1 「何もせんで、怒らんと。もう何もせんけ!」
「はい、岡野です。はあ、オレって誰?まさきか。まさき、どげんしとる?え?事故に示談?ちょっと、待っとって・・・」
オレオレ詐欺の電話に出たみつえの反応である。
孫のまさきからの電話に誠実に対応しようとしたみつえだが、電話を置いた途端に、「えーと、誰の電話やったかいな」と言う始末だった。
トイレから出て来た息子の“ペコロス” (小さいタマネギ=禿頭)こと、岡野雄一に電話の件を聞かれ、電話がかかって来たことすらすっかり忘れていたみつえの認知症は、電話の向こうで話しかけてくる男の詐欺師を置き去りにするほど、今や、相当の「年期」が入っていた。
この時点での、みつえの認知症の症状は記憶障害である。
記憶には、「記銘」⇒「保持」⇒「想起」という3段階で構成されているが、みつえのケースは、認知症の中核症状であり、脳の器質的障害(神経細胞死)である記憶障害を、疑念の余地なく顕在化しつつあった。
そんな母の認知症の現状を見て、注意するだけの雄一に、みつえは、「よごれはっちょーが来るぞ」と子供のように脅すばかりだった。
「よごれはっちょー」とは、長崎の方言で、親が子を叱るときの「化け物」のこと。
ところが、みつえの認知機能の障害のレベルは、一方的に注意を受けることで、却ってストレスが溜るばかりの状況を呈していた。
ある日のこと。
一家が住む、長崎の街を歩いている祖母を目視した、孫のまさきに呼び止められたときだった。
「あんひとば帰って来たら、飲むやろ思うて、今、酒屋に行きよる」
みつえは、とうに死んだ祖父(さとる)の酒を買いに行くつもりだったのである。
その話を息子のまさきから聞いて、辛うじて、仕事のできない営業マンを繋いでいるだけの雄一の負荷が肥大していく。
ここでもまた、𠮟り飛ばすだけの雄一の存在は、「よごれはっちょー」の恐怖で恫喝するストレッサーでしかなかった。
「何もせんで、怒らんと。もう何もせんけ!」
そう言って、雄一に謝るだけの一人の無力な老婆 ―― それが、みつえの「現在性」だった。
翌日も駐車場で待つみつえの「現在性」の心理を横臥(おうが)するのは、記憶障害を起因にする認知症の症状である戸惑いと不安の感情の現れであると言っていい。
そのみつえの「現在性」は、汚れ切った自分の下着を箪笥(たんす)の引出しに目一杯押し込んでいた、笑えないエピソードのうちに拾われていた。
もう、ライブハウスでオリジナルソングを歌い上げる趣味を持つ、不真面目な営業マンの雄一の能力の限界を顕在化していたのだ。
「認知症の典型的なパターンなんですよ。お母様の認知症は、かなり進んどるみたいですね。施設にお預けした方が安心かと思いますけど」
ケアマネの言葉である。
かくてみつえは、施設に入居するに至った。
2 「ボケるとも、悪かことばっかりじゃなかかもなあ」
「グループホーム さくら館」
これが、みつえが預けられた施設の名である。
そこには、他人を見ると飴をねだるユリ婆さん、女学生時代に戻って、「級長さん」になっているマツさん、介護士の胸に触り、セクハラする洋次郎、原爆で喪った妹を背負うマサコさん、等々の面々だった。
「雄一・・・雄一!」
認知症のみつえは、自分だけが置き去りにされた不安を言葉に結ぶが、後ろを振り返る感情を断って、バックミラーで確認しつつ、そのまま帰途に就く雄一と孫のまさき。
騒がしいグループホームに馴れず、みつえは、雄一の浴衣を縫っている。
認知症罹患者は、身体で覚えた記憶である「手続き記憶」は、かなり長期間保持されているから裁縫が可能なのである。
「父ちゃんの背広ば、“ふせ”ばせんといかん」
若い女性介護士に語ったみつえの言葉である。
ここで言う「父ちゃん」とは、既に逝去したみつえの夫さとるのこと。
また、“ふせ” とは、服の継ぎ当てのこと。
10人弟妹の長女であったみつえには、殆ど日常下していた少女時代のこの経験が鮮烈な記憶に残っているのだろう。
長崎での、さとるとの新婚生活時代のこと。
ちぃちゃんは被爆死することなく、被災地の長崎で生き延びていたのである。
しかし、再会した途端に姿を消すちぃちゃんは、人には言えない娼婦稼業を繋いでいたのである。
本人が当時言ったように、口減らしのために天草に売られ、年季が明けて長崎で酌婦になったのだろうか。
以上、みつえの断片的回想シーンだが、ここでは、既に、自分の孫のまさきを、ちぃちゃんに手紙を出す「郵便屋さん」と間違える見当識障害にまで悪化した、深刻な記憶障害を顕在化させている認知症罹患者の回想のリアリティに言及したい。
専門家の多くの見解では、現実の世界から過去に戻る症状の内実は、当然ながら、正確な過去の記憶の「再生」を意味しないということ。
それ故、認知症罹患者の「昔の記憶」は、どこまでも、彼らの個人的な思い出の断片に限られているが故に、連鎖的な繋がりを持つ記憶の復元であることは、殆ど困難に近いと言っていい。
それが、深刻な記憶障害を顕在化させている、多くの認知症罹患者の症状の「回想」の現実であると認知すべきなのである。
だから私は、このシーンの意味を、今や紛れもない認知症罹患者・みつえの断片的回想を、映画的に加工させた表現手法であると考えている。
その辺りを間違えると、認知症罹患者の「回想」を、「子供に帰った」みつえの「退行症状」=「精神の幼児的退行」という、極めて「差別的視線」含みの偏頗(へんぱ)な見方を許容してしまうだろう。
「精神の幼児的退行」に下降した認知症罹患者に対して、「子供同然に接触すればいい」という傲慢な態度形成を許容してしまうからである。
その点だけは、よくよく留意すべきである。
物語を続ける。
しかし、いつもと違う帽子を被り直した雄一に対して、「誰ね?」と言って、再び間違えてしまうオチがつくのである。
従って、記憶障害と見当識障害を発現させた認知症罹患者が、連鎖的な繋がりを持つ記憶の復元を、正確に「回想」するのは困難なので、様々な苦労にめげずに生きた「女の一代記」として映画的に処理することで、みつえの「現在性」に振れていくまでの変転する「人生」の荷重感を表現したものと考えたい。
その表現手法によって、観る者との情報の共有を具現するという映画的な処理なのであろう。
そう考えない限り、ハードな疾病との折り合いがつかないからである。
この観点の導入によって、私は本篇を受容し、評価するつもりでいる。
更に、物語を続ける。
既に会社を解雇され、「フリーライター」になっている雄一のグループ訪問が増えてきているので、母と子の会話も弾むようになっている。
「さっき、たかよが来て、天草に一緒に行こうって言うてくれたとばい。そんあと、父ちゃんが来て、まさきは、ランタン祭りに連れて行く言うて。父ちゃんば、孫のまさきが可愛らしかとね。父ちゃんなあ、ウチの手ばしっかり握ってくれらしたと。ごめんな、ごめんな言うて。えへへへ。父ちゃんもたかよも、死んでからの方が、ようウチに会いに来てくれたとよ」
「母ちゃん。父ちゃんもたかよさんも、死んでるって知っとると?」
「なんば言うとね。父ちゃんもたかよも、死んどろうもう」
この会話を聞く限り、みつえの記憶障害も、「正常」(健康状態)と「異常」(疾病状態)が混在する「まだら認知症」の症状を示していることが分るが、これも雄一のグループ訪問での会話の継続力が生きているのだろう。
因みに、ここで言う「ランタン祭り」とは、長崎在住の華僑の人々の春節祭をとする、中国提灯(ランタン)を飾る長崎の冬の一大イベントとして人気がある「長崎ランタンフェスティバル」のこと。
「ランタン祭り」の思い出話から、以下、雄一の回想シーン。
仲間に強引に誘われ、飲み屋に連れて行かれた挙句、すっかり蕩尽してしまい、母のみつえを泣かせるという予想だにしない事態を招来し、みつえの不満と怒りの表出を暴力的に閉じ込め、卓袱台返(ちゃぶだいがえ)しをする始末。
さとるに苦労させられた若き日の母の生活風景が、そこに透けて見える。
その父に、病死と間違えられ、夜中遅く、近くの医者に背負って連れて行かれたものの、ただ寝ているだけで、その結果、父子揃って風邪を引いてしまったという記憶は、雄一にとって、「夫」としては失格であった反面、「父」から受けた愛情の思い出は決して心地悪いものではなかった。
その雄一も、自分の禿頭を見せても、いつしか、母のみつえから特定されなくなっていく。
明らかにこの症状は、認知症の中核症状である認知機能障害の「相貌失認」を示している。
「おいのことが、分らんこつなってしもうたか」
グループホームの廊下で、一人、座り込む雄一。
母のベッドの傍で、母を写生する漫画を描きながら、嗚咽が止まらない雄一を、今度は、その母が労わる構図は、「母と子」の「情動調律」(母と子の情感関係)をテーマにする、この映画の一つの頂点を成していた。
以降、認知症の認知機能障害がいよいよ進行し、今では、周囲の環境の変化に対しても表情の反応を示さなくなっていくみつえ。
冬の祭りの賑わいの中での、みつえの断片的回想。
以下、再会した途端に姿を消したちぃちゃんからの手紙。
「ごめんね。手紙ばもろうたとに、どうしても返事のできませんでした。手紙、ありがとう。みっちゃんの手紙で、ウチは生きとかんば、生きとかんば。何が何でも生きとかんばなって、そう思いました」
このとき、埠頭に立って、闇に覆われた風景の中で、みつえは傍にいる雄一少年を抱き締め、押し殺す感情を切り裂いて号泣する。
「生きとかんば、生きとかんば!」
ちぃちゃんの言葉は同時に、若き日のみつえの言葉でもあった。
みつえもまた、ちぃちゃんと同様に、死の際(きわ)に立たされていたのである。
そのちぃちゃんは、既に病死していた事実を知るに至った。
長崎での被曝が原因だった。
そのときの悲しみを想起したのか、今、年老いて認知症となったみつえは、装いも新たにした「ランタン祭り」で賑わう人群れの中を掻き分け、時々、笑みを浮かべ、歌を口ずさみながら徘徊している。
夭逝した妹のたかよと、死ぬ間際にあったちぃちゃんの笑み、そして、元気だった頃の夫さとる。
既に、逝去した彼らと眼鏡橋で再会し、満面の笑みを浮かべるみつえ。
このシーンに流れゆくまで繋いだ断片的回想が、今、時空を超えて融合するのだ。
それを見て、嗚咽しながら、言葉に結ぶ雄一。
因みに、死者との再会のエピソードは、認知症の中核症状ではなく、徘徊・暴力・暴言・抑鬱.・不安・異食症(異常な食行動)・セクハラ行為など、「BPSD」(周辺症状)の一つと言われる幻覚・妄想の症状であるから、別段、「御伽話」の世界ではない。
ラストシーン。
「ボケるとも、悪かことばっかりじゃなかかもなあ」
車椅子に乗ったみつえを散歩に連れ出し、長崎の街を俯瞰しながら、雄一が洩らした一言だった。
3 流れゆくまで繋いだ時空に嵌り込んだ者の、記憶の復元の融合感
「愛着の対象」=「ストレスの対象」という、往々にして起こる人間の複雑な感情の絡み合いの中で馴致した、夫さとるの存在は、捩(よじ)れ切ったアンビバレンツの矛盾を突き抜けていたのだろう。
みつえは、充分なほどのストレッサーであったさとるの存在感の大きさを、まさに、その死によって痛感させられたのである。
みつえの内側に、ストレッサーの対象への対応に費消され、擦り切らされ、疲弊感を累加させてきたことで自給した熱量が、瞬時にして喪失したときに生まれた空洞感を補填する〈生〉を、改めて再構築する営為は困難だったのだろう。
その経緯を生理学的に考えれば、こういうことではないのか。
即ち、そんな夫であっても、みつえにとって、「失いたくない絶対的な存在」であったが故に、さとるの死によって被弾した衝撃は計り知れなかった。
ストレスに対処するために活性化したニューロン(神経細胞)の活動が劣化することで、脳細胞の委縮が徐々に進み、中枢の機能を低下させていったと説明できる。
活動電位が下がったのである。
これが、みつえの認知症の発症基盤となった心理的文脈であった。
だから、彼女の中の断片的な記憶に刻まれた鮮烈な情報が、その情報を再生させる空間に嵌ることで唐突に惹起する。
それがランタン祭りだった。
みつえはこの祭りの思い出の中から、そこで繋がりを持っていた懐かしき者たちとの再会を果たしていく。
それは、死者との再会でもあるが、彼女の中では、まさに今、その時空に嵌り込んだ者の偶発的なゾーンの渦中で、最終的な記憶の復元が鮮やかに惹起したのである。
そして、何より重要なのは、時空を超えて嵌り込んだ者の偶発的なゾーンの渦中を視認して、最も救われた人物がいるということだ。
「母ちゃん、良かったな」と嗚咽を漏らした雄一は、母の心を軟着させることができたによって、誰よりも雄一自身が救われたのである。
その意味で、この映画は、雄一の自己救済の物語だったのだ。
「ボケるとも、悪かことばっかりじゃなかかもなあ」という言葉の本質は、「ボケる母」に手こずり、困難を来たす状況下で、自らの趣味の世界に没我する時間を奪われた苛立ちを隠し込みながら、それでも「グループ訪問」によって自責の念を希釈させる行為を通して、雄一自身が軟着し得た観念系の結晶点だったのである。
これは、母を救い、自らをも救った中年男の物語と考えれば、とても分かりやすいのではないか。
極めて映画的な加工のうちに括られた映画は、観る者の情感にダイレクトに入り込むだろう。
相も変わらぬ情緒的な音楽の洪水にめげるが、映画そのものの訴求力は全く悪くない。
赤木春恵も岩松了も出色の演技力だった。
それ故にこそ、観る者の涙腺を緩ます情緒的な音楽の洪水だけは勘弁して欲しかった。
(2014年12月)