<「時の埃」を浄化する「翼」の不透明感を突き抜けて>
1 「何も終わってない。終わるものはない。帰るのだ」
身震いした。
心の奥深くまで染み込んでくる映像の途轍もない強度は、独立峰の如く屹立する映画作家の独壇場の世界だった。
私にとってアンゲロプロス監督は、ダルデンヌ兄弟と共に、これだけの映像を見せられたら社会観・世界観の不同性など、どうでもいいと思わせるに足る稀有な映画作家である。
心震わせるようような鮮烈なラストシーンこそ、テオ・アンゲロプロス監督の最終的メッセージだったのか。
―― 以下、梗概と批評。
「何も終わってない。終わるものはない。帰るのだ。物語は、いつしか過去に埋もれ、時の埃にまみれて見えなくなるが、それでもいつか、不意に、夢のように戻ってくる。終わるものはない」
この冒頭のモノローグの主は、映画監督A。
ギリシャ系アメリカの映画監督である。
1999年(現代)のこと。
チネチッタ(ウィキ) |
ローマ郊外にある映画撮影所・チネチッタで、Aは動乱の20世紀の歴史を舞台に、彼の両親の波乱の人生を描こうとする作品に取り組んでいたが、ラストシーンが決まらずに撮影は困難を極めていた。
父の名はスピロス。
母の名はエレニ。
旧ソ連・カザフスタン中部の町・テミルタウの集会所。
そこで、ロシア革命記念日の祭典のニュース映画を見ていたコミュニズムの活動家・エレニと、友人のユダヤ系難民・ヤコブの二人。
エレニが、恋人のコミュニズムの同士・スピロスと運命の再会を果たしたのは、そのテミルタウの集会所だった。
以下、路面電車に飛び乗ったエレニとスピロスとの会話。
「夢みたいだ。探せないと思ってた」
「来ると信じてたわ。必ず来てくれる。世界の果てでもと信じていた」
「秘密警察に捕まったと。すぐさま、テサロニキに飛んだ。収監所で誰もが話したのは、女子大生の事件。君は逮捕され、脱走した。脱走後の君を追って、国境をいくつ超えたか・・・とうとう迎えに来た」
この会話によって、エレニが活動家の女子大生時代に、秘密警察に逮捕され、ギリシャのテサロニキ収監所に送られたが、二人の女性囚人と共に脱走したことで、恋人のスピロスと別れ別れになってしまった事実が明らかにされる。
路面電車に飛び乗るエレニとスピロス |
この日、「太陽が沈んだ」(スターリンの死去)という放送を、二人は市役所前の広場で停車し、誰もいない路面電車の中で愛を確かめ合う。
現代に戻る。
撮影所に、娘・エレニから電話が入る。
咽(むせ)び泣く娘の声に驚くAは、急遽、家に帰るが、娘はいなかった。
学校にも満足に登校せず、高速道路を素足で歩くような情緒不安定な娘への不安を、Aは常に隠せないのだ。
乱雑な娘の部屋に入ったAは、母・エレニがシベリアから書いた、父(スピロス)への手紙を枕の下で見つけ、その内容に衝撃を受ける。
母・エレニの手紙こそ、A自身が探していたものだった。
その手紙を、娘・エレニが先に読んだことで、家出したと思われる娘の情況が気になるのである。
その不安を、元妻のヘルガに吐露しても、ワーカホリックだったAに愛想を尽かして別れたヘルガからの快い返事は返ってこなかった。
Aの煩悶 |
「物語だけが僕の居どころ。それ以外の所では、僕は存在しない。どこにもいない」(Aの独り言)
以下、母・エレニの手紙の一部。
「全てを失う。あなたに触れられない。今は、夢だけが頼り・・・シベリア。1953年4月27日。ここは何もない所。無限に何もない。あの後、3週間拘禁され、尋問された。私の過去。ギリシャでの逮捕。そしてあなたのこと。短い幸福な瞬間の二人への罰・・・あなたの独房に逃げて行きたい。赤ちゃんが宿りました」
二人はあの再会の夜、結ばれたのである。
しかし、二人は逮捕され、シベリアへ移送されていく。
「シベリア。1956年12月。昨日、ヤコブもこの牢獄に。ドイツ系ユダヤ人で苦境での友。同じ運命の人。共産主義者で、ナチスを逃れて亡命した。決して届かない手紙。でも送ります。いつかは、独房のあなたに届くと信じて。窓に、おかしなツタが伸びて来て、雪に耐えています。3歳の坊やが・・・誰のことか、分ります?今日去りました」
言うまでもなく、その「3歳の坊や」とはAのこと。
この時、「3歳の坊や」を、エレニはヤコブの姉がいるモスクワに逃がすのだ。
母と子の別離の悲哀。
「天使は叫んだ。“第三の翼!”」
一人の女囚(女性詩人)が散布した詩の一節である。
この“第三の翼”は、ローマの撮影所・チネチッタを暴漢が襲い、PCやテレビなどを破壊した際に残していった絵を想起させる。
“第三の翼” を取ろうと手を伸ばす天使の絵 |
その絵は、“第三の翼” を取ろうと手を伸ばす天使の絵であった。
それが何を意味しているかについては、本作の肝であると思えるので後述したい。
「シベリア。1956年12月。たった一晩で、スターリンの肖像が、絵も銅像も消えた。第20回党大会の後、これであなたは出獄できる。交換出獄で国外へ。昔の仲間が、そうささやいてくれた。嬉しくて泣きました。哀しくて泣きました。二度と会えないの?全てを失う。あなたに触れられない。今は、夢だけが頼り」
スターリンの死去から3年が経過し、ソ連共産党第20回党大会において、第一書記フルシチョフによる「スターリン批判」を背景に、シベリア抑留者の解放が具現される状況が語られているのだ。
スターリン批判・フルシチョフとスターリン(ウィキ) |
現代。
1999年12月。
ベルリンを舞台に撮影しているAは、ギリシャに帰国する両親(エレニとスピロス)をアメリカから迎え入れる。
しかし、娘・エレニの居場所が分らず、必死に探し回っていた。
両親(Aとヘルガ)の離婚が起因になっているのか、抑うつ状態になっているエレニは、陸橋の上で彷徨(さまよ)っている。
まるで、死に場所を探し求めているようだった。
そんな折、ドイツに帰国していたヤコブが、Aと、Aの両親が泊るホテルに訪ねて来て、感動的な再会を果たす。
「息子はベトナム徴兵を避けて、カナダに去っていた」
息子とはAのこと。
シベリア抑留から解放されたエレニは、スピロスのいるアメリカに向かうが、エレニへの想いを諦め切れず、共にニューヨークへと向かったヤコブは、そんな話をしながら、エレニと過ごしたニューヨーク時代の回想を吐露する。
エレニとスピロス |
スピロスを探し続けるエレニへの強い想いも空しく、エレニはスピロスが再婚している現実を目の当たりにし、絶望の心境下で、息子・Aがいるカナダのトロントに行き、「3歳の坊や」だった1956年以来の再会を果たすのだ。
「何年も何年も・・・夢に見た母さん」
深い霧の中、熱く抱擁し合う母と息子。(トップ画像)
ウォーターゲート事件の余波で揺れるニクソン大統領への弾劾が、下院委員会で可決された1974年のことである。
スピロスへの想いが変わらないエレニ |
一方、エレニと出会ったことで衝撃を受けるスピロスは、自分を求めるエレニの想いが変わらない現実を目の当たりにして、決定的に心が動いていく。
ここでは、1999年から1974年に時間がワープするという映画の武器を駆使して、スピロスが向かったのは、エレニの働くトロントのバーである。
「遠い道だった」
エレニと抱擁するスピロスの言葉には、万感の思いが込められていた。
ここで、母に送ったAの手紙が、ナレーションとして挿入される。
ベルリンの壁に登る東西ベルリン市民(ウィキ) |
1989年11月9日に起こった、「ベルリンの壁崩壊」という歴史的事件である。
「冷戦が終わったと叫び、歴史の終わりと叫ぶ者もいた。新時代です。僕の映画の撮影は終わり、撮影クルーは去った。僕は残る。ヘルガに会ったから。彼女は17年前、東ベルリンから西に逃げて来た。まだ15歳だった。群衆の中にヤコブおじさんも」(Aのナレーション)
初めて明かされる、Aとヘルガの愛のルーツである。
1999年12月31日。
エレニとスピロスとヤコブが、ベルリンの街を睦み合うように歩いている。
「別世界を夢見た。あの夢はどこに消えた?始まりはすべて違っていた。空にも住める。そう思う人までいた」とヤコブ。
「歴史に掃き出された、と」とスピロス。
「そう。歴史に掃き出された」とヤコブ。
ヤコブはエレニを踊りに誘い、二人は踊り出す。
ヤコブに誘(いざな)われ、スピロスがエレニと踊る。
「時の埃は、すべてに降りかかる」
左からスピロス、エレニ、ヤコブ |
ヤコブの言葉である。
一転して映像は、陸橋の上の廃墟から自殺を図ろうとするエレニを案じ、警察と共に駈けつけて来たAの家族を映し出す。
この時、躊躇なく、祖母・エレニが行動を起こすのだ。
「どうしたの?」
陸橋の上に昇り、ホームレスらが不法占拠する廃墟の中にいる、孫・エレニに声をかける祖母。
その言葉を待っていたかのように、少女は「死にたいの」と言って、祖母に抱きついていく。
解放される少女。
長年の疲労が溜まり、歩行もままならない祖母・エレニ。
雨の中、慌てて病院に行くAの視界に捉えられたのは、道路を挟んだ向かい側の歩道から、娘のエレニを心配そうに見ているヘルガの姿だった。
近寄ろうとするAに、手を振って去っていくヘルガ。
それは、Aとの最終的別離を意味するだろう。
そして、Aのアパートのベッドで横たわる祖母・エレニ。
心配したヤコブがAのアパートを訪問し、嗚咽の中で、それ以外にない思いを言葉に結び、彼もまた、隣室で眠るエレニとスピロスに永遠の別離を告げるのだ。
「エレニ、帰る場所がないと言ったね。今は、僕がそうなんだよ。嘆きの壁には行かない。良い旅を、エレニ。第三の翼よ、スピロス!」
シュプレー川の遊覧船(慶應義塾大学ITPより) |
雨の中、ヤコブは定まらない足取りの先に待つ、ベルリンのシュプレー川の遊覧船に乗って、デッキに上り、まるで第三の翼を求める天使のようなポーズを取って、そこから身を投げたのである。
ポーランドの収容所で両親を殺され、老いた姉がいるのみで家族もなく、今や、帰る場所を持ち得ない寄る辺なきヤコブは、生涯を通して愛し抜いた女性との無言の別れを経て、自死するに至る。
降りかかる「時の埃」を浄化できずに、「歴史に掃き出された」者の悲哀に塗れ、別世界を夢見つつ、一切が消えていった人生を自ら閉じていくのだ。
2000年1月1日。
「ヤコブ、どこにいるの?」
翌朝になって、ようやく覚醒したエレニは、疲弊し切った体をふらつかせながら、ヤコブの名を呼ぶが、何の反応もなく、椅子にもたれかかり、テーブルにうつ伏せになってしまう。
孫・エレニの部屋で、その孫・エレニに手を乗せられながら、永遠の眠りにつくエレニ。
若き日の元気なエレニを回想するスピロス。
部屋を出て、一人で母を思い、嗚咽するA。
ラストシーン。
大きく開かれた窓から強風が吹きつけている。
その部屋には、昇天したエレニが永遠の眠りについている。
昇天したエレニに、スピロスが声をかける。
「エレニ、迎えに来たよ。エレニ!目を覚まして、起きなさい。手を、私の手に。出発に遅れるよ」
昇天したエレニの手がスピロスの手に重なった時、昇天したエレニが孫・エレニに変容する。
そして、二人は歩き出す。
「外は雪だった。雪は音もなく、眠る街に降り、無人の街路に、運河の水面に。すべての死者と生者に。過去に降り、現在に降り、宇宙に降る」(Aのナレーション)
ブランデンブルク門の前を、笑みを湛えた二人がゆっくりと走って来る。
スクリーンを突き抜けるように走って来るのだ。
ラストシーン |
未来に向かって走って来るのだ。
いつものように、エレニ・カラインドルーの哀切な音楽が耳にこびりついて、震えるようような感動を私にもたらし、閉じていく映像は、紛れもなく、テオ・アンゲロプロス監督の独壇場の世界だった。
2 「時の埃」を浄化する「翼」の不透明感を突き抜けて
Aの視点で展開される、劇中劇の構造の技法で構築された作品が、単純に時系列をトレースせず、認知科学で言う、一種の「マインドワンダリング」(思考の彷徨い)と呼ばれる、心的現象を表現する映像に結晶化されたとも考えられる。
ところが、そこに未完成のAの作品の断片、祖母・エレニの手紙を介して語られる過去の回想、及び、Aの現在性が入り込んでくるから、その境界が曖昧になるのもまた当然だった。
もし、独立峰の如く屹立する映画作家の手によるこの稀有な作品が、単純に時系列をトレースするものだったら、そこに映像の訴求力を失った凡作に終始したに違いない。
自明のことだが、アンゲロプロス監督は、観る者の思考を混乱させるために、この劇中劇の構造の技法を駆使した訳ではない。
この技法を駆使することで、20世紀という、必ずしも、自分の理想が通用しない激動の時代に引き裂かれた人間の思いの強度を、特化された者たちの人生を通して描き切り、それを如何に未来に繋いでいくかというテーマに収斂させたかったのではないか。
暴漢に破壊されたチネチッタ |
もとより、この多重構造の映像は、Aが作ろうとしている映画の収束点の不透明さが起点になっている。
この収束点の不透明さが、Aの中枢にネガティブなイメージや観念を胚胎させていく。
それが、映画の収束点の不透明さを、いよいよ増幅させるのだ。
なぜ、そうなってしまうのか。
Aの人生の現在性が抱えている内実が、彼の心の障壁であるバウンダリー (関係の境界線)を昇華させていないからである。
具体的に言えば、死に場所を探し求めて彷徨する娘・エレニとのバウンダリーを昇華させられず、煩悶を重ねるばかりの非日常の時間が延長されるだけなのである。
両親(Aとヘルガ)の離婚が起因になっているだろう、娘・エレニの抑うつ状態に十全に対応できないAの脆弱性は、Aが作ろうとしている映画のヒロインである、母・エレニの「愛を希求する人生」に接続できず、膠着状態に陥って動けないのだ。
だからこそ、Aを救済し、娘・エレニの抑うつ状態を受容し、包括してくれる何かが必要だった。
それが、「第三の翼」だったのか。
では、「第三の翼」とは、一体、何なのか。
「群衆の喧噪の中を歩みながら、不安なことに天使が沈黙していた。天使は翼を地に垂れ、泥で汚して、こう叫んだのだ。唯一、望み得るユートピア」
イスラエルへの帰郷を断念したヤコブとエレニ |
これは、イスラエルへの帰郷を断念した際に、ヤコブがエレニに語った言葉である。
では、「唯一、望み得るユートピア」とは、何なのか。
「別世界を夢見た。あの夢はどこに消えた?始まりはすべて違っていた。空にも住める。そう思う人までいた」とヤコブ。
降りかかる「時の埃」とも言うヤコブ。
それが「歴史に掃き出された」とも、ヤコブは嘆くのだ。
ここで言う「時の埃」とは、人なら誰でも回避できない、累加された時間の「塵芥」(じんかい)というイメージではないのだろうか。
だから、この「時の埃」を浄化するに足る、「唯一、望み得るユートピア」=「第三の翼」が希求される。
これが、Aの映画の完成によって昇華されることで、時代という境界を超え、「愛を運ぶ天使」と化していく
自らの死を代償に、祖母・エレニが孫・エレニを救済する行為こそ、既に、不必要なまでに「時の埃」に塗(まみ)れた少女の中枢に、その「塵芥」を浄化し、笑みを湛える未来を保証する唯一の手立てだったのだ。
「時の埃」を浄化する「翼」の不透明感。
この峻厳な現実は変わらない。
いつの時代でも変わらないのだ。
それでも、動かねばならない。
だから、祖母・エレニは動いた。
孫・エレニに未来を預けるために動いた。
それは同時に、祖母・エレニの中枢に累加された、「時の埃」を浄化する行為でもあったのだ。
Aと両親(エレニ、スピロス) |
そして、それは、煩悶を重ねるAの人生の現在性に張り付く脆弱性を軽量化し、払拭し得る「翼」でもあった。
「歴史に掃き出され」かかった男の中枢をも救済し得る、三本目の天使の「翼」が手に入ったのである。
充分過ぎるほど累加された、「時の埃」を浄化するパワーを埋め込むことで、煩悶を重ね続けたAの映画の収束点が視界に入り、自己完結する。
それが、多重構造の映像を括るラストシーンに収斂されていったのである。
スクリーンを突き抜けるように走って来るカットの挿入は、「いまでは、私は映画が世界を変えるとは思えなくなってしまいました」(「エレニの旅」来日記者会見)と語っていた、テオ・アンゲロプロス監督の映像に色濃いペシミズムと切れていた。
「時の埃」を浄化する「翼」の不透明感を突き抜けていくラストシーンに込められた、テオ・アンゲロプロス監督の思いに、私は素直に共感できる。
一貫して、アンゲロプロス監督の遺作の訴求力の鮮度は剥落することなく、観る者の心情に切っ先鋭く突きつけてきて、完全にお手上げだった。
ブルーノ・ガンツ |
それにしても、ヤコブを演じたブルーノ・ガンツの演技の凄み。
これにもお手上げだった。
一度観たら絶対に忘れられない映像は、私の内側に滲み込むほどの強度を持っていたからである。
(2015年11月)
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