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2023年8月22日火曜日

PLAN 75 ('22)   復元し、明日に向かって西陽を遠望する 早川千絵

 


1  「いつも、先生とおしゃべりできるのが嬉しかった。おばあちゃんの長話に付き合ってくれて。本当にありがとうございました」

 

 

 

音楽番組に続いて、ラジオからニュースが流れる。 

 

「75歳以上の高齢者に、死を選ぶ権利を認め、支援する制度、通称“プラン75”が、今日の国会で可決されました。高齢者が襲撃される事件が全国で相次ぐ中、深刻さを増す高齢化問題への抜本的な対策を、政府に求める国民の声が高まっていました。発案当初から物議を醸し、激しい反対運動が繰り広げられましたが、ここへ来て、ようやくの成立となりました。前例のないこの試みは、世界からも注目を集め、日本の高齢化問題を解決する糸口になることが期待されます」 

ニュースを聞く就業中のミチ

ホテルの客室清掃員をしている78歳の角谷ミチ(かくたに/以下、ミチ)が、スタッフルームで、ミチは高齢の仲間と休憩している。 

右からミチ、稲子、久江、早苗


一方、「プラン75」の相談ブースで職員の岡部ヒロム(以下、ヒロム)が、付箋をたくさん貼ったパンフレットを手にした高齢の女性から質問を受けていた。

 

「この支度金、10万円もらえるんでしょ?何に使ってもいいの?」

「そうですね。これは基本的に自由にお使いいただけるお金なんで、旅行とか、美味しいものを食べるとか、ほんと、なんでも好きに使ってください」

ヒロム

「ご褒美みたいなもんね」

「お葬式代に充てるって方も中にはいらっしゃるんですけど」

「そいじゃぁ、つまんないわねぇ。フフフ…合同プラン?これ、どういうことなんですか?」

「これはですね。わたくし共と提携している火葬場と霊園がありまして、そこで皆さまご一緒に火葬・埋葬させていただくっていうプランなんです。これだと、全て無料でご利用いただけます…ですから、その場合だと、先ほどお話しした10万円も、より自由にお使いいただけますよね」

「死んじゃったら、分かんないものね。他の人と一緒だって構わないよね」

「その方が、寂しくないって方もいらっしゃいますね」

「あの、審査は厳しいんですか?」

「審査ってのは特になくてですね、健康診断もいりませんし、お医者さんですとか、ご家族の承諾も不要です」

「こっちの方が、ずっと簡単なんだ…簡単のがいいわ」


「今日、申し込みされます?」

「ええ」

「承知しました。では、書類をご用意しますね」

 

ここでタイマーの音が鳴り、30分限定の相談時間が終了する。

 

その頃、市役所の中庭の広場で「プラン75」のブースで申込窓口を担当するヒロムが、隣の炊き出し会場で食事を摂っている高齢男性をじっと見つめていた。 


ヒロムが「プラン75」の相談ブースで待っていた先日見かけた男性に、「叔父さん、ヒロムです」と声をかける。 


驚いてヒロムを見る叔父の幸夫。

 

「大きくなって…」

幸夫

「ご無沙汰してます」

 

幸夫の視線が彷徨い、しばらく沈黙した後、「お願いします」と言って、予め記入した書類を差し出した。

 

ヒロムの上司が、今日が幸夫の75歳の誕生日であることに気づく。

 

「気合を感じるね。叔父さんと仲いいの?」

「いや、会ったのは20年ぶりです。親父の葬式にも来なかったです」

「訳あり系か…岡部はいいの?」

「うーん」

 

即答できないヒロムは、上司から「お前は三親等だから担当できない」と告げられた。 


また、ミチが訪れた保健所の健診の待合室では、モニターに「プラン75」のCMが流れている。

 

一人の男性が、そのテレビモニターの電源コードを引っ張って、消してしまう様子を見ていたミチは、男性の顔を見て、一人微笑む。

 

公民館の多目的ルームでカラオケを楽しむミチと仕事仲間の3人。

 

『林檎の木の下で』を歌うミチ。 

ミチと稲子

孫と家族がいる久江と早苗に対して、家族のいないミチと、やはり娘と音信不通で一人住まいの稲子とでは、死の迎え方について話が嚙み合わない。

 

ミチは稲子の家に遊びに行って泊まることになり、布団に入ったミチが稲子の手を握ると、稲子も握り返してきた。 

稲子との最後のひと時

翌日のこと。

 

その稲子が仕事中に倒れてしまった。

 

稲子が倒れて入院したことで、表向きは「投書があった」との理由で、会社は高齢のスタッフ4人全員が解雇されるに至った。 

解雇されるミチ

ミチはロッカーを片付け、自宅の公営住宅に戻ると、退去期日を知らせる張り紙に目をやる。 


退院したはずの稲子に電話しても反応がないので、留守録を入れるミチ。

 

ミチはまず引っ越し先を探すために不動産屋へ行くが、無職の高齢者の入居は難しく、5軒目も断られてしまう。

 

「仕事を見つけてからじゃないと、難しいですかね」

「厳しいですよね。因みに、生活保護っていう手は考えないですか?受給者さん向けのアパートというのが結構あって、そちらの方が可能性あると思うんですよ」


「もう少し頑張れるんじゃないかと思って…」

 

その後、職業安定所に行き、若者に交じってパソコンを操作するが、うまく使いこなせない。 




直接スーパーに当たってみるが断られ、同僚だった久江に電話するなど手を尽くすが、結局、再就職先は見つからなかった。 

久江に電話する

その後、何とか夜間の交通整理の仕事に就くが、ぎこちなく、鼻水を拭い、寒さに震えるミチはガードレールにもたれかかって体を休める。 


高齢者に見合わない夜間労働のシビアさがひしと伝わってくる。

 

そんなミチに不幸が連鎖する。

 

何度かけても留守電のままの稲子の家を訪ねると、玄関の鍵を外側にかけ、テレビは点けっぱなしで、稲子は食卓のテーブルにもたれ、息絶えていた。 


死後硬直がピークに達し、思わず異臭に鼻をつまむミチ。 



その頃、ヒロムは「プラン75」を申し込んだ幸夫のアパートを訪ねると、外でゴミ拾いの仕事をしていた。 


叔父を見つめるヒロム


幸夫が食事の支度をする間、ヒロムは幸夫の古い「献血手帳」を見つけ、「長崎にいたの?」と問いかける。

 

「長崎?あ、橋だ。トンネル、高速、ダム、なんでも造った。日本全国、呼ばれたら、身一つで」

「広島、仙台、名古屋、北海道…とりあえず献血するんだ?」

「そうだよ」

 

今はこんなになったと、幸男が献血カードを見せるとヒロムは「味気ないね」と言い、「だろ?」と答え、カードを放り投げる。

 

「捨てちゃうの?」

「捨てちゃうよ」

 

【2006年に献血手帳に代わって献血カードに替わり、現在に至っている】 

献血カード

幸夫は窓の外から卵を持って来て、二人並んで台所で料理を始める。 


「お母さん、どうしてる?」

「再婚した」 

「いつ?」

「いつだっけ。ずっと前」

「お父さん、死ぬ前か」

「うん…病気して、だいぶ丸くなったけど、前はひどかったから…」

 

食後、幸夫は「プラン75」関連のニュースを放心して聞き、ヒロムが台所で食器を洗う。 

叔父の部屋の台所で食器を洗うヒロム

「『プラン75』開始から3年。様々な民間サービスも生まれ、その経済効果は8兆円とも言われています。政府は今後10年をかけて、対象年齢を65歳まで引き下げることを検討しています。世界で最も速いスピードで高齢化が進んできた日本に明るい兆しが見えてきたと専門家は語ります。甲南大学…」 


帰りに見送りに来た幸夫が手を振り、ヒロムは手を挙げて応え、背を向け歩き出す。 



ミチは追い詰められていた。

 

夜中、眠りに就けず、台所で水を飲み、テーブルに突っ伏して、珠暖簾(たまのれん)の奥の暗がりを見つめている。 

テーブルに伏すミチ



翌日、ミキは市役所を訪れるが生活支援相談の受付は終了しており、ソファでぼんやりと外を眺め、暗くなってから、「プラン75」の幟(のぼり)が立つ炊き出し会場から少し離れたベンチに座っていた。 


そこに、ヒロムが近づき、「どうですか?」と食事を渡すと、ミチは受け取った器をじっと見る。 

「どうですか?」



自宅で「プラン75」のパンフレットを見ていると、「プラン75」のコールセンターの成宮瑶子(なりみやようこ/以下、瑶子)から電話が入り、名前を確認されると、「はい、そうです」と元気よく応答するミキ。

 

「この度は、『プラン75』にお申し込み頂き、ありがとうございます。短い間ではございますが、どうぞよろしくお願いします」

「お世話になります」 


「短い間」という、死を前提にスタートする二人の関係が、ここから開かれていく。

 

一方、病気の娘をフィリピンに残し、介護師として日本で働くマリアは、手術費用を捻出しなければならず、フィリピンのコミュニティのリーダーに寄付を募ってもらい、より高給な政府関係の仕事を紹介された。

マリア



講習を受け、早速「プラン75」の施設で働き始めたマリアは、遺体から身につけた腕時計やネックレス、眼鏡などを外してカートのトレーに載せ、リサイクル室に運ぶ。 

リサイクル室で


バッグの中の遺留品を仕分けする作業中、同僚の男性に時計を渡されると、マリアは断る。

 

「死人は使えない。使えばゴミじゃない。皆、幸せ」と片言の英語で説得すると、マリアはおずおずと受け取った。 


「死者を忘れるな」と言われ、マリアは時計を撫で、ポケットにしまうのである。

 

定期的にコールセンターの瑤子から電話が入り、15分間の会話を楽しむミチ。 


ミチは10万円もらっても使い道はなく、孫にお小遣いすることもないと、瑤子にポチ袋を渡して感謝を伝えた。

 

「角谷さんは声の印象のまま。いい声だなって、ずっと思ってました」と瑤子に言われ、喜ぶミチ。 

瑤子

そのあとミチは、瑤子に教わってボーリングに挑戦し、“ストライク”を出して、他の若者と喜びを分かち合うという楽しいひと時を過ごした。 

ミチと瑤子


ミチは特上の寿司を頼んだと話し、瑤子との最後の会話に臨む。

 

「特上なんて、食べたことないです」


「だったら、先生の分も頼めば良かったね」

 

そこで15分のタイマーが鳴り、会話がいったん途切れ、ミチは寂しそうな表情をする。

 

「最後に、お伝えしないといけないことが、幾つかあるので、いいですか?」

「はい」

「いちばん初めにご説明させていただいたのですが、大切な事なので、もう一度お伝えしますね。『プラン75』は、利用者の皆様のご要望を受けて、私どもが提供させていただくサービスです。万が一、お気持ちが変わられたら、いつでも中止できます」

「はい」

「明日の朝のことですが、家を出る時に、鍵を閉めないで出てください。後ほど、担当の者がご自宅へ伺って、最終確認と大家さんへの引き渡しを行います」


「最後まで、お世話になりますね」

「こちらからは以上になります。何か、ご質問があれば…」

「いつも、先生とおしゃべりできるのが嬉しかった。おばあちゃんの長話に付き合ってくれて。本当にありがとうございました」 


頭を深々下げるミチ。 


「それでは…これで」と瑤子。

 

涙声だった。

 

「さようなら」とミチが最後の挨拶をし、受話器を胸に当てるのである。 


受話器を胸に当てるミチ


その夜、瑤子は自宅から涙目でミチの家に電話をかけ呼び出し音が続くが、ミチが電話線を抜いた後だった。

 

ミチは家の中を片付け、翌朝に備える。

 

当日の朝を迎えたミチは、カーテン越しの光に手をかざして見つめ、顔を洗い、髪を整え、ベランダに出て、外の景色に浸るのだ。


 

 

2  “♪林檎の木の下で 明日また会いましょう 黄昏赤い夕陽、西に沈む頃に♪”

 

 

 

ミチはバスの中から外の景色やトンネルの電灯、人生最期となるこの日、目に映るすべてのものを焼き付けている。 



その頃、ヒロムは幸夫が施設に向かう朝、車で迎えに行った。

 

「悪いな。今日に限って、どうしたもんか…いつもは4時に目が覚めんのに」


 

食堂に寄って二人で黙々と食事をする中、ヒロムが幸夫のために酒を注文する。 


ヒロムがトイレから出て来ると、酒のコップを持ったまま、じっと動かず、座って外を見つめる幸夫の後姿が目に留まった。

 

車から降りて、食べた物を嘔吐(えず)く幸男の背中を、「大丈夫?」と言ってさすり、「帰る?」と訊ねるヒロム。 


首を横に振る幸夫は、車に戻る。 


「お父さん、俺のこと怒ってたろ」

「会いたがってたよ」

「声まで似てるな」

「叔父さんだって」

「それは、お前…兄弟だもの」

 

施設に着き、幸夫が車から降りて歩いて向かっていく姿を、ヒロムは車の中で見届ける。 



施設には、ミチがベッドに座り、吐き気止めの薬を飲まされていた。 



ヒロムは家路に就くが、思い余って車を止め、Uターンして来た路を引き返す。 



吸入器をつけ、ベッドに横になるミチ。 


カーテンで仕切った隣のスペースから、看護士の声が聞こえる。

 

「もうすぐお薬が出てくるのでね。ゆっくり呼吸を続けてください。だんだん眠くなってきますから、リラックスして、そのまま眠っていただいて大丈夫ですからね」

 

そこに携帯が鳴り、何らかの不具合が生じて、看護士はその場を去る。

 

手違いから、ミチのマスクにはガスが流れなかったのだ。

 

ミチが隣のベッドに目をやると、カーテンの隙間から、吸入器を付けた幸夫の顔が見えた。 


朦朧としながらミチの方を見た幸夫は、すぐに意識が遠のいて目を瞑る。

 

ミチは目を見張り、呼吸が荒くなっていく。

 

施設に着いたヒロムは、ナースステーションに誰もいないので、ベッドの遺体が並んだ病室で立ち竦んでいる。

 

カーテンで仕切られたスペースの廊下を歩いていると、吸入器を点けたままベッドに腰かけているミチがいた。 


ミチと見つめ合うヒロム。 


ヒロムを見つめたまま、ミチが吸入器を外すとヒロムは黙礼する。

 

隣のベッドの幸夫に声をかけ、脈を確認するが、既に息絶えており、ヒロムはベッドに座り込む。 


ヒロムは、せめて幸夫の遺体を火葬して弔うためにベッドから降ろそうとしていた。 

叔父の遺体を運び出そうとするヒロム


それに気づいたマリアが、遺体をストレッチャーに載せて車まで運び、幸夫を助手席に乗せるのを手助けする。 



降り出した雪の中、車を止めてヒロムは火葬場に問い合わせると、早くて4日後になると言われるが、本日の4時に一つだけ空(あき)があるとのこと。


【高齢化に伴う死者数の増加による「火葬待ち」の問題は、2023年段階で既に深刻化している】


この間、ヒロムは助手席の幸夫を穏やかな表情で見つめる。 


その後、ヒロムは猛スピードで車を走らせるが、スピード違反で警官に止められてしまうが難を逃れ、叔父の魂を鎮(しず)めるために目的地に向かっていく。

 

西陽(にしび)が照らす海辺の舗道を自転車で走り抜けるマリア。 



施設を抜け出したミチは、木が覆い繁る車道を息を切らして歩く。 


日没の赤い夕陽に照らされるミチ。 



ラスト。

 

高台から夕陽に染まる街を見下ろし、『林檎の木の下で』を切れ切れに口ずさむ。 


“♪林檎の木の下で 明日また会いましょう 黄昏赤い夕陽、西に沈む頃に♪”

 

晴れ晴れした表情で、歌い終えたミチが立ち去っていく。

 

 

 

3  私たち一人一人に対して、問題意識の強度を突きつける映画  

 

 

 

2016年7月26日未明、その事件は起きた。 

 

事件の現場は、自治体の施設運営を民間委託する「指定管理者制度」を導入した、「津久井やまゆり園」という知的障害者福祉施設だった。 

「津久井やまゆり園」再建へ取り壊し始まる


神奈川県にある県の施設に、柳刃包丁(5本)やナイフなどの刃物を所持した一人の男が侵入し、あろうことか、僅か1時間の間に、入所し、寝ていた19人の障害者(19歳から70歳)を刃物で次々と刺殺したばかりか、施設職員も含めて、26人に重軽傷を負わせた大量殺人を犯したのだ。

 

男の名は、植松聖(うえまつさとし)。 

植松聖/同上

26歳(当時)の元施設職員である。

 

植松による陰惨な事件の本質は、2003年から翌年にかけて韓国で発生した、「柳永哲(ユ・ヨンチョル)事件」(ソウル20人連続殺人事件)のように、冷却期間を置いて複数の殺人を繰り返す「シリアルキラー」による犯罪ではなく、「犯行の一貫性・合目的性」において、「目標指向的行動」を心理的背景に持つ「大量殺人」であると言える。 

柳永哲(ユ・ヨンチョル)/同上


犯行時、裏口から敷地内に侵入した植松の目的は、ただ一つ。

 

この世に有害であると決めつける「障害者の存在」そのものの、全人格的な完全破壊である。

 

だから、障害者を抹殺する。

 

「意思疎通ができない障害者は、生きていても仕方がない」

 

植松の供述であるが、センセーショナルな話題を呼んだ映画「PLAN 75」は、作り手自身が語っているように、この事件から着想を得て作られた物語のモノローグから開かれる。【拙稿「障害者の『全人格的な生存権』と、『人間の尊厳』の完全破壊の悍ましさ」を参照されたし】 

障害者の『全人格的な生存権』と、『人間の尊厳』の完全破壊の悍ましさより

「増えすぎた老人が、この国の財政を圧迫し、そのしわ寄せは全て若者が受けている。老人たちだって、これ以上、社会の迷惑になりたくないはずだ。なぜなら、日本人というのは、昔から国家のために死ぬことを誇りに思う民族だからだ。私の、この勇気ある行動がきっかけとなり、皆が本音で議論し、この国の…未来が明るくなることを心から願っている」 

殺傷後の男


血糊のつく手を洗う


猟銃を額に当てて自殺する



冒頭における男のモノローグであるが、太平洋戦争における兵士の強いられた死生観が陳じられていて、既に根本的に誤っている。

 

一言で表すと、単に他人に迷惑をかけることを忌避する日本人の文化依存症的傾向を拡大解釈しただけの話。

 

また、被害者を障害者から老人に変えているが、意思疎通ができないばかりでなく、生産性がない者を排除するという拠って立つ発想の淵源は同じもの。

 

同性カップルは「生産性がない」と評した杉田水脈衆院議員の差別体質にも通じるのは言うまでもない。 

いつものように舌先三寸の答弁をする杉田水脈衆院議員



ここで思うに、1985年の全国民共通の基礎年金制度の導入で 我が国の公的年金制度が世 代間扶養の仕組みが基本とされたことで、「積立方式」ではなく「賦課方式」にしたことの重さがいよいよリアリティを帯びている。 

賦課方式


【拙稿「政治は今、『利益の分配』⇒『不利益の分配』に遷移している」を参照されたし】


高齢者世代の年金給付を、その時点の現役世代が負担するに至り、この四半世紀で、若年世代の税負担率がほぼ倍増したと言われるほど。 

この四半世紀でほぼ倍増した若年世代の税負担率」より


「生きづらいのは高齢者だけじゃなくて、若い人も一緒」

 

早川千絵監督の言葉である。

 

極めつけなのは、このインタビュー記事。

 

「カンヌで上映した後にフランスのメディアから取材を受けたんです。その時に、もしフランスでこういう制度ができたら、きっとすごい反対運動が起きるけど、この映画で描かれている日本人はすんなり受け入れてしまっている。そこが不気味だし日本人らしいと感じた、と言われたんです。それがまさに描きたかったところで。『決まってしまったことは仕方がないから従おう』って自分で考えることをやめてしまうという傾向が、日本人には強いんじゃないかと思っていて。そこに危機感があるんです」 

早川千絵監督(画像)/記事はこのアドレス

ここに、日本人の思考停止状態に危惧する作り手のモチーフが読み取れる。

 

「不気味だし日本人らしい」という表現は愉快ではない。

 

我が国では、何が起こっても暴動にはならないのだ。

 

但し、メディアを中心に、結構大きな反対運動が起こる。

 

反対運動は喧(かまびす)しく広がり、沸点にまで達するだろう。

 

だが、その先がない。

 

フランスのように、暴動と呼んでもいい反政府のメッセージで塗り固められた騒動は頻発しないのだ。

 

反マクロン運動の高まりの中で起こった「黄色いベスト運動」(2018年11月)、無許可のデモが相次ぎ、警察と全面衝突した挙句、ゴム弾で失明した抗議者を出した「年金制度改革抗議行動」(2023年3月以降)にまで膨れ上がることがないのである。 

黄色いベスト運動/東フランスのヴズールにおけるデモ(ウィキ)
黄色いベスト運動/火を放たれた後の車の残骸(ウィキ)


年金制度改革スト(ウィキ)


年金制度改革に対する抗議活動



そのフランスでも、必ず抗議者の破壊行為が出来するが、それでも革命にはならない。

 

民主主義の絶対ルールだけは外さないのだ。

 

曲がりなりにも、自由民主主義という基本理念が、我が国を含む西側諸国では定着しているからである。 

 

20世紀に、市場経済・WTOと共に、自由民主主義という世界システムを確立した当該国家では今、連邦議会襲撃事件が起こり、史上初めて大統領経験者が起訴される事態が出来してしまった。(党利党略と言う勿れ)。 

連邦議会襲撃事件



逆に言えば、大統領経験者であっても不正は裁かれるという事態こそ、民主主義社会の所産であると言っていい。

 

思えば、自由民主主義という政治システムが確立していなかった我が国において、「シベリア出兵」で米の積出し停止を要求して、富山県魚津町(うおづまち)の妻女らが起こした「1918年米騒動」は日本史上最大の民衆暴動だった。【拙稿「米騒動とは何だったのか 映画「大コメ騒動」('21)に寄せて」を参照されたし】 

米騒動とは何だったのか」より


しかし、もう起こらない。

 

せいぜい、ヒロムが嫌がらせを受けたのが精一杯の抵抗だった。 


我が国では、「黄色いベスト運動」など起こりようがないのである。

 

だが、「その先」こそ、何より至要(しよう)たるテーマではないか。

 

暴動とは言わないが、「プラン75」に反対であれば、継続的にその運動を実践躬行(じっせんきゅうこう)していかなければならない。

 

日本人はあまりに諦めやすく、何事も容易く受け入れ過ぎる。

 

受容することで葛藤状態の苦衷(くちゅう)から逃れてしまう。

 

面倒臭いことにインボルブされたくないのである。

 

取り敢えず、状況に適応していく。

 

その方が楽だからだ。

 

「セロトニントランスポーターS型」(不安遺伝子)を持つ比率が高いと言われる所以なのか、厄介なことを日常生活に引き込みたくないのである。 

セロトニントランスポーター



どうやら、「触らぬ神に祟りなし」というメンタリティが日本人の行動原理となってしまっているようである。

 

当たらぬ蜂には刺される心配がないのだ。

 

諸事安泰 ―― これが全てなのか。

 

主人公のミチの生きざまは私たち一人一人に対して、この問題意識の強度を突きつける映画だった。 


この問題意識において、印象深いシーンがあったので、次章で再現する。

 

 

 

4  復元し、明日に向かって西陽を遠望する

 

 

 

以下、ミチと瑶子の会話である。。

 

「最初の結婚は嫌々。お見合い、断れなくてね。商売やってる家だったから、朝から晩までこき使われて。もう、辛くて辛くて。毎日、逃げ出すことばっかり考えてた」

「逃げ出したんですか?」

「子供ができてね。でも、生まれる時に、へその緒が首に巻きついて死んじゃったの。小さい病院だと、そういう赤ちゃんを助けられないのよね。あっ、もう15分経った?話してると、あっという間ね」

「金曜日に、またお電話しますね」 


ミチは瑶子に懇願して、2度目の夫との思い出のボーリング場に付き合ってもらうことにした。

 

「どうして会っちゃいけないのかしら?」

「情が移って心変わりしないようにってことじゃないですかね」

 

そのあと、情が移って回避していた「プラン75」についての説明をする瑶子。

 

「明日の朝のことですが、家を出る時に、鍵を閉めないで出てください。後ほど、担当の者がご自宅へ伺って、最終確認と大家さんへの引き渡しを行います」 


「さようなら」と言って二人の関係が閉じていくが、ここまで言わねばならなかった瑶子の心情に、自らが携わる仕事に対する不信感が生まれるのは必至だった。

 

日ならず、瑤子が弁当を食べている休憩室で、コールセンターの講師が新人に研修をしている。

 

「こちらに掛けてくるのは、70代、80代の方が殆どなんですけど、お年寄りっていうのは、寂しいんです。誰かに話を聞いてもらいたくて仕方がないんです。そういう方々に寄り添って、じっくり話を聞いて差し上げるのが、皆さんの仕事です。実際、途中でやっぱり辞めたいってなる方が、すごく多いんです。そうならないよう、皆さんが上手く誘導してあげなくちゃいけない。人間ですから、不安になるのは当たり前ですよね。好き好んで死にたいなんて、思わないですよね。そういう気持ちには、きちんと寄り添うことが大切です。その上で、利用者様がこの世に未練を残すがことなく…」 


講師の話を背後に聞きながら、瑤子の表情が虚ろになって、話声は耳に入らなくなっていく。 


視線を下に向け動かなくなった瑤子は、突然、問いかけるような眼差しで手持ちカメラを凝視するのだ。 


明らかに、映画を観る私たちに向かい、「第四の壁」を壊して、「あなたは、どう思いますか?」と問いかけてくるのだ。

 

本当に、「プラン75」は高齢者を「諸事安泰」に導くものなのか。

 

それを問いかけるのである。

 

「プラン75」という架空の物語だが、それを求められる社会が忍び寄っている現代史的状況に対して、作り手は問題意識の共有を私たちに突き付けてきたのである。

 

―― 梗概でも書いたが、ここで「プラン75」への申請に至るミチの心理をフォローしていく。

 

彼女には、無料の公民館でカラオケを愉悦するホテルの客室清掃員の仲間がいたが、最も親しい稲子とミチだけが身寄りがない高齢者だった。 

ミチと稲子の親愛感は強い

しかし、高齢を理由に解雇されたばかりか、公営住宅も建て替えのために立ち退きになってしまう。 

解雇されロッカーを片付けるミチ

公営住宅への帰途

その後も求職活動や引っ越し先を探すが断られるのだ。

 

冬の寒さの中で、何とか交通整理の仕事に就いても、疲労で体がついていかない。

 

殆ど極限状態だった。


 

そんな中、稲子の孤独死を目の当たりにしてしまう。

 

もう、限界だった。 


その後、市役所の生活相談の受付に行くが、当日終了の掲示を見ることになり、そのスポットで途方に暮れるのみ。

 

夜になり、炊き出しの様子を呆然と窺っていたところにヒロムから炊き出しの食事を受け取ることになる。 


今や、選択肢がないのだ。

 

「プラン75」への申請に至るのである。

 

自己責任の限界の行程を辿るこの辺りの描写と、そこから開かれる瑶子との心的交流の一連のシーンには、相当の説得力がある。

 

一方、ヒロムの場合、公園のベンチに人が寝そべらないための仕切りを選定し、業者に発注するなど、老人が社会で住み難くするような「プラン75」に誘導する国策に取り組む自治体職員として、明らかに生活に困窮して、住む家も覚束ない弱者の高齢者を炙り出しやすくするために、「プラン75」の受付ブースと炊き出し会場を隣接させて、件(くだん)の仕事を忠実にこなしていた。

職務に忠実なヒロム

 

一方、一定以上の生活レベルの高齢者には、民間で主催する豪華プランが選択肢として用意されている。

 

一見すると、「プラン75」というシステムには全く不備がないようだった。

 

言うまでもなく、「プラン75」の有能なセールスマンであるヒロムが大きく変容していく契機となったのは、叔父(父の弟)との20年ぶりの再会。 

叔父・幸夫と、複雑な表情を見せるヒロム



日本中を渡り歩く建設労働者であった過去など遠い思い出でしかなく、今やゴミ拾いなどで身過ぎ世過ぎを繋いでいた孤独な老人が今、75歳の誕生日を迎えたことで「プラン75」に申請するに至った。

 

その叔父のゴミ拾いの仕事をする現場を目視したヒロムは、叔父の部屋で語り合うことになり、次第に縁者として無関心でいられなくなる。 

叔父・幸夫のアパートの部屋で会話する


そして、上役がお茶を濁して適切な反応を受けられなかった事案が気になり、自ら調べた結果、分かったのは関連施設である株式会社「ランドフィル環境サービス」の存在。


その事業内容には、希少金属や再生原料の買い取りを実施する「リサイクル事業」があり、ヒロムの目に留(と)まったのは、その最終処分の多数の受け入れ品目の中に、「残骨灰」という文字。 


要するに、「プラン75」のシステムでは合同で行う場合は無料なので遺体が合同で処理され、バラバラにされてしまうので、遺骨が遺族に戻って収骨されないことになる。

 

合同処理については知っていながらも、「プラン75」のシステムの総体について知らされることがなかったが故に、遺骨の最終処分の現実に対して想像力が及ばなかったことは衝撃的だったに違いない。

 

自分がアウトリーチしなければ、叔父は収骨されることなく永久に葬られてしまうのだ。

 

自らが関わる安楽死への誘導という、「プラン75」の最終地点でのヒロムの違法行為の推進力になったのが、この危機感だった。

 

叔父を死なせるわけにはいかない。

 

そう考えた時、急いで逆走して駆けつけていく。

 

しかし、手遅れだった。 


ならば、自らが埋葬してやらねばならない。

 

「プラン75」のシステムの最大の欠陥は、貧しき申請者に遺族の収骨が排除されていること。

 

即ち、死体処理と同時に、葬送儀礼の本質である鎮魂にまで及ばないのだ。

 

【ここで、貧しき申請者に対する無料の「合同プラン」と異なり、富裕層が利用する民間の「プラチナプラン」が存在することが描かれていた。久江がもらってきたパンフには、「温泉プール、エステ、マッサージ、写真館」があり、家族に見守られながら逝くことが可能なのである。即ち、鎮魂が担保されているのだ】 

「プラチナプラン」のパンフレットを見せる久江


言葉の上では分かっていても、いざ自分が身内になると簡便に処理できなかった。

 

どうしても、情が生まれてしまうのである。

 

この感情は、叔父のプライバシーの寒々しい風景を目の当たりにしたことで生まれ、強化されていった。

 

斯(か)くして、一人の有能な若き公務員が変容していく。

 

せめて火葬は合同ではなく、身内として行おうと奔走するヒロム。

 

叔父の遺体を鎮魂するためである。

 

鎮魂なしに灰にすることを拒絶する。

 

意を決して、ヒロムが動く。

 

遺体となった叔父を担いで車にまで運んでいくのである。

 

だが、容易にいかない。 


生体時と異なって、支えられることができる態勢を取らないので、質量は変わらなくとも遺体は重いのだ。

 

ここで介在するのは、フィリピンに残した病気の娘を救うために、遺体の遺留品を仕分けする作業に携わるマリア。

 

見て見ぬ振りができない彼女が事情を察して、ヒロムの違法行為に加担するのである。

 

ストレッチャーに遺体を乗せて搬送していくのだ。 


この映画でのマリアの存在は、一貫してヒューマニズムの役割を得てキャラ設定されている。 


言ってみれば、「プラン75」のシステムを相対化する役割を担っているように見える。

 

ヒロムの違法行為が自己完結した時、「プラン75」のシステムの決定的矛盾が炙り出されて、このシステムの抜本的な改革が求められていくだろう。

 

これが、復元したミチが明日に向かって西陽を遠望する感動的なラストシーンに収斂されていくのである。

 

作家性が強い映画だから気になったシーンもあったが、私たちが決して避けて通れないテーマを映像化した問題意識に共感し、一級の社会派映画として受容したい。

 

(2023年8月)

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