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2023年10月22日日曜日

橋のない川('69)  沸点に達した少年が状況を支配し、新たな情景を拓いていく  今井正

 


1  「世間の人は、わいらをエッタ、エッタ言うて、ケダモノみたいに言いまんのや。なんぼ自分で直そう思うても、エッタは直せまへん。校長先生、どげんしたらエッタが直るんか、教えてくんなはれ」
 

                                                                            

                                                              

「日露戦争に勝利した日本陸軍は、その余勢を誇るかのように、この奈良盆地ー大和盆地に、陸軍特別演習を繰りひろげたのである」(キャプション)

 

兵隊の演習が村にやって来て、兵隊ごっこに興じる少年たち。 


この遊びの中に、小森部落の畑中誠太郎(せいたろう)もいた。

 

誠太郎の家では、祖母・ぬいと母・ふでが草履編(ぞうりあ)みをし、それを弟の孝二も手伝っている。 

左からぬい、孝二、ふで

「なあ、おばん、わしらの村には、なんで兵隊さんが泊らんへんのや?よその村な、どこも演習の兵隊さんが泊るんやで…電気がないさかいけ?」

「そうや、電気がないだけや」

「なんで小森だけ、電気が来(き)いへんのけ」

「そらな、孝二が大きなったら分かるこっちゃ」

 

帰って来た誠太郎と孝二を連れたふでは、部落近くで休憩している兵隊に、蒸(ふ)かしたサツマイモを振舞い、「天の恵みや」と喜ばれる。 

ふで(右)と誠太郎(左)

「兵隊が好きか」と聞かれた誠太郎は、父が兵隊で満州で名誉の戦死したことを話す。

 

「それで、わしらにこないに…」と感謝されたふでは、哀しそうに俯(うつむ)く。 

「それで、わしらにこないに…」

「なあ、ぼん、大きいなったら何になる?」

「わし、兵隊や」と誠太郎。

「学校の先生や」と孝二。

 

尋常小学校に小森の旗を持って競争して走る誠太郎は、後から来た坂田村の地主の子・仙吉に「臭くなる」と旗を捨てられ喧嘩が始まると、女性教師の柏木はつが誹議(ひぎ)した。

誠太郎(右)と仙吉(左)
 
誠太郎(中央)、仙吉(左)と柏木先生(右)

「その旗は学校で皆の出席を良うするために作った旗でしょ」

「小森なんか、いつかてビリッケツや」

「それはね。小森の人たちがお休みが多いのは、おうちの手伝いをするからでしょ。そやから、佐山君たちみたいに出席のええ村の人たちは、小森の人たちに同情したげなあかんわ。弱い者の味方をするのが強い人のすることでしょ」

「小森なんかバカたれや。同情なんかせんへんわい」

 

そう言って、仙吉は下級生を連れて去って行く。

 

「先生、わしらかて、同情なんてしてもらわんでもええで」

 

孝二の担任の柏木が、教室で出欠を取ると、久し振りの小森の永井武の出席を喜ぶ。

 

「毎日、どんなお仕事してたの?」

「後押し」 


武は、依頼主の荷物を運ぶ父親・藤作(とうさく)の仕事の手伝いで、大八車の後押しをして欠席していたのである。 

藤作(左)と武


学校の休憩時間で、再び仙吉と誠太郎らが言い争うことになる。

 

将校が泊り、肉などで持て成すことを自慢する仙吉に対して、誠太郎は蒸かしたてのサツマイモを届けて大喜びされた話をすると、仙吉は兵隊がよそ者で小森のことを知らなかったからだと笑い者にする。 

誠太郎

「可哀そうな兵隊や。臭い、臭いエッタのイモ食わされてよったんや。ハハハ」 

仙吉

仙吉の話に歩調を合わせて、他の少年たちも「臭い、臭い」と鼻をつまんで、嘔吐する真似をし、笑って誠太郎を馬鹿にするのだ。

 

誠太郎は堪(たま)らず、仙吉に殴りかかり、取っ組み合いの喧嘩となり、「6年生の小森が暴れてます」と女子が職員室へ知らせると、担任の青島が一方的に誠太郎を平手打ちした。

青島先生

青島を睨みつけ、抵抗する誠太郎は、青島に無理やり連れて行かれる。

 

その様子を心配そうに見ている孝二。

 

青島は、廊下でバケツを持って立たされている誠太郎に、佐山を殴った理由を訊くが、「佐山に聞いてください!」と反抗的な物言いをする誠太郎に対し、「その訳を言うまで許さん」と言うや、バケツを持たせたまま教室に入っていく。 

バケツを持たせられている誠太郎


柏木が心配して、青島に話してあげるとバケツを誠太郎の手から降ろすが、それを拒否して誠太郎は自らバケツを持ち続けるのだった。

 

藁(わら)の仲買をする大竹が、ふでの縁談話を持って来くるが、しつこく話す大竹を、ぬいが追い返す。

大竹(中央)


そこに孝二が帰って来て、誠太郎の件を知ったぬいが学校へと走って向かうと、廊下の奥の方で、バケツを持って立っている誠太郎が見えた。

 

ぬいが近づいて声をかけると、誠太郎は泣き出した。 


「訊(き)かいでも分かってら」とぬいは職員室へ入り、校長に誠太郎が何をしたかを質すと、青島は喧嘩をして相手の子に怪我をさせたが、その喧嘩の理由を話さないことで、バケツを持って立たせ続けていると弁明する。

 

ぬいは、その理由を誠太郎に代わって話す。

 

「相手の子が誠太郎のことを、エッタ、エッタ言うて、アホにしましたからや」

「それだけですか?」 


ぬいは、信じ難いほどの青島の反応に呆れ返る。

 

「それだけ?…わいら世間から、エッタ、エッタ言うて、アホにされてまんがな、我が口で、エッタとは、よう言いまへん。誠太郎が喧嘩の訳をしゃべらんのは、それだす…校長先生。教せえておくんなはれ…エッタいうのは何ですねん?わいら、生まれてこの方、世間の人からエッタエッタ言われて、人間扱いされんと来ましたんや。そやけど、わいらかて、人間や。手も2本、足も2本、ありますがな。指見ておくなはれ。そやけど、世間の人は、わいらをエッタ、エッタ言うて、ケダモノみたいに言いまんのや。なんぼ自分で直そう思うても、エッタは直せまへん。校長先生、どげんしたらエッタが直るんか、教えてくんなはれ」


「困りましたな…私の知る所では、徳川時代はさておくとしまして、明治4年の穢多・非人の解放令以来、日本に穢多(えた)というのはないと承知しておりますが…少なくとも、法律上、そういう身分はありませんな」

「先生は、そない言わはるけど、人様の腹の中にはありまんねんやろな」

「それは何とも」

「わいら、学問がないさかい、難しいこと、ようわかりまへんけども、どうぞ、罪のない子供らだけは、二度とこないに虐めんといておくんなはれ。子供らに、教えておいてくれなはれ。校長先生。約束してくれはりまんな。約束して…約束…」 

校長(左)

ぬいは顔を覆い、泣きながら訴えるのだった。

 

稲刈りの季節が始まった。 



武の父・藤作が、ぬいに田を借りたいと地主に聞いてくれないかと頼みに来た。


「わし、ガキらにえらい苦労かけてまんねん…わしが小作して、旨(うま)い飯食わしてやりたいねん。わしらの家、臭い臭い南京米や」 

藤作(右)

【南京米とは、明治時代から日本に輸入された中国・東南アジア産のインディカ米のことで、アミロース含量が高いので粘り気が少ない】 

インディカ米(南京米/ウィキ)


ぬいは早速、地主に米俵を納めに行くと、佐山の番頭に取り次ぐが、呆気なく断られる。

 

「うちは小森の衆には、田貸したくないな。よそ村の小作人が嫌がるんや」 

佐山の番頭(左)

ぬいの家は名誉の戦死をした息子がいるので特別だ、身分を考えろと言い放ったばかりか、誠太郎が地主の息子を殴った話を持ち出し、二度とするなと散々罵倒するのだ。

 

「お前ら、エッタやもん。エッタ言われたかて怒ることあらへんやろ。何もお前がねじ込んでいかなくてもいいやないか」 

佐山の番頭の差別言辞を耐えながら聞かされるぬいとふで


地主はそのことを知っているが、心の広い方だから田を取り上げるとは言わないが、これからは気をつけろと言われたぬいは、「すんまへん、すんまへん」と頭を下げるのみ。

 

空になった荷台にぬいを乗せ、大八車を引くふで。 

誠太郎を大阪に出すことを話し合う

ぬいが真っ赤な夕焼けを見てふでに声をかけ、二人で山に沈む夕陽を眺める。

 

「あの、赤(あこ)う見えるとこがな、西方浄土言うて、阿弥陀はんのいなはるとこや」


「そうだっか」


「人は死んだら、地主の旦那はんかて、わいらかて皆、あっこ行くねん。あっこ行ったら、誰かて同じや。わいらかて、肩身の狭い思いせんかてええねんで」

 

冬になり、相変わらず草履編みをするぬいたちの元に、誠太郎の奉公先を探しに大阪へ行って来たふでの弟・悠治(ゆうじ)がやって来た。

 

孝二が先生になりたいと悠治に話すと、悠治は「藤村の『破戒』の丑松(うしまつ)やな」と言った後、「もうちょっと大(おお)きゅうなったら読んでみるんやな」と勧める。 

悠治

部落もんでも先生になれるのかと訊くふでに対して、「そりゃ、なれまっしゃろ」と答える悠治だったが、実際、職先を見つけるのが厳しい現実を嘆く。

 

「わしら、部落もんは好きな仕事もできしまへんのや。わしら一生、人さんに顎で使われる下働きですねん。金にならん乞食より、ちいとましなことばっかりや」

 

【被差別部落民の主人公・瀬川丑松は、実父から身分を隠して生きろと言われて育ち、小学校教員となっても父からの戒めを守るが、被差別部落出身の解放運動家の猪子蓮太郎(いのこれんたろう)との出会いと、その死に衝撃を受け、自らの煩悶に耐えられず、遂に生徒に素性を打ち明けて、アメリカに旅立っていくという物語。我が国の自然主義文学の初発点だった。生徒に謝罪する丑松の生き方に対して批判があるが、読者に大きな感動を与えたのも事実。映画やドラマにもなっているが、特に市川崑監督の映画には感動させられた】 

市川崑監督「破戒」より


武が学校に来ないので、担任の柏木が小森の自宅を訪ねて来たが、藤作は貧乏を理由に行かせるつもりはないと言い放ち、武を連れて仕事に出てしまう。

 

何とか義務教育を修了させようと考える柏木は、村の子供たちが草履編みをしている様子を見て回り、学校に通わすことを促すが、やはり義務教育より食べるために仕事を優先させざるを得ない状況があった。

草履編みをする小森の子供たち


柏木は、加工業者に草履作りを案内され、村人から買い取った草履を漂白する作業を見学する。

 

「臭(くそ)うおまっしゃろ。これが小森の匂いだんねん」 


柏木は咳(せ)き込み、くしゃみを連発することになった。

 

【小森には履物の製造問屋が数軒あり、そこでは納屋の隅にかまどを築き、夕方から翌朝にかけて硫黄の燻(くす)べ漂白を行っている。そんなことから、かまどの名も“くすべ”で通り、そこから多少の亜硫酸ガスが漏れている。硫黄から出るこの亜硫酸ガスは、小森の重要な産業である草履表の漂白には不可避であるが、強烈な臭気を放つから、「小森は臭い」と言われる。/原作参考】

 

教員室に戻った柏木は、青島と意見を交わす。

 

「生意気なようですけど…あの旗で出席の競争をさしても、問題の解決にはならないんではないでしょうか」

「なるほど…あの連中は元々、教育思想や衛生思想がなんかゼロなんですよ」

「それは…一般社会があの人たちをのけ者にするからではないでしょうか」


「それは、彼らにのけ者にされる理由があるからですよ」

 

時を経ずして、誠太郎は大阪へ米屋に奉公に出て、孝二は6年生になっていた。

 

孝二は坂田村のまちえに密かに想いを寄せており、まちえの住む家の方へと足が向かうが、近寄りがたく帰ろうとすると、神社で絵を描いているまちえと遭遇する。 

まちえ

まちえが東京の雑誌に絵を出すと言い、孝二も勧められ、二人は楽しく会話する。

 

そんな時、遠くに半鐘の音が聞こえ、どこかで火事になっていると分かり、孝二は心配になって小森へと走っていく。 


燃えているのが小森と分かると、坂田の消防団は、笑いながら「ほっとけ、ほっとけ」と動こうとしない。

 

孝二が家に着くと、ぬいたちが家から荷物を運び出していた。 


火元だった藤作の家に、酔っ払った藤作が戻り、巡査が来ると武を探す。

 

武は家の軒下に隠れていたが見つかって、藤作と共に駐在所に連行されることになった。

 

そこでマッチで火をつけて火事を起こしたと自白を誘導された武は、藤作に思い切り殴られる。 

警察署で自白を強要される武


真夏のうだるような暑さの中、ぬいたちは灌漑作業に勤(いそ)しみ、学校の校長・教職員・全校生徒らは天皇の病気の治癒を祈願して神社にお参りをする。 



火元が小森だから軽視されたのか、火事の一件が一段落し、大八車を引く藤作がぬいに声をかけてきた。

 

「おまはん、我が娘(こ)売って家建てるちゅうがほんまか」

「そや、ほんまや。紡績工場へ行ってたなつや。京都の色街に売ってしもた。別嬪(べっぴん)やさかい、いい塩梅(あんばい)に金になったで」

 

のけ者にされている藤作が、村人を見返すために家を建てると言うのだ。

 

その夜、武が孝二を訪ねて来て、家の厄介者だから大阪に行くと話す。

 

「わし、火つけたんと違うねん。わしな、富蔵(とみぞう/幼い弟)の守りしとったんや。そしたらな、富蔵な、腹減ったよって泣きよるし、わしかて朝から何も食べてへんやろ。そやから、そら豆炒って食べよう思ったんやねん。そしたらな、火が飛んだんや」


「そやったら、なんでほんまのこと言わんかってん?」

「そやかて、そら豆黙って食べたこと分かったら、またおとっつぁんにどつかれると思って怖かったんや」

 

孝二は泣いている武に、ぬいに話して、巡査に掛け合うと言って慰めると、武はそんなことしたらまたどつかれると答え、「さいなら、孝やん」と言って帰って行く。

 

その夜、武の母さよが、武を探してぬいの家を訪ねて来て、寝ている孝二を起こし、遠い所へ行くと言っていたと聞き出す。 

さよ

火事のことを気にしていたという武が心配になり、皆で武の名を呼び探すが、翌朝、藤作が武の遺体を抱え、村人に「火事のお詫びしよりましてん。体中、カミソリで刻みましたんや…」と、泣いて語りながら練り歩くのだ。 


それを沈痛な面持ちで見つめる、ぬいとふで、孝二。 


小森の悲劇の連鎖が広がって、もう、為すべき何ものもないようだった。

 

 

 

2  「人間は平等や。正義は力や。今日やられたかて、諦めるんやないで。負けるんやないで」

 

 

 

明治天皇が崩御し、尋常小学校の校長が弔辞を述べ、黙祷を捧げる。

 

薄暗い中、まちえが孝二の手を握り、驚いた孝二だったが、思わず笑みが零れる。

 

音楽の授業で、オルガンを弾く柏木が、まちえと孝二を指名して、皆の前で並んで「紅葉(もみじ)」を歌わせる。 


そのまちえは、学校の帰り道で、坂田の級友らに「ハイカラさん」と歌いながら囃し立てられた。

 

一方、機嫌のいい孝二は、父の命日の供え物を悠治の家へ届けに出かける。

 

そこに、さよが、藤吉が狂ったと言って、ぬいに助けを求めて来た。

 

本人に事情を訊いてみると、せっかく建てている家を売り、消防ポンプを買うと言うのだ。 



孝二は伯父の家へ着くと、従姉妹のはなよに誘われ山へ行く。

 

そこで「破戒」の話を聞いたはなよは、その中で、丑松の嫁が士族出身であることが嘘であると決めつけた。

 

孝二はそれを否定すると、はなよに追及され、まちえが手を握ったことを話してしまう。

 

「孝二さんとこ、小森や。小森やさかい、アホにしよったんわ。うち知ってるわ。孝二さんかて、その子好きなんやろ」

はなよ

「好きや」

「うちとどっちが好き?」

「そやなぁ」

 

そう聞いたはなよだったが、耳を塞いで聞こうとしない。

 

「孝二さん、アホや、アホや!騙されてんのや!」


思春期前期の少年少女の会話だった。


丑松の嫁になったのは、蓮華寺の養女になった士族出身の志保のこと】

 

その頃、一人で家にいるふでの元に、再び大竹が来て、縁談話を始めた。

 

相手はエタと違い、自分と同じ在所もんだと大竹は言い、ふでに再婚を執拗に勧めるのである。 



ぬいは小森の穢多寺(えたじ・えたでら)の和尚と話していると、京都の学校から帰って来ている嫡子の秀昭がお茶を持って来た。

 

秀昭は、学校に小森のことが知れて実家に戻って来ており、東京の学校へ移りたがっていると和尚が話す。

 

「わてら、なんでこないに虐められならんのでっしゃろな」

「前世の宿命や。そやさかい、極楽浄土にお迎えいただくためにはな、常日頃の心掛けが大切や。まずな、人と生まれたことを喜ばにゃならんのや。己の身分が卑しいから言うてもの、畜生よりりゃ、ええ事をするにゃなるまい…」 

穢多寺の和尚

その会話を外廊下で聞いている秀昭(モデルは西光万吉)は、悔しそうに顔を歪める。 

秀昭

【穢多寺とは、被差別部落民が檀家としていた寺院のこと】

 

藤吉が大金を持って、消防ポンプを買うようにと、加工業者の頭に渡し、その帰りにぬいの家へ寄ると、ふでが大竹から逃げて来た。

 

「あの男、ケダモノや畜生や」とふでが指を差すや、藤作は大竹を殴って追い出してしまう。 


ふでは仏壇の前で泣きながら手を合わせる。

 

伯父の家からの帰り道に、孝二は藤作が警官に連行される場を目撃する。

 

藤作が話した佐山の地主の家の火付けの冗談を、大竹が放火計画として捏造(ねつぞう)し、密告したのだった。

 

身に覚えのない藤作は、自白を強要されても答えようもなく、激しい暴行を受ける。

 

「お前んとこのガキかて、火付けしよった。お前が火付けしたかて、なんも不思議あれへん」

「そりゃ、冗談で言いましたんや。冗談ですがな」


「お前ら、冗談言いもって、火付けするしな。冗談や言うて人殺しよる。それがエタや」


「違う…違う…違う…」

 

藤作は泣いて訴え続ける。

 

折しも、学校の廊下を掃除する孝二が、バケツで雑巾を洗っていると、級友の一人が「そのバケツ、わしのや!」と怒鳴る。

 

今度ばかりは我慢できなかった。

 

「何でや!」と怒鳴る孝二が、兄と同じラインに立って喧嘩するのだ。

 

この辺りは、本作の肝なので後述する。

 

喧嘩を目視したまちえの誘いを受け、孝二がその場所へ行くと、まちえが待っていた。

 

「うち、御大喪(ごたいそう)の晩、あんたの手握ったやろ。あれな…うちな、あんたらの手、夜になったら蛇みたいに冷(つめ)となるって聞いたんや。そやさかい、畑中さんの手、試したんやわ。堪忍な。堪忍してな」 


まちえは、それだけ話して「さいなら」と言って去って行く。

 

残された孝二は、まちえと繋いだ手のひらを見、拳を握って「アホ、アホ!」と言いながら、何度も大木に叩きつけた。 



【御大喪とは、天皇・太皇太后・皇太后・皇后の喪に服すること】 

御大喪/古装束の皇宮護衛官に担がれ葬場殿へ向かう葱華輦(そうかれん/神輿のこと)


土手に寝転んでいた孝二に、柏木が声をかけてきた。 


柏木は、孝二らが修学旅行へ行っている間に学校を辞めると話す。

 

「先生は、畑中君たちのこと、忘れへんわ。あんたたちのこと、一生考え続ける」 


その言葉を聞いた孝二に笑顔が戻った。

 

その後、修学旅行でも、寝床を共にしようとしない級友たちから差別を受ける孝二。

 

それでも負けない少年が、眩(まばゆ)く輝いている。 


この辺りから、孝二は急速に変わっていく。

 

そして迎えた「提灯落とし」の恒例行事。 


地区ごとの消防ポンプの放水で提灯を落とす速さを競う「提灯落とし」に、大勢の村人が川辺に集まり、始まる前から各村の熱がこもった応援合戦となる。

 

常に酩酊状態の藤作は、坂田が集まる場所で、自らお金を出したポンプを誇示し、酒瓶を片手に小森を応援し、白い目で見られる。 


ぬいや孝二らも、「小森~!!」と声を上げると、いよいよ笛が鳴って放水がスタートした。 

不安と期待の思いを抱えながら見つめる小森の人々



各消防団が必死にポンプを漕(こ)ぎ、提灯目掛けて放水するが、小森のポンプは提灯に届くことなく、見かねた藤作は自らホースを奪い、水の出口を塞いで勢いをつけ、一気に提灯を落としたのだった。 

小森のポンプ

「小森!」と大声で応援する孝二



歓喜する小森に対し、他の村は消沈するが、優勝旗を小森に渡すまいと、坂田の地主の番頭が奪い、走り去ろうとすると、それに気づいた小森と激しい奪い合いになり、孝二と貞夫も優勝旗を追い駆ける。 

優勝旗を横取りする坂田の番頭

「行こう、貞やん」と言って、貞夫を促す孝二


奪い返した二人だったが、坂田の連中に貞夫は蹴られて倒され、必死に旗を離さず守り抜いたが、複数の大人に旗を引っ張られ、再び奪われてしまった。 

必死に旗を守る孝二


あろうことか、奪われた優勝旗は火に燃やされてしまうのだ。 


怒りに震え、復元し得ない事態に言葉を失い、呆然とその様子を見つめる小森の人々。 


そんな中で、孝二の肩に手を添えた秀昭が、孝二と貞夫に力強く語りかけ、励ます。 

言いようのない悔しさを噛みしめる孝二と貞夫


「藤作はん、うまいこと提灯落さはったけどな。ホースの口抑えて、水の力、3倍4倍にしたからや。そやからな、小森かて、あの水みたいに力合わせて強(つよ)うなったら、坂田みたいなもん、ぶち倒してやれんねん。人間は平等や。正義は力や。今日やられたかて、諦めるんやないで。負けるんやないで」 


二人は秀昭をまっすぐ見つめ、頷く。 



映像はここからカラーになり、逆光の夕陽を浴び、村に引き返す小森の人々。 


「この日から間もなく、各地の未開放部落の人々は人間は平等であるという自覚のもとに立ち上がり、ながい封建的な差別とその差別からの貧困を打ち破るために団結し、遂に全国水平社を結成した」(キャプション) 


 

 

3  沸点に達した少年が状況を支配し、新たな情景を拓いていく

 

 

 

闇然(あんぜん)たるテーマを子供の視点に立って描く重厚な物語の中枢に、心優しく気立ての良い母・ふでに育てられた誠太郎と孝二の兄弟がいる。

 

腕白で喧嘩早いが、決断力・行動力が横溢(おういつ)する誠太郎と異なって、芯は強いが、内向的で思慮深い孝二の性格の対比が明瞭に提示されたシーンがある。

 

小森村を「エッタ」と言って嘲弄(ちょうろう)する坂田村の地主の息子・佐山仙吉と喧嘩し、殴った一件によって、教諭の青島に廊下にバケツを持って長時間、立たされ続ける誠太郎は、喧嘩の原因を聞かれても一貫して答えず、ひたすら苦痛に耐えるのだ。 


ここで重要なのは、喧嘩の原因に気づいているにも拘らず、バケツ持ちという体罰を強いる教諭の行為が、「エッタ」を嘲弄する坂田村の連中と同じ視点に立ち、看過しがたいほどに「共犯関係」にあるという歴然たる事実である。

 

この視点は、小森に対する他の村民・学校・消防団・警察、等々で共有されているから、事が起こったら、常に一方的断罪に終始する。

 

だから厄介だった。

 

本篇が重く気鬱な映画になった所以である。

 

小森で火事騒ぎになっても救援しないのだ。

 

「なーんや、火事は小森や。ほっとけほっとけ」 


在所の消防団の極めつけの差別言辞である。

 

この悍(おぞ)ましい現実が意味するのは、小森が、火事と葬式の時だけは助けるという村八分の私的制裁の対象にすら含まれていないということ。

 

それが、村八分からも弾かれた小森を囲繞する紛れもない実態だった。

 

「小森」という負の記号の絶対性。

 

そのリアルを日常的に体験するが故に、誠太郎は沈黙する。

 

そこに、坂田に象徴される連中に対して、何を言っても無駄であるという攻撃的な諦念と意地が垣間見える。

 

誠太郎のこのスタンスは最後まで変わらない。

 

だから、自ら望んで大阪に打って出て、丁稚奉公に行くことになる。 

「おばん、心配せんとき、わし大阪行ったら何でもやったる」(誠太郎)

決断力と行動力こそ、誠太郎の最大の武器なのだ。

 

祖母ぬいが教員室に捩(ね)じ込むシーンを想起すれば分かるように、誠太郎の性向はあり得ないような突破力を見せた祖母ぬいを間近に見て学習してきた所産なのである。 


子供は家族(特に親)を含む他者の観察を通して学習するという仮説が、「モデリング理論」(バンデューラ)によって検証されている。

 

本作では、ぬいが育て上げた孫が、肝心な状況下で攻撃的な諦念と意地を身体化するのだ。

 

抗拒不能(こうきょふのう/抵抗不可能状態)たる「先生」に反抗する強さが誠太郎にはある。

 

そんな兄と比べて、我慢強い孝二は母ふでのDNAを受け継いでいるように見える。 


何があっても我慢する。

 

誰に聞かれても「学校の先生になりたい」と答える少年は、坂田村に入り込んでも、差別の最前線で戯れる同校生を視認し、踵(きびす)を返すのだ。

 

当たらぬ蜂には刺されないからである。

 

その少年が決定的に変容する。


学校の廊下を掃除している時だった。 

「雑巾できれいにしたろ」

いつものように何を言っても無駄であった連中に、真向から立ちはだかったのである。

 

それは異を唱えるという範疇を超えていた。

 

「エッタの雑巾入れといたら、バケツまで臭(くそ)うなるわ」 


定番の差別言辞を受け、瞬時に反応した。

 

「なんやて!」

 

孝二はバケツを思いきり蹴り飛ばし、廊下を水浸しにしてしまうのである。 

バケツが転がって思わず避(よ)ける

兄の誠太郎と同じラインに立ったのである。

 

しかし、殴り合いの喧嘩にならなかった。

 

逸早(いちはや)く、青島が駆けつけてきたからである。

 

ただ、その後の展開は誠太郎の場合と大きく異なっていた。

 

攻撃的な諦念と意地を身体化した兄と切れた行動を起こす少年が、そこに屹立している。

 

青島が来て、親友の貞夫がバケツが転げたと庇ったが、孝二は毅然と言い放つ。

 

「違います。わしが蹴飛ばしたんです」


「何で蹴ったりするんや?」


「エッタの雑巾水、汚い言うんです」
 


一瞬、青島の表情が強張(こわば)った。 


意想外の反応を受け、青島は受け身に回ったのである。

 

「何?蹴っ飛ばした奴が、この水拭け」

 

もう、そう言う外になかった。

 

そう命じられるや、孝二は羽織を脱ぎ、廊下に叩きつけ、水を拭き始める。

 

「アホ!何するんや」と青島。

「わしらの雑巾、汚いんです!」と孝二。 


親友の貞夫も羽織を脱ぎ、一緒に拭き始めると、青島は止めさせようとする。

 

孝二が状況を完全に支配しているのだ。

 

沸点に達した少年が状況を支配し、新たな情景を拓いていくのである。

 

まさに、本作の白眉である。

 

この一件は、これまで溜めていた感情の束が音を立てて崩れ、炸裂する少年の「反差別の内的構築」の初発点だった。

 

この内的構築を後押しするエピソードが、間がなく剥(む)き出しになる。

 

まちえとの淡い恋に終止符が打たれるシーンである。

 

「あんたらの手、夜になったら蛇みたいに冷(つめ)となるって聞いたんや。そやさかい、畑中さんの手、試したんやわ」 


呆然とする孝二に対して、「堪忍してな」と言い添えても、張り裂けた少年の内的時間が溯行(そこう)することはない。

 

「さいなら」というまちえの一言こそ、「小森」という負の記号の絶対性、その可視化のリアリズムそれ自身だった。

 

その直後、張り裂けた少年の内的時間に、束の間、潤いをもたらす。

 

坂田の生徒に対して、小森の生徒への「同情」を求めていた柏木先生が学校を辞めることを伝え、孝二に心情を吐露した。

 

「あんたたちのこと、一生考え続ける」 


「同情視線」を捨てた柏木先生の変容を示唆するこの言葉は、「小森」という負の記号の絶対性に対する否定的言辞であると言っていい。

 

「小森」の孤立化が不変不動ではなく、仄(ほの)かな灯りを照らすことへの希望に繋がっていくという小さな念望を、少年は素直に受容する。

 

孝二の笑みには、その思いが凝縮されていた。 


少年の「反差別の内的構築」への意志は修学旅行で強化されていく。

 

小森外の村の生徒たちが旅館で同室したと信じたのも束の間、他の部屋へ移ってしまうエピソードは、寧ろ、孤立を怖れない孝二の肝を据えることになる。

部屋で一人取り残され、覚悟を括っていく

覚悟を括る少年が腕組みする


この孝二の覚悟は、ラストの「提灯落とし」の争奪戦でフル稼働していくのだ。

 

そんな突沸(とっぷつ)した状況下にあって、奪われた優勝旗を奪い返し、必死に守り抜いたが、又候(またぞろ)奪われたばかりか、燃やされてしまう屈辱を晴らす術もなく意気阻喪(いきそそう)する孝二に、緩やかだが、根源的、且つ、心理的アプローチが投入される。

 

「人間は平等や。正義は力や。今日やられたかて、諦めるんやないで」 


のちに「水平社宣言」を起草する秀昭(モデルは西光万吉)の激励だった。

 

ラスト。

 

カラーで映し出されるのは、真っ赤に燃える夕陽が小森に戻っていく者たちの姿。

 

逆光の夕陽を浴び、顔を赤く染めた小森の人々の中で、挫(くじ)けることなく、「反差別の内的構築」への意志の片鱗を見せる孝二の表情は鮮烈だった。 

孝二(中央)、貞夫、秀昭


この映画は、一人の我慢強い少年(モデルは木村京太郎)が、この表情に辿り着くまでの物語だったのである。

 

【逆光の夕陽に向かって帰途に就くイメージは、ふでと共に夕陽を眺めながら、夕陽の向こうにある西方浄土(さいほうじょうど)に行けば平等の世界が待っていると語ったぬいの言葉を想起させる。その夕陽に向かって進軍する孝二の近未来のイメージを、このシーンはシンボライズさせていると思われる】

「あの赤(あこ)う見えるとこがな、西方浄土言うて、阿弥陀はんのいなはるとこや」

 


―― 以下、映画論的な感懐。

 

「キクとイサム」・「真昼の暗黒」などを観ても分かるように、「作品自体にはあまり演説させたくない」と語る今井監督に深く共感する。 

キクとイサム('59)より

「真昼の暗黒」より

今井正監督

大袈裟なプロパガンダを嫌う心情にシンパシーを覚えるのだ。

 

だから、本作が住井すえの原作を削り落とすことになった。 

住井すえ


主人公の成長物語になった理由が、この辺りにある。

 

それ故に、この映画は観る者に自分の問題として捉えることが可能になった。

 

「作品自体にはあまり演説させたくない」というメッセージが観る者の中枢に突き刺さり、心に染みる物語として、本作は総合芸術としての映画の結晶点でもあった。

 

今や錆びつき、朽ち果てた感のある社会主義リアリズムの有無など、私にはどうでもいいこと。

 

単に、本格的な社会派映画、或いは、社会派ヒューマニズムの作品として把握すればいいだけ。

 

部落解放同盟が自ら推輓(すいばん)しながら、第二部製作中に日本共産党との関係が悪化したことで、第二部ばかりか、この第一部すらも「差別映画」の烙印を押し、映画(第二部)を観ていないのに撮影を妨害するという行為(差別糾弾闘争)に及ぶ部落解放同盟のイデオロギー絶対主義に鬱陶しいだけである。 

朝田善之助/部落解放同盟中央執行委員長


日本共産党と部落解放同盟の確執など、私にはどうでもいいこと。

 

総合芸術としての映画の完成度の高さ。

 

構成力・主題提起力・映像構築力。

 

つづめて言えば、これが全てである。

 

【「芸術作品にとっては、作者の見解がむき出しに現れていなければいないほどいい」というエンゲルスのフレーズを引用して、映画について語った北林谷栄の思いにも共感する】

 

―― 最後に一言。

 

横槍を入れられた永井藤作の人物像。 


どこに問題があるのか。

 

被差別部落民の典型として描かれているという決めつけのイデオロギー絶対主義の不毛性。

 

あれだけの差別を被弾したら、こういう人物も出てくるとは考えられないのか。

 

しかも、この映画のコアにあるのは、「反差別の内的構築」という問題意識を育てゆく孝二の人間的成長の航跡である。 


映像を精緻にフォローしていけば、それ以外にないと解釈するのが自然である。

 

それにしても、永井藤作を演じた伊藤雄之助。

 

北林谷栄、共々、余人をもって代え難い唯一無二の俳優である。


【部落差別の歴史と実態については、時代の風景「人の世に熱あれ、人間に光あれ」を参考にしてください】

 

(2023年10月)

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