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2014年12月7日日曜日

迷子の警察音楽隊(‘07)     エラン・コリリン


<異文化交流の困難さを突破する非言語コミュニケーションの底力>




1  「わが楽団は、25年間、自力でやって来た。それを変えるつもりはない」



スカイブルーの制服を着た8人の男たちが、イスラエルの空港の車両乗降場で待機している。

彼らはイスラエル文化局に招かれ、ベイトハティクヴァのアラブ文化センターで演奏するために、エジプトからやって来た警察音楽隊である。

しかし今、送迎車を待っているのだが、いつまで待っても迎えが来ない。

「バスもある。住所も知っている。問題ない」
「大使館に電話して、世話になればいい」
「わが楽団は、25年間、自力でやって来た。それを変えるつもりはない」

「自力でやって来た」ことを誇る男の名は、トゥフィーク・ザカーリア(以下、トゥフィー)。

このトゥフィークが音楽隊の団長で、指揮を担当する男。

繰り返し、トゥフィークが市役所に電話すれども、電話が切られるばかりで、全く埒が明かなかった。

トゥフィークは、バイオリンとトランペット担当の若い楽団員・カーレドに、案内所でベイトハティクヴァの場所を聞いてくるように指示した。

不承不承、引き受けたカーレドは、案内所の女の子に、チェット・ベイカーの 「マイ・ファニー・バレンタイン」を歌って聞かせるだけで、命じられた仕事に全く無関心だった。

路線バスに乗り、ベイトハティクヴァに降りた楽団員たちの視界に侵入してきた世界は、集合住宅が画一的に建ち並ぶだけで、他には何もない荒寥たる風景だった。

ディナの店・左がイツィク
そんな風景の中を歩き続け、辿り着いた小さな食堂。

そこで、今や、ほぼ「万国共通語」と化す英語で、ディナという名の女主人と話をするうちに、決定的なミスに気がついた。

「ペタハ・ティクヴァね?」とディナ。

どうやら、外国語に変換できないアラビア語の発音によって、「ベ」と「ペ」を間違えたらしいのだ。

それは、異文化交流の困難さを示す第一歩だった。

未だそれを認知し得ないトゥフィークは、カーレドのミスと決めつけ、帰国後に即刻、馘首すると言い渡す。

ここまで言われても懲りないカーレドは、ひたすら見知らぬ土地を歩かされるばかりの状態に不満を持ち、食事を摂ることを要求する。

「腹が減っては、演奏に響きます。さっきの店に頼みましょう。あとは考えるとして」

副団長として20年もの間、トゥフィークを支えてきた副団長のシモン(クラリネット担当)の、この援護射撃がなければ、間違いなく、秩序の維持に鈍感なカーレドに何某かのパワハラ紛いの行為を加えていたに違いない。

これで全てが決まった。

歩いて来た道を戻り、無言で先頭に立つトゥフィークは、食堂の前に凛として立ち、生憎(あいにく)、イスラエルの通貨がないことを告げながら、食事の依頼をするが、いとも簡単に引き受ける女主人ディナ。

どうやら、ディナの店では、異文化交流の困難さが大きな障壁になっていないようだった。

そのディナの店には、明らかに、中東戦争でのイスラエルの勝利を示す写真が掲示されていて、それを一瞥する楽団員の複雑な表情。

食事後、シモンは食堂の前でクラリネットを演奏するが、途中で止めてしまう。

彼には、自作の協奏曲の序曲が未完成なのである。

それを完成させることが、シモンのアイデンティティであることを提示するシーンだった。

トゥフィークとディナ①
自力で生きていくことを本分とするトゥフィークであっても、明日の夕方に演奏予定の異国の楽団が、「もう、バスはない」と言うディナの言葉を耳にすれば、今や、ディナに頼む以外に方略がなかった。

それでも自分から切り出せないトゥフィークに対して、8人全員を分宿させることを提示したディナの差配によって、たまたま店にいたイツィク、そしてディナの家、ディナの食堂という風に、忽ちのうちに決断するイスラエルの女の度量の広さが際立っていた。

「私たちは、あなたたちを泊めるのが光栄なの」
「大使館に助けてもらいます」

こんな状況下でも、異国の住人の援助をに素直に受容し切れないトゥフィークに対して、彼のプライドを傷つけないように、柔和にアウトリーチするディナの言葉で一切が決まった。



2  「もし人生が もう一度あるならば 一瞬たりとも 変えたくないよ」



ディナの家に泊った楽団員は、トゥフィークとカーレド。

寡黙でストイックなトゥフィークに関心を持ったディナは、その夜、彼を誘い、赤いドレスを着込んで、街に出て行った。

一方、失業中のイツィクの家に分宿したシモンら3人は、気まずい夕食を囲んでいた。

それと言うのも、この日は、イツィクの妻の誕生日に当たっていたからである。

強引に分宿させられたイツィクの妻にとって、「最悪の誕生日」を迎えたわけだ。

イツィクの家族は、寡黙な楽団員たちへの不満を、彼らにしか分らないヘブライ語で会話する。

左がイツィク、右がイツィクの父
普通の会話を英語で話す流れの中で、音楽好きのイツィクの父が、場を和ませようとして、音楽の話題を振ってくる。

「ビートルズにストーンズに、ユダヤ民謡、何でもだ」

イツィクの父は、音楽が縁で結婚したという話をするが、この仮構された空気に楽団員たちは全く乗っていけず、またしても気まずい沈黙が続く。

その沈黙を破ったのは、ジャズの名曲・「サマータイム」の遠慮げな合唱だった。

空気の淀みが、ほんの少し浄化されていくが、後続がない1回完結の単発的な異文化交流の困難さが、却って浮き彫りにされてしまうのだ。

その頃、ディナの誘いで街に出て行ったトゥフィークは、閑散としたカフェでアイスコーヒーを飲んでいる。

「ウム・クルスーム」

アラブ世界の歌手の中で最も有名で、愛された女性歌手の名である。

「どんな音楽を演奏するか」というディナの質問の中に出た話題の歌手で、それを肯定するトゥフィーク。

「なぜ警察官が、そんなのを?」とディナ。
「では、なぜ人には魂が必要です?」

トゥフィークとディナ②
仕事と人格が統一されたようなトゥフィークの鋭利な反問に、真摯で誠実な人柄を感じ取ったディナは、素直に謝罪する。

「近頃、音楽は大切にされません」
「つまり?」
「人は他のことで忙しい。金儲けや効率化や値踏みで」
「皆、バカよね?」
「ええ。たまに、そう思います」

如何にもトゥフィークらしいこの会話の中に、作り手のメッセージが仮託されているのだろう。

同様に、ディナの家に一人残っていたカーレドが、夜の町に出て、地元の青年パティと落合い、パティのデートの相手と合流していた。

如何にもカーレドらしい時間の使い方だった。

「デートに慣れてないな?」とカーレド。
「ああ。海鳴りがするんだ。女の子と会うと、頭が混乱して、話したいのに海鳴りがする」

海鳴りの擬声音を表現するパティの反応である。

女性を口説けないパティを指南するカーレド。

ローラースケート場での出来事だった。

その後の、ディナとトゥフィーク。

ディナの積極的なアプローチに誘(いざな)われ、トゥフィークの表情から笑みが零れていく。

トゥフィークとディナ③
楽団の指揮の方法を聞くディナに、身振り手振りで指揮棒を振って、その時の情感を伝えようとするのだ。

笑みを共有する二人。

ここから開かれる重要な会話を通して、見知らぬ他人に容易に話せないトゥフィークのプライバシーを吐露させたもの ―― それは、ディナが作った柔和な空気だった。

「世界で一番大事なことね」
「一番大事なのは魚釣りさ」
「魚釣り?まさか!退屈だわ。日がな、座ってるのよ」
「とても楽しいよ。水の音が聴こえて。波音や、遠くの浜辺で遊ぶ子供たちの声も。エサが水に落ちる音も。総長の海では、全てが聴こえる。交響曲のように・・・」
「釣った魚、自分で料理するの?」
「たいてい釣れない。釣れても海に返すんだ」
「本当?」
「妻が生きてる頃は料理してくれたが、今は海に返してる」
「亡くなったの?」
「ああ」
「だいぶ経つの?」
「3年ほどになる」
「辛いことを話させたわ」
「構わないよ。時には、誰かに話すといいらしいからね」

その後、亡妻との馴れ初めを話すほどの時間を繋ぐが、それだけだった。

当然ながら、彼には、まだまだ他人に話せないプライバシーがあるのだろう。

ディナから限りなく愛の告白に近い思いを受けたトゥフィークは、封印していたプライバシーをも解いていく。

「妻のことだが、亡くなったのは私のせいだ。私らの息子は、とても賢い子だった。だが、誤りを犯した時、私はきつく叱った。分ってなかった。妻に似て繊細で、傷つきやすい子だとは理解していなかった。息子は命を絶った。妻は嘆き哀しみ・・・君に子供は?」

ディナ
この告白を聞き、ショックを隠し切れないディナが、今度は自分のことを話していく。

「いないわ・・・産めた時は、いろいろ忙しくて、欲しい時は遅かった」
「残念だ。良い女性なのに」
「そう思う?」
「思うとも」

ディナの瞳に、うっすらと涙が浮かんだ。

自らが原因で妻子を喪った男と、子供を産める機を逸したばかりに離縁に至ったであろう女との、そこだけは容易に超えられない距離感。

それは同時に、男の防衛的告白によって、その男への女の泡沫(うたかた)の恋が、1日限定の恋に終わってしまった現実を示唆するものだった。

その後の、カーレドとパティ。

ローラースケート場で、パティが相手にしなかった従妹が泣いていた。

それを見て、パティにハンカチを渡すカーレド。

そのハンカチをパティから受け取って、涙を拭う従妹。

更に、カーレド経由で、パティは従妹に飲み物を手渡すのだ。

それを飲む従妹。

「お前も飲むんだ」

これもクリアし、今度は身体表現への「恋の指南」に繋がっていく。

右からカーレド、パティ
これで、パティの恋は軟着したのである。

自分では何もできないパティへの、カーレドの「恋の指南」を、ワンカットで提示する映像のオフビート感覚は絶妙だった。

「恋の指南」を終えたカーレドは、トゥフィークと共に帰宅したディナの部屋に戻って来た。

チェット・ベイカーを知らないと言うディナに、大好きな「マイ・ファニー・バレンタイン」をトランペットで演奏し、ディナの心情を溶かしていく。

ディナは二人にワインを誘うが、自らの立場を考えて遠慮するトゥフィークを残して、ディナと二人だけになったカーレドは、恰も、女の心の言外の意を汲み取ったかの如く、男女関係を結んでいく。

二人の関係を視認したトゥフィークは、何も言わず、自分の寝床に戻っていった。

何より、ディナの心情が理解できているからだ。

この時点で、トゥフィークの思いは、「エジプトの警察音楽隊」の象徴である、「制服」という記号で縛りつけている若い団員の閉塞感を解放させてあげたかったと言うよりも、直截(ちょくさい)に言えば、ディナの心情を一時(いっとき)癒す相手として、最も相応しいカーレドに丸投げしたと見ていいだろう。

その後の、イツィクの家でのシモン。

自作の協奏曲の序曲が未完成なシモンに興味を持ったイツィクは、彼のイメージをシモンにアドバイスする。

「トランペットやバイオリンで盛り上げるんじゃなくて、こんな感じがいい。不意に静まるんだ。哀しくも楽しくもなく、まるで、小部屋のように、明かりとべっドだけ。赤ん坊が眠り・・・あとは・・・深い寂しさが・・・」

それだけ言い添えて、イツィクは部屋を去っていく。

イツィクの赤ん坊がスヤスヤと眠っている小さな部屋で、赤ん坊と対話するかのように、シモンは突然浮かんだイメージを口ずさむ。

右がシモン
それだけはどうしても自己完結させたい思いが強い彼の内側で、今、何かが動いたようだった。

素晴らしいシーンだった。

一方、食堂に残った最も高齢な団員は、戸外に出て、ベンチに座り、一人で恋の歌を歌っている。

若い娘よ 
美しく咲いた光の花よ
答えておくれ
僕を幸せにするのは何?
答えておくれ 僕の問いかけに
孤独な僕は
不安と思慕の中

オフビートの構図だが、他の二人の団員たちのチェロや民族楽器の演奏が、彼の歌唱をフォローする哀感が漂う絵柄に、ミニマムな笑いよりも感銘を受けるシーンだった。

朝が来た。

「さよなら」

そう言い合って、トゥフィークとディナは、余情を残す別れを結んだ。

お互いに、小さく手を振り合って別れていく。

トゥフィークの促しで、他の団員たちも手を振り合うのだ。

たった1日だが、「制服」という記号を一時(いっとき)解放させた者も、最後まで、「制服」という記号を解放させなかった者も含めて、「非日常」が分娩した、想定し得ないもう一つの「非日常」の時間が、こうして閉じていったのである。

ラストシーン。

トゥフィークの歌唱と指揮
青空の下での「エジプト警察音楽隊」の演奏が、トゥフィークの歌唱と指揮によって、大勢のイスラエル市民の前で開かれていった。

ああ 私の夜よ
ああ 私の夜よ
私の心が 解き放たれていくよ
永遠に光輝く
真夏の太陽の下で
忘れ去られた日々が
美しく蘇るよ
2人の過去の思い出が
孤独の甘い日々が
もし人生が もう一度あるならば
一瞬たりとも 変えたくないよ
この素晴らしい日々を

まるで、別れたばかりの女への想いを託すかのようなトゥフィークの歌唱は、観る者の心に強烈に焼き付ける中でフェードアウトしていった。



3  異文化交流の困難さを突破する非言語コミュニケーションの底力



「間」と「展開外し」の手法を駆使する、オフビートコメディという枠では括り切れないヒューマンドラマの、その絶妙な味付けに素直に共感できる映画だった。

この映画は、異文化交流の困難さを、ほぼ「万国共通語」と化す、英語という言語コミュニケーションというツールで補填し、最も肝心な心的交流の困難さを、国境を容易に超える、音楽に象徴される非言語コミュニケーション(ノンバーバルコミュニケーション)が内包する「万国共通」の底力で突破する物語である。

だから私は、この映画の本質は、異文化交流の困難さを、音楽のみならず、様々な非言語コミュニケーションによって、心的交流を柔和に具現するという一点にあると考えている。

その非言語コミュニケーションは、会話や文字の言語コミュニケーション(バーバルコミュニケーション)と比較すると65%になるという研究結果があるが、ただ、非言語コミュニケーションと言っても、あまりに多くのものが包括されている事実を知らねばならない。

異文化交流の困難さ・外国語に変換できない言語コミュニケーション
非言語コミュニケーションのメッセージ性の豊富さは、音楽や美術らの芸術文化表現にとどまらず、身近なところで言えば、身振り、手振りなどのジェスチャー、表情、顔色、沈黙、触れ合い、アイ・コンタクトと目つき、性別・年齢・体格などの身体的特徴、イントネーション・声色等々の周辺言語、更に、空間、時間、色彩などに至るまで、言語以外の様々な手段によって伝えられ、対人コミュニケーションが図られている現実を知れば、その包括力の大きさに驚きを禁じ得ないだろう。

ここでは、本作の物語から、非言語コミュニケーションが異文化交流の困難さを突破するエピソードについて、三つの例を挙げてみたい。

まず第一は、副団長のシモンのケース。

歓迎されざるイツィクの部屋に分宿したシモンは、未完成の協奏曲のヒントを得る重要なシーンがあった。

音楽好きなイツィクが、シモンを招いた部屋 ―― それは、彼の赤ちゃんが眠る小さくも、温かい雰囲気を醸し出す夫婦の寝室だった。

突然の来客で夫婦喧嘩をしてしまった夫婦の寝室で、英語を駆使しての会話を通し、シモンに対して、協奏曲のヒントになるようなアドバイスをするイツィク。

イツィクのアドバイスを素直に受容するシモンが、そのゆったりとした空間の温感に身も心も預けたとき、明らかに、彼の中で「何か」が生れたのである。

その「何か」が、いつしか、彼のライフワークを完結させるだろうイメージを、この映像は提示していた。

そのとき生れただろう、「何か」の推進力と化した「空間」の中枢にいる赤ちゃんの存在が醸し出す温感こそ、イツィクの発した言語を十二分に補強し、それが非言語的メッセージとなって、シモンのイメージ喚起に繋がっていくに至ったのである。

この場合、拙い英語という言語交通であっても、イツィクの伝えたい思いがシモンとの間で深く共有されるべく、非言語コミュニケーションとしての「空間」が重要な役割を果たしたと言えるだろう。

「空間」もまた、非言語コミュニケーションの機能を有するという代表例が、そこにあった。

第二は、唯一、オフビートコメディの律動感を特化したような人物造形を具現した、カーレドのケース。

カーレドのケースは、あまりにも分りやすいので、敢えて、そのエピソードの事例を挙げるまでもないが、最も印象深いのは、女性を口説けない奥手なパティに「恋の指南」をするシーンである。

非言語コミュニケーションで「恋の指南」をするカット
パティが相手にしなかった従妹に対して、ハンカチを渡す身振り手振りからキスに至るまでの全ての行為を、ワンシーン・ワンカットで見せるのである。

海鳴りの擬声音を表現するパティの反応も含めて、まさに、非言語コミュニケーション全開のエピソードだった。

そして、1日限定の恋に終わってしまったディナの寂しさが、「制服」という記号からの束の間の解放を求める、若いカーレドとのセックスに振れていくシーンは、言語を不要とする直接的な身体表現としの非言語コミュニケーションそのものだった。

第三は、言うまでもなく、トゥフィークとディナの関係である。

この二人の関係は心的交流を柔和に具現することで、異文化交流を最近接させていった典型例であると言っていい。

ディナのアクティブなアプローチが、トゥフィークの表情から笑みを表出させるに至ったからである。

その交流の代表的なエピソードこそ、楽団の指揮を身振り、手振りなどのジェスチャーを駆使して教えながら、二人の身体表現が溶融していくシーンであった。

この心的交流を通し、二人の身体表現は柔和になり、最近接点にまで上昇していく。

トゥフィークとディナ④
表情、顔色、沈黙、触れ合い、アイ・コンタクトと目つきなどの柔和な変容は、シモンのケースと同様に、非言語コミュニケーションとしての「空間」を作り出し、それを共有する。

しかし残念ながら、そこまでだった。

ディナの愛の告白を受容できないほど、トゥフィークには、彼の存在証明の継続力を根柢から揺さぶって止まない決定的なトラウマがあった。

それが、トゥフィークの自我に強烈に喰いつき、彼の自在性を奪っているのだ。

ディナを愛する感情を封印することによってしか、トゥフィークは、自己の〈現在性〉を守れないようなのだ。

それは、ディナとの余情を残す別れを結んだシーンで証明されるだろう。

その感情の不消化を、トゥフィークはラストに吐き出す。

音楽という、たった一つの拠り所である、非言語コミュニケーションの表現手段によって吐き出すのだ。

もし人生が もう一度あるならば
一瞬たりとも 変えたくないよ

トゥフィークは存分に歌い切り、吐き出し切っていく。

だから、このラストシーンは特段の意味がある。

心の痛痒(つうよう)を隠し込んで、最後に炸裂する中年男の情感が物語を支配し、言外の情趣を乗せてフェードアウトしていく。

そういう映画だったのである。

この映画の素晴らしさ ―― それは、主要登場人物の心情を丸ごと台詞にせずに、多くの場合、非言語コミュニケーションの表現で映像提示したところにある。

私はそう思う。



4  イスラエルとの融和路線が守られていた、ムバラク政権下のエジプトの現代史的状況



第四次中東戦争・スエズ運河を通過するエジプト軍(ウィキ)
ムバラク政権時代下をベースにしたと思われる映画の背景の、イスラエルとエジプトの関係について、ここで簡単に触れておこう。

1952年、青年将校を中心として結成された政治組織・自由将校団のリーダーのナセル(ナーセル)は、エジプト革命を成功裏に導き,共和国を樹立したことで、エジプト政治の風景を大きく変容させていった。

英米によるアスワン・ハイ・ダムの建設中止への対抗策として、スエズ運河の国有化を発表したナセル大統領の強気の政治運営は、英仏の煽動を背景にしたイスラエルとの第二次中東戦争(スエズ戦争)を惹起するが、スエズ運河を国有化することで政治的勝利を勝ち取った。

爾来、汎アラブ主義を主張するナセル大統領は、シリア共和国との連合による「アラブ連合共和国」を建国し、アラブ諸国の盟主としての地位を固めていく。

しかし、「負けたら全てを失う国家」であるイスラエルに対するエジプトの優越性は、ここまでだった。

完膚なきまでに蹴散らされた第三次中東戦争(1967年)によって、ナセル大統領の求心力の低下は決定的だったと言える。

以降、ナセル大統領の急死に伴い、その後任となったサダト(サーダート)政権は、ソ連の援助による社会主義的経済政策を放棄し、イスラエルとの融和政策(キャンプ・デービッド合意)に転じることで、イスラム過激派によって暗殺されるに至る。

1981年のことである。

サダト大統領に代わって、エジプト政治を担ったのは、軍人副大統領のムバラク(ムバーラク)大統領。

その後、20年以上にわたって継続したムバラク大統領は、空軍元帥として最高勲章を授与された人物である。

ムバラク政権が誕生し、開発独裁的な政治運営(独裁の正当化で開発・発展・政治的安定を図る途上国における政治体制)を維持しながら、親米路線を堅持する一方、イスラム過激派への弾圧で治安の安定を具現していく。

この間、63名が犠牲になった、エジプト外国人観光客をターゲットにしたルクソール事件が惹起するが、イスラム過激派は武装闘争を放棄し、2010年、チュニジアの「ジャスミン革命」に端を発した「アラブの春」まで、ムバラク政権が続くに至る。

更に、民主化の促進のため、米国からのエジプトへの軍事・資金援助が凍結される事態があったが、常に20%もの援助が継続されていて、これも、イスラエルとの融和路線の堅持が前提になっている事実をも知る必要がある。

主演のサッソン・ガーベイとエラン・コリリン監督
従って、映画の背景は、イスラエルとの融和路線が守られていた現代史的状況の渦中であったのである。

(2014年12月)