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2024年8月7日水曜日

ナポリの隣人('17)   「擬似家族」という幻想の行方  ジャンニ・アメリオ

 


深々と胸を衝くイタリア映画の秀作。

 

 

1  「普通の人達だ。私やお前や、姉さんよりずっと」

 

 

 ナポリでアラビア語の法廷通訳をしているシングルマザーのエレナ。 

エレナ


法廷で不法移民の証言を通訳しつつ、廊下で話しているのを聞いていたエレナは、それがウソだと裁判官に知らせたが、「職務に忠実に通訳だけしてください」と注意される。

 

仕事を終え、心筋梗塞で入院している元弁護士の父・ロレンツォの病院を訪ね、法廷であったことを熱心に話すが全く反応はなく、エレナは早々に病室を出た。 


寝たふりをしていたロレンツォは、エレナが帰るや起き上がり、点滴を勝手に外してアパートの自宅に戻ってしまう。 

ロレンツォ



玄関で鍵を開けていると、隣に引っ越して来たミケーラが階段に座っていて、鍵を持たないで出たため部屋に入れないと話すので、ロレンツォはミケーラを部屋に招き入れ、バルコニーで繋がるミケーラの家の裏のドアの鍵を渡した。 

ミケーラ



このミケーラの家はロレンツォが手放したもので、バルコニーからの階段を残したままで、向かいの家とは行き来できるようになっているのだ。

 

ミケーラは受け取った鍵で自宅へ戻った。

 

ロレンツォは孫のフランチェスコを学校から連れ出し遊ばせ、青空授業を行った後、何か欲しいものを聞くが、「何も」と素っ気ない返事。 

フランチェスコ


「私が好きか?」

「ちっとも!」

 

エレナと弟のサヴェリオは公証人との間で、ロレンツォの住む自宅アパートの権利問題を話し合っている。 

サヴェリオ


「公証人さん、家は父のものだと説明を」とエレナ。

「なんて寛大な子達だ。相続した家に住まわせてくれる…わが子達はうまくやったよ。私から解放してやる気だったのに、孤児になる気構えもできていない」 



ミケーラの長女・ビアンカと長男・ダヴィデの姉弟がロレンツォの家に入って来て、部屋を見て回り、二人に気づいたロレンツォは、走って出て行く子供たちを追い、バルコニーでミケーラの夫・ファビオと顔を合わせた。 


ファビオは、先日の鍵のお礼を言い、ナポリの町に馴染めない心情を話す。 

ファビオ


「お仕事は?」

「私は…母が望んでいたことを」


 

ファビオはそこまでしか答えなかった。

 

ロレンツォは、ナポリ駅のカフェでティータイムを楽しんでいると、エレナの同僚が話しかけてきて、弁護士志望の甥を紹介しようとするが、少し離れた席にやって来た隣人親子4人が座り、ロレンツォは、そちらに気を取られていた。 


そのテーブルに、アフリカ系移民が来て、ライターや靴下などを何度断っても執拗に売ろうとするので、ファビオは突然キレて、大声で怒鳴り、その移民を追い立てて転ばせてしまう。

 

「そんなゴミはいらないんだよ…他へ行ってくれ。なんで僕ばかりに」 


ミケーラと子供たちは立ち尽くし、その様子をただ見守るだけ。

 

見兼ねたロレンツォは、移民を捕まえ引き摺り倒し、喚(わめ)くファビオを止めようとして倒されるが、更に逃げた移民を追い駆けようとするファビオを押さえ、落ち着かせようとする。

 

「僕ばかり…いつも邪魔される」 


ロレンツォに言い訳をして少し興奮が収まってくると、ファビオは済まなそうな表情をする。

 

そんなことがあって、ミケーラはアイロンがけをしているロレンツォを訪ね、先日の出来事を弁明する。

 

「夫は悪い人じゃないんです」

「私は裁判官ではなく、弁護士だ」

「疲れてて、そんな時はすぐにカッとなる。でも、すぐ後悔を」


「娘は外国人の扱いが上手い。エジプトで何年も語学を学んだ」

「私もやってみたいわ。旅して、違う世界を知る」

 

ミケーラの明るく気さくな人柄に心を開くロレンツォはファビオの家で、祖父と孫のように子供たちと遊び、夫婦との会話も弾む。 


ロレンツォはファビオは一人っ子だと言い当て、ミケーラは4~5人の兄弟姉妹がいると言ったが見込み違いだった。

 

「私は孤児で、祖父母に育てられ、16歳で家出した。誰かを追い駆けて放浪の人生を」 


ロレンツォは、船が好きな孫のフランチェスコをファビオが務める造船所へ連れて行った。

 

「お孫さんを可愛がられてる。父親以上だ。それが僕にはできない。話すこともない。何を話せばいいのか」


「全部です。どんな話をしてもいい」

「…ミケーラは辛抱強く、子供たちの相手も上手い。でも町になじめず…」

「初めは誰でもそうです」

「町を出たことは?」

「一度も。ナポリに根っこを下ろしたまま」

「僕は持ち家を持ったことがありません。6~7歳の時、僕は痩せっぽちで、あせって舌がもつれるたちで、誰彼構わず訊いた。“本当の友達かい?”教室で隣の席の子に、お金も渡した。“いくらで友達になる?”。僕らは絶えず、どうすれば愛してもらえるのか、思案しているのかも。違います?」


「こうしましょう。私は隣にいる。ノックすればいい。この町のやり方です」
 


ロレンツォは、ファビオの肩に手を置き、励ました。

 

ミケーラのキッチンで調理をするロレンツォ。

 

「子供が成長して、愛情が失せた」とロレンツォが話すと、ミケーラは、それは大人になって、助けてあげられなくなったからだと言う。 


それを聞いたロレンツォは少し考え込み、夕食に誘われても断り、帰って行った。

 

ナポリの町を彷徨うロレンツォ。 


同じ頃、ファビオも町を彷徨い、雑貨屋に入り、消防自動車のミニチュアを見つけ、店主に売り物ではないと断られたが、子供の頃に遊んだ玩具なのか、執拗に欲しがるのだ。 



日が暮れて、土砂降りの雨が降り、自宅近くに戻ると、アパートの周囲にパトカーと救急車が道を塞ぎ、騒然として規制線が張られていた。 


ロレンツォは構わず、警察の制止を振り切り自宅へと階段を上り、運び出されたファビオの子供たちの遺体とすれ違う。

 

バルコニーから隣人宅に入ると、ファビオが拳銃を持って倒れており、遺体の鑑識が行われていた。 


ロレンツォは、ミケーラの生死を確認したが、答えは得られなかった。 



エレナは裁判所で同僚から新聞を見せられ、昨夜の事件を知った。 


「34歳の若い男が妻を撃ち、次に男児と女児を、最後に自分に銃を向けた。界隈では誰もが銃声を…」

「私達と何の関係が?」


 

しかし、エレナはサヴェリオと共に、入院して生死を彷徨うミケーラに付き添うロレンツォを訪ねた。

 

サヴェリオが声をかけると、「何しに来た」と振り向きもしない。

 

「話は聞いたよ」

「お前たちは関係ない」

「父さんは?」

「関係あるさ…日曜の昼、家に呼ばれて食事を。普通の人達だ。私やお前や、姉さんよりずっと」 


ロレンツォは振り返り、離れて立っているエレナを指差した。

 

「なのになぜ、こんな…」

「家族でもないのに」

「家族の一員か…」

 

その時、通りかかった医者に容態を訊いたロレンツォに、「娘さんは今、神の御手に」と答えるのを聞いたサヴェリオは、「“娘さん”って?」と質した。 


「こっちの話だ。もう帰れ…」

 

弟は踵(きびす)を返して帰り、エレナは暫くロレンツォを睨みつけ、帰って行った。 


ロレンツォは、複数の管をつけて昏睡状態のミケーラを見舞う。 


心労でロレンツォは廊下で倒れてしまうが、突然、ファビオの母親が現れ、マスコミに囲まれているのを、ロレンツォが別室に避難させた。 



ロレンツォは、父親のフリをして付き添っていたことを詫び、もう母親が来たので任せると話す。

 

「私はファビオの母親です」 


ロレンツォは、母親をミケーラの病室へ案内した。 


「どうも思い出せなくて。ずっと考えているのに。何も思い出せず…でも一つだけ。事件とは無関係ですが、お話を。ファビオはまだ10歳にもなってなかった。一人息子でして。夏休みで私たちは山にいて。息子には友達がなく、自分でパチンコを作ったり、木の家を作っていました。ある日、同年代の子と仲良くなり、分かちがたい完璧な親友になりました。ところが突然、その子を見かけなくなり、聞いた話では、谷間に落ちて奇跡的に助かったと。ファビオはすっかりふさぎこんでしまい、ただ、泣きはしない。友達が死にかけていたのに。ある朝、朝食をとりながら夫もいる時に、いきなり言ったんです。“僕がやった。僕が突き落としたんだ”。私は反射的に抱きしめました。ぎゅっと時の経つのも忘れて。以来、私たちは口を閉ざし、あの子の盾となり、表沙汰にならないように努めました。私は夫と一緒に、秘密を守り抜きました。幸い、男の子は助かり、無事成長しました。そして私達も一件を忘れた。それから何年も経って、ファビオは大学生になり、私と2人でもう一度、あの山に行きました。その日の空は美しく、済みきって魔法のよう。あの子は笑って言いました。“谷に落ちた子のこと、あれ、ウソだったんだ。僕は突き落としたりしてないよ”。私はありったけの力でひっぱたき、言いました。“何言ってるの。それこそウソだわ”。あの子はひと月家に戻らず、私を避けました」


「辛い話ですね」

「あの子を救えなかった…お身内にも不幸が?」

「家内がね。私に愛はなく、あったとしても気づかず、今さら、なすすべもないが」


 

「あの子を救えなかった」と吐露したこの母親だけが、事件を起こした男の真相を知っていたかのようだった。

 

 

 

2  “幸せは目指す場所ではなく、帰る家だ”

 

 

 

まもなく、エレナとサヴェリオがロレンツォのアパートの部屋で探し物をしている。

 

子供の頃、自分が二の次だったというサヴェリオは、父親と距離を置きたがっている。

 

「話さなくなったのは、母さんの死後?」

「愛人がいたことは?まあ、いてもいいけど…だけど家に連れてくるなんて。母さんの留守に…」 


しかし、サヴェリオは携帯にかかってきた電話に出て、エレナは話の腰を折られてしまう。

 

ロレンツォは、またフランチェスコを連れ出し、一緒に住むことを提案するが「学校に戻りたい」と言って断られる。 


唯一人、心を通わせて話ができたミケーラのベッドの横に座り、語りかける。

 

「私にもやはり、娘と息子がいるんだ。私は一人っ子だが、子供達もバラバラで、まるで一人っ子だ。王国の領地を分け合う2人の後継ぎだな。だから、今までの私のように癇癪を起すか、君に言われたようにするかだ。覚えてるかい?大人になったら、愛し方を変えなきゃと。次は本を読んで聞かせるよ。昔は食費を削って本を買ってた。勉強できる人間は運が良かったんだ。両親は苦労して私を弁護士にした」 


ロレンツォは、元愛人・ロッサーナの家を突然訪ねた。

 

「それで問題は?」

「いや、君に会いに来ただけだ」

「…愛されてない?」

「恋愛とは違う。別のものだ」

「よく言うわ。昔は陽気だったのに、今は泣き出しそうよ」 

ロッサーナ


再び、ベッドの傍らでミケーラに語りかけるロレンツォ。

 

「もう会うのがダメだと言われたよ…来て欲しくないかい?どうにかここに来てるが、嫌なら言ってくれれば、きっぱりと姿を消す。ロッサーナとも、ある日突然、会うのをやめた。昨日、会いに行ったよ。あの家には戻れなくて。階段やドアを見るのは辛い。ロッサーナに叱られたかった。当てが外れた。女は何でも耐えられる。他の女に乗り換えられても。だが生半可な浮気だけは我慢できない。妻はすべてを知って寝込んだ。そのままずっと、“一人にして”、そう言ってた。ひと月後、亡くなった…君は逝かないでくれ。妻のように」 


この時、ミケーラの呼吸が荒くなり、突然、目を開いてロレンツォを見た。 


慌てて医師に報告するが、診察すると変化はなかった。

 

ロレンツォは医者を罵倒したことで、警察の取り調べを受ける。

 

「記録上、汚点なき過去ではないですね…偽装事故で、詐欺師を何百人も儲けさせてる…」

「正義に見放された者もいる」

「素性を偽って病院に侵入したのも正義のため?それが何の得になるんです?」 


ここで、エレナが父を弁護する。

 

「父は孤独な人間です。2人の子連れの夫婦が隣に越してきて、心を通わせた。それが罪だと?公園で暇をつぶす代わりに。いずれ彼女が目を覚ましたら、誰かが手をとり、何が起きたか話すべきだと思っている」

「たわ言ですよ。娘は私をボケ老人だと思ってるんです。だから庇おうとしている。私を守ろうと」

「だったら、事実を話してください」

「何かできればと。わからないんですか。思いやりです」


「私の気持ちがお前にわかるか!」
 


ロレンツォに強く反駁されたエレナは、返す言葉もなく部屋から出ていった。

 

「警告です。ここには二度と来ないでください」と警察に言われたロレンツォは書類にサインする。

 

ロレンツォは、誰もいなくなった病院のロビーの椅子に座ってもたれていると、元気になったミケーラが笑顔で話しかけてくる。

 

「…無理しちゃいけません。薬は飲みましたか?…お家に帰らないと。私も、もう一般病棟に移れるはず。またお話ししましょう…明日にでも退院を…お帰りを」


「私しかいないのに…」

「何をバカな…ファビオも子供達もいる…ロレンツォさん」 


日中の混雑したロビーで突然目を覚まし、顔を洗って、再びミケーラの病室へ行くと、ベッドは白い布で覆われ、ミケーラは既に亡くなっていた。 


帰りのバスで胸が苦しくなるロレンツォは、途中下車して町を彷徨う。


 

エレナは病院で昨日ミケーラが死んだことを知り、連絡が取れないロレンツォを心配して、サヴェリオの職場に足を運んだ。 


「いつもの雲隠れだ。わざわざ予告するか?」

 

相変わらず、サヴェリオは素っ気ない。

 

「私に黙ってフランチェスコを連れ出したの。私も放っておいた」

「どうして?」

「本当にどうでもいいの?」

「…明日オープニングだし…姉貴は親父のやる事、全部許す気か」

「父親なのよ」

「フランチェスコの父親は?…殴りたければ、殴ればいい」

「やめとくわ」

 

エレナはロッサーナの家を訪ねが、そこにもいなかった。

 

「もう、何処を捜せばいいのか」

「警察には知らせた?」

「いいえ。あの性格なので」

 

エレナはロッサーナにロレンツォと別れた理由を聞くが、ロレンツォが決めたことだと言い切った後、別れたのは母親が死ぬ前だと話すのである。

 

「私のせいでは…」


「知ってる」

「私が事実を話して、母を死なせたと、父は思い込んでいて口を利きません」


「彼は逆にあなたが、口を利かないと。私があなたなら、これ以上悩んだりせず、彼の好きにさせて、忘れるわ。冷たくて身勝手な男よ。“今まで間違っていた。君との人生こそ本物だ”、そう言ってたわ。手に負えない」


「教えてください。父はどこです?来ましたよね?」

「ここだけは来ないね。死んでも黙ってて。知りたくない」

 

エレナは、ロレンツォのかつての仕事場だった弁護士事務所を訪れ、父の痕跡を辿り、サヴェリオのクラブのパーティーに行き、別れた夫ジュリオと再会し、元夫の弁明に耳を貸す気分になれず、心が動くこともない。 

元夫ジュリオ


父親のことが頭から離れないのだ。 



翌日、裁判の通訳をしている傍聴席に、ロレンツォが座ってエレナを見ている。


 
それに気づいたエレナは、アラブ人の証言の通訳をせず、自分の思いを言葉にする。 


「一度も来ていないのに初めて来ました。裁判所に来たのは、初めてなんです。3日間行方不明で、町中捜しました。何を考えていたのか、わかりません。ただ、戻ってくれて嬉しい…アラブの詩人曰く、“幸せは目指す場所ではなく、帰る家だ”。行く先ではなく、後ろにある。帰るのです。行くのではなく。誰もが知っています」


 

エレナは満足そうな笑みを浮かべたが、再びその場を離れたロレンツォを捜し回り、広場の椅子にポツンと座っているのを発見する。 


ロレンツォは隣に寄り添うように座ったエレナの手を黙って握り、エレナもまた握り返すのだった。


 

 

3  「擬似家族」という幻想の行方



 

路傍の餓死者を平気で許容する社会から完全に切れたとき、そこに国民国家による一定の福祉政策のサポートが内側から要請されて、一応、社会民主主義的な国民主権の社会システムが相対的な効果を生み出した。   

 

そんな現代社会にあって、家族の求心力は「パン」の確保のためのものではなく、「情緒」の紐帯の継続的な安寧を確保する方向に流れていかざるを得ないだろう。   

 

「心の共同体」の能力の有無こそが、現代家族の生命線となったのだ。   

 

そこでは、気の合わない家族と共存する思いはより稀薄になっていく。   

 

それがたとえ肉親と言えども、その絆の幻想によって、ぶれることなく自立し得る保証など殆どなくなったようにも思われる。

 

「 血縁幻想の求心力の低下」という問題こそが、現代家族が抱える見えない心理的圧力になってしまったのだ。

 

「相性が合わない」家族との共存が削りとられて、代わって、「相性が合う」友人、知人との共存による「擬似家族」が形成されていく未来のイメージが可視化されていく。

 

まさに、この映画は「擬似家族」が形成されていく未来のイメージに沿った物語として提示される。

 

―― 妻を喪い、成人した二人の子供との関係も疎遠になり、心筋梗塞で入院を余儀なくされた元弁護士の主人公ロレンツォの前に現れたミケーラとその家族。 


人懐っこいミケーラのキャラに狷介固陋(けんかいころう)の老人が親愛感を抱き、彼女の二人の子供の格好の相手になる光景は微笑ましい限りだった。 


気になるのは、ナポリに馴染めないというミケーラの夫ファビオが、時折見せる奇妙な振る舞い。

 

アフリカ系移民に対して取ったミケーラの夫ファビオの行動の異様さに見られるように、成人した大人の品行から逸脱しているのだ。 



「疲れてて、そんな時はすぐにカッとなる。でも、すぐ後悔を」 


孤児となり、祖父母のもとから家出しして放浪していたミケーラと出会って、彼女の心を癒す存在たり得たファビオを最も知る妻ミケーラの弁明である。 


そんなファビオが友達になるために隣の席の子にお金も渡していた児童期のことを話し、今に至っても、我が子に「何を話せばいいのか」と悩んでいて、愛し方が分からないと打ち明けるのである。 


「こうしましょう。私は隣にいる。ノックすればいい」 


これがロレンツォの答えだった。

 

ここまで親身になる関係を構築したロレンツォにとって、「ナポリの隣人」の存在の大きさは、彼が自らの家庭で作り出せなかった「情緒」の紐帯を約束させる「擬似家族」そのものだった。

 

残念ながら、ロレンツォのハイレベルのアウトリーチによってもファビオに安寧を与えられず、ファビオが犯したあってはならない犯罪を止められなかったことで崩れ落ちていく。

 

「擬似家族」という究極の幻想。

 

ファビオとは何者だったのか。

 

映像で重視しない視点だが、簡便に書いておく。

 

町を彷徨い、雑貨屋に入り、消防自動車のミニチュアに歓喜する男。 


自宅でもラジコンで遊び、我が子と一緒に時間を繋げないこの父親は殆ど「幼児退行」の現象を曝している。

 

思えば、10歳の頃、「完璧な親友」になった子を谷に突き落とした「事件」を告白しながら、大学生になって、その山に母を連れて行き、「あれ、ウソだったんだ」と吐露する息子(ファビオ)に対して、「それこそウソだわ」と怒る母との関係の根柢にあるのは、母を山に連れて行った息子の母離れできないリアルな実相だった。 


ことの実相は、親友を谷に突き落とした「事件」など存在しないが故に、ただ母を安心させるために真相を告白したというのが正解ではないか。

 

なぜなら、これほどの「事件」を起こしたなら、その親友が両親に沈黙する理由が考えられないからだ。

 

そんな男が絶対禁止の領域に踏み込んでしまった。

 

「至近要因」(直接的な原因/ティンバーゲンの用語)は分からない。

 

ただ言えるのは、「愛し方が分からない」と吐露する男の絶望が膨れ上がって、無理心中という最悪の事態を誘発してしまったのである。

 

いつまでも母離れできないファビオの脆さは、彼の振る舞いの随所に見られるが、これ以上言及しない。 

【この言葉からも、米国の心理学者ホリングワースの「心理的離乳」(親の保護からの自立)を果たしていない男の脆さが垣間見える】



 映画の基軸になっているのは、彼の母から「辛い話」を聞かされるロレンツォであることは疑う余地がない。

 

見過ごせないのは、ロレンツォがこの時点で「当事者」というスタンスを取っていること。 

ファビオの母親をメディアから守るロレンツォ


この「当事者」というスタンスを有することで、少なくともロレンツォの内側には「擬似家族」という幻想が延長されているのだ。

 

それほどまでに拘泥する「擬似家族」という幻想の行方。

 

何より、生死の境を彷徨うミケーラの蘇生こそ最大の願いであり、自らの〈生〉の拠って立つ在りようだった。

 

だから、寄り添う。


 

寄り添い続ける。

 

寄り添い続け、語り続けていく。

 

そこで何を語ったのか。

 

ミケーラの蘇生に命を懸ける多くの語りの中で重視すべきは、自らの放埒(ほうらつ)な人生で喪ったものへの悔恨(かいこん)の念だった。

 

「女は何でも耐えられる。他の女に乗り換えられても。だが生半可な浮気だけは我慢できない。妻はすべてを知って寝込んだ。そのままずっと、“一人にして”、そう言ってた。ひと月後、亡くなった…君は逝かないでくれ。妻のように」 


梗概でも書き取ったこの語りが、観る者に鮮烈に印象づける。

 

ミケーラ蘇生の強い思いが、辛い記憶を呼び起こしてまで己が人生を回顧する。

 

そのことによって、憂愁に閉ざされ、苛酷だったであろう思春期時代に救い上げてくれた優しき夫ファビオから、恐らく心ならずも被弾したミケーラの痛みを共有せんとして、彼女への寄り添いの時間を繋いでいたのである。

 

救い難い人生の心苦しい記憶を呼び起こしていく時間の重さは、否が応でも脳裏に鏤刻(るこく)された負の時間の重さだった。

 

忘れられないエピソードがある。

 

警察の辛辣な取り調べに対して、「父は孤独な人間です。2人の子連れの夫婦が隣に越してきて、心を通わせた」と言って、ミケーラに寄り添う父の孤独を気遣い、「(ミケーラに対する)思いやりです」と反駁(はんばく)する娘エレナを痛罵(つうば)するエピソードである。 


その時、ロレンツォはエレナの弁護を一言で切り捨てたのだ。

 

「私の気持ちがお前にわかるか!」 


これでまた、父娘の関係はダメになったが、優しさに溢れたエレナの上っ面の言葉を否認するロレンツォの思いのコアにある深い自戒の念は、なお娘の中枢に届いていないのである。

 

「(ミケーラに対する)思いやり」の感情だけで、ロレンツォの寄り添いが体現されていないこと。

 

これが娘に対するロレンツォの痛罵のコアにある。

 

父娘の距離の〈現在性〉の情態が、そこに垣間見える。

 

母の死を早めてしまったのが自分の母に対する口添えであると悩みつつも、母の留守に不倫相手を自宅に呼んだ父の放埓さに対する許し難さが混在して、どうしても埋められない父娘の心理的距離が、それ以外にない決定的構図に結ばれていた。 


但し、ここでも重視すべきは、愛人との別れ=切り捨てが妻の死後ではなく、生前であったこと。

 

愛人より妻の安否を気遣うロレンツォの思いの束が、妻を喪うギリギリの〈状況性〉の渦中に凝縮されていたのである。

 

しかし、時既に遅し。

 

覆水盆に返らずである。

 

ロレンツォの「生半可な浮気」が、却って妻の尊厳を傷つけてしまうのだ。

 

“一人にして” 


この一言が放つ妻の苦衷(くちゅう)は、ロレンツォの内的行程を無化するだけだった。

 

ただ偏(ひとえ) に、ロレンツォの持ち重(もちおも)りの内的時間を累加させ、退色の景色を開いて見せていく。

 

殆ど懲戒的誅伐(ちゅうばつ)のようだった。

 

ミケーラのベッドの傍らに張り付き、祈るロレンツォの総体が震えているのだ。

 

思うに、「血縁幻想の求心力の低下」という問題は、姉エレナを溺愛し、自分への愛が希薄だったと決めつけることで、父に対して冷めた視線を投げかけ、今やアパートの権利問題にしか関心を示さない弟サヴェリオの突き放した行為に現われているが、その父もまた、「私は一人っ子だが、子供達もバラバラで、まるで一人っ子だ。王国の領地を分け合う2人の後継ぎ」などと言ってのけるほど、我が子に対して冷淡な態度に終始するのである。

 

「大人になったら、愛し方を変えなきゃと」とまで吐露するロレンツォの孤独は深いが、長きにわたって馴致してしまった単身生活を変えることができない。


 

そう信じた男が「擬似家族」を仮構し、あっという間に幻想崩壊の憂き目に遭う。

 

あれほどまでに入れ込んだ「擬似家族」の心地良さ。

 

和気藹々という親愛感情を手に入れ、得も言われぬ高揚感覚が瞬時に雲散霧消し、掻き消えていく。

 

最後に縋りついたミケーラの昇天を目の当たりにして、埋めるべき何ものない空洞感だけが老人の自我を食い潰すように広がっていくのだ。

 

気が付いたら彷徨していた。

 

亡妻の死で「口を利いてくれなくなった」と愛人に漏らした男は今、その娘の職場に現れたのだ。

 

かつて経験したことがないような現象に娘は身震いし、周章狼狽(しゅうしょうろうばい)する。 


ただ、そこに笑みが拾われていた。 


この笑みが推進力となって、行方知れない父を探す娘。

 

以下、父の愛人だったロッサーナを訪ねた際の短い会話。

 

「私が事実を話して、母を死なせたと、父は思い込んでいて口を利きません」

「彼は逆に『(エレナが)口を利いてくれなくなった』かないと。私があなたなら、これ以上悩んだりせず、彼の好きにさせて、忘れるわ。冷たくて身勝手な男よ」 


父に裏切られ、ゴミの如く捨てられて毒突くロッサーナの鎧袖一触(がいしゅういっしょく/弱き敵への一撃)だが、その思いを十分に理解する娘エレナ。 


それでも、父捜しの長いようで短い時間の旅を彼女が繋ぐのは、弟とそこだけは異なって、溺愛された幼児期の記憶が生き残されていたからだ。

 

所在がつかめない父親の出現で、即座に動くエレナ。

 

アラブ人の通訳のスポットで身勝手に語り継ぐのだ。

 

「一度も来ていないのに、初めて来ました。裁判所に来たのは、初めてなんです。3日間行方不明で、町中捜しました。何を考えていたのか、わかりません。ただ、戻ってくれて嬉しい…アラブの詩人曰く、“幸せは目指す場所ではなく、帰る家だ”。行く先ではなく、後ろにある。帰るのです。行くのではなく。誰もが知っています」 


興奮冷めやらぬエレナがロレンツォの居場所を捜し出す。

 

広場の椅子にポツンと座る父の孤独が晒されていた。

 

声をかけることなく、隣に座る。

 

手を握られ、握り返すのみ。

 

それだけで十分だった。 


とうに失ったはずの「情緒の共同体」という、小さくとも離せない絆の幻想が復元したようだった。

 

「情緒」の紐帯を約束させるか否か分からないが、娘は今、これを手放したくなかった。

 

それが本来的な父娘の関係に昇華させていけるか、それも分からない。

 

「掌中の珠」(しょうちゅうのたま/宝物)を拾ったというナラティブの壊れやすさを知り尽くしているが故に、今は何も分からないのだ。

 

―― 「言うべきことは言わず、言わなくてもいいことを言ってしまう。血の繋がりだけで、否応無く関わり続けなければならない。家族って、なんて面倒なんだろう。そう思いあぐねる私に「繋がるか繋がらないか、すべては自分次第さ」と解いてくれた気がした」

 

公式ホームに寄せた私の好きな呉美保監督のコメントだが、まさに言い得て妙の表現である。 

呉美保監督


すべては当人次第なのだ。

 

「『ナポリの隣人』は、誰もがかかえる苦しみを、苦しんでいる者の立場で語る物語だ。私たちとて人ごとではない不幸を描き、声高に叫ぶことはせず無限に寄り添う物語だ。映画は、しばしば残酷で謎に閉ざされた登場人物たちの行動を通じて、それぞれの人物がもつ理由づけを見出そうとする。考え方や感じ方が私たちとは正反対にある誰かを至近距離で見つめることは、その人をより理解する助けになる。それはおそらく、私が私自身のみならず他者を信じようとする行為、意図せずとも弱さゆえに間違いを犯しながらこの困難な時代を生きる行為なのだろう。それでもなお、愛そうとする行為なのだろう」 


ジャンニ・アメリオ監督(「ナポリの隣人」公式ホーム)


公式ホームのディレクターズノートから拾った、ジャンニ・アメリオ監督の胸を衝く言葉である。


【参照】心の風景「『心の共同体』としての現代家族の生命線」より

 

(2024年8月)

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