チリ映画の金字塔。ダニエラ・ヴェガの圧巻の表現力
1 「場所はどこです?そっとお別れを」「来る気なの?」「行く権利はあるわ」
チリの首都サンティエゴ。
ナイトクラブの歌姫マリーナは今日も歌っている。
| マリーナ |
昼はウェイトレスとして働くトランスジェンダーの彼女には、心から愛する初老のパートナーがいる。
妻と離婚し、マリーナと深い恋仲である会社経営者のオルランドである。
| オルランド |
その日はマリーナの誕生日だった。
オルランドは、マリーナのために世界七不思議の滝の1つであるイグアスの滝への旅行というプレゼントを用意したが、航空チケット失くしてしまったため、10日以内に旅行へ連れて行くという約束をした。
体を寄せ合いながら踊るマリーナとオルランドは、自宅アパートで愛し合う。
オルランドが激しい頭痛に襲われ、ベッドから抜け出て階段から転落して、早急に病院に向かったのは、その直後だった。
医師から意識が回復せず、動脈瘤で急逝してしまうオルランドの容態を知らされ、病院の一角で倒れてしまうマリーナ。
あまりの衝撃で、化粧室で心を休めるようにするマリーナは、オルランドの弟ガボ(ガブリエル)に電話をかけ、事情を説明する。
事件性を疑った警察の尋問があるが、そこにガボが現れ、マリーナに代わって、二人の関係を警察に説明し、彼女を擁護する。
| ガボ(左) |
そんな状況下で、仕事に出るマリーナ。
そこにオルランドの元妻ソニアから電話が入り、「事務的なことは一緒にやってね」と言われ、承諾するマリーナ。
更に、アドリアーナ・コルテス(以下、コルテス)という性犯罪を捜査する女性刑事がマリーナを訪ねて来た。
「オネット(オルランド)の体には擦り傷と殴打痕が。両腕、脇腹、首に。頭部に外傷も。どの傷も新しい」
「全部、医者に話した。彼の家族は何て?」
| コルテス刑事(右) |
「私は現場に出て23年。性犯罪捜査は14年。修士号も持ってる。そういう人たち…失礼。あなたみたいな女性は心得てる。何もかも。あなたを支えたいの。正当防衛とか?」
「逮捕なの?」
「いいえ」
「行くわ」
「ちょっと待って」
「仕事が終わったら電話して。ちゃんと話を」
オルランドの車や私物をソニアに戻すことで、彼と共にした自宅で、独り哀しみに暮れるマリーナ。
自宅アパートで、マリーナは理解されない心の痛みを抱え、シャドーボクシングのポーズを取って、腕を振り回すのだ。
【それ以前に、勤務するレストランで、マリーナがパンチングマシンを殴るシーンもあった】
そこに、オルランドの息子ブルーノが勝手に上がり込んで来て、彼女にアパートからの転居を求めた。
「このアパートを、いつ出る?」とブルーノ。
「何かあれば知らせる」とマリーナ。
「だから、いつだ?」
| ブルーノ |
「数週間後」
「それじゃダメだ。何日か言え。追い出すぞ」
「出てって」
「お前の家じゃない…信じられん。父は気が狂った。いいか。何も盗むなよ」
そう言い捨てて、ブルーノは去っていく。
ソニアに車を戻しにいくマリーナ。
「この1年、あなたをずっと想像してた。想像と全然、違うわ」とソニア。
| ソニア |
「そうでしょうね、奥様。生身の人間だし」
「違うの。あの人と一緒の姿を想像できない。“奥様”はやめて」
マリーナは車の鍵をソニアに戻す。
「言いづらいんだけど、アパートは早めに引き渡して」
「ええ。分かりました。ソニア、本当に残念です」
「何が?この昼メロみたいな話?」
「こんなことになって」
「そうね。オルランドとは38歳の時に結婚したの。ごく普通の夫婦で、普通に暮らしてた。そんな彼から、事情を説明された。私は…こう思った。あなたを傷つけたらごめんなさい。でも、こう思ったの。変態だって。ごめんね。目の前のあなたが理解できない。神話の怪物みたい」
「キマイラ…」
「ごめん」
「謝らないで。それが普通よ。気にしないで」
そう言って、駐車場を去っていくマリーナ。
【キマイラとは、ギリシャ神話に登場する怪物で、異形の獣のこと】
帰り際、「今日のお通夜には7歳の娘も来る」とソニア。
「場所はどこです?そっとお別れを」
「来る気なの?」
「行く権利はあるわ」
「今はもう、私の問題よ。あなたはつらい目に遭った。あとは私に任せて。あなたは十分やってくれた。どこにも行かず、何もせず、ゆっくり休んで。思うようにはしない。お互い、納得のいく方法で…」
「お金は要りません。あなたが警察を?」
「失礼はお詫びする。でも、愛する人を守りたいの」
「オルランドを愛してた」
「通夜も葬儀も来ないで。いい?これ以上は説明できない。ダニエル(マリーナの本名)、葬儀にもどこにも来ないで。私たち家族だけで静かに葬儀をさせて。家族全員、ショックでうちひしがれてる」
そこまで言って、ソニアは帰っていく。
その後、コルテス刑事を訪ねたマリーナは、外傷の有無を確かめるために身体検査をすると言われ、マリーナを拘束する。
渋々、応じるマリーナは上半身の写真を撮られる。
「下も脱いで。すぐ終わる」と警察医。
それに応じるマリーナ。
全身を見せる屈辱的な体験だった。
【マリーナのようなトランスジェンダーは生物学的な性と、自らが認識する性が一致しない人で、現在、「性同一性障害」と言われるので「性別適合手術」をして、精巣(睾丸)切除、陰茎切除などの外性器の切除、または乳房切除、子宮・卵巣摘出術、膣閉鎖、陰茎形成術など自らが望む性に性転換することが可能になるが、どこまで行うかは本人の自由である。マリーナがホルモン治療で乳房を豊かにしているだろうが、「性別適合手術」をしていないと思われるのは、コルテス刑事の言動などで推量できる】
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| 性別適合手術 |
2 「こんな木陰は 今までなかった とても優しくて 愛おしい 心地よく 甘美な木陰」
ガボから電話が入る。
「オルランドを火葬する。本人の望みだ。これから言うことはソニアは知らないことだ。君にも少し譲りたい。足の遺灰を」
「気持ちだけで結構です」
「君は受け取るべきだよ」
「その代わり、参列するな?」
「私は来てほしい」
「今、食事中よ」
「邪魔してすまなかった」
「じゃ、切るわ」
「待ってくれ。まだ話が…」
その後、マリーナは癒しを求めて、歌の師匠の元を訪ねる。
「なぜ、来たのかしら?」とマリーナ。
「歌いに来た」
「愛を探しに来たのかも」
「愛は探せない」
「聖フランシスコみたいに言わないで」
「聖フランシスコは言わん。“愛をくれ。平和をくれ。あれをくれ。これをくれ”とは。彼は言う。“私を君の愛の動機に。私を君の平和の手段に”」
| 歌の師匠 |
彼女の歌の師匠は、「聖フランシスコのように、愛は与えるものなのだ」と言っているのだ。
愛を失ったマリーナが迷う愛の行方が束の間、癒されて歌唱するのだ。
【聖フランシスコとは、生きながらにして聖人視された行為で知られる中世イタリアのカトリック修道士。ハンセン氏病患者に自ら近づき、抱擁してキスしたという伝説が知られる】
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| 自然を愛し、清貧に生きた聖人〜アッシジの聖フランチェスコ |
その直後のシーンは、強風に身を預けたマリーナが、向かい風の只中で前に進もうとする象徴的なシーンだった。
今や、マジョリティという敵に打たれ続けるマリーナの孤立を描いているのである。
マジョリティからの攻勢は、帰宅後の光景でネガティブに表現されていた。
飼い犬のディアブラまで奪われたばかりか、ドアの外に自分の私物が放り出され、テーブルの上には食べ残りのピザや酒瓶が汚く散らされていた。
ブルーノの仕業であることは明白だった。
姉夫婦に助けを求め、家を出ることにしたマリーナが取った行動は、オルランドの通夜(神父と共に祈りを捧げる儀式)を行っている教会へ向かったのである。
ソニアに追い出されてしまった後、ブルーノらから「他の家族を壊せよ、バケモノ」などと罵られた挙句、車に乗せられ、セロハンテープで顔を醜く巻かれ、追い出されてしまうのだ。
屈辱の感情を晴らすため、クラブに入って行きずりの男とキスし、オーラルセックスに及ぶが、オルランドを幻視するマリーナ。
【この時、男はマリーナを「女」と見ていることが推量される】
姉夫婦の家に帰宅したマリーナは、新聞に葬儀の予定が掲載されている事実を知る。
レストランの仕事に就き、そこで自らが持つオルランドの鍵がサウナの鍵であることが判明する。
サウナに行ったたマリーナは、男女別々のため、男性側に入るために髪を後ろに縛り、タオルを胸に巻きなおして入っていく。
ロッカーを開けたが、中は暗く、何も入ってなかったのか、それともイグアスの滝のチケット、或いは、その他のものが入っていたのか一切不分明。
サウナから出るとタクシーで葬儀場へ向かうが、その途中でソニアたちを乗せた車と遭遇する。
「葬儀は終わったわ。帰って。どっか行って。イカレた男は消えて」とソニア。
「彼女は女性だ」とガボ。
「女じゃない。どけ、オカマ野郎!消えろ!」とブルーーノ。
【このシーンで、「イカレた男」、「オカマ野郎」という言辞を発するソニアとブルーーノが、マリーナを「女性」と見ていないことが判然とする。共にソニアが言う「キマイラ」という侮蔑の記号こそが、マリーナを表象化しているのだろう。明確に言えるのは、マリーナは生物学的な性は「男」だが、自らが認識する性が「女」という「トランス女性」であることだ】
直後、マリーナは彼らの車の上に乗り、飛び跳ねるのだ。
大きく4回飛び跳ねた後、マリーナは「オルランドの鍵よ」と言うや、鍵を投げつけて去っていく。
その足で葬儀場へ行くが、既に葬儀は終わっていた。
諦めて帰路に就くマリーナが、そこで見たのは葬儀場に入っていく一人の男性の姿。
その男性を追うマリーナ。
建物の地下へ向かった男性はオルランドだった。
オルランドはマリーナにキスしようとするが、マリーナは躊躇する。
オルランドは他界しているのだ。
それでも、オルランドのキスを受け入れるマリーナ。
オルランドが去っていく。
マリーナは、その後を追っていく。
目の前に現れたのは、火葬寸前のオルランドの遺体だった。
遺体の手を握るマリーナは、涙を流す。
愛する人への最後の別れだった。
オルランドとの別離の儀式を終えた今、取り戻した愛犬ディアブラと、ジョギングをするマリーナ。
全裸でソファーに横たわるマリーナは、股間に鏡を乗せて、そこに映し出される自分の顔を見ている。
「これが私だ。ナチュラルウーマンだ」
そう言っているようだった。
【この映画で、鏡のイメージは極めて能動的な意味を与えられているように見える】
ディアブラに餌を与えたマリーナは、夜の仕事に出ていく。
ラストシーン。
「歌姫」となって、歌の師匠のピアノの旋律に合わせて、「ヘンデルのラルゴ」と呼ばれる「オンブラ・マイ・フ」を熱唱するのだ。
こんな木陰は
今までなかった
とても優しくて 愛おしい
心地よく 甘美な木陰
こんな木陰は
今までなかった
とても優しくて 愛おしい
心地よく 甘美な木陰
3 今は見えなくても雪の下には花がある
「人は一人ひとり皆違う。人間が多様であることを認め合い、受け入れ合えれば、私たちはもっとオープンになれるし、幸せになれる」(「映画「ナチュラルウーマン」主演女優ダニエラ・ヴェガさん独占インタビュー」より)
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| ダニエラ・ヴェガ |
ダニエラ・ヴェガの言葉である。
本作は、この単純だが、その実、厄介な映画を根源的に支え切っている表現だった。
そのことを象徴しているシーンがある。
強風に身を預けたマリーナが、向かい風の只中で前に進もうとする象徴的なシーンである。
「世間」という風圧の頑なさに、マリーナは前へ進むことができないでいた。
しかし、それでも押し戻されることなく、踏みとどまっている。
「目の前のあなたが理解できない。神話の怪物みたい」
オルランドの元妻ソニアの法外の言い回しである。
キマイラと蔑称されても、「あるがままの女性」としてのナチュラルウーマンという自分らしさを守るために、「性の多様性」という真実にとうてい届き得ないマジョリティからの攻勢を全身で受けても、怯まない主人公の壮絶な葛藤をシンボライズさせているのだ。
今や、マジョリティという見えない無数の敵に打たれ続けるマリーナの、その絶対的な孤立を際立たせているのである。
マジョリティからの攻勢は、歌の師匠宅からの帰宅後の光景でネガティブに表現されていた。
「愛を探しに来たのかも」と言って、マリーナの歌の師匠が「愛は探せない」と答えた時の、正鵠を射る反応で一時の癒しを得ている。
粗筋でも書いたが、彼女の歌の師匠は、「愛は与えるものなのだ」と表現したのだ。
ところが、前述したように、帰宅するや、飼い犬のディアブラまで奪われたばかりか、ドアの外に自分の私物が放り出され、テーブルの上には食べ残りのピザや酒瓶が汚く散らされていた。
ブルーノの仕業だが、あからさまな存在そのものの否定である。
それでもめげないマリーナの魂の強靭さは、セロハンテープの一件がそうであったように、露骨な暴力に対して暴力で返報せずに、且つ闘いを諦めないところにある。
「今は見えなくても雪の下には花がある。それを誰が見付けてくれるのか。先を行く人たちが、そこに花があることを知り、踏みにじることなく歩いて行けば、次の世代はそれを受け入れ、共感し、より自由に歩いて行ける。次世代に早く春が来るような足跡を一人ひとりが残すことができたら、社会はきっとよくなると思うのです」
これも、この秀作を全面的に受け入れたダニエラ・ヴェガの卓越した指摘である。
「今は見えなくても雪の下には花がある」のだ。
だから、その花を「踏みにじることなく歩いて行け」。
一般大衆というマジョリティを頭一つ抜け出る先人が、「沈黙の螺旋」を打破して問題の本質を問い、「差別」という障壁を問い続けて思考の限界を突き抜けていくこと。
その問いを皆で共有してゆくことである。
メルロー=ポンティ流に言えば、問うことは世界と繋がる手立てなのだ。
ここまで突き進んでいくことこそ、何より喫緊の課題なのだ。
「雪の下の花」を見付けてくれるのは、時代の先を行く人たちの使命である。
【沈黙の螺旋とは、少数派が孤立を恐れて沈黙し、結果的に多数派の意見が強化されていく現象のこと】
元より、闘いを諦めないマリーナの心理のコアにあるのは、2点に集約される。
1点目は、オルランドとの別れ。
彼女は未だ、オルランドとの別れの儀式を遂行していないのだ。
だから、心が穏やかになれない。
何としても、別離の儀式を遂行せずに日常性を復元できないのだ。
自我が宙刷りにされたままでは、時間を手に入れられないのである。
常に極限の淵に立たされているマリーナの、それ以外にない「物語」を完結させていくには障壁が堅固すぎる。
闘うことだけが彼女の尊厳を守るのである。
立ち塞がる破壊的暴力に立ち向かうのだ。
反逆するのである。
かくて、彼女の打たれ強さが映像総体を通して可視化されたのである。
ここでいう尊厳・打たれ強さ(粘り強さ)・反逆の3点が、この映画の骨子にある。
実はこのことは、ダニエラ・ヴェガ自身が、来日インタビューの中で以下のように語っている。
「監督とも話して、『尊厳・粘り強さ・反逆性』という普遍的な女性性の3つの要素を柱にこの役を構築しました。この3つの要素の上にマリーナのキャラクターを築いていくと決めました」
俳優本人のメッセージに耳を傾けることの大切さを痛感する次第である。
闘いを諦めないマリーナの心理のコアの2点目は、愛犬ディアブラを取り戻すこと。
言うまでもなく、ディアブラこそ、オルランドと自らを繋ぐ大切な天からの贈りものなのだ。
ディアブラを奪われたマリーナが、車の上に乗って、「私の・犬を・返せ」と叫んだのは当然のことだった。
自らがナチュラルウーマンであることを否定し、キマイラと蔑称する尖ったマジョリティの一端の金満家連中と闘い切ったマリーナの凄みは、闘う価値もないような詰まらない連中の度肝を抜き、白旗を上げさせた結果、ディアブラを取り戻すのだ。
これで一件落着となって、16〜18世紀のイタリアで、変声期前に去勢され、高音域を保った男性歌手・カストラートのために作られた、ヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」を熱唱するマリーナが、そこにいる。
だから、いつまでも鏡を見て、髪を後ろで結い、カストラートとなって美しい高音を聴かせてくれるのだ。
【余稿】
両足の間に丸い鏡を入れる重要なシーンがある。
以下、ダニエラ・ヴェガの言葉。
「この映画の中で一番象徴的なシーンに仕上がったと思っています。鏡の中にマリーナの顔が見えることで、『その後ろにあるものは関係ない』というのが分かるシーンだから。彼女の顔を見て、瞳で、あそこで分かる。私の好きなシーンのひとつです」(「トランスジェンダーの新星ダニエラ・ヴェガ、主演作『ナチュラルウーマン』で観客に問う「あなたはどの立場から観ていますか」【来日インタビュー】」より)
まさに、「その後ろにあるものは関係ない」のである。
マリーナには、彼女なりの生き方がある。
ペニスがついていようが、どうでもいいことなのだ。
「一番大事なのは、自身への恐れへの反逆、恐れることを恐れないこと、そして見返りを期待しない愛を持つことだと思います」
これが、本作の究極のメッセージかも知れない。
【私の好きな「ナチュラルウーマン」に関しては、2022年4月の批評もあるので、良かったら参考にしてください】
(2026年8月)







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