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2023年5月3日水曜日

暗殺・リトビネンコ事件('07) 「銃弾で死ぬか、毒殺されるか」という悍ましい負の連鎖 アンドレイ・ネクラーソフ

 


【本作は、優れた構成力による衝撃的なドキュメンタリーの必見の作品です(筆者)】




1  「どうして彼らはあんなに怒ってるのか。僕が“聖域”を侵したからだ。“集金システム”の暴露だ」

 



「悪夢以上のことがサーシャに起きてしまった」(アンドレイ・ネクラーソフ監督のナレーション/以下、ナレーション)


サーシャとはリトビネンコの愛称】

 

リトビネンコの病室から出て来た監督へのインタビュー。

 

「幽霊のようだった。ショックだ。誰がやったのか!ひどすぎる…ずっと痛みに苦しんでる」 

ネクラーソフ監督


2007年4月末、帰宅した時の自宅の様子を語る監督。

 

「誰かが何も盗まず荒らしていた。冬の終わり頃、英国の捜査当局に今回の暗殺事件で聴取を受けた。あの時は充分話せなかったと今にして感じている。本作が私の証言だ」

 

「彼は毒殺で、世界の注目を集めたが、ロシアでも98年にも“時の人”に。テレビでFSB上司の汚職や殺人指令を告発したのだ」(ナレーション)

 

元FSB中佐リトビネンコらの記者会見の様子。

 

「FSBは賄賂まみれだ」 

リトビネンコ


「この騒ぎは一時的で、彼の名はすぐ忘れられた…99年モスクワで連続爆破。数百名が死ぬ惨事はなぜ起きたのか」(ナレーション)

 

「爆破テロの犯人は、間違いなくチェチェン人どもだ」(モスクワ市長 ルシコフ)

 

【ルシコフは現国防大臣のショイグと共に、政権与党の「統一ロシア」の党首に就任し、強力なプーチン政権与党の結成に尽力】 

ユーリ・ルシコフ(ウィキ)



99年の年末のエリツィンの退陣表明。

 

「去り行くミレニアムの最後の日に、私も大統領の職を去ることにした…ロシアはもう決して、過去には逆戻りしない…」

 

「休戦4年目でチェチェンとの戦闘が再開。チェチェンの同胞に対する人種的偏見ゆえに、我々はこの紛争を“戦争”と呼ばない」(ナレーション) 



ここで、チェチェン紛争の被害者の映像が流される。

 

「2000年末、私の撮ったチェチェン・ドキュメンタリーが、独立系テレビで放映」(ナレーション)

 

会場でこの短編を見てどう感じたかを聞かれ、視聴者の一人が感想を語る。

 

「私は政治学者だが、主張が一面的だ。死んだ子たちの中からもテロリストは育ったろう…」 


監督が持論を展開していく。

 

「戦争と呼ぶ場合は、“多少の犠牲は仕方ない”と言える。一方、我が国の指導者たちにとっては、対テロ作戦の方が都合がいい。だが、こんな対テロ作戦はあり得ない。欧米と比較してどうのこうのではなく、モラルの問題なんだ。国家は報復行為に走ってはならない。テロリストと同じ土俵で戦えばテロ国家になる」 



「私は攻撃の残虐さを非難した。爆破テロの報復だと思っていたからだ。だが、別の疑問が人々の心に潜んでいた」(ナレーション)

 

小さな集会場での上映会での討論会では、一人の母親が戦争には断固反対で、映像を観てショックを受けたと話すが、一方で爆破テロがなければこうならなかったと談ずる。

 

「誰がやったの?いったい誰が?」

 

次にインサートされたのは、リトビネンコが爆破テロはFSBの工作であると告発し、ヒースロー空港(ロンドン)で政治亡命を申請するカット。

 

監督は知人に連絡してリトビネンコの所在を探し、政商ベレゾフスキーの事務所とコンタクトが取ることができた。

 

英上院でも審議会があり、チェチェン問題が議題で、チェチェン指導者ザカーエフが出席して発言する。

 

「我々は平和を望む。同時多発テロの時でもチェチェン政府は共にテロと戦うとすぐに表明した…」 

ザカーエフ


【ザカーエフとは、チェチェン共和国の独立派指導者アフメド・ザカエフのことで、ロシア政府に国際指名手配され、2003年英国に政治亡命して以来、同国に滞在。現在は欧州各地を回っている】 

アフメド・ザカエフ



ここにベレゾフスキーも出席。

 

「90年代、ベレゾフスキーはロシアの有力政治家で、無名のプーチンを支援し大統領にしたが、その後、決裂…2002年11月の寒い夜、ついにリトビネンコの住所を知った」(ナレーション)

 

リトビネンコとの対面。

 

「FSBとは、いったい何をする機関なのか」


「ロシアの諜報部だが、実体は政治的な秘密警察だ。彼らは容赦なく過激な手法を使うスパイ対策やテロ防止のためでなく、政権を維持するための機関なんだ。
99~2000年にかけてのプーチン政権誕生でも、FSBは秘密手法をフル活用した。本来はスパイやテロに対してのみ使うことが許される手法だ。軍部が政権を狙う場合は戦車や大砲を使うだろうが、そんなことをしたらみんなが気づく…ソ連時代のKGBは党の武装組織、そして、現在のFSBは一部の官僚たちの武装組織と言える」 


以下、リトビネンコのインタビュー。

 

「プーチンは大学へ入る前、KGBに協力を志願した。それで利用されたんだ。彼は在学中、級友の密告を求められた。おそらくKGBで最低1年は訓練を受けたろう彼が協力したのは、後のFSBとなる第5局だ。彼らの関心は1つ。“敵対的思想との戦い”がすべてだ。つまり反体制派の弾圧。プーチンの任務は学内で異分子を見つけること。誰が党や政権に批判的か。それを文書で報告する」 


「プーチンは、KGBの元同僚チェルケソフを北西ロシアの大統領全権代理に任命」(ナレーション)

 

KGB前でKGBの解体とチェルケソフの裁判を求める人たち。 

テレビ放送


リトビネンコのインタビュー。

 

「チェルケソフは言う。“反体制派の逮捕投獄は刑事事件として扱った。法に従っただけだ”。新しい社会体制になり、“合法国家”となった。公正な選挙。民主主義。一方、秘密警察はその存在自体が非合法となった。彼らを合法にする方法は、現政権の非合法化だ…自分たちの活動は合法になる。民主国家を非合法にするには?国家を戦争へと駆り立てればいい。チェチェン侵攻計画が練られた。FSBの前身FSKの長官らの主導だ」 


【チェルケソフとはヴィクトル・チェルケソフのことで、「強硬派」を意味するシロヴィキの典型的政治家】 

ヴィクトル・チェルケソフ(ウィキ)



第一次チェチェン戦争におけるFSBが起こしたテロ事件について語るリトビネンコ。

 

「グロズヌイ(チェチェン共和国の首都)に戦車部隊が唐突に派遣されたんだ。当然攻撃され破滅。彼らはエリツィンに言った。“敵が戦争を仕掛けてきました”。和平派の議員団は、戦争を阻止するため、話し合いに出かけようとした。そんな時、また爆破テロ。しかもその前に副首相が、“テロリストが国内に潜入した情報あり”と、不安を煽る声明を出していた。つまり世論操作の後で爆破テロ。最初はヤウザ川で鉄橋が爆破され、シェフレンコ大尉が死亡。その後も鉄道爆破が続く…次にバスの爆破。この時は軍将校ボロビエフが有罪となって逮捕された。鉄橋爆破犯の大尉は『ナラコ』の社員で、そこの社長はFSB工作員。バス爆破犯もFSB工作員。全部FSBだ…戦争を始めたエリツィンは、非民主的で非合法な大統領と化した」 


「戦争も流血も真っ平。呪われろ、エリツィン」

テレビ放送


「自由をくれたと思ったのに!」

 

国民の非難を一斉に浴びるエリツィン。

 

「お前の手は息子らの血にまみれている!」

 

議会でもチェチェンへの攻撃が批判される。

 

リトビネンコのインタビュー。

 

「僕もチェチェンで戦ったよ。壊滅した村で捕虜をとった。尋問したのは17歳のチェチェン人の少年だった。しっかりして知的な教養ある若者だ。なぜ戦闘に加わったのかと聞いてみた。何て答えたと思う?17歳の少年はこう言った。“こんな戦争は嫌いだ。戦いたくない。それでもクラス全員が戦いに出た”それを聞いて僕は大戦の映画を思い出した。当時もクラス全員が前線に出ていった。今、チェチェンの少年たちが同じように戦ってる。これでチェチェンに勝てると思うかい?」 


「90年代は自由だった?テレビ番組は自由に作れた。車で自由に買い物に行けた。そんな自由を喜んでいた。だが新しくて派手な現実の裏まで見通せなかった」(ナレーション)

 

元FSB将校で、リトビネンコの元上司アレクサンドル・グサクとリトビネンコのインタビューが交錯する。

 

「モスクワだけで34の犯罪組織があった」(グサク) 

グサク


「組織犯罪の捜査を初めてその数の多さに驚いた。普通の国でこんな多数の投獄者はあり得ない。まるで犯罪者の国だ。何しろ、成人の50%が服役経験を持ってる」(リトビネンコ) 


「…真面目な男だ。その働き方は献身的とさえ言える。つまり、捜査官として優れた能力を持ち、驚くほど粘り強い。しかも悪と戦う決意や正義感がとても強い」(グサク) 

部下のトビネンコを高く評価する



次に、リトビネンコ夫人マリーナのインタビュー。

 

「彼を利用できると思ってた人たちは、固い壁に突き当たる。そこで憎しみが沸き起こるのね。素直で扱いやすくてしめしめと思ったのに、結果はまるで正反対…彼を敵と呼び始める」 

マリーナ


98年に収録された将校時代のリトビネンコ、グサク、ポンキン、キャスターのドレンコのビデオが流される。

 

そこで、不当解雇でFSB長官を訴えるトレパシキン中佐の逮捕の指令で、黙らせる手法について語られる。

 

そのトレパシキンのインタビュー。

 

上司の命令で悪質な犯罪組織を逮捕・起訴しろと言われるが、「いざ逮捕し始めると、犯罪者を守る“保護網”が登場した…操るのはFSBや参謀本部や警察などだ。そして暗にこう言う。“彼はいいが、彼は釈放だ”。起訴すべきだ。冗談じゃない」 

トレパシキン


【トレパシキンは、FSBの内部改革を求めるが、その後、逮捕されるに至る】 

ミハイル・トレパシキン



再び、4人のビデオでリトビネンコが語る。

 

「つまり、目的は彼の口封じだ。命令に強い不信感を持った…ある年の総括的な会議(97年末)で、上司カミシニコフが“ベレゾフスキーを消せ”と…カミシニコフはあるテロリストと通じ、FSBの捜査情報を流していた…憶測じゃない。証拠もある…そんなとんでもない男が僕にベレゾフスキーを消せと」

 

そのベレゾフスキーへのインタビュー。

 

「社会の本質的なあり方について、こういう仮説が成り立つ。最も効率的な政治システムとは、自己実現のための機会が最大限に、市民一人ひとりに与えられている状態だ。ただし、その際、市民に求められるのは一定の自制だ。とりわけ全体主義だった社会が自由主義社会へと移行するためには、十分な数の市民が納得し自発的に自己規制する必要がある」

ベレゾフスキー



「内面的な制限ですね…自由主義は身勝手と違う…人間が知恵を得るにはどれだけの代償が必要か。古い常識を脱するのは、何と難しいことかと思うよ」


「ロシア人には特に難しいと?」

「ある種の定説だ。ロシア人の精神性には隷属志向がある。だから統制社会を喜んで受け入れる。私も矛盾してるよ。自由主義を提唱しながら、一方でこう言うなんて。ロシア人は本来従属的で自由に慣れていないと。自由社会の自己責任をこれから引き受けられるだろうか。私は大丈夫だと思うよ。一党独裁が消えた後。ほんの10年で多くの起業家が出てきた。無党派の政治家も増えたし、ジャーナリズムも昔とは別物だ。歴史的な大きな1歩をロシアはもう踏み出せる。今の自由と独立の精神を強固にすることが課題だ。ところが現在の政権は、逆に自由を壊してる。ここが重要な点だ。上位下達の権力構造、メディア支配。こんなことをしてたら、ロシアに芽生えた自由精神は破壊されてしまう」 


【オリガルヒの代表的人物ベレゾフスキーは、プーチンと敵対し、英国に政治亡命した後、2013年に変死する。死因不明と記録されるが、暗殺と見做されている】 

ボリス・ベレゾフスキー



キャスターのドレンコの取材を受けた時、映像の公表は死んだ時のみと取り決められていた4人のビデオが、8か月後にテレビで放映された。

 

そのビデオでリトビネンコが語る。

 

「公安の人間がテレビに出るべきではない。だが今、そうせざるを得ない。死は恐れていない。恐れるなら、こんな仕事はしてない。無論、妻と子は心配だ。とはいえ、たとえ危険を冒しても、今腐敗を止めなければ、世の中はスターリン時代よりもひどいことになる」

 

現在のリトビネンコ。

 

「FSBの上層部は、ほとんどが恥知らずで、しかも不可能はない。あの時のFSB長官がプーチンだった。言うしかない。無論止められた。“告発などやめろ”。やめれは出世させてやると。喜劇的ですらあったよ。“何が不満だ。他の仲間を見習え。年軒か店を見つけ脅して賄賂を取れ。月5000ドルは稼げる。だからバカなまねはよせ。適当な店がなければ、我々が探してやる”…副局長は興奮のあまり、ほかの同僚もいるのに、こう罵った。“ユダヤの政商一人殺す愛国心もないのか。国の富半分を盗んだ男だぞ”」

リトビネンコらの告発の記者会見



監督に語るリトビネンコ。

 

「反乱だ。まさに反乱。しかも公安機関の部署でだ。FSB全体が固唾を呑んだ。こんなのは前代未聞だろう。しかも、そこは最も秘密にすべき殺人専門の部署だ」 


「問題なのは、彼らも98年のあの時、市民としてまっとうな勇気ある行動をした。犯罪行為をきっぱり拒否したんだ。上からの命令は絶対という立場にいながら、その組織に逆らった。彼らは僕と手を携え、肩を組んでくれた。それには感謝してる。6人の中には勤続25年以上のベテランもいた。それでも声を上げ、組織の過ちを指摘した。だが国は、その声に耳を傾けるどころか、我々を潰しにかかった」

 

今度はリトビネンコの行為を一刀両断する、FSB長官プーチンの会見。

 

「彼は刑事上の責任がロシア連邦に告訴された。容疑は職権乱用で拘留時の市民への殴打。さらに窃盗容疑…爆発物の窃盗だ」 


しかし、法廷で「今回挙げられた起訴事実は、すでに以前捜査されたものであり、いかなる証拠も見つかっていない」と無罪判決を受けたその直後、FSBから再逮捕・連行されるのだ。

 

以下、リトビネンコを慕う、彼の部下のインタビュー。

 

「…彼は立派な人だ。俺は途方に暮れてる。連中は嘘の証言を俺から引き出して、彼を有罪にしようとしてる。だけど恩人を刑務所に送れるか?彼のおかげで俺はまともになれたんだ。“金だけで動くな。ローマ、まっとうな道を行くんだ。悪党やクズになるな”って。今俺は追われてる…ギャングからも国からも追われてる。頼る人もいない。もうおしまいだ」 



記者会見に出た仲間は、次々に潰されていく。

 

上司のグサクは殺人容疑で逮捕され、リトビネンコを裏切る言辞を発する。

 

「4年間審問を受けた。私はすべてに答えたし、有罪になってない…私がリトビネンコをどう思ってるか?ただのクズだ」 



リトビネンコのインタビュー。

 

「信じてる人は結構いるんだ。FSBは人殺しをやると。僕も友人に言われた。“暗殺はよくあるんだろう。なぜそれで騒いでるんだ?”…そのことで彼らを責める気はない…FSBはあらゆる手を打ってきた。組織の総力を上げて叩き潰しにきたんだ。その手法はどれも、かつてKGBが得意としていた名誉棄損、恐喝、脅迫、証拠捏造、事件のでっち上げ。FSBという巨大な戦車が反乱者を潰し始め、何人かは粉砕された」 



2003年に逮捕されたトレパシキンが、別の監獄へ移送される前に電話で話ができた。 



「例の記者会見で覆面をしてた男は、投獄されるのを逃れるために、元の課に連絡を取った。先方はこう言った。“リトビネンコ潰しを手伝うなら許してやろう”」 

トレパシキンと電話するネクラーソフ監督



リトビネンコのインタビュー。

 

「最初の裁判で僕を無罪にしてくれた裁判長にも、FSBは働きかけた。彼が拒むと、こう脅された。“無罪にしたら、次はお前だ”。この裁判長は解任され、左遷された。次は従順な判事が選ばれ、こう言われた。“3年だ。執行猶予でもいい。とにかく必ず有罪にしろ”」

 

「執行猶予付きで3年かな…逃げる必要はない」(プーチン)


 

リトビネンコのインタビュー。

 

「“裏切り者は必ず殺す”。僕は彼らの敵になった…逃げることにした。なぜか?息子がいるからだ。あの子も殺されかねない。6歳の息子を見て考えた。僕はどうなってもいいが、彼を守ることが最優先だ」 



トレパシキンの裁判について、リトビネンコは語っていく。

 

「各裁判所にFSB将校がいる。“法衣を着たFSB”だ。“いいかね。彼は刑務所に行くべきだ”。無理があって判事が渋ると、“上がそう言ってるんだ。その方は恩を忘れない。いいアパートに住みたくないかね”そこで判事は思案する。確かに今の給料は安い…そして判事は“有罪”と書く。一丁上がり。これで彼は“お仲間”になる。万事言いなり。賄賂も取る。こうしたことはすべて逐一FSBに報告される。次にFSBが彼を訪ねてきて、報告書をちらつかせ、“でも君は忠実だから忘れよう”と(紙を破る仕草をする)」 


リトビネンコは言い切った。

 

「どうして彼らはあんなに怒ってるのか。僕が“聖域”を侵したからだ。“集金システム”の暴露だ」 


「プーチンのロシア」という国家の本質を射抜くリトビネンコの極めつけの言辞である。

 

 

 

2  「真の改革の可能性や自由への努力があった。だが帝政時代もソ連時代も、今現在もほとんど独裁国家だ」

 

 

 

チェチェンで中隊長が総長と組んで弾薬を売っていると話す、元ロシア軍兵士の証言。

 

「チェチェン人に酒や麻薬と交換でね。何でも売り物になる…PTUR(対戦車誘導ミサイル)は人気があって、よく売れたな。中隊を売って金を得た将校も…敵の指定地に隊を派遣して襲わせる。FSBは特にひどかったな。労働力が欲しいチェチェン人がロシア兵に目をつけて、ロシアの指揮官の所へ商談に来た。“2000ドル出すから、こういうの2人くれ”。指揮官は2人を装甲車に押し込んで売り渡した。FSBも兵士を奴隷として売ってたんだ」



「第二次チェチェン戦争勃発は、プーチンが“強い大統領”像を模索してた時期と重なる。軍は手段を選ぶなと指示され、チェチェンをうち負かして支配下に置くために、グロズヌイや他の町や村を破壊。罪のない一般市民にも多大な犠牲が出た」(ナレーション) 



戦争犯罪が専門の著名な弁護士、ビル・バウリングのインタビュー。

 

「99年最も深刻なケースがグロズヌイで起きた。郊外へ避難しようとした人々の車列が故意に爆撃された。どう見ても戦争犯罪だ。もし本気で戦争犯罪を問う気があるなら、ロシア国防省や大統領を取り調べるべきだ」 

ビル・バウリング



「アンナ・ポリトコフスカヤ。チェチェンの戦争犯罪を報道・告発してきたが、世界の無関心の壁は厚い」(ナレーション) 

アンナ・ポリトコフスカヤ



以下、アンナのインタビュー。

 

「悪い冗談のような事件もある。兵士が女性に“500ルーブル出せばレイプはしない”。これほど堕落してるのよ。あきれるしかないわ。だってレイプしに来たのに…500ルーブルで性欲が消える?女性の側から見ればとんでもない話よ。悪夢ね…劇場占拠事件の犯人の1人が、今、プーチン政権で働いてるの。衝撃の事実よ。犯人はチェンチェン人のはずが…実は複雑な裏があると、記事を読めばわかる。書いてて、吐き気がしそうだったわ。おぞましい肥溜めに迷い込んだ気分。クソまみれよ。これを掲載すれば、大騒ぎになると思った。世間がこの新事実を知れば」


「政府関係者が犯人を手引き?」

「今日は月曜日で、新聞は朝早く店頭に出る。今は昼過ぎよ。世間は無関心…あの悲惨なテロがヤラセだったのに。政府も平気な顔よ。何の抗議行動もないと見通してる。集会もデモも危険なことは何もない。彼らは安泰ってわけ。私たちの苦痛や苦悩を、悠然と高みから見下し、こう思ってる。“好きに書くがいい。必要なら消すが、今は生かしておいてやる”」 

この後、「消される」ことになるアンナ・ポリトコフスカヤ



監督は、アンナが投稿した独立系新聞「ノーヴァヤ・ガゼータ」を求めて、サンクトペテルブルグの街の新聞販売店足を運ぶが、何軒探しても置かれていない現実。 



「政権批判した記者が殺される。1人また1人、ジャーナリストが…犯人は暗殺の専門部局にいる」(リトビネンコ)

 

ここで、数々の暗殺の映像が流されていく。 



以下、監督の疑問に対して、リトビネンコは答えていく。

 

「心ではどうしても受け入れられない。同じロシア人がアパートに爆薬を仕掛け、同胞を殺してしまうなんて」

「世論調査では50~60%の人がアパート爆破についてFSBの仕業だと思ってる。一方、FSB側が否定する論拠は1つ。“我々には不可能なのでやってません。以上”。説得力は皆無だ。KGBやFSBの歴史を見れば、その主な任務がテロ活動だったと分かる。アンドロポフ元書記長はテロの専門家だ。テロの伝統を持つ機関が現実にあって、テロ行為が起きたら、普通真っ先にどこを疑う?“我々に不可能だ”なんて。FSBにできないわけがないだろう。FSB長官のパトルーシェフは、過去にさまざまな犯罪の痕跡がある。それはプーチンも同じだ。麻薬取引の捜査対象だったことも」

「いつのことだ?」

「2000年の大統領選直前まで、コロンビアの麻薬組織とつながりがあった…」 


【アンドロポフとは、ソ連共産党中央委書記長、KGB議長を歴任した秘密警察のトップだった人物。また、パトルーシェフとは、プーチンの最側近の人物ニコライ・パトルシェフ安全保障会議書記のことで、ボルトニコフFSB長官と共にウクライナ侵略をプーチンに進言したことで知られる】 

ユーリ・アンドロポフ(ウィキ)


ニコライ・パトルシェフ(ウィキ)


アレクサンドル・ボルトニコフ(ウィキ)



プーチンと麻薬組織との関係を露わにしたリトビネンコの衝撃的な暴露は、「ドイツ・コネクション」についての証言で明らかにされていく。

 

ロシア・マフィアに詳しいジャーナリストのロス氏の証言。

 

「SPAG社にドイツ当局の捜査が…捜査は1日中行われたのだが、昼ごろ、そのことがドイツ首相の耳に入り、同日中にロシア内務省に情報が行った。これは異例のことだ。それ以前にもフランクフルト検事局は、捜査を辞めさせようとしていた。なぜならプーチンが関係してたからだ。結局、全捜査が打ち切られた。すべての始まりは、ある報告書だった。それはドイツ情報局のもので、SPAG社の資金洗浄疑惑や、ロシア犯罪組織に関する報告書だ。カークパトリック検事は捜査を始めた。すぐに資金洗浄の事実が確認され、さらにロシアの犯罪組織とプーチンのかかわりも判明した。SPAG社設立の93年の半年間、プーチンは役員を務めた。その後2000年までは同社の顧問だ。その間の98~99年FSB長官も務めている…彼が得たと疑われた莫大な額の資金は、使途不明金だ」


「それは事実ですか?」

「法廷でも認定された。調べれば分かるが、彼のドイツとのつながりは長いんだ。私の持ってる東ドイツ時代の諜報関係リストには彼の名もある。当時から諜報の世界と深くつながっていた。犯罪絡みも含めてね。秘密警察のシュタージ―(シュタージとも/筆者注)。汚職だけじゃない。いろいろ。誰も話したがらないが、それ以上にスパイとか破壊工作だ。“いかに政敵を倒したか”」 


「実際にプーチンは、金属基金の横領で捕まってる。90年代初め、ペテルブルクで」(リトビネンコ) 


「“資源で食料を”という市の事業だ。91~92年の冬に各社は食料輸入のため、金属輸出を要請された…ペテルブルク市議の特別調査団は、プーチン率いる渉外委員会の活動実態調査を終えた。貧困層を救う食料事業を統括したのがその渉外委員会だった。調査報告も市議会決議も当時公開されたが、その後、消失。インターネットからも…」(ナレーション)

 

食料配給を受ける市民たちの声。

 

「大戦時に包囲されて兵糧攻めにあったわ」

「…あの時、敵だったドイツ人に養ってもらってる」

「今ごろ、こんな目に遭うなんてね。戦後でさえ2年で生活はよくなった…今は平和で戦争も地震も洪水もないのに、飢えに苦しんでる。どうして?ずっと真面目に働いていたのに」


 

配給所を運営するのはマルタ財団(慈善財団)で、ドイツの支援団体で市ではなかった。

 

「事業関係者は、食料輸入などやる気がなかったのだ…“勧告 市の検察当局に本件を報告すること プーチン氏を解任すること”。2000年3月18日付の文書に調査団長M・サリエは書く。プーチンの委員会のせいで市は9200万ドル相当の食糧を受けとれなかった。しかし調達事業の使途不明金の総額は、8億5000万ドルに上る」(ナレーション) 



「無名のプーチンが出てきても、“大統領になればわかるさ”と。泥棒かもと疑われてる人物が英国で首相になることはない。これはモラルの問題だ」(リトビネンコ) 



シラク(ド・ゴール主義者で知日派・親中派の大統領)からプーチンに勲章レジオン・ドヌール(ナポレオンによって制定された起源を持つフランスの最高勲章)が授与。

 

全くの私的行事であり、フランス側のカメラは入っておらず、プーチンがカメラを連れて来てロシアで放送される映像がインサート。

 

「シラク退任演説の夜、哲学者A・グリュクスマンを訪ねた」(ナレーション)。

 

以下、・グリュクスマンのロングインタビュー。

 

「プーチン政権は政商・新興財閥の政権だ。石油を売って、莫大な富を得ているわけだ。一方、人口の50%は最低ライン以下の暮らし向きだ。つまり不当利得者の政権。いろんな資本主義の中で最悪の形態と言える。もし、あれが社会主義なら、これまた最低最悪だ。秘密警察の存在。表現の自由の不在。軍の力。とはいえ金持ちの中から、世の中の自由を強力に擁護する者も出てきた。人権や社会保障の支持者たちだ。今は不遇のホドルコフスキーとか。だから、貧しい失業者を支援するだけでなく、ホドルコフスキーのような者を支援する必要がある。彼は資本主義者だが自由主義だ。他方、抑圧者たちは非難すべきだ。ロシアは帝政時代のような状況に逆行しつつある。もちろん時たま、真の改革の可能性や自由への努力があった。だが帝政時代もソ連時代も、今現在もほとんど独裁国家だ。プーチンの言う“縦型権力”。それが今の姿だ。危険なことだと私は思う。虐殺が行われ、それを誰も口にできない状況の、チェチェンだけでなく、抑圧されたロシアにとっても、欧米にとっても危険なことだ…指導者だけじゃない。これは病のように広く蔓延する。オーストリア人作家ブロッホは、1945年に、こう聞かれた。“ドイツにいるのはナチばかりですか?”彼は違うと答えた。彼いわく“いるのはナチと、ナチ権力を握るのを許した人々だ?” それは全ヨーロッパ人も含む。つまり無関心という罪だよ。根源的な罪だ。それがナチの犯罪を促した。実際に犯罪を行ったのはナチと、その周辺の人々だ。ごく一握りの人間たちだ。だが、ナチ政権を誕生させ、その後の暴虐を招いたのは、人々の無関心のゆえだった。これは全体の罪だ。他国の指導者や国民も同罪と言える。無関心の罪とは目をつぶることだ。その時、犯罪行為が始まる」 

A・グリュクスマン



・グリュクスマンとは、アンドレ・グリュックスマンのことで、一貫して独裁政治を糾弾し続けたユダヤ系のフランスの哲学者。またホドルコフスキーとはミハイル・ホドルコフスキーのことで、石油会社ユコス社の元社長のオリガルヒの代表的人物。プーチンと対立し、脱税などの罪で逮捕・起訴され、禁固9年の実刑判決でシベリアの労働収容所に収監後、ロンドンで事実上の亡命生活を送っていて、現在、ウクライナ侵略を糾弾し続けている。ロシアの民主化を訴えて「プーチンが恐れた男」と称される】 

アンドレ・グリュックスマン(ウィキ)

ミハイル・ホドルコフスキー(ウィキ)



直後の映像はロシア至上主義を標榜する犯罪行為。 


転じて、「プーチン辞めろ!ここは我らの街!」のシュプレヒコール。

 

ペテルブルク市長のソ連時代共産主義青年団のリーダーだったマトビエンコは、平和的な左派デモでさえ強制排除する映像が流されていく。 


【マトビエンコとは、ワレンチナ・マトヴィエンコのことで、2003年までロシア連邦副首相の座に就き、現在、ロシア連邦院議長を務めていて、ロシアで最も人気のある女性政治家の一人とされる】 

ワレンチナ・マトヴィエンコ(ウィキ)



「“反乱”。自分の行為を彼はそう表現した。反乱を潰されたこと以上に、モラルが通じないことが哀しい。彼はモラルの意味を問い続けた…正義でなく専制が世の中を支配したら?だが彼は正義を信じ、あきらめを拒んだ。真実の存在を信じ続けた。だが反乱なしに、真実は得られないとも知っていた。すべてを犠牲にしかねないことも」(ナレーション) 



「何もかも話した」と言って、ハイタッチするリトビネンコと監督。 



リトビネンコの病室での夫人の回想。

 

「普通の人間が納得できる?ロンドンで誰かに毒を盛られるなんて。彼も危機感は持ってたわ…でも言うのと、実際起こるのとは全然違う。ポリトコフスカヤは殺されたけど、あれはロシアでのことよ。英国ではあり得ない。彼も自分より、むしろ他の人を心配してた…」 


ロシアテレビのニュース。

 

「リトビネンコは小物だ。気にかける必要もない」


「倒れる直前に会ったのは、元FSBのルゴボイと同僚コフトゥン。捜査当局はルゴボイがお茶に放射性物質ポロニウム210を混入したと」(ニュース解説)

「思わず言ったよ。“ここだ。逃げも隠れもしてない”。声明文を用意して、英国の捜査官とも会った…ポロニウムという物質はアルファ放射線を放つ。これは透過性が低い。手や顔など、体のどこかの服についたとしても皮膚を通過することはない。そういった意味は害がない物質だ」(ルゴボイ容疑者) 


【日経新聞は、その後のルゴボイについてプーチン政権は容疑者の身柄引き渡しを拒否し、事件後に下院議員に選出されたルゴボイ氏に「祖国への貢献」を理由に勲章を授与している」と報じている。この「祖国への貢献」という受勲によって、ルゴボイが犯人であることが自明となるだろう。因みに、ルゴボイが所属するのは極右ロシア自由民主党。(2018年3月7日


「彼は正教会で洗礼も受けたし、実際、生涯ロシア正教徒だった…連帯を阻害してばかり。でもサーシャは違う」(マリーナ夫人)

 

リトビネンコの父へのインタビュー。

 

「大事な話だ。僕はイスラムを受け入れた。私は見舞いに聖像を持ってきてた…信仰も神もひとつ。人は等しく神のしもべ。サーシャの地上での使命だったんだ。つまり、キリスト教徒とイスラム教徒を和解させ、プーチン政権とその手下の残忍なテロ行為を暴く使命だ」 

リトビネンコの父


真っ黒な顔で、虫の息のリトビネンコが横たわるベッドの傍らで俯(うつぶ)す監督。 


プーチンの会見。

 

「リトビネンコ氏は不幸にも力尽きた。残念なことに、人の死という悲劇が政治的挑発に利用されている」 


「政治的挑発?何の話?1つだけ教えて。ポロニウムはどこから来たの?それだけ」 


マリーナ夫人の静かだが、それ以外にない否認の意思表示だった。

 

ラストは、ごく普通の家庭人として、キッチンのテーブルを拭いたり、妻と息子と仲睦ましく過ごしたりして、在りし日のリトビネンコの姿が映し出されていく。 


 

 

3  「銃弾で死ぬか、毒殺されるか」という悍ましい負の連鎖

 

 

 

ジョニー・デップがプロデュースしたこの映画を観れば、政権初期の時代に流布した「プーチン善玉論」が如何に虚像であるかが理解できるだろう。 

ウラジーミル・プーチン



この期に及んでも「プーチン善玉論」にしがみつく一部の政治家・文化人を覆う洞察力の致命的欠如と、膨れ上がった「確証バイアス」の救いがたさに言葉を失うほどだ。

 

映画でも描かれていたように、90年代初めに、プーチンが「金属基金の横領」で逮捕されている過去がある事実(残念ながら資料は当時公開されたが、その後、消失。明らかにプーチンの仕業)を推量すれば、2020年12月に法案発効された、大統領経験者は生涯にわたって刑事免責されない「大統領経験者の免責特権」という事例は相当のリアリティを有するのである。 

ロシアの犯罪組織とプーチンの関わりを指摘するジャーナリストのロスの証言


プーチンは大統領経験者の免責特権を定めた改正法案に署名した



大統領就任直後から元KGBの仲間たちを重用して、メディア支配と人権侵害、エリツィン時代に生まれた「オリガルヒ」の追放、そして、自国民にナショナリズムを煽り立て、異を唱える者への暗殺など、容易に崩れない強固な警察国家を構築してきた男。 

ルースキーミール(ロシアの世界)



それがプーチンの実像である。

 

敵は抹殺する。

 

プーチンは大統領に就任したとき、政府から汚職を排除することを約束した。

 

常に敵を見下ろすという強硬な姿勢が、ホドルコフスキーやネフズリンといったオリガルヒを矢継ぎ早に逮捕・追放する手法が常套手段と化していく。

 

これが、プーチンという男の権力の維持・強化を守るための絶対ルールである。

 

異を唱える者は消されるのだ。

 

だから、多くの犠牲者のラインが止まらない。

 

2006年10月7日、モスクワのアパートのエレベーター内で、一人の女性の射殺死体が発見された。

 

彼女の名は、プーチン批判の急先鋒だった気鋭のジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤ。 

アンナ・ポリトコフスカヤ(ウィキ)



その彼女は映画のインタビューの中で、呆れるように言い切っている。

 

「兵士が女性に“500ルーブル出せばレイプはしない” あきれるしかないわ。だってレイプしに来たのに…500ルーブルで性欲が消える?女性の側から見ればとんでもない話よ。悪夢ね」 


そして、監督自身も驚愕する現実が、ポリトコフスカヤによって明らかにされる。

 

「劇場占拠事件の犯人の1人が、今、プーチン政権で働いてるの。衝撃の事実よ。犯人はチェンチェン人のはずが…実は複雑な裏があると、記事を読めばわかる。書いてて、吐き気がしそうだったわ。おぞましい肥溜めに迷い込んだ気分。クソまみれよ。これを掲載すれば、大騒ぎになると思った。世間がこの新事実を知れば」 

モスクワ劇場占拠事件/画像は、事件後に病院に収容された生存者を見舞うプーチン(ウィキ)


占拠事件があったモスクワの劇場で犠牲者の遺影に見入る人々



「反テロ戦争」というチェチェン紛争が、プーチンの自作自演の戦争であったことは、リトビネンコの証言で明らかにされているのだ。

 

30%の支持率しかなかったエリツィン政権末期の首相プーチンが、「強い大統領」になるために仕掛けた第二次チェチェン紛争の、その度し難いほどに腐り切った時代の風景。 

第二次チェチェン紛争戦場跡




リトビネンコの証言で暴露された、この「反テロ戦争」を取材し、「プーチンの悪」を糾弾し続けたことで毒殺未遂に遭い、その果てに殺害されたアンナ・ポリトコフスカヤ。

 

彼女が手記で残したように、「銃弾で死ぬか、毒殺されるか」という悍(おぞ)ましい負の連鎖は、ポリトコフスカヤ暗殺直後に起こったリトビネンコ事件で世界を震撼させることになる。

 

「欧州人権裁判所は2006年に元ロシア情報機関員アレクサンドル・リトビネンコ氏=当時(43)=が英ロンドンで毒殺された事件について、『ロシアは暗殺に責任があった』と認定し、ロシア政府に対し計12万2500ユーロ(約1600万円)をリトビネンコ氏の妻に支払うよう命じた」(「『ロシアに責任』と認定 リトビネンコ氏毒殺で欧州人権裁」AFP時事

 

アレクサンドル・リトビネンコ元FSB(ロシア連邦保安庁)職員の中毒死事件(放射性物質のポロニウム210の大量検出)は、英国亡命後に、彼がチェチェンに対するプーチン政権の実態を暴露したことで起こった「約束された事件」だった。 

放射性物質ポロニウム210で毒殺されるアレクサンドル・リトビネンコ。画像はロンドンの病院で治療を受けるリトビネンコ

告発時のリトビネンコ



彼の訴えは映画の中で繰り返されている通りである。


【ここでは、忠実を正確に再現した話題の英国ドラマ「リトビネンコ暗殺」(ジム・フィールド・スミス監督/2022年12月にスターチャンネルで放送)から、アンナ・ポリトコフスカヤに関わる冒頭の一部をピックアップしてみる。 

リトビネンコ暗殺


英国籍を得た直後、毒を盛られるリトビネンコ。 

英国籍を得て喜ぶリトビネンコ家族


「夫は今回の件を全世界に知らせたがってる。私も具合が悪い。私たちは一心同体なの」とマリーナ(リトビネンコ夫人)。 



以下、ロンドン警視庁の担当官のリトビネンコの事情聴取。

 

「誰が暗殺を命じたのか分かりますか?」


「ああ。誰が命じたのか分かってる」

「名前は?」

「その男は FSBの元長官だ」

「元?」

「今は長官じゃない」

「名前は?」


「ウラジミール・プーチン」


「あなたがロンドンで接触したリストを作りたい。実行犯特定のために」

「ロンドンに来て同胞と接触した」

「どのような同胞?」

「私の祖国の敵。アレックス・ゴールドファーブ(ロシアから脱出した反体制科学者/筆者注)。ボリス・ベレゾフスキー。チェチェンからここに来てた女性。アンナ・ポリトコフスカヤ」

「彼女も政敵?」

「多くの記事を書いたせいだ。プーチンを批判してた。チェチェンの紛争にも批判的だった。彼女は10月に帰国した。モスクワに戻って殺された」

「殺された?」

「計画的殺人だ。全メディアに告ぐ。私の友人、アンナはロシアに殺された。ウラジミール・プーチンに。誰かが言うべきことだ」


「殺されたのは、今年の10月?」

「10月7日。プーチンの誕生日」 



リトビネンコはアンナ・ポリトコフスカヤとロンドンで会っていたのである。

 

これは、私には驚きだった。

 

2006年11月1日にロンドンで放射性物質のポロニウム210を盛られ、11月23日に急性放射線症候群で死亡したリトビネンコ。

 

最もプーチンに批判的だった二人の良心的ロシア人が、ほぼ同時期に、残酷な手口(ポリトコフスカヤは4発の銃弾を浴びて射殺)で殺害されるに至ったのである。

 

ロシアでは、政治家や記者の殺害が「誕生日プレゼント」に合わせるケースがあると言われているが、これを本当に実行するロシアの「暗殺ルール」に今更ながら慄然とする】

 

 ―― 以下、「プーチンの悪」について、軍事ジャーナリスト・黒井文太郎の「『21世紀最凶の殺戮者』 プーチンがもたらす憎悪の世界」という記事の一部を引用する。

 

【国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」の調査では、一般住民の死者2万5000人に加え、おそらく死亡したであろう行方不明者が5000人。

 

つまり計約3万人もの一般住民が、プーチンが命令した戦争により殺害された。

 

また、2018年時点でもう7年も続いているシリア紛争では、もっとも現地情報を集積しているNGO「シリア人権監視団」によれば、プーチンの命令でロシア軍が直接殺害したシリアの一般住民は、身元が確認された人だけで約7000人。 

シリア北西部のサルミーンで、政府軍が発射したミサイルの残骸の周りに集まった人たち/シリア人権監視団


ただし、ロシアの支援によって生き延びたアサド独裁政権陣営が一般住民を少なくとも12万8000人以上を殺戮しているので、合わせて13万5000人以上ものシリアの一般住民の犠牲者は、プーチンが殺したようなものだ。 

シリア内戦犠牲者


シリア内戦犠牲者


他にもグルジア(ジョージア)戦争や、今も続いている東ウクライナでの紛争などを含めれば、プーチンは数十万人もの命を平然と奪っている21世紀最凶の大量殺人犯にほかならない。 

南オセチア紛争



そんな人殺しのプーチンの特徴は、平然とウソがつけることだ。

 

クリミアにロシア軍を送っておきながら「ロシア軍の兵士はひとりもいない」と断言し、シリア空爆に踏み切る直前まで「軍事介入などしない」と宣言。

 

シリアではその後も一般住民を殺戮しまくっているが、一貫して「攻撃対象はテロリストだけ。一般の住民はまったく攻撃していない」と平然とウソをつき続けている。

 

目的のためには殺人も平然と行い、平然とウソもつく。

 

ウソまみれの宣伝で自国民を洗脳するばかりか、ウソを拡散して世界を操ろうとする。

 

プーチンの情報機関は、米大統領選のときにSNSでニセ情報を拡散して介入したことにとどまらない。

 

イギリスのEU離脱やスペインのカタルーニャ州分離独立騒動でも大規模な扇動工作をしていたことが判明している。 

カタルーニャ州独立騒動



また、欧米各国で移民排斥、宗教差別、極右運動を扇動し、社会の分断を図っているが、欧州の極右勢力には直接、資金投入して工作をかけていることもわかっている。

 

これは、冷戦時代にKGBが正式な作戦として米帝国主義陰謀論やユダヤ陰謀論などを西側メディアに仕掛けたり、西側の左翼組織に極秘裏に資金を投入したりといった裏工作をしてきたことの、まさに再現だ。

 

冷戦当時はもっぱら左翼が工作対象だったが、現在、ロシア情報機関に操られているのは右翼が多い。 

FSBはロシア国内の防諜活動を、日本での諜報活動はSVRとGRUが担う



欧州の極右などは軒並み反米で、プーチン支持者になっている。

 

私たちがネット上で日々接している言説でも、社会の憎悪を煽るような情報は、その出所がロシア情報機関発のフェイクニュースであることが珍しくない。

 

プーチンは権力を手に入れた瞬間からロシア国内で強権的な支配を一貫して強化してきたが、2010年代からは世界にもその邪悪な手を本格的に広げてきた。

 

今後も抵抗する者たちは暗殺され続け、紛争地の罪なき人々は虐殺され続ける。そして社会には悪意のフェイクニュースが溢れ、差別や憎悪が広がっていくことになる】

 

本稿の最後に、アンドレイ・ネクラーソフ監督のインタビューの言葉を引用したい。

 

「FSBはいま、過去の政治弾圧とは関係ないような顔をして活動していますが、実際には弾圧を実行する組織がずっと存在し続けている。なのに、一般の人々が気づかないのが、不思議でなりません。(略)エリツィンの時代は、貧富の差が広がり、経済的には悲惨な状態にありましたが、民主的な社会を作ろうとする動きや報道の自由はありました。ところが今は、物質的には豊かになり、国民の生活レベルは上がってきましたが、精神的には非常に貧しい状態にあり、将来に対する希望がないという現実があります」(アンドレイ・ネクラーソフ監督インタビュー) 

ネクラーソフ監督とリトビネンコ元夫人(カンヌ映画祭で)



この言葉の解の基本ラインは映画の中で網羅されているので、説明不要だろう。

 

―― 「プーチンの悪」についての詳細は、拙稿「プーチンとは何者か」を参照されたし。                  

 

プーチンとは何者か」より



【ここまで読んで頂いてありがとうございます】

 

(2023年5月)



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