<「仕事」の頓挫が約束された疑似リアルの物語の途轍もない訴求力>
1 完璧な映画の、完璧な構成の、完璧な構築力
完璧な映画の、完璧な構成の、完璧な構築力。
長尺なのに飽きさせないのは、殆ど無駄な描写が削り取られているからだ。
完璧なプロなのに、最も肝心なところで認知ミスを犯してしまう。
完璧なプロもまた、人間であったからだ。
そこには、迂闊にも、自分の情報ソースから抜けていたことに起因する、「文化的無知」に根差していた事実を思うとき、人為的過誤をも含む様々な認知ミスの類(たぐい)から無縁で生きられない、私たち人間の脆弱性が垣間見える。
だから、男は自壊する。
それは、最初から、「二発目は撃てまい」と言い切った男の物語の終焉を意味するが、完璧なプロの、完璧な認知ミスをも防げない人間の脆弱性。
心理描写なしに、そこまで描き切った映像の完璧な構築力に言葉を失った。
更に言えば、この映画が見事なのは、「一貫性」を持っているからである。
第一に、最後まで正体不明な男の行為の総体に合わせるように、映像から情緒的濃度の温感性の一切を希釈化させてしまう「一貫性」。
第二に、このようなサスペンス映画にありがちな、ご都合主義を基本的に排除している「一貫性」。
観る者の油断をつくように、しばしば挿入される姑息なご都合主義の基本的排除が、この映画を、完璧なまでにリアリティ溢れる作品に仕上げていったのである。
そこが何より、私を充分に満足させる根拠になっていた。
2 プロの殺し屋の真骨頂としての計画立案能力の高さ
「1962年8月のフランス。アルジェリアの独立を認めたド・ゴール大統領は、軍部など右翼過激派の恨みを買った。彼らの地下組織は連合して、OASと名乗った」
これが冒頭のキャプション。
ボー・グエン・ザップ率いるべトミン軍の大攻勢によってディエンビエンフーの戦いに敗北することで、ベトナム民主共和国との和平交渉を開始し、ジュネーヴ協定が締結された。
軍装のシャルル・ド・ゴール(ウィキ) |
ここに至る第一次インドシナ戦争(1946年から1954年)の、決定的な推進力となった民族自決の大きなうねりを理解したド・ゴール大統領が、それまでのアルジェリア独立を阻止する路線を転換したことで、アルジェリア領有の継続を主張するOASのテロの標的となり、ド・ゴール大統領専用の車が機関銃で乱射されるという事件が惹起した。
これを、パリ郊外のその地の名をとって、「プティ=クラマール事件」と呼称されるが、ド・ゴール自身、九死に一生を得た最大の危機でもあった。
1962年8月のことである。
これが、映画のファーストシーンで描かれていた事件だが、以降、OASの幹部は警察にマークされるに至り、行動の自在性が奪われることになる。
遭遇した暗殺未遂事件が30件以上に及ぶとされるド・ゴール大統領の警備が、フランス警察の至上命題とされるのは必至だったという訳である。
従って、OASにとって、ド・ゴール大統領の暗殺の遂行が、組織とは無縁の、プロの殺し屋であるイギリス人に依頼される経緯も回避し得なかったのだ。
ジャッカル ―― これが、件のイギリス人のコードネーム( 暗号名)だった。
「準備に時間がかかる。彼は特別だからな。警備陣が世界一だ。それに君たちの失敗でやりにくくなった」
これは、ジャッカルがド・ゴール暗殺のスナイパーとしての仕事を引き受けたときの言葉。
条件は、50万ドルという桁外れの成功報酬の高さ。
今や、ジャッカル以外に、この大仕事を遂行し切る者がいないと考えるOASにとって、ジャッカルがサジェストしたように、銀行を襲ってでも大金を手に入れる外になかった。
OASとジャッカル |
「君らの一人でも捕まったら、考え直す。終わるまで安全な場所にいてくれ。前金25万ドル手に入ったら、行動に移す」
これがジャッカルの、プロとしての堅固な意志を示す置き台詞だった。
そして、本当に90万フランの銀行強盗を決行したOASのアクションを見る限り、如何に彼らが、退路を塞がれる状況に捕捉されていたかが分るだろう。
しかし、この事件は、OASに対する治安当局の緊張を煽るが、既に、OASの首謀者であるバスチャン=チリー中佐が「プティ=クラマール事件」で逮捕・処刑されることで、組織の基盤は脆弱化していて、現在、チリー中佐に代わって、OASを率いることになったロダン大佐が、潜伏先のオーストリアからローマのホテルに移動した動向を、当局は掴んでいた。
組織の見張りを継続していた治安当局は、外部との連絡係であるOASの副官のウォレンスキーを捕捉し、拷問にかけた結果、ジャッカルというコードネームを割り出すのが精一杯で、人物の特定には至らなかった。
そのジャッカルは、任務遂行の条件である前金をスイス銀行で確認したことで、逸早く行動にシフトしていく。
「方法」、「場所」、「期日」。
目標を定めたジャッカルは、綿密な計画をノートに記し、精緻に練り上げていく。
計画立案能力の高さこそ、プロの殺し屋の真骨頂なのだ。
それは、万事において抜かりがない、彼のとった行動の手際の良さが証明している。
墓地を歩き回り、早世した幼児ポール・ダカンの出生証明書を入手して、パスポートを取得する。
更に、空港でデンマーク人のパスポートを掠め取ることで別人に成り切り、今度はプロの偽造屋を介して、件のデンマーク人名義の運転免許証やIDカードを取得するという徹底ぶり。
圧巻なのは、ポール・ダカン名義のパスポートで、イタリア北西部の港湾都市ジェノバ入りしたジャッカルが、銃の改造屋に依頼したときの会話。
銃の改造屋とジャッカル |
専門的だが、あまりに面白いから再現してみる。
「できるかね?」とジャッカル。
「勿論。銃の改造なら、どんな注文でも」と初老の改造屋。
「軽くて銃身は、なるべく短く」
「短くか・・・苦しいな」
「サイレンサーと照準鏡も」
一瞬、難しい表情を見せる改造屋。
しかし、プロの矜持を持つ改造屋は、この程度では引き下がらない。
「射撃距離は?」と改造屋。
「多分、100メートル強だろう」とジャッカル。
「動く相手か?」
「いや」
「狙うのは頭か胴か?」
「頭だな」
「2発目は?」
「多分、撃てまい。逃げるのがやっとだ」
この辺りで、改造屋はプロの矜持を延長させていく。
「破裂弾を使うといい。何発か作っておく」
「水銀式?」
「それが良かろう。税関で見つからないようにせねばならない」
ここでジャッカルは、銃の模擬図を見せる。
それを見て、笑みで反応する改造屋。
自分の依頼主が、並々ならぬ人物であることを見抜いているのだろう。
「全部アルミ管にして、ネジでつなぐ。上に銃身を入れ、下にボルトと銃尾を入れる。肩当ては脇当てとしても使う」
「名案だ」
「照準鏡とサイレンサーも」
「単純で、良くできてる」
「半月で作れるか?」
「何とかしよう」
これが会話の全容だが、まさに、一言発しただけで相手の言辞の含みを理解し得る、スナイパーと銃の改造のプロのレベルの一級の会話であった。
モンテモーロの森で試射するスナイパー |
そして、依頼通りの銃を作った改造屋に残りの半金を渡して、早速、モンテモーロの森で試射するスナイパー。
そこでジャッカルは、機能的な銃の照準器(スコ―プ)を微調整しつつ、破裂弾(破片を飛散させて殺傷する)を使って、的にした西瓜を木端微塵にに砕いてみせた。
時系列は前後するが、ジャッカルは、式典が行われるモンパルナス駅前の「6月18日広場」を下見する。
銃撃スポットのアパートの最上階を特定するや、その部屋に入る合い鍵を作るのだ。
ついでに、パリのマルシェでベレー帽を買うのも忘れなかった。
以上のジャッカルの行為に全て意味があることは、ド・ゴール大統領が姿を現す、8月25日のパリ解放記念式典を描くラストシークエンスで明らかにされるが、このような見事な伏線の回収によって収束されるサスペンス映画の醍醐味は、絶品と言う外にない。
3 殺しのプロと捜査のプロの頭脳戦が開かれて
外部との連絡係である、OASの副官のウォレンスキーへの見張りを続けていたフランスの治安当局は彼を捕捉し、拷問にかけた結果、ド・ゴール大統領のヒットマンであると想定し得る、「ジャッカル」というコードネームを割り出していたが、その男が若い金髪であるという情報程度しか知り得ず、苛立ちを募らせるばかりだった。
大統領に報告した内務大臣は、予定の行事の変更をしない旨を伝えられ、緊急の対策会議を開くに至った。
有効な戦略を持ち得ない内務大臣は、警視総監に意見の具申を求めた。
「OASの連中さえ知らんのでは、スパイも特捜も、国境警備隊もお手上げです。4万8000の憲兵隊も、我々も、警察も、手の打ちようもありません。まず、本名を調べましょう。それからです。名前が分れば、旅券と顔とその線で逮捕ができます。しかし、名前を内密に調べるのは大変ですよ」
これが警視総監の具申の内実。
殆どお手上げであると言っているのだ。
「最も優秀な刑事は誰かね?」と内務大臣。
「副総監のクロード・ルベルでしょう」と警視総監。
ルベル警視 |
この警視総監の一言で、ルベル警視が会議に呼ばれ、早速、ルベルは捜査の全権を任せられるに至る。
警視総監の要請を受け、助手にキャロンを指名したルベルは、情報の収集をプライオリティの筆頭にして、各国の警察との連携を指示する。
その結果得られた有力な情報 ―― それは、西インド諸島・ドミニカ共和国の独裁的大統領だった、トルヒーヨの暗殺のヒットマンの名が、チャールズ・カルスロップという兵器商の現地代表の英国人であり、事件後、行方不明になっているとのこと。
チャールズ・カルスロップの頭の3文字が、「CHACAL」という仏語に変換可能だから、「ジャッカル」のコードネームを連想させるというもの。
トーマス警視が外務部から得た情報だった。
1961年に起こった事件である。
この情報がルベル警視に伝えられる。
旅券局で、5年間に同名の23人に旅券が申請されている事実が判明し、未だ調査不明の者たちを片っ端から訪問した結果、カルスロップ=ジャッカルであることを確信する。
その事実を内務大臣に報告するルベル警視。
カルスロップという男の入国がいない事実を知ったキャロルは、家宅捜索した彼の部屋に旅券が置いてあったことから入国を諦めたと考えるが、ルベル警視は、そこだけは確信的に言い放った。
「旅券が置いてあったのは、それが必要でないからだ。簡単に捕まる相手じゃないぞ」
ここから、殺しのプロと捜査のプロの高度な頭脳戦が開かれていく。
トーマス警視は、過去3か月間の旅券申請者を調べて、それを死亡者名簿と照合させるように指示した。
時間との緊迫感に充ちた捜査の中から、浮かび上がったのは、ポール・ダカンの名で旅券の申請があった事実が判明する。
既に早世した幼児ポール・ダカンこそジャッカルであると、高官が集合する対策会議の場で、凛とした態度を崩すことなく、ルベル警視は報告するに至る。
一方、そのダカン名義のパスポートによって、難なく南仏ルートからフランスに入国したジャッカルは、カンヌに近い香水のメッカ・グラースのホテルに泊まって、一人の女性に近づいていた。
モンペリエ男爵夫人 |
未亡人と自称するモンペリエ男爵夫人(以降、「男爵夫人」)である。
ホテル内で出来した、老婦人が救急車で搬送される騒動に託(かこつ)け、ジャッカルは、誰もいないフロントの宿泊帳で男爵夫人の住所を調べておく。
自分に迫って来た捜査のプロからの、一時逃避の確保のためである。
そのためだけに一夜を共にするジャッカルには、一貫してセンチメントが侵入する隙などない。
ジャッカルがグラースのホテルに泊まっている事実を掴んだルベル警視は、ホテルに急行するが、一歩遅かった。
2日予定だったのに、11時にチェックアウトしたジャッカルがホテルを出たのは、5時間前である事実を確認し、ルベル警視はキャロンに車を早急に手配させた。
男爵夫人と懇ろ(ねんごろ)だったというホテルの従業員の話から、ジャッカルが男爵夫人の邸にいると確信したルベル警視は、今度は夫人の邸を訪ねたが、標的は現れていなかった。
その頃、ジャッカルは、恋人たちの睦みの間に彼らの車のアルファ・ロメオを盗み、塗装を加え、ナンバーを変えたが、事故を起こしてしまった。
相手の事故車を盗んだジャッカルが向かった先は、あろうことか、男爵夫人の邸だった。
この辺りの描写は、起こり得る偶然性の範疇で処理できるので、基本的にご都合主義を排除していると、私は解釈する。
ジャッカルの訪問に驚嘆する男爵夫人は、警察が来た事実を話した上で匿ってあげると言うのだ。
自分の大仕事の障害になる者は排除する。
この絶対命題で生きてきたであろうプロの殺し屋が、男爵夫人を絞殺したのは必然的帰結だった。
先に、空港でパスポートを掠め取っていた、ルントクビストという名のデンマーク人に成り済ますために、髪を茶髪に染め、眼鏡をかけ、男爵夫人の車を奪って、パリ行の列車に乗るジャッカルの行動には、全く迷いがない。
男爵夫人の殺害によって公開捜査に移行し、まもなく、パリ行の列車に乗った者がデンマーク人の教師であるという情報を得て、ルベル警視とキャロンはパリ駅に向かうが、ここでもまた手遅れだった。
対策会議の場で、度々の頓挫に、内部から情報が漏れた事実を疑うルベル警視の物言いに、内務大臣は予定の行事の中止を進言することを約束する。
殺害された男爵夫人 |
急転する物語の展開の中で分明になった事実 ―― それは、ルベル警視が指摘したように、内部から情報が漏れたという由々しき事実だった。
ルベル警視は、内務大臣たちの居並ぶ会議の場で、政府高官の全てに仕掛けていた、盗聴テープを聞かせるのだ。
件の政府高官(後に自殺するサンクレール)は、ドニーズという名の女スパイ(後に逮捕)によってハニートラップされ、同居していた事実を認めたことで、捜査情報がダダ漏れになっている失態が明らかになり、2日後に迫った解放記念日(8月25日)こそ、ジャッカルの「仕事」の決行日であることを確信するに至った。
新聞に写真を出し、テレビスポットを流す。
警察と自警団を動員して、街頭で似た者を調べさせる。
今や、残り2日間の勝負になったのである。
4 「ジャッカル」というコードネームの枠内に閉鎖されて逝った男
しかし、10万人の総動員体制の捜査にも拘らず、ジャッカルを捕捉できなかった。
あとは警備のプロの任務と決めつけていた内務大臣は、捜査のプロであるルベル警視の功績を称え、お役御免とするが、一向にジャッカルを逮捕できない現状の焦燥感の中で、ルベルを再登場させる以外になかった。
ルベル警視 |
「どうも、我々は奴を甘く見ていたようだ」と内務大臣。
「大統領は?」とルベル警視。
「明朝10時、凱旋門。11時、大ミサ。公開行事は午後4時だ。抵抗運動に叙勲なさる」
「観衆は?」
「今までより、遠ざけることにした。数時間前に鉄柵を置く。柵内の建物は下水まで徹底的に調べる。式の直前、警官たちに特別バッジを配る。変装対策だ。ノートルダムにも狙撃手を入れる。聖職者も身体検査する。沿道の建物は、屋上に狙撃手。背の高い警官を集めて、大統領を囲ませる」
内務大臣もルベル警視も、勝負の日に一切を賭けるしかなかったのである。
かくて、やって来た8月25日。
パリ解放記念日の式典は、内務大臣が言ったように、鉄柵で囲まれた堅固な「重武装」の枠内で開かれていく。
戦車が走り、凱旋門前には儀仗兵が居並ぶ。
多くの観衆が集合する中を、今度は警備のプロを兼任するルベル警視が、監視の視線を尖らせている。
騎馬隊の優雅なラインが、パレードに花を添える。
会場に到着する大統領。
観衆の視線が、一斉に注がれた。
凱旋門にフランス国旗が掲げられ、ラ・マルセイエーズが演奏される。
大ミサが執り行われるのだ。
既に、1時半近くになっていた。
パリ市南部にある、モンパルナス駅前の6月18日広場。
公開行事での叙勲を行う重大スポットである。
変装したジャッカル |
そんな中、片足を喪っているために、松葉杖をついて歩く一人の老人が若い警官に近づいていく。
帰宅するために、鉄柵で囲まれた道を通して欲しいと言うのである。
偽造の身分証明書を見せて、鉄柵を抜けていく。
言うまでもなく、変装したジャッカルである。
軽いアルミ製の管にした、分解式の狙撃用ライフルを作った理由は、空洞化した松葉杖の中に、一瞬の勝負を決定づけるための銃を隠し込んでおくためだったのだ。
ジャッカルは、既に下見を済ませていたアパートに入り、管理人である老婆を一撃で殺害し、用意された合い鍵を駆使して扉を開け、銃撃スポットの最上階の部屋に入っていく。
部屋を施錠したジャッカルは、窓辺に行って外を見た。
通りを隔てたビルの屋上には、特殊部隊の隊員たちが見えた。
窓から離れ、カーテンの陰の光線の当らないスポットを確保して、松葉杖を分解し、サイレンサーを取り出した。
二つ重ねた台座の上に銃身を固定し、椅子に座って待機する。
6月18日広場に大統領が到着するや、ジャッカルも動いていく。
照準器を覗き、およそ100メートル離れた駅前広場の中枢に静止する大統領を捉えていた。
決定的なタイミングで大統領を狙撃するが、しくじってしまった。
弾丸が銃口から発射されるという、その決定的なタイミングで、大統領が頭部を前に傾けたからである。
勲章の授与者である退役軍人に、大統領がキスするために身を屈めたからだ。
それでもジャッカルは諦めない。
二発目の銃丸を装填して、尾筒(びとう=銃身の後部分)を閉じた。
土壇場でジャッカルの居場所を特定し得たルベル警視が、警官一人を随伴し、アパート最上階の部屋に踏み込んで行ったのは、まさにその瞬間だった。
部屋のドアを撃ち抜き、共に踏み込んで来た警官一人を射殺したジャッカルだったが、新たに銃丸を込めるところを、ルベル警視のサブマシンガンが火を噴き、壁に叩きつけられて、あえなく命を落とすに至った。
「2発目は撃てまい」
ジャッカルのこの言葉通りの結末になったのである。
ラストシーン。
本物のカルスロップが、血相を変えて、ロンドンの警察に出現したのだ。
この一件があって、ジャッカルが別人であることが判然とする。
ロンドン警視庁のマリンソン次長が、トーマス警視に語っていく。
「ジャッカルは英国人とされていた。我々もそう信じたが、カルスロップとは別人だった。デンマーク人やフランス人にも化けたしな。正体は分からない」
「一体、何者だったのかな?」
トーマス警視は、その一言を残すのみ。
最後まで、「ジャッカル」というコードネームの枠内に閉鎖されて逝った男の土葬を、ルベル警視が確認する構図の中で、この印象深い映像は閉じていく。
ラストカットである。
5 「仕事」の頓挫が約束された疑似リアルの物語の途轍もない訴求力
この映画が凄いのは、殺しのプロと捜査・警備のプロが、如何に狙撃の対象人物を斃すか、或いは、その人物を如何に守り抜くかという任務を、登場人物への感情移入をブロックするために一切の内面描写を切り捨てて、共に担った重要な任務の遂行のプロセスを丹念に描き切った点にある。
即ちこれは、重大な任務を担った正真正銘のプロが、その任務を遂行し切るために、如何に万全の準備を整えておくかという描写が物語の骨格を成しているので、観る者はまさに、登場人物への特段の感情移入なしに、彼らプロの仕事を客観的に射程に収めることで、掛け値なしの「鑑賞利得」を得るという一級のサスペンスドラマに仕上がっていた。
この万全の準備の過程の中に、その道の多くのプロが登場する。
彼らプロの仕事の醍醐味を通して、テーマは違えども、如何に任務を合理的に処理していくかという、途切れることがないシーンの継続性に観る者を誘(いざな)っていく訴求力を、掛け値なしに本作は内包していた。
それは、たった一回のチャンスしかないのに、殺し損なった大統領暗殺を担う秘密組織の脆弱性と、あまりに対照的に描かれている点に注目したい。
フレッド・ジンネマン監督 |
以下、フレッド・ジンネマン監督自身に、かつてド・ゴール番記者であった原作者、フレデリック・フォーサイスが上梓した同名の小説から、「強烈な感覚に惹かれた」思い等について語ってもらおう。
「フレデリック・フォーサイスは数年間、ド・ゴール番の報道記者をしていた。写真的な記憶力とともに、彼はド・ゴールに関するさまざまな情報を集めていた。ビアフラ内戦の報道に関してBBCと喧嘩して職を失い、机に向かって35日間かけて将軍暗殺を企む連中に雇われた殺し屋、ジャッカルについての注目すべき事件簿を書き上げた。
本は息をのむ追跡、事実とフィクションが興味をそそられるようにミックスされ、とても視覚的で、ド・ゴールはすべての暗殺計画に生き残ったという結末を誰もが知っていたにもかかわらず、サスペンスがいっぱいだった。最後の瞬間まで、読者はどこで、どうやって襲撃が行われるのか知らされていない。スクリーンの上でも、同じように息を飲むような期待感を保つことをできるまでが難関だった。全てが冷たく合理的で、何の感情もない、巨大なパズルを一緒にするようなものだった。
私は特にストーリーの一番最後から醸し出される皮肉の強烈な感覚に惹かれた ―― フランスの全政府、上は首相から軍隊、警察、憲兵隊、刑事に至るまでが必死になって捜索し、彼ら全員よりも狡猾で、銃を持ったたった一人の男に焦燥感を抱くのだ。恐るべき計画は、文字通り最後の瞬間に失敗してしまう。とても背の低い兵士を勲章授与式で抱きしめようとして、ド・ゴールが突然前屈みになったために」(「フレッド・ジンネマン自伝」キネマ旬報社刊)
このジンネマン監督の言葉の中に、この映画の途轍もない訴求力の高さの本質が凝縮されている。
初めから、主人公のスナイパーの「仕事」の頓挫が約束されているのだ。
その約束がありながら、「事態の緊急性」を映画総体の重要な独立的な要素に据えた、「真昼の決闘」(1952年製作)がそうだったように、観る者が、決定的な〈動〉の瞬間に向かう「映画の時間」の進行と共に、「ノンフィクション」⇒「フィクション」へと変容する過程を曖昧にして、いよいよ、うねりを高めていく疑似リアルの物語の渦中に引き摺りこまれていくのである。
要するに、この映画は、その瞬間まで、観る者に殆ど完璧なプロの技巧の凄みを小出しにし、何者にも変換不能な辣腕ぶり見せていたにも拘らず、なぜ、このプロの「仕事」が頓挫するに至るのかという一点にのみ、観る者の関心を収束させていくのだ。
同時に、最後までその正体を明かすことなく、一貫して自立的で、超然として「仕事」の準備をこなした果てに斃れていく男の、一国の政府を揺るがす最も危険な「仕事」を阻止せんと動く捜査・警備のプロが、如何に万全な「任務」を遂行し得たのかという行動の振れ方を対峙させることで、観る者の好奇の視線を引き寄せて止まないのある。
プロとプロの「戦争」の緊迫した展開を、観る者は、それまで張られていた謎めいた伏線の回収を確認しつつ、追体験していく。
そこには当然、観る者の余計な情緒を揺さぶることで、本線から逸脱してしまう危うい仕掛けなど邪魔になる。
だから、不必要なアクションシーンの一切を削り落していく。
且つ、事件に拘らないエピソードの一切を遺棄しているから、この映画は、「ノンフィクション」⇒「フィクション」へと変容する過程を曖昧にした、疑似リアルの極点を私たちに開いてくれるのだ。
男の「仕事」がなぜ頓挫したかという一点のみで、観客の訴求力を高めてしまう映像の凄み ―― そこにこそ、「ジャッカルの日」と巧みにネーミングされたサスペンス映画の価値の本質が凝縮されている。
一度観たら絶対忘れることのない稀有なる傑作である。
【参考文献】
「ジャッカルの日 」
(フレデリック・フォーサイス著・角川文庫) 「フレッド・ジンネマン自伝」(キネマ旬報社刊)
(2013年11月)
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