<膨れ上がった心の振れ幅を持つ男の心の闇>
1 膨れ上がった心の振れ幅を持つ男の心の闇 ―― その1
人間を支配し、突き動かしているものが、価値観・思想という観念系のものであると言うよりも、寧ろ、感情・情動であることを、振れ幅の大きい一人の男の人物造形を通して描き切った秀作。
人間は複雑である。
一人の人間の中に、あらゆるものが入り混じり、複層的に重なり合っている
複層的に重なり合っているものは、矛盾なく統合され、常に整合性を保持している訳ではない。
時には激しく葛藤し、傷つけ合い、潰し合っていく。
人間の複雑さは、その内側に複層的に重なり合って棲んでいる感情・情動が、それが本来、安寧できる場所に容易に軟着し得ず、落ち着けない情況性において止めを刺すだろう。
だから、人間の複雑さは、人間の感情の複雑さであると言っていい。
そんな厄介な現象に翻弄されつつも、何とか折り合いをつけ、個々の人生を繋いでいくが、それが軟着し得ずに騒いでしまえば、当然、心の振れ幅は大きくなる。
では、膨れ上がった心の振れ幅が、防衛的に自己運動を延長させてしまったらどうなるか。
それが、この映画の基本骨格にある。
膨れ上がった心の振れ幅を持つ男の心の闇。
それを容赦なく炙り出し、本来、男が辿り着かなければならない辺りにまで軟着し得た映画 ―― それが「フライト」である。
2 膨れ上がった心の振れ幅を持つ男の心の闇 ―― その2
男の名はウィトカー。
アルコール依存症者である。
しかも、治療を必要とするギリギリの辺りにまで、心の闇を深めていくばかりのこの男は、「否認の病」と言われる依存症にどっぷりと呑み込まれているが、その内的風景は、それが「心の病」である現実の認知を否定する、一種の「心理的防衛機制」と解釈することが可能である。
アルコール依存症は「死に至る病」である。
酒量の増加によって、いつしかアルコール耐性が生れるや、周囲の人間関係との摩擦が継続的に惹起し、自己を囲繞する状況の負の連鎖が、加速的に深刻化していく。
本作の主人公がそうであったように、アルコール依存症者は安寧な日常的秩序が保持できず、充分な睡眠時間の確保のラインを簡単に突き抜けていく。
「沈黙の臓器」と呼ばれる肝臓の機能も著しく低下し、 アルコールの分解力が劣化することで、確実に身体の健康を蝕んでいくのだ。
「具体的には、飲酒のコントロールができない、離脱症状がみられる、健康問題等の原因が飲酒とわかっていながら断酒ができない、などの症状が認められます」(アルコール依存症・厚生労働省HPより)
ここで言う「離脱症状」とは、所謂、「禁断症状」のこと。
「軽~中等度の症状では自律神経症状や精神症状などがみられます。重症になると禁酒1日以内に離脱けいれん発作や、禁酒後2~3日以内に振戦せん妄がみられることがあります」(同上)
この「振戦譫(せん)妄」こそ、「離脱症状」の中核を成す恐怖の現象である。
飲酒の中断後、すぐに不安・精神混乱・興奮・発汗・発熱などの自律神経機能の亢進・手の震え・幻覚・意識障害などの症状が現出し、適切な処置を施さなければ、死亡する場合もある厄介な症状である。
アルコール依存症(イメージ画像・ブログ「アルコール依存症との戦い」より) |
アルコール依存症はレジリエンス(復元力)が劣化しているから、飲酒行動を自己コントロールできず、強迫的に飲酒行為を繰り返す精神疾患なのである。
ここから物語に入っていく。
あろうことか、ウィトカーの職業は民間航空機のパイロット。
それも、抜きん出た技量に富むベテランパイロットである。
そんな男が、この日もまた、同じ航空機に添乗する客室乗務員の恋人カテリーナ(トリーナ)と共に、夜通しアルコールに浸した体を引き摺って、オーランド(フロリダ州)発アトランタ空港行きのフライトに就いた。
忌まわしき事故は、乱気流を抜けた直後に出来した。
突然、航空機が急降下し始めたのだ。
この異常な事態は、機長であるウィトカーをアルコールの酔いから覚醒させるが、制御不能となった航空機の墜落の危機に直面し、ウィトカーは背面飛行によって落下を極力防ぎ、アトランタ近郊の平地に胴体着陸するに至った。
胴体着陸による事故 |
その結果、乗客・乗員102名のうち、96名が生還するが、乗務員2人を含む6人が、この事故で命を落とす。
命を落とした乗務員の中に、トリーナが含まれていた。
一人の少年を救うために、ベルトをしていなかったからである。
一方、ウィトカー機長が奇跡の生還を果たした事実が、格好の「英雄譚」として、メディアで過剰に喧伝されていく。
ところが、国家運輸安全委員会の事故調査班は、ウィトカーの血液からアルコールが検出されたことで、メディアが仮構した「英雄譚」の物語は一変していく。
ウィトカーの入院初日に、安全委員会の調査班は、全乗務員の血液・毛髪・皮膚サンプルを採取し、毒物検査の結果、意識を失っていたウィトカーの体内から、アルコール濃度0.24%とコカインが検出されたのである。
重罪なら、最高12年の刑。
中毒が、乗客4人の死因に関与するなら、過失致死罪の適用で終身刑。
この状況下で、ウィトカーの刑事訴追を免れるために、彼の友人であり、パイロット組合を率いるチャーリーは、刑事過失の敏腕弁護士を雇う。
その名は、ヒュー・ラング。
事故現場を遠望するヒュー(左)とウィトカー |
アルコール依存症という隠し込まれた真実に正対しない、ウィトカーの嘘を見透かしているヒューは、ただ単に、ビジネスのためにをウィトカーの弁護を引き受け、その道のプロの辣腕ぶりを発揮していく。
ウィトカーもまた、この男を利用するためだけに、嘘で塗り固めた情報を共有していくのだ。
しかし、アルコール漬けの心身が背負うハンデとは殆ど無縁に、フライトレコーダーやボイスレコーダーの検証や、他のパイロットたちのシミュレーションによっても、ウィトカーの「奇跡の救出譚」を否定できる何ものもなかった。
アルコール抜きでも、極限状況下で冷静に対応できるメンタリティの根柢には、鍛え抜かれた操縦技術への絶対的信頼感がある。
この絶対的信頼感が、「神様、助けて」と叫ぶだけの副操縦士のように混乱し、不安に怯(おび)え、恐怖に囚われる事態から相対的に解放されていた。
映像にはなかったが、もし、一転して「疑惑のパイロット」という澱んだ空気が流布されていなかったら、ウィトカーは堂々と記者会見を開いて、「訓練通りのことをやったまでだ」という類のコメントを出したに違いない。
ここで私が想起するのは、「ハドソン川の奇跡」のこと。
チェズレイ・サレンバーガー機長(ウィキ) |
2009年1月15日に起こった、ハドソン川への不時着水の成功譚は、当時、乗客乗員全員が無事脱出させたことで、冷静に対応したチェズレイ・サレンバーガー機長を、「奇跡の救出譚」を遂行した「英雄」として、今でも語り継がれている。
原因は、往々にして起こる、鳥の群れが衝突する「バードストライク」。
もし、水平に着水できなかったら、機体が真っ二つになる危険性もあった状況下で、チェズレイ・サレンバーガー機長の操縦技術なしに為し得なかったとされている。
「訓練通りのことをやったまで」
サレンバーガー機長の言葉である。
但し、不時着水も含めて、民間航空機の背面飛行の訓練などは、「グランド・セフト・オート5背面飛行」のようなシミュレーションによってしか行われていないと思えるので、「訓練通り」という言葉の含みには、「得難き経験知を体得した熟達したパイロット」という自負が横臥(おうが)しているのだろう。
この自負を持つに違いない、ウィトカーとサレンバーガー機長の両者が存分に発揮した冷静さは、「男の強さ」に変換されるのが通常だが、しかし、ウィトカーの「男の強さ」のイメージが、一夜にして反転するのもまた、「抜きん出たグッドジョブ」を遂行した男を「英雄」にすることが好きなメディアの商法の範疇にあるから厄介なのだ。
「英雄失墜」
この種のラベリングも、メディアが好む情報である。
そんな商法の範疇をトレースするように、退院直後に襲うメディアスクラムが、物語の風景を変容させていく。
膨れ上がった心の振れ幅を持つ、男の心の闇が、痛ましいまでに炙り出されていくのである。
3 膨れ上がった心の振れ幅を持つ男の心の闇 ―― その3
「この報告書を潰す」
ヒューの言葉である。
「心配していない」
そう強弁しながらも、不安に慄くウィトカーは、最寄りのバーで、ウォッカ、ウイスキーのダブルストレートを注文する始末。
不安を払拭するためである。
たった一日の禁酒だった。
一旦、開いてしまった禁断の世界へののめり込みは、いよいよ、ウィトカーの不安を増幅させていくのだ。
車を運転しながら、アルコールをがぶ飲みする男がそこにいた。
退院後、ウィトカーの親友で、ドラッグの売人・ハーリンの誘いを断り、父が残した農場で暮らすウィトカー。
その日のうちにアルコール類を捨てるが、依存症の闇は底知れぬほど深い。
アルコールの乱用によって耐性が劣化し、いつしか感受性が亢進していく。
アルコールを求めてしまうウィトカー |
感受性の亢進は「再燃性」を準備し、少量の飲酒でも酩酊し得る現象が起こるのだ。
これを、「逆耐性現象」と呼ぶ。
ウィトカーが、この恐るべき現象に最近接していたか否か不分明だが、アルコール類を捨てても、すぐに戻ってしまうところを見る限り、相当程度、危うい辺りにまで搦(から)め捕られていた事実を否定し難いだろう。
そんな男が今、恐怖に慄いている。
近々開かれる、運輸安全委員会の公聴会で、毒物検査の報告が自分を窮地に追い込むのではないかという不安を拭い切れないのである。
それが、ウィトカーの心の振れ幅を、負の方向に膨張させてしまっているのだ。
ウィトカーが見せた、鍛え抜かれた操縦技術への絶対的信頼感をベースにした冷静さが、必ずしも「男の強さ」に変換されないのは、「裁きの論理」による厳粛なペナルティを受けるという、未知のゾーンへの万全な「認知的構え」(厄介な事態に対する仮想トレーニングによって、冷静な状態を保持すること)を構築し得ないからである。
命懸けの背面飛行をやり遂げる咄嗟の判断力を持つことと、物理的な根拠を持つ決定的瑕疵(アルコール濃度0.24%とコカインの検出)を認知する弱みが恐れる、「過失致死罪の適用で終身刑」という、未知のゾーンに意識が縛られてしまった心裡は、充分に同居し得るものである。
ウィトカーの心の振れ幅が負の方向に膨張してしまえば、情けないほど防衛的に振れていくのは必至だった。
人間とは、そういうものなのだ。
その典型的エピソードがある。
事故機の客室乗務員・マーガレットと、ウィトカーの会話である。
場所は、ウィトカーの恋人であり、事故機で死んだ客室乗務員・トリーナの葬儀の場。
「とて心配なんだ。墜落の前の晩に食事に行った。ワインを2杯飲んだが、恐らく君に、あの晩の俺の状態を聞く。酔っ払って見えたかと」
ウィトカーは、安全委員会の調査が気になって仕方ないのだ。
「11年の付き合いよ。トリーナと出かけて、ワインを2杯だけ?」
「あの日も普通だった。いつもと変わらず、問題はなかったと。言ってくれるか?」
「俺の睡眠不足は機体の損壊に関係ない。他のパイロットなら無事に着陸させられたか?」
「無理よ」
「そうだろ。君の息子が、君の死に顔を見てたら・・・俺の息子が、刑務所に面会に来る姿を」
「やめて、ウィップ。私たち、もう十分」
嗚咽するマーガレット。
「お願いだ」
「何と言うの?」
「いつもと同じだったと。離陸した後、強い風に遭った。だが、乗務員として見る限り、普通の日だったと」
「得難き経験知を体得した熟達したパイロット」という矜持を捨てることなく、自己防衛に走る男が、その熟達した手腕を知悉している友人に脆弱さを晒すのだ。
ウィトカーは、ここまで精神的に追い込まれている。
「家族より酒を選んだ」ことで、家庭を持たない男の孤独を癒したのが、入院中に知り合ったニコールだった。
「元写真家で、マッサージ師で、今は、サロンで洗髪も」
アルコールとヘロイン中毒の患者・ニコールの自己紹介である。
ウィトカーとニコール |
乳癌で母を喪い、独りで生きるニコールと男女の関係を結んでいく。
少しでも、不安を解消したいのである。
一方、依存症を認知し、その克服に努めるニコールは、ウィトカーとの最も重要な意識の落差を埋めようと、「アルコール依存の会」への参加を求めて、気乗りしないウィトカーを連れ出した。
しかし、「嘘は身を滅ぼす」という依存症者の体験談に反応し、ウィトカーは「アルコール依存の会」を抜け出してしまう始末。
「嘘は身を滅ぼす」
ウィトカーが最も気に障る言葉だからだ。
更に、厚顔にも、ウィトカーはジャマイカに逃げようと、ニコールに働きかけるのだ。
「君のためなら何でもする」
「もうクスリは嫌。今度やったら、もう戻れない」
「俺と一緒に来て欲しい」
追い詰められた果てのウィトカーの自分勝手な懇願は、その夜、ウィトカーが隠れ住む農場を、ニコールが出て行くことによって、呆気なく二人の関係に終止符が打たれるに至った。
蜜月の終焉 |
ニコールの置き手紙を読み、暴れ狂うようにアルコール漬けになる弱い男が、ただ一人、全てを失った思いの中で加速的に崩れていく。
そんな中で、ウィトカーの救助に奔走している、パイロット組合のチャーリーから連絡があった。
「ギャレーで、ウォッカの小瓶2本が見つかった。小瓶には誰の指紋もDNAも残ってませんが、2本ともカラでした。そのビンに触れることができるのは乗務員だけです。3人はシロ。残りは、あなたとトリーナ」
ギャレー(機内の調理室)で発見されたアルコールの痕跡を報告するヒュー・ラングは、その事実があっても、アルコールとは無縁の事故であることを強調する。
「あの墜落シーンを、シミュレーターで再現させた。何人が、無事不時着を成功させたと思います?ゼロです。10人とも地上に激突全員死亡。成功はあなただけだ」
「立派・・・もう帰る」
この報告にも、もう心が振れることのないウィトカーは、前妻の家に行くが、我が子共々怒らせるだけで、その結果、前妻の家で待ち構えていたメディアに囲まれた挙句、警察に保護されるに至る。
最も愛するトリーナを喪い、その代役のようなニコールを失い、自らが捨てた家族にまで追い返された男の心の振れ幅は、今や、負の方向に膨張していくばかりだった。
アルコールを口にしない約束で、公聴会までの日々を、チャーリー家に厄介になるという乱れぶりを露わにする男が、そこで地虫のように這っていた。
4 膨れ上がった心の振れ幅を持つ男の心の闇 ―― その4
ウィトカーの心の脆弱性は、いよいよ極まっていく。
この日まで断酒してきた男が、不安を抑え切れず、アルコールに手を出してしまうのだ。
公聴会前日のことだった。
ドラッグの売人ハーリン |
ドラッグの売人ハーリンを呼んで、コカインでアルコールを抜くという危うさを抱えて、公聴会に臨むウィトカー。
「酒の嘘は、俺に任せておけ。酒のことならずっと嘘をついてきた」
チャーリーにそう言い切って、公聴会に臨む男の「嘘のショー」が開かれた。
運輸安全委員会調査班リーダー・エレン・ブロックは、安全委員会が作った背面飛行のシミュレーションを、ボイスレコーダーと共に動画で見せていく。
落ち着いて答えるウィトカー。
ここで、ウィトカーの冷静な操縦に、傍聴者から拍手が起きる。
続いて、航空機の部品の欠損による故障であるとの指摘がされ、以下のように説明される。
「調査チームの結論は、ねじジャッキが折れて昇降舵が動かなくなった。昇降舵は降下角のまま、飛行機は急降下した。昇降舵の操作不能により報告書では“回復不能の危機的状態となり、安定飛行は不能となった”と」
報告書の確認を求めた後、「間」ができる。
質問は一転し、事故当日以前の3日間、アルコール・薬物の摂取についての言及に及ぶ。
「していません」とウィトカー。
「ウィトカーさん、今までに、アルコール依存症や薬物中毒の経験はありますか?」
「いいえ」
ここから、エレン・ブロックは、恰も狙い澄ましたような質問に移っていく。
「では、最後の質問です。離陸後の激しい乱気流により、あなたは飲み物サービスの中止を指示しましたね」
「はい。ドリンクサービスは中止しました」
「調査員がギャレーで、ウォッカの空き瓶2本を見つけたことは?」
「知ってます」
「飲み物に近づけるのは、5人の乗務員だけです。事故後、1時間以内に乗務員の血液検査が行われています。エヴァンス副操縦士。マーガレット客室乗務員。死後ですが、カミー・サトー。それにトリーナ・マルケス。薬物検査の結果は、3人が陰性。1人は技術的理由で判定不能。1人がアルコール反応、陽性。血中濃度0.17。ご存知でしたか?」
「今、知りました」
ここまでは、落ち着いた反応をするウィトカー。
ここで、再び「間」ができる。
唐突な質問に、ウィトカーは、若干たじろいだ様子を見せる。
「ち、違います」
エレンは畳みこんでくる。
「彼女の依存症のことは?」
「知らない」
「酔った姿は?」
明らかに、ウィトカーに動揺の様子が見える。
「見たことない」
「彼女は2度治療を受けています。前回は1年4か月前、航空会社の費用で」
「知らなかった」
ここで、長い「間」ができる。
顔を見合わせるチャーリーとヒュー。
「あなたの意見を。機内で飲んだのはトリーナだと?」
この公聴会の中で、最も長い「間」ができる。
明らかに空気が変わったのだ。
スライドに大きく映し出された、死んだトリーナの顔を見つめるウィトカー。
次に放つ一言で、全てが決まると括っているはずのウィトカーの内側で、葛藤と煩悶が透けて見えるようだった。
膨れ上がった男の心の振れ幅が均衡を失い、ピークに達しているのだ。
男の心の闇が、出口を求めて騒いでいる。
それが、「裁き」の場ではない公聴会を澱ませている。
「もう一度、質問を」とウィトカー。
「あなたの意見を。飲んだのはトリーナだと?」
再びトリーナの写真を見た男は、その視線をチャーリーとヒューに移した。
「あなたは、トリーナがウォッカを飲んだと思いますか?」
口ごもるウィトカーに、明瞭な反応を求めるエレン。
「“神よ、お力を”と」
そう言った後、断崖の際(きわ)に立たされたウィトカーは、それ以外にない言葉を結んだ。
事故機でのトリーナ |
「トリーナは、あのウォッカを飲んでない」
「大きい声で」
「トリーナはウォッカを飲んでない。私が飲んだ」
騒然とする公聴会。
「異議あり!」
そう叫んで、立ち上がるチャーリー。
首を項垂(うなだ)れるヒュー。
「着席を!ここは法廷じゃない」
公聴会の委員が、興奮するチャーリーを戒めた。
「私が機内でウォッカを飲んだ」
繰り返すウィトカー。
一切を認めたウィトカーは、今度は堂々と、「アルコール依存症者」である事実を認知したのである。
全てが終焉した瞬間だった。
彼にとって、トリーナの存在は「絶対防衛圏」だったのだ。
トリーナとウィトカー |
「家族より酒を選んだ」男の、深い心の闇に穿たれた空洞を埋め、イネーブラー(共依存)と言うよりも、脳内に作られた回路の故に、「心の病」としての依存症を共有する唯一のパートナーであったばかりか、自らが操縦した事故機内で、子供を救って死んだ最愛の恋人に罪を被せる訳にはいかなかった。
だから、彼女だけは絶対に守らねばならなかったのである。
「それ以上、嘘をつけなかった。俺は人生で初めて自由になった」
収監された刑務所内で、同じ依存症者の囚人らに向かって、自らが犯した過ちを語っていくウィトカー。
まもなく、そのウィトカーの元へ、息子が面会に訪れる。
大学の願書に書くエッセイのために、彼に質問しに来たのだ。
エッセイのテーマは、「僕が出会った最高の人」。
「父さんって、何者なの?」
「父さんって、何者なの?」
息子の最初の問いに、「いい質問だ」と答えるウィトカー。
ラストカットである。
父と子 |
心の振れ幅が大きい父親の、その心の闇に翻弄され続けた少年にとって、自ら提示したテーマに相応の折り合いをつけることなしに、父子の関係の復元は叶わないのだろう。
結局、離婚が加速因子となって、依存症のトラップに嵌り込んでいった男が抱える心の闇は、「否認の病」である依存症を認知し、その現実を受容すること以外に、「再生」への険しい行程が開かれないのである。
刑務所内という、「特化」されたスポットでの1年足らずの禁酒の継続力が、男の心の振れ幅の安定的均衡を壊さない辺りにまで辿り着かなければ、「再生」への確かな行程を保証する何ものもないだろう。
「死に至る病」である、アルコール依存症の圧倒的破壊力。
この映画は、その一端を垣間見せてくれた。
同時に、憲法によって信教の自由を保障しつつも(修正条項第1条)、「宗教国家アメリカ」の、信仰との安定的均衡への作り手の思いをも垣間見せてくれた。
「“神よ、お力を”と」
信仰とは無縁だったウィトカーが放ったこの言葉は、彼が入院中に出会ったガン患者の言葉を想起させるに充分だった。
「神を信じなきゃバカだ。全て神のお陰だと思えば、人生は楽になる。何かを自分で避けようとしても無理だ。僕のガンも、神に与えられた。神に治してくれと頼んだが、やっぱりダメだった」
点滴スタンドを持ちながら、煙草を吸うガン患者は、そう言ったのだ。
神に「自己の蘇生」を懇願するな。
自己の現実を凝視し、それを受容する。
まず、そこから立ち上げていく。
そういう思いで、ウィトカーは表現に結んだのだろう。
最後に一言。
「予定調和の感動譚」の基本骨格を支え切った、ハリウッドNo.1級のデンゼル・ワシントンの卓越した表現力。
紛れもなく、益々、円熟味を増した感のある、ウィトカーを演じ切ったデンゼル・ワシントンの存在感なしに成立し得なかった作品だった。
いつ見ても、素晴らしい俳優である。
【参考資料 拙稿 人生論的映画評論・続「リービング・ラスベガス」より抜粋】
(2014年5月)
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