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2024年11月13日水曜日

夜明けのすべて('24)  夜明け前の暗さを乗り越えていく  三宅唱

 




【身近な事柄でありながら、社会的に深く取り上げられず、これまであまり語られてこなかった問題をテーマにして、その日常を丁寧に創られた素晴らしい映画。梗概も丁寧に書いていく】


 

1  「あっ、病気にもランクがあるってことか。PMSはまだまだだね」

 

 

 

藤沢美沙(以下、藤沢)のモノローグ。

 

「一体、私は周りにどういう人間だと思われたいのだろうか。真面目で誠実、それはどこか違うし、明朗快活というのでもない。気が利いて優しいのはいいと思うけれど、そればかりでもない。仕事ができると評価されたいわけでも、地位や名誉が欲しいわけでもない。何も欲していないはずなのに、どう振る舞うのがいいのか、いちいち悩んでしまう。そして、何よりそういう自分に、うんざりする。25日から30日に一度、生理の2~3日前、私はどうしようもなく、苛立ってしまう。生理が始まる前から、精神的に不安定になったり、頭痛やめまいに悩まされたりするのは、よくあることだけれど、その症状がひどいと、月経前症候群PMSと診断される。不安で眠れなくなる人や、無気力になる人に、悲観的になる人、PMS(後述)には様々な症状があるらしいけれど、私の場合、これといった要因もないのに、カッと頭に血が上って攻撃的になってしまう」 

「生理の2~3日前、私はどうしようもなく、苛立ってしまう」(藤沢)


雨の中、傘も差さずにバスを待つベンチに座っていた藤沢が横たわり、警察に声をかけられ起き上がると、バッグの中のものをどんどん放り投げ、再び横になってしまう。

 

「学生の頃、それほどひどくもなく、許されることも多かった。ただ、年々ひどくなる症状に、高校3年生の時、母親に婦人科に連れて行かれた。診断名は付けられ、気は楽になったものの、処方された漢方薬を飲み続けても、大した効き目はなかった。一人暮らしを始めてから、母親は毎日のように連絡を寄越し、あれこれと送ってきた。気持ちは分かるけれど、正直しんどかった。社会人になった今も、母親に迷惑ばかりかけてしまう。親はそういうものだというけれど、いつまでこんな風でいていいのだろうか」(モノローグ)

 

藤沢は、警察に迎えに来た母・倫子のトレンチコートを二人で羽織ってタクシーに乗り込み、土砂降りの雨の帰路に就く。 


藤沢はかかりつけ医を訪ね、相談する。

 

「最近は落ち着いてきたのにねぇ」

「先生、私やっぱりピル飲みたいんですけど」

藤沢


「それは難しいなぁ。お母さんに血栓症の既往があるからねぇ…ん~どうしようかな…試しに別の薬、使ってみようか」

「別の薬?」

「アルプラゾラムっていう気持ちを穏やかにする薬。副作用で眠くなることがあるから、それだけ気をつけてね」

 

会社で上司に激しく抗議する動画を観る課長。

 

「なんか、藤沢さんらしくないね」


「昨日、ちょっと体調悪くて」

「持病とかあったっけ」

「いえ…」

 

藤沢は上司に謝罪し、深々と頭を下げると、上司も同じく藤沢に謝罪する。

 

席に戻って、処方されたアルプラゾラムを躊躇(ためら)いがちにポーチから取り出した。

 

「勤務2か月目の新入社員。漢方薬やハーブティーでしのいでいる場合ではない。もう失敗は許されない。しかし、この薬の副作用がこれほど強いとは思わなかった。私はとんでもない眠気に襲われた。ヤバイ。そう感じているうちに、意識はフワフワと、どこかに流れていくようで、私はそのまま眠りに落ちた」(モノローグ)

 

会議室で資料を散乱したまま眠りに落ちていると、上司と課長らが入って来て灯が点いたところで目が覚めた藤沢は事態に気づき、会議室から走って逃げ去った。 


「おかしな人間だと思われながら、もう、ここに1分だっていられない。そうだ。今日中に辞表を出そう。逃げるように駆け込んだトイレで、私はそう決心していた…いてもいなくても、いや、私の場合は、いないほうがいい存在だったのだろう。退職願はあっさりと受理された…私は自分のことがよく分からない。自分の体のはずなのに、思い通りに動かないし、どう頑張っても、自分の心すらコントロールできない。だけど、同情や心配を欲してもいない。体力もあるし、動いていたい。それに、お金がなければ生活できない。ぐずぐず言っても仕方がない」(モノローグ) 

「体力もあるし、動いていたい。それに、お金がなければ生活できない。ぐずぐず言っても仕方がない」(履歴書に飲み物を零す藤沢)



5年後。

 

栗田科学に入社した藤沢は会社に戻り、エコバックからお菓子を取り出して、昼食時間の社員たちに配る。 


1人離れた作業場のデスクにいる山添孝俊(以下、山添)にも配ると、「生クリーム嫌いなんで」と返される。 

山添


作業中の山添に、社長の栗田が声をかける。

 

「仕事、慣れた?前の会社とは全然違うし、物足りないんじゃない?なんかあったら、いつでも言ってね」 

栗田(後方左)と山添


栗田が、放送部の中学生(ダンとカリン)が作るドキュメンタリーのインタビューを受け、ビデオカメラに向かって、顕微鏡や天体望遠鏡の工作キットを製造する栗田科学の仕事内容について答えている。

ダン(右/住川の息子)とカリン



中学生二人が作業場にも来て挨拶し、撮影のお願いをすると、体調の悪い藤沢は何とか対応し、山添にも声をかける。

 

「住川さんのお子さんのダン君、初めてだよね?」

「はい」

「住川です。母がお世話になってます」

「柳沢です。よろしくお願いします」

 

作業をしながら目を合わさない不愛想な山添の態度に腹を立た藤沢は、常に山添が飲んでいる炭酸水のキャップを開ける音を聞いて、ついにキレてしまう。 


「炭酸飲むの、やめてほしいんだけど」

「え?」

「炭酸。その音、すごく耳につくし、水ばっかり飲まないで、ちゃんと働いて!」 


頷(うなず)く山添に、平西(ひらにし)が一緒に倉庫へ行くように誘う。

 

「お客さんが来てるのに、挨拶もしないの!?」と、山添に怒りをぶつける藤沢。

 

ダンが母親を呼び、住川が藤沢を宥(なだ)めつつ、連れ出す。 

藤沢を宥める住川


「向こうで休憩しよっか」

「逃げないで、逃げないで!…私、おかしいですか?おかしいこと言ってますか?」

「言ってない、言ってない」

「じゃ、なんで、みんな…」

「うん、大丈夫だよ。大丈夫、大丈夫」

 

一方、山添は自宅のアパートでエアロバイクを漕ぎながら、元勤めていた会社の上司の辻本とビデオ通話で話をしている。

 

「意味わかんないですよ。炭酸の音がうるさいって、いきなりキレてきて…他の人も、向上心とか全然ないし、なんか自分もいつかああなるんじゃないかと思うと、結構しんどいんすよ…」 

辻本(右)


仕事で社員が割り込んできて話が中断し、謝る辻本。

 

「いや、お忙しい時にすみません」

「じゃあ、こっちに戻れるかどうか、もう一度人事に相談してみるよ…」 


通話を終えた山添は落ち着かない様子で、薬の錠剤を口に入れる。

 

藤沢は和菓子店で菓子を買って職場の皆に配り、次に歯を磨いている山添のところへ行く。

 

「このあいだは、ごめんなさい。イライラしちゃって」


「あ、いや、こっちも悪かったんで」

 

藤沢が漬物を差し出すと、戸惑いながら受け取る山添。

 

金曜日の就業後、平西が食事に誘うと山添は用事があると断り、藤沢は行くと答える。

 

メンタルクリニックの受診に来た山添は、心配して付き添う恋人の千尋(ちひろ)と共に診察室に入る。

 

特に変ったことはないと答える山添に、担当の医師は発作があったかを確認するが、それもなかった。

 

「じゃあ、薬は変えずに、しばらく様子をみましょう」

「はい」

 

そこで、千尋が口を挟む。

 

「しばらくって、どれくらいでしょうか。電車も乗れず、外食も美容室も行けないので。見ていて辛そうなんです」

「まあ、焦らずに、うまく付き合っていくしかないですね…パニック障害は治るまで10年かかる人もいるんです」 


山添もネットで調べた行動療法が効果あるということについて質問する。

 

「簡単に手に入る情報は、声が大きい人のものばっかりだから、あんまり鵜呑みにしないで欲しいんだよね。症状は人それぞれで全然違うから。まあ、パニック障害の患者さんによく使われるのは暴露療法と言って、発作の不安のある場所に少しずつ、こうトライしていく療法です」 

千尋(中央)


担当医はキャンディーを使って、まずは駅前まで、それができたら改札の中、一駅だけ電車に乗ってみる、などとテーブルの上で示した。

 

早速、千尋と共に駅のホームに立ち、入線して来た電車に乗ろうとするができず、山添はベンチにもたれて蹲(うずくま)ってしまう。 


【パニック障害(後述)の「暴露療法」とは、不安な場面に段階的に恐怖突入していくことで不安に慣らせ、心を浄化させていく治療法】

 

栗田が1人事務所で、位牌の隣に置かれた写真立てに写る弟のヤスオに酒を注ぎ、手を合わせ語りかける。

 

「お陰様で今週も無事に終わりました。金曜日なんで、一杯やってください」

 

その後、栗田は「遺族会」(グリーフケアの会)の集まりに参加し、自己紹介をする。

 

「弟が突然いなくなって、今年で20年ですが、この会にも、10年以上参加させてもらってます」 


その参加者の中に辻本もいて、続いて自己紹介をする。

 

「5年前に姉が亡くなってから、こちらの会に参加しています。最近、ようやく遺書の内容を会社側が認めて、労災が下りることになりました。今さら、何だよって気がして落ち着かなかったんですけど、先日の会で福田さんと色々話しして、何となく、自分の気持ちを冷静に見つめられるようになった気がします」 

福田(左)


その福田が、もうすぐ13回忌になるという夫の死を今も受け入れられていないと話し出す。

 

「でも、ずっと後ろを向いてるわけにはいきませんから、最近、孫から教えてもらったマッチングアプリっていうんですか。あれで恋人でも探そうかなぁなんて思ってます」

 

福田が笑い、皆の表情も綻ぶ。

 

レクレーションの卓球の合間に、辻本が山添の様子を聞いてきた。

 

「山添のやつ、ご迷惑かけてませんか?」


「いやいや真面目に働いているよ。まぁ、楽しんでくれてたらいいんだけどね」

 

【「グリーフケア」とは、「悲嘆」(大切な人を亡くしたときに起こる心の反応)を抱える遺族をサポートすること】 

グリーフケア



職場で山添が過呼吸となり、バッグから薬を探すが見つからず、たまたま藤沢が給湯室で拾ったアルプラゾラムを、苦しそうな呼吸の山添に渡す。 

住川(左)と鮫島(右)


薬を飲んだ山添の体を支え、栗田が外へ連れて行く。

 

外の空気を吸って落ち着いた山添は一人で帰ると言うが、心配する栗田は藤沢に家まで送るように指示する。 


「やっぱり、家まで送ってあげてくれる?」「あ、はい」



藤沢が山添について歩いて行くと、途中でもう大丈夫と言われ、引き返そうとするが、ふらふら歩く山添を見て引き戻し、アパートの玄関に着いたところで、コンビニで買った炭酸水やおにぎりの入ったエコバックを手渡す。

 

藤沢が帰ろうとすると、山添が呼び止めた。

 

「あの薬って、なんで僕のって分かったんですか」


「カバンの中、ゴソゴソしてたから、そうかなぁと思って…もしかしてなんだけど、パニック障害?」

「ん?」

「同じ薬飲んだことあるんだよね。うん。私はPMSで」

「はい、女性の…」

「男の人に生理の話するのあれかと思って。PMSって、ちょっとシュッとした名前で言ってみたんだけど…お互い無理せず頑張ろ」

「ん?ごめんなさい。お互い…ていうのは」

「あ…お互いしんどくならない程度にってことで…お節介だったかな」

「いや、お節介とかではないですけど、うん、全然違うんじゃないですかね…PMSとパニック障害って。しんどさも、それに伴うものも。なんか、全然、違うけどなぁって…ふと思っただけで」

「あっ、病気にもランクがあるってことか。PMSはまだまだだね」 


藤沢は電車の中で、「パニック障害の生活」というブログを読み、理解を深めようとする。 


自宅で外の自転車のベルが聞こえた藤沢が、突然、閃いて古い自転車を掃除し、それを山添のアパートに届けた。

 

玄関から出て来た山添は自転車の受け取りを拒否するが、髪を自分でカットしようした格好で出て来たので、それを見た藤沢が「私、切ろっか?」と申し出る。 


「ほんとに大丈夫ですか?」

「今さら何言ってんの。前向いて、じっとして」


「はい」

 

藤沢は髪を切り始めると、いきなりざっくりハサミを入れ、耳が丸見えになって焦る。 


「はっ!」

「え、大丈夫ですか?」

 

不安になった山添が携帯で画像を撮って確認すると、「あっ…うっ」と口を押えて蹲る。

 

「えっ、大丈夫?ほんとにゴメン」

 

しかし、山添はお腹を抱えて笑い出すのだった。

 

「これは、どう見ても可笑しい」と笑いが止まらず、藤沢は何度も謝るが、もう一度見たいと鏡で見て、更に大笑いする。 


二人の心理的距離が縮まっていく初発点だった。

 

 

 

2  「で、僕、自分の発作はどうにもならないんですけど、まぁ、3回に1回ぐらいだったら、藤沢さんのこと助けられると思うんですよ」

 

 

 

髪をすっきりと短くした山添は、クリニックに行くと担当医に顔色が良くなった気がすると言われた。

 

薬は今まで通りで、1か月の予約を取った山添は、唐突にPMSについて質問すると、担当医が本棚にある本を見せ、山添はそれらを借りることになった。 



一方、年末に帰省した藤沢は、倫子が歩行訓練をしているリハビリステーションへ迎えに行き、母が編んだ真っ赤なミトンを贈られ、満面の笑みを浮かべる。

倫子



送迎車で団地の自宅に送ってもらい、正月は一人で神社にお参りをした。 


正月明けに、藤沢は山添のアパートにお守りを届けに行くが留守で、郵便受けに入れて帰ろうとすると、入れ違いに千尋が来たので、山添が不在であることを伝える。

 

千尋は帰って行く藤沢を呼び止め、同僚であると言う藤沢に、山添の会社での様子を聞いた。 


真面目に働いていると思うと答えたが、藤沢は真剣な千尋の顔を見て、一度、会社で発作を起こしたとがあり、心配でお守りを届けに来たと言って、余分に買ったからと千尋にもお守りをプレゼントした。

 

千尋は藤沢をじっと見つめ、「藤沢さんみたいな方が会社にいてくれて、よかったです」と安堵した表情を見せる。 


「え?」

「ありがとうございます。彼と向き合ってくださって」

「いえ、たまたま隣の席に座ってるだけなので」

 

その頃、山添は近くの運動場で辻本と一緒にいた。

 

お正月に実家に帰れなかった山添に、辻本はお節(せち)を差し入れし、仕事にも戻れるように調整していると話す。 



まもなく、ダンたちのドキュメンタリー作りの録画で、栗田科学で一番人気のプラネタリウムのキットについて説明をする藤沢。

 

「地域貢献活動の一環として、年に一回、小学校で移動式のプラネタリウムのイベントもやってます」

移動式プラネタリウムのキットを見せる


 

藤沢は定刻に会社を退社し、大学時代の友人の真奈美の紹介で、転職エージェントの小野寺と喫茶店で落ち合った。 

小野寺
真奈美


母親の介護で実家に帰る希望からの転職相談だった。

 

一方、山添のアパートにやって来た千尋は、転勤でロンドンへ行くことになったことを報告する。 


二人の別離を示唆するシーンであることが分かる。

 

栗田科学の職場。

 

プラネタリウムのイベントの原稿作りを担当する山添の文章を読んで、平凡すぎると藤沢が指摘する。 


「もっと勉強しないと」

 

帰路、二人は夜の歩道橋を上って行く。


 

「いつから?パニック障害になったの」

「2年前、ラーメン食べてる時ですね…なんか、ラーメンがいつもと違って美味しくなかったんですよ。で、店、出ようと思って、そしたら急にフラッときて、どんどん気分が悪くなっていって…ああいう時って、どうしようもないんですよね。自分の体なのに。で、すぐ病院行って、検査とかしたけど、まぁ、悪いとこなくて」

「うんうんうん」

「で、次の日、会社に行こうとしたら電車に乗れなくて」

 

山添のアパートに着いて、山添はパソコンで天体について調べ、藤沢は本を読みながらお菓子を食べる。

 

「ねえ、パニック障害になって良かったことってないの?」

「あるわけないでしょ。逆にあります?PMSになって、良かったなって思うこと」


「うーん、そうだね。あ、ヨガとか整体とか色々やったから、体は柔らかくなった」

 

2人でそれぞれ本を読み、山添はPMSに関する本を読んでいた。

 

「…明らかなことが一つだけ分かりました。男女間であろうとも、苦手な人であろうとも、助けられることはある。ですよね?」


「そりゃそうでしょう。医者と患者なんて異性だらけじゃない」

「で、僕、自分の発作はどうにもならないんですけど、まぁ、3回に1回ぐらいだったら、藤沢さんのこと助けられると思うんですよ」

「助けるって、何から?」

「だから、PMSの苛立ちを次は起こる前に止めます」

「えぇ?どうやって?」

「まぁ、観察してれば、何となく分かりますよ」

「ちょっと待って、それってさぁ、私が生理になりそうなのを、じーっと見てるってことだよね。気持ち悪ぅ。セクハラだよ、セクハラ」

「あの、僕が興味あるのはPMSだけなんで、ご安心を」

 

翌日、栗田が古い倉庫を久々に開け、天体について詳しかったヤスオの資料を山添に見せる。 


「社長の弟さんって、仕事好きな方だったんですね」

「あぁ。働いてる時は楽しそうだったけど、でも、ああいう風に死んじゃったし、無理してたところもあるって考えると…どっちが本当なんだろうねぇ」 


カセットテープを再生して、聴衆にユーモア溢れる話し方で天体について語りかけるヤスオの声を聴いて微笑む山添。 



一方、ヨガ教室でPMSの症状が出て、同じクラスの女性に攻撃的になってしまった藤沢が、会社の駐車スペースの車を洗浄しているのに気づいた山添が外に出て声をかけた。 

ヨガ教室で


「何かあったんですね」

「まぁ、ちょっと。イライラしちゃって…気づいたら来てた」

「あーそれは、だいぶヤバイですね」 


二人で車を洗浄した後、職場で暖まりながら、なんて謝ればいいか山添に相談する。

 

「普段、色々気にし過ぎる方なんだけどねぇ。まぁ、それはみんなそうか」

「でも、まぁ便利っちゃ便利ですよね。だって、好きなこと言って、全部もう、病気のせいにすればいいんですから」

「パニック障害だって、たまには使えるでしょ。行きたくない誘いとか、発作が出るからって断れるし」

「いや、僕、周りに言ってないですもん」

「あ、そうか…ねえ、何で会社、来てるの?」

「だから、これ、探しに来たんですよ」

「日曜なのに、わざわざ?」

「うん、まぁ、僕、パニック障害なんでね」

「パニック障害の人って、平日はやる気ないのに、土日になると急に出社したくなるの?」

「ふふっ。あの、ごめんなさい。PMSだからって言葉選ばなくていいとか、そういうのないっすよ」

 

山添がお茶を淹れに席を立ち、藤沢は机の上のラジカセとテープに気づき、スイッチを押すとヤスオの声が流れ、藤沢は聴き入る。

 

「“それでは南西の空をご覧ください。奇麗に並んだ3つの星と、その周りを囲む4つの星。冬の星座の代表選手、オリオン座です。オリオン座の3つの星の左上に輝く赤い星がベテルギウス。地球から約500光年彼方にあります。今、私が見てるのは、ベテルギウスが500年前に発した過去の光です。今から500年前と言えば大航海時代。探検家のマゼランが世界一周の旅に出発した頃です…”」 


ヤスオの声が、自宅の小型プレーヤーでテープを文字を起こしてパソコンに入力する山添の声に替わっていく。

 

「コペルニクスが地動説を唱え始めた頃でもあります。あまりにも大昔で、ちょっと想像がつきませんよね。遠く離れた過去の光なのに、見上げれば、すぐ傍にいるように感じる。夜空の星って、何だか、ちょっといい奴じゃありませんか?今日はそんな星たちの話をしたいと思います」(山添の声)

 

自宅で足湯をしながら天体の本を読む藤沢。

 

「88個ある正座の中で、一番大きな、うみへび座。心臓の辺りに明るい星があるのが見えますか?この星はアルファルドと言って、アラビア語で“孤独なもの”という意味です。近くに星がなくて、少し寂しそうでしょう?」(藤沢の声)

88個ある星座で最も大きい「うみへび座」の中で、「アルファルド」は際立って明るい恒星



プリントアウトした原稿をチェックし、読み合わせしていく山添と藤沢。

 

「でも、周りが暗い分、よく目立つので、昔の船乗りはアルファルドを旅の目印にしていたそうです。遠くの誰かに頼りにされていると知ったら、きっと、アルファルドも喜びますね」(山添)

「北の空で、じっと動かない北極星。こぐま座のポラリス、実は遠い未来、別の星と交代することが決まっているんです。地球の自転軸は2万6000年の周期で、首振り運動をしています」(藤沢)

【北極星が動かないように見えるのは、北極星が地球の自転軸の延長線上にあるから。また北極星は地球の地軸が約2万6000年の周期で方向を変え、別の星と交代することが決まっている。因みに、現在の北極星はこぐま座の「ポラリス」】


「その影響で、今から1万2000年後には、こと座のベガが新しい北極星になります」(山添)

こと座のベガ(七夕伝説で名高い「おりひめ星」)



「この宇宙には変わらないものなんて、存在しないかも知れません」(藤沢) 


他の社員たちも、イベントに向け、それぞれに作業を進めていく。 

印刷物をチェックする栗田たち(左から住川、平西、栗田、鈴木)


職場全員の共同作業として、移動式プラネタリウムのイベントが催されていくのである。

 

 

 

3  「喜びに満ちた日も、悲しみに沈んだ日も、地球が動き続けるかぎり、必ず終わる。そして、新しい夜明けがやってくる…」  

 

 

 

体調が悪いと早退した藤沢に山添がメールをすると、携帯音がして、会社に置き忘れていることが分かった。

 

山添は届けに行く許可を栗田に得て、支度をする。

 

その際に、山添は今まで身につけたことがなかった、社員が着る社名入りの作業ジャケットを羽織って出ていくのを栗田と住川は見逃さなかった。 


山添は自宅に戻り、以前、藤沢が持って来た自転車に乗って藤沢のアパートへ行き、忘れ物を届けに来たことを伝え、「練習してもらわないと困るんで」と言い添えて、プラネタリウムの原稿と携帯を入れたエコバッグをアパートのドアノブに掛けて帰って行った。

 

PMSの状態のにあった藤沢は、ベランダから山添が自転車で帰って行くのを見て微笑む。 


山添は、周りの景色を見ながら気持ちよさそうに自転車に乗って帰り、たい焼きを買って職場の皆に配った。 


山添の意外な行動に驚き、住川らの嬉しそうな声が上がって、山添も笑みを嚙み殺す。 


ドキュメンタリーの撮影で、栗田科学のいい所をインタビューで聞かれて考え込む社員たち。

 

山添もインタビューで同じ質問をダンから受ける。

 

「栗田科学のいいところを教えてください」

「あぁ…正直言って、最初は不満でした。単純作業ですし、社員同士でお菓子を分け合ったりするのも、なんか、こう、苦手で。でも、人は見かけによらないというか、第一印象は当てにならないなと感じてます」 


実家から送られた荷物を開ける藤沢は、母の倫子が編んだ真っ赤なミトンを嵌めて笑顔になり、倫子の留守録にお礼を残す。

 

藤沢は再び小野寺に喫茶店で会い、栗田科学での仕事内容のインタビューを受けた。

 

移動式プラネタリウムについて聞かれた藤沢は、チラシを渡して誘う。 


一方、山添は辻本に会い、今の会社に残ることを伝えた。

 

「色々動いてもらったのに、ほんと、すみません」


「そっか。全然気にしなくていいよ」

 

辻本は出張プラネタリウムのチラシを手に、笑顔で応えた。

 

「プラネタリウムって、いつできたか知ってますか?」

「いや、分かんない」

「ちょうど100年前に、ドイツのカールツァイス社ってところが発明したんです。で、うちの会社でやるのが、移動式のプラネタリウムって言って、ドーム式のテントの中でやるんですけど、これがもう、入り口こそ狭いんですけど、中は広くて、暗くなると一気に宇宙というか、いや、すごい…ですね。あれは」

 

辻本は、明るい表情で熱弁する山添を見つめながら、涙を堪える。 


「そうか…それは見に行かなくちゃ」

「どうしました?」

「大丈夫、何でもない」

 

辻本の息子が、感極まる辻本にハンカチを渡す。

 

早朝、出社した藤沢が栗田に退職願を手渡した 


「ああ、次の仕事決まったんだ」

「はい。一応面接まで進んでます」

「そっか。いつも通りしてれば大丈夫だよ」

「はい。短い間でしたが、栗田科学で働けて幸せでした」

 

藤沢は栗田の顔を真っすぐに見る。

 

コピーを取っている山添にも、「来月で会社を辞めることになった」と報告する。

 

「あ、そうですか」

「地元帰って、今度、面接受けるんだけど」

「へぇーどんな会社ですか?」

「興味ある?」

「ありますよ、一応」

「地域情報誌作る会社。取材とか、広告営業とか色々やるみたい」

「あ、面白そうですね」

「山添君、どうするの?」


「あぁ、ここに残ることにしました」

 

藤沢は倉庫でヤスオの手帳を見つけ、そこに書かれた「夜についてのメモ」のページを読む。 


藤沢と一緒にあんまんを食べながら帰る山添は忘れ物に気づき、事務所に戻った。

 

栗田がいつものようにヤスオに酒を注ごうとしていると、山添が注がさせてくれと頼む。

 

グラスを位牌の前に置き、栗田の傍らで山添は真剣に手を合わせて拝み続けるのだ。 


そして迎えた移動プラネタリウムのイベントの当日。

 

ドーム内には子供を連れた小野寺や、辻本親子や元同僚たち、グリーフケアの会のメンバーもいる。

 

観客は頭上に広がる満天の星空に歓声を上げる。 


藤沢が道案内としての星たちについて解説していく。

 

「私たちは今、船に乗ってゆっくりと港を離れていきました。私たちの船には、残念ながら携帯電話も方位磁針もありません。そんな時には夜空を見上げて星に道案内を頼みましょう。(略)オリオン座を探してみましょう。きれいに並んだ3つの星と、その周りを囲む4つの星。どうですか、見つかりましたか?」 

オリオン座(きれいに並んだ3つの星とその周りを囲む4つの星


屋上では天体観測会が準備され、天体望遠鏡が設置されている。 


ドーム前で受付をしている山添の耳に、山添と大先輩との協力で作った経緯を話し始める藤沢の声が聞こえてきた。 


「ある日、同僚が会社の倉庫から、1本のカセットテープを発見しました。そのテープには、今からおよそ30年前のプラネタリウムの音声が録音されていました。まずは同僚がそれを文字に書き起こしてくれて、それを元に新しいものを作りました。ちなみに彼は、その大先輩の解説を聞きながら、何度も笑いを堪(こら)えたそうです。でも、そのテープはとても古いので、いつも途中で終わってしまうんです。どうやってプラネタリウムの解説を終えたらいいのか、ずっと悩んでいたんですが、つい最近、大先輩のノートにこんなことが書いてあるのを見つけました」

 

藤沢は手帳を取り出し、そこに書かれていた「夜についてのメモ」を、ライトに照らしながら読み始める。

 

「『夜についてのメモ』…夜明け前がいちばん暗い。これはイギリスのことわざだが、人間は古来から夜明けに希望を感じる生き物のようだ。確かに朝が存在しなければ、あらゆる生命は誕生しなかっただろう。しかし、夜が存在しなければ、地球の外の世界に気づくこともできなかっただろう。夜がやってくるから、私たちは闇の向こうの、とてつもない広がりを想像することができる。私はしばしば、このままずっと夜が続いてほしい。永遠に夜空を眺めていたいと思う。暗闇と静寂が、私をこの世界につなぎとめている。どこか別の町で暮らす誰かは、眠れぬ夜を過ごし、朝が来るのを待ちわびているかもしれない。しかし、そんな人間たちの感情とは無関係にこの世界は動いている。地球が時速1700キロメートルで自転しているかぎり、夜も朝も、ひとしく巡ってくる。そして、地球が時速11万キロメートルで公転しているかぎり、同じ夜や朝は存在しえない。今、ここにしかない闇と光。全ては移り変わっていく。1つの科学的な真実。喜びに満ちた日も、悲しみに沈んだ日も、地球が動き続けるかぎり、必ず終わる。そして、新しい夜明けがやってくる…」 


外で聞いている山添は頷き、小さく微笑む。


 

プラネタリウムのテントから出て来る客を、並んで立った藤沢と山添が笑顔で送り出す。 




か月後。

 

事務所で組み立て作業をしている山添。

 

「パニック障害と診断されて2年。自分の体や気持ちなのに、自分ではどうにもできないことが多すぎる。発作は何度味わっても怖い。何もできなくて、涙が出てきそうになる。恋人に友達、一緒に仕事に向かっていた仲間や上司。みんな遠くに行ってしまった。でも、本当にそうだろうか。藤沢さんが転職してから1か月。あの人が突然、髪を切りに来たときは、ほんとに驚いた。最初は藤沢さんのことが苦手だったけれど、出会うことができてよかった…」(山添のモノローグ) 


リハビリステーションの送迎車で出発する倫子に、荷物を渡す藤沢。 


栗田に呼ばれた山添は、暗くした室内で、ダンと柳沢が撮ったドキュメンタリー作品を社員たちがと共に、楽しそうに鑑賞している。

 

映像で朝のラジオ体操する社員たちの中に浮かない顔の藤沢もいるが、カメラが来ると笑顔で会釈する。 


藤沢が送迎車を見送り、天気雨の中を笑顔で出社していく。 


栗田科学では、ビデオを見ながら笑う山添の表情と、皆の笑い声があった。 


 

 

4  夜明け前の暗さを乗り越えていく

 

 

 

栗田社長の自我を覆うトラウマが、それを克服する手立てを模索する。 

グリーフケアの会に参加する栗田
「おかげさまで、今週も無事に終わりました」と実弟の位牌に拝む栗田



この結晶点が、「来るもの拒まず去るもの追わず」の開放系の、オープンな職場環境を生み出す栗田科学だった。 


そこには、キャラが異なる複数の社員の笑顔絶やさぬ溌溂な空気が醸し出されている。

 

栗田社長の振る舞いの何気なさが収まりが良く、それが衒(てら)いのない佇(たたず)まいを見せているようだった。 

山添が置かれている状況を認知して接触している



開放系だから、世話好きの母(住川)が勤める会社のドキュメンタリーを撮る地元中学の放送部員のダンやカリンも、職場を闊達(かったつ)に移動する。 


出入り自由なのだ。

 

そんなオープンな職場に、3年間に及んで勤務する藤沢美紗。 


生理が近づくとイライラがひどく攻撃的になってしまい、発症後に悔いと謝罪が遅れてやってくる。

 

「周りにどういう人間だと思われたいのだろうか」と自問しながら、「何も欲していないはずなのに、どう振る舞うのがいいのか、いちいち悩んでしまう」「自分に、うんざりする」という冒頭のモノローグで分かるように、藤沢の場合、セルフイメージ(自己像)についての混乱と葛藤が、PMSの症状の発現時にピークになり、アンガーマネジメントが困難になる。

 

気配りが過剰で、社内で「優しさ」を出力全開にするが、決して代償を求めているわけではない。

 

そんな彼女がPMSの発症時に自己嫌悪と化す時間の渦に呑み込まれている。 


彼女が幸運だったのは、その職場が栗田科学という開放系の中小企業だったこと。

 

大学卒業後、社会人になっても会社内でPMSを炸裂させ、トイレに逃げ込んだ挙句、退職して母親に迷惑をかける女子が出会った栗田科学の職場環境の緩(ゆる)さ。 


これは救いになった。

 

何より、栗田科学の職員が藤沢のPMSの情報を共有していたから、職場環境の緩さは万全だった。

 

「向こうで休憩しよっか」 


この住川のアウトリーチで藤沢のPMSがソフトランディングしていくのだ。

 

かくて栗田科学の緩さにサポートされ、気配りを惜しまない藤沢の情緒は安定的に維持されていた。

 

そんな時、不本意ながら大企業から転職してきた若者がいる。

 

山添である。

 

パニック障害によって物理的移動もままならないから社会適応が困難になり、恋人のサポートにも限界が垣間見えていた。 


エリートの特権的意識を削(そ)ぎ落とされてもなお、復職する思いを捨てられず、栗田科学に転職しても人間関係に興味を持たないので、与えられた仕事を淡々とこなすのみ。

 

居場所の心地悪さを引き摺っているのだ。 

山添の理解者の辻本(右)は栗田とグリーフケアの会で馴染みであり、山添の転職を口添えしている



周期的に関係や空気感などの齟齬(そご)で苛立つ藤沢と、居場所の齟齬を抱え込む山添が出会っても、炭酸水に絡まれ軋轢が生じた一件に見られるように、藤沢の存在は単に職場の同僚でしかなく、プライベートな関係を築く思いなど更々なかった。 


そんな二人が接近する。

 

山添のパニック障害が職場で発現し、それを目視する藤沢。

 

ここでも栗田社長のアウトリーチが機能する。

 

「やっぱり送ってあげてくれる」と藤沢を促し、山添の帰宅に随行する藤沢。 


アパートに帰宅した際に、二人が交わした会話が興味深い。

 

「PMSとパニック障害って。しんどさも、それに伴うものも。なんか、全然、違うけどなぁって…ふと思っただけで」

「あっ、病気にもランクがあるってことか。PMSはまだまだだね」

 

言わずもがな、病気にランクなどあるわけがない。

 

個人が抱える疾病の辛さを比較する意味などないからだ。

 

その人の辛さは、その人にしか分からない。

 

他者の辛さへの反応に対して謙虚さが求められる所以である。

 

ともあれ、二人はこの会話を契機に近接していく。

 

PMSという女性特有の症状に無知であった山添には、人としての謙虚さがあった。

 

藤沢のPMSを目の当たりにした時のエピソードがユーモラスにインサートされていた。

 

年末の事務所の大掃除で、いつものようにPMSの症状が出て、作業の途中でしゃがみ込んでいる藤沢に気づいた山添は、外に連れ出し、深呼吸するように促す。

 

突然、呼び出された藤沢は、「何で?訳分かんない。何がしたいの?何もないんだったら、何で呼んだのよ」と怒り出す。

 

「ちょっと今、PMSの症状が出てるかなぁって思うんですよ」


「は?」

「なんで、ちょっとしばらく1人で怒っててもらってもいいですか。僕、飲み物を買って来るんで」

「いきなり外、出されたら、誰だって腹立つでしょ!?」

「いや…ですよね」

「うん」

 

そこで山添は、汚れたバンを洗車するように誘導して去っていく。 


「汚な」と言って黙々と作業をする藤沢に、山添は買ってきた飲み物の蓋を開けて差し出すのだ。

 

「何なの?いちいち」

「はいはい」

「はいはいって、何?」

「すいません。“はい”は一回ですよね」

「だいたい、山添君はさ、どっか変わってるというか」

「なんか、そうらしいですよね」

「他人ごとみたいに言わないでよ」

 

二人の関係が少しずつ縮まっていくのだ。

 

そう言いながら、二人で並んで黙々と洗車するのだった。 


かくて、藤沢が落ち着きを復元させていくエピソードだった。


PMSに対する生活習慣の改善の一環として、適度な軽い運動が効果的であると学習した山添のアウトリーチが眩(まばゆ)かった。


【コントのような遣り取りだったが、俳優の自然な演技に引き込まれてしまう】

 

兎にも角にも、髪をカットするエピソードを経由して、二人の心理的距離が近接していくのである。

 

それでも異性感情には発展しない。

 

そういう関係を求め合っていないからだ。 


だから窮屈な世界に潜り込まないで済んだのだろう。

 

「…明らかなことが一つだけ分かりました。男女間であろうとも、苦手な人であろうとも、助けられることはある。ですよね?(略)で、僕、自分の発作はどうにもならないんですけど、まぁ、3回に1回ぐらいだったら、藤沢さんのこと助けられると思うんですよ」 


山添のアパートでリラックスしている藤沢に対する山添の言葉だが、本作の中で最も重要なセリフである。

 

自らの病気を認知し、受容するばかりか、相手が周期的に抱える不快症状の様態を理解した上で、援助行動を申し入れ、具現化していくのである。

 

この「認知」⇒「受容」⇒「援助」というステップに辿り着く心的過程を丁寧に描き出したこと。

 

これが、二人が協力して作り上げたラストシクークエンスの移動式プラネタリウムで極点に達っしたのである。

 

「夜明け前がいちばん暗い」

 

移動式プラネタリウムで、藤沢が「夜についてのメモ」を読み上げたシェイクスピアの名言である。 

空気で膨らませたエアドームの中で、プラネタリウムの投映を行う「移動式プラネタリウム」



人間の苦しみは、終焉のイメージが見えた時が一番危ういのだ。


救いを希求するイメージは得てして破綻しやすいのだ。

 

人の心が落ち着き、軟着陸していくことの難しさ。

 

しかし、この時の辛さを乗り越えさえすれば、苦しみから解放されるに違いない。

 

藤沢も山添も、夜明け前の暗さを繰り返した果てに、軟着陸のイメージを手に入れていく。 


それでも彼らの揺れ動く自我が解放されたとは言い切れない。

 

辛さの山場を超えても、彼らに立ち塞がる社会の障壁を超えるのは容易ではない。

 

社会には栗田科学のような緩いスポットばかりではない。

 

反目しつつも、相互の疾病を理解し合い、心理的距離を埋めて構築した関係の結晶は、確かにそこに輝いていた。

 

それは二人にとって、捨ててはいけない珠玉(しゅぎょく)のような何かだった。

 

人間はこうして、夜明け前の暗さを超克していくのだろう。 


映画の主人公の抱える問題や人物像を自然体でしっかり描きながら、これからの課題でもある社会的包摂のコミュニティの在り方を静かに提起していて、観ていて、心が洗われると言うよりも、そのクオリティの高さにおいて、観る者を鼓舞するような作品に仕上がっていて感動も深かった 


          

 

5  PMSとパニック障害

 

 

 

ここで「PMS」(月経前症候群)について簡単に言及する。

 

月経が開始する3~10日ほど前から多くの女性に発現する身体的・精神的に不調な症状で、イライラがひどく攻撃的になる。 

「PMS」(月経前症候群)


女性ホルモンには、妊娠の準備のためのホルモン「プロゲステロン」と女性らしさをつくるホルモン「エストロゲン」があり、女性の心と身体の状態は、主にこのホルモンの影響を受け、約1カ月の周期(月経周期)で変動していく。

 

具体的に言えば、エストロゲンが増えていく「卵胞期」(生理が終わる低温期で、脳からの指令で卵子が飛び出す排卵が起こる時期。「幸せホルモン」と言われるセロトニンが活性化する)は心身の好調を維持できるが、プロゲステロンが増える「黄体期」(おうたいき/排卵後から月経開始の3~10日までの高温期で、セロトニンの分泌が減少する)は心身の不調が発現する。 

「PMS」(月経前症候群)


因みに、藤沢がかかりつけの医師にピルを要求したのは、妊娠の準備のためのプロゲステロンの増加を抑えたいから。

 

母に「血栓症」(血管が詰まる疾病で、ピルを飲むと血栓ができやすくなる)の既往があるからと言われ、代わりに「アルプラゾラム」を処方された。 

アルプラゾラム


このアルプラゾラムは心身症(胃・十二指腸潰瘍、過敏性腸症候群、自律神経失調症)における身体症候及び、不安・緊張・抑鬱・睡眠障害の治療に用いられ、睡眠薬としても使用される場合がある。

 

次に20~30歳代に多い「パニック障害」について。

 

特に身体の病気がないのに、突然、パニック発作を起こし、それが繰り返されることで発作への不安が増して、外出などが制限される疾病である。

 

動悸、息苦しさ(過呼吸症候群とも)、眩暈(めまい)などの症状を発現させる。 

パニック障害


この「発作への不安」は「予期不安」と呼ばれ、パニック障害のコアとなる概念である。

 

「また発作が起きたらどうしよう」という意識に捕捉されてしまうのだ。

 

予期不安を軽減させるために抗鬱薬の一種であり、副作用が比較的少ないSSRIが処方されている。 

選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)


またパニック障害は、人込みや電車に乗れないなどの症状を示す「広場恐怖症」との関係で説明されることが多いが、特定の場所で恐怖や不安を感じてしまう点でパニック障害と分かれているとも指摘される。 

パニック障害


いずれも、薬物療法と認知・行動療法が有効であると言われている。 

パニック障害の治療


(2024年11月)