1 「逃げ出したい。銀行に預金を持ち、尊敬できる妻と暮らしたい。善良な市民として」
アルベルトを団長とする巡業サーカス団(アルベルチ・サーカス)が豪雨に見舞われて、サーカス団はサーカス小屋を作るのに四苦八苦していた。
| サーカス団長アルベルト |
「動物に手をつけるしかない」
「やめて。そんなことしたら、あんたを殺すか、自分が死んだほうがマヒさ」
「どうする気だ、アルベルト。何とか言えよ」
「好きにすればいい。でも後悔することになる。アメリカのサーカス団は各地を巡業し、バンドが演奏、象はラッパを吹く。誰もが笑顔にあふれ、通りに列を作った人々は喝采を送り、がなり声が、その夜の興行を告知する。ワゴンも馬を捨てるな。最高の衣装を着るんだ」
「衣装は置いてきちまった」
「残ってるのを使えばいい。エクバーグが舞台に立ち、アントンは進行役だ」
「悪くないな」と反応するサーカス団員ら。
これで、一気に盛り上がるサーカス団員。
アルベルトのサーカス団が辿り着いた町は、妻のアグダと二人の子供を残して来た懐かしの町だった。
アルベルトの帰郷に嫉妬するのは、アルベルトの愛人のアン。
若い女曲馬師である。
「私を捨てないでね」
| アン |
アンの一言に、「心配するな」と答えるアルベルト。
近くにいるサーカス団長のシェベルイに衣装の借用を頼むアルベルトに対して、「いくら払える?」と問う。
「いくらなら?」とアルベルト。
「払えぬほどの額」とシェベルイ。
「なぜ侮辱を」
「我々は互いに恥知らずなくず集団。侮辱くらい堪え忍ばねば。我々は芸術を、あなた方は策略を練る。最善を尽くしても、我々はツバで返す。なぜか。あなた方は生活に、我々は誇りに命にかけている」
そう言いながら、シェベルイはアンを気に入ったからか、「あんたの勝ちだ。衣装は必要なだけ持っていくがいい」と言うのみ。
そのアンは他の劇団員のフランに言い寄られるが、「ひざまずいて。床に頭を打ちつけて」などと、屈辱的な言葉を浴びせるばかりだった。
| フラン |
興行の宣伝で賑わう町。
「あなたを失ったら私はどうなるの」
「愛してるよ」
「いえ、愛してないから奥さんと会うんだわ」
繰り返される問答に嫌気が差して、「勝手にしろ!」と言って小屋を出て行ってしまうアルベルト。
「あなたは子供を叱り、私はいつも怯えていた。つらい年月だった」
「なぜ黙ってた」
「愛していたから」
「初めは夢中になり愛に変わった。でもあなたがいなくなると、ひと晩ですべてが消えた」
「捨てたのではない。お前は聡明で俺はだらしない…ここは静かだ。変わらない夏も冬も。年が移っても、すべてそのまま」
「私は満たされている」
「俺は空虚なまま」
その頃、アンは若きフランを篭絡(ろうらく)しようとするが、逆に手籠(てご)め状態となる。
一方、アグダの家では、アルベルトは自分の思いの全てを、意を決して打ち明ける。
「君とやり直したい。年なのでサーカスはムリだ。戻りたくない。ここで静かに暮らし、2人で子供を育てよう…君は黙ったままか」
「何と言えば?」
「一緒に暮らすこと」
「いいえ、それはお断り。自由や平穏な心を奪われるのはごめんだわ」
帰路、アンを見て彼女の不倫を疑うアルベルトは激しい口論となる。
フランに脅されて彼と寝たことを告白したアンに対して、アルベルトは突き放つ。
「お前は奴に会いに行った。サーカスにも俺にもうんざりしてたからだ。俺たちはおしまいだ。地獄に堕ちるしかない」
そこに道化師のフロストが、「今夜のショーは評判になるぞ」と言いながら入って来た。
そのフロストに向かってアルベルトは吐露する。
「振り返ってみたが、誰ひとり憎んじゃいない。アンだって。不貞を働いたが。なのにお前は俺を嫌う。誰よりも自分を嫌ってるが、俺は人間が好きだ。誰にもやさしい。恐れてもいない。サーカスの地方巡業も好きじゃないんだ。逃げ出したい。銀行に預金を持ち、尊敬できる妻と暮らしたい。善良な市民として」
ここまで言った後、アンの顔を見て言い放つアルベルト。
「アン。お前はそんな妻にはなれん」
人生に絶望したアルベルトは拳銃を取り出し、自殺しようと図るが無理だった。
そして迎えた巡業の夜。
道化師フロストの滑稽な演技が客席を楽しませるが、その後、出て来たアンの曲馬の演技でフランの声援に気づいたアルベルトがフランを睨みつけ、フランも睨み返した。
| アン |
【曲馬とは馬を操る芸のこと】
アルベルトがフランを鞭で彼の帽子を叩(はた)き、その帽子を取りに来たフランと対決の運びとなる。
この対決を主導したのは衣装を無料で貸したシェベルイだった。
2人は取っ組み合いになり、一方的にやられっぱなしのアルベルトが倒されてショーは終焉するに至る。
アンがフランに向かっていったのはこの時だった。
見知らぬ女性をフランが随伴させていたことへの怒りだろう。
打ち拉(ひし)がれたアルベルトと、アルベルトを案じるアン。
アルベルトは小屋に籠って、拳銃(リボルバー)に1発だけ実弾を装填するロシアンルーレット(1回目で当たる確率は約16.7%)て銃の引き金を引くが、外に向かって発射した3度目で音が出て、思わず銃を手放した。
直後、心配したフロストが「アルベルト、死んだのか。生きてるんだな。ドアを開けろ」と叫んだ。
「放っといてくれ」とアルベルト。
自殺を決行できなくて惨めさを存分に味わったアルベルトは今、劇団員がいる戸外に拳銃を手に持って出て、アルマが可愛がっている熊を射殺した後、馬の厩舎で号泣する。
アルベルトに寄り添うアンを随伴させ、再び巡業の旅に出る一行。
2 自尊心の崩壊と、掻きむしられる屈辱感の行方
初老のサーカス巡業団長アルベルトは、今や拠って立つ〈生〉の基盤が崩れかかっていた。
「君とやり直したい。年なのでサーカスはムリだ。戻りたくない。ここで静かに暮らし、2人で子供を育てよう」
3年ぶりの帰還によって、ここまで言い切った男に、「いいえ、それはお断り。自由や平穏な心を奪われるのはごめんだわ」と一刀両断で切り返す妻アグダ。
加えて、「初めは夢中になり愛に変わった。でもあなたがいなくなると、ひと晩ですべてが消えた」と言われた男の存在価値は、「ひと晩ですべてが消え」る何ものかでしかなかったのだ。
決定的な一撃を受け、男には反論の余地がない。
男はただ、「ここは静かだ。変わらない夏も冬も。年が移っても、すべてそのまま」の普通の生活を求めたに過ぎないが、「私は満たされている」という一言で処理されてしまう。
もう、そこに平穏なコミュニケーションが成立しない。
「俺は空虚なまま」と漏らす男には何もない。
言葉も紡ぎ出せない。
私の大好きな「スケアクロウ」のライオンが戻るべき家にいる妻アニーから拒絶され、自我の崩壊を露わにしてしまったように、未来に通じる時間を丸ごと削り取られた悲哀だけが置き去りにされた。
| 【「フランシス、子供のことは聞かないの?…死んだわ。死んだのよ…月も満たずに、あのあと、すぐ流産を…生まれもせずに。洗礼もなし。分かっているの?天国へ行けないのよ。あなたは自分の子供を闇から闇に葬った!天国へも行けない!」(「スケアクロウ」より)】 |
| 「スケアクロウ」より |
ライオンの悲劇の破壊力は、男児か女児か、まだ見ぬ我が子のためにランプスタンドを後生大事(ごしょうだいじ)に抱えて帰還した行為そのものに垣間見える。
| 「スケアクロウ」より |
アルベルトが陥った悲哀もまた尋常ではなかった。
決して寄り道ではないその帰還のみに、自らの近未来のイメージを思い描き、身を賭(と)して恐怖突入した向こうに待っていた時間の苛酷さ。
「俺は空虚なまま」の陰鬱な時間が延長され、自業自得ながらアンにも裏切られ、アンを奪い取ったフランとの「決闘」では健壮感の圧倒的落差によって完膚なきまで粉砕される。
自殺もできない男の惨めさだけが炙り出される物語はどこまでも暗く、救いもない。
自尊心の崩壊と、掻きむしられる屈辱感の行方。
アルベルトの裂(さ)かれた自我の重苦しさが描く世界に、一体、何が可能だったのか。
どこまでも貧しいサーカス巡業団が向かう時間の果てには、その日、生きる糧をも手に入れられず、パーソナルな躯体(くたい)を抱えて無残に散っていく未来像しか描けないのだ。
物語を貫流する自業自得に起因する自尊心の崩壊と屈辱感は、サイレントのようなエピソードで始まる冒頭の15分間の中で、既に充分に映像提示されていた。
それを簡単に再現してみる。
7年前のこと。
軍隊が海岸で射撃していたところに道化師フロストの妻アルマが通りかかり、女王のような振る舞いで、暑さで休む兵士らの注目を浴び、裸になって男たちと海で泳いでいた。
| アルマ |
その話を耳にしたフロストは、取るものもとりあえず海に向かった。
| フロスト |
その光景を見たフロストは兵士らに笑われながら、素足になってアルマを助けに行く。
アルマを抱いたフロストは一歩一歩陸に上がって来て、焼石を踏みながら進んでいくのだ。
誰も手を貸さない傍観者らに罵声を浴びせるアルマ。
倒れて動けなくなったフロストをサーカス小屋の面々が援助に入り運んでいったというエピソードだが、何よりアルマの自業自得だったという結論に落ち着くのである。
まさに物語総体を通底する自尊心の崩壊と、掻きむしられる屈辱感の行方。
その復元に支払う代償の重さが容易ではないことを暗示しているのだ。
(2026年3月)
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