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2023年4月12日水曜日

MINAMATA-ミナマタ-('20)  異国の地で、呼び覚まされた写真家の本能が炸裂する  アンドリュー・レヴィタス

 


1  「どうか僕に、家族な大事な時間を共有させてほしい。そうすれば、あなたたちの闘いを手伝える」

 

 

 

ニューヨーク 1971年

 

離婚した妻子に見放され、酒浸りで落ちぶれた生活を送る写真家、ユージン・スミス(以下、ジーン)。

 

かつて専属カメラマンをしていたライフ誌に行き、盟友であり、編集部トップのボブを相手にクダを巻くが相手にされない。 

ジーン(右)とボブ


機材を売り払い、滞納した家賃や子供たちに送る金を作ると遺言を録音していた時、富士フィルムの社員を連れ、通訳のアイリーンがCM撮影の依頼で訪れた。

 

彼女の本当の目的は別にあった。

 

後日のこと。

 

「日本のある企業が、何年もの間、海に有毒物質を垂れ流してる。チッソ株式会社です。大勢が病気で命を落としてます。助けが必要なの。患者たちの闘いに世界の注目を集めたい。来週の株主総会の様子を撮ってください」

アイリーン

「もう日本には行かないよ。沖縄戦の撮影で懲りた」

「25年前の話でしょ」

 

ジーンはその依頼を断ったが、アイリーンは現地の様子を伝える資料と連絡先を置いて帰って行った。

 

その資料を見て衝撃を受けたジーンは、ライフ誌の編集会議に乗り込んで写真を見せ、企画を持ち込んだが、ボブの明確な賛同を得られなかったものの了承される。 



ボブに「絶対に失望させない」と言い切ったジーンは、アイリーンと共に熊本に向かった。 



途中、沖縄戦の従軍記者だった時の戦場の光景がフラッシュバックする。

 

ジーンとアイリーンが寄宿するのはマツムラ・タツオ、マサコ夫妻の家だった。

 

「脳性マヒ」と診断されている長女アキコを含む6人の子供を育てるマツムラ夫妻の家族は、アキコと共に強い絆で繋がっていると話す。 

マツムラ・タツオと妻マサコ


タツオはチッソで運転手をしており、生活は立ち行かないと言う。

 

アイリーンは夫妻にジーンの感謝の言葉と、アキコの写真を撮りたいと通訳するが、タツオは「勘弁してください」と言って断った。 



翌朝、ジーンは漁村を歩き、地元の人たちの写真を撮っていく。

 

中には露骨にカメラを避ける人たちもいるが、「一任派」と別れて、直接交渉を要求する「自主交渉派」の人たちは違うと、息子が胎児性水俣病のキヨシは、ジーンに話す。

 

16ミリカメラを持つキヨシの手は震え、視野狭窄で、自身も水俣病の症状が出ているが、認定されていない。 

キヨシ

「君たちが目指すものは?」

「チッソは否定しています。我々の苦しみを。社長に直接会って、それでもまだ否定できるか問いたい」

「彼が耳を傾けると?」

「どうでしょう。注目が集まれば無視できないはずだ。あなたがいれば勝機が増す」 



チッソ水俣工場の前で、座り込みの集会でスピーチする「自主交渉派」の代表のヤマザキ・ミツオ。 

ヤマザキ

「こん水俣病は、偶然でも遺伝でもなか。責任ば問われるべき、害悪の根元がはっきりしとる。皆さん、我々には選択肢があるとです。声ば上げて、世界中に知らすこつんできる、でん、そん声が大きくなれば、いずれ相手も聞かざるを得んだろうたい。責任ば取るまで、ここば動かん!」

 

そう言うや、ミツオは工場の門の鉄柵に自身を鎖で巻き付けた。 


チッソの社員と揉み合いになる様子を16ミリカメラで撮るキヨシ。

 

ジーンはカメラを持って佇むだけだった。 



その後、酒を飲みながらやって来て、ベンチに座った水俣病の障害を持つ少年・シゲルに一方的に語りかけ、持っていたカメラを首にかける。

 

言葉が通じず、最初は怪訝(けげん)そうな顔をしていた少年は、カメラを受け取ると笑顔になり、反(そ)り返った手で写真を撮り始め、補助器具を付けた足で歩き、サッカーをしている少年たちにカメラを向けていく。


ジーンがマツムラ宅へ戻ると、カメラを手放したことをアイリーンに叱咤される。

 

程なく、キヨシがジーンのためにニューヨークの自宅の暗室を再現したという小屋に案内された。


 

ボブから電話が入り、ジーンの記事を大きくすると伝える。

 

「来月、ストックホルムで国連人間環境会議が。これに水俣問題に絡めたい…反核団体も協力してくれる。世界保健機関もだ」

 

締め切り厳守を指示され、プレッシャーがかかるジーン。

 

幸いにも、地元の人たちがカメラとフィルムを提供してくれた。

 

そこにシゲルもカメラを返しにやって来て、ネガを写真にする方法を聞かれたジーンは、アイリーンに促され、シゲルの手を持って現像方法を教えていく。

 

「僕に触るの、怖くない?」

シゲル

「怖いもんか」

 

ジーンの手も震えている。

 

「おっちゃんも水俣病ね?」

 

アイリーンも写真撮影を手伝うと言うが、そんな簡単なことではないとジーンは語る。

 

「アメリカ先住民は、写真が被写体の魂を奪うと信じてた。だが秘密は他にもあるんだ。写真は、撮る者の魂の一部も奪い去る。つまり写真家は無傷ではいられない。撮るからには、本気で撮ってくれ。約束だ」 



チッソ水俣工場附属病院へカメラを隠して潜入し、患者さんたちの許可を得て写真を撮り、キヨシはその様子をビデオに録る。 


「撮ってもいいけど、顔は勘弁してくれと」

「瞳の奥にあるものを撮りたい。そこに真実があるんだ。共感を得るには…」

「あなたも共感を示して」

 

ジーンは顔を隠した患者の手を写した。

 

3人はチッソが隠しこんでいる地下のラボから資料を持ち出す。 


アイリーンはその資料を手にジーンに訴える。

 

「博士が工場廃水を与えた猫は、患者と同じ症状を示してた。けい縮に、マヒ、全身けいれん、有機水銀中毒の症状そのものよ。脳組織がボロボロになる。チッソは15年前から知ってた。すべてを知りながら、毒を流し続けてたのよ!」 


ジーンは、アイリーンにそのままカメラを向けることを促す。

 

アイリーンに現像の仕方を教えるジーン。

 

「現場で何を感じたか。それを思い出せ。不快感か、あるいは脅威や悪意か…」 



チッソ工場前の集会で演説するヤマザキにカメラを向けるジーン。

 

「もし人が、今でも万物の霊長と言うとなら、こぎゃん毒だらけの世の中ば、ひっくり返さんといけません。なんが文明か。数も知れんごつ多くの命ば犠牲にして、なんが高度成長か。我々ん青く美しか海が、こん人たちによって死の海にされてしもうたとです。もし、あんた人なら、立ち上がってください。闘ってください!戦争の嫌いな我々が起こす戦争です!闘わにゃなりません!そしてこれば、人類最後の戦争にしようじゃありませんか!立ち上がってください!」 



一台の車がやって来て、突然、ジーンは拘束され工場の敷地内へ連れて行かれた。

 

ジーンを迎えた社長は、自主交渉派と切り離すために、排水の浄化装置を設置して水が如何に安全かをアピールしたり、自ら工場内を案内し、世の中に必要な物質を作っているかを解説したりして、ジーンに理解を得ようとする。

 

「我が社の製品は肥料に使われ、大勢の食を支えてる。プラステックや医療品の製造にも必要です。写真の現像用薬品にも使われますし、35ミリフィルムの材料になることも。あなたも無縁ではないはずです。我々は地元住民の雇用を支えてる。抗議者たちの思惑どおり操業停止でもしたら、どうなります?」

「俺が知るもんか」

 

生活が困窮するジーンの足元を見て、カネで懐柔しようとする社長に言い放つ。

 

「友達になれるかと思ったが、悲しいかな勘違いだったらしい。あんたはウソつきのクズ野郎だ」 


社長は更にジーンに対し、説得にかかる。

 

「私はビジネスマンだ。地元住民に対しても、1920年代から見舞金を払ってきました。社の予算に組み込まれている」 


家族に迷惑をかけてきたジーンに、5万ドルが入った封筒を手渡すのである。

 

「ご自身の過ちを償うチャンスです。それで、失望させた人たちを養える」 



マツムラの家でアキコを初めて見たジーンは、マサコが買い物をする間、1時間だけアキコを預かることになる。

 

アキコを抱いて海が見えるベランダに座り、優しく歌いかけるジーン。

 

「“君が神様に愛され願いを叶えられますように いつも誰かを助け助けられますように 星へと続くハシゴを登れますように いつまでも若々しくいられますように…”」 



ジーンがヤマザキの自宅で寛いでいると、警官が家宅捜索と称して部屋を荒らして帰って行く。 


写真を撮り続けるジーンは衝撃を受ける。

 

ここでジーンは、社長から5万ドルとネガの引き渡しを断ったことを思い起こす。 



仕事場で作業に没頭するジーンだったが、その納屋が何者かによって放火され、画像は燃え尽きてしまった。 



「もう終わりだ。俺は手を引く。ついてくるな。君まで身を滅ぼすぞ」

 

止めようとするアイリーンを振り切り、ジーンは闇に消えて行った。

 

ジーンは酒を浴び、寝入っているボブを電話で起こし、もう降りると泣き言を並べる。

 

ボブがいくら説得しても、聞こうとしないジーン。

 

ボートで寝ていると、シゲルがやって来て、ジーンにカメラを向ける。

 

暮れなずむ海の写真を二人が撮る構図が提示された。 



まもなく、「自主交渉派」の集会に顔を出したジーンは、彼らに協力を求める。

 

「どうか僕に、家族な大事な時間を共有させてほしい。そうすれば、あなたたちの闘いを手伝える。だから皆さんに伺いたい。かけがえのない親密な家族の時間を僕と分かち合ってもかまわないという方は?最大限の配慮と敬意をもって撮ると約束します」 


最初はジーンを黙って見つめるだけだったが、2人が手を挙げると、それに続いて全員が挙手するのだった。 


「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えたジーンは、患者家族や工場排水のモノクロの写真を撮っていくのだ。 


 

 

2  「皆さん、我々は勝利しました。でん、闘いはまだ続くとです」

 

 

 

1971年3月7日。株主総会当日。 


工場前では激しい抗議活動が行われ、患者家族らの怒号が響き、配布された新聞紙に包まれた魚がチッソ社員を目がけて投げつけられる。 



社員からは崔流ガスが投げ込まれ、煙が立ち込め騒然とした状況の中で写真を撮り続けるジーンだったが、警官の抑えを突破して門が開いて敷地内に入ると、チッソに雇われた私服の男たちによって顔面を殴打され、激しい暴行を受けるのだ。 

崔流ガスが立ち込める只中で写真を撮るジーン



【この事件は、1972年1月7日にチッソ五井工場(千葉県市原市)で起こった「五井事件」のこと。水俣病患者らとチッソ労働組合の組合員らが激しく衝突し、ユージン・スミスも巻き込まれ、重傷を負い、以降、頭痛と視力低下に悩まされるようになったと言われる】

 

一方、ヤマザキ率いる代表団はチッソ側と交渉する。

 

住民の一人が、2人の娘が水俣病に罹った苦しみを、社長を含むチッソ幹部に訴えていく。

 

「…私ん2人ん娘は、病気になったとです。2人とも大人の想像ば絶するほどん苦しみば味わいよりました。長女は何か月も痙攣に苦しみました。あまりの痛みに泣く事すらできんやったとです。死にました。もう一人の娘ミユキは、これから一生、誰かに面倒見てもらわんと生きてゆけんとです…」 


険しい顔をしたまま、何も反応しない社長にヤマザキが質す。 


「社長!なんも言えんとですか?あんたも人間でしょ!同じ人間が、こんなに違ってよかとですか!どぎゃんですか!」


「すいません。申し訳ない」

 

その後も、ヤマザキとキヨシに囲まれ追及された社長は、席を外し幹部と相談した後、社長が全員に向かって話し始める。 



「皆さんの苦しみに胸が痛むばかりです。皆さんの要求する金額を計算してみました。しかし…」

「どうやってもお支払いできないのです。残念ながら、これが最終回答です」と幹部。 


ここで怒りを抑えられないキヨシが「ふざけんな、わりゃぁ!」と叫び、グラスを割るのだ。

 

「おったちの苦しみが、分からんとか!」

 

社長に迫ったキヨシは、自らガラスの破片で手首を切ってしまった。

 

一方、重傷を負ったジーンの入院先のベッドに一人の男がやって来て、謝罪して紙袋を置いて行った。

 

アイリーンが来て、それが暗室にあった写真のネガであると分かる。

 

頭と腕を包帯で巻かれた痛々しい姿でマツムラの家に戻ったジーンは、アイリーンが準備をして、マサコとアキコの入浴する母娘の写真を撮ることになる。

 

許可が下りたのである。 


「完璧だ。美しい」と呟き、シャッターを切るジーン。 


世界に衝撃を与える写真が生まれた瞬間である。 



早速、現像された写真がボブの元に送られた。

 

「あいつ、やりやがった」 


一つ一つの写真を見ながら涙するボブ。 



水俣でも、日本で発売されたライフ誌を手にした社長が、部下に指示する。

 

「払わなきゃならんだろう。なんとか方法を考えよう…いいね?」

 

社長は眼鏡を外し、目頭を拭く。

 

熊本地裁の判決で勝訴し、高らかに勝利を宣言するヤマザキ。

 

「皆さん、我々は勝利しました。でん、闘いはまだ続くとです。我々が闘い続け、我々の子供らも闘い続けることで、そんまた子供らが彼らなりの闘う目的ば持てるようにせんとなりません。でん、私はここにおる皆さんや、一緒に闘ってくれた仲間たちに、こん闘いが価値ある闘いだと教えてもらったとです。皆さん、今日家に帰ったら、ご家族と幸せば噛みしめてください。まだまだ、やらにゃあならんこつがたくさん待っとりますから。闘えん者たちのための終わりんない闘いのために!」 


ヤマザキは涙を堪えつつ、力強く言葉を振り絞って訴えていくのだ。 


「1973年春、チッソは賠償金および医療費と生活保障金の支払いに合意。だがその後も、チッソと日本政府は十分な責任を果たしていない。“水銀被害は克服した”という2013年の首相発言は、今も苦しむ数万人を否定するものである。ライフ誌は、1972年12月29日に最終号を発刊。『入浴する智子と母』は、フォトジャーナリズム史に残る作品となる。ユージンとアイリーンは、1971年8月28日、日本で結婚。ユージンは1978年、工場でのケガが遠因で死去。水俣の写真が、彼の最後の作品群となった。アイリーンは今も水俣に深く関わり、環境汚染との戦いを続けている」(キャプション)

 

【“水銀被害は克服した”という発言の主は、故・安倍晋三元首相】

 

エンドロールでは、世界各国の環境汚染被害の写真が次々に流されていく。 


 

 

3  異国の地で、呼び覚まされた写真家の本能が炸裂する

 

 

 

映画的には面白かった。

 

アルコール依存症の写真家ユージン・スミスの後半生を演じたジョニー・デップ。

 

圧巻の演技だった。 



そして、チッソが推す厚生省への「一任派」と切れて、物語の推進力となった「自主交渉派」のヤマザキ(川本輝夫がモデルと思われる)を演じた真田広之。 


素晴らしかった。



俳優陣は皆いい。

 

それでも納得できなかったのは、「史実に基づいた物語」と言いながら、明らかに作り話と分かるようなエピソードは、「物語」と銘打っても納得いかなかった。

 

チッソ付属病院に潜入して資料を盗撮したり、5万ドルの懐柔の一件、チッソ社員(?)による暗室小屋の放火事件らのエピソードは頂けない。 

5万ドルを突き返す



特に後二者の場合、善悪二元論のハリウッド映画であっても、ここまで極端に描く必要があったのか。

 

「映画は史実と違うところもだいぶあります。批判する人もいるでしょう。でも、水俣病問題のエッセンスを劇映画として描いているのですから私は当然のことだと思います。映画は水俣病を知るための間口を大きく広げてくれた。それを肯定的に受け止め、その上で、映画に描かれていることがすべて事実だと思わないように伝える努力と、真実を知ろうとする努力とを重ねればいいと思うのです」(ノンフィクション作家・石井妙子「『水俣病の少女が入浴する写真』をめぐる、写真家と被写体親子の『知られざる葛藤』」より)

 

この指摘を否定すべくもないが、極端な善悪二元論が苦手な私にはダメだった。

 

アンドリュー・レヴィタス監督は、インタビューでこう語っている。


「本作のテーマは色々ありますが、その一つが、権力に真実を語る勇気です。彼らは団結して世界に問題を提起します。立ち上がり、抵抗するんです。ヒロ(真田)の役は特に本作のヒーローです。彼は仲間に向かって、“みんなで闘おう”と呼びかけます。それを見たスミスも自分のやり方で真実を語ります。単なる弱者と権力者の対立ではなく、あらゆる階層の人々が連帯することの重要性を描いているんです。草の根レベルから大企業のトップレベルまで、人々の連帯が社会変革のためには必要だからです」 

                   アンドリュー・レヴィタス監督


この思いは、よく理解できる。

 

映画には、監督の直截なメッセージが反映されていて、まさに“みんなで闘おう”という物語のうちに実りを得ていた。

 

ヤマザキの不屈の活動が仲間を動かし、ユージンに内在する写真家の本能を呼び覚ましていくことで、社会変革の大きな波動を作り出していく物語の本線のコアにある「連帯」という分かりやすいメッセージだった。


本作の生命線だったと言える。 



そこに感動が生まれる。

 

ヤマザキによって呼び覚まされた写真家の本能が、アイリーンへの堅固な吐露に結ばれていた。

 

「感情に支配されてはダメだ。そうなれば負けだぞ。命さえ落としかねない。何を撮るべきかだけ考えろ。伝えたいことに集中するんだ」 


これこそが、ユージン・スミスの後半生の4年間を支え切った不変なる熱意の結晶だった。

 

「コツは失敗を恐れないこと。人間は失敗を通してしか学べない」 


シゲル少年に言い放ったユージンの思いが、水俣病罹患児の心を動かしていくのだ。

 

ここにも、「連帯」が生まれゆくのである。

 

そして今、有機水銀で壊された娘を抱き、子守歌を歌いながら入浴させる母が、そこにいた。 


それが男の視界に入った時、思わず吐露する。

 

「完璧だ。美しい」 


これを世界に届けるのだ。

 

これで世界を変えるのだ。

 

世界と連帯するのである。

 

異国の地で、呼び覚まされた写真家の本能が炸裂し、自らが拠って立つ場所に復元していく。

 

そういう映画だった。 



そういうヒューマンな映画だからこそ、放火事件のエピソードなど不要だったのである。


     * * * * * * * *  * *

 

ユージン・スミスと妻のアイリーン・美緒子・スミス

「入浴する智子と母」

 
「自主交渉派」のリーダー川本輝夫さん(ヤマザキのモデル)

記録映画の記念碑的作品「水俣 - 患者さんとその世界」(土本典昭監督)から

同上



4  水俣病は終わっていない

 

「公害の原点」水俣病


今年1973年、原因企業のチッソの責任を認めて賠償を命じた、水俣病第1次訴訟の熊本地裁判決から50年の月日が経つのに、未だ終わりが見えない水俣病の酷薄なる現実に言葉が出ない。 

水俣病第1次訴訟の判決当日、熊本地裁前で開かれた報告集会に集まった人々

株主総会後、取材に応じるチッソの木庭竜一社長(左)=2019年6月26日


多くの未認定患者の問題である。

 

2022年12月の段階で認定患者2284人に対して、認定を求めて訴訟を起こしている未認定患者1643人が存在するが、潜在的な被害者を含めれば相当程度いると考えられている。 

「家族に認定患者がいて小さいときから症状があるのに水俣病と認められないのは納得できません」


【症状が確認された「被害者」は約7万人いるとされ、被害の全体像は未だ分かっていない】

 

救済の道を開いた地裁判決が出ても患者認定のハードルはあまりに高いのだ。

 

映画で描かれていたように、水俣病とはチッソ水俣工場(熊本県水俣市)の排水に含まれる、生物濃縮性の高い毒物・メチル水銀が魚介類に蓄積し、それを食べた住民に発症した神経疾患(神経発達障害)のこと。 

【水俣湾とチッソ水俣工場の位置関係。1932年から1958年まで、水俣工場から排水路を経由して百間港に廃水が流された/ウィキ】

食物連鎖によってもメチル水銀が魚介類に蓄積される⇒汚染された魚介類を人が食べ、環境中のメチル水銀は人体に入り、生物濃縮が発現する


母体を通じた胎児や発達中の幼児へ甚大な影響があり、酸素や養分のみを通すようにできていて脳を護る機構・「血液脳関門」をも通過することで中枢神経を破壊し、運動失調、言語障害、感覚障害、運動障害、視野狭窄などを引き起こし、重篤な場合は死に至る。 

水俣病の症状

【正確に書けば、アセトアルデヒドの生産の触媒として使用した無機水銀から発生したのがメチル水銀(有機水銀の一種)であり、外界から取り込んだ物質が生体内に高濃度で蓄積する現象である「生体濃縮性」が高く、人体に容易に取り込まれる性質を持ち、非常に強い毒性がある】

 

水俣病の破壊力の大きさに慄然とする。


【「水俣病は終わっていない」は、時代の風景「『苦海どこまで』 ―― 水俣病は終わっていない」の冒頭の部分を引用したものです】

 

(2023年4月)

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