1 「昨日の夜、大変なことが起きたんだ。男たちが銃を持って…ピクニックや散歩に来てた人たちを撃った。大勢が撃たれた…」
パリで短期滞在のアパートの雑用をしているダヴィッドは、案内するインド人観光客の到着が遅れたことで、姉・サンドリーヌの7歳の娘・アマンダを学校に迎えに行くのが遅れてしまった。
ダヴィッド |
高校で英語教師をしているシングルマザーのサンドリーヌは、そのことでアマンドを責めたが、ダヴィッドを慕うアマンダが庇う。
サンドリーヌ |
アマンダ |
サンドリーヌとダヴィッドも、母親と離婚した父親に育てられ、その父も2年前に亡くなり、元々仲の良いこの姉弟は常に協力し合って生活しているのだった。
ダヴィッドが帰り、サンドリーヌがアマンダの宿題を見ていると、アマンダがテーブルの上にあった本のタイトルに反応する。
「“エルヴィスは建物を出た”って何?」
サンドリーヌは、エルヴィスは昔のアメリカの人気歌手で、コンサートが終わってもファンが帰らなかったので、係の人がマイクで、「“エルヴィスは建物を出ました”」と言ったことに始まると説明する。
「“もう帰ってくれ”ってことよ。分かる?その表現が有名になり、今も使われているわけ。“望みはない”、“おしまい”ってこと」
「分かった。面白いね」
サンドリーヌは更に、ネットにあるその時の録音をアマンダに聞かせ、続いて流れてくる音楽に合わせて、二人は楽しそうに踊って盛り上がる。
そんな折、アパートに新しい入居者のピアノ教師・レナを案内し、互いに惹かれ合う二人は親交を深めていく。
レナ(右) |
ある日、サンドリーヌが手に入れたウィンブルドンのチケットをテニスプレーヤーだったダヴィッドに手渡し、3人でロンドンへ行こうと誘った。
ロンドンには、幼い頃に姉弟を捨てた実母・アリソンが住んでおり、サンドリーヌがアリソンと自分を会わせようとしていると知ったダヴィッドは反発する。
「僕はアリソンにあまり会いたくない。“会いたい”って手紙も来たけどさ…手紙が来た時点で相談してくれよ」
「そっちにも来たでしょ?」
「ゴミ箱の中にあるよ。20年後の再会なんて…」
しかし、ダヴィッドは気を取り直し、3人のウィンブルドン行きを素直に喜び合う。
ある日、サンドリーヌは新しい恋人イヴァンと、ダヴィッドとレナの4人でピクニックに行くことになり、アマンダをシッターに預け、慌てて出て行った。
一方、ダビッドは駅で列車が遅れて案内する客が到着しないので、レナに連絡を入れた後、急いで自転車で向かった。
公園に到着すると、ダヴィッドは信じがたい光景を目の当たりにして衝撃を受ける。
血に塗れた多数の死傷者が横たわっていたのである。
パリ同時多発テロだった。
サンドリーヌはその犠牲者の一人で、レナも重傷を負って病院へ運ばれていた。
憔悴するダヴィッドは一睡もせず、サンドリーヌの家で朝を迎え、起きて来たアマンダを散歩に誘う。
一睡もできず、抜け殻のようになるダヴィッド |
ベンチに座り、アマンダの手を握りながらダヴィッドは話し始めた。
「昨日の夜、大変なことが起きたんだ。男たちが銃を持って…ピクニックや散歩に来てた人たちを撃った。大勢が撃たれた…ママもだ」
ダヴィッドはアマンダの手を握ったまま嗚咽する。
「でも…どうしてみんなを撃ったの?いつママに会う?」
「もう会えない。死んだんだ。二度と会えない…」
ダヴィッドはアマンダを抱き締めた。
歩きたいというアマンダと手を繋ぎ、二人は無言で街を彷徨し、橋からセーヌ川を俯瞰する。
軍の兵士があちこちで警備しており、建物の中に入ろうとすると、「散歩する日じゃない。帰りなさい」と言われてしまい、アマンダは抑えていた感情が爆発し、歩きながら落涙してしまうのだ。
アマンダを父の妹の叔母・モードの家へ預け、ダヴィッドは公園の木を切るバイトをし、アマンダの今後について、役所に相談に行った。
「まず、アマンダの法的身分が必要です。旅行や手術にも欠かせません」
その為には、裁判官が親族を集め、親族会議を通して、後見人と監督人(裁判官と共に後見人を監視する人)を決める必要があると説明する。
その資格があるのは、叔母のモードか、アマンダと会ったことのない母・アリソン、そしてダヴィッドだった。
「行為の制限がある未成年者には、法的な父親が必要です…あなたの考えは?」
「姪を育てるなんて、想像もできない。いい子ですけど…」
「引き取るのは怖い?お若いし、当然だわ。ご不幸の直後だし」
数週間以内に決めなければならないが、24歳のダヴィッドには、突然、姪を娘とする覚悟を括りようもなかった。
早速、休日にも仕事があるダヴィッドは、遊びに行きたがるアマンダを持て余す。
むくれたアマンドにダヴィッドは謝り、仕事の後、テロで足を負傷し、カウンセリングを受けている友人アクセルの家へ連れて行く。
アクセルの恋人のラジャにアマンダを預け、二人は公園を散歩し、今後のことを話し合った。
アクセル |
夜中にアマンダの泣いている声で目が覚めたデヴィッドは、慌てて部屋へ行って理由を訊ねるが、何も答えずベッドに座って泣き続けるアマンダを、何とか寝かしつけようとする。
それでも泣き止まないアマンダに、「…僕がいるから、手を握って。大丈夫。僕がついてる」と優しく言い聞かせ、添い寝をして落ち着かせるのだった。
その後、退院するレナを迎えに行ったダヴィッドは、右手を負傷したレナの荷物を運ぶ。
「大丈夫?」
「ええ…ねえ、ダヴィッド。私と一緒にても、楽しくないと思うわ。独りになりたいの。本当にごめん」
「とんでもない。気持ちはよく分かる」
程なくして、ダヴィッドは施設を訪ね、院長に多様性を重んじるなどの施設の方針の説明を受けるが、外出許可が年2回という規則に引っ掛かり、諦めざるを得なかった。
モードの家にアマンダを迎えに行くと、「帰りたくない、ここに泊まる」と言って駄々をこねるのだ。
「あっちこっちはイヤ。私は誰と住むの?叔父さん?モード?」
「アマンダ。今は少し特別な時期なの…ダヴィッドと一緒に過ごすのも大切なの。彼は私より元気よ」とモード。
モード |
それでも「帰らない」と言い張るアマンダだが、結局、ダヴィッドの自転車の後ろに乗って家に帰り、玄関を開け、灯りをつけた瞬間、母のいない部屋の風景にアマンダの表情が翳(かげ)る。
ダヴィッドが洗面室のサンドリーヌの歯ブラシや化粧品などを片付けると、翌朝、そのことに気づいたアマンダが噛みついた。
「ママの歯ブラシよ!人の家のこと勝手に決めないで!」
「悪かった。戻しておくよ」
「今すぐ。今すぐ返して!」
「今は時間がない。急がないと」
アマンダはむくれて部屋に戻り着替え始め、ダヴィッドは慌てて、サンドリーヌの歯ブラシを戻した。
学校に遅刻する二人は、駆け足で向かう。
午後、ダヴィッドはアマンダを連れ、レナの勤めるレコード店に行き、アマンダの家で3人で食事をする。
アマンダを寝かしつけたその夜、レナは自分の気持ちを吐露する。
「突然、親を失うなんてかわいそう。あなたが救いね。支えてくれてありがたいけど、こんな生活続けられないわ。静かで、平穏な生活を送りたいの」
「よければ、僕の家へ。それから、じっくり考えればいい」
「母親と故郷に戻るわ」
「…あなたには支えが必要よ。あなたを励ましてくれる人が。今の私は、あなたたちを支えられない」
堅く抱擁する二人だったが、レナはアパートを引き払い故郷へ帰って行った。
その日のうちに、レナの片付けられた部屋に住む客を迎えに行ったダヴィッドは、駅で待っている間、抑えようとする感情が込み上げてきて、堪らずに嗚咽を漏らす。
全てを失っていく若者は今、人生の転換点に立ち竦んでいるのだ。
【パリ同時多発テロ事件/2015年11月13日、パリ中心部と郊外で発生した組織的なテロリズム事件。自動小銃などで武装したイスラム過激派IS(イスラム国)が劇場、レストラン、カフェなどを相次いで襲い、少なくとも 130人を殺害、350人以上に重軽傷を負わせ、フランス国民を震撼させた。因みに、映画の登場人物たちが暮らすパリの東部、地下鉄ヴォルテール駅近く(パリ11区)は、中心的な犯行現場でもあった】
パリ同時多発テロ事件/バタクラン劇場近くに集まる機動隊 |
パリ同時多発テロ事件/突入作戦で集合する警官隊(ウィキ) |
2 「“エルヴィスは建物を出た”。もう、おしまいよ」「まだ終わってない。たった3ポイントだ」
苦衷(くちゅう)を極めるダヴィッドは、何とか切り替えて仕事をこなしていく。
アマンダを学校へ迎えに行くと、「叱られた」と零(こぼ)し元気がなく、今日の夜はダヴィッドといたいとモードの家に入りたがらず、困ったダヴィッドに予定が狂うと断られると、泣き出すアマンダだった。
何とか宥められ、モードの家に入ると、振り返ってダヴィッドの元に走り寄るアマンダを、ダヴィッドは抱き締める。
「よい夜を」とアマンダ。
「アマンダも」とダヴィッド。
不安定な状況下で、アマンダは常に我慢と諦めを強いられながらも、子供ながらに懸命に耐え続けているのである。
ダヴィッドは、それからアマンダと遊ぶ時間を多く過ごし、モードから母親の話を聞き、少しずつ笑顔と落ち着きを取り戻していった。
激甚なトラウマから復元しつつあるレナから、電子ピアノが来たとメッセージが入り、ダヴィッドはレナの住むフランス南西部の都市ボルドーへ向かった。
再会したレナが、アマンダのことを訊ねる。
「アマンダは元気?」
「何と言うか…あの子の強さには驚かされる。こっちが救われてるよ」
「よく思い出すわ」
「あの子もだよ。ピアノのレッスンを懐かしんでる…決めたんだ。アマンダの面倒を見ることにした。僕が後見人だ。養女にするよ」
そこでダヴィッドは、思い切ってレナに告げた。
「僕とパリに来てくれ。こんな頼みは、君が最初で最後だ」
「まだ、お互いをよく知らないわ」
「無理は承知だよ…君のことを考えると勇気が出る」
「あの子には、あなたとの静かな生活が必要よ。時間はある」
「なぜ、そう考える?」
「大丈夫。時間なら、たっぷりあるわ」
事件の空洞を埋める何かを求めるダヴィッドの心情が見え隠れする会話だった。
逝去した姉の恋人のイヴァンから、姉弟の実母のアリソンに会ってくれと手紙が届き、ダヴィッドはアマンダを連れ、イギリスへ向かった。
二人は観光を楽しんだ後、アリソンとの待ち合わせの公園へ行く。
再会したアリソンは、笑顔でダヴィッドとお互いの仕事の話などをするが、急には距離は埋まらない。
「ダヴィッド。まだ時間がかかるわ。本当に話せるようになるにはね。私があなたに説明しようと努め、説明できるようになるまで…きっと変に思うだろうし、こんなことを聞くのはイヤかもしれないけど、私が会いに来たのは、力になりたいからよ。あなたとアマンダのね。もしいつか、あなたたちの気持ちが…」
そこにアマンダが遊びから戻って来た。
初めての孫との対面を喜ぶアリソン。
その夜、レナから「早く会いたい」とメッセージが入った。
待望のメッセージを受け、喪失感に沈みながら必死に動くダヴィッドの中枢が溶かされていく。
翌朝早く、ウィンブルドンの試合を観戦する二人。
アマンダは、応援する選手があっという間に追い込まれ、「“エルヴィスは建物を出た”」と呟く。
「何?」
「“エルヴィスは建物を出た”。もう、おしまいよ」
「まだ終わってない。たった3ポイントだ」
アマンダは泣き崩れるが、ポイントを返した選手のプレーを見て泣き止んだ。
ダヴィッドが励まし、更にポイントを取ると、アマンダは笑顔になって手を叩く。
「ほらね。諦めちゃダメだ」
遂に「ジュース」となり、アマンダは立ち上がって手を叩き、頬の涙を拭って目を輝かせ、満面の笑みを浮かべた。
ラストカットは、公園に集う人々の穏やかな日常の風景だった。
3 それでも、人間は動く
久しぶりに観るフランス映画。
叫ぶことなく、逃げることなく現実と向き合い、煩悶を経て自分の人生を引き受けていく若者と、その若者に保護される少女の喪失と再生を描く映画。
大都市パリを震撼させ、今なお事件の後遺症を残す無差別テロをワンシーンのみで切り取り、説明し過ぎず、多くのシリアス系の邦画のように情緒過多で興奮を掻き立てるBGMを流すことなく、穏やかで優しい音楽が人間が負う激甚なトラウマと悲嘆(グリーフ)を包み込むように寄り添い、一貫して抑制的で、淡々と描き出す映画に深く感銘した。
ミカエル・アース監督は、本作を3つの要素で説明している。
ミカエル・アース監督 |
西部の観光スポットから離れた普通サイズの「パリ」、事件後、変容するパリのリアリティの一部になった「テロ」、「叔父と姪」の三つである。
この要素が融合する物語のコアに、主要登場人物3人が大きく関与する喪失・トラウマ・悲嘆、そして、それに起因する非日常の息苦しさがある。
人生の変容を迫られた主人公ダヴィッドが不本意にも抱え込む、その内的時間の重さについて忘れられないシ-ンがインサートされていた。
以下、友人アクセルとの会話である。
「調子は?」
「まあ、学校のお迎えと枝打ち作業と、アパートの仕事で大忙しだよ」
「アマンダの様子は?」
「母親の話はひと言も。水を向けると話をそらすか、怒りだす」
「今は、ずっと向こうの家に?」
「ほとんどね」
「この先、どうするつもりだ」
「分からない…」
ダヴィッドは、ここで泣き崩れるのだ。
「アクセル…怖いよ。この先どうなるか。葬式までは持ちこたえたけど、途方に暮れてるんだ。あの子をどうすればいいのか。まだ心の準備ができていない。子育てなんて…食事には困るし、宿題も忘れる。自分の子じゃないし。誰も頼れる人がいない」
「養護施設のほうは?」
「今度、施設長と会う」
「足が地に着くまでは、いい解決法かもな」
「理想自己」と「義務自己」の葛藤で揺れ動く重要な会話である。
ロシア人の客を迎えを待つ駅の構内で、思わず漏らす涙は観る者に突き刺さってくる。
結婚相手として考えていたレナとの別れ。
これは辛かった。
姉を喪い、恋人までも失った悲哀が噴き上がり、押し寄せてきたのだ。
そればかりではない。
姪の人生を引き受けるという「義務自己」を遺棄できない状況に捕捉され、退路を塞がれていたのである。
もう、限界だった。
「パリ」の一角で、「叔父と姪」の関係を、形式的に、「保護者」=「父親」と「被保護者」=「娘」との関係に変換させていかねばならないのである。
それも、働きながら遂行するのだ。
明らかに、24歳の青年が担う〈人生〉の能力の範疇を超えていた。
それ故にこそ、ダヴィッドは未だ浅い関係にあるレナを求めたのである。
前者の関係にレナを加えることで、〈疑似家族〉を作り出す。
そう思ったに違いない。
心の安寧こそ、ダヴィッドの喫緊の克服テーマだった。
然るにそれは、「パリ」の一角で「テロ」に被弾したレナにとっても、節度を超える苛酷なテーマである。
「パリ」を捨て、否が応でも実家に戻るという選択肢しかないレナの〈現在性〉の、押し潰されるような重圧感。
爆竹の音に反応してしまうほどナイーブになっていた彼女は、ここでも穏やかに、しかし、受容し切れない感情を乗せて表現した。
「あなたには支えが必要よ。あなたを励ましてくれる人が。今の私は、あなたたちを支えられない」
深く澱んだ悲哀を浄化するのは 神業(かみわざ)なのである。
他人の安易な同情視線を見透かし、言語交叉を避けるほどに、悲嘆はしばしば排他的である。
〈喪失〉による悲嘆の破壊力が内包するのは、他人には絶対に理解できないものと決めつけ、〈自分だけの時間〉に閉じこもり、より一層孤立を深め、自らをネガティブな状況に追い遣る連鎖の風景が生む危うさである。
「人生最大のストレス」 悲嘆 |
自ら出口を塞ぎ、内部の裂け目を大きくしてしまうのである。
仕方のないことなのだ。
〈喪失〉から〈再生〉に遷移するには、排他性・閉鎖性・孤立化の時間に耐えることが余儀なくされるのだろう。
悲嘆の癒しは容易ではない。
寧ろ、肺腑を抉(えぐ)るほど思い切り哀しみ、存分に苦しみ、悔やみ、苦衷の底で藻掻(もが)き抜く。
悲嘆は悲嘆によってのみ癒されるのだ。
悲嘆は、哀しむという作業(グリーフワーク)を通じてのみ癒されるからである。
悲嘆・イメージ画像 |
悲嘆を描いた名画「息子の部屋」より |
感情のコントロールでダッチロールするアマンダ、悲嘆のドツボに嵌り、「パリ」という蟻地獄の物理的記号からの逃走を図るレナ、そして、悲嘆のルーツでありながら、破壊的都市と化す「パリ」を捨てられず、「叔父と姪」という関係を〈疑似家族〉の構築に変容させんとするダヴィッド。
彼らにとって、深く澱んだ悲哀を浄化するスキルを活かす余地などなかった。
それでも、人間は動く。
動かねば息の根を止められてしまうのだ。
〈再生〉への道筋をつけねばならない。
このことを、アマンダに特化して勘考してみる。
ここで私が想起するのは、ルネ・クレマン監督の名画「禁じられた遊び」。
「禁じられた遊び」より |
5歳のポーレットが爆撃機の機銃掃射で被弾し、すぐに動かなくなる両親の叫び声に振り向きもせず、愛犬を必死に追い駆けるシーンが示したのは、死の意味(注)が分からない幼女の能力の限界だった。
これが、ミシェル少年と共に墓場から十字架を盗んできて、次々に死んだ小動物の墓を作っていくという「禁じられた遊び」=「悲哀の仕事」(モーニング・ワーク)の経験を経て、「ミッシェル!」と叫ぶ声が「ママ、ママ」という声に変換され、最後にまた「ミッシェル!ミッシェル!」という叫びに戻っていく、あまりに痛々しいラストで回収されていったことで理解できるだろう。
同上 |
「禁じられた遊び」より |
ところが、ヒトの進化の最終段階で発達した前頭葉が完成される7歳のアマンダには、母の死が理解できていたからこそ、自分を保護する近しい成人ダヴィッドに対してのみ、当初は我儘な態度を露わにし、困惑させるが、その都度諦め、概(おおむ)ね我慢していくという自制的行為を保持する。
これは想像力を駆使する能力の発達が著しくなった証左でもある。
7歳の少女の遣る瀬ないほどの経緯を視界に収めるダヴィッドをして、「あの子の強さには驚かされる。こっちが救われてるよ」と言わしめることになり、「僕が後見人だ。養女にするよ」という逞しくも眩(まばゆ)い決意に結ばれていったのである。
この延長線上に待機していたのは、「エルヴィスは建物を出た」(エルヴィスは、もう登場しない=望みがない。お終い) という言葉。
母と共有したこの究極のフレーズが意味するのは、絶対的存在だった母の不在が〈非在〉と化した現実と初めて向き合い、受け入れていく心的行程である。
映画的に言えば、「諦めちゃだめだ」というダヴィッドの激励を受けた後、ジュースに持ち込み、嗚咽を捨て、何ものにも代えられないほど鮮度が高く、溢れるばかりの笑みを生み出したのだ。
思えば、ここだけは7歳の少女では難しいと思われるセリフだが、〈希望〉の提示で静かに閉じる映画は、悲嘆と〈再生〉をテーマにする物語の、それ以外に考えられない収斂点だったのである。
それでも、人間は動くのだ。
【(注)「死の不可逆性」(死んだら生き返らないということ)・「死の普遍性」(全てのものが死ぬということ)・「死の不動性」(死んだら動かないということ)】
【余文】
イスラエルのガザ地区全土に及ぶ空爆と地上戦が国際世論の集中砲火を浴び、世界中で、あってはならない「反ユダヤ主義」というヘイトクライムが荒れ狂い、米英、そしてフランスでも、この間、1000件以上の反ユダヤヘイトが報告されているが、米国のユダヤ系団体(「名誉毀損防止連盟」)の発信だけに真偽の程は定かではない。
【パリで高齢のユダヤ人女性が自宅で刺殺され、遺体に火をつけられる事件が発生。「ストップ レイシズム」と掲げ、女性を追悼する人々】 |
(2023年12月)
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