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2016年6月21日火曜日

父 パードレ・パドローネ(‘77)     タヴィアーニ兄弟


<仮想敵の「権限的縄張り」を突き抜けた青春の奇跡的飛翔の目映さ>





1  複雑な父子の葛藤を描き切った物語





「彼はガビーノ・レッダ。35歳。読み書きできなかったが、今では言語学者で、人気作家だ。この映画は、彼の自伝を基に作られた。物語は、サルデーニャの小学校から始まる。ガビーノは1年生だ。ある11月の朝、役場の一角にある教室に、父親が突然やって来た」

映画の原作者・ガビーノ・レッダが登場して開かれる語りは、「羊の世話と番をさせるんだ。息子はわしのもんだ」と言って、ガビーノの父親・エフィジオが1年生になったばかりの息子を、教室から強引に連れ出すシーンに繋がっていく。

「乳を売りに町に出る間、羊をほってはおけん。乳や作物を売った金で、服や生活に必要な物がようやく買える。今も羊は置き去りだ。山賊が盗むかも知れん。ガビーノが守る」

エフィジオの一方的な言い分に対して、女性教諭は反対するが、エフィジオは頑として受け付けない。

「羊飼いは羽がなくても、空を飛ぶ。小学校の卒業は、大人になってからでいい。他の子供たちを飢え死にさせろと言うのか。義務教育がなんだ!教育より、貧乏の方がよほど切実だ」

これで、ガビーノの将来が決定づけられていく。

映画の舞台は、地中海の異境と言われるイタリアの特別自治州の島・サルデーニャ島。

「集中するんだ。昼は目を、夜は耳を使え。森や野原を、隅々まで知り尽くせ。一人で残るんだ。方角や時間の感覚を身につけろ。自分や羊の位置を知れ。木の葉の音を聞け。音を聞き分けるんだ。目を閉じろ。耳をよく澄ませ。目印となるカシの木だ。顔を向けろ。今度は、森の向こうを流れる川の音だ。すべて覚えろ」

かくて、父はガビーノに、自然の感覚を身につけるための重要なアドバイスを送り、未だ6歳の子供に対して、徹底的な訓練を施していく。

エフィジオとガビーノ
誰もいない山の番小屋から逃げようとするガビーノに、体罰を加える父。

逃げようとしても逃げられない状況下で、羊の世話をするガビーノ。

思春期になったガビーノは、澎湃(ほうはい)する性的欲求を満たすために、羊に抱きつき、自慰行為に耽る日々を繋いでいた。

山に登ってきた父親が、ガビーノより年上の少年が獣姦する現場を目視し、慌てて帰宅し、妻との交接を結んでいく。

これは、このような状況に置かれた男たちの、ごく普通の自然な生理的現象であって、それ以外ではなかった。

そんな孤独の日々を突破したガビーノの内側で変化が起こったのは、彼が20歳になったときだった。

殆ど、他人と口を聞いたことがないガビーノは、山岳地帯を通りかかった若者の弾くアコーディオンの音色に魅せられて、二匹の羊と、そのアコーディオンを交換したのである。

それは、自分の知らない新鮮な文化との出会いだった。

ガビーノ
以来、父の目を盗み、アコーディオンの練習を続けるガビーノ。

「息子が離れていく。もう、年なのか。どうやって、引き止めればいい?それとも。自分が信じてきたほど、利口ではないのか?」(エフィジオのモノローグ)

ある日、一人の羊飼い・セバスティアーノが敵対している家族に殺された一件で、そのセバスティアーノの妻から、エフィジオがオリーブ畑を買い取るというエピソードが挿入されることによって、エフィジオ家の風景が一変していく。

初めて地主になった喜びで、「豊かな暮らしができるぞ」と言い放つエフィジオ。

ところが、需給バランスが取れていたオリーブ油の市場が、EUの合意によって関税が撤廃され、極端に安価になり、「豊かな暮らし」というエフィジオの思惑が外れてしまうが、エフィジオの決断で、一部の土地とヤギを残して、全財産を処分した。

「新たな人生だ。利率10%で銀行に預ける。7年後には。資産は倍になるだろう。その金を身近な者に貸し付けるんだ」

これが、羊牧で生業(なりわい)を立てていた男の、「新たな人生」の内実だった。

しかし、この一件によって、外国に移住する若者たちの思いが沸騰する。

ガビーノもまた、その一人だった。

「軍に入って、ラジオ技師になれ。約束通り、小学校を卒業させる。勉強はわしが教える」

算数の計算どころか、字も読めないガビーノが、今、この時点から、小学校の勉強をするのは、殆ど不可能であると言ってよかった。

かくて、父の命令通り、ガビーノはイタリアの軍隊に入るが、サルデーニャ語を話す彼の言葉が全く通じない現実を知らされ、途方に暮れるばかりだった。

文字を知らないそんなガビーノに、軍隊で知り合った友人のチェーザレが辞書を与え、イタリア語を丁寧に教えていく。

ガビーノの猛烈な学習意欲が一気に加速し、一つ一つ、イタリア語をマスターしていくのだ。

ラジオの組み立てに成功し、合格するに至る。

「初めて、父さんに手紙を書きます。中学を卒業しました。父さんが子羊と呼ぶ人間にも、学問は必要です。重大な決心をしたので、お知らせします。僕は立派な軍人にも、ラジオ技師にもなりません。軍に残って、高校の卒業資格を取ったら、サルデーニャに戻って、大学で勉強します」

父に書いた手紙である。

この手紙によって判然とするように、ガビーノは、これほどの文章を書けるようになったのである。

しかし、彼の学習意欲は更に過熱し、父の頑健な反対を押し切る意思を持って、軍を除隊する。

案の定、「帰って来るな」という父の手紙が届けられる。

それでも、ガビーノは帰村する。

「何が言語学だ。言葉で惑わす気か。甘い顔はせんぞ。働かなければ食わせない。わしの興味は、お前が手足を使って作る作物だけだ」

再会した時の、父の独り言である。

父の頑固な性格を嫌というほど知り尽くしているガビーノは、父に言われなくても、雨の日でも、「手足を使って作る作物」を得るために、父との共同作業に没我する。

「発音の違いを研究したい」

共に働きながらも、サルデーニャ方言の研究に打ち込もうとする長男の、決して挫かれることのない強靭な意志は延長されていた。

数か月間、羊飼いの労働で疲弊し切ったガビーノは、大学への入学試験の勉強に費やしたいからと言って、父に休みの時間を求めるが、それを拒絶する父。

そして、「試験に落ちたよ」と正直に話すガビーノ。

だから、「6月の試験に集中する」と言い切ったのである。

「命令するな。わしが主人であり、父親だ」
「主人なもんか!血のつながりなど興味ない。今まで助けてくれたのは、血のつながらない他人ばかりだ。一晩かけて、言うことを考えた。全部、ぶちまけてやる。父親は人生で2つのことをする。まず従い、次に命令する。貯めた金で体を作り、命令の肺を服従の空気で満たす」

息子にここまで言われ、「家に帰って、息子を殺す」と独言したエフィジオは、ガビーノに「出て行け!」と言い放つや、格闘になり、父を制圧する息子がそこにいた。

口笛を吹き、父親の挑発に乗り、その父を平手打ちする息子はもう、完全に自立的な成人にまで立ち上げていたのである。

だから、父と子の格闘は不可避だった。

それは、どうしても突破しなければならない通過儀礼だったのだ。

強がって見せたが、自分の部屋で意気消沈するエフィジオ。

本土に帰ろうとするガビーノがエフィジオの目の前に来たとき、ガビーノは父の膝に顔を埋めるのだ。

その息子の頭を父は撫でようとするが、父の手は、そこで拳となって振り上げられる。

しかし、何もできない。

もう、そんな気力すら残っていないのだ。

この複雑な父子の葛藤を描くシーンは、本作の白眉である。

ラストシーン。

「サルデーニャ方言の研究で学位を取った。教職に就いたが、病気になり、胃の手術をして回復した。父への恥を忍んで、故郷のシリゴに戻った。自伝を書くためだ。その話が基になり、この映画ができた。私の自伝ではあるが、島の羊飼いたちは、彼らの人生そのものだと言う。だから私は、この島で本を書く。それが作家としての使命だ。

だが、時には逃げ出したくてたまらなくなる。この島や、この広場から。今は、賑やかだが、冬が来たら耐え難い。本土には、ここにはない楽しみがある。だが私が、そこで得た権力を父のように振りかざせば、父に負けることになる。つまり島に残るのは、身勝手な打算と恐怖からなのだ。故郷や仲間、汗の匂いから離れたら、また話せなくなる。少年時代、小屋で過ごした頃のように、再び殻に閉じこもってしまうだろう。

私の書いた物語は、これに似た建物で始まる。その日、父が私を学校から引き剥がした」

原作者・ガビーノ・レッダの語りによって、複雑な父子の葛藤を描き切った名画が、冒頭のシーンに戻されて、円環的に括られていくのだ。





2  仮想敵の「権限的縄張り」を突き抜けた青春の奇跡的飛翔の目映(まばゆ)さ





サルデーニャ島・ミラノ駐在ブログより
映画で描かれていたように、ヨーロッパの羊牧のルーツとも言われる、バルバージャ地方と呼ばれるサルデーニャの山岳地帯では、家畜や農業には適していないという地理的環境の故に、一人前の羊飼いにさせるために、家父長的な父親の鉄拳制裁によって、10歳頃までに牧夫に成長させられる。

サルデーニャの山岳地帯に家父長制が生まれたのは、高額の地代を払って、地主から借りた土地で羊を飼育する牧羊を営み、命の糧となるその羊が盗まれる事件が後を絶たないため、羊が盗まれないように見張りをする行為が絶対化されていて、命の糧を守る「男」としての強さが求められたからである。

私たち人類の最も古い職業の一つである、羊飼いになるという行為が意味するのは、多くの場合、雨を凌ぐためだけの山の番小屋で、男だけの閉鎖的生活に耐えることである。

苛酷な自然の懐に入り込み、その環境の中枢で生き抜くためには、孤独に耐える力なしに、自らの努力で未来を開いていくことなど叶わないのだ。

肉食動物などから羊を保護し、羊毛を刈る時期には市場に移動させる仕事として、乳・肉・羊毛を得るために飼育する一人前の牧夫に成長できなければ、サルデーニャの山岳地帯では「男」として看做(みな)されず、より一層、孤独が増すばかりだろう。

映画の冒頭から、ガビーノが家父長的な父親に連れ戻される描写があったが、それを見る生徒たちの恐怖が内的言語で表現されていたシーンは、決して他人事とは思えない少年たちの心理が透けて見えるようだった。

だから、この映画は、文明社会の中枢で呼吸を繋ぐ私たちに、義務教育の問題の難しさを根柢的に突きつけてくる作品になった。

「すべて人は、教育を受ける権利を有する。教育は、少なくとも初等の及び基礎的の段階においては、無償でなければならない。初等教育は、義務的でなければならない」(1948年12月10日の第3回国際連合総会)

世界人権宣言の第26条に採択されている、あまりに有名な文言である。

「親は、子に与える教育の種類を選択する優先的権利を有する」

同時に、世界人権宣言には、この文言もある。

義務教育の「優先的権利を有する」のは親であって、義務教育の対象となる子供ではないのである。

かくて、映画の父は、ガビーノから義務教育の機会を奪ってしまった。

因みにイタリアでは、後期中等教育(6-16歳)までが義務であるが、主人公のガビーノ少年は、この義務教育の10年間という貴重な時間を奪われたのだ。

思うに、教育熱心な我が国でも、1872年の学制から開かれた義務教育推進運動において、民衆の反対運動もあり、授業料徴収が義務付けられていため容易に効果を上げられなかったが、尋常小学校の授業料が無料化したことで、1915年には通学率が90%を超えるに至ったという経緯がある。

要するに、生活の負担が軽減されれば、皆、学校に行ったのである。

無償なイタリアでも条件が同じであっても、それでも、映画の父が頑として拒んだのは、ガビーノを羊飼いにさせることなしに生業が成り立たないからだった。

高額の地代を地主に支払えなければ、アイデンティティが抹消された件の者は、自分が生まれ、育ったその土地から出て行くしかないのだ。

映画の中でも、この山岳地帯では、彼らは「ボボレさんの使用人」、「ペドロさんの使用人」としか呼ばれることがないので、経済的苦境に陥った事態とも連動して、固有名詞によるアイデンティティが通用する外国への移住を、若者たちが求めるのは必然的だったとも言える。

「僕は肉食を強制された草食動物の気分です」

父の指示で軍に入隊後、必死に学問に励むガビーノが書いた手紙の一節である。

「肉食を強制され」るイタリアの軍隊の中では、無学なガビーノの存在は、一人前の牧夫として、自らが守り続けてきた羊と同じように、「草食動物の気分」を噛み締めるばかりだったということなのだろう。

そのガビーノの主体的意志を無視する厄介な父が、若者の眼前に立ち塞がっていた。

だから、長年の間、積り積った、厳格すぎる父への反発が炸裂し、衝突するのは不可避だった。

―― ここから、この映画の父と子の関係構造について考えてみたい。

この映画の父・エフィジオの家父長的な性格傾向は、地主から土地を借り、その土地で牧羊を営むことで生業(なりわい)を立て、最低限だが、家族成員が餓死することなく糊口(ここう)を凌ぎ、且つ、安定した日常を具現するに足る必要条件であると言える。

従って、「父」としての「パードレ」と、「支配者」としての「パドローネ」であるエフィジオは、苛酷な自然・文化風土が生み出したものである。

それ故、エフィジオは権力的であり、厳父であるが、感情任せの横暴な父親ではない。

傍若無人で、勝手気侭(かってきまま)な父親でもない。

彼の行動には一定の秩序があり、決して無法者ではなかった。

一貫して頑固であり続け、長男・ガビーノの未来を支配せんとする「パドローネ」であったにしても、その未来を暴力的に破壊する行為に振れないのだ。

それを読み間違えてしまうと、この映画の本質を見抜くことが困難になるだろう。

その事実を検証する重要なエピソードがある。

父親の反対を押し切って、軍を除隊したガビーノが帰村したときの、ラストシークエンスの一連のエピソードである。

村の道で再会した際に、あの頑固な父親が驚かすような仕草をして、小さな笑みを浮かべた。

息子もまた、笑みを返す。

この目立たないシーンは、決して口に出すことはないが、父・エフィジオが、掛け算の九九や字も読めないガビーノが大学に入学し、言語学者を目指すという、大胆とも言える息子の職業選択を暗に認めている事実を意味する。

しかし、その心情を絶対に口外しない辺りに、この男の食えなさがあるが、人間の性格は簡単に変わらないのだ。

変わったら、自らが依って立つアイデンティティの中枢が揺らいでしまうのである。

それにも拘わらず、なぜ、このとき、「パードレ・パドローネ」であるエフィジオが、このような「懐の深さ」を見せたのか。

簡単である。

資産を手に入れることができたエフィジオ
言語学者を目指す息子の能力の高さが自慢の種になるというよりも、地主になった矢先、寒波の到来でオリーヴ畑が全滅するに至ったとは言え、全財産を処分し、相応の資産を手に入れることができたからである。

生活に余裕ができたことで、エフィジオの心にも余裕が生まれたのである。

多くの場合、経済的環境の変化が人の心を変えていく。

だからと言って、「帰って来るな」という手紙が象徴しているように、エフィジオが「パードレ・パドローネ」であることを、あっさりと「セルフネグレクト」したわけではない。

それでも、ガビーノは帰村した。

「命令と服従」によって成り、自学自習の機会を持ち得ない軍隊生活に向いていないと判断し、大地に戻りたいと考えたからである。

予想通りの結果だが、自分の許可なく、軍を除隊した息子への不満を抱くエフィジオは、「手足を使って作る作物」を強要し、再度、大学への入学試験の勉強に集中することを望むガビーノと対立する。

かくて、父と子の格闘は不可避となり、年の違う身体が激しく衝突し、息子が父を圧倒する。

この衝突の結果、「わしが主人であり、父親だ」と言うエフィジオの強がりは、決定的に自壊する。

言うまでもないことだが、エフィジオは、「父」としての「パードレ」と、「支配者」としての「パドローネ」である現実を堅持することによって、「自己権限の範囲」といった「見えない縄張り」を作り出してきた。

その「権限的縄張り」の情態が、一瞬にして自壊したのである。

「支配者」としての「パドローネ」の自壊が、「父」としての「パードレ」との、不離一体の連結性を引き剥がされることによって、後者の「権限的縄張り」の情態が、単に、「ガビーノの父親」という「役割呼称」でしか意味をなさなくなってしまったのだ。

父と子の激しい衝突のエピソードは、以上の現実を露呈する最も哀切なシーンである。

「権限的縄張り」の情態が侵されることを最も怖れた男の心の風景は、精神的・物理的に近接する息子の頭を撫でようとしつつも、拳となって振り上げられるが、結局、何もできずに終焉する、父子の関係構造の変容の本質を露わにするだけの行動に凝縮されていた。

この複雑な父子の葛藤を描くシーンが、この映画の基本骨格を、いみじくも表現していたと言っていい。

エフィジオの家父長的な性格傾向が、苛酷な自然・文化風土が生み出したものである事実を検証する所以である。

原作者・ガヴィーノ・レッダ
何より、そんな父親に反発し、「我が道をいく」意志を曲げないガビーノの強さのルーツには、「パードレ・パドローネ」の強靭さが脈打っているのだ。

雨を凌ぐためだけの山の番小屋で、孤独に耐え切った時間の重さが、学問に直進するガビーノの粘り強さを作り上げたのである。

仮想敵の「パードレ・パドローネ」の、その「権限的縄張り」を突き抜けた青春の奇跡的飛翔の目映(まばゆ)さ。

そういう映画だったのである。

(2016年6月)

2 件のコメント:

  1. 先日会社の休憩室に新しいテレビが入り、なんとインターネットに接続されていてYou tubeが見られるというので、昼食中に一人で何を見ようかと考えました。
    そこでなぜか思い出したのが、「エル・スール」で父娘が一緒に「エン・エル・ムンド」という曲で踊るシーンでした。
    子供の時に父親と踊るシーンはⅠカットで撮影されていましたが、とても印象的です。
    大きくなってからレストランで二人で聞く時は、父親だけ昔を懐かしんでいて、娘との思い出に対する温度差があり、そこがなんとも物悲しかったです。
    結婚式を撮影していると、最後の花束贈呈のシーンで、父親が娘を抱きしめようとする瞬間がありますが、必ずしも娘はそれに自然に応えるわけではなく、父と娘の微妙な感覚のズレが、ある意味微笑ましかったりします。

    なぜそんな話しが出るかというと、当然オメロ・アントヌッティ繫がりですが、印象的な人ですね。語らずに表現するというか。アナ・トレントと共演した「エル・ニド」という映画もありましたね。

    話しは飛びますが、若い頃にサルデーニャ島のそばにある、コルシカ島をヒッチハイクで一周した事があります。
    全く英語が通じず、身振り手振りで会話をしたのを鮮明に覚えています。その中で、唯一覚えたのが「バトー」という言葉です。船というフランス語らしいのですが、しきりに「バトゥー?バトゥー?」とジェスチャーを加えて質問されるので、すぐに覚えてしまい、次の車で使ったら笑ってくれました。

    それにしても映画の内容は非常に難しいというか、パーソナルなストーリーなんですね。
    若い頃見てみようか悩んだ映画でしたが、きっと見ても分からなかったと思います。
    私もかなり年を取ってきて、やっとこういう映画が何を言いたいのか分かるようになってきた感じがします。
    言葉にしづらい事ですが、それぞれに人生があり、ただ一切は過ぎ行くのみといった感じです。

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  2. 興味深い話をありがとうございます。
    「エル・スール」は昔観て、私にとっても、ずっと心の中に残っている名画です。その後、映画評論の中で、この「エル・スール」を批評したいと考えても、肝心のDVDが手に入らず、未だにやり残した思いで、常々、気になっている作品でもあります。
    この「父 パードレ・パドローネ」も、そんな作品の一つでしたが、たまたまBSで観ることができたので、ようやく批評に結ぶことができました。改めて、サルデーニャ島山岳地帯の特殊な環境に育った者たちの生活の厳しさが伝わってきて、主人公の父親の絶対的父権が崩れ去っていく後半のシーンが印象に残ります。

    密度の濃さ満点の「塀の中のジュリアスシーザー」を作ったタヴィアーニ兄弟が健在であることを知り、高齢ながら今後の作品を期待しています。


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