<世代の意識のギャップを昇華させる「朝日軍」の若者たち ―― その結合エネルギーの結晶点>
1 「ひょっとして、俺たちさ。何か凄いことやってんじゃねぇか」
心の芯にまで染み込んでくるような秀作である。
石井裕也監督は、今、何を作っても水準を超えるクオリティが高い映像を構築するのではないか。
ここでも、妻夫木聡は素晴らしかった。
テーマを内化・吸収し、それを表情だけで見せる的確な表現力は出色だった。
良い映画である。
―― 以下、梗概と批評。
「僕の両親がそうしたように、かつて多くの日本人が、ここカナダ・バンクーバーに渡って来た。海の向こうで3年働けば、日本で一生楽に暮らせる。そんな景気のいい話を真に受けて、故郷をあとにした。日本人はよく働いた。労働時間は日に10時間以上。賃金はカナダ人の半分。どんな待遇でも働く日本人は、カナダ人にとって仕事を奪う敵だった。差別や迫害を受けても、それでも日本人は働いた。やがて、カナダで生まれた若者たちのために、一つの野球チームが結成された。ささやかな楽しみとして作られたチームだったが、いつしか、カナダ人リーグでプレーするようになった」
本作の主人公・レジー笠原(以下、レジー)のナレーションで開かれる物語は、苛酷な労働を強いられる製材所勤務のレジーの無骨な手を映し出した後、唯一の娯楽である野球チーム・「バンクーバー朝日」(以下、「朝日軍」)の練習風景の中で、若いエネルギーを思い切り発散するシーンに結ばれる。
ところが、「支那事変」(日中戦争)の渦中にある本国への風当たりの強さから、日系人の労働環境が悪化していた。
鉄道で働くレジーの父親・清二もまた、まともに仕事に従事できない環境下で、飲んだくれた生活を送っていた。
経済的に苦しい状況の中で、一人外に出て、バットで素振りする日系二世のレジーもまた、妹・エミーの学費の面倒をみていて、将来の生活の安定が保証されない現実を理解しているが故に、父を責めることなどあり得なかった。
バッテリー |
それでも、「朝日軍」の存在が、彼の最も重要なアイデンティティの拠り所だった。
その「朝日軍」から、職探しの移住によって、クリーンナップを任せられていた仲間が抜けたため、それでなくても未勝利で、「万年最下位」のチームの士気が上がらない。
「勝てなくてすいません。カナダのチームは皆でかくて、僕たち、力で押されてますし、精一杯やってはいるんですけど、選手も仕事の都合で次々止めるし・・・初めから負けるつもりでやっているわけではなくて、すいません」
「日本人会」でのレジーの弱気な発言である。
「何でそこで謝るの。日本人の悪い癖よ!」
一人の女性会員から非難を浴びせられ、言葉を失うレジー。
「誰がこの街作ったと思うとる。わしらが日本から渡って来た頃のう、この辺、皆、野原(のっぱら)で、日本人がここで食えるようになったんは、誰のお陰ゆうて思うとる。フラフラ野球やっとるおどれらに分らんけの。白人相手に、腰引けとるわ!いいか、レジー。やるならやるで、半端すんな。ぶちかましたれ」
そんな息子の軟弱さに、日系一世の清二が、「日本人根性」の奮起を促すのだ。
「バンクーバーに夏が訪れようとしていた。待ちわびた野球のシーズンが始まる」(レジーのナレーション)
ユニホームとグローブを出して、それに触れ、野球のシーズンに向かう思いを表現するキャプテンのレジー。
そして、苛酷な労働現場から解放された仲間が集結し、「日本人街」に住む同胞の激励を受け、嬉々としてグラウンドに向かっていく。
カナダ人リーグのゲームが始まったのだ。
しかし、レジーの弱気な発言を裏付けるかのように、三振の山を築いて、呆気なく「朝日軍」は完封された。
日本人街 |
それは、今年のリーグもまた、「日本人街」に住む同胞に、束の間の歓喜を与えられない印象を残す惨敗ぶりだった。
その夜、相手のチームのメンバーから嘲笑される「朝日軍」のナインの中から、一匹狼然とした気の強いロイ永西(エースピッチャー/以下、ロイ)が相手に向かっていこうとした。
温和なレジーから制止されたが、第一次世界大戰でカナダのために戦死した父親を持つ、ロイの心情が露わになっていた。
温和なレジーから制止されたが、第一次世界大戰でカナダのために戦死した父親を持つ、ロイの心情が露わになっていた。
一方、惨敗が続く「朝日軍」の野球スタイルに変化が出てきた。
それは、たまたま除(よ)けたバットにボールが当たって、内野安打になり損ねたことで閃いた作戦だった。
セーフティバントである。
この作戦の発案者が、クレバーなレジーであったことは言うまでもない。
所謂、スモール・ベースボールの日本型野球のルーツが、ここにある。
盗塁・ヒット&ランのような機動力を重視する戦法が、体の大きいカナダ人内野手の盲点を突き、「朝日軍」の攻撃が、初めてランナーをホームに返すという成果に結ばれのだ。
ゲームは負けたが、「バント一本で点を取った」ことで、あっという間に、「日本人街」に住む同胞の話題になっていく。
そして、その日がやってきた。
犠打の攻勢でスクイズを成功させ、「朝日軍」が初勝利をもぎ取ったのである。
初勝利をもぎ取った「朝日軍」のナインは、想像を超える試合結果に言葉を失っていた。
奇跡的勝利の瞬間に立ち会って、喜びの爆発よりも、その喜びを身体表現する術を持ち得なかったのである。
“朝日軍 怒涛のバント攻撃で勝利”
この新聞の見出しに歓喜するのは、「日本人街」に住む同胞たちだった。
「こんなの野球じゃねぇよ。みっともねぇ」
同胞たちが盛り上がる酒場で、「朝日軍」のセカンドを守るケイ北本が投げ入れた言葉である。
「見ててハラハラするし、面白いぞ」
日系人にとって、「勝利こそ全て」なのだ。
「そうっすか」とケイ。
初めて経験する戦法を、正攻法の野球と考えられないケイの心理は当然であるが、それでも、初勝利に歓喜する日系人の反応を目の当たりにして、満更でもない言辞に結ぶのである。
“朝日軍 ブレイン・ベースボール(頭脳野球)で勝利”
“朝日軍 連続バント攻撃で勝利”
“朝日軍 守備が光り勝利”
“朝日軍 ヒット0で勝利”
連日のように、「朝日軍」の健闘を称える記事が踊っていた。
「頭を使う野球は、見てて面白い」
同じ職場で働くカナダ人からも称賛される風景には、勤勉な日系人によって職場を奪われる不安から生じる差別からも解放されていた。
「俺たち弱いから、あれしかできない。ごめん」
レジーの謙虚なこの言葉に、「なんで謝るんだよ」というカナダ人労働者からの反応には、野球のルールの範疇で頭脳野球を駆使する「朝日軍」への率直な尊敬の念が含まれていた。
それは、一貫してフェアプレー精神を守り抜く「朝日軍」への評価でもあった。
「ひょっとして、俺たちさ。何か凄いことやってんじゃねぇか」
ケイ |
ケイの言葉である。
こうして、半信半疑でプレーしていた「朝日軍」のナイン自身の意識が変わっていくのである。
2 「一緒に行こう。行けるところまで行ってみよう」
モンゴロイドのチームに敗北続きのコーカソイドのチームが、負けてばかりいられる訳がない。
その結果、頭部に向かってビンボールを投球する。
怒り心頭に達したロイがベンチから飛び出し、相手のピッチャーの背中を強く押したことで、逆に殴られるに至った。
両軍入り乱れての乱闘になり、「出場停止処分」が下る。
相手チームは「お咎めなし」という、差別的な処分を受け入れるしかない「朝日軍」。
「バカなことをしたもんだな」
ロイに向けられた、「朝日軍」監督の言葉である。
沈鬱な空気が漂う「日本人街」。
サードを守るフランク野島は、「汚らわしい」とまで言われて、ホテルのポーターの仕事を解雇される。
「俺、日本に行くことになった。良い国かな?」とフランク。
「ここよりはいいんじゃないかな」とレジー。
「移民の子って言われて、色々苦労するかな?白人にそんな目で見られるのと、日本人にそんな目で見られるのと、どっちがマシなんだろ?」
フランク |
日本を知らないレジーには適切な対応ができず、今また、チームメイトを失うプレッシャーが、彼の負荷を累加させていく。
白人たちの抗議によって、「出場停止処分」が解けたという情報をレジーが知ったのは、家族と喧嘩して家を出て行った父・清二が戻って来た時だった。
その負荷を軽減する情報を、嬉々として、気の強いロイに知らせるレジーが、それを喜ばないロイから意想外の言葉を聞くのだ。
「もう、打たれること考えないで済む。起きている間、働き詰めで、夜中に何度もお袋に起こされて、また朝に漁に出て、それで野球までするのは何か意味あるのか?」
些か感情的になったレジーも反応する。
「あるよ」
「気持ちが続かない」
「続くさ」
これだけだった。
しかし、この空気が一変する。
「日本人会」の集まりで、「どうしても話したい」というエミーの、訥々(とつとつ)としているが、その心情が切々と伝わるスピーチが開かれる。
「皆のこと見てると、私も頑張らなくちゃって思います。頑張ってもどうしようもないこと多いけど、くじけちゃダメだし、泣いてちゃダメだし・・・私も何かしたくて、友だちに歌を教えてもらったんです」
エミー |
その歌は、「Take me out to the ball game」(私を野球に連れてって)。
溢れ出てしまう涙をこらえながら歌うエミーの思いが、「日本人会」の面々の心を決定的に動かしていく。
後述するが、エミーもまた、カナダに同化しようと努めても、差別の前線で心を痛める経験を通過してきているのだ。
「すいませんでした。白人と喧嘩して改めて思った。やっぱりあいつら、でかいし、強いよ」
翻意したロイの言葉に、「だろうな」と言うケイのリアクションが入って、面々の笑いを誘い、和やかな雰囲気に包まれた。
「野球がやれるんだったら、ここに生まれて良かったと思える。一緒に行こう。行けるところまで行ってみよう」
「日本人会」の帰りに、ロイを励ますレジーの言葉に、嗚咽が止まらないロイ。
そのロイに肩を組み、帰途に就く二人のカットの挿入は素晴らしい。
そして、その日がやってきた。
カナダ人リーグの優勝決定戦である。
伯仲のゲームは、「5対4で、プレザント1点リード」で最終回を迎えた。
既に2アウトながら、走者が2塁と3塁の一打逆転のチャンスで、ロイが最後の打席に立った。
「ぶちかましたれ!」
レジー |
2塁ランナーのレジーの檄である。
この檄に応えるように、ロイはバットを短く構え、真ん中高めに入って来たスピードボールをフルスイングし、サードのグラブを弾く逆転サヨナラタイムリーを放つ。
バントを捨てた渾身のフルスイングによって生まれた、「朝日軍」の優勝が決まった瞬間である。
興奮の雄叫びを上げる「日本人会」の観衆と対象的な、「朝日軍」のナインたちの不思議なほどの静けさは、茫然と口を開けて、周囲を見渡しているレジーの表情に象徴されるように、未だ極度な緊張から解き放たれず、奇跡的勝利のリアリティを受け止めるに足る心の準備が追い付いていないからである。
このシーンは、カナダ人リーグを制覇することに対して、想像だにしないチームの空気感を的確に表現した描写として、観る者に鮮烈に印象づける。
「朝日軍」は日系人を救ったのである。
泥沼化した日中戦争の渦中で、心の置き場がない日系人が抱える、将来への不安を増幅させる時代状況が、彼らの心理的背景を覆っていたからである。
それは、束の間の「暗雲」を払拭させるに充分過ぎた。
「朝日はバンクーバーのファン投票で1位になるほどの人気チームになった。あちこちのチームに誘われ、シーズンオフの間も遠征試合で旅に出た。本気でプレーする限り、僕たちを罵る者はいなかった。野球にカナダ人も日本人もない。多くの人がそう言った。何かが変わるかも知れない。そう思っていた・・・」(レジーのナレーション)
しかし、この和やかな空気が一変する。
「全ての日系漁船をカナダ当局が接収する。直ちに指示に従い、船を引き渡せ。これは命令だ」
思いも寄らない、カナダ当局の命令が漁業に従事するロイを襲う。
「1941年12月7日。日本軍が真珠湾を攻撃した」(レジーのナレーション)
出稼ぎに出ていた清二が、カナダの官憲に銃で撃たれる事件が出来する。
「日本人は敵性外国人として看做(みな)され、強制収容所へと送られることになった。許可された持ち物は、一人につき鞄一つ。家や家財道具は、全て没収された」(レジーのナレーション)
強制収容所に送られるロイに別れを告げるレジー。
「また、野球をしような」
笑みで応えるロイに、レジーは、それ以上、言葉に結べない。
「僕たちが暮らした日本人街は消滅した。ようやく僕たちが自由を取り戻したいのは、日本が戦争に負けて4年後。けれど、あの街に朝日が集まることは二度となかった」(レジーのナレーション)
ラストカットは、当時の「朝日軍」の面々の実写の画像を提示し、そこにキャプションが被さっていく。
「それから61年後の2003年。民族間の架け橋になりながら、独自の野球スタイルで活躍した功績が再び讃えられ、朝日はカナダ野球殿堂入りした。それは、大半の選手がこの世を去った後だった」
3 世代の意識のギャップを昇華させる「朝日軍」の若者たち ―― その結合エネルギーの結晶点
「稼いだ分、残らず日本に送ってしまうけぇね。この人は、日本のことしか頭にないんじゃけぇ。あんたらぁウチより、日本の親戚が大事なんよ。外国で成功しとるって思われたいって、その一心なんよ。これからどうなってしまうんじゃろねぇ。今んまんまかね。もっと悪うなるんかねぇ」
これは、まともに仕事に従事できない環境下で、飲んだくれた生活を送っていた清二の妻・和子の慨嘆である。
映画の中の最も重要な台詞の一つと言っていい。
清二 |
なぜなら、日系一世の清二が日本人移民としてカナダに渡航して、そこで見た風景は、「海の向こうで3年働けば、日本で一生楽に暮らせる」(レジーのナレーション)というユートピアと無縁な世界であるにも拘わらず、自分が海外で成功していると誇示する清二にとって、カナダへの渡航が頓挫したと思われることを恐れる心理を代弁しているからである。
清二の内側には、退路を断ったという心理的負荷が累加されているから、戻るべき故国を持ちながら、「戻ることができない日本人」という自己像を延長させる以外の生き方がなかった。
「誰がこの街作ったと思うとる」
その心理が、清二の自己像のうちに、渡航したカナダで、「日本人街を作った日本人」という矜持(きょうじ)を生み、膨張させていく。
それは、彼の最も重要なアイデンティティだった。
このアイデンティティが、「戻ることができない日本人」という屈折を希薄化することで、日本人としての誇りに継続性を保証させたのである。
その誇りが、「外国で成功した日本人」と思われる「物語」と折り合いをつける。
清二のこの「物語」は、「日本人街を作った日本人」という自己像のコアになるが故に、バンクーバーの「日本人街」を、ユートピアに満ちた空間イメージで埋めねばならない。
だからこそ、この空間イメージが、白人たちによって蹂躙されることなどあってはならないことだった。
「白人相手に、腰引けとるわ!やるならやるで、半端すんな。ぶちかましたれ」
息子のレジーに放った清二の檄である。
カナダの「アジア排斥同盟」の組織から襲撃された「日本人街」が、日本刀などで武装し、反撃した「バンクーバー暴動」(1907年)に象徴されるような、日本人としての誇りにのみ収斂される清二の生き方は、強制収容所への移送によって、いよいよ固着していくだろう。(注)
だから、彼のアイデンティティが、自分の息子たちが活躍する「朝日軍」に対する檄に結ばれるのは必至だった。
日系二世 |
一方、清二のような男に極端に象徴される「日系一世」に対して、最初から「戻るべき場所」を持つことなく、ユートピアであり得ない白人社会の中で酷使される現実を受容し、それを特段に、白人たちへの憎悪感情に結ばれない「日系二世」の自己像が、良くも悪くも、「白人社会に包摂される日本人」というイメージに落ち着くのもまた、自明の理であった。
「日本」という国民国家の存在が内的世界のイメージでしかない「日系二世」には、白人たちとの社会的状況の差異を、普通の現実として受け入れる以外の生き方の選択肢を持ち得ないのである。
従って、「日本」という国民国家の物理的・心理的存在が、拠って立つ自我の根源的ルーツになっていない彼らにとって、日系カナダ移民二世で構成される「朝日軍」の中で、その身体を存分に駆動させることだけが、唯一のアイデンティティの拠り所と言ってよかった。
そのために、苛酷な労働に耐えるのだ。
苛酷な労働のあとに待つ野球の練習に身体疾駆させる。
労働条件に不満があっても、そこに特段の屈折がない。
それでも、英語を話す彼らには、親の世代から教育された「日本人」として誇りが息づいている。
しかし、それを教育した者の世代と、教育された者の世代の文化的ルーツは乖離する。
白人への敵対意識の差異において、決定的に乖離するのである。
「やっぱりあいつら、でかいし、強いよ」
翻意したこのロイの言葉には、「でかいし、強い」白人への恐怖感があっても、それは白人への敵対意識に膨張する何かでない。
「長年の恨み晴らしてや」
「日系一世」(徳井優扮する写真館店主)の言葉である。
「そんなつもりでやっている訳じゃないですよ」
「日系二世」のレジーのこの言葉こそ、二つの世代の意識のギャップを典型的に表現していた。
そのレジーの家族内の問題に寄せて言及すれば、本作のテーマの肝になるような看過できない重要なエピソードがある。
優秀な学力が認められながらも、大学への奨学金がもらえない現実に直面したエミーが、その内部に鬱積した憤懣を炸裂させるのだ。
ここで興味深いのは、エミーの憤懣を炸裂させた相手がカナダの教育機関ではなく、彼女の父・清二だったという点にある。
エミーは、激しく父を難詰(なんきつ)する。
「お金全部日本に送っちゃって、お母さんが大変なの分ってるの?そうやって、いつでも出稼ぎ根性が抜けないから、日本人はこの国から出てけって言われるんだよ!お父さんたちはいつもそうだよ。英語も覚えないし、日本人としか仲良くしないし、カナダの人たちのことを分ろうともしない。だから、バカだ、貧乏だって、見下されるだよ。地位だって向上しないんだよ!」
最後は叫びになっていた。
先の和子の慨嘆の含意をも突き抜けて、より根源的な批判を浴びせたのである。
だから、本作の中で最も重要な台詞になった。
エミーにとって、「日系一世」に色濃い白人への敵対意識よりも、自らの〈生〉の物理的ルーツであるカナダの社会で呼吸を繋ぐが故に、その社会的状況を普通の現実として受け入れ、可能な限り同化していくという意識の方が勝っているのだ。
「私、この国を好きでいたい」
家政婦で雇われていたエミーが解雇された時に、自分を案じてくれる夫人に語った言葉である。
この意識が、エミーの自我の中枢を支えていた。
それは、カナダで生まれ、カナダで育ったエミーのアイデンティティの拠り所でもあった。
それでも、「日系二世」には、「日系一世」によって教育された「日本人」としての誇りが息づいているから、白人社会で受ける差別を心地良く思う訳がない。
だから、そこで貯留されたストレスを解消せねばならない。
「朝日軍」の存在こそ、「日系一世」と「日系二世」の価値観の相違を昇華させてくれる唯一の救いだったのである。
エミーの思いが存分に詰まった「Take me out to the ball game」の音声は、世代の意識のギャップを超えた、日系の同胞たちのポジティブな結合エネルギーの結晶点だった。
その「朝日軍」は、ルールのあるスポーツのフィールドで充分に闘い、充分に燃焼し、日系の同胞たちに勇気と希望を与え続けた。
しかし、フェアプレーの精神で駆け抜け、悔いのない青春を謳歌した若者たちは、彼らと無縁な母国の戦争によって、「朝日軍」という名の唯一のアイデンティティの拠り所を奪われてしまう。
アイデンティティの拠り所を奪われてしまった時、モンゴロイド(黄色人種)に対するコーカソイド(白人)の差別に敵対意識を持っていた者も、持っていなかった者も、皆、そこだけは平等に「敵性外国人」として看做(みな)され、家財道具の一切を没収され、強制収容所へと送られることになった。
反戦のイメージで閉じていく映画の訴求力の高さは、映画作家の本領を一段と発揮する力量を検証するのに充分なものだった。
(注)第一次世界大戦に際し、参政権を獲得する目的で、日系カナダ人(日系一世)は義勇軍を結成し、200名以上もの志願者が集まり、そのうち54名が命を落としたと言われる。しかし、大戦後の参政権獲得も思惑通りに進まず、義勇兵たちに選挙権が与えられたのは、大戦から16年も経った1931年(昭和6年)のことだった。(ウィキ参照)
(2015年12月)
残念です。その映画は劇場で見ようと思っていたのですが、ちょっと不安があったので見なかった作品でした。見れば良かったと後悔しています。
返信削除実は撮影場所が、ほんとに近いところなんですね。撮影が終了してからも、しばらくはオープンセットを一般公開していたので、気になっていましたが、結局は街中に出来た展示ルームだけ行くに留まりました(そこでは、ユニフォームが展示されています)。
足利市は、一昨年に市長が代わった時に「映像のまち」としての町おこしの構想を立ちあげました。
市長が元新聞記者らしく、電通とかどこかにパイプがあるのでしょう、その時は「アジアで一番大きいの映像スタジオを作る」と発表があり、足利がハリウッドになるんじゃないかと期待したものです。
現在は、地道に映画撮影を誘致しているような感じでしょうか。今後が楽しみです。
私は足利市から映画館が全て無くなってしまうという事態が起こった20年位前に、市民主催のミニシアターを立ち上げて、毎週一回公民館の視聴覚室のスクリーンを使い映画を上映していました。10年間は私が中心でやっていましたが、私が今の職に転職したのを機に、別の方に引き継ぎました。
20年近く経って、「映画の都にしよう」なんて聞くと「ホンマかいな」という感じです。
コメントをありがとうございます。
削除足利へは30年以上前に足利学校を見に行ったことがあります。とても良い処だとの印象が残っています。