<壊れゆく、ほんの少し手前の風景が一番美しい>
1 「世間智」と「世間無智」のコンフリクトの不毛性
昭和一桁の5年前、大阪市天王寺の上本町(船場から移転)で、古い暖簾を誇る蒔岡家に起こった忌まわしき事件。
それは、末娘で四女の妙子が、船場の貴金属商・奥畑の息子(啓ぼん)と引き起こした駆落ち事件だったが、問題は、単に未成年の少女が惹起した事件を、スキャンダル絡みで新聞記事になったばかりか、あろうことか、未だ19歳の三女・雪子と間違えて報道されてしまったことで、蒔岡本家を容易に収拾がつかない混乱にインボルブされるに至ったこと。
そのとき、奔走したのが、蒔岡本家の長女・鶴子の婿養子である銀行マンの辰雄。
徐々に暗雲立ち込めていく時代の趨勢で、傾いた本家の養子となった辰雄の孤軍奮闘空しく、新聞の訂正記事には、皮肉にも、駆落ち事件の当事者である妙子の名前まで掲載されるという、屋上屋を架すような事態となり、辰雄の奔走が裏目に出る始末だった。
四女・妙子と芦屋分家の次女・幸子 |
爾来、三女・雪子と四女・妙子は、蒔岡本家に居づらくなり、兵庫県芦屋市に居を構える、分家である次女・幸子の家に厄介になるに至ったという顛末。
以下、そのときの、蒔岡本家での混乱ぶりを示す重要なシーンを、些か長いが再現する。
「この新聞記事は、取り消しじゃあらへん!今度はご丁寧に、こいさんの名前まで出てしもたやないの!よう、見て!」
そう叫んで、辰雄を責める雪子は、手に持っていた新聞記事を辰雄の前に投げ捨てた。(因みに、「こいさん」とは船場商人の末娘のこと。また、単にお嬢さんなら「いとはん」と呼ばれる)
血相を変えて、その場を去っていく雪子の激しい剣幕に驚く二人の姉。
「まあ、落ち着きなさい」と宥める次女・幸子。
「辰雄さんも怒ってはんのや。これからもう一遍、新聞社に抗議しに行くゆうて」
そう宥めたのは長女・鶴子。
「ああ、行って来ますよ」
辰雄はそう言って、売り言葉に買い言葉の状況体温の高い流れで、外出の準備をした。
「兄さん、確かに取り消しを頼まはったんですなぁ」
「あったり前や!
ここで雪子は、厳しい表情を辰雄に向けて、強い口調で責め立てた。
「あたしのことやのに、何であたしに相談してから、取り消しに行ってくれはらへんかったん!」
「あんたとこいさんの立場は、あっち立てれば、こっちが立たんていう、利害が相反する問題やから、二人の仲がこじれてはいかんやろと、自分一人の責任でやったんや!」
「大体、新聞社が記事にすることなんかあらしませんのや。若い二人が、ちょっと思い込み過ぎて家を出たんを、駆落ちや駆落ちやと大騒ぎして」
一方、幸子の婿養子である貞之助は、すっかり落ち込んでいる妙子に諭すように話していた。
「こいさんらしゅうもない。そない、いつまでも考え込んでばかりいんと、ゆっこちゃんもあんたも、このウチの人やないか。はよう、辰雄兄さんと仲直りせんといかんがな」
貞之助の柔和な話を神妙に聞いている様子の妙子。
「ほんまに大騒ぎして、おまけにやったんは妙子ちゃんなのに、間違えてゆっこちゃんの名前を出してしもうて、取り消し申し込んだら、名前を妙子と訂正して、また載せてしまうやさかいなぁ。ほんまやったら、こっちから行かんかて、新聞社がこっちに謝罪しに来て、取り消すべきなんや」
外出の準備をする辰雄の前で、愚痴る鶴子。
「どうせ新聞の取り消しいうたかて、人目につかん隅の方にちいそう載るだけで、何の効果もないことくらい分ってたけど、間違いだけは糺しておかないかんと思うてな。しかし逆になってしもうた」
「黙殺しはったら良かったんや」と雪子。
「罪のないもんに、つまりあんたに、とばっちり受けさせて、放っておくわけにもいかんやろ」
「私は名前を間違えられたんを、不運と諦めてます」
「あんたが良かったから言うて」と幸子。
「それに、あのくらいの記事で、私は傷つくと思うてまへん!それより、何でこいさんのことを考えてくれはられなんだ」
「こいさんのしたことは、やっぱり悪いのに違いないやおまへんか」
ここで妙子は、それまで封印していた感情を炸裂させる。
「何にも言うてはらへんがな。そら、辰雄さんが記事の取り消しをしに行ったんは、ゆっこちゃんの機嫌を取りたかったのかも知れん。何と言うても、ゆっこちゃんもあんたも、あの人には小姑さかいな。しかしやで」
ここでも、穏健な貞之助がフォローした。
「ウチを犠牲にしてな!」
「そんなつもりは、ないと思うわ」
「皆、辰雄兄さんの金惜しみからできたことや」
この一言に、辰雄は強く反応する。
「それ、どういうことや!」
「相手は小さな新聞やないの。何とか手を回したら記事にならんで済んだんや」
貞之助のフォローに感情が入り込む。
「こいさん、世間はそんな甘いもんやないで!」
船場の町筋・大阪市立愛珠幼稚園(ウィキ) |
ここで、妙子を気にかける幸子と、本家の長女である鶴子が対立し、本家と分家、更に、養子である辰雄と蒔岡家の姉妹との複雑に絡み合った人間関係の矛盾が一気に露呈していく。
いよいよ、感情を剥き出しにする妙子は、直接、本家の婿養子に向かって本音を噴き上げていくのだ。
「辰雄兄さんはいつも、自分に都合のいい安全な道しか選ばらへん!昔からそうや」
「どういことや!はーん、こいさんは僕が船場の店を手放して、この上本町に来るようにしたことに、まだ拘っているのんか」
「それもある」
「それもある?何という言い草や!ああするより他に方法がありましたか!ええ、僕は反対を押し切りました!」
ここで、貞之助が辰雄の宥めに入るが、それを無視して、自分の感情を炸裂させる辰雄。
「いや、この際、言わせてもらうわ。僕が蒔岡の稼業を受け継いだ時には、破産の一歩手前だったことは、あんたらも知ってるやろ。何で、そんな沢山の借金ができたんかは、時代ということもあるやろけれども、お義父さんのやり方が派手やったこともあったと思う。お義父さんの亡くなりはる少し前に、縮小始めたけど手遅れやった。僕のことを、やれ、踏ん張りが足りんとか、臆病やとか言うけども、あのままの状態続けてたら、今頃、借金に追い回されていたやろ!」
それにしても、結局、ここまで言わなければならない感情があって、このような感情を形成させた蒔岡家の台所事情の現実が、厳と存在したということである。
幸子と鶴子の和解と別離 |
当初、銀行マンを退職して、蒔岡の稼業を受け継いでいた辰雄の合理的な決断によって船場の店を畳んで、上本町への移転に関わる一連の行為には、ビジネスマンの才覚なしには遂行し得なかったと印象づけられるが、豪勢な生活に馴致し切ったブルジョアの姉妹連中には、とうてい理解できようがなかったのだろう。
この辰雄の怒りの独演が、銀行マン出身の彼の言う通り、相当のリアリティを持っているのに、どこまでも「他人事」の「説教」としか受容し切れない雪子と妙子は、こんなときでも、含み笑いをしてしまう甘さをダダ漏れさせてしまうのである。
この姉妹の怖いもの知らずの態度が、我がまま娘の印象と切れていても、相当の世間知らずであった事実は否定しようがないであろう。
それでも、夫の辰雄への愛情に特段の破綻がなかった長女・鶴子のみは、ビジネス的な判断抜きに、情感的に夫の援護に回る振れ方をするのは必至だった。
一方、辰雄の立場の難しさを最も理解できていたのが、同じ婿養子であり、且つ、百貨店勤めのサラリーマンである貞之助であったことは言うまでもなかった。
これは、見合いの世話人で、昔馴染みの女に零した貞之助の愚痴。
以上、本作の主要登場人物が揃い踏みした、この「世間智」と「世間無智」が存分にコンフリクトの不毛性を露呈したエピソードの中で、それぞれの人物の特徴的な性格傾向が垣間見えて非常に興味深いシーンだった。
2 姉妹たちの様々に彩られた人生模様の軟着点
駆落ち事件の沸騰の渦中で最も際立つのが、この本篇中盤のシーンまで、自分の縁談の話で進行する物語の当該人物であるにも拘らず、何かいつも、「他人事」の縁談話のように事象が客体化され、概ね寡黙な態度を貫く様子が強い三女・雪子の、別人の如き人物造形性である。
「あたしのことやのに、なんであたしに相談してから、取り消しに行ってくれはらへんかったん!」
この雪子の強い口調のうちに、隠し込まれた、彼女の強烈な自我の様態が集中的に表現されている。
それは、雪子の自我に堅固な芯が貫流していることの証左である。
雪子 |
要するに、掴みどころのない印象を観る者に与える雪子は、度重なる縁談を経験しながら、自分の「理想的男性像」の出現を待ち続けていたのである。
小姑である自分に横恋慕する貞之助の前でエロスを小出しにすることで、「女」としての値踏みを測っていたようにも見える身体表現も含めて、この経験の累加は、「あのくらいの記事で、私は傷つくと思うてまへん!」と言い切った彼女の、それ以外に男を見る機会に恵まれない学習の肥やしになっていたのである。
自分の「商品価値」を安く見積もっていないのだ。
恐らく、彼女の「理想的男性像」のイメージは、堅固な芯が貫流されている自分の自我のサイズに見合った、行動的且つ、脱俗的で打算がない、泰然とした男性像であり、それを初対面で印象づける相貌性を持つパートナーではなかったか。
何にも増して、相手の子爵家の別邸で催された見合いが開かれるや、45歳で独身という、雪子の見合い相手である東谷は、客間のサイドボードからウィスキーを取り出してきて、それを躊躇なく雪子に勧めた行為それ自身に、出自などという既成の観念に囚われない「理想的男性像」のイメージが瞬時にフィットしたこと ―― これが大きかった。
彼女の一目惚れの瞬間を生み出す空気の後押しがあったとすれば、度重なる縁談の経験の中で累加された記憶の純化の感覚だったと言う外にないのだろう。
自分の「理想的男性像」と出会うまで縁談を続けていく。
出会えなかったら誰でもいいと考えない自負心を内側に秘めていたからこそ、自分の「理想的男性像」と出会えたときの喜びが、珍しく饒舌に、雪子は、パートナーである件の子爵の孫について語っていたのである。
「粘らはっただけのこと、あったなぁ」と鶴子。
この二人の姉の短い会話に端的に表れているように、本作での雪子の身体表現の内実は、内側に秘めたパワーをフルスロットルさせるに足る、善きパートナーと出会うまでの根気が要るアドベンチャーの航跡だったという訳である。
粘り切っても一緒になる。
待ち続けることで成就した雪子の至福感は、今、眩いまでに輝く美しき風景を身体表現するに至ったのである。
そして、この雪子の自我の強(したた)かさを準拠枠にすれば、方法論的に真逆の振れ方をした娘がいる。
四女の妙子である。
それは、待ち続けることで成就した雪子と異なって、自らの人格の総体を推進力にして、惚れた男の中枢に入り込んでいく能動性は、「世間無智」の馬力と無縁でなくとも、単に、思春期後期のエネルギーの自給力の産物では説明し得ないような何かでもあった。
妙子と幸子(芦屋の分家で) |
自らが惹起した駆落ち事件の「当事者性」において、かくまでに希薄であったのは、「こいさん」と呼ばれる妙子の自我の未成熟さに起因するが、その辺りの心情を、物語の終盤の中で幸子に語っていたシーンが鮮明に想起される。
フリークアウト然とした、時代の狭隘な枠組みに縛られない、妙子を巡る一連の風景は、駆落ち事件の相手である啓ぼんとの、「腐れ縁」のような関係がとっくに切れていて、奉公人上がりの「身分」を啓ぼんから嘲弄(ちょうろう)されながら、写真家として自立せんと努める板倉と親密な間柄になりつつも、その板倉の病死という不幸に直面し、一気に不良化の階梯を下っていったとき、又しても、自ら飛び込んでいった男の懐の深さに救済される波瀾万丈の青春模様に彩られていた。
「私、本家へ戻りまへん。それくらいやったら死んだ方がマシや!」
辰雄の東京転勤の際の家族会の場で、富永の叔母に吐き出した妙子の絶縁宣言である。
そんな妙子が、いつしか、「こいさん」の呼称を返上するまでの成長を遂げていた。
男の名は三好。
地道な生活設計を立てている、誠実なバーテンダーである。
「ウチ、姉ちゃんたちが、きあんちゃんのことばかり構うてはるさかい、啓ぼんのことも板倉のことも、姉ちゃんらの気い引くためにしてたんだと思うわ」
「こいさんに、そんな思いさせてたんかいな」と幸子。
「せやけど、今度は違う。ウチの方から三好の所に飛び込んでいったんや」
「あんた、どないしてやっていくつもりやの」
「洋裁の内職をしよう思うてんね・・・本家で預かってはるという私のお金のことなぁ、あれ、もういらんわ」
「何で?」
「三好に嫌われる」
「きあんちゃん」とは、三女の雪子のこと。
雪子の足の爪を切る妙子 |
この会話は、障子をバックに表情のアップを切り返していくファーストシーンでの、稚拙な会話を繰り返す妙子のショットを、限りなく相対化する実体感覚を鮮明に想起させる。
そこでは、妙子の結婚資金のために、亡くなった父から本家が預かった金に拘泥する稚拙な会話に象徴されるように、如何にもブルジョアの「いとはん」の「世間無智」の、チャイルディッシュな振舞いが全開状態だったのだ。
然るに、今や、実体性の欠乏の代名詞でしかない、浮薄な蠱惑(こわく)性をセールスしていただけで、定点を持ち得ないフラッパーの軽薄さを突き抜けていくに足る、「生活者」のタフなパワーで武装し得る、一人の「女」にまで成熟していたのである。
惚れた男に救済されるだけの「いとはん」ではなく、自分で働いて、必死に生きていく姿を見せることで、真の男女関係を構築したいという思いにまで辿り着いた妙子が、そこにいた。
妙子もまた、今、最も輝いている時間の海を身体表現するに至ったのである。
考えてみれば、飛び込んで、飛び込んで、自己を囲繞する風景を変容させていく航跡の振れ具合は、土壇場で輝く雪子のアクションと決定的な差異がなかったと言えるだろう。
自らがトラブルメイカーになることがない長女や次女だが、物語の中で惹起する様々な問題の処理に追われることで、本作のナビゲーターの役割を果たした次女・幸子についての言及は回避し、ここでは、「ごりょうさん」と称される長女・鶴子の心の振れ方について、夫の辰雄との関係の中で簡単に言及してみたい。
前述したように、特段に問題を起こさない鶴子の心の振幅の基軸が、常に「世間智」に長け、有能な銀行マンの辰雄の身の振り方に据えられていて、「無難第一」の辰雄の思考の枠組みの中に安住しているという印象が強いのは、恐らく彼女が、亡父に甘やかされて育った箱入り娘なので、依存の対象なしに本家の威厳を堅持し得ない脆弱さを抱え込んでいるからだと思われる。
しばしば垣間見せる、鶴子の瞬間湯沸かし器的行為の発動もまた、沸点が低い気丈さの裏返しであり、抑制系の脆弱さという文脈で説明可能である。
そんな「ごりょうさん」が、彼女の人生の航跡の中で最大の岐路に立たされる。
銀行マンの辰雄が、東京の支店長への栄転による人事異動によって、船場言葉と無縁な見知らぬ大都市への転居を迫られたのである。
早速、東京行きに反対する富永の叔母が、上本町の本家に乗り込んで来て、辰雄に強い口調で問いかけていく。
「鶴子がどうしても行くの嫌や言うたら、あんた、一人でも行く気いなんか?」
「いや、そんな気持ちはありません」
鶴子を一瞥した後、辰雄はきっぱりと言い切った。
鶴子は、しげしげと夫の顔を凝視して、小さな笑みを浮かべる表情が、思いっ切りアップで捕捉される。
全てが決まった瞬間である。
あとは、自分の思いを口外する、最も効果的なタイミングだけだった。
辰雄を求める鶴子の思いに、今のところ亀裂が入る余地がないし、それを期待する潜在的感情も皆無である。
夫婦関係の途絶に対する免疫もない。
そんな妻の心を読み切っている夫は、骨の髄まで自分の立場を身体内化することで、「ごりょうさんと婿養子」との関係を無難に繋いできたのだ。
だから、反対する叔母の手前、表現できなかった本音を、後日、姉妹たちが居並ぶ前で、そこだけはきっぱりと、確信的なアファメーションを送波したのである。
歓喜する辰雄。
「お前・・・おおきに、おおきに。感謝するから」
鶴子の手を握り、頭を下げる辰雄。
想定通りの筋書きである。
また、次女・幸子との、本家と分家の確執が氷解するのは、別離という人生の大きな岐路を前にすれば必然の帰結だった。
嗚咽の中で抱擁を交わす姉妹。
「皆、ええように行ったら、ええなぁ」と雪子。
「姉妹は仲ようせんといかんわ。つくづく、そう思うたわ」と幸子。
新たな人生に踏み出す鶴子もまた、船場の店をとうに捨てたこの町との別離を経て、彼女なりに輝く、時間の海の中に我が身を預けるに至ったのである。
3 細雪が舞う冬の小料理屋で閉じていく、言外に漂う情趣の哀感
そして、その日がやってきた。
まばらに降る、細雪が舞う冬の大阪駅。
別離の辛さで見送りをしない幸子と、今や「階級」の壁を破って、独自の生き方を繋ぐ妙子のいない中で、雪子だけが鶴子を送り出す。
東京行きの特急列車に乗り込んで、最後の別れを結ぶ鶴子と雪子。
姉妹の目頭が濡れていく。
それを目視した東谷が、雪子の肩にそっと手を乗せる。
決定的な場面に立ち会う羽目になった貞之助の視線が、凍てついていた。
それは、「禁断の恋」のラインを超えられず、散々、雪子のエロスを見せつけられた至福なる共存生活の終焉を意味するのである。
一人、小料理屋で手酌する貞之助。
「お酒だけだと、毒でっせ」
「毒でも呷りたい気や」
女将の言葉に、鬱々とする思いを吐き出すだけだった。
「滅相なこと、言わはって」
「あれが嫁に行くんや」
「お嬢さんなことあらしませんなあ。旦那さん、まだお若いし・・・」
勘の鋭い女将に察知されても、貞之助は、その一言を口に出さずにいられなかったのだ。
細雪が舞う街路に視線を移しながら、液状のラインが頬を濡らしていく。
それは、一貫して様々な揉め事や行事の穏便な処理のために、仲立ちのような行為を引き受けてきた温和なる男の心に、中枢を射抜かれたときの手痛い空洞感を味わわされる一激として、充分過ぎる身体表現だったのか。
この「予定不調和」の括りが、本篇の実質的なラストカットとなったのは言うまでもない。
思うに、京都嵯峨の高級料亭での優雅な花見のシーンから開かれ、細雪が舞う冬の小料理屋で閉じていく、一年間に凝縮された物語の括りだったが、言外に漂う情趣の哀感は、観る者の感性にストレートに迫る構図として感銘も深かった。
4 年来の夢を具現させた男の鬼気迫る心の推進力
物語のラストにおける、小料理屋での貞之助と女将のシーンの台詞が、病の癒えぬ市川崑夫人、即ち、和田夏十によって執筆された事実はよく知られている。
以下、岩井俊二監督の「市川崑物語」のキャプションより抜粋する。
―― どうしても撮りたい作品があって、いつものように相談した。
「なぜ、今これをやりたいの?」
「それが分らない」
彼女に反対されると諦めるのがいつもの事なのに、どうしても撮りたかった。
「細雪」のラストは、彼女が書いた。
休筆して以来、滅多にシナリオは書かなかったのに、そこだけは、サーッと書いてくれた。――
その辺りを、もう少し詳細にフォローしていこう。
出典は、「市川崑の映画たち/市川 崑 ワイズ出版 ; 1994」である。
―― 市川 あの人に反対されると、僕はたいがい、「それじゃ、あきらめるか」ってことになるんだけど、今回はそうならないので、これはどうしたもんだろう、何だろう?、何だろう・・・・・・?、ってずっと考えていた。そしたら夏十さんが、「じゃあ、思いきって、こういう女性たちは、現代にはいないという視点から考えてみたらどう?」とサゼッションしてくれたんですね。
質問者 つまり、逆手をいったわけですね。無理して現代に通じさせるのではなくて、こういう女性、こういう家庭、こういう生活状態は、もはや存在しないと・・・・・・。
市川 それが現実ですからね。徹底してそう考えていったら、どこかで道が開けて、「細雪」のテーマにうまく入っていけるじゃないかということで。それで、まず、原作では数年間にわたる膨大な話を、シナリオでは、一年間に凝縮してみた。桜の花見から始まって雪で終わる、というようにね。次に、人物を整理して、神戸の大水害だとか、近所の外国人一家の話とか、蛍狩りだとか、原作の名場面をいっさい取り除いてしまう。つまり、主人公の、蒔岡家の四人姉妹の日常生活だけを描く。半年くらいかかって初稿を書きあげたんですが、そこがまあ、勝負の別れ目だったんじゃないでしょうか。
質問者 撮影中、スタッフの方に、「君、これ、今の若い女の子が興味をもって観に来てくれるだろうかねえ?」なんて聞かれたことがありました。今どき、こんなオーソドックスな映画が当るのかな、という心配が多分にあったように思います。
市川 さあ、そんなことを言ったかな。ともあれ、当時としては会社があんまり喜ぶ企画ではなかったでしょうね。昭和十年頃の雰囲気をロケやセット、それから衣裳、小道具を揃えて再現しなければならない。お金がかかるし、それに再々映画化だしね。
雪子を好演した吉永小百合 |
質問者 四姉妹の“何もない話”といいつつも、構成上、石坂浩二さん扮する次女の亭主と、吉永小百合さんの不思議な三女・雪子との、微妙な、ちょっと怪しげな関係が一本通してありますね。
市川 日常性を大事にしたというのは、そういうことですよ。つまり、奥さんの美しい娘が同居していたら、血のつながってない兄が、フッとそういう感情を抱くことはあり得るだろうと。手が触れたり、話しているうちに意気投合したり、あるいは批判することによって気持ちが動くこともあるでしょう。
質問者 「細雪」は八三年の一月下旬にクランク・アップしましたが、かんじんの仕上げに入る直前に、夏十さんが亡くなられたんでしたね。
市川 あの人にはついに、完成した映画を観て貰えなかったんです。ただ、それまでに撮ったラッシュを、シーンはだいぶ歯抜けだけれども、ビデオに起こして、成城の自宅で観て貰った。「まあまあ、うまくいったんじゃないの」と言ってくれましたよ。特に養子の二人の男性が素晴らしいと。――
市川崑監督の思いがひしと伝わってくる、以上のインタビューの肉感的な内実に屋上屋を架す言葉を持たないが、ここでは、クランク・アップ直後、容態を崩し、激痛を抑えられずに乳癌で入院し、体から水を抜いたりする闘病の末に、1983年2月18日に逝った、敬虔なクリスチャンの和田夏十が自らが書いた一文を紹介しておこう。
「・・・要するに病院であろうと、家であろうと、火事場さわぎであろうと、しんみりしようと、『その時』が来れば、それが『その時』と思います。強いて希望を云うなら、火事場さわぎの方が望ましい。その方が、私を見送って下さる人の苦痛が少ないというか、凝結しないというか、みんながつらいと、私もつらいでしょう、きっと。決まったように、決まった手順で、さっと過ぎたい。オリジナルなことは望みません。生きている間、充分生きましたしね、よく人は最後に奇蹟を望むと云いますけど、今日まで生きのびたことが、奇蹟じゃないでしょうか。私はそう思っています」
市川夫妻・「市川崑物語」より |
「自分でもようやったと思いますし、夏十さんもがんばって闘病した。あの人の必死のがんばりが、逆に僕の心の支えになっていたんじゃないでしょうか」
市川崑監督の言葉である。
かくて、年来の夢であった「細雪」の公開にまで、一気に駆け抜けていったのである。
和田夏十が自ら書き添えた、石坂浩二の渾身の演技を観ることなく、彼女は、渋谷の聖ドミニコ教会で葬送されるに至ったのである。
それは、年来の夢を具現させた男の鬼気迫る心の推進力の完結点だったのか。
5 壊れゆく、ほんの少し手前の風景が一番美しい
常緑針葉樹のアカマツや、ヤマザクラ、カエデ類の落葉広葉樹林の国有林によって、見事な森林景観で有名だった嵯峨嵐山が、昭和30年から45年にかけての拡大造林運動の結果、スギやヒノキなど の針葉樹人工林への変換の中で、僅かな限定スポットにしか広葉樹が残らない「紅葉名所」と化している現実に象徴されているように、人為的に加工することによって変容してしまう「美」としての風景の危うさと、私たちが同居していることを認知せねばならない。
例えば、この映画で描かれていたように、「着物」、「伝統的商家・家並み」や「桜」、「紅葉」などの文化・自然の風景美の執拗なまでの映像提示のうちに、殆ど確信的に「日本の美」の典型例として抽出されていたが、しかし、どこまでもイメージとして揺蕩(たゆた)うが故に定義困難な「美」が、遥かな時を超えた「美」という概念のカテゴリーとして結ばれていくには、それを保全しようとする人為的な作業の介在を不可避とせざるを得なくなるということである。
イメージとして揺蕩(たゆた)う定義困難な「美」は、常に、時代によって揺れ動く価値を有する何かなのだ。
ここで私は、一つの歴史的エピソードを想起する。
日清戦争の渦中に出版され、異例のベストセラーとなった国粋主義の地理学者・志賀重昴による「日本風景論」である。
今でも読まれるその著の中で、志賀重昴は、日本の風景が世界で最も優れていると声高に主張することによって、日本人の景観意識を一変させたのである。
志賀重昴が「日本風景論」の中で、その代表的な風景として挙げたのが、信州・駒ケ岳や立山(現在の中央アルプスと北アルプス)などであった。
思うに、それらの「名山」は、現在でも、お雇い外国人の一人であった、英国鉱山技師のウィリアム・ゴーランドによって命名された、「日本アルプス」という俗称として、全国に名を馳せているのは周知の事実。
志賀重昂(ウィキ) |
「日本風景論」の登場は、当時の国威発揚の世論の波に乗って、従来の「森林美学」とリンクした、人工的な寺社庭園という、長くこの国で定着した感のある「森林美学」を、根柢から変容させてしまったのである。
どこまでもイメージの振れ具合でしかない私たちの自然風景観など、「絶対美」という幻想とも無縁なる相対的価値観なのである。
時代が変われば、風景観も変わるのだ。
従って、定義困難な「美」に関わる私たちのイメージの集合的要素も、呆気ない程に変容してしまうのである。
原作よりも遥かに分りやすく、シンプルに脚色した本作もまた、繰り返し映像を通して強調された文化と自然の美が、時間の壁を突き抜けるほどに強靭な何かになっていないことは、寧ろそれが、「滅びの美学」などという、気の効いた表現のうちに収斂されるイメージを、観る者に残像化して自己完結するだけで充分だった。
大阪大空襲(ウィキ) |
観る者だけが知っているからこそ、特段に面白く、哀しい物語への鎮魂の情感に乗せて、壊れゆく文化・自然の風景美の悲哀を、それ以外にない「絶対美」という幻想に変換させていくのだろう。
では、そこで壊れたものとは、一体、何だろうか。
「本家・分家という不毛な格式争い」
「ごりょうさん・婿養子という形式的権力関係」
「究極の日本美という恒久神話」
この3つであろう。
まさに、壊れゆく、ほんの少し手前の風景が一番美しいのである。
【参考資料】
「市川崑の映画たち/市川 崑 ワイズ出版 ; 1994」 「市川崑物語」(2006年製作・岩井俊二監督) 「和田夏十の本」(晶文社刊) 「日本風景論」(志賀重昂著 岩波文庫)
(2013年11月)
2018年1月1日にBS12で細雪(1983)が放送されました。
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