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2024年2月3日土曜日

せかいのおきく('23)   投げ入れる女と受け止める男  阪本順治

 



序章 江戸のうんこはいずこへ

 

 

安政五年(1858年)・江戸・晩夏

 

寺の厠(かわや・便所)から糞尿を肥桶(こえおけ)に汲み取る汚穢屋(おわいや)の矢亮(やすけ)は、相方(あいかた)が腹を下して来れなくなり、「半分しか持っていけない」と言って、寺の坊主に半分の代金を払う。 

矢亮(右)


肥桶とは糞尿を入れて運ぶ桶、汚穢屋とは便所の汲み取り屋】


突然、雨が降ってきたので、寺の捨て紙を籠に入れた紙屑拾いの中次(ちゅうじ)が厠の軒下に走って来て、矢亮と一緒に雨宿りする。

 

「それ、紙屑問屋に売って、幾らになるんだい?」

「紙によりけりだよ」

「幾らにもなんないなあ」

「いちいち、うるせえ」

 

そこに、寺から木挽町(こびきちょう/現在、銀座の歌舞伎座付近)のおきくも、厠の軒下に入って来た。

 

「確か、おきくさんだ。次郎衛門長屋の」と矢亮が思い出した名を言うと、「こんなところで、名を呼ばないでください」と叱られる。 

きく(中央)と中次(左)


中次が「おきくさんて、おっしゃるんですか?」と聞くと、振り向いたおきくは、紙問屋で見かける中次には、笑顔で応答する。 

矢亮(右)


「なんだ、知り合いか…そうか。この寺の手習い所で読み書きを教えてらっしゃるんだよ、おきくさん」と口を挟んだ矢亮は、「こんなとこで、名を呼ばないで!」とまた叱られる。

 

おきくにどいてくれと言われた矢亮は、肥桶を天秤棒で担ぎ、別の雨宿り先に中次と共に移動する。

 

二人が帰った後、おきくは厠に入り込むのだった。

 

「それ、どこまで持っていくんだい?」と中次。

「舟で葛西までだよ」と矢亮。

「田畑に撒いて、幾らになるんだい?」

「なんだ…割が合わねえんだな。紙屑なんかじゃよ」


「ほっとけ」

 

相方を失った矢亮は、盛んに中次を仕事に誘う。

 

武蔵国・葛西領・亀有村(現在、葛飾区亀有)

 

結局、矢亮の相方となった中次は、肥桶(こえおけ/「こえたご」とも)を積んだ荷車を押し、亀有村までやって来た。

 

農家に糞尿(ふんにょう)を運ぶと、矢亮は代金と畑で採れた野菜を受け取り、中次は肥溜(こえだめ)に肥桶から糞尿を移す。 


農家で畑に撒かれる糞尿


中次が零した糞尿を手で搔き集めた矢亮は、再度、空になった肥桶と野菜を汚穢舟(おわいぶね)に積み、江戸に向かていく。

 

【肥溜とは、肥料にするために糞尿をためておく所。現在、化学肥料の普及で使用されなくなっている】 

東京都世田谷区喜多見にある次大夫堀公園にて展示用に再現された肥溜(ウィキ)



木挽町・次郎衛門長屋 


おきくの父・源兵衛が長屋から顔を出し、空に向かって手を叩く。

 

井戸水を汲みに出て来たおきくに、「お父(と)っ様ってのは、まだ慣れねえんだがな」と言う。

 

「もう武家でも何でもない。母親もいなくなり、お父っ様は惚(ほう)けてばかり」 

源兵衛(右)



そう言って、おきくは父を諫(いさ)めるのである。

 

 

第一章 むてきのおきく

 

 

安政五年・秋

 

大雨が降り続き、厠から糞尿が溢れ出て、おきくの住む長屋の足元は糞尿まみれとなってしまった。

 

雨が止み、長屋の住人はみんな鼻をつまみ、大家(おおや)に厠にも入れないと文句を言う始末。


「何で、汚穢屋は来ないのよ!矢亮さんて言ったっけね」

「こっちが聞きてえよ!」と大家。

「どうでもいいから、早いとこ、手え打ちなよ!」

 

皆が不満を言い並べ、そのうちに孫七が自分の身の上や体の不調を訴え始めると、「そのことは、後にして!」とおきくがぴしゃりと言い放ち、孫七は黙ってしまう。 

孫七


今度は源兵衛も自分の体の不調を訴えると、それに対しても、おきくは「その話は後にして!」と注意する。

 

「おい、おきく。後ならいいのか。今言いてえことみんな後回しにするから、いつまでたっても暮らしはちっとも良くならねえ。不義がはびこる」


「そういうお父っ様が嫌いです。いつも、ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う。よせばいいのに人の難事(なんごと)ばかり立ち入って、上役の不義を訴え出たり、尽くしたはずがお役御免って。どれだけ私も辛抱したことか」


「わしはな。この国を思って訴え出ただけ。勘定方として当たり前のことをしただけだ。それを誇りに思わぬお前がおかしい!」

 

二人の言い争いを黙って聞いていた長屋の住人たちの一人が、「その話も、後でいいんじゃないかな」と一言。

 

そこに、長雨で川止めされていた矢亮と中次がやって来て、待ってましたと歓迎され、早速、汲み取り作業に入る。

 

一方、源兵衛は編笠を被った、かつての部下の侍に呼び出されて訴状を渡された。 


【勘定方(かんじょうかた)とは、幕府・各藩で財務関係の仕事に携わる役人のこと】

 

 

第二章 むねんのおきく 

 

 

安政五年・晩冬

 

おきくの長屋を担当することになった中次が、厠へ糞尿を汲み取りに行くと、源兵衛が排便している。

 

「お前、世界って言葉知ってるか?」


「いえ、知りゃせん。読み書きもできねえもんで」

「この空の果て、どこだか分かるか…果てなんかねえんだよ。それが世界だ。ここんとこ国がゴタゴタしてるのはな、今更それを知って…全く、井の中の蛙ってやつだ。なあ、惚れた女ができたら言ってやんな。『俺は世界で一番、お前が好きだ』ってな…」 


そう言い残して刀を差した源兵衛は、迎えに来た侍らと共に去って行った。 


中次が見送り、汲み取り作業をしていると、おきくが走って来て、源兵衛を見なかったかと訊ねる。

 

侍らと東の方へ行ったと聞いたおきくは、一旦部屋に戻り、懐刀(ふところがたな)を帯に差して走って出て行った。

 

森の中で、侍たちが一礼をして去っていく。

 

源兵衛が斬られて横たわり、少し先に首を押さえて血を流し、喘(あえ)いでいるおきくを見つめ、自分の首に巻いた布を引き抜こうとして絶命してしまうのだ。 

おきくに布を渡そうとするが絶命する源兵衛


その夜、中次は孫七の家を訪ね、源兵衛は死んだが、おきくは一命を取り留めたと聞かされた。

 

「おきくちゃんが養生所から戻ったら、ひと言、声かけてやんな…でも戻るにゃ、二月も三月も、四月もかかるらしいけどよ」 


養生所(ようじょうしょ)とは医療施設のことで、映画「赤ひげ」の舞台になった、幕府が江戸に設置した無料の「小石川養生所」が有名】


 

第三章 恋せよおきく

 

 

安政六年(1859年)・晩春

 

中次が川縁(かわべり)で仕事をしていると、橋の上から孫七が声をかけてきた。

 

寛永寺近くの引っ越し先へ向かう途中の孫七は、おきくが長屋に戻って来たことを知らせた。

 

「でも、家に籠ったままだ…今はまだ、一人がいいんだよ」 


「達者でな」と去って行く孫七に、中次は頭を下げた。

 

おきくは布団に臥(ふ)せったままで、長屋のおかみさんらが戸口の外から声をかけるが返事はない。 


「そっとしておこうか」と申し合わせ、焼いたいわしを置いて、皆引き揚げていく。

 

寺の孝順和尚が連れて来た寺子屋の生徒たちが、「お師匠!どうか、お戻りください」と口々に呼びかけるが、おきくは耳を塞ぎ、聞こうとしない。

 

おきくを慕う子供たちの呼びかけが続き、おきくは首の傷を布で隠して戸口を開け、孝順らに顔を見せる。

 

おきくは声が出なくなっていることを身振りで伝えると、孝順が何とか戻ってもらえるようにと説得する。

 

「おきくさんには役割があってね。読みができなくても、書くことはできる。それで勤まるなら、どうだろうか。口に出すのも、筆で書くのも、大事なのは、言の葉(ことのは)そのものですから。不自由な部分は、誰かが補えればいいかと…役割って字は、役を割ると書きますでしょ。その役目を二つに割って、その一方をおきくさんがやればいいかと…」 

孝順和尚


孝順の説得と子供たちの熱意から、おきくは書くことを引き受け、寺子屋の仕事を再開することになった。

 

矢亮が武家屋敷の汲み取りに来ると、いつもの門番がおらず、買取料金が少ないと突き飛ばされ転倒し、肥桶がひっくり返ってしまう。 


それを見ていたおきくが、矢亮を悲しそうに見つめ、後(あと)をついて布で汚れた矢亮の顔を拭こうとすると、矢亮は拒絶する。

 

そこへ通りがかった知り合いの女が、「どうしてこんな人連れ歩いているの?」とおきくを非難し、去って行った。

 

「おいらのこと気にしてんなら、気遣いなんかいらねえ。迷惑だ。同情はいらねえ」

 

おきくは首を横に振り、身振り手振りで自分の気持ちを伝えようとする。 


その様子を見て、矢亮は最後は嗚咽混じりに謝罪する。

 

「迷惑かけてるのは、おいらの方だな…つき合わせてしまってすまねえ。それに、おきくさんこそ、ていへんだったのに。中次に聞いてやす…もう行ってもいいですかい?おいら、たいしたことありやせんから…」 


去っていく矢亮を見るおきく


汚穢舟で肥桶から糞尿を移し返していると、中次が天秤棒を担いで戻って来た。 


「兄い、また値を吊り上げられちまったよ」

 

反応しない矢亮に、中次が何かあったかと訊ねた。

 

何もないと言う矢亮は、「まだ陽が高(たけ)えからいくらか回ってくらあ」と言って天秤棒を担ぎ、止める中次に悪態をつく。

 

「糞が俺らの食い扶持だよ。あいつらの糞で飯食ってんだよ。だから、ありがたく頂戴してくんだよ…おめえ、いいんだよ、辞めたってよ!」

 

矢亮はそう吐き捨てた後、振り返って中次におきくに会ったことを伝える。

 

「さっき、おきくちゃんに会ったよ。ひでえこと言ったから、いつか、おまえからも謝っておいてくれ」 



おきくが家で手習いの字を書いていると、中次が訪ねて来た。

 

手習い所に戻ったと聞いた中次は、買ってきた半紙をおきくに手渡す。 


おきくは柔和な表情で有難そうに受け取り、頭を下げる。 


「おらあ、こんなことぐれえしかできねえですから。こんなことしか…」

 

矢亮から謝ってくれと頼まれた話をすると、おきくは首を横に振り、中次の手を取って、中へ招き入れようとするが、中次はその手をほどいて、「またにしやす。どうかお元気で」と帰って行った。

 

閉めた戸に耳を寄せ、中次が帰って行く足音を聞くおきくが、そこにいる。 


 

第四章 ばかとばか

 

 

安政六年・葛西領(かさいりょう/農作物が豊富な葛飾の辺りのこと)・初夏

 

道の途中で荷車が壊れ、仕方なく天秤棒で肥桶を担ぐ矢亮と中次だが、何やら楽しそうに走る二人は、農家に着くと二人は座り込んで笑い合う。 


そこにやって来た主人が、肥桶の中身が半分に減っていると怒り、「やり直して来いよ」と命じ、二人に糞尿を頭からかけてしまうのだ。

 

立ち上がる中次に対し、矢亮は大笑いする。

 

「こんな世の中、糞喰らえと思ってたけどよ、こっちが糞喰らっちまったよ…中次、笑うとこだぜ、ここ」 


矢亮は中次を指差し、哄笑(こうしょう)が止まらない。

 

中次も一緒になって笑い出す。

 

「てめえら、俺を馬鹿にしてんのか!」

「誠に、失礼をばこきました」

 

矢亮は土下座して地面に頭をつけるのだ。 


 

第五章 ばかなおきく

 

 

中次にもらった半紙を広げ、書物から拾った「忠義」という字をひらがなで書くおきく。

 

「忠義」の字がいつしか「ちゅうじ」に代わり、自分で恥ずかしくなって寝転び、嬉々として顔を隠す女子が息づいていた。 


 

第六章 そして舟はゆく

 

 

安政六年・中川(現在、利根川水系の一級河川)・晩夏

 

 

浅草寺で聞いてきた講釈を講じながら舟を漕ぐ矢亮は、「講談師になりてぇんだよ」と話す。 


二人とも身寄りはなく、矢亮は何をやったっていいんだと言い、「いつか二人で盗人(ぬすっと)でもするか…」と中次に持ちかける。

 

「おいらを巻き込まねぇでくれよ。おいら、真っ当に生きるんだ。いつか、読み書きを覚えて…」

「何が真っ当だよ。長屋の家主も侍共も、どんどん売り値を釣り上げやがって。それで、このザマだ。おめえ、腹立たねえのか…」

「おら、そんな兄いが嫌いだ。昔っから威勢のいいデカいことばっかり言ってるけど、汲み取りに行っちゃあ、ペコペコ頭下げて、詰(なじ)られても何も言い返さねえで、さっきみたいに目方ごまかすことしかできねえ。口ばっかじゃねえか。おら、情けねえ。兄いは。度胸のこれっぽっちもねえくせに…これじゃあ、世間の鼻つまみもんだ…」 


矢亮は何も言わず、引き返そうとするので、「つい、言い過ぎちまった」と中次が謝る。

 

すぐに機嫌を取り戻した矢亮は、「いつか俺が、世の中ひっくり返してやるよ」と強がって見せた。

 

「それでこそ、兄いだ」

「俺たちがいなけりゃ、江戸なんか糞まみれじゃねえか…今度、汲み取りサボってやろうか」

 

そして、彼らの舟は江戸の糞尿を集めて進んでいく。

 

 

第七章 せかいのおきく

 

 

万延元年(1860年)・冬

 

次郎衛門長屋の朝の忙しない風景。

 

いつものように、中次が汲み取りに来て大家に代金を払って帰って行くと、鼻を摘(つま)みながら見ている住人たちの一人が、「あいつ、随分小さくなったなあ」と呟く。

 

おきくは心配そうに見送た後、握り飯を作って中次の長屋を目指す。 


家を出たところで、荷車とぶつかって倒れ、握り飯は潰れてしまった。 



それでも中次の長屋を探し当て、不在の家の前で待っていると中次が帰って来た。 


身振り手振りで顛末(てんまつ)を説明し、潰れた握り飯を見せる。

 

「こんな汚い握り飯を、おきくさん…」 


それを聞いたおきくは背中を向けてしゃがみ込み、悔しがる。

 

「具合でも悪いんですかい?」

 

立ち上がったおきくの泣き顔を見て、「どうしてここに?」と聞かれたおきくが握り飯を押し渡し、中次を見つめる。 



中次がおきくの想いを受け止めた瞬間である。

 

「おきくさんはお侍さんの娘で、俺はこんな身分だから?」 


首を思い切り横に振るおきく。

 

「こんなおいらでも?」 


おきくは、大きく首を縦に振る。 


「言葉にはできねえ」と中次は突然、拳で自分の胸を叩いたかと思うと座り込み、空に向かって手を振り回し、地面を叩いて、おきくに向かって両手を広げる。

 

それを何度も繰り返しているうちに、降り出した雪が積もってきた。

 

中次が潰された握り飯を掻(か)き食らうと、おきくはそれを払い、中次を抱き締める。

 

「いつか、字を教えてもらえませんか?」

 

おきくは中次の手を握り頷き、二人は固く抱き締め合うのだった。 


 この年、「安政の大獄」を断行した井伊直弼が「桜田門外の変」で水戸脱藩浪士らに暗殺され、この事件を機に、この国が大きく変貌していくことになる。時に、井伊直弼が暗殺されたその日も、季節外れの大雪が降っていた】



終章 おきくのせかい

 

 

文久元年(1861年)・晩春

 

武家屋敷から放り出された矢亮。

 

「すいやせん、すいやせん。おれ、これ以上値が嵩(かさ)むと、飯食えなくなるんです!」

「貧乏人の面(つら)見ると、胸糞悪いんだよ、こらあ!」

「今、なんて?」

「糞にたかる蠅だよ!」

「糞に蠅…笑えねえ」

 

矢亮は門番に突進していくのだ。 


「このどん百姓!」と痛めつけられるが、肥桶の糞で反撃し、門番の顔に塗りたくって逃げて行った。 



寺では、生徒たちが集まる中、孝順和尚が「今日のお題を頂戴しましょう」と言って、おきくを促す。

 

おきくは、「せかい」と書いた半紙を掲げる。 


一番後ろに座っている中次が「せかい」と口にし、外の大空を見上げる。 


「青春だなあ」と小声で呟く。

 

孝順和尚が、「この、世界というのは、あっちの方に向かって行けば必ず、やがて、こっちの方から戻って来る、そういうものです」と解説する。 


皆、きょとんとした顔をして、おきくも首を傾(かし)げ、困った表情を浮かべる。 



その後、晩春の日差しを浴びながら、池の畔で昼寝している中次と矢亮。 



長屋の一角でおきくが耳を澄ましている。 


大きな時代の胎動を感じ入っているのだ。

 

エンドロールの後、おきくに導きながら、「青春だなあ」と吐露する中次と、「おめいのそれ、タコいっちゃたよ」と反応する矢亮の3人が、森の中を散策する画が映し出される。 


極めて鮮度が高い時代に向かう3人の青春の物語が今、ここから拓かれていくのである。 


ここでも女は強かった。

 

 

 

3  投げ入れる女と受け止める男

 

 

 

「この空の果て、どこだか分かるか…果てなんかねえんだよ。それが世界だ」 



無学の中次に講釈を垂れた時の源兵衛のブリーフィングである。 


この講釈を含めて一連の源兵衛の直截(ちょくさい)な言い回しを聞く限り、源兵衛という男の見識には高い先見性が読み取れる。

 

イメージするのは、揺るぎない信念を有して幕末を駆け抜けた橋本左内。 

橋本左内/松平春嶽に仕え、安政の大獄で死罪となった25歳の福井藩士(ウィキ)



西欧的な改革を唱導して「安政の大獄」で散った若き志士である。

 

この左内のような思想を有していたであろうが故に、「安政の大獄」(1858年から1859年)の犠牲になった父・源兵衛。 


そんな父の思想の影響を受けた娘・きく。 


まさに今、その父を助けんと懐刀を持って長屋を出たきくの行動には、武士の娘としての矜持と気丈夫な人柄が同居している。

 

だから、約束されたかのような事件にインボルブされていく。 


そこで失ったものの大きさが、おきくの心的外傷として彼女の総体に刻まれ、外部世界と途絶する冥闇(めいあん)なる非日常を引き摺っていくのである。 


空洞と化した時間に埋め込んでいく何ものもない。

 

「おきくさんには役割があってね。読みができなくても、書くことはできる。役割って字は、役を割ると書きますでしょ。その役目を二つに割って、その一方をおきくさんがやればいいかと…」 


和尚の柔和なアウトリーチに微(かす)かに反応する能力だけは切り死にしていなかった。

 

「無敵のおきく」は野垂れ死にしなかったのだ。

 

そんなおきくが恋をする。

 

おきくの恋もまた、彼女の芯の強さを体現しているから一途(いちず)の道を辿っていく。 


中次への愛は一貫して変わらないのだ。

 

おきくの復元を支えたコアに、この性向が垣間見える。

 

また、おきくを想う中次の愛も変わらない。 


ただ足りないのだ。

 

脚力が足りないのである。

 

中次の脚力の不足 ―― それは「身分」という封建的システムの壁。 

「こんなおいらでも?」



このシステムを障壁と決めつけ、跳躍を阻むハードルの高さが中次の脚力を削り取っていた。

 

しかし、おきくの強さは、ここでも際立っていた。

 

腰折れ気味の中次の懐に自らを投げ入れるのだ。 


力動的なこのラブストーリーが、糞塗れのナラティブの核を成している。

 

「惚れた女ができたら言ってやんな。『俺は世界で一番、お前が好きだ』ってな…」 


源兵衛のこの言葉が後押しとなって、中次は、自らに投げ入れてきた女の愛を受け止めることができたのだろう。

 

これが誠実な青年の推進力と化し、中次の脚力を強化した。

 

もう、あとは純愛一直線の航跡を走り抜けていくのだ。

 

投げ入れる女を受け止める男。 


「青春」の誕生の瞬間である。

 

二つの世界が繋がったのである。

 

一方、「心中する女もいねえ」と愚痴る矢亮は、「俺たちがいなけりゃ、江戸なんか糞まみれじゃねぇか!」と正攻法の論理を展開し笑い飛ばすが、その実、肝心なところで腰が引けてしまう。

 

この適応力を「武器」にして顧客(農家)に媚びを売るのだ。

 

思い切り嘲弄(ちょうろう)され、糞を喰らっても、「こっちが糞くらっちまったよ…中次、笑うとこだぜ、ここ」などと言って笑い続けるばかりの男。 


顧客を怒らせても、土下座して地面に頭をつける矢亮の振る舞いに中次から愛想を尽かされる始末。 


結局、矢亮の振る舞いは、右顧左眄(うこさべん)する弱さを隠し込んだ「負の適応力」の範疇を抜けきれなかっただけのこと。


このような振る舞いを、心理学では「防衛的自己呈示」と呼んでいる。


他者からの好評価を保持するための自我防衛戦略である。

 

中次の誹議(ひぎ)に余程堪(こた)えたのか、黙す男の中枢にギアが入り、枯渇したかのような熱量を噴き上げていく。 


そんな男の弱みを炙り出し、眠っている反抗心を引き出した中次の存在の大きさ。

 

自らの誠実さを武器にすることのない中次の人間力。 


これが状況を変えていくのだ。

 

おきくのハートを動かしたのも、誠実さを武器にしない中次の人間力。

 

物語の端(はし)の方にいた男が、いつしか「前線」に打って出て、言葉少なに表現する影響力の強度は半端ではなかったのである。 


そいう映画だった。 


 

 

【余稿】  江戸時代は循環型社会だった

 

  

江戸時代で独自の循環型社会が生まれた背景にあるのは、鎖国によって資源の出入りがないので、物資とエネルギーを国内だけで賄うという環境の歴史的必然性。 

江戸時代の日本は理想的な「循環型社会」



かくて、衣食住において3Rという言葉が生まれる。 

江戸時代の「循環型社会」



リデュース(ゴミ削減)・リユース(再使用)・リサイクル(再利用・再資源化)である。 

3R


これは、各地から排出される屎尿(しにょう・大小便)を有効に処理する技術によって可能になる。 

環境問題は糞尿問題だった



なぜなら、屎尿をそのまま放置しておくと、悪臭を放つばかりか、病原性細菌や寄生虫を含むリスクで感染症の発生源にもなってしまうのだ。

 

この感染症を防止するために、屎尿を熟成し肥料に変える装置としての肥溜(こえだめ)が作られていく。 

肥桶のある風景


足立郷土博物館で展示されている肥溜模型



有機物の混合物であるこの肥溜は、畑の脇に穴を掘って蓋を付けた簡便なものだったが、屎尿に稲藁(いねわら)を加えることで、蓋を閉めて空気を遮断した状態で、種々の嫌気性細菌(腸内菌など酸素なしに増殖する細菌)の代謝作用(化学反応)によって、有機酸・脂肪酸・アミノ酸などの物質に分解される。 


またメタン菌によって炭酸ガス・メタンガス・水素・窒素・アンモニア・硫化水素などのガスが生成された結果、発酵に伴って発生した熱によって寄生虫が死滅していくのである。 

循環型社会実現例/植物が元気に育つ上で三大栄養素とも呼べる窒素、リン酸、カリウムの3つの大切な成分がある



これが、屎尿が無害になっていくシステムである。

 

この時代、肥溜は便槽(浄化槽)と呼ばれ、都市の衛生環境に大きな役割を果たしていたのである。

 

映画で描かれていたように、江戸時代には農家が都市部の長屋などから屎尿を購入し、その屎尿を農村へ売るということが日常化していた。 

昭和時代まで存在した下肥買い



これが、江戸時代の都市では主要な屎尿処理手段となっていて、その運搬に携わったのは、肥桶(こえおけ)を下げた天秤棒を用いて活動する汚穢屋(おわいや)と呼ばれる、最下層の蔑まれる者たちだった。 

汚穢屋/映画より


興味深いのは、この汚穢屋が長屋の大家(おおや)の収入を支えていたということ。

 

その収入源は、長屋の共同便所の人糞を肥(こえ)として売った代金。

 

だから、長屋の店子の数が多いほど肥代(こえだい)も多くなるのだ。

 

大家さんの収入は“ウンコ”が支えていた!?落語『肥辰一代記』考」というサイトによれば、長屋の共同便所は「惣後架」(そうこうか)とか「総雪隠」(そうせっちん)と呼ばれていて、「戸は下半分しかなかったようで、使用中は外から顔が見えたと書かれているが、これも映画で描かれていた。 

惣後架


大家さんの収入は“ウンコ”が支えていた!?落語『肥辰一代記』考」より


便所は踏み板を渡しただけの簡単なつくりで、大きな甕(かめ)が埋められていた。

 

その甕に溜まった人糞を、江戸近郊の農家がこぞって買い取っていくのだ

 

化学肥料のなかった時代には、貴重な作物の肥料となったからだ。


大家は農家と年間契約していたので、肥(こえ)は安定収入となったのである。

 

まさに大家さんの収入は肥(こえ)が支え、それを買い取って農家に売る汚穢屋の存在なしに、100万の人口を呑み込んだ江戸の衛生環境が成り立たなかったのである。


全く無駄のない江戸の衛生環境のシステムの凄みに圧倒される。

 

屎尿を売買する江戸時代の凄み。 

江戸時代に売買された糞尿はいくらだったの?」より



これに尽きる。


【余稿は、時代の風景「屎尿を売買する江戸時代の凄み」の一部を引用しています】 


(2024年2月)


 

4 件のコメント:

  1. この作品、娘を連れて観に行きました。
    どんな作品か言わずに連れていきました。
    ちょっとわからないだろうな、というシーンもありましたが、それはそれで。
    私も多分小学生の頃、父親に伊丹十三の「お葬式」に連れていかれた記憶があります。
    なんか、外で男女が抱き合っていたのだけ覚えているような。

    娘は中学生なので、先日は黒澤明の「生きる」を見せたりしていますが、なかなか反応が悪く困っております。
    マルチェロヤンニ

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    1. コメントありがとうございます。
      この映画の面白さは女子中学生では分からないかも知れません。
      混迷の時代背景の中で父を喪ったばかりか、自らも声を奪われたおきくのトラウマが、持ち前の自我の強さを武器にして乗り越えられていく推移が短いエピソードで繋がれているだけなので、映画のツボを押さえる難しさがあるように思えます。
      私も昔、父に連れられて満員の映画館で、立ち見で観た記憶が残っています。
      映画は「女の中にいる他人」です。私の大好きな成瀬映画ですが、当時は子供だったので全く分からなかった。というより、怖かった。小林桂樹が怖かったのです。どんな場面で怖かったのか、よく覚えていないのですが、人間の心理の怖さのように思えます。その後も、この映画の怖さが張り付いてしまって、繰り返し思い出していました。成瀬映画のリアリズムの真骨頂に届くに足る能力に欠けていたのでしょう。黒澤の「生きる」は、真剣に人生を考えている只中で観たので、涙が止まりませんでした。それでも、中年になって「甘い映画だな」と思うようになり、黒澤映画と距離を置いた時期があります。映画の見方がこのように変わってしまう程、人生観の変移に驚かされます。人間の心理に深い関心を持つようになったのは、文学と映画の影響があります。漱石の「こころ」を高校時代に読んだ時の衝撃は一生忘れません。だから、若き日に内側で求めているものに反応し、自ら動き、動かされていく経験はとても貴重だと考えています。

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  2. 今日は娘を連れて、「荒野に希望の灯をともす」を見に行きました。
    そろそろ進路などを考える時期でもあるので何かの役に立ってくれたらと思います。
    私自身は昨日「月」を観たのですが、提示されているテーマになかなか答えが見つからず私なりに色々と考えていましたが、中村哲さんの眼差しを見ていたら、答えがわかったような気がしました。
    ご返信ありがとうございました。マルチェロヤンニ

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    1. マルチェロヤンニさんが観た「月」と「怪物」、それに「ほかげ」と「PERFECT DAYS」の4作が、今、私が観たい映画ですが、残念ながら、映画館に行けないのでDVD化されるのを待っています。
      私の妻は 、昨年観た中では、「月」と「エゴイスト」がベストだと言っています。
      現在、他に観たい作品がないので、私の大好きな今井正監督の「にごりえ」について書いています。
      同時に、「心の風景」に投稿する予定で「樋口一葉の世界」という原稿も書いています。

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