「“保安聴聞会の皆様、私に対するあなた方の誹謗は、私の人生と仕事の文脈を除いては理解できません”」
オッペンハイマー |
1959年、原子力委員会の委員長を務めた官僚ルイス・ストローズは、大統領から商務長官に任命され、上院での承認のための2ヶ月にも及ぶ公聴会に出席し、そこで、上院議員にオッペンハイマーとの関係を訊かれる。
【ストローズは1953年から58年まではAEC(米国原子力委員会)の委員長に指名されている】
「聴聞会は1カ月も。記録を読んだが、一生分の弁明だ」とストローズ。
ストローズ |
「欠席を?」と上院補佐官。
「院長は出席できない。上院は、なぜ私に聞く?何年も前の話だ。5年だ」
「博士(オッペンハイマー)の件は、まだ国を二分しています」
聴聞会(1954年)
「なぜ米国を出た?」
「新しい物理学を学びたかった」
「米国より楽しかったか?」
「いいえ。私はホームシックで、感情的に未熟で、隠された宇宙の幻影に悩まされた…実験も苦手だ」
1926年、ハーバード大学を首席で卒業したオッペンハイマーはイギリスのケンブリッジ大学に留学するが、不得手な実験物理学の問題もあり、周囲に馴染めず孤立を深める環境からホームシックに陥っていた。
「洞察力は優れてるが、実験が弱い」と担当教諭が指摘する。
私淑するニールス・ボーアから、「ケンブリッジを辞めて、理論のできる所へ行け。ゲッティンゲン大学だ。ドイツのマックス・ボルンの下で理論物理学を学べ」と助言され、ドイツへ向かった。
ニールス・ボーア |
【ニールス・ボーアは「量子論の父」と呼ばれるデンマークの理論物理学でユダヤ人。1922年にノーベル物理学賞を受賞。マックス・ボルンは量子力学の建設に大きな寄与をした理論物理学者。1954年にノーベル物理学賞を受賞】
【量子力学とは原子レベル以下の極めて小さいエネルギーや物質の単位である「量子」の特殊な性質を解き明かす学問で、アインシュタインの「相対性理論」と共に現代物理学の双璧をなす基本理論である】
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量子力学 |
公聴会。
「戦後、物理学で世界的に名を馳せた彼に、所長(プリンストン高等研究所=世界で最も優れた学術研究機関の一つ)を任せようと決めました」
以下、ストローズの回想
1947年、ストローズによる抜擢で、プリンストン高等研究所に到着したオッペンハイマーを部屋に案内するストローズ。
部屋の窓から、池の畔にいるアインシュタインが見えた。
「彼は、毎日あそこに。なぜマンハッタン計画に彼を参加させなかったので?最高の科学者です」とストローズ。
「“だった”だ。相対性理論の発表はもう40年以上も前だ。量子力学を彼は疑った…物理学を学ぼうとは?」とオッペンハイマー。
「勧められたが、靴売りを選んだ」
「卑しい靴売りだったと?」
「卑しくない…紹介します」
「結構だ。旧知の仲でね」
アインシュタインは近づいて来たオッペンハイマーと言葉を交わした後、不機嫌な顔で、声を掛けたストローズの脇を振り向きもせず、無言で通り過ぎて行った。
アインシュタインに近づくオッペンハイマー |
アインシュタインとストローズ |
怪訝(けげん)に思ったストローズはオッペンハイマーに訊ねた。
「あの態度。何を言ったんです?」とストローズ。
「何でもない…私の過去について話しておくことが」とオッペンハイマー。
「原子力委として調査ファイルは読んだ」
「不安は?」
「祖国に尽くした方に?」
「時代は変わる」
「高等研の目的は、独立した研究の保護だ。あなたこそ最適任者です」
【アインシュタインとオッペンハイマーの話はラストで明かされる】
聴聞会。
ヴェルナー・ハイゼンベルクとの関係を訊かれたが、オッペンハイマーはその後は会っていないと証言。
ゲッティンゲン大学ではハイゼンベルクの講義を聴き、目を輝かせるオッペンハマー。
ハイゼンベルク |
講義を聞くオッペンハイマーとラビ(右) |
【ヴェルナー・ハイゼンベルクは量子力学を体系づけた理論物理学者で、31歳の若さでノーベル賞を受賞した。「ナチス原爆開発チームの責任者」という烙印を押されながらも、ヒトラーに原爆を使わせないようにしたと言われるが、詳細は不明である】
移動の車中で友人となり、一緒に講義を受けていたイジドール・ラビ(オッペンハイマーの親友となって、最後まで彼に対する支援を惜しまなかった)が、ハイゼンベルクにオッペンハイマーを紹介する。
ラビ |
「分子に関する論文、あれはよかった。今度、共同研究しよう」とハイゼンベルク。
「米国へ戻ります」
「米国は量子力学を重んじていない」
「だからです」
「マンハッタンの渓谷へ」とラビ。
「ニューメキシコ州です」とオッペンハイマー。
その後、オッペンハイマーはハイゼンベルクの影響から理論物理学の道を歩み始めた。
1929年に博士号を取得して帰米したオッペンハイマーは、カリフォルニア工科大学とバークレー校に助教授として赴任し、理論物理学のアメリカ国内での浸透に尽力する。
当初、量子力学の講義を受講する学生は一人だったが、徐々にその人数は増えていった。
公聴会。
ストローズは戦前からオッペンハイマーの調査を始めたかを問われた。
「私の推測では、活動と関連があるかと。左翼の政治活動とです」
1936年、スペイン内戦が勃発すると、ファシズムへの対抗から共産主義の思想が国際的に高まっていく。
教室の黒板に書かれた、“スペイン人民戦線支持集会”を見て、同僚の実験物理学者のアーネスト・ローレンスが問い質すと、オッペンハイマーは自分が書いたと答える。
「物理学の革命だけでなく、他にも革命が。ピカソ、フロイト、マルクス…」
「革命なら米国にもあったぞ。とにかく学外でやれ」
アーネスト・ローレンス |
ナチスの台頭とユダヤ人迫害に危機感を持つオッペンハイマーは、弟・フランクと共にアメリカ共産党の集会に参加し、資本論3巻を原語で読破したことなど話すが、共産党員とはならず、その後フランクが入党するが、それにも反対していた。
フランク |
しかし、そこで出会った共産主義者のハーコン・シュヴァリエや、恋人となる共産党員のジーンなどの人脈や、大学内での組合創設の熱心な左翼活動はFBIの標的になっていく。
シュヴァリエ |
ジーン |
【ハーコン・シュヴァリエはバークレー校のフランス文学教授。オッペンハイマーの友人で共産主義者だった。そのシュヴァリエとオッペンハイマーの些末な会話をオッペンハイマーが作り話で誤魔化した一件を聴聞会で厳しく責められることになった。所謂「シュヴァリエ事件」である】
1938年、ナチス・ドイツでオットー・ハーン(ドイツの化学者・物理学者で1944年にノーベル化学賞を受賞)やリーゼ・マイトナー(ユダヤ系で「原爆の母」と称される)らによる、「原子核分裂の発見」という驚嘆すべきニュースが新聞紙面を賑わした。(原子核分裂については後述)
「方法は?」とローレンス。
「中性子を照射」とオッペンハイマー。
「核分裂だ。原子を割った」とアルヴァレズ(アメリカの物理学者で『マンハッタン計画』=原爆製造計画の参加者)。
左からローレンス、アルヴァレズ、オッペンハイマー |
オッペンハイマーは「不可能だ」と、計算式を黒板に書いてそのことを確認するが、アルヴァレズが隣の実験室でローレンスの開発したサイクロトロンで再現に成功する。
「核分裂パルスは大量だ。この10分間に30個も見た」
「理論だけじゃ限界だ」
「分裂の過程で、沸騰した余分な中性子が他のウランを分裂させる」
「連鎖反応だ。つまりあれか」
「世界中の物理学者も同じ意見だ」
「“あれ”って何です?」
「爆弾だよ。アルヴァレズ」
【アーネスト・ローレンスはノルウェー系のアメリカの実験物理学者で、マンハッタン計画にも関与するが、オッペンハイマーと分かれて原爆投下に反対した。原子核の人工破壊、放射性同位体の製造などに利用されるサイクロトロンを製造する。1939年にノーベル物理学賞を受賞】
2 「君は世界のプロメテウスだ。人類に自らを滅ぼす力を与えた男。称賛されて、君の真の仕事が始まる」
1939年、“ヒトラー、ポーランド侵攻”を伝える新聞記事。
第二次世界大戦の勃発 |
聴聞会。
ソ連へのシンパシーを尋ねられたオッペンハイマー。
「私は共産党が主張する中立政策に共感できなくなっていった…ソ連に対する私の見解の変化は、親ソ連派との断絶を意味しません。前の結婚も含め、1~2年、私の妻キティは共産党員でした」
キティ(左後方) |
生物学者のキティは、熱心な左翼活動家だった前夫をスペイン戦線で亡くし、医師の現夫とも離婚してオッペンハイマーの妻となった。
その事実を知った元恋人のジーンに、「お腹が目立つ前に結婚する」と話す。
「何て文明的。バカね。科学界はどう思う?成功者は何でも許される?」
「才能で償える」
「世界で唯一の理解者たちを遠ざけないで。いつか必要になる」
オッペンハイマーは、大学内の労働組合結成活動に熱心だったが、ローレンスに「共産主義だ」と追及され、ドイツの爆弾に対抗する「国家的プロジェクトに参加できないぞ。君は独善的なだけじゃない。実際に重要だ」と忠告される。
以降、オッペンハイマーは活動を止め、ナチスに対抗するプロジェクトに参加することになる。
聴聞会
「“私は初めて、機密質問書に答え、左翼との関係は核計画への参加を妨げないと告げられた”」
公聴会
「なぜ戦時中、放置されたと?」
「私が出会う前の機密扱いは分かりません」とストローズ。
「出会った後は?」
「戦後、博士は世界で最も尊敬される科学者となった。だから私は高等研の所長や原子力委の顧問を依頼。それだけだ」とストローズ。
部屋に戻ったストローズは、上院補佐官に不満をぶちまける。
「私が何をした?」
「1947年から54年の間に何があって、彼を危険視したのかと」と上院補佐官。
「私は原子力委の長だったが、彼を告発したのは私じゃない。議会合同委の元スタッフ、超反共主義者のボーデンだ。彼がFBIに密告した」
ボーデン |
「直接、原子力委でなく?」
「保身のためだろう」
「なぜ、告発を?」
「赤狩り(「マッカーシズム」)の時代、少し赤いだけでも職場を追放された。彼のファイルには、党員の弟夫妻や親友や妻の名が。シュヴァリエ事件の前だ」
「どうやってファイルを入手した?」
「誰かが渡した。彼を黙らせたい者が」
【ウィリアム・ボーデンはオッペンハイマーを告発し、聴聞会のきっかけを作った連邦議会原子力合同委員会の元事務局長】
ストローズはオッペンハイマーが「神のつもり」だったと言う。
「私も厳しい仕打ちを受けた」と、アイソトープ(人体に影響しない極微量の放射線医薬品)輸出の協議の際、公聴会で笑いものにされた時のことを話す。
アイソトープの輸出が敵国の核兵器の製造に利用されることを危惧する科学に無知なストローズに対して、オッペンハイマーが「アイソトープは電子部品より無益で、サンドイッチより有益だ」と痛罵した一件で恥をかかされたことに恨みを抱いているのである。
アルコール依存のキティが、泣き止まぬ幼い息子のピーターを放置するのを見かねたオッペンハイマーは、ピーターをシュヴァリエに預けた。
子育てが苦手なキティはオッペンハイマーと共に、牧場を馬で走るのだ。
「変化が起きてるわ…世界の話よ。進路が転回してる。変動の時よ。あなたの時代…ローレンスやトルマン(アメリカの物理化学者でマンハッタン計画の参加者)やラビには無理。あなたよ」
キティ |
オッペンハイマーの元に、レズリー・グローヴス大佐(マンハッタン計画の責任者)とニコルズ中佐(グローヴスの部下で米陸軍技官)が訪れた。
グローヴス(左)とニコルズ |
「国防総省の建設を認められ、“マンハッタン工兵管区”(「マンハッタン計画」というプロジェクトの名称)へ…秘密は漏れてる。国中の物理学科にな。それが問題だ」
「問題はウランの調達では?」
「すぐ1200トン買い付けた」
「精製は?」
「テネシー州オークリッジへ。次はリーダーだ…道楽者で女好き、共産主義者の疑いあり…情緒不安定で大げさ、尊大で神経質…唯一、リチャード・トルマンは長所を言った。君は誠実だと…どう進める?」
「ナチスよりも早く、理論を実際の兵器に変えないと…18カ月だ。高速中性子の研究に半年。ドイツのリーダーならすぐ追いつく」
「誰だ?」
「W・ハイゼンベルクだろう。誰より原子構造を分かってる。ボーテ、ヴァイツェッカー、ディプナーもいる。ドイツが勝つ。ひとつ希望が」
「何だ」
「反ユダヤ主義だ。ヒトラーは量子物理を“ユダヤの科学”と。我々の希望は、彼が憎しみのあまり学者らに資源を与えないことだ。この国の科学者は散らばってる。共有せねば非効率的だ。レースでは効率が情報保護に優先する…効率と安全の両立を」
オッペンハイマーは、その構想をグローヴスに熱く語っていく。
「放射線研はバークレーに、冶金研はシカゴ、精錬所はテネシー、ハンフォード。全米の産業力と科学革新を列車で結ぶ。時も場所も1つを目指す。集結地はここだ…秘密の研究所を作り、住宅も建て完成まで暮らす。学校や店や教会も」
「なぜだ?」
「最上の仕事は家族いてこそ。安全が必要なら町を造れ」
「場所は?」
「ロスアラモスだ…完璧な場所だ」
「何に?」
「“成功”だ」
グローヴスはオッペンハイマーの顔を改めて見る。
そして、ニコルズに「町を造れ。急げ」と指示し、オッペンハイマーに「科学者を集めよう」と呼びかけた。
かくして、オッペンハイマーとグローヴスは、明確な目的や期間を明かさぬまま、必要とされる科学者にプロジェクトへの参加を求めて奔走するのだった。
町の完成まであと2か月という時、友人のラビが訪れた。
軍服を着て、組織について説明するオッペンハイマーに「俺は、ここへは来ない」と言う。
「なぜだ?」
「爆弾は善人も悪人も無差別に殺す。物理学300年の集大成が大量破壊兵器なのか」
「分からない。そんな兵器を僕らが預かっていいか。だがナチスでは、いけない。やるしかないんだ」
「それなら、2つ目の願いだ。理論部はベーテ(ハンス・ベーテ。ドイツ系ユダヤ人でアメリカの物理学者)にやらせろ」
「1つ目は何だ?」
「バカげた軍服を脱げ」
「准将(グローヴス)の要望だ」
「クソったれと伝えろ。科学者として自分らしくいろ。よりよくな」
オッペンハイマーは軍服を脱ぎ、フェルト製の中折れ帽子(フェドーラ)とスーツ姿で町を歩く。
理論部に科学者が集まり、そこにやって来たエドワード・テラーが、「連鎖反応を計算して、厄介な問題が分かった」と、計算式を皆に示した。
テラー |
オッペンハイマーはそれを持ってアインシュタインに会いに行く。
「君はどう読む?」
「核分裂が生んだ中性子が、また他の核を分裂させる。臨界に達し、巨大な爆発が起こる。そして連鎖反応が」
「大気に引火する」
「原爆を爆発させれば、連鎖反応で破壊する。全世界を」
「また不安か。量子論的な確率の世界に迷い込み、確実性を求めてる」
「計算してみてほしい」
「我々の唯一の共通点は、数学への軽視だ。バークレーでは?」
「ベーテが演算を」
「真実に届く」
「真実が破滅的なら?」
「開発をやめて、ナチスとそれを共有しなさい。どちらも世界を破壊しない」
結局、テラーの計算に誤りがあると分かった。
【エドワード・テラーはハンガリー出身のユダヤ人理論物理学者。「水爆の父」と呼ばれ、マンハッタン計画にも参加するが、戦後は「具体的警告なしに広島を爆撃したのは不必要であり間違いであった」と述べている】
シュヴァリエが自宅を訪れた際、組合活動を主導するエルテントン(共産主義者)が、連合国にもっと協力しろと戦争への不満を言っていたことをオッペンハイマーに話す。
「政府はソ連と研究を共有しておらず、科学者も“バカだ”と言ってると」とシュヴァリエ。
「そうか」
「もしソ連に渡したいものがあれば、彼が協力できるかも知れないそうだ」とシュヴァリエ。
「国家反逆罪だ」とオッペンハイマー。
「もちろんだ。一応、知らせたまでさ」
この短い会話が、後に前述した「シュヴァリエ事件」として取り沙汰され、ソ連のエージェントの嫌疑でからエルテントンとシュヴァリエはFBIから聴取され、オッペンハイマーも聴聞会で追求されることとなった。
聴聞会。
「彼が情報を求めていたとは、長年の友情から考えられません。私が携わっていた仕事も、彼は知らなかった。しかし、この件はすぐに報告すべきでした」
公聴会。
「オッペンハイマーの件で、科学者と当局の緊張関係が鮮明に。少将は原子力委の在任中、どう対処したか」
「私が指名されたのは商務長官です。なぜ科学者の意見を?」
「内閣のポストですから、幅広い意見を聞く」
上院補佐官らは形式的なもので、心配ないと宥めるが、ストローズは証人となる科学者が誰であるかを気にして苛立つ。
「私は博士と対立し、非難されやすい」
「科学者からの支持は示さないと」
「戦略を変えるか。“対立は国に有益”と」
「それより経緯を知る科学者は?」
「テラーだ」
「印象作りを」
「証人の名は?ロスアラモスにいたか調べる。シカゴと違い、あそこは“オッピー教団”の地だ。彼は創設者で市長で保安官。君臨してた」
完成したロスアラモス研究所に移住するオッペンハイマー一家。
早速、理論部でウラン235を使った爆弾開発に取りかかる科学者たち。
一人退屈そうなテラーはオッペンハイマーに訊ねられ、「核分裂爆弾は可能と分かってる」と言う。
「新しいものを作ろう。ウランなどではなく、水素を使う。重水素だ。いいか。原子を高圧で圧縮し、核融合反応を起こさせる。キロどころか、メガトンになる」
「水素原子を融合させる強力なパワーは?」
「小型核分裂弾だ」
他の科学者たちが呆れて、笑いが起こる。
「博士との最大の意見の相違は、アイソトープの輸出ではなく、水爆だったのでは?」
「我々は多くの点で意見の相違があったが、その一つは水爆開発の必要性だった」
ストローズが招集した会議で、B-29が北太平洋上で放射能を検出したことが報告され、オッペンハイマーはそれが原爆実験によるものだと断定する。
「ソ連だ。我々は何年も早かったはずだが。ロスアラモスの警備は厳重か?」とストローズ。
オッペンハイマーは「当然だ」と言うが、同席したニコルズがセキュリティ上の問題があったことを指摘する。
ヒトラーを逃れてイギリスに移ったクラウス・フックス(のちにソ連のスパイだった事実が発覚)を、イギリスの代表団としてグローヴスがロスアラモスに連れて来た。
フックス(中央) |
「博士は部門をまたいだ自由討論を」とニコルズ。
「中止しろ。機密が脅かされる…週に1回、幹部だけにしろ」とグローヴス。
公聴会。
「何人ぐらい参加していた?その自由討論に」
「大勢です。規則違反だ」
「ナチスと競争を」とオッペンハイマー。
「今やソ連とも…彼らの装置は?」
「プルトニウム爆縮装置のようだ」
「…トルーマン大統領に次の進言を…水爆はどうだ?大統領に説明したか?」
「技術的に可能か分からない」
「テラーが提案したのでは?…もし優位に立てるなら、米国大統領は水爆について知る必要がある。もしロスアラモスのスパイが漏らしたなら対処せねば」
一方、機密アクセス許可が下りていないオッペンハイマーは、ニコルズの延期の提言を無視して、マンハッタン計画を担うシカゴ大学へ行き、エンリコ・フェルミとレオ・シラードが開発する原子炉を視察するが、そのことを知ったグローヴスは激怒するが、オッペンハイマーの機密アクセス許可を許可するに至る。
【エンリコ・フェルミは、マンハッタン計画のシカゴでの参加者でイタリアの物理学者で、世界初の原子炉の運転に成功し、「原子爆弾の建設者」とも呼ばれた。1938年にノーベル物理学賞を受賞】
聴聞会。
グローヴスはオッペンハイマーの国家への不忠を働くかを訊かれ、「(左翼の)疑いは承知してました」と答えつつも、「あり得ない」と明言する。
「安全保障担当官はアクセス許可に反対を?」
「私が主張するまで強く反対した」
ロスアラモスにバークレーからローレンスがやって来て講義をした。
オッペンハイマーの最初の生徒だったロマニッツも連絡係として連れて来ていた。
公聴会。
ストローズは、ロスアラモスにスパイの噂があり、共産党員がいて、水爆の議論にも加わっていたのかと、オッペンハイマーを追求する。
ニコルズは共産党員のロマニッツや(オッペンハイマーの)弟を呼び寄せたこと、ジーン・ロマニック、シュヴァリエ事件などを引き合いに出し、オッペンハイマーを追い詰めた。
オッペンハイマーはロマニッツがミスで徴兵され、その取り消しをニコルズに求める。
「ミスじゃない。彼は放射線研で組合を」
聴聞会
オッペンハイマーを嫌い、反共主義が濃厚なニコルズは、「怪しい交友関係は切るんだな」と言って、出来上がったアクセス許可証を渡した。
「私が誰と付き合おうと、秘密は話さない」
「ここでは毎日私たちの人生がズタズタにされる。戦ったらどう?」とキティ。
シュヴァリエの名前をなかなか言わず、庇うオッペンハイマー。
クリスマスパーティに、プレゼントと称して、グローヴスがオッペンハイマーの師のニールス・ボーアを連れて来た。
「ハイゼンベルクが助けを求めてきた。教え子がナチスに協力するとは。彼が私を口説くために言ったのが、ウランを持続性核分裂だ。それはもう原子炉だ」とニールス・ボーア。
「ガス拡散のことは?」
「何だ?」
「間違ってる。我々は有利だ。あなたもいる」
「私は助けに来たんじゃない。私など無用だ…将来の話を。君が送り出す強大な力は、ナチスを駆逐する。だが世界は早い」
「“石の下から、突然、蛇が現れる”」とオッペンハイマー。
「政治家に分かるか。“新爆弾ではない”。“新世界”だと。私も力を尽くすつもりだが、君は世界のプロメテウスだ。人類に自らを滅ぼす力を与えた男。称賛されて、君の真の仕事が始まる」
ニールス・ボーア |
そこでオッペンハイマーにサンフランシスコから電話が入った。
ジーンが浴槽で自殺したことを知らされ、動揺して「僕が殺した」と言って、自分を責めるオッペンハイマーにキティは叱咤する。
「罪を犯しておいて、その結果に同情しろと?しっかりしなさい。皆が頼ってるのよ」
一貫して夫を守る気の強いキティの言辞に支えられるオッペンハイマーの裸形の様態が晒されているのだ。
3 「閣下、私の手は血塗られたように感じます」
聴聞会。
「水爆は君の監視下で開発中だったのか?」
「そうだ」
「だが、戦後開発は不可能だとした」
ストローズが招集した会議で、水爆について議論する中にオッペンハイマーは入らず、「テラーの設計は戦時中と同じ、非現実的だ」と答えるのみ。
「可能だ。君も分かってるだろう」とローレンス。
水爆開発によるソ連との核開発競争に懸念を持つオッペンハイマーは、「国際的に管理して、核兵器の拡散を制限する」と提言。
「今や脅威はファシズムでなく、共産主義だ」とストローズ。
「ソ連に譲歩させるため、水爆は作らないと約束しよう」
“討論会 装置の影響”と書かれた張り紙を見て、オッペンハイマーはその会場に入っていく。
「ヒトラーが地下室で自殺した以上、あの爆弾は実験場以外で見る必要はない」
「もはや手段が目的を正当化するのか考えないと。ドイツは降伏する。もはや人類の最大の脅威は敵ではなく、私たちの仕事よ」とプルトニウムのチームで働く女性物理学者。
参加者たちの拍手の中、近づいてくるオッペンハイマーに視線が向かう。
「確かにヒトラーは死んだ。だが日本がいる」とオッペンハイマー。
「敗北は確実よ」
「兵士はそう考えない。戦争終結を」
「人間への投下を、どう正当化する?」
「我々は理論屋だ。そうだろ?我々は未来を想像し、その未来に恐怖を覚える。だが世界は、実際に使い理解するまで恐れない。世界が恐怖を知った時、我々の仕事は人類の平和を確実にする。ルーズベルトが描いていた国際協力に基づく平和を」
グローヴスはオッペンハイマーに進捗を尋ね、2年と10億ドルの価値があるかを問う。
「有望な爆弾が2つ、日程を」とグローヴス。
「9月」とオッペンハイマー。
「7月」
ポツダム会談が行われる7月に拘るグローヴス。
シカゴでマンハッタン計画に参加するシラードがオッペンハイマーに訴える。
「今、動かなければ日本に使う。大統領との面会はつぶされた」とシラード。
「僕らは使い方まで決められない」
「歴史に裁かれるぞ…嘆願書に署名を」
シラード |
「僕は結構だ」と払いのけて「懸念は伝える」とオッペンハイマー。
「懸念?ドイツが負け、日本はもたない」
「今さら何を言う。進言したろ。核を開発せよと」
「対ドイツだ」
「爆弾製造は一国相手じゃない」とシラード。
【レオ・シラードはルーズベルト米大統領への進言(アインシュタイン=シラードの手紙)によって、原子爆弾開発のきっかけを作った人物として知られるが、大戦末期には無警告の日本への原爆投下を阻止しようとして活動し、原爆使用反対の中心人物となる】
以下、発射までの行程を画像で紹介していく。
高さ30メートルの鉄塔のトリニティタワー |
遠方からキティも見ている |
突然、豪雨に襲われる |
オッペンハイマーとグローヴス |
トリニティ実験を主導したケネス・ベインブリッジ(ハーバード大学の実験物理学者)がトリニティ実験で制御スイッチを任される |
トリニティタワーから発射される |
目を守るために特製のサングラスをかけている |
テラーも特製のサングラスをかけながら、歴史的実験に見入っている。
実験の成功の歓喜の中心にオッペンハイマーがいた。
製造された2つの原爆が運び出される。
「スターリンには説明を?」とオッペンハイマー。
「簡単な情報だけだ。大統領は“強力な新兵器”とだけ言い、スターリンは日本に使うよう希望した」とグローヴス。
これはポツダム宣言(1945年7月17日から8月2日、ソ連領クリミアで開催)でのこと。
「それだけか?」とオッペンハイマー。
「切り札をどう使うかは、政府の判断だ」とグローヴス。
「投下は6日か?」
「前線の司令官次第だ」
「私もワシントンへ」
「何の用で?」
「また情報を頼む」
「もちろんだ…なるべくな」
原爆を載せた2台のトラックを見送るオッペンハイマー
【トリニティ実験(トリニティとは神・キリスト・聖霊を一体と見る「三位一体」のこと)は、1945年7月16日にアメリカのニューメキシコ州北部アラモゴードの砂漠で行なわれた人類最初の核実験である。爆縮型プルトニウム原子爆弾を用いて行われ、同型の爆弾「ファットマン」が、後に長崎市へ投下された。因みに、プルトニウムの方がウランより放射線による毒性が強くなる】
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ベースキャンプ(ウィキ) |
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組立が完了して実験を待つ「ガジェット」(核爆弾のニックネーム/ウィキ) |
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最終組立のために実験塔の最上部へ運び上げられる「ガジェット」(ウィキ) |
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実験後の爆心地(ウィキ) |
「事実を知ったら、日本は降伏を?」とテラー。
「分からない」とオッペンハイマー。
「シラードの嘆願書は?」
「彼に日本の何が分かる?君は署名を?」
「大勢が署名した」
「テラー、原爆は作ったが、使い方に関する権利や責任は我々にはないんだ」
「だが、熟知してる」
「皆の意見は長官に伝えた」
「あなたは?」
「一度使えば、核戦争…おそらくすべての戦争を考えもしなくなる」
「より強い爆弾が現れる」
テラー |
最後のテラーの言葉が痛烈に響いてくる。
日本では6日にあたる8月5日、原爆投下の実相の連絡を待って落ち着かないオッペンハイマー。
大統領のラジオ放送が流れる。
「米軍機は広島に1発の爆弾を投下し、敵軍の拠点を無力化した。この爆弾の爆発力は、TNT2トンを超える。これは原子爆弾だ。宇宙の根源的エネルギーを利用している…我々は20億ドル以上を投じて、史上最大の科学の賭けを行った。そして、勝ったのだ」
【1945年7月16日、米国ニューメキシコ州の砂漠で人類初の核実験が行われた。 これを機に世界は「核の時代」へと突入する】
グローヴスから電話が入る。
「君たちを誇りに思う」
「成功か?」
「すごい爆発だったそうだ」
「こっちでも、まあ安堵してるよ。長い旅だった」
「何より私が賢明だったのは、君をリーダーに選んだことだ」
戦勝祝賀会で、オッピーコールと共に熱狂的に迎えられたオッペンハイマーは、既に違和感を覚えていた。
「世界は、この日を忘れない…今はまだ、投下の結果を見極めるには早い。日本はイヤだろう」
会場は総立ちになって大きな拍手と歓声が上がる。
「誇らしく思う。皆は成し遂げた。ドイツにも使いたかった」
もはや歓声は聞こえず、投下の瞬間のような光線で、目の前が真っ白になった客席の女性の顔の皮膚が剥がれるのを幻視するオッペンハイマー。
床に転がる炭化した人を踏みつけ、よろめきながら退場するオッペンハイマー。
まもなく、表紙を“原爆の父”とオッペンハイマーの似顔絵が飾るタイム誌を横目に見て、大統領執務室に入っていった。
待っていたトルーマン。
「世界一の有名人の気分は?多くの米国人の命を救った…君は軍拡競争が懸念らしいね」
トルーマン大統領 |
「今こそ原子力に関する国際協力を進める機会で、私の懸念は…」
「ソ連の原爆はいつ完成する?」
「優秀な物理学者がいて、資源も豊富です」
「聞いたよ。君はロスアラモスを去ると。あの場所は?」
「君は思うか。広島や長崎が恨むのは爆弾を作った者だと。落とした者だ。私だ。君など関係ない」
オッペンハイマーが部屋を出て行く際に、「あの泣き虫を二度とよこすな」というトルーマンの声が聞こえた。
今や、「原爆の父」は、投下の指示をした男から「泣き虫」扱いされる存在と化したのだ。
【原子力に関する国際協力を進めることを求めるオッペンハイマーの提言のルーツが、マンハッタン計画と原爆投下にあり、その後、1949年にソ連が核開発能力を備えたことで、アメリカが水素爆弾の最初の爆発実験に成功(1952年)して、核兵器の大型化が進んでいく。これが現在のIAEA(国際原子力機関)の設置に繋がっている。1957年7月のことである】
4 「我々は破壊した」
その後、トリニティ実験の恐怖を肌で感じているが故に水爆の開発に反対する「原爆の父」と、水爆開発でテラーを支持するストローズの対立が際立っていく。
トリニティ実験の恐怖を肌で感じていないストローズの甘さが炙り出されていく。
クラウス・フックスがソ連のスパイだった事実を知らなかったオッペンハイマーを嘲(あざけ)るストローズの表現の総体は、丸ごと狡猾な人間の在りようを晒すだけだった。
【クラウス・フックスはドイツ生まれの理論物理学者。マンハッタン計画でアメリカの原子爆弾開発に貢献したが、その傍(かたわ)ら、ソ連のスパイとしてソ連に機密情報を流し続けていた】
原爆投下のスライドを暗鬱な表情で見るオッペンハイマー。
罪悪感で煩悶する彼のリアルが露わになっていく。
「1、6キロ四方の通りにいたほぼ全員が、一瞬で重度のヤケドを負った。日本人の話によれば、縞模様の服の者は縞模様に焼けたと。廃墟から出てきて、軽症で幸運だと。だが亡くなった。数日後か数週間後にだ。爆発の瞬間、大量に放出されたラジウム様の光線による…」
ロスアラモスを去るオッペンハイマーの最後のスピーチも歯切れが悪い。
「誇りを持って振り返ってほしい。だが今、その誇りは憂慮でかすんでいる。もし核兵器が世界の兵器庫に加わったら、世界はロスアラモスの名を呪うだろう」
そのオッペンハイマーへの告発者ウィリアム・ボーデンを操っていたのが、ストローズであることが明かされる。
ボーデンに告発状をFBIに出し、ニコルズにFBIから原子力委員会に来たら告発文書を出せと命じるのだ。
ボーデン |
原子力委員会のメンバーも自分で決めたと言うストローズ。
その際、聴聞会は裁判ではないので、「傍聴なし、記者なし、立証責任なし」という事実をもニコルズに伝授する。
「本当に執念深い人は忍耐強い」
このキティの一言はストローズという男を言い当てている。
「サンドイッチより有益だ」と言われ、アイソトープの輸出の件で恥をかかされたことを根に持っているのである。
だから、「ストローズと戦え」とキティは怒号するのだ。
案の定、聴聞会の証人として呼ばれたボーデンはFBIへの告発文書を自ら読み上げ、オッペンハイマーを「ソ連のスパイ」と断じていく。
一転して公聴会。
デヴィッド・ヒルが「科学者の多くは、彼(ストローズ)に対し政府からの退場を望んでいます」と証言したことで公聴会の雰囲気を変えていく。
ヒル |
その理由を問われたヒルは、「博士(オッペンハイマー)に対する彼の私的な恨みが理由です」と言い切って、公聴会が騷(ざわ)めく始末。
更に続くヒルの証言。
「オッペンハイマー事件は、ほぼ彼の悪意によって始められ実行された」
恨みとは、繰り返すがアイソトープの輸出の件。
「もう一つは、水爆が安全保障に貢献するかで判断の相違が。氏は博士の力を削ぐため、個人の身辺調査に目を付けた。数人の野心家を見つけた。博士の立場に反対し、政府筋での名声に嫉妬する者を」
聴聞会では、マンハッタン計画を進言した科学研究開発局長のヴァネヴァー・ブッシュは、オッペンハイマーを擁護する。
「この国のほとんどの科学者には、博士は正直な意見を表明したために批判にさらされていると映る。どんな委員会も意見表明を理由に裁くべきではない。裁くなら私を裁け」
ヴァネヴァー・ブッシュ |
「私が見た博士の行動の多くは、非常に理解し難いものだった。その行動はメチャクチャに見えた」
テラー |
証言後、「すまない」と言って退室するテラーは、オッペンハイマーと握手して帰っていく。
【オッペンハイマー事件とは、本作で描かれた通り、1954年にオッペンハイマーがソ連のスパイという嫌疑を受けて、最終的に国家機密にアクセスする許可を奪われて公職追放された事件のこと】
公聴会。
ストローズが検察官を原子力委員会の特別弁護人にしたことを批判するのだ。
オッペンハイマー夫婦を詰問したロジャー・ロッブである。
執拗に(アメリカ)共産党との関係を詰問され、凛として反論するキティの気強さが際立っていた。
ここで、オッペンハイマーとアインシュタインの短い会話がインサートされる。
「私は祖国を捨てた男だ。君は祖国に尽くした。もし、これが褒美なら祖国を捨てるべきだ」
「僕は祖国を愛してる」
「連中(「オッペンハイマー事件」を仕立て上げた者たち)にくたばれと言え」
ヒルの証言に激怒するストローズは、オッペンハイマーについて吐き捨てた。
「世界を変えた男になりたかった。原爆の魔神を瓶に戻したいというが、私は奴という男を知ってる。奴は、もう一度同じことをする。広島への後悔など微塵もない。繰り返す。なぜか?史上最も重要な人物になれたからだ」
聴聞会でロッブ(アメリカ原子力委員会の特別弁護人)に詰問されるオッペンハイマー。
「激しかった」
「だが広島への投下は成功だったと」
「技術的にはだ。戦争も終わらせた」
「広島への水爆投下は?」
「意味がない。的が小さすぎる」
「日本に水爆に見合う大きな的があっても反対を?」
「私の問題じゃない」
「奴は輝かしく偽善的で傲慢な罪悪感をまといたかった。王冠のようにな。“水爆はダメだ”などと。必要性を知りながらな」
聴聞会でのロッブの詰問に戻る。
「したはずだ」
「では原爆投下にも反対を?」
「我々は議論を…」
「“あなた”だ」
「3年間、日夜開発に費やし、使用には反対?」
「陸軍長官に科学者の見解を聞かれ、賛否両論を述べた」
「投下を支持したのでは?」
「標的の選定をした」
激しい議論の中で、オッペンハイマーの脳に光線が走り、議論が宙に浮くようになっていく。
ハレーションが生まれたのだ。
「水爆も作れたのでは」
ハレーション画像 |
「ムリだ」
「はぐらかすな。ソ連の原爆実験後も諮問委の報告書で、“水爆は作るべきでない”と」
「ソ連は軍備増強を」
「米国が作ればソ連も作らざるを得ない。原爆と同じだ」
「まさしく“原爆と同じだ”」
ここで別の委員が静かに問いかけることで、オッペンハイマーのハレーションが収まっていく。
「呵責は1945年にはゼロ。1949年には激烈。博士。水爆に対し、強い道徳的観念が生まれたのはいつだ?」
「我々はどんな武器をも使う傾向だと明白になった時です」
ここでまた、ストローズの静かな語り口に反転する。
「殉教者のオッペンハイマー。奴の希望を叶えてやった。“トリニティ実験”で記憶に残る。広島でも長崎でもなくな。私に感謝すべきだ。私のキャリア最高の瞬間は最大の屈辱に変わるのか?」
赤狩りの渦中で開かれたオッペンハイマーに対する聴聞会の判断が下される。
「全会一致で忠実な市民」と認めながらも、「危険人物と交友を続け、国家の安全保障を軽視している。水爆開発においては、やや不穏な行為もある。聴聞会では不誠実な返答も。投票の結果2対1でアクセス許可の更新は却下。反対意見を付した書面を数日中に原子力委員会に提出する」
そして、商務長官へのストローズ任命の可否を巡る、上院承認の公聴会の判断も下される。
ジョン・F・ケネディを含む3人の若手反対者による、オッペンハイマーに対する敵対行為という理由で結果は不承認となる。
上院補佐官 |
ラストは、ストローズが無視されたことに不満を持ち続けていた、オッペンハイマーとアインシュタインの会話の内実が明らかにされる。
「以前、私の祝賀会を開いたね。大学で賞をくれて。皆は私が量子論を理解できなくなったと考えた。だから、賞は私のためじゃない。皆が満足するためだ。今度は君が。自分の業績の結果に対峙する番だ。いつか、十分な罰を受けたら、供される。ポテトサラダを。スピーチと勲章も…すべて許されたと肩を叩く。忘れるな。君のためじゃない。彼らのためだ」
「アルベルト。計算を見せて不安を伝えた。爆発で連鎖反応が起きて、全世界を破壊すると」
「覚えてるよ。それが何か?」
「我々は破壊した」
5 原子核分裂と核融合 & 核開発に頓挫したナチス
まず、原子核分裂と核融合について簡単に書いておきたい。
原子には、原子核とその周りを回る電子があり、更に原子核には陽子(プラスの電荷を持つ)と中性子(電荷を持たない)という2種類の粒子で構成されている。
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原子の構造 |
「核分裂」とは、原子力発電の燃料であるウランの原子核に中性子が当たると「核分裂反応」が起こる現象のこと。
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核分裂反応(ウィキ) |
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核分裂の発見者オットー・ハーン(左)と、「原爆の母」リーゼ・マイトナー(ウィキ) |
ウランにも核分裂を起こしやすい「ウラン235」と、核分裂を起こしにくい「ウラン238」があり、天然ウランに多いのは「ウラン238」で、核分裂する「ウラン235」は0.7%しか含まれていない。
爆撃機に搭載できる爆弾にするためには、「ウラン235」を90%以上の純度で含んだ「兵器級濃縮ウラン」にする必要があり、ウランの化合物を遠心分離器(軸を中心に回転することで生じる遠心力で分離することで、重力場の強度を高めるための方法)にかければ、わずかに重い「ウラン238」の化合物が外側に、軽い「ウラン235」の化合物は回転の中心部に集まる傾向があるので、これを何回も繰り返して次第に「ウラン235」の化合物が多く含まれるようにして、この「核分裂反応」を短い時間に次々と広がると、瞬間的に非常に強大なエネルギーを生み出す。
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原爆にするには「ウラン235」の濃縮度を90%以上にしなければならない/日経 |
このエネルギーを兵器として利用したのが原子爆弾である。
これが広島型原爆となった。
一方、長崎型原爆にはプルトニウム239が使われている。
プルトニウム239を核分裂連鎖反応が起こる超臨界状態に押し進めると、中心に仕込まれた中性子源から中性子が飛び出してプルトニウム239の原子核分裂反応が起こるという仕組みである。
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核分裂のしくみ |
【臨界とは、核分裂の連鎖的な反応が一定の割合で続いている状態のこと】
爆発の瞬間、強烈な「熱線」と「放射線」が放出されると共に、周囲の空気がものすごい力で膨張して、衝撃波が発生し、その後、強烈な「爆風」が吹き抜けていく。
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原爆によって発生したエネルギー |
広島では4000度の「熱線」によって、人体が溶けてしまった「人影の石」が有名である。
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人影の石 |
核融合とは、水素のような軽い原子核同士が合体(融合)し、ヘリウムなどのより重い原子核に変わること。
水素の仲間(同位体)である重水素(D)と三重水素(T)の原子核が融合するDT核融合反応では、ヘリウムと中性子を発生させる。
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核融合 |
従って水爆とは、重水素(デューテリウム)と三重水素(トリチウム)の熱核反応を利用した核兵器のことである。
要するに、水爆は主に核融合反応を利用するので、太陽の中で生じる反応と同じで、核分裂反応よりも大きなエネルギーを放つ。
核融合反応は高温高圧にならないと起きないため、水爆を起爆するには小型の原爆を使う。
水爆が原爆の数百倍の威力がある所以である。
1954年には米国が南太平洋のビキニ環礁で水爆実験(キャッスル作戦・ブラボー実験)を実施し、放射性物質を浴びた第五福竜丸の乗組員23名の全員が被爆した歴史的事実はあまりに重いのだ。
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被曝前の第五福竜丸(ウィキ) |
死の直前の久保山愛吉さん(ウィキ) |
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キャッスル作戦・ブラボー実験のキノコ雲(ウィキ) |
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ブラボー実験装置の本体(ウィキ) |
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爆発時の映像、60秒、音声なし(ウィキ) |
ノルウェーの工作部隊による破壊工作が成就したこと。
「ナチスによる原爆開発はこうして阻止された」(日経新聞)によると、1943年、ノルウェーの工作部隊がドイツの原爆開発計画に必要な重水(同位体の水分子を含んだ通常より重い水)を、世界で唯一製造する工場があるナチス占拠下のヴェモルク(ノルウェー)の雪原を渡り、重水工場を爆破するに至った。
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「1943年の出来事を再現した1948年のドラマより。ナチスに占拠されたヴェモルクの重水工場を爆破するため雪原を渡るノルウェーの工作部隊」 |
「ノルスク・ハイドロ重水工場破壊工作」である。
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ヴェモルクの水力発電所、1935年。重水は手前の建物で生産されていた(ウィキ) |
こうした破壊工作に加えて、連合軍の空襲も行われた。
この空襲によって、工場の破壊と生産された重水の損失を確実なものとしたこと。
また、世界屈指のドイツ人物理学者のヴェルナー・ハイゼンベルクは基礎的な研究に取り組み、重水を調達して連合国と同じように原子炉と原爆の製造法を模索していた。
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ヴェルナー・ハイゼンベルク |
1938年に「核分裂」が発見されたことで、1942年の段階では、どの国もほぼ同じ位置に立っていた。
但し、ハイゼンベルクらは、原子炉の製造は可能でも、米国のB-29のような巨大爆撃機が実用化されていないので爆撃機に搭載できるような小型軽量な原子爆弾の開発は不可能だと見ていた。
そして何より、ウラン濃縮を行っていたナチス・ドイツだが、ヒトラーが大量殺戮兵器の必要性を認めなかったこと。
これが大きかった。
財政的な問題もあるが、ヒトラーが量子力学のことを「ユダヤ人の物理学」という認識を持っていたからである。
だから、核開発研究に理解を示さなかったのだろう。
6 「爆弾は善人も悪人も無差別に殺す。物理学300年の集大成が大量破壊兵器なのか」
以下、映画批評。
映画は、留学生時代からバークレー校の助教授時代を経て、マンハッタン計画における中心的担い手として「ロスアラモス研究所」(四方を崖に囲まれた「メサ」と呼ばれる高台の上にあるニューメキシコ州の台地)の建設から原爆開発までのリーダーシップ、原爆投下後の戦後世界の核開発競争へのブレーキと、核の管理を主張するオッペンハイマーの物理学者としての半生を、聴聞会での「オッペンハイマー事件」をコアにして描いているが、それが決して一筋縄ではなく、ファシズムの時代と戦後の冷戦体制におけるアメリカのその時々の政策や、政治家や科学者たちの思惑に翻弄されてきたオッペンハイマーの人間性にスポットが当てられている。
グローヴスが言うように、道楽者で女好き、情緒不安定で大袈裟、尊大で神経質。
加えて共産主義者の疑いがある危険人物。

しかし唯一、人間的な誠実さがあり、任された職務を遂行する能力だけは疑う余地がない。
だからグローヴスは、オッペンハイマーをプロジェクトのリーダーに選んだ。
そういうことだろう。
映画を観る限り、心理的な洞察力に欠けているから無自覚に相手を傷つけやすい面もある。
にも拘らず、自ら主導した原爆開発によって惹起した凄惨な現実に心を痛め、煩悶する。
アインシュタインに対して「我々は破壊した」という言葉で閉じる物語には、「私が世界を破壊した」というニュアンスが伝わってきて、より危険な水爆開発に異議を唱えるオッペンハイマーの苦悩の深さを読み取れる。
かくて赤狩りの風潮の渦中に開かれた聴聞会にあって、オッペンハイマーの内面の激しい揺動が、悉(ことごと)く不利な状況を作り出してしまった。
アメリカの水爆開発に異議を唱える行為がソ連のスパイと見做(みな)されることになり、核関連の機密情報へのアクセス許可の更新は却下され、公職追放されることになったのである。
来日しても被爆地を訪れなかったのは、自我消耗の恐怖の前に立ち竦んでしまったのかも知れない。
複雑な人間の複雑な様相を理解すべきであろう。
その意味で、オッペンハイマーを追い詰めるラストのロッブとの議論は、本篇の核心とも言える。
「道徳的呵責は?」「激しかった」「だが広島への投下は成功だったと」「技術的にはだ。戦争も終わらせた」「広島への水爆投下は?」「意味がない。的が小さすぎる」「日本に水爆に見合う大きな的があっても反対を?」「私の問題じゃない」…
「私は…反対を表明はしたが、そこまでだ」「3年間、日夜開発に費やし、使用には反対?」「陸軍長官に科学者の見解を聞かれ、賛否両論を述べた」「投下を支持したのでは?」「“支持”の定義はなんだ?」「標的の選定をした」「政策の決める立場になく、仕事ならなんでもした」…
「道徳的呵責」で漂動するオッペンハイマーの内面が表出されていて、それが観る者の心を揺らすのだ。
然るに、「マンハッタン計画」に全身を投入していた時点において、オッペンハイマーは原爆開発に対して「道徳的呵責」がなかったのは間違いない。
尊敬するボーアから「人類に自らを滅ぼす力を与えた世界のプロメテウス」とまで言われたオッペンハイマーは、ナチス・ドイツの政権が5月に崩壊した時、「確かにヒトラーは死んだ。だが日本がいる」とまで明言したのだ。
では、オッペンハイマーが水爆開発反対の道徳的信念を持ったのはいつだったのか。
聴聞会で訊かれた際に、「我々はどんな武器をも使う傾向だと明白になった時です」と答えている。
被爆の実状を知ったことで生まれた「道徳的呵責」から「道徳的信念」への内的昇華への行程こそ、この映画のストーリーラインの根幹を支えているのである。
オッペンハイマーは絶大なる称賛を受けるが、そこで示された損害の甚大さと共に、原爆から水爆への更なる開発競争と地球規模の破壊への恐怖という現実を受け止め切れずに戦慄するのみだった。
戦後、今度はソ連との核開発競争に一貫して反対の立場にあったオッペンハイマーは、マッカーシズムの只中にあるアメリカ政府の政治的立場とも対立し、今度は赤狩り旋風の餌食になっていく。
思えば、オッペンハイマーが物理学者としての世界初の原爆開発の成功の背景には、ナチス・ドイツとの核開発競争に打ち勝つという強烈なモチーフがあった。
しかし、連続する世界初の原爆使用については、既にドイツが降伏した時点で、原爆開発に携わった多くの物理学者や関係者は反対の立場を取った。
そんな状況の遷移の唯中で、オッペンハイマーはマンハッタン計画の立案者であるグローヴスと立場を共にする。
原爆が完成した今、原爆は物理学者の手を離れ、あとは政治的判断に口出しする立場にはなかった。
オッペンハイマーは日本への広島・長崎への投下によって示される原爆の威力が、第二次世界大戦だけでなく、その後の戦争をも抑止すると信じた。
と言うより、そう願望するしかなかったのである。
赤狩りの時代が終焉し、最後はエンリコ・フェルミ賞(エネルギーの開発・使用・生産の業績を称えるアメリカの物理学の賞)を授与され復権するが、これは公職追放された学者たちの贖罪のための汚名を雪(そそ)ぐ授与だったと言える。
オッペンハイマーという、その時代に最も有能な物理学者が時代の要請に積極的に応え、原爆開発という未知の領域を拓き、望外の栄光を手にした達成感と同時に、自らの意図に乖離して、制御不能な危うい世界を創り出して煩悶し、罪悪感を抱え込む一人の人間の相貌を、観る者は存分に見せつけられる。
引き受けた仕事に誠実に対応し、全熱量を注ぎ込んで原爆実験に成功した無上の喜びと、その成功によって抱え込むに至る負の感情の招来は、拠って立つ自我のカオスを炙り出してしまうのだ。
「原爆の父」としてのパラドックスな評価から永遠に逃れることはできないオッペンハイマーという存在それ自身が、今や世界の核の脅威と抑止という心許(こころもと)なく、不確かの時代の負のシンボルと化していくのである。
そんな複雑な人間の、複雑な生きざまを描き切った演出は見事だった。
映画は、そんな物理学者が時代の怒涛の波に吸い込まれて、どう振る舞ったかについて史実に基づいて描いているが、特に赤狩りと水爆開発を巡る政治的対立に男を巻き込んだストローズの視点を軸にするほど、物語を交錯させる必要があるのかについて、一見した限りでは読み取れなかった。
聴聞会のカラーパートのシーンで、オッペンハイマーの過去の私的・公的関係が明らかになる。
公聴会のモノクロパートのシーンで、ストローズの学者へのコンプレックスや権謀術数を巡らす男の愚昧さが明らかになる。
歴史上重要な役割を果たした人物像を追わなくてはならない壮大なドラマにおいて、二つのパートがパラレルに挿入されるシークエンスが執拗に繰り返されて、両者の対立の本質が、「権謀術数とは無縁なリベラルな科学者⇔権謀術数を巡らし、上昇志向過剰な俗物」という対比の文脈であると理解してもなお、展開の散漫さとして受け止められてしまったのは事実。
「映画は、人々を絶望させたまま終わります。それは物語に必要なことでした。しかし、現実の社会では核の脅威に絶望すべきではない。私たちは核の脅威をできる限り減らすよう、政府に常に圧力をかけ、その危険性を認識することが必要です」
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クリストファー・ノーラン監督 |
「クローズアップ現代/2024年3月12日」における、クリストファー・ノーラン監督のインタビューでの言葉である。
私にとって、この物語で最も印象に残ったのは、ラビがオッペンハイマーに言い放った、「爆弾は善人も悪人も無差別に殺す。物理学300年の集大成が大量破壊兵器なのか」という言葉。
これが作り手のメッセージなのだろう。
【本稿の総括として、私たちがこの映画を通して認識しておかなければならない複数の重要な事実を書いておきたい。
その1 「確かにヒトラーは死んだ。だが日本がいる」「世界が恐怖を知った時、我々の仕事は人類の平和を確実にする」と言い切って、オッペンハイマーは原爆投下を正当化したこと。映画では描かれなかったが、長崎に原爆が投下された8月9日には、原爆使用は「戦争の早期終結につながり、世界にとって有益だ」という声明を出している。彼が「道徳的呵責」から「道徳的信念」への内的昇華したのは、被爆の実状を知ったこと。これ以外ではない。
その2 世界初の原爆使用については、既にドイツが降伏した時点で、原爆開発に携わった多くの物理学者や関係者は反対の立場を取ったこと。その中心人物はレオ・シラード。前述したように、彼は「アインシュタイン=シラードの手紙」によって原爆開発の開始に大きな役割を演じたにも拘らず、無警告の日本への原爆投下を阻止しようとして活動したと言われる。
その3 グローヴスが7月までの計画の成功に拘ったのは、7月17日のポツダム会議までに間に合わせることだった。2月のヤルタ会談ではソ連の対日参戦(ヤルタ密約)が決まっていたので、原爆開発の成功によってソ連参戦(8月9日)の前に原爆使用できれば、米国の日本の単独占領が可能であり、共産国家・ソ連との戦後体制を優位に構築できると考えていたからである。そしてポツダム会議二日目に、マンハッタン計画の成功の報がトルーマンに入ったことで、米国の思惑通りにコトが進むに至った。
その4 マンハッタン計画の成功が、何が何でもソ連参戦前に果たしたことが最重要事項だったが故に、日本の降伏には原爆は必要ないと米国が見做(みな)していたこと。「原爆投下は軍事的に見ればまったく不必要である。日本は降伏を準備している」マッカーサーの言葉である。日本の降伏は既に時間の問題だったのだ。「国体護持」(天皇制擁護)こそポツダム宣言受諾の絶対条件だった。ソ連の対日参戦により共産主義の影響が及び、日本は天皇制の崩壊を怖れていたということである。天皇の「聖断」もまた、その一点にあった。「原子爆弾が戦争を終わらせたのではなく、これが投下されたときには、日本はすでに敗れており、講和を求めていたのだ」(1945年11月、ニューヨークタイムズ)国務長官ジェームズ・バーンズの言葉である。彼はトルーマンに無警告で日本の市街地に原爆を投下するように主張した対日強硬派だった。
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ジェームズ・バーンズ(ウィキ)
その5 原爆は100万人の米兵の命を救うために投下され、実際に救ったとする主張、所謂、原爆正当化のための「100人神話」である。これは前記の説明で明確だが、全く根拠なく、元陸軍長官ヘンリー・スティムソンが政府から要請され、提示した神話でしかない。現に、米政府の戦略爆撃調査団が「原爆が投下されなかったとしても日本は降伏しただろう」と報告を出している。トルーマンも回顧録などで「50万の米国民」、「連合国軍将兵25万人、日本人25万人」などと提示し、数字を時々にが変えているのだ。数字が独り歩きしている事実を認知せざるを得ないのである】
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ヘンリー・スティムソン(ウィキ)
【参照】 「『原爆 何百万人の命救った』って本当?」 「米高官が原爆投下を正当化する発言 『日本救う慈悲深い行為』と」
(2025年8月)
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