1 アナーキーな「戦争」に巻き込まれた、「疑似家族」の憂愁の時間の果てに
内戦下のスリランカで決定的に敗北した、反政府運動を展開する「タミル・イーラム解放の虎」(以下、LTTE。詳細は後述する)の戦士・ディーパンが、難民キャンプで、26歳の女性・ヤリニ、そして、内戦で母親を喪い、孤児となった9歳の少女・イラヤルと、海外渡航の斡旋業者の介在で「疑似家族」を結び、従兄弟(従姉妹?)がいる英国行きを望むヤリニの思いと裏腹に、フランスに渡航する。
その間、難民審査の場で、ディーパンの素性がLTTEの戦士であると知った通訳の指示に従い、政治難民として認知され、審査が通る。
三人は、パリ郊外にある団地に住むが、フランス語が話せないディーパンは、団地の管理人になる際に、フランス語が少しばかり理解できるイラヤルの助けもあり、清掃や郵便物の仕分け、出納長への経費の記載などの仕事を任される。
そのイラヤルは学校に入り、フランス語を学ぶために外国人用クラスに編入される。
しかし、クラスの仲間に溶け込めない少女は仲間外れにされ、相手の少女を突き飛ばしてしまうのだ。
この時点で、イラヤルだけが、新しい生活に馴染めないでいる。
一方、差別を恐れて外出するのを嫌がっているヤリニに対し、ディーパンは仕事をするように求めたが、同じ団地の住民・ユスフの仲介によって、ハビブという老人の家の家政婦として勤めることになる。
働くことで、周囲の環境に慣れていくディーパンとヤリニ。
「言葉は全部分るが、ちっとも笑えない」とディーパン。
「言葉の問題じゃないわ」とヤリニ。「じゃ、何だ」
「ユーモアのセンスよ」
「フランスの?」
「国は関係ない。あなたは堅物だから。タミル語でも面白くない」
この会話の中で、ヤリニの笑みが弾けていた。
このピクニックを契機に、「疑似家族」の「疑似性」が大きく剝がれていく。
しかし厄介なことに、老朽化した団地の中では、ヤクの売買をしている連中が屯(たむろ)っている。
その拠点こそ、ヤリニが家政婦をしているハビブの家であり、そのリーダーが甥のブラヒムだった。
因みに、特定の犯罪者の監視目的のGPSを取り付ける制度がある国は、米英・独・カナダ・スウェーデン・韓国などと共に、移民の国・フランスもまた、法制化され、今でも実施されている。
そんな厄介な連中との距離を置いていたディーパンが、LTTEのかつての上官である大佐の元に連れて行かれ、「解放戦争」を諦めない彼らから金銭の無心を求められる。
「すべて終わった。妻も子供たちも死んだ。戦いはもう…」
そう反駁(はんばく)した瞬間、ディーパンは暴力を振るわれるが、それでも、彼の決意は固かった。
「私の中では終わっています」
暴力の被弾の中でも屈しない男の心に張り付く「解放戦争」の悪夢 ―― それは、妻子を犠牲にした自分が戻ってはならない世界だった。
内戦の悪夢を見たのは、ディーパンだけではなかった。
ヤリニとイラヤルもまた、見てはならない暴力のリアリティを被弾する。
恐怖に怯えるイラヤル |
従兄弟のいるイギリスに逃げようとするヤリニを止め、彼女が持っている偽造パスポートを奪い取り、ヤリニの脱出の僅かな機会は決定的に頓挫する。
この偽造パスポートこそ、三人のアカの他人によって仮構された「疑似家族」が、言語も理解できない異国の地で、なお、異国で定着していくための唯一の生命線なのである。
置き去りにされたヤリニは、ディーパンを責める以外になかった。
ディーパンが団地内の抗争を止めるために、「発砲禁止区域」の白線を引いたことで、麻薬ギャング団に目を付けられたのは、「疑似家族」が最大のピンチを迎えた時だった。
それでも、健気にフランス語を勉強するイラヤルだけは、未来に架橋していく時間を持ち得ていた。
しかし、事態はいよいよ悪化していく。
管理人でしかないディーパンが、「発砲禁止区域」の白線を引く行為に振れたことで、完全に麻薬ギャング団の敵と看做(みな)され、彼らの仲間であるユスフを介在し、ヤリニを呼び出し、ブラヒムは警告する。
それを拒絶するヤリニ。
今、この「夫婦」は、自分たちと全く関与しない「悪の巣窟」にインボルブされ、今や、脱出口が見出せなくなったとき、ディーパンは覚悟を括った。
ヤリニにパスポートを用意し、家を出ていくのだ。
その際に、ヤリニと携帯電話で話すシーンが挿入される。
「休暇後に、イラヤルとイギリスへ。学校にもそう伝えるわ。帰って来て…」
嗚咽の中のヤリニの思いが伝わってきて、ディーパンの情動が激しく揺さぶられる。
翌朝、そのヤリニは、ブラヒムに自分の思いを勇気を持って伝える。
ディーパンの危機を感じ取ったヤリニの吐露が伝わったのか、ブラヒムから帰宅を促される。
ブラヒムと抗争している敵対組織からの銃弾が乱射され、ブラヒム自身と叔父のハビブが銃撃を受けたのは、この直後だった。
恐怖がピークに達しているヤリニが、まだ息のあるブラヒムに拳銃で脅され、ディーパンに連絡することを強制される。
連絡を受けたディーパンは、ブラヒムに人質として取られたヤリニを救うために、ブラヒムの敵対組織が占有している団地の中枢に入っていく。
生存の可能性が少ない「戦争」の渦中で、ブラヒムの部屋に入ったディーパンは、そこにいたヤリニに銃口を向けてしまう。
ディーパンの内側に張り付いていた本物の「戦争」の記憶が、彼の頑丈な身体の中に蘇ってきて、理性を完全に失ってしまっていた。
ラストシーン。
イギリスに渡航した「疑似家族」に新生児が生まれ、「普通の生活」を繋いでいる。
その風景こそ、「疑似家族」が最も切望していた近未来像だった。
「疑似家族」の疑似性が剥がれ、「真の家族」として再生したのである。
しかし、ほぼ確信的に言えるが、このラストシーンの映像提示は、抱擁し合っていた二人が軟着し、そこで手に入れた幸福感を最後の思い出にしたディーパンが抱懐する、至福なる幻想である。
恐らく、「戦争」に巻き込まれなかったイラヤルだけが生き残り、「疑似夫婦」の関係が軟着した直後、この二人が銃殺された現実を示唆するのであろう。
なぜなら、既に息絶えたブラヒムの部屋に閉じ込められた二人が、国家権力の介在なしに(後述)、武装したギャング団の集中的攻撃から逃れる術が、殆ど考えられないと言い切れるからである。
だからこそ、それを求めてフランスに渡って来たディーパンが、本来、このような「普通の生活」を希求する思いを挿入したラストシーンの意味が、エンドロールでのレクイエムのような音楽の括りによって、観る者に遣り切れないまでの感動を与えるのだ。
2 一筋縄でいかない世界の現実を凝縮し、リアルを仮構した映画の完璧な「描写のリアリズム」
組織と組織が、自分たちの利益を守るために対立し、殺し合う。
そして、組織対組織の「戦争」とは無縁な「疑似家族」が、この厄介な事態に巻き込まれてしまう。
もう、他に行き場がない「疑似家族」の「母」と「娘」は、恐怖から身を守るために部屋に隠れ忍び、事態の成り行きに怯えるばかりだった。
発砲事件を知った「疑似家族」の「父」は、「発砲禁止区域」を決め、そこに白線を引き、「戦争」の終結を一方的に宣告する。
しかし、「戦争」の一方的な終結宣告を行った男の存在は、自分たちの「戦場」に踏み込んで来る許し難い敵対者でしかなかった。
思うに、この設定は、自分たちの利益を守り、或いは、それを奪い取るための、組織同士の「戦争」という単純な構図である。
この単純な構図の中に、「正義の旗」のもとに糾合(きゅうごう)し、殺戮し合った、LTTEの「戦士」の憤怒の情念が、ただ単に、「普通の家族」の平穏な日常を希求したが故に閉じ込められている。
しかし、「疑似家族」としての「父」の希求は、「悪の巣窟」でやりたい放題の組織(国家でもいい)に全く通じない。
ところで、この映画には、不思議なことに、組織対組織の終わりの見えない「戦争」に、国家権力が全く介入してこないのである。
これは、法治国家として、常識的にあり得ない。
だから、この映像構成が、どこまでも映画的に仮構された物語である事実が判然とする。
即ち、これは、リアルを仮構した映画なのである。
リアルを仮構した映画であるから、団地の普通の住人の出番が皆無だった。
では、なぜ、リアルを仮構した映画として、本作が構築されたのだろうか。
恐らく、のちの「同時多発テロ」を予見したようなこの映画は、世界の其処彼処(そこかしこ)で起こっている、一筋縄でいかない厄介な現実を凝縮したメタファとして読み取れる。
だから、特化したスポットとして仮構された、パリ郊外(情報提示されず)の一角の団地で惹起する出来事が、一筋縄でいかない世界の現実を凝縮した物語として、観る者に容赦なく映像提示されたのだろう。
―― ここで、批評の視点を、そこもまた、「難民問題」に収斂される世界の現実を凝縮した、メタファとしての「疑似家族」の様態に向けてみよう。
思うに、この映画の主人公が求めて止まない、「普通の家族」の平安な日常性の確保が、幻想のラストシーンに止めを刺すように、いかに困難なものであった現実は映像総体を貫流している。
「三人の他人」で構成される「疑似家族」であっても、ディーパン、ヤリニ、イラヤルは、普通の生活を繋ぎたいだけだった。
そのために必死に働き、我慢してでも、異国の学校に登校する。
「疑似家族」だからこそ、我慢することを余儀なくされる。
フランスの学校に入学が決まり、特別クラスに編入される際に、既に、家族を喪ったイラヤルの不安が突き上げて、未だ「疑似家族」を仮構している、「父・ディーパン」の懐に飛び込んでいくシーンは、この「疑似家族」の中で辛い状況に置かれている少女の精神を端的に描き出していた。
弟が二人いると言うヤリニの心情を斟酌し、それを理解する心の余裕をイラヤルに求めるのは苛酷であろう。
だから少女が、「父・ディーパン」に心理的近接感を抱くのは必至だった。
「父・ディーパン」もまた、内戦で妻子を喪っているのだ。
それでも、語学の上達によって、普通クラスに編入されるほどにクレバーなイラヤルには、子供の適応力の高さを感じさせるものがあった。
「父・ディーパン」の懐に飛び込むイラヤルの行動を、傍らで見ていたヤリニの冷静な表情は、まさに、物理的に近接していても、簡単に溶融し得ない「疑似家族」の本質を衝いている。
「私の中では終わっています」
だから、昔の同志から組織への協力を求められても、それを拒絶する強い意志に結ばれているディーパンの言葉が、映像を通して鮮烈に印象付けられる。
ディーパンの自我の根柢には、内戦によって喪った妻子への贖罪意識が張り付いているのだろう。
「何も思い出さないの?」
当初の思い通り、いとこのいるイギリスに脱出せんとするヤリニを、必死に止めるディーパンに放ったこの一言が、この映画を貫流する「理不尽な暴力」へのアンチテーゼとなっている。
「それと、これとは違う」
「どこが違うの。自分も加害者だったから?」
この映画の中で、最も痛烈な描写の一つだった。
それは、務めて心理的に近接してきた「疑似家族」の「物語」が、決定的な危機に陥ったシーンである。
「イラヤルは置き去りか」
それでも、イギリスに脱出せんとするヤリニに対し、ディーパンは責める。
「そうよ」
ヤリニも強く反発する。
「よくできるな」
「本当の家族だとでも?私は母親じゃない。あの子も分ってる。あなたも夫じゃないし、私も妻じゃない」
ヤリニの気持ちが分り過ぎるが故に、ディーパンは、それ以上、責めない。
一切を引き受けた男が、「疑似家族」を守るために、敵対組織との「戦争」に振れていくのは必至だったのだ。
だから、ヤリニを救済するためとは言え、不毛な内戦で妻子を犠牲にした男の贖罪意識が延長されている以上、男が「戦死」するのは避けられなかったのか。
「自分も加害者だったから?」
繰り返すが、このヤリニの言葉は、相当重い。
本質を衝いているからだ。
だから、ヤリニを殴る。
殴った分だけ、ディーパンの心が傷ついていく。
そこに、リアルを仮構した映画が、完璧な「描写のリアリズム」で乗り切って隠し込んだメタメッセージが仮託されている。
これが、本作に対する私の解釈である。
3 欧州難民危機とスリランカ内戦 ―― 映画の政治的・社会的背景について
欧州難民危機・ギリシャ、マケドニア国境の移民 |
ISと思われる戦闘員による130名の死者を出した、「パリ同時多発テロ事件」(2015年11月)が欧州を震撼させ、2015年だけで、優に100万人を超す難民・移民によって惹起された事件・事故が多発した。
2016年に入っても、ブリュッセルの空港で自爆テロが発生し、ベルギーを震撼させるや、ブレグジット(イギリスのEU離脱問題)と続き、そして、米国でも、ドナルド・トランプ次期大統領が不法移民全員の強制送還の表明と、「国境に『万里の長城』を築き建設費はメキシコに払わせる」と主張した。
2017年1月25日夜、そのトランプ米大統領がメキシコ側との事前相談なく、国境管理と不法移民の摘発強化に向けた大統領令に署名する。
欧州でも、難民・移民への排斥運動が、益々激しくなっている。
無差別殺傷事件が続いたことで、難民・移民に寛容なドイツ国内の空気にも変化が生まれているのだ。
排他主義が世界を覆っているのである。
そんな中で、EU域内の移動の自由を定めた、「シェンゲン協定」が破綻の危機を迎えていると警告を発したのは、ドイツの財務相である。
厳しい難民・移民の流入制限措置を取る福祉大国・スウェーデンのように、ドイツも移民制限措置を取れば、「途方もない脅威」に晒されるとの認識を示したのだ。
これは、欧州委員会のユンケル委員長の言葉
そして、映画の舞台となったフランスは、第二次大戦後、労働者不足緩和のため旧植民地出身者(アルジェリア、チュニジア、モロッコのマグレブ3国など)を中心に、移民を受け入れる政策を実施し、欧州最大の移民国家となった。
しかし、フランス国内法やEU指令によって、家族の呼び寄せが保障されている権利を有するが故に、イスラム系移民の数・比率ともに欧州一となった事実があるにも拘らず、「パリ同時多発テロ事件」以降、元々、社会的階級差による分断や差別に不満を持つ、底辺のムスリムが孤立化し、過激化する傾向を顕在化し、極右の「国民戦線」が勢力を強めるなど、排外主義が高まっている。
まさに、2015年1月に、「シャルリ・エブドのテロ事件」(風刺週刊誌を発行する「シャルリ・エブド」の本社が襲撃され、12人が殺害された事件)と、それに続いた一連の事件は、イスラム過激派への挑発がテロに発展する現実を曝け出したのである。
―― 次に、スリランカ内戦について、外務省のデータをベースに言及したい。
26年間で7万人以上の犠牲者を出した、政府軍と反政府武装組織・「タミル・イーラム解放の虎」(LTTE)の間での激しい内戦の終結を宣言した日であるからだ。
元々、スリランカは、シンハラ人(74%、主に仏教/北インドから上陸したアーリア系=インド・ヨーロッパ語族)やタミル人(18%、主にヒンドゥー教/南インドに住むドラヴィダ系の先住民族)、スリランカ・ムーア人など約2000万人が住む多民族国家だった。
シンハラ人とタミル人の対立の発端は、全島が英国の植民地となった1815年に開かれた。
両民族の慣習的な居住区域(境界線)は無視され、統一的に支配されるようになり、更に、英国は"少数派"のタミル人を行政府官吏に重用し、"多数派"のシンハラ人を統治させる「分割統治」を行った。
その結果、シンハラ人は、貧しい農村でコメの生産などに従事する一方、タミル人のみが優れた教育を受け、官吏以外にも、商人や資本家など社会的に高い地位を占めるようになるに至るが、このあからさまな「分割統治」が、後に民族間の確執へと発展する火種となっていく。
100年以上に及ぶ英国支配の後、スリランカは1948年に英連邦自治領「セイロン」として独立。
1951年にスリランカ自由党(SLFP)を創設したバンダラナイケが、「分割統治」によって社会的に虐げられてきたシンハラ人の利益を尊重する、「シンハラ人優遇政策」を打ち出したことで、政治の風向きが一気に変わっていく。
後に、スリランカからの分離独立を目指す、「タミル・イーラム解放の虎」(LTTE)と呼ばれる過激派組織が結成され、1983年を境に政府軍との全面的な戦闘に入っていく。
この内戦が、一時的な停戦合意を挟みながらも、26年間もの長きにわたって続いたのである。
(2017年2月)
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