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2013年11月8日金曜日

東京オリンピック(‘65)     市川崑



<オリンピックを人間の営みの一つとして描いた傑作>




1  東京の都市変革をリアルにイメージさせる「破壊」の風景から開かれる映画のインパクト



1964年。

経済協力開発機構 (OECD) への加盟が具現される背景の中で、世銀の融資を受けて東海道新幹線を開通させた年の、異次元的な都市建設の怒涛のラッシュ。

首都高速道や地下鉄網の建設など、国内の交通網の整備が急ピッチで遂行されることで、戦後の復興期を経て高度成長を謳歌しつつ、今まさに、先進国への仲間入りを果たそうとしていた只中の日本を象徴するかのようだった。

平和のシンボルマークである太陽の印象的なカットから一転して、充分に埃に満ちた雑然とした裸形の相貌を見せつつ、クレーン車のモンケン(鉄球)によってビルが解体されるという、当時の東京の都市変革をリアルにイメージさせる「破壊」の風景から開かれる映画のインパクトは、和田夏十や白坂依志夫、谷川俊太郎の脚本をベースにした、そこだけを特化して作り上げる手法であり、本作が、単に記録するだけのドキュメンタリー映画ではなく、強いメッセージ性を内包するフィクションとの融合を意図した映像であることを示していた。

その典型例は、富士山を借景にした聖火ランナーのシーンは、思い通りの晴天に恵まれない状況下で青年団に河口湖を走らせたことや、同様に、晴天に恵まれなかったカヌー競技の撮影で練習中に先撮りしていたという事実に尽きるだろう。

しかし、このことが、ドキュメンタリー映画としての価値の自壊を露呈させるものに堕していないのは、フィクションとの融合を意図した映像が提示する強いメッセージ性の、その範疇で解釈が可能な文脈のうちに収斂されるからである。

これを、映画研究者の森遊机は、「映画的真実」と「現実的真実」という概念によって分け、「東京オリンピック」には、この二重性の結晶であると表現した。

大体、事実を記録するだけのドキュメンタリー映画など存在しようがないのだ。

ドキュメンタリー映画は、テレビのニュース画像の枠内で処理されるものではない。

ついでに書けば、「政治的に公平であること」、「報道は事実をまげないですること」という、「放送法第四条」の制約下にあるテレビのニュース画像にしても、「サウンドバイト」という、発言の恣意的切り取りによって構成されている現実を理解せねばならない。

市川崑監督
2000ミリという長焦点の望遠レンズを含む103台のカメラ、232本のレンズ、40万フィートに及ぶフィルムの長さに加えて、6万5千メートルもの録音テープの長さを駆使して作り上げた、カラーワイド170分に及ぶ、ハイリスク覚悟の異色の映像は、1800万人という途轍もない観客動員数を記録して、未だに破られることのない「巨編」と化した。

そして何より、この「巨編」が、一貫して「市川崑の映像」であり続けたこと ―― これは特筆すべき事象である。

「人間の可能性みたいなものを美しく突き詰めた映画なんですけれども、一方で、それが息苦しいんですね」

あまりに有名なレニ・リーフェンシュタールの「民族の祭典」、「美の祭典」(共に1938年製作)に対する森遊机の評価である。

彼は、市川崑監督との対談の中で、「東京オリンピック」には、レニ・リーフェンシュタールの映画にはない「解放感」があると指摘する。

「民族の祭典」を観て感動したという市川崑監督は、彼女の映画の影響を受けたことを吐露しつつ、夫人の和田夏十と共にオリンピックの歴史を調べていく中で、第一次世界大戦、第二次世界大戦という、大きな戦争があった年にオリンピックが中止になっている事実に注目し、「破壊が収まって平和になってからも、次の開催まで何年もかかっている。これがオリンピックの本質だろう」という結論に達したということ。

4年に1度、地球のどこか1か所に全部の民族が集まって、楽しく運動会をやろうじゃないか。どっかで小ぜりあいはあったとしても、世界に大きな戦争がないことの一つの証として、あるいは希望として、オリンピックは行なわれているんだと。それが、太陽の燦々たる恵みのもとで行なわれているんだから、シンボルマークは太陽にしようと

この市川崑監督の言葉こそ、映像が提示する強いメッセージ性であった。

一切は、この理念をベースにシナリオが書かれ、このシナリオを超える、様々な競技における想像だにしない肉感的な経験を通して、準拠枠となっているはずのフィクションとの融合を狙った映像 ―― それが、「東京オリンピック」という画期的な作品だった。

映像が提示する強いメッセージ性を象徴する有名なシーンがある。

聖火リレーが、「鉄の暴風」と呼ばれる沖縄戦の大規模戦闘の犠牲と化した、返還前の沖縄を経由し、広島に踏み込んだときのシーンである。

原爆ドームを空撮し、およそ122100平方メートルの面積を有する広島平和記念公園を、聖火ランナーが走行するシーンが捉えたのは、老若男女を問わず、この都市に住む市民たちが一堂に会したかのような歓迎の風景であった。

一緒に子供が走り、老婆が眼を凝らしていた。

黛敏郎のBGMに乗って、聖火ランナーを一目見んと集合する、広島市民たちの歓声が収録されたのである。

余談だが、このシーンを観て深い感銘を受けた私が、何より驚いたのは、聖火ランナーの走路に一本のロープも張られていない風景だった。

広島平和記念公園を走行する聖火ランナー
僅かな数の警官たちが、そこに集合する市民たちを制しながら、聖火ランナーは、悠然と広島平和記念公園を走行するのである。

どれほど興奮しても、この国の人々のマナーの良さは、常に一線を越えることがないのだ。

正直、この風景を観て、涙が出そうになった。

ともあれ、この一連のシーンは、広島市民たちの「解放感」を具現するかのようだった。

「東京オリンピック」という作品が、森遊机指摘する「解放感」を表現する映像に仕上がっているのは事実である。

私自身、オリンピックが「平和の祭典」=「戦争の代用品」(注)と把握しているので、大衆的熱狂の躁状態の人工的な仕立てとしてのビッグイベントであるのは否定し難いと考えている。

無論、クーベルタン男爵の意図が、大衆的熱狂を仕立てれば、国際平和の実現が容易に具現できると安直に把握したわけではないだろうが、この知恵深い、際立って人間学的な方略がスポーツの近代化と国際化、それに、大衆的気分の躁的な集合化に道を開いたことは否めないだろう。

 まるで未知のゾーンを覗き込むように、聖火ランナーを見守る人々の熱気に満ちた表情や、選び抜かれたアスリートの一挙手一投足に視線が釘付けになる観客の情動の集合こそ、「東京オリンピック」が、特大の解放系のイベントである事象を検証するものなのだ。


(注)「オリンピズムの目標は、あらゆる場でスポーツを人間の調和のとれた発育に役立てることにある。またその目的は、人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励することにある。

 オリンピック・ムーブメントの目的は、いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づ いて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献することにある」(日本オリンピック委員会の公式HP より)

 これは、有名な「オリンピック憲章根本原則」の一部である。「平和な社会の確立」、「平和でよりよい世界をつくる」などという文言を見ても分るように、近代スポーツが「戦争の代用品」であった事実を否定しようがないだろう。



2  大衆の情動を束ねて、底力を発現する近代スポーツの圧倒的な求心力



とりわけ、私の中で印象深いのは、国立競技場で、9時間にも及ぶ死闘を演じた棒高跳びの決勝である。

陸上男子棒高跳び(イメージ画像・北京五輪より)
既に夜の帳(とばり)が下り、ナイターの風景への変容があって、心身の極限にまで自らを追い込む状態の中で、ハンセン(アメリカ)対ラインハルト(ドイツ)の一騎打ちと化した、棒高跳びの決勝を見守り続ける観客サイドの息を呑むような思いの集合には、「敗者」を決めねば終わらない近代スポーツの基本命題を受容しつつも、緊張と陶酔が入り混じった、一種異様な「特別な時間」を「共有」 した者の満足感が胚胎されていて、そこには、もうここまで戦い切れば、「勝者」の歓びと「敗者」の悔しさという二項対立の、表層的な感情の不毛な尖りが希釈され、浄化される風景の心地良さが漂流しているようだった。

「敗者」となった21歳のドイツ青年の表情には、疲弊し切った者の喪失感よりも、全身全霊を尽くして戦い 切った者の爽快さが滲み出ていたのである。

「戦争の代用品」としての近代オリンピックの本質が内包する、平和への一過的幻想を「共有」するような情動の集合が、その特化されたスポットで胚胎され、一種異様な「特別な時間」を「共有」 し得た人々の裸形の様態を、まるで意志を持つ有機物の如き高性能カメラが捕捉し、そこに漂流する肉感的な空気を丸ごと包摂するもののように映し出したのである。

それは、どこまでも理念系の軽量感を超えられないメッセージの束を担いで、この「大仕事」に踏み込んでいった中枢のスタッフの集合的意志が、小さくも、しかし決定的に成就した瞬間だった。

このような風景が随所に生まれてしまうところにこそ、決して、シナリオ通りにトレースする訳がないスポーツの競争性・偶発性の醍醐味と化して、それを表現する者の当事者熱量のうちに、観る者たちの熱量が溶融することで累加した肉感的な空気の重みは、今や、「戦争の代用品」としての近代オリンピックの情感的文脈をも呑み込むほどの、特化されたスポットを揺さぶる熱量さえも自給してしまうようだった。

大衆の情動を束ねて、底力を発現する近代スポーツの圧倒的な求心力が、そこに息づいているのだ。

「最高身体条件」と「最大集中力」をフル稼働させた後の爽快な解放感は、時には、「勝者」と「敗者」への感情の落差をも超えて、そこにアクセスした者たちが均しく被浴する快感のシャワーだったのか。

国立霞ヶ丘陸上競技場(ウィキ)
最強のビッグイベントであるオリンピックという、途方もない包括力を持つ「ハレ」の大行事の只中に、物理的に最近接する身体が触感する解放感は、まもなく、競技にアクセスしていく熱気のうちに溶け込んでいく。

しばしば、競技に過剰にアクセスする者は感受性を亢進させ、「再燃性」を準備する。

これを「逆耐性現象」と呼ぶ。

しかし、覚醒剤常習者に多く見られるこの現象は、ドラッグ耐性を奪われた者たちの大いなる危うさを説明する特殊な概念なので、ここでは誇張気味に記したに過ぎない。

然るに、多くの人々は、当然の如く、この「逆耐性現象」にまで持っていかれることがなく、一生に一度あるかないかの「ハレ」の大行事を、自らの日常性と上手に折り合いをつけながら、半月間という限定された期間に特化されたビックイベントにアクセスしていくだろうから、そこに厄介な問題など起こりようがないだろう。

それでも、「ハレ」の大行事に心身を預けていく人たちの渦の中に、先の棒高跳び決勝のような天晴れな風景を射程に収めつつ、なお繋がれていく時間が最終的に自己完結するに至るのだ。

閉会式という、ある意味で、最も世俗的な臭気の漂う最終行事に解放感を被浴すること。

一切の競技が終焉したときに待機する、この最終行事における解放感の被浴こそ、オリンピックという最強のビッグイベントの本質的な括りを、裸形の自我が相互に交叉させていくことで自己完結させる、スポーツ文化のとっておきの風景であると言っていい。

この閉会式については、興味深いエピソードがある。

開会式のように、選手団が整然と並んで行進する感動を期待していた市川昆監督が、その風景のあまりの違いに驚嘆して、慌ててカメラの指示をしたというエピソードだが、さすが市川昆監督は、この閉会式の異様な盛り上がり方を見て、「人間主体の東京オリンピック」(森遊机の言葉)を撮り続けてきた最終ステージのうちに、ドキュメンタリー映画製作の基本理念がオーバーラップする風景を瞬時に読み取ったのである。

「僕は、オリンピック映画を作っていて、スポーツから多くのことを教えられたような気がします。スポーツは、人間の純度の象徴だと言えますね」(市川昆監督)

閉会式
まさに東京オリンピックは、このような人々の解放感の滾(たぎ)りを、様々なアングルから切り取った特別なスポーツイベントだったのだ。

製作スタッフの平和への希求の念の中枢の理念系が、少なくとも、一過的な幻想としては成功裏に軟着し得たのである。

オリンピックの素晴らしさを目の当たりにした数多の日本人が、この歴史的大プロジェクトに喝采を送ったこと ―― 私たちは、その事実を素直に受容すべきであろう。



3  オリンピックを人間の営みの一つとして描いた傑作



10月10日。

国立霞ヶ丘陸上競技場で行われた、東京オリンピックの開会式の記念すべき日である。

前日に台風が接近したことで、危うく、開会式が中止(順延にあらず)になるところだった。

ところが、打って変わって、当日は秋晴れに見舞われたのである。

「開会式では自分でもカメラを廻すつもりで待機していたんですけど、入場行進が始まったとたん、あまりの素晴らしさに呆然として、廻すのを忘れちゃったんですよ。当日は前夜のすごい嵐が嘘のような、雲一つない日本晴れ。燦々たる太陽の下のセレモニーに、ああ、オリンピックとはこんなにいいものだったのかと、現実で教えられた気がしましたね」

これは、市川昆監督の率直な言葉。

オリンピック発祥の地であるギリシャを先頭に入場行進が開かれる、整然たるラインを崩さず、自国の国旗を掲げて進む姿を、古関裕而作曲の「オリンピック・マーチ」の高らかな演奏が、観る者の情動を深々と揺さぶるように追い駆けていく。

開会式
興奮の坩堝(るつぼ)と化す開会式の圧倒的な感銘の中に、「戦争の代用品」としての近代オリンピックの精神が凝縮されているのだ。

初めてその名を聞くような、小さな国の僅かな選手団を代表し、前を向き、凛として、自国の国旗を掲げて進む者に、割れんばかりの拍手が送られる光景にこそ開会式の真の意味がある。

この特別のエリアでは、均しく皆、イコールフッティングであることを堂々と身体表現する雄姿を無言で示す行為に、私は深く感銘する。

涙が止まらないのである。

それが一過的な幻想であったとしても、今このとき、この場所ではホットウォーが回避されているのだ。

市川昆監督の映画のテーマもその辺りにあるから、「オリンピックとはこんなにいいものだったのか」という感懐を結ぶのだろう。

そして開かれた競技の中で切り取られたのは、男子100mの決勝。

当時の世界記録保持者・アメリカ合衆国のボブ・ヘイズの動きに焦点を当て、ハイスピード撮影を駆使し、唇をブルブル震わせるアスリートの、スタート直前の緊張感溢れる仕草を捕捉していく。

スターティングブロックを固定するためのハンマー音が異様に響いて、アスリートのテンションの高さをリアルに映し出すのだ。

「この10秒にどう賭けるかっていう精神の集中に、見ていてなんか息が詰まりましたね」(市川昆監督)

しかし、映画監督は、息が詰まるような10秒に向かう直前の緊張感を撮影する。

生来的に速筋タイプの白筋を持つ短距離ランナーのプロを、映画撮影のプロが執拗に追って、その感情の機微まで映し撮ってしまうのである。

男子100mの決勝
この非情さがプロの最高表現力を具現する。

だから、この作品は、芸術の域にまで昇華したドキュメンタリー映画となった。

それだけのことだが、それは、映画撮影のプロが執拗に追求する気迫なしに到達し得ない領域なのだろう。

同時に、映画撮影のプロは、競技者当人を追うだけではなく、聖火リレーを好奇の眼で見物している人など、その特定スポットの求心力に誘(いざな)われる無名の大衆の視線をも捕捉していくことで、自分の映画の根柢にあるものを語っていく。

以下、市川昆監督のインタビューの言葉。

「つまり、オリンピックというのは、競技している人だけじゃなくて、準備している人も、見物人も、みんな一緒に参加しているんだということです。(略)『民族の祭典』が韻文だとすれば、僕のほうは散文。それでいて、単なる記録に終わらせずに、その中にこっちの想像力を注ぎ込みたかった。単に記録を提示するだけだと、それはニュースであって、映画じゃないですから。(略)そのぶん、スポーツに蘊蓄(うんちく)のある人にはもの足りなかったかも知れない。僕がこの映画を作った姿勢のいちばん底にあるのは、スポーツ・ファンだけのための映画じゃないということです」

「カヌーでは、湖の水面が逆光できらめいて、人と船はシルエットなので、どこの選手だかぜんぜん分からない」

後者は、市川昆監督をフォローする森遊机の言葉である。

また、「人間主体の東京オリンピック」を撮るという映画の姿勢は、市川昆監督の指示で、30台ものカメラを駆使して自ら撮りに行った、女子バレーボールの決勝戦に端的に表現されていた。

大松博文監督
「日本が優勝した瞬間、ふと見ると、選手たちは監督のところへ駆け寄らないで、自分たちだけでバーッと集まって、抱き合っている。大松監督はポツンと一人で立っているわけですよ。(略)監督の気持ちは、やっぱり監督が一番よう分かるんやね。大任を果たした喜びと、孤独感と、虚脱感と、いろんな感慨が胸をよぎっていたのでしょう。ファインダーを覗いていて、それが切々と感じられた」(市川昆監督)

そのカットに、福島の子守唄をアレンジした、黛敏郎の陰鬱感のあるBGMが被さっていく。

この余情含みの決定的な構図の中に、恐らく勝敗の帰趨を度外視してまで、「人間主体の東京オリンピック」を撮り続けてた本作の肝があると言っていい。

構図の効果をマキシマムに生かし切った「市川崑の映像」が、どこまでも貫流するのだ。

そんな「市川崑の映像」が公開されたとき、「記録か芸術か」という論争が巻き起こったのは、ある意味で必然的だった。

乗馬やマラソンの切り取り方など、自分の期待した競技の描写が、この映画の中に全て含まれなかった主観的不満で、時のオリンピック担当大臣の河野一郎がクレームをつけたのが端緒となったのは有名な話だが、インタビューの中で、市川昆監督は明瞭に言い切った。

「映画監督として当たり前のことをやったわけです。オリンピックを人間の営みの一つとして描いたことで、記録映画じゃないってことになったんでしょうけど、あれは、記録映画以外の何ものでもないですよ。(略)スポーツ解説じゃないんだから、あくまで映画として評価してほしいと思ったね」

本作は、この言葉の中に全て収斂される傑作なのである。



4  「ハレ」の大行事が包含する、自己完結する昂揚感を与えてくれるオリンピックの素晴らしさ



「戦争の代用品」としてのオリンピックが、そのビッグイベントとしての価値を利用することで、国威発揚の流れに向かうのは必至だった。

ベルリンオリンピック(ウィキ)
その悪しき例が、ベルリンオリンピック(1936年)であった。

まもなく、「ヒトラーのオリンピック」は「ヒトラーの戦争」を開き、欧州全土どころか、あっという間に世界大戦へと雪崩れ込んでいった。

「戦争の代用品」としてのオリンピックは、またしも、大きな戦争を抑止できなかったのである。

考えてみれば、当然のことだった。

ルールに縛られることで、その都度、自己完結していく近代スポーツが、国際ルールを完全に無視する侵略戦争を抑止し得る腕力など持ちようがないのである。

西部戦線異状なし」(1930年製作)で描かれていたように、国土の一部を削られ、軍備の制限を受けたばかりか、多額の賠償金を課せられたベルサイユ条約に対する膨大なストレスを発火点にする、あの当時のドイツ国民の昂揚感・陶酔感の異様な滾(たぎ)りが一方的に累加される大情況の坩堝(るつぼ)に、さして腕力のないクールな棒を差し込んでも、簡単に吹き飛ばされてしまったであろう。

「陶酔感の蓄積を抑えるのは極めて難しい」

これは、2008年9月に起こったリーマン・ショックの際の、元FRB議長グリーンスパンの言葉である。

この言葉の含意は相当に深い。

一回的で単純な陶酔感・昂揚感を抑えるのは決して難しいことではない。

その先に、自己完結感=解放感が待機しているからである。

しかし、「陶酔感・昂揚感の蓄積」が固まってしまえば、多分、どのような腕力のあるクリーンな棒を挟んでも、それを抑えるのは極めて難しいであろう。

ましてや、その腕力を持ち得ないオリンピックが、「ヒトラーの戦争」を抑止できなかったのは当然だった。

オリンピックを支える近代スポーツの風景は、勝者ばかりか、敗者をも特定することによって、その競技のルールのうちに自己完結する。

先述したように、全身全霊を尽くして闘い切った棒高跳び決勝の軟着点に、敗者をも含む解放感が垣間見られたのは、オリンピック精神の一つの成就であると同時に、近代スポーツの風景の一つの善き範型と見ることができる。

ここで、私は勘考する。

オーストリア併合後にパレードするヒトラー(ウィキ)
「ヒトラーの戦争」を抑止する腕力すら持ち得なかったオリンピックの存在価値が、果たして全くないと言えるのか。

私はそうは思わない。

オリンピックが生み出す昂揚感は必ず自己完結し、最後は、閉会式という「ハレ」の大行事の終結点のうちに軟着するのである。

確かに、その風景は一過的な幻想かも知れない。

しかし、幻想なしに生きられない人間にとって、そのような幻想を敢えて仮構していく試みが、全て無益であるとはとうてい思えない。

それが「ハレ」の大行事であるが故に、束の間、退屈な日常性から解放される人々が、陶酔感・昂揚感を求めていく世俗性を無視してはいけないのだ。

然るに、戦争に向かう「陶酔感・昂揚感の蓄積」を固めてしまった状況を抑止するのは不可能であっても、戦争の終結によって「陶酔感・昂揚感の蓄積」が瓦解したとき、近代スポーツが特段の腕力を発揮する例が数多ある事実を知らねばならないだろう。

困難な国家を率いる時代状況下で、人々の思いを一つにさせるという喫緊のテーマを有する国家においては、近代スポーツの戦略こそ最も有効な方法論であったからである。

例えば、近代スポーツの戦略に関する近年の話題の中で印象深いのは、「紛争ダイヤモンド」絡みの激しい内戦終結後に、リベリアの大統領になったジョンソン・サーリーフが開催したサッカー大会である。

 
ジョンソン・サーリーフ大統領
「アフリカの鉄の女」と称されるジョンソン・サーリーフは、内戦での10万人以上の敵対者同士(元兵士たち)を招集して、サッカー大会を開催することで、「憎悪の連鎖」を断ち切る努力を惜しまなかったのである。


 更に、ボスニア内戦終焉後、今なお残る民族間対立を克服するために、サラエボ出身の元日本代表監督のオシムが、子供たちにサッカーを教えたりする行為などを通して、粘り強く奮闘している事実を知るとき、国家の団結を復元する方法論として、近代スポーツが有効利用されている現実を粗略にできないのである。

 近代の合理主義によって整備されたルールをベースに発展してきた、国民の精神的統合のパワーを有する近代スポーツの求心力。

これらは、一貫して、政治に利用され続ける近代スポーツの風景の善き範型の一つであると言える。

だから、自己完結感=解放感に軟着する近代スポーツの本質的価値を、私たちは改めて見直す必要があるということだ。

「スポーツは、人間の純度の象徴である」という理念的なフレーズのうちに軟着した、市川昆監督のオリンピック観や、その素朴なスポーツ観に必ずしも同意しない私だが、しかし、このような理念の映像的結晶こそが、本作の「東京オリンピック」の稀有な価値であり、それを高く評価する私としては充分に納得できる作品であった。

オリンピックは素晴らしい。

私もまた、素朴にそう思う。

サマランチ元IOC会長(ウィキ)
確かにそこに、「戦争の代用品」、即ち、「平和の祭典」という理念系で武装したオリンピックが、一貫して政治に利用され、今また、1984年のロサンゼルス大会以降、サマランチ(IOC第7代会長)時代の、功罪相半ばする商業主義の跋扈(ばっこ)する風景の「汚点」を批判されている現実があることを受容しつつも、私はそれでもなお、4年に1度の、この「ハレ」の大行事の開催を大いに歓迎する。

これほど商品価値のあるビッグイベントが商業主義のターゲットにされない訳はないと考えるとき、そこで生まれる利権の問題や、放映権の高額化の問題などは、結局、それとの折り合いを如何に上手につけていくかという方法論の問題に尽きるのであって、それが蔓延(はびこ)っているからと言って、私にはオリンピック不要論を安直に唱える気持など更々ない。

オリンピックというビッグイベントの中にこそ、近代スポーツのエッセンスが凝縮されていると考えているからである。

近代スポーツは大衆の熱狂を上手に仕立てて、熱狂のうちに含まれる毒性を脱色しながら、人々を健全な躁状態に誘(いざな)っていく。

この気分の流れは、「勝利興奮歓喜」というラインによって説明できるものだが、この流れが自己完結感=解放感に軟着することで、大衆の熱狂を誘(いざな)った競技が「ハレ」の大行事を終焉させるのだ。

「ハレ」の大行事を終焉させた人々が、束の間、隙間を作って留守にした退屈な日常性に戻っていく。

この「予定調和」のラインを決して崩さない。

一時(いっとき)、熱狂し、手に入れた昂揚感を記憶に繋いで、退屈な日常性の風景に新たな息吹を吹き込んでいく。

必ず自己完結する、ゲームの終わりに待つ世界を捨てる訳にはいかないのだ。

オリンピックの素晴らしさは、私たちに「ハレ」の大行事が包含する陶酔感・昂揚感を与えてくれるが、しかしその情動系の氾濫が、「陶酔感・昂揚感の蓄積」という、抑制困難な厄介なゾーンに閉じ込める事態にまで肥大化しないところにあると言える。

一切が終焉し、ゲームの終わりを確認すること。

この近代スポーツの循環性が、オリンピックの中で、最も可視的、且つ、実感的に体現できるのである。

そこが、「ハレ」の大行事であるオリンピックの最大の魅力なのである。



5  近代スポーツの風景



 ここでは、「近代スポーツの風景」と題する拙稿の一部を引用し、私自身の近代スポーツ観に言及したい。


―― いつの時代でも、大衆的熱狂の本体は躁状態の人工的な仕立てであって、まさにこの仕立てのための消費財の一つとして、近代スポーツの立ち上げが待望されたと言っていい。

近代オリンピックを創設したクーベルタン男爵の意図が、大衆的熱狂を戦争以外のものに求めることにあったのは周知の事実である。

 近代スポーツは、それ故、自然に進化を果たしてきたのではない。

 ゴルフ、射撃、サッカー、水泳、ラグビー、ヨット、自転車、ボクシング、ホッケー、 バトミントン、テニス、陸上競技、などはイギリスで、アメリカンフットボール、野球、バスケットボール、バレーボールはアメリカで生まれ、より高度な技巧の進化によって現在に至っているのは周知の事実。

それは多くの場合、近代スポーツとは隔たった素朴な娯楽の文化の中から、それを必要とする人々によって人工的、且つ、理念的に発明され、発展を遂げていったのである。
 
良かれ悪しかれ、何ものをも貪欲に商品化して止まない、自己膨張する資本主義。

 ここに重厚にアクセスすることで、私たちの近代スポーツは娯楽の一方の雄として、な お大衆の熱狂を仕立て続けている。

そして、一度開かれた熱狂に秩序の枠組みを巧妙に被せているから、熱狂が日常性を食(は)むことがなく、そこに継続力と自己完結性が保証されることになったのである。
 
 近代スポーツは大衆の熱狂を上手に仕立てて、熱狂のうちに含まれる毒性を脱色しながら、人々を健全な躁状態に誘(いざな)っていく。

サッカー・ワールドカップ
この気分の流れは、「勝利興奮歓喜」というラインによって説明できるだろう。

まず何よりも、近代スポーツは、勝利という事実による紛う方ない躁気分の報酬を受ける こと。これが第一義的価値となる。

勝利感が興奮状態を作り出し、これが歓喜の気分を人々の脳裡に深く焼き付ける。

そして、それぞれのゲームごとに、自己完結感が届けられることになるのである。

 近代スポーツが、必ずしも予定調和のラインをなぞっていかない偶然性のゲームであればこそ、勝利感が開いた快適な気分のラインを、思い入れたっぷりにステップ・アップしていくことが可能になるのだ。

近代スポーツでは、勝利という概念に含ま れる意味合いこそが何より重要なのである。

 思うに、敗北という事実結果から躁状態を醸し出すには、局面的な満足感を上手に切り 取って、それを近未来の勝利の予感に繋いでいけるような心情操作に成功した場合に限られる。

敗北による自己完結感の中で夢が繋がれば、近代スポーツの継続力に衰弱の翳(かげ)りは見られないのである。

 勿論、勝敗など度外視して、スポーツを純粋に楽しむという人がいても当然構わないが、多くの場合、それを遊びとして興じているに過ぎない。

相手を必要とするスポーツで、記録を残さず、ただ楽しむだけに身体を展開するゲームを観る者もまた、勝敗抜きにゲームと付き合うという世界は、殆ど前近代の何かであるか、或いは、単に社交のツールとしてのゲームでしかないであろう。

ジョギングがマラソン競技と異質なスポーツであるように、勝敗による自己完結性を持たないスポーツは、ここ百年間の間に欧米で発明された近代スポーツのラインから逸脱するものである。

無論、そんなラインからの逸脱を歓迎しない訳ではな い。

それが近代スポーツの周辺で、個々の多様な事情に即した消費を果たしていれば、それでいいだけの話である。
 
 然るに、ここでのテーマは近代スポーツの風景である。

 勝利こそ、近代スポーツにおいては第一義的価値であった。

 共同体の喪失によって手放した、人々の自己完結感の希求が近代スポーツの中で具現し たとき、恐らく、それまで遊びのカテゴリーの中にあったものが、より高速化された時代に見合った特段の娯楽のうちに止揚されたのである。

明瞭な勝敗の導入によって勝者と敗者が作られて、そのときのゲームの括りの中に、そこに思い入れ深くアクセスする人々の自己完結感を紡ぎ出した。

近代スポーツは、近代が壊してきたものの甘美なエキスである自己完結的な日常感覚を、人工的に仮構するものとしても有効だったのだ。

近代スポーツが勝敗主義を捨てられないのは、至極、当然なことなのである。

勝敗によるゲームの括りなしに、それが成立する訳がなく、よしんば、近代スポーツが勝ち負けに拘泥しなかったと仮定したら、エンドレスな身体の転がし運動を誰も止められなくなって、祭礼の無礼講のように壊れる者が出て来るまで蕩尽し続けるだろう。
 
 勝利し、興奮し、歓喜すること。
 
 結局、近代スポーツはこのラインを目指す外にないのだ。

これを、一定のタームごとに消費する。

自己完結感を手に入れて、明日に臨む自己の更新を図り、そこに、少しばかりの熱量を含んだ時間を継続させていくのだ。

この継続力が近代スポーツを支えていると言っていい。

熱狂が仕立てられ、其処彼処(そこかしこ)で巨大な渦を作って、時代をいつも印象的に彩っていく。

私たちの近代スポーツは、私たちの夢の欠片を代償的に満足させながら、なお進化を止めないでいる。

近代スポーツが、勝者と敗者を作り出す飛び切りの娯楽であるという現実は、もう否定しようがないのだ。

勝つか負けるかというところまで流れ着かないと、多くの人々の自我が落ち着かないのである。

クロード・レヴィ=ストロース(ウィキ)
古い例だが、レヴィ=ストロースの「現代世界の人類学」(サイマル出版会刊)によると、ニューギニアの高地族にサッカーを教えたら、人々はサッカーに興じつつも、いつまで経っても勝敗によるゲームの決着をつけようとせず、だらだらとゲームを続けているばかりであった、という興味深い実話が紹介さ れている。

 前近代社会では、ビッグマンと呼ばれる長老を頂点とする、「秩序づけられた平等主義」というものが共同体のコアにあって、たとえ、スポーツと言えども、この原理を壊しかねないような勝敗の決着は付けられないのである。

人々を動かす原理が異なる社会では、スポーツの受容の仕方も異なるのということだ。

と言うより、前近代社会には、「スポーツ」という概念そのものがなく、それに似たものは 悉(ことごと)く「遊び」の概念のうちに収まってしまうのである。

それらは、身体を動かすゲームという意味において、確かに身体運動文化という範疇に含まれるだろう。

ロジェ・カイヨワ
しかし、ロジェ・カイヨワの言う、「競争」と 「偶然」という要素が稀薄で、近代スポーツに特徴的な偶発 的熱狂というものが、そこにはない。(彼は「遊び」を、「模擬」、「眩暈(げんうん)」「競争」、「偶然」という流れで定義した)

それは、気晴らし以上の何かではない。

それらは関係的秩序を維持する手段でもあるから、当然の如く、共同体社会に深々と依拠する彼らが敗者を作り出す危険を敢えて冒す訳がないのである。

 この違いが、両者を決定的に分ける。

 近代スポーツでは、敗者の創出を不可避とする。

敗者の創出によって、勝者は初めて価値を持つ。敗者の創出こそ、近代スポーツの本質であるとも言えるのだ。

 誰が誰に負けたか。どのように負けたか。

 それが、ここでは重要なのだ。

狂わんばかりに地団駄を踏んで悔しがる敗者を相対化することで、初めて勝者の栄光を価値づける。

これが近代スポーツなのだ。

たとえ負けても、直ちに仲直りする遊びの秩序との違いは明瞭である。

 近代スポーツは、ある意味で「戦争の代用品」だった。

 死体を出さない代わりに、敗者にはとことん悔しがってもらう。

恨んでもらってもいい。

でも、そこに一定のルールを設ける。

その悔しさや恨みは、あくまでもフィールドの中で返報してもらう。

フィールドの中のルールも守ってもらう。

その上で、フィールドの限定的な枠内で競争する。

これが近代スポーツの基本的風景なのだ。

近代スポーツが開いた勝敗主義は、必然的に効率の原理を分娩してしまうのだろう。

勝つことを至上とするスポーツは、勝つための効果を最大化する戦略を当然導き出すのだ。

科学やその周囲の有効な情報を網羅し、応用することで、益々、近代スポーツは遊びから乖離していくのである。

しかし、この文脈を簡単に認めることに抵抗を示す人々が、多々いることも事実である。

いや寧ろ、スポーツに夢やロマンを仮託する人々がいるからこそ、近代スポーツの継続力が保証されるとも言える。

当然、ロマンがあっていい。

奇跡のヒーロー 伝説が語り継がれてきてもいい。
奇跡のヒーロー・アベベ・ビキラ

しかし、それらを受容することは、近代スポーツの勝敗主義を是認することと全く矛盾しないのだ。

「敗者の美学」を熱っぽく語ることが、近代スポーツの勝敗主義を補完する役割を果たしてしまうのである。

 結局、近代スポーツの醍醐味は、まさに勝利によって手に入れた興奮と歓喜が、激発的に表出されるという臨場感の中にあって、リアルタイムで被浴する躁気分の手応えを分娩させながら、「負けたけど、楽しかった」という相対的快楽を、いつで も確実に上回ってしまうということ。

それだけは否定し難いのだ。
 
スポーツは勝つから面白いのであり、負けるから面白くないのである。

そして感動的に勝 つからもっと面白いのであり、屈辱的に負けたからもっと面白くないのである。

そして接戦で逆転負けしたから、更にもっと面白くないのであり、ここで勝って欲しいときに敗北を喫したから、内側にプールされたストレスを拭えないほど、いつまでも面白くないのである。

 近代スポーツの醍醐味は、劇的に勝つことで一気に鼓動が高まり、歓喜の余韻がいつま でも自我に残っているような至福感を経験することに尽きるだろう。

感情を激しく揺さぶられつつ勝つという経験が、スポーツの中に何某かの物語性を、より強く求めさせていく。

そして、そこに蝟集(いしゅう)する人々は、より刺激的な観劇の完結感を常に手に入れようとするのである。

 こうして近代スポーツは、人々の多様で、難しいニーズの要請に応えるようにして、確実に進化を遂げていく。

ロマンの追求と効率の追求を同居させつつ、消費を極めた人々に、より高度な快感を提供する使命を負って、近代スポーツの展開は汎国民的な盛況を仕立てていくのである。

ロマンの追求と効率の追求という命題が、近代スポーツにあって劇的に、感動的に勝ち抜いていくという基幹文脈のうちに収斂されるとき、大衆の熱狂は極まり、文化としての継続力はより深まっていく。

ラグビーでのスクラム(ウィキ)
そこでは、露骨な勝敗主義は毛嫌いされ、 ゲームメーカーとしてのセンスこそが、まさに当事者能力として切に求められることにもなる。

人々の刺激充足への渇望が、際限なくエスカレートしていくから だ。

 大衆諸費社会の中で、当然、「文化としてのスポーツ」も余すところなく消費の対象になり、しばしば過剰に蕩尽されることになる。

消費者の消費感覚が漸次肥えていくにつれて、「文化としてのスポーツ」に蝟集する消費者は、より刺激的な観劇 を、そこに求めざるを得なくなるだろう。

いつしか、「文化としてのスポーツ」は、かの消費者によって、多大な劇場効果を継続的に要請されざるを得なくなるのである。

 観劇者がスポーツを仕立て、ゲームを動かしていく。

そんな時代のスポーツに、果たしてどのような未来が待っているか、私は知らない。

しかし近代スポーツが、大衆の視覚に対して、より快適に反応していくような動きを必然化するという流れはいよいよ固まっていくようである。


【参考資料】

「市川崑の映画たち/市川 崑 ワイズ出版 ; 1994」  「市川崑大全: 映画秘宝編集部・編」  拙稿・人生論的映画評論「インビクタス/負けざる者たち」(2009年製作・クリント・イーストウッド監督)     拙稿・「近代スポーツの風景

(2013年11月)


1 件のコメント:

  1. これは今ではとっくに忘れられていますが、東京オリンピックの正規の記録映画として以下のものも作られました。当時の国務大臣河野一郎が市川崑のラッシュを見て、こんな訳のわからないものは記録映画と言えない、と文部省を圧力団体にして作り直しを指示したのでした。確かにトラックの選手の横顔をズームで撮り続けたことなど、これまでの記録映画の範疇を超えて過度に芸術的すぎる、収録に偏りがあり、全競技が収録されておらず、巻末に記録だけが字幕で流される競技があるのは平等性を欠く、という指摘でした。市川作品とともにこの作品もIOCには正規作品として遺されているはずです。

     東京オリンピック長編記録映画 「世紀の感動」
      劇場公開日 1966年5月15日
    市川崑監督のもとに撮影された、第一八回オリンピック東京大会の八十時間のフィルムを、前田博、山岸達児らによって再構成されたシナリオをもとにして作製された、二時間三十五分の「東京オリンピック」の記録映画。

    スタッフ
    監修・川本信正 脚本・前田博・山岸達 企画・東京大会組織委員会 製作・東京オリンピック映画協会
    プロデューサー・田口助太郎 制作補・釜原武・内藤公融・清藤純・安部信一・加藤友久
    録音・加川友男 ・水口保美・田中雄二・田中安治
    編集・松村清四郎・篠塚清・林昭則
    作曲・矢代秋雄
    指揮・若杉弘
    音楽演奏 読売日本交響楽団
    解説・岡田実・北出清五郎・鈴木文弥
    製作年 1966年
    製作国 日本
    配給 東宝
    上映時間 154分

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