1 童話の様式をとった少女の「自己開示」
「原則として1年未満。例外として3年以上」
某都市の郊外にある短期児童保護施設、「ショート・ターム12」における児童の入所期間である。
そこに、新人職員・ネイトがやって来た。
大学を1年間休学し、人生経験のために赴任して来たのである。
「親でもセラピストでもない。安全に生活させるのが仕事よ。新人は隙(すき)がないか試されるから、最初は“ノー”。友達になるのは、そのあと」
彼女は同僚で恋人のメイソンと共に、様々な理由で施設に入所している少年少女たちの世話をする日々を繋いでいた。
そんな折、無口で真面目な印象を与える黒人青年、マーカスが18歳になったことで、退所を余儀なくされる現実に不安を覚えていた。
彼の退所パーティーが近づいているのに、カミソリで頭を剃ることを求め、了承するグレイス。
「数年前に母を亡くし、父親は友人の知り合いで立派な男」
そんな風に、ジャック所長に紹介された少女・ジェイデンが入所して来たのは、その直後だった。
施設への入退所を繰り返し、セラピストの鼻を噛んだという少女である。
「特別扱いしない」
グレイスの毅然とした反応である。
入所して来るや、言葉遣いの悪いジェイデンに注意するグレイスの反応は手慣れたものだった。
完璧な仕事をこなすグレイスだが、メイソンとの子を宿していることを施設の医師に知らされ、動揺する気持ちを隠せなかった。
以前にも、妊娠した事実を医師に告白するグレイスにとって、「妊娠」という言葉から侵入的に想起するトラウマが噴き上がってきてしまうのだ。
メイソンとの愛情交歓の中で、そのトラウマが噴き上がってきて、ユーモアが豊富で心優しいメイソンの気持ちも穏やかでなかったが、彼もまた、リストカットのあるグレイスの手首を察知しているので、それ以上、彼女を苦しめるような行為には決して振れなかった。
一方、退所が一週間後に迫っているマーカスの部屋からマリファナを見つけたグレイスは、草野球でバカにされ、仲間に暴力を振るった直後、彼と話し合う。
「監獄に入るような人生はイヤでしょ?私の父は10年も刑務所に…そんなのダメ…」
退所後の不安で荒れている、18歳の黒人青年の前途が厳しい現実を知り尽くしているからこそ、グレイスはこんな言葉でしか反応できないのである。
“俺を育てたイカれ女 考えると吐き気がする 18歳を前に最低の人生 楽しい思い出は全部消えて 最高の人生を夢見たけど 出口なんか どこにもない”
絞り出すような声で歌い終わった後、改めて、グレイスに頼んで、カミソリで頭を剃る決意を示すのだ。
そのグレイスは、ジェイデンの部屋に赴き、正直に、自分の過去を吐露していた。
「9歳か10歳の頃、母の恋人たちの絵を描いて、10ドルで母に売った。沢山いたから、そのお金でポータブルCDを買った」
それだけだったが、グレイスの思いがけない告白は、閉鎖的なジェイデンに少なからぬ影響を与えていく。
まもなく、グレイスはメイソンと協力して、マーカスの頭髪を剃った。
「コブがある?」
マーカスの意想外の問いかけに理由を聞く二人に対して、マーカスは明瞭に言い切った。
「ずっと髪を伸ばしてた。お袋に殴られてたから。痕(あと)が残ってる?」
「大丈夫だ。何ともない」
そう答えたメイソンは、マーカスに鏡を見ることを促した。
恐る恐る鏡を見て、安堵したマーカスは、思わず嗚咽する。
優しく肩を抱くメイソンと、その様子を見つめ、涙ぐむグレイス。
二人の強力なパートナーシップが垣間見られるシーンだった。
心優しいメイソンに妊娠を告白したのは、その直後だった。
心の底から喜ぶメイソンの身体表現は、重い心を引き摺るグレイスを癒していく。
一方、施設に訪問することになっていたジェイデンの父親が顔を見せず、自分の部屋に閉じこもり、荒れ狂い、自傷行為に振れていく。
その行為を施設職員が必死に止め、柔和なストロークを出し、落ち着かせるに至る。
「反省室」に幽閉されたジェイデンに、グレイスは自分の心的外傷となっている過去を告白する。
「くしゃみしたら、深く切りすぎて、腱を傷つけそうに。母が亡くなって、父と暮らすことになった。血が出てる間は、嫌なことも忘れられる…」
足首の傷痕を見せて、自らが父親から性的虐待を受けたことを告白したのである。
グレイスの重みのある言葉は、ジェイデンの心の闇を溶かしていく。
しかし彼女は、ジェイデンの身体に全く触れることができない。
施設のルールだからだ。
そのジェイデンが向かった先は、彼女の父親の家。
誰もいない家を目視し、グレイスに促され、施設に戻るジェイデン。
ジェイデンがグレイスに、自作の童話を読み聞かせたのは、この直後だった。
この童話の内容から読み取れるのは、ジェイデンもまた、父親からの性的虐待を受けたという事実である。
想像するに難くなかっただろうが、敢えて、童話の様式をとったジェイデンの「自己開示」は、グレイスに大きな影響を及ぼしていく。
2 「自分が自分であること」・「自分が戻らなければならない場所」に向かって辿り着く少女とヒロイン
メイソンの養父母の結婚記念パーティーの場で、メイソンは含みのあるメッセージを、養父母に贈った。
「ここにいる全員が、二人を養父母とは思ってない。僕が本当の両親だと思ってるようにね。不安でいっぱいだった僕を引き取って、独りぼっちだった少年に教えてくれた。誰かに愛される幸せを。僕らがここにいるのは、二人のおかげだ。素晴らしい家族を与えてくれた」
嗚咽を隠し切れない養父母への感謝の気持ちが情動感染(相手の気持ちが伝わってくる)し、涙ぐむメイソンが、グレイスにプロポーズしたのは、この直後だった。
しかし、喜びも束の間だった。
グレイスの父親が刑務所から仮釈放されるという、保護観察所からの連絡を受けたメイソンは、その事実を本人に伝えるのだ。
沈み込む一方のグレイスは、この一件について、メイソンと話し合うことを拒絶し、本来の仕事に没我していく。
その中で、社会福祉士の判断によって、娘を迎えに来たジェイデンの父親に、ジェイデンの引き取りを許可した事実を知り、それを許可したジャック所長に怒るグレイスの感情は、まるで、自分が抱えた甚大なストレスを吐き出すような行為に炸裂する。
「怖くて言えないのよ!心の中では、いつも父親に見張られてる!常に父親の陰に怯えてる!」
自殺未遂を起こすマーカス。
セラピストでもないグレイスの能力の限界を超える事態の突沸(とっぷつ)に対して、必死に励ますメイソン。
以下、二人の会話。
「この3年間、僕は待ってた。本気で愛してるから、待ち続ける。なぜ、僕を信じられないか、話してくれるのを。悩みを話すことが、どんなに大切か気付くのを。僕には話して欲しい」
「やっぱり無理よ。あなたとは結婚できない。あなたの子供も産めない…」「堕ろすつもりなのか?」
「予約してある」
信じ難いグレイスの言葉に衝撃を受け、「勝手にしろよ。終わりだ」という、意にそぐわないような言葉を残し、その場を去っていくメイソン。
究極の「男性不信」に陥っているグレイスの心的外傷が噴き出してしまって、今や、このような反応によってしか為す術がない辺りにまで、自らを追い込んでしまうのだ。
この遣り切れない心境を抱え込んで、夜の闇を縫って、ジェイデンの家へ向かうグレイス。
ジェイデンの家のベッドで、バットを片手に寝ている彼女の父親を、凝視するグレイスの背後から、ジェイデンの否定的言辞が放たれた。
「何してんの?やり過ぎじゃない?」
「頭おかしいんじゃない?」とジェイデン。
グレイスは、父親からの性的虐待の過去を、包み隠さず話していく。
「あなたと同い年の頃、知らない人ばかりの法廷で、父の虐待を証言した。何で殴られたか、どれだけ酔ってたか、一緒にシャワーを浴びせられて、妊娠させられたって…父は刑務所送りに。誰にも話さなかったし、考えなかった。あなたに会うまで…分らない。お腹に子供がいるのに、どうすればいい?あなたを助けたかった」
この深刻な告白を聞き、視線を同じくする年上の同性に対して、殆ど自然の成り行きで、今度は童話ではなく、自らが腹部に受けた性的虐待の傷痕を見せるのだ。
「何てことを」
「いつもベルトで。ありがちだよね」「ジェイデン、何とかしなきゃ」
「寝てる間にバットで殴るとか?」
この直後、バットを持った二人が、ジェイデンの父親の車のフロントガラスやルーフを徹底的に破壊していく。
憂さを晴らした二人は、この時点で「共犯関係」を結んでいくのだ。
「共犯関係」を結んだジェイデンが施設に戻り、ジャック所長とセラピストの前で、正直に「自己開示」していく。
「もう、いいなりになるのはイヤ。父はキレてたけど、もう関係ない」
はっきりと言い切ったジェイデンにとって、この「自己開示」への長くて遠い距離を、今、決定的に縮め、「自分が自分であること」の普通の自己像にまで辿り着こうとしているのだ。
それを部屋の奥から見ていたグレイスは、再び自転車に乗り、「自分が戻らなければならない場所」に向かって直進する。
「ごめんね。本気で言ったんじゃない。すごく混乱してて…」
全てを見通しているようなメイソンが、グレイスを完全受容したのは、最初から予約済みだった。
ラストシーン。
オープニングシーンと同様に、メイソンの饒舌が開かれていたが、そこで出た話とは、水族館で働いているマーカスがガールフレンドを連れて、「普通の青春風景」を繋いでいるというエピソードだった。
マーカスを登場させずに、メイソンの饒舌の中に収斂されていくこのシーンは、とてもいい。
そして、自閉症スペクトラムに罹患してると思われるサミーが、突然、施設から飛び出して、それを追い駆けるケアワーカーたちのシーンによって、円環的に括られていく映像の訴求力は抜群だった。
3 ロックド・インされた狭隘な出口を抉(こ)じ開け、〈状況〉を作り出した中枢点で吐き出し、暴れ狂い、解き放つ
一般的に言えば、新しい親に児童が懐(なつ)くには、一定の順序がある。
新しい親の愛情を得るために行う様々な表現行為 ―― 「見せかけ期」である。
次に待つのは、新しい親の愛情の有無を見極める「試し期」。
そして、この「試し期」を克服することで、初めて、「親子関係形成期」に踏み入っていくと言われている。
しかし当然ながら、この関係は、映画におけるケアワーカー(施設職員)と、彼らの世話を受ける少年少女たちの関係に当て嵌まると言い難い。
機能不全家庭で育ったことで、心に傷を負った少年少女たちにとって、ケアワーカー(新しい親)に懐く「見せかけ期」など不要である。
関係のスタートラインから、ケアワーカーの「視線」のレベルを見極める「試し期」が開かれるのだ。
ケアワーカーの「水平目線」を確認することで、初めて、この「試し期」をクリアするのである。
「試し期」をクリアすることで、ささやかながらでも、施設職員との信頼関係(親子関係形成期)の時期に踏み入っていけるのである。
ところが、この映画では、グレイスのアドバイスを内化できない新人のネイトが、いきなり、「恵まれない子供たちのためにやって来た」と自己紹介したことで、「ふざけんな」というマーカスの反駁(はんばく)が炸裂してしまった。
ネイト |
「恵まれない子供たちのため」とか、「かわいそう」などという言葉は、介護や福祉、或いは、映画のような児童保護施設の現場では禁句である。
「上から目線」は相手の感情を害するが故に、ケアワーカーにとって、関係が開かれた時点で、相手を受容する「水平目線」という選択肢しかないのだ。
だから、「最初は“ノー”。友達になるのは、そのあと」と言う、グレイスのアドバイスが大きな意味を持つのである。
ネイトが「悪気はなかった」と弁解しても、もう遅かった。
施設の少年少女たちは、少なくとも、恵まれない家庭環境によって入所を余儀なくされているが故に、自分たちを世話する「一般成人」の言動に対して、必要以上にナーバスになってしまうから、ほんの僅かでも、その心を溶かしていくのは容易ではない。
必要以上にナーバスになってしまうそんな施設の中で、グレイスの存在感は際立っていた。
とりわけ、ジェイデンに対するグレイスのアプローチは、プロのセラピストを思わせる手法だった。
心の闇を抱えていると想像させるジェイデンに対して、グレイスが採った方法は、まず、自分の過去を語るという、簡便な「自己開示」によって、相手との心理的距離を縮め、その微妙な距離感の中で、ジェイデンからの何某かの「自己開示」を待つというアプローチである。
更に、ジェイデンの誕生日にミサンガを贈り、彼女との距離を確実に縮めていく。
ジェイデンの「自己開示」は、何より、グレイス自身が負った心的外傷と重なったからである。
しかし、この映画は甘くない。
「心の中では、いつも父親に見張られてる!常に父親の陰に怯えてる!」
童話でしか、自分のトラウマを表現できないところにこそ、この少女が負った心的外傷のコアがある。
退所の不安で、自殺未遂に振れるマーカスの自我の奥底に張り付く心理と同様に、この心情が理解できない限り、この映画は分らないだろう。
グレイスがジェイデンに深い関心を持ち、近接する行為に振れたのは、言うまでもなく、ジェイデンの中に性的虐待の臭気を感じ取ったからである。
それは、グレイスが負った性的虐待と同質のものである。
だから、ジェイデンを救う行為を使命にする。
「あなたを助けたかった」
グレイスは、そう言い切った。
そして彼女は、使命を帯びた行為を身体化する。
しかし、この行為を身体化すればするほど、危うさが増していく。
グレイス自身が負った心的外傷と重なってしまうが故に、彼女の内深くに封印しているネガティブな感情が噴き出してしまうことで、自らを追い込んでしまうからである。
それでも、ジェイデンの救済を捨てられない。
なぜなら、ジェイデンの救済=自己救済になるからである。
心的外傷の冥闇(めいあん)からの解放こそが、自己救済になる重みを認知するが故に、ジェイデンの救済を成就せねばならないのだ。
それは「恐怖突入」であり、命懸けの大仕事であった。
映画は、グレイスの命懸けの大仕事を軟着陸させたが、それは、決定的な頓挫の危うさと共存する可能性を否定し得ない現実をも示唆していた。
ここで、私は勘考する。
性的虐待を含む児童虐待を被弾した者の克服課題は、〈トラウマの払拭〉・〈真の愛情の確保〉・〈人間の尊厳の獲得〉であると、私は考える。
しかし、この課題を克服するのは容易ではない。
これらは相関性を持ち、決して独立系の因子ではないからだ。
ジェイデンにとって、極めて苦痛な性的行為を受容するという「負の連鎖」が断ち切れず、〈トラウマの払拭〉・〈真の愛情の確保〉・〈人間の尊厳の獲得〉という根源的テーマを克服できず、無気力な状態に晒されてしまっていた。
彼女の自我の奥深くに刻印された無力感は、成人してもなお延長され、約束されてしまう危うさを顕在化しつつあったのだ。
迫害妄想的で理非の分別がつかない世界に閉じ込められ、抑鬱、不安、自傷行為、自尊心の欠如を生むことで、虐待の〈トラウマ〉ばかりか、〈真の愛情〉と、欠損した〈人間の尊厳〉の獲得というテーマを同時に解決することの困難さの現実を露わにしていたのである。
そんなジェイデンの心の闇に最近接したグレイスは、酷似する自らの思いを吐露し、「水平目線」によって「共犯関係」を結び、一気の「恐怖突入」を身体化する。
「共犯関係」を結んだグレイスとジェイデンの二人は、理非の分別がつかず、ロックド・インされた世界の狭隘な出口を抉(こ)じ開け、自力で〈状況〉を作り出し、その中枢点で存分に吐き出し、暴れ狂い、解き放つのだ。
グレイスの命懸けの大仕事が軟着陸した瞬間である。
ジェイデンには、グレイスがいた。
自分を命を懸けて守ってくれると信じられるケアワーカーがいたことで、ジェイデンは救済されたのである。
そして、グレイスには、「自分が戻らなければならない場所」があった。
これが大きかった。
そこに戻れば、確実に心の安寧が得られるから、人生最大の勝負に打って出た。
内深くに封印している厄介な感情が噴き出す危うさが増す、ぎりぎりの辺りにまで追い詰められたグレイスの、一気の「恐怖突入」を可能にしたのは、ジェイデンの救済が自己救済に変容し得るという、殆ど無意識下での生命活動が推進力と化していたことが最も大きいが、それと等価値性を有するメイソンの存在が決定的に大きかった。
そこでの複雑な関係の絡み合いが、〈トラウマの払拭〉・〈真の愛情の確保〉・〈人間の尊厳の獲得〉という根源的テーマを、同時に具現化していく相関性が密に連動し合っていたのである。
だから煎じ詰めれば、この映画の主脈は、凍りついた幼い思考をグレイスによって溶かされたジェイデンの、思春期スパートの含みをも持つ「反乱」を主導したグレイスの、その一気の「恐怖突入」を浄化・吸収し、それをメイソンの懐の深さのうちに収斂させていく物語だったのである。
序盤で提示された映像によって、物語の収束点が観る者に分ってしまうハンデをもろともせず、「恐怖突入」をピークアウトにする後半からラストシークエンスにかけて、人間の感情の複雑な心境を、反転的で、容易に定まり切らない展開の中で描き切った映像の力技は出色だった。
(注)今でも議論が続く性的虐待の定義として、Schechter and Roberge(シャクターとロバージ)による以下の定義が最も的確であると、私は考えている。
「性的に成熟した大人が、発達的に未成熟で依存的な段階にある子供と、その子供がその意味を正確に把握できないような、すなわち子供にインフォームド・コンセントを与えることができないような性的な行為を持つこと」(ウィキ)
因みに、「性的な行為」の中で、インセスト(近親相姦)の割合が決して高くない事実を知る必要があるが、調査の困難さの壁があるので、ここでは、児童期の女性の4分の1近くが、成人男性からセックスを強要されたという、有名な「キンゼイ報告」の調査結果が1970年代に検証されたことを書き添えておきたい。
(2016年7月)
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