられている就学時健診。

 

原因遺伝子を有する指定難病の筋ジストロフィーである月子のすり替わり。

 

発達検査・知的障害の可能性がある幼児を発見し、教育機関(特別支援学級)や医療などにリンクすることを目的とした就学時健診をスルーできるわけがない。

 

仮に通知を受けて欠席する場合は、各市町村の教育委員会学校保健課へ連絡する義務がある。

 

最後まで引っ掛かった次第である。  

 

その3。

 

関係性の描き方が浅いこと。

 

介護シーンを捨てたことで月子の存在を記号化した物語で最も気になるのは、母子の関係性の描き方。

 

唯一、特化されたのは、2008年8月に起こった、月子を死に追い遣った事件。

 

この事件の日の母子の交叉は、この映画の初発点であり、本作で最も重要なシーンである。

 

以下、この一点について批評していく。

 

月子の酸素呼吸器を外した市子は警告アラームを無視して、月子を凝視する。 


月子も市子を見詰める。

 

睥睨(へいげい)すると言った方がいい。 


咎めるような視線を受けた市子は表情を崩さない。

 

映像は月子の死を映さないが、市子の内面が尋常ではないことは察するに余りある。

 

「ありがとな」

 

その市子の内面を理解する母なつみが帰宅直後に放ったのこの一言は、あまりに重い。

 

「きっと明日はいい天気…いい天気…」

 

ところが、信じ難いほどに前向きな母なつみの鼻歌が市子の中枢を衝いてきた。 


なつみに大きな違和感を感じた市子は、接近して言葉を添えようとする。

 

幾ら何でも居心地が悪過ぎるのだ。

 

「お母さん、うち…うちな…」 


涙を滲ませて訴えた思いの束が無化されてしまうのだ。

 

表現を失って、感情の底層に澱んでいたものが震えている。

 

母の思いを託して遂行した行為が内包する、言語化できない罪悪感。

 

その辛さを告白して、母と共有したいという切実な思いが砕かれてしまうのだ。

 

市子の内面に広がる疎外感は、罪悪感を共有できなかった彼女の孤独を決定的に表象している。

 

もう、単身で罪悪感を抱え込むしかなかった。

 

市子の自我に遣り切れないほどの負荷がかかって、その後に長く続くだろう予測し得ない艱難(かんなん)な人生行路を、この身ひとつで支え切っていかねばならないのだ。

 

この歴然たる現実の重みに震え慄(おのの)き、生涯を貫流する心的外傷として市子の自我に鏤刻(るこく)されるのである。

 

この加重に耐えられるか。

 

どれほど自問自答しても解を得られず、もう、為す術がなくなった時、月子をよく知る小泉という男に共犯性を負わせることで、幾分、相対化された。

 

そして小泉のグルーミングの餌食になっていた市子が、小泉を屠(ほふ)ったことで、市子の心的外傷が希薄になり、月子を死に追い遣った罪悪感は払拭されていく。

 

殺人のハードルを超えた市子の自我には、今や偽装事故死という方略を駆使する時間が生まれ、「手に負えない何者か」と化していくのだ。 


この偽装事故死こそ、自らが犯した罪を知る北の殺害を目論(もくろ)む女と化していくのである。

 

「川辺のヒーローになる」との言辞を放ったように、北自身もそれを望んでいたとも考えられるが、「自殺&殺害」という市子の目論見を読んでいたとは思えないから、その最期の様子は誰も知りようがない。


分かっているのは、二人が波濤のうねりに呑み込まれてしまったという事実のみ。 



いずれにせよ、三度(みたび)に及ぶ殺人を犯して、ハードルを一気に上げていった女が辿り着いた異界の奇体な風景。

 

もう、戻るべき世界を捨てた女に何が待つのか、当人も知らず、その行路の曲線的軌道だけが伸びているのだ。 



―― 本稿の最後に、長谷川の心理について書き添えておきたい。

 

その素性の実相を知らされても市子に対する長谷川の感情が破綻を見せないばかりか、市子の母なつみの話を聴くに及んで号泣するような振れ具合を見せる心理は、ダニエル・カーネマンが1999年に提示した仮説「ピーク・エンドの法則」で説明されるだろう。 

今年の3月に逝去したダニエル・カーネマン


カサブランカ」の批評でも言及したが、全く同様の文脈で語れるのでトレースしていく。 

カサブランカ」より


「ピーク・エンドの法則」とは、人間の「快・不快」に関わる記憶の多くが、固有の自我の経験の「ピーク時」と「終了時」の、「快・不快」の程度によって決定される法則という風に解釈される。 

ピーク・エンドの法則

たとえ、その経験の中に、多くの愉しいエピソードや、苦痛を感じる出来事が記憶に刻まれていたにしても、経験の「ピーク時」と「終了時」の「快・不快」の記憶が、言わば、「絶対経験」として、いつまでも自我の底層に張り付いてしまって、その主体の人生に決定的な影響を及ぼすが故に看過し難いのである。

 

長谷川の「別離のトラウマ」について考えてみると、こういうことだろう。

 

彼にとって、自我の安寧の拠って立つ基盤に固着していたのは、結婚相手として想念し、それを具現化した市子の、その眩いばかりの存在それ自身だった。


 

言うまでもなく、市子との「ハネムーン幻想」こそ、長谷川の人生の歓喜の「ピーク時」であった。

 

その「ハネムーン幻想」が、たった一日で唐突に崩れ去ったのである。 

市子の失踪


あの日、長谷川からのプロポーズを嗚咽交じりに受け止めてくれた市子との別離の理由が理解できずに、「ハネムーン幻想」の瓦解を告げる「終了時」の、あってはならない酷薄さが、長谷川の中枢を決定的に打ち砕く。 


なぜ彼女は、愛しているのに私から離れていったのか。

 

二人の愛は幻想だったのか。

 

 彼女に、一体、何があったのか。

 

何もかも不分明なのである。 


だからこそ、今まで以上に、男は市子の行方を求めざるを得ない。

 

市子との別離の理由を求めざるを得ないのだ。

 

「別離のトラウマ」。 



この厄介な異物を浄化することなしに、長谷川の人生は、「ピーク・エンドの法則」で言う、「終了時」の時間で凍結したままになってしまうのである。

 

だから、市子の母親が住む四国にまで足を運ばざるを得なかった。 



市子のストーカー然とした北にも会いに行く。 


両者から、その素性の実相を知らされても、市子に対する長谷川の思いの強さは変わらない。

 

市子は私を待っている。

 

そう解釈した。

 

いや私を待っていなくとも、私の記憶の中で生きる市子は私を求めているに違いない。

 

長谷川にとって、「ピーク時」と「終了時」の「快・不快」の記憶が「絶対経験」と化しているから、如何なる状況下にあっても、抱擁して受容するのみ。

 

市子は私を裏切ったのではない。

 

「殺人者」として追われる自己の素性を知られたくなかっただけである。

 

そう考えることで、長谷川は自らの「市子受容」のスタンスを変えないのだ。 

「…それでも、市子に会いたい」

それが恒久なものであるか否か分からない。

 

でも今は、「手に負えない何者か」と化した市子の〈現在性〉を知る由もなく、「市子受容」のスタンスは壊れない。

 

そう思うことで、自らが拠って立つ〈生〉の時間を確保する。

 

「キタノ・ブルー」全開の「あの夏、いちばん静かな海。」のように、衒(てら)いもなく、ラストでの「良き思い出」の時間のみが、長谷川の〈生〉の〈現在性〉を支え切っているのである。 

あの夏、いちばん静かな海。」より
同上



30年間、「待つ者」の人生を生きてきた、映画「千夜、一夜」がそうであったように、私たち人間は、この心地良き記憶だけでも十分に生きていけるのである。 

千夜、一夜」より


これは、私たち人間の極めて高度な自我防衛戦略である。

 

心理学的に言えば、そういうことだろう。

 

(2024年9月)      

0 件のコメント:

コメントを投稿