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2023年8月15日火曜日

蜘蛛巣城('57)  完璧な俳優陣による完璧な構成と完璧な構築力 黒澤明

 


1  「殿の行く道はただ二つ。じっとこのまま大殿に斬られのを待つか、大殿を殺して蜘蛛巣城の主になるか」


 

 

蜘蛛巣城の城主・都築国春(つづきくにはる/以下、国春)の臣下、北の館(きたのたち)の藤巻が、隣国の乾(いぬい)と通じて謀反を起こし、当初、藤巻の形勢有利が伝わると、重鎮の小田倉則保(以下、則保)が、国春に籠城を進言する。 

則保(左から二人目)

ところがすぐに、一の砦(とりで)の鷲津武時(わしづたけとき/以下、武時)と二の砦の三木義明(以下、義明)が奮迅し、敵陣が崩れ、追い戻しているとの報がもたらされた。 

伝令を待つ国春

藤巻は和平を申し入れてきたが、「和議は許さん!」と国春は烈火の如く激怒し、「直ちに手勢を率いて北の館に行き、藤巻を斬れ!」と下知(げち)する。 

国春


藤巻を成敗した武時と義明は、蜘蛛巣城へ戻る領内で、陽が差していながら雷雨となり、霧深い「蜘蛛手(くもで)の森」の奥深くで道に迷い、そこで歌いながら糸車を回す老婆と遭遇する。 

彷徨う武時(左)と義明

物の怪(もののけ)の妖婆


「何者だ!人間か?化生(けしょう)の者か?」と義明。

「歌うことができれば、言葉も言えよう」と武時。

「はい。鷲津武時様。一の砦の大将様…今宵から北の館のお殿様。やがては、蜘蛛巣城の御城主様」と老婆。

「戯言はほどほどにせい!」

「こんな目出度いお話に、なぜそのようにお怒りなさるのじゃ」

「蜘蛛巣城の主は、わが殿を置いて外におらん!」

武時

「人間はおかしなものよのぅ。自分の心の底を覗くのが怖いのじゃ」

 

矢を射ろうとする武時を義明が止め、老婆に問う。

 

「貴様には、現在、この眼(まなこ)が見るように未来のことが見えるのか?」

「はい。三木義明様。二の砦の大将様。今宵からは一の砦の大将様」

「それから先の所領と位は?」

義明

「あなたの御運は、鷲津様より小さくて、大きい」

「それはどういう意味だ?」

「あなたのお子様は、やがて蜘蛛巣城の御城主様」

 

それだけ言い残すと老婆は消え去り、辺りには其処彼処(そこかしこ)に築かれた死体の山があった。

 

深い霧の中を彷徨い続ける武時と義明。 


やがて霧が晴れ、城が見えてきたが、ひどく疲れていたので二人は馬を降りてひと休みしながら、化生の話を笑い話としつつも、満更でもなかった。

 

武時と義明は帰城し、国春から大いに称される。

 

「鷲津武明!今宵よりは、北の館の主(あるじ)じゃ!」

 

武時は国春より、神妙に太刀を受け取る。 


同じく、義明も一の砦の大将となり、老婆の予言通りに事が運んだのである。 



北の館の主となった武時は、妻の浅茅から「お覚悟は定まりましたか?」と問われる。 

浅茅(右)

「いや、俺は悪い夢を見ていた。俺は物の怪(もののけ)に惑わされていた。だが、もう迷うまい。蜘蛛巣城の主などと、そのような大それた望みは…」

「大それた望みなどと仰せられまするな。『弓矢取る身』(武将のこと/筆者注)に、誰一人それを望まぬ者とてないはず」

「いや、俺はこのままでよい。この太刀の主で大殿に忠勤を励む。分相応の安らかさが好ましい」

「それは、叶いますまい。もし三木義明殿が、蜘手の森の物の怪の予言を大殿に漏らされたら、その時はこのままでは済みません。大殿は自分の地位を脅かす者として、直ちに軍勢をもってこの館を囲むに相違ござりませぬ。殿の行く道はただ二つ。じっとこのまま大殿に斬られのを待つか、大殿を殺して蜘蛛巣城の主になるか」


「主君を殺すのは、大逆だぞ!」

「その後、主君も先君を殺して今の位に就かれた方ではござりませぬか」

「いや、あれは先君が大殿を疑って殺そうとなされたからだ。大殿は俺を信じておられる。この上なく目を掛けて下さる者を…」


「それは、あなたの心の底をご存じないからです」

「俺の心?俺の心には、何もない!」

「それは嘘です」

「馬鹿な!俺は、この館の主で満足しておるのだ」

「もしそれが誠だとしても、それを大殿がお信じになるでしょうか。三木殿からあの予言のお話を聞いても…」

「三木…三木は子供の時から弓矢の友だ。そのような卑劣な真似はせん!」

「出世、功名のためなれば、親が子を殺し、子が親を殺す世の中です。所詮、人に殺されぬためには、人を殺さねばならぬ末世です。わたくしはもう、三木殿が大殿に申し上げてしまったのではないかと、そればかりが心配で…」

「浅茅!人を疑うのもほどほどにせい!」

 

武時が声高に反応した矢先だった。

 

配下より、北の館を囲む林や山影に、夥(おびただ)しい数の蜘蛛巣城の手勢が密かに寄せて来ているという報がもたらされる。

 

武時は血相を変えて刀を手にすると、「大殿の御なり!」と知らせが届き、武時が表に出ると、隊列から笑い声が聞こえてくる

 

隣国の乾を討つために、国春が北の館に隠密でやって来たのだった。

 

そして、先の合戦の功により名誉を取らすと、「武時は先陣の将、義明は蜘蛛巣城の留守を仕(つかまつ)れ!」と二人に命じた。 


下知(げち)を受ける武時と義明

国春の下知を神妙に聞きながら次の一手を考えている浅茅


武時は、これで浅茅の疑り深さに得心がいっただろうと高笑いする。

 

「大殿は、この俺を信じておられる。義明の讒言(ざんげん)などと、疑り怯える心にこそ、物の怪が忍んでおるのだ」

「私は、そうは思いません」

 

それでも浅茅は、なおも大殿を疑う。

 

「…その先出(さきで)の大将は、前と後ろから矢を受けましょう…大殿もお人の悪い。舌の先三寸でこの館を取り上げ、最も信任の厚い三木殿に、危ない瀬を渡らずに済むお城の留守に。そして、憎いあなたを矢玉の中へ。三木殿はお城の高みから、人の好いあなたのご最期を笑って見物なさるでしょう」 


動揺する武時。

 

その夜、武時の寝所を国春に明け渡したので、護衛の前を通って北の館の配下が、藤巻が自害した血糊で、開かずの間となった部屋を整えに行く。

 

浅茅はこの機を逃すまいと武時を唆(そそのか)す。

 

「あなたは私を疑い深すぎるとおっしゃる。しかし、その私でさえ、あの予言だけはどうしても信ぜずにはおられません…あの予言通りになる手はずが、あなたのお手を少しも煩わさずに、ちゃんと整っているではありませんか…大殿は、自らあなたの手中に飛び込まれたのです。今宵を逃しては、またと再びこのような機会はまいりませぬ」

「しかし、大逆を犯して、なんの面目が立つ…」

「大殿はあなたと信じていると言いながら、則保殿の手の者に警護を任しているのが勿怪(もっけ)の幸いです。痺れ薬の入った酒を警護の者に振舞い、その眠りに落ちたのを見澄まして、大殿を刺し、則保殿の仕業として全軍に振れるのです」 


浅茅は、鳥が啼(な)く声を「天下かけたか」と聞き、武時の手を引いて、「大望を抱いてこそ男子。蜘蛛巣城を根城に、やがては天下をも望めと、天来の声と聞こえます」と鼓舞する。 


浅茅は早々に酒を警護の兵士に振舞い、就眠したことを確認すると、藤巻が自害した部屋に移った武時に、自ら槍を持って来て手渡すのだ。 

警護の兵士を眠らせる




浅茅に無言でじっと見つめられ促される武時は、引き攣った顔で笑い声を立て、部屋を出て行った。

 

残った浅茅は、背後の藤巻の血糊が残る床と壁に見て目を背けるが、意を決したように近づき、舞を踊るようにぐるりと回り、自害した場所に跪(ひざまず)いて、じっと見つめる。

 

事を終えた武時が後ずさりしながら部屋に戻ると、浅茅は、荒い息で放心状態のまま握り締めた血の付いた槍を取り上げ、警護の一人にその槍を掴ませるのだ。

血の付いた槍を取り上げる

部屋に戻った浅茅は、大殿の血の付いた手を洗うと、未だ放心状態の武時を尻目に、走って館の門を開き、「狼藉者じゃぁ!」と叫び声をあげる。 


俊敏だった。

 

その声で我に返った武時は、「大殿の大事ぞ!!」と大声で手勢を呼び、槍を持った警護兵士を「逆賊!」と言って刺し殺していく。 


かくして、合戦の火蓋(ひぶた)が切られた。

 

国春の息子・国丸は「武時の謀略」と見抜き、討ちに行こうとするが、濡れ衣を着せられた国春の重鎮・則保が、短慮はいかんと、逸(はや)る国丸を諫(いさ)める。

 

その二人は、義明が守る蜘蛛巣城へ戻って開門を求めるが、門は閉められままで、中から矢が放たれた。 


その様子を見た武時は、逃げる則保と国丸を追い打ちしようとする配下の兵を制止する。 

「義明の真意が分からぬうちは、滅多に動けん。大殿亡き後、このまま城に居座る所存となれば、義明こそ、まず当面の敵じゃ」

 

義明が門を開けなければ、大殿の棺を持って開門を要求するようにとの浅茅からの伝言の通りに、武時は辺りを警戒しながら棺を担いで蜘蛛巣城へ進軍する。

 

城の門が開き、義明と武時は互いに腹を探り合うように無言のまま対面し、二人並んで入城していく。 


「奥方はどうなされた?」と武時が訊ねると、「仇に城を与えるのをこの目で見たくない」と言って自害したと義明が答える。

 

「蜘蛛手の森の物の怪は、よう言い当てたのう。大殿亡き後、乾の輩はきっとこの城を狙っている。よほどの業の者だ。まずもって、お主ほどの力がのうては、この城は守れん。大評定の座で、俺はこの理(ことわり)を皆に伝える所存だ…いずれ、ゆるりと話そう」と義明。 


かくて、「弓矢の友」の運命の終焉が近づいていくのだ。

 

 

 

2  「卑怯者!読めたぞ。俺を殺し、俺の首を土産に敵の軍門に下る気だな!」

 

 

 

予言通り、蜘蛛巣城の主となった武時には世継ぎがいないので、義明の息子に家督を譲ると決めていた。

 

「大評定折り、三木はこの俺を推して一歩も引かなんだ。俺の今日あるは、三木の変わらぬ友情の賜物だ。あの友誼には報わねばならん」


「私はそうは思いません。三木殿があなたを推したのは情誼(じょうぎ)からではござりません。それは、あなたもよくご存じのはず」

「そう申すな。三木は勇気もある。知略にも秀でておる。敵に回せば恐ろしいが、味方にすれば頼もしい。その倅をわしの世継ぎと定めれば、奴は俺のために、どのような労も厭(いと)わぬであろう…よいか。今宵の宴は、その世継ぎを披露する大切な催しだ。三木親子を丁重にもてなしてくれ」

「私は、三木殿のお子様のために、この手を血で汚したのではござりません」

「俺の城主は一代限り。その後は三木の子孫が継ぐ。蜘蛛手の森で聞いたあの予言を信ずるなら、これも詮無いことではないか」

「私は嫌です…私、身籠りました」


「身籠った?!」

 

一方、義明の息子・義輝は、いつもは大人しい葦毛馬が暴れるのを悪い知らせとして、登城を見合わせるよう父・義明に申し入れるが、却下される。 

義照(右

予言通りに登城せんとする父に義輝は食い下がり、物の怪の予言など愚かだと父を批判する。

 

「物の怪に操られ、己の手でその予言のままに事実を作り、予言が当たったとお考えなさる。正気の沙汰とは思えませぬ」

 

しかし、義明は聞く耳を持たず、「よく聞け。血も流さず、屍(かばね)も積まず、一国一城を我が物にできるのだぞ」と義輝を諭すのである。

 

蜘蛛巣城に葦毛馬が誰も乗せずに到着した。

 

既に、葦毛馬の乗り手だろう義明の死を暗示する重要なカットであることが、直後の武時の乱心によって確かめられる。

 

宴は始まっているが、三木親子の席は空いたままで、武時が酒を飲みながらその空席を観ていると、義明の亡霊が現れる。 


武時は驚愕して立ち上がり、「下がれ、下がれ!」と叫び、取り乱す夫を浅茅が諫め、場を取り繕うが、再び義明の亡霊が現れると、錯乱して抜刀し、虚空を斬りつけるのだ。 



手に負えなくなった浅茅は宴を中止し、参列者を引き取らせた後、武時を皮肉る。

 

「ご立派でござります。やがては天下をも狙おうという殿が、幻に怯えて取り乱されるとは」 


そこに、一人の武者が義明の首を持って武時の元に来たが、義照は逃したと報告する。

 

武時は浅茅を縋るように見るが、浅茅は黙って部屋を出て行くと、その武者を斬り殺してしまうのだ。


明らかに、浅茅による暗黙の指示が窺われる。

 

激しく風が吹きすさぶ日、蜘蛛巣城の配下の兵たちが、昨今の不穏な情勢について話し合っている。

 

「つい先ごろ、鼠の大群が城から逃げ出すのを見たそうだ」


「昔から、家が焼けるとき、まず鼠が逃げ出すと言うが…」

 

浅茅は死産し、容体も芳しくないとの報告を受けた武時は、この期に及んで頼るべき何ものもない状況下で、城主の間に戻り、太刀に向かって繰り返し、時には笑いながら、「馬鹿者!」と怒鳴りつけるのだ。


一国一城の主に化けられない自らへの叱咤である。 

浅茅の死産と、死産による病の報告を受け、激しく動揺する武時


「馬鹿者!馬鹿者!」と怒鳴りつける



その時、義照が逃げ込んでいた乾の軍勢が一の砦、二の砦を取り囲んだとの知らせを受けた武時は、側近の武将を集めるものの、その無策ぶりに怒り出す。


今や、乱心によって自軍の結束力が崩れつつある状況が炙り出されているのだ。 



嵐になって、武時は一人で蜘蛛手の森に馬を走らせ、物の怪を呼び出して、武運の予言を求める。

 

焦燥感が募っているのだ。

 

物の怪から、「この蜘蛛手の森が動き出して、蜘蛛巣城へ押し寄せぬ限り、あなた様は戦に敗れることはありません」との言質を得た武時は、「そんなことがあろう道理はない」ので、自分が破れることはないと信じ、合戦に挑んでいく。 


「則保も国丸も、義明の小倅も、皆殺しにしてくれる!」 


則保、国丸、義照の軍勢が、蜘蛛手の森を通って、蜘蛛巣城に迫って来る。 

則保


国丸


義照


森に迫る則保らの軍勢



城の大手櫓 (おおてやぐら)から様子を伺う武明は、動きが鈍いのを見て高笑いし、天守から、怖気づく配下に物の怪の予言を言い聞かせ、自分は絶対に破れないと言い放つ。



何も見えない蜘蛛手の森の方から、木を切る音が聞こえてきた。

 

夜になり、武時らが酒を飲みながら軍議をしている座敷に無数の野鳥が入り込み、不吉な予感を醸すが、武時は吉兆だと強がって笑って見せるのである。

 

翌朝だった。

 

浅茅が発狂し、手の血糊が取れないと、手を洗う仕草をし続けている。 


異様な構図だった。

 

「取れやしない…嫌な血だねぇ。いくら洗っても、なぜ消えないのかねぇ。まだ血の匂いがする…」 


その様子を目の当たりにした武時は、浅茅の名を大声で呼びかけるが、その声に応えることはなかった。

 

そこに配下の兵が騒然として逃げ出し、武時が戻るように命令しても止まらない。

 

「大殿!森が、森が!あの蜘蛛手の森が、あの森が動き出して…」

「何を馬鹿な!」 


武時が外を見ると、森が動き出して迫って来るのだった。 


驚愕して、動転する武時だったが、配下の兵に落ち着いて持ち場に戻るように命ずる。

 

しかし、兵は無反応のまま静まり返り、武時に向かって一本の矢が放たれた。 


それが配下の者たちの返答だった。 


「卑怯者!読めたぞ。俺を殺し、俺の首を土産に敵の軍門に下る気だな!」 


同時に次々と矢が放たれ、武時は追い詰められる。

 

「先の殿を殺したのは、貴様だ!」と側近の一人の初老の武将が武時に言い放った。 



雨霰(あめあられ)の如く、絶え間なく降り注ぐ矢が武時の首を貫通すると、遂に武時は倒れ、絶命した。 

霞立つ城郭で自軍の部下によって斃される男のラストカット


知将の則保はなお兵士を鼓舞し、矢玉を避け、木の枝で擬装した蜘蛛手の森を動かしながら、難攻不落の蜘蛛巣城に迫って行くのだった。

 

 

 

3  完璧な俳優陣による完璧な構成と完璧な構築力

 

 

 

「『蜘蛛巣城』は翻訳作品というより、原作を示唆する作品である。シェイクスピア劇からそっくりそのまま取ったようなシーンもあるが、あくまでもビジュアルに強く訴える映像作品であり、オリジナル性が高い。(中略)ここでは原作名すらクレジットで出てこない」(「世界のクロサワが描いた“Macbeth”」より)

 

黒澤明監督の言葉である。

 

シェイクスピア 四大悲劇の掉尾(とうび)を飾る最高傑作とも称される「マクベス」の映画化として知られ、ほぼ原作を踏襲しているが、戦国動乱の時代を背景に製作された「蜘蛛巣城」が「日本版マクベス」ではないことは、この監督自身の言葉で自明である。 

最初の全集に掲載された肖像画(ウィキ)


人の魔女と出会ったマクベスとバンクォー(ウィキ)



「原作を示唆する作品」であり、どこまでも「オリジナル性が高い」映像、しかも黒澤監督の畢生(ひっせい)の大傑作と評価されて然るべき映像作品である。

 

その素晴らしさに息を呑む。

 

何より、「マクベス」と決定的に異なっているのはラストシーン。

 

王ダンカンに重用されていたマクベスが魔女の予言と妻に尻押しされて、王を暗殺して王位を奪うが、のちに、王ダンカンの遺児マルカムを擁した軍を率いるマクダフに倒されるまでを描く原作と切れ、「蜘蛛手の森が寄せてこない限り俺が王だ」と考え、部下たちを諭していた鷲津武時だったが、実際に森が寄せて来たことでパニックになった部下たちが、武時に大量の矢を放つという裏切り(注)によって無様に死んでいくというストーリーになっていた。 


【注/実際の矢が使われていたことが語り草になっていて、三船の演技を超えた恐怖が画面から滲み出す伝説のシーンが生まれた所以である。まさしく、黒澤監督が言うところの「ビジュアルに強く訴える映像作品」として、舞台劇と一線を画す出来栄えに驚かされる】

 

孤独と厭世の果てに散っていくマクベスの悲劇を、「蜘蛛巣城」では、自己を全くコントロールできず、我を失い続けて、暴走を止めらくなった武時の全人格的破綻を不格好なまでに描き出していた。

 

更に言えば、夫の暴走についていけず、自らの手についた王の血が消えないことに怯え、良心の呵責に苛まれ発狂死していくマクベス夫人と異なり、本稿の梗概を読めば分かるように、夫・武時に対し、常に落ち着き払って、「私は、そうは思いません」などと理詰めで反応し、問いかけ、使嗾(しそう)した浅茅の場合、能面の表情を崩すことなく絶対的自信に満ち、良心の呵責に苛まれるという様子が希薄だから、彼女の発狂が恰も死産に起因するという印象が残される。 

夢遊病に冒されたマクベス夫人(ウィキ)



思うに、この浅茅のキャラ設定のコアに、物の怪に象徴されるように、現代に生きる世界の演劇としても評価される「能」の様式美を取り入れ、少ない台詞の中ですり足で歩き、「曲見」(しゃくみ)の表情を前面に押し出すことで、物語の重要な役割を担わせたことが判然とする。 

山田演じる浅芽は「曲見」(額と顎が突き出たしゃくれた形)の能面の表情を元にした(ウィキ)



崩れることがないそんな浅茅が、マクベス夫人をなぞるように発狂した。

 

死産以外に考えられないのだ。

 

これも、懐妊の描写がない原作と異なっている。

 

鷲津武時には元々、権力欲がない忠君武将に過ぎず、一切が浅茅の使嗾で動くことでセルフコントロールを破綻させてしまったため、親友をも殺すという愚を犯したことで、完全に我を失い続ける人生を晒し続けることになった。 

「大殿は俺を信じておられる。この上なく目を掛けて下さる者を…」

「もし三木義明殿が、蜘手の森の物の怪の予言を大殿に漏らされたら、その時はこのままでは済みません」


その人生の極北に待っていたのは、唯一、物の怪の予言を奇貨として利用しつつ、自己を妄信の果てにまで迷い込ませた浅茅という絶対的存在の発狂と、蜘蛛手の森の襲来と大量の矢の被弾によるグロテスクな死に様だった。 



まさに、鷲津武時の死に様は、妄信の果てにまで迷い込んだ男の生き様を体現する何ものでもない。


武将としての信念を貫けなかった脆弱性こそ、この男の致命的な弱さだったということである。



斯(か)くして、この弱さが罪を犯し、その罪の報いを受けることになった。

 

要するに、殆ど約束された武時と浅茅の自壊から、「天網恢恢疎にして漏らさず」(てんもうかいかいそにしてもらさず)・「獣食った報い」(ししくったむくい)という究極の俚諺(りげん)をなぞることで、シンプルだが、それ以外に考えられないような、作り手の基幹メッセージを読み取ることができるだろう。

 

行為には報いが伴う(カルマの法則)なのだ。

 

そして、この映画で興味深いのは、蜘蛛手(くもで)の森の存在。

 

藤巻の謀反を鎮圧した鷲津武時と三木義明が帰城する際、霧深き蜘蛛手の森に迷い込み、繰り返し行き来するシーン。 

蜘蛛手の森の中で繰り返し行き来する二人の武将


その後、物の怪の予言を聞くことになる一連の描写が物語展開の重要な伏線と化すが、この森こそ、男たちの人生を狂わしていくラビリンス(迷路)だった。 


このラビリンスで開かれた物語の終焉が、ラビリンスの移動で権力欲が膨張し切った挙句、異様な死に様を晒して散る男の生き様の予約済みの収斂点になったというわけである。

 

畏れ入ったと言う外にない。

 

黒澤映画の真髄を究める一作だった。

 

完璧な俳優陣による完璧な構成と完璧な構築力。

 

二の句が継げない。

 

それにしても、三船敏郎と山田五十鈴。

 

共に絶品だった。

 

特に山田五十鈴。

 

私には、1936年に製作された溝口健二監督の「浪華悲歌」が強烈な印象を残していて、自我の強い役柄が定番になっているが、黒澤映画の山田五十鈴はそのキャラが全開している感が強い。 

「浪華悲歌」より

痺れ薬の入った笹の壺を持って来る浅茅

プロ魂の凄みを絵に描いたような女優だ。

 

―― 最近、黒澤映画を観返ししている中で、マクベスも「蜘蛛巣城」も殆ど記憶に残っていなかったが、他の作品を含め、黒澤映画の底力を見せつけられて、つくづく映画鑑賞の在りようについて考えさせられている。 

蜘蛛巣城のオープンセットに集まった黒澤組の面々(ウィキ)



このような完成度の高い映画の読解力を強化するには、次元の高い何某かの問題意識なしには困難であるということ。

 

常に、映像空間が繰り出す情景に問い続けるという類いの問題意識 ―― それに尽きてしまうのだろう。

 

問い続けることのみが、映像空間から享受する自己サイズの内的適応を可能にするのではないか。

 

そう思った次第である。

 

【参照】 「世界のクロサワが描いた“Macbeth

 

(2023年8月)           

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