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2016年9月6日火曜日

サイの季節(’12)     バフマン・ゴバディ


クルド系イラン人の詩人・サヘル
<「生者」は「死者」となり、「死者」と化していた「生者」は移ろい過ぎ去ることなく、「永遠の詩人」として蘇る>





1  女を求め続けた男の寄る辺なき孤独な魂が、女の幸福を願いつつ、荒野の中枢を彷徨する





「本作は、イランで27年投獄された詩人、S・キャマンガールの実話に基づく。偽りの訃報と墓を前に、家族は悲嘆に暮れた。詩の朗読はクルド人女性による」

冒頭のキャプションである。

2009年秋、イラン。

イラン革命によって投獄されていたクルド系イラン人の詩人・サヘルが、27年間の牢獄生活の果てに釈放されるところから開かれた物語は、大佐の娘である妻・ミナとの、2年間にわたる仲睦まじい生活の風景にシフトする。

「サイの最後の詩」という名の詩集を上梓し、サヘルの愛読者たちにサインするシーンの後、夫妻はイランの自然の森に潜入し、水入らずで睦み合う。

左からサヘル、ミナ、アクバル
夫妻を、車内から窓ガラス越しに見ていた運転手・アクバルの邪悪な視線が映し出されていた。

映像は、釈放されたサヘルをフォローしつつ、時系列を交錯させながら進行していく。

「もう、自由になれたのに、彼らはあなたの痕跡を土で覆い隠し、あなたの死を告げた。あなたの生死は誰も知らない。口を閉ざし、壁を背負って立ち去りなさい」(サヘルやミナの心象が投影された詩の朗読/以下、詩の朗読)

妻・ミナを探すサヘルは、ミナがイスタンブールに行った事実を知らされるが、それ以後は消息不明だった。

2010年冬、イスタンブール。

「奥さんは再婚した可能性も」

イスタンブールで、事情通のダダから得た情報は、ミナの失踪に、かつての運転手・アクバルが関与していることを知らされる。

しかし、苦労の末、ミナを発見しても、自ら名乗り出ることを躊躇(ためら)うサヘル。

そんな折、イスタンブールの町で、二人の娼婦を同乗させるサヘルは、彼女らから金を受け取らず、感謝されるシーンが挿入されるが、この伏線は辛いエピソードのうちに回収されるに至る。

ダダからミナの子供の写真を見せられるが、自分の子供ではないと否定するサヘル。

その写真の若者と一緒にいるミナを視認しても、サヘルは何もできないが、その若者と食堂で対面するだけだった。

後に、この若者こそ、ミナの双子の息子である事実が判然とする。

ミナ
「あなたの幻は霞み、水の上に落ちる。それを見るあなた。時が止まり、あなたの幻を見る。一匹の蜘蛛が現れ、粘りついた唾液で、刹那を絡めとる。時を編み、巣をかける。あなたは巣にかかり、蜘蛛は去る。空は暗くなり、晴れて、また暗くなる。木は干からびようと、苦しく喘ぐ」(詩の朗読)

イスタンブールの夜の海に佇み、物言わぬ詩人は、ひたすら孤独を託つ。

1977年、イランの首都テヘラン。

ミナに横恋慕したアクバルは、欲情を抑えられず、車を暴走させた挙句、ミナに告白する。

「あなたを愛してます」

かくて、ミナの屋敷を訪れたアクバルは、ミナの父親に「身の程を知れ!」と罵倒され、暴力を振るわれる始末だった。

時代の変化は目まぐるしかった。

イスラム革命
1979年、イスラム革命が起こり、体制が一変する。

「預言者は我らが光。ホメイニ師は国家の光」

イラン民衆の叫びの中で、旧体制が否定され、サヘルとミナは逮捕され、投獄されるに至る。

「被告は政治的な詩を書き綴り、イスラム共和国に刃向かったとして罪に問われる。反政府勢力と手を結び、国家転覆を企んでいた。被告を禁固30年に処す」

これが、サヘルの逮捕の理由だった。

「被告の夫は政治的な詩を書き、イスラム共和国に逆らった。その夫と共謀した罪により、禁固10年を申し渡す」

これが、ミナの逮捕の理由だった。

すべて、ミナへの横恋慕の故に、サヘルに嫉妬心を抱くアクバルの密告の結果だった。

そのアクバルは今、新体制の幹部になり、恣意的に権力を行使するポジションを得ていた。

強引にサヘルとの離婚を命じられるが、それを拒絶するミナ。

ミナ
「君の体に触れるのは、誰の刃だ?目の前が肌の白さで満たされる。なぜなのだ。握った拳が私の内側を殴りつける。水の中でマッチを擦る。喉に刺さった棘が、足を留まらせる。先にも後にも進めず、ただ、待つだけ棘の煉獄に浮かび、誰に気づかれることもない。自分の中で死んだ詩は、腐臭を放つ」(詩の朗読)

「自由になったあなたの遺体。眠たげな瞼のよう。御覧、その瞼越しに、塩の砂漠が風に煙っている」(詩の朗読)

禁固刑を受けたミナの牢獄にアクバルが面会に来て、「私がここから出してやることもできる」と甘言を弄するが、ミナサヘルの釈放を求めるばかり。

一方、サヘルへの凄惨な拷問は続いていた。

そんな中で、サヘルとミナは、一度だけ面会を許される。

手錠をかけられ、共に顔にベールを被されたまま、二人は手を握り合い、愛を確認する。

同様に、ベールを被された状態で、アクバルがミナに襲いかかり、有無を言わさず強姦してしまうのだ。

ミナとアクバル
気づいたときは遅かった。

ミナは、最も厭悪(えんお)するアクバルの子供を宿してしまうのである。

10年後、刑期を終え、双子の赤子(娘と息子)を連れ、ミナが出所する。

「逆さの甲羅の中で、一体、何が?どの屋根を家と呼ぶ?亀は仰向けに転がり、冷たい地面に、甲羅を擦る。道に迷い、独り。あなたの死の通達。あなたは水中で息を止める。ハゲタカが空を舞う。知らされたあなたの墓。祈りの荷車が回転し、呪いをまき散らす。呪われし、地に眠るのは、死者の遺体と、消えた生者の遺体。手が祈りを捧げ、地面を覆う」(詩の朗読)

「冒涜の種が芽吹き、消えた生者の墓を示す。誰の呪いなのだ。無力な土地。背徳の土地。丘たちは、冷たいうめき声を上げている」(詩の朗読)

サヘルの死を知らされたミナの絶望が渦巻いていた。

寒風吹きすさぶ大地の一角で、夫の墓の前で嘆き悲しむミナに、アクバルが声をかけ、生活の援助を申し出る。

アクバルの援助を断り切れないミナは、成人した二人の子供と共にトルコに渡り、タトゥー彫り師となっていた。

娼婦となっていて、男たちから凌辱されるミナの娘は、母と共にヨーロッパに行くことを望んでいた。

そのために、娼婦稼業で金を貯めていたのである。

ミナの娘
あろうことか、ミナの娘である事実を知る由もなく、その娘と関係を結んでしまうサヘル。

「詩が父の形見なの」と娘。
「その子の父親は詩人だったけど、死んでしまった。何年も前に。その子の母親は、タトゥーを彫る人」と娘の友人である娼婦。

この二人の言葉で、サヘルは自分が犯した過ちに気づくが、もう、手遅れだった。

激しい衝撃で咽(むせ)び泣く詩人は、ミナのもとに行き、背中にタトゥーを彫ってもらうのだ。

母国・イランで禁止されているタトゥーを彫るミナ。

「息は結晶し、楠の樹液になる。脈と脈の合間、火打ちの石の花火が飛び散る。空気が刃となり、水が刃となる。国境に生きる者だけが、新たなる祖国を創る」(詩の朗読)

ミナが彫った詩は、最後の「国境に生きる者だけが、新たなる祖国を創る」という一節だった。

逝去した夫の詩の一節を彫り続けるミナにとって、それは、サヘルと自分を繋ぐ唯一の絆だったのだ。

一切を知り尽くした男が今、無人の荒野を車で暴走している。

そこに、サイが走り抜けていく。

30年近くに及び、ひたすら想い続けてきても、自らを名乗れない男の孤独は癒されることなく、封印し続けている情動を炸裂させるのだ。

アクバルのもとに訪ね、彼を車に乗せ、まっしぐらに暴走する。

「台地は硬い塩の塊。サイは頭を垂れて、大地を舐め、空っぽの口を動かし、噛む。さらに噛む。やがて季節の残り滓を吐き出す。そこや、少し離れたところに。サイの季節には、肌が厚みを増す」(詩の朗読)

暴走する車は、暗い海の藻屑(もくず)となって消えていく。

ラストシーン。

自分の双子の子供を連れ、ヨーロッパに向かうミナの船。

渺茫(びょうぼう)たる荒野の中枢を、アクバルを道連れにして、歩いていくサヘル。

命を喪っても、女を求め続けた男の寄る辺なき孤独な魂が、女の幸福を願いつつ、荒野の中枢を彷徨しているのだ。





2  「生者」は「死者」となり、「死者」と化していた「生者」は移ろい過ぎ去ることなく、「永遠の詩人」として蘇る

 



それは、〈死〉の世界だった。

外部環境の劇的変化(レジームチェンジ=体制転換)によって生まれた新体制は、欧米文化は根柢から否定され、ヘジャブの着用の義務化に象徴される、シーア派の「イスラム法学者による統治」を支柱とする、イスラーム原理主義を基本理念とした抑圧的な政治の恐怖そのものだった。

ホメイニ師
たとえ、アメリカのプロパガンダが流布されていたとしても、イスラム知識人が正義に基づいた統治をすれば、「イラン・イスラム共和国」に呼吸を繋ぐ人々の心と生活の安定が保証されると、ホメイニ師は確信していたに違いない。

しかし、「イスラム革命評議会」による政権掌握と、ウラマー(イスラム法学者)や保守層が権力強化の過程で、非イスラム共和党諸派の排斥が遂行され、例外なく、「革命」の必至の産物として、政敵への弾圧が行われていく。

ホメイニ師と親密だった、「イラン・イスラム共和国」の初代大統領・バニサドルは、ウラマーでなかったが故に追い詰められた結果、フランスに逃亡するに至る。

処刑される外務大臣。

シーア派の宗教活動は政府の統制下に置かれ、旧体制の支持者と断罪された多くの人々が処刑されたのは言うまでもない。

バフマン・ゴバディ監督
処刑だけは免れたものの、ベヘルーズ・ヴォスギーが演じた主人公の詩人・サヘルが負った、30年間に及ぶ牢獄生活の重みは、色彩を剥落され、詩人の言語奪われ、世俗の一切の風景から切り離された、徹底的に、「詩の沈黙、自分の沈黙、役者の沈黙」(バフマン・ゴバディ監督の言葉を余儀なくされ世界だった。

塩の砂漠が風に煙っていて、「自分の中で死んだ詩は、腐臭を放つ」世界の情景こそが、〈生〉の気力の復元すら奪われた、まさに〈死〉の世界だった。

思うに、自由に動き回ることは許されていない禁固刑が、しばしば懲役刑よりも、たとえ5年程度の刑であっても、逆に苦痛になると言われているのは、精神的に相当な負担を負うからである。

それ故、禁固刑でも刑務作業を求める者がいるのは事実。 

まして、「国家転覆罪」によって、禁固30年に処せられたサヘルは、日々の激しい拷問を受けていたことで、彼が負った肉体的・精神的苦痛は尋常ではなかった。

殆ど永遠とも思える、〈死〉の時間を過ごすという事態が意味する世界とは、ひたすら、苛酷な沈黙に押し潰され者が、抜け殻のようになった中枢を、奈落の世界(「人生」の「どん底」より下の世界)にまで持っていかれる恐怖と闘う異界なるゾーンである。

私たちの日常性は、ほんの少し更新されていくことで、自在に変形を遂げていく。

それが日常性の基盤に組み込まれて、新しい秩序を紡ぎ出す。

そこから、また、新しい出口を見つけ出して、人々は漫(そぞ)ろ歩いていくだろう。

この普通の世界が決定的に壊されたとき、詩人には、何が可能であったか

もはや、「何者か」であった詩人の魂だけが浮遊し、世俗に入り込めないで彷徨(さまよ)っていた。

昨日と同じ辛さを恒久に生きる者に、投げかける言葉などない。

投げかけられる言葉もない。

「無力な土地・背徳の土地」の中枢で、丘たちは、冷たい呻(うめ)き声を上げているのだ。

死の通達を受け、冒涜の種が芽吹き、消えた生者の墓を示す呪いの声も上げられず、ミナの絶望も渦巻いていた。

それでも、サヘルが苛酷な獄中生活に耐えられたのは、20年近く前に出所しているはずのミナの存在に、一縷(いちる)の希望を見出していたからである。

だから、真っ先にミナの所在を確認するために動いていく。

それだけのためにのみ、辛うじて残し得た自給熱量を唯一の推進力にして、動いていくのだ。

しかし、そこまでだった。

ミナの所在を確認しても、もう、その先に進めない。

出所後、詩人が最愛の妻に物理的に最近接しながらも、心理的に最近接しなかったのは、イスラム革命で相応の権力を手に入れた、かつての運転手の存在が、最愛の妻の周囲にバリアを張っていて、それが、妻の生活を保護する状態を知ったことで、手も足も出なかったのだろう。

既に、自分が鬼籍に入っていて、何者にも頼れない状況下で、ミナに何ができたというのか。

しかも、アクバルとの間に子供を儲けている事実をも知るに至る。

そればかりではない。

偶然、知り合った娼婦にミナの面影が偲ばれるのか、その娼婦と関係を結ぶサヘル。

「詩が父の形見なの」

その娼婦の言葉である。

「その子の父親は詩人だったけど、死んでしまった。何年も前に。その子の母親は、タトゥーを彫る人」

その娼婦の友人の言葉である。

これで、サヘルは完全にダメになった。

しかし、「死んでしまった」と信じる自分を、父親であると娘に言い聞かせて育てたばかりか、自分の詩の一節を彫るミナの心情を思うと、30年近くに及ぶ時間の空白によって、「現在」と「過去」が完了し得ずに、今なお、一本の心のラインで結ばれている現実を感受することで、途絶え切れていた自給熱量を復元させていく。

アクバルの存在が、ミナにとって「何者」でもないというメッセージを受け取ったサヘルは、復讐心を再燃させ、誤りを犯した自分の死の道連れにするのだ。

そのとき、「国境に生きる者だけが、新たなる祖国を創る」という思いを仮託し、「生者」は「死者」となり、「死者」と化していた「生者」は移ろい過ぎ去ることなく、「永遠の詩人」として蘇る。

そういう物語だった。

フィックスで撮られた映像は力強く、重厚さを増幅させていた。

ファフロツキーズ現象
因みに、動物好きのバフマン・ゴバディ監督は、いつものようにタイトルに動物の名を入れているが、本作で、何より鮮烈だったのは、「ファフロツキーズ現象」(ここではカメの大量落下)と、タイトルとなったサイの疾走シーンである。

「サイは首がないから左右に曲がれず、真っ直ぐにしか走れない。戻る道がない自分と同じなんだ」とパンフレット(未読)で語られているらしいが、私は、以下のような穿(うが)ったメタファーを被せている。

サイは草食大型哺乳類(大物詩人)であるから、肉食動物(原理主義集団)捕食(逮捕)される心配はないが、基本的に縄張りの中で単独生活しながらも、稀に家族を持ち、昼間は休むという棲み分けに成就(詩人的成功)した動物である。

ところが、地球の寒冷化によって、多くの種が絶滅した古い過去(中新世)があったように、外部環境の劇的変化(レジームチェンジ=体制転換)によって、肉食動物(原理主義集団)捕食(逮捕)された挙句、自らが戻るべき唯一の「縄張り」(家族という共同体)の崩壊で、本来の単独生活を余儀なくされる詩人の、寄る辺なき孤独のイメージが相応しいように思われるのである。





3  イラン革命への経緯





ここでは、物語の背景になっている、イラン革命への経緯を簡単に書いておきたい。

パーレビ国王
イランの初代皇帝・レザー=ハーンによって、国号を「イラン」に正式改称(1935年)後、英国石油資本と結びついた西欧的なパーレビ国王(ムハンマド・レザー・シャー)が、アメリカ合衆国による経済援助を梃子(てこ)に、秘密警察・サヴァク(SAVAK)による反体制派への弾圧を加え、イランの近代化、西欧化を提唱して発動した広範囲にわたる改革(「白色革命」と言われる)の結果、上からの工業化を推進する途上国の強権政治体制である「開発独裁」を確立する。

この抑圧的政治の中で、ヒジャブ=ヘジャブ(イランで言えば、全身を覆うチャドルか、簡易なスカーフ)の着用禁止に象徴されるイランの世俗化を進めことで、亡命中のシーア派の精神的指導者・ホメイニ師を中心とするイスラム法学者の反発を招来し、国際石油資本に従属し、国民生活に犠牲を強いる「開発独裁」の強権政治体制は、1979年のイラン革命(イスラム革命)で崩壊するに至る。

その大きな要因は、第4次中東戦争(1973年)の勃発によって、OAPEC(アラブ石油輸出国機構)が生産削減を宣言すると共に、原油価格の引き上げを断行し、石油価格が高騰するに至り、第1次(1973年)オイルショックが惹起したこと。

これが引き金になって、先進諸国の経済を混乱し、欧米諸国との石油外交を経済基盤にした近代化政策が、先進諸国の石油需要を大幅に減退させ、産油国の脆弱さが露呈されたこと。

経済基盤の脆弱さが露呈されたイランでは、国民の間での経済格差が急速に拡大し、それが政治への不満を膨張させ、パーレビ国王の求心力が急激に低下する。

イランアメリカ大使館人質事件
デモやストライキが頻発し、遂に、パーレビ皇帝夫妻はエジプトに亡命後、各国を転々とするが、皇帝夫妻を受け入れたことで、「イランアメリカ大使館人質事件」に発展した生々しい事実は、ベン・アフレック監督による「アルゴ」に詳しく描かれている。

かくて、ホメイニ師の帰国によって、イラン革命が成就する。

そして、イラン革命の結果、欧米文化は否定され、ヘジャブの着用の義務化に象徴される、シーア派の法学者たちを支柱とする、イスラム原理主義を基本理念とした政治が展開されることになった

因みに、ムハンマド(マホメット)の教えを重視するスンニ派(スンナ派)に対し、ムハンマドの血統を重視するのがシーア派である。

イスラム教徒の社会生活の普遍的規範を定めた「シャリア」(シャリーア) であるイスラム法に基づき、女児への児童性的虐待が合法となり、旧体制の支持者と断罪された自由主義者の多くが処刑されるに至るのだ。





4  「悲劇の民族」という、クルド人が負った負荷意識の根柢にある自己像





ここでは、クルド系イラン人の映画監督・バフマン・ゴバディと、主人公のモデルになった詩人・サデッグ・キャマンガールのアイデンティティのルーツである、「悲劇の民族」・クルド人について言及したい。

主に、スンニ派のイスラム教に精神的基盤を置き、トルコを中心に、イラク、イラン、シリア等々、中東の山岳地帯の険しい地形に居住するクルディスタンで、半農半牧の生活を営む「世界最大の民族集団」(3000万弱)。

亀も空を飛ぶ」より
それがクルド人である。

然るに、3つの異なる方言に枝分かれし、ペルシャ・アーリア系(イラン語)の独自の母語(クルド語)を持つが、「主権・領土・国民」で構成される近代国民国家の体制の影響を決定的に被弾したことで、自らが拠って立つナショナル・アイデンティティを持ち得ない「悲劇の民族」 ―― それが、クルド人が負った負荷意識の根柢にある自己像と言っていい。

コンスタンティノープル(イスタンブール)を中心に、バルカン半島の大半を支配下に、地中海の覇権を掌握し、広大な領域に及ぶイスラム世界最大の版図を誇った、並ぶ者なしのオスマン帝国。

近世まで、この帝国の領内にあったクルド人は、第一次大戦後のオスマン帝国の解体と、その領土の分割に際して、念願の独立国家の樹立を求めつつも、近代国民国家の体制の歴史的転換の渦中に呑み込まれ、その居住地すらも分断され,当然の如く、彼らのナショナル・アイデンティティの志向は一方的に砕かれ、散っていった。

この間の経緯を簡単に書けば、こういうことである。

まず、ドイツ側に属していたオスマン帝国・スルタン政府と連合軍との間に、パリ近郊での「セーブル条約」が締結されたが、「クルディスタンの自治の承認」(クルド民族国家構想)を含む広大な範囲の領土の放棄など、オスマン帝国にとって極めて不利なものであった。

この切迫した時代状況下に、一人の革命家が出現する。

英仏連合軍との戦闘で活躍し、一気に勇名を轟かした、トルコのケマルパシャ(ケマル・アタテュルク)である。

後に「国父」と呼ばれ、脱イスラム(世俗主義)・近代化を目指すトルコ革命を遂行したケマルパシャが、連合軍によるオスマン帝国分割工作に対して徹底的に抵抗したことによって、第一次世界大戦後の1923年、「ローザンヌ条約」の締結に軟着する。

腰の引けた英仏の妥協を引き出したのである。

「酔っぱらった馬の時間」より
「クルディスタンの自治の承認」が反故にされ、以降、クルド人居住地域は、新生トルコ共和国の領土化の継続と、英仏よって恣意的に引かれた国境線によって、イラク、シリア、アルメニアなどに分断されるに至った。

かくて、クルド人は、いずれの国においても、少数民族の悲哀を存分に感受する政治的な負荷を抱えていく。 ナショナル・アイデンティティの志向を捨てないクルド人は、編入され、押し込められた土地で、当該政府への独立・自治を求めた戦いを繰り広げていくが、未だ、彼らは、世界に認知された「主権国家」としての厳とした地位を獲得し得ないでいる。

独自の国家を持たない「世界最大の民族集団」は、複数の国に分断された歴史の現実の中で、当然の如く、分断された受難の民族の辛酸を嘗めていくのである。



【参考資料】  拙稿・人生論的映画評論「亀も空を飛ぶ


(2016年8月)


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